The Logry Freesia 2017 keitan0202.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

政治、社会、文明論、生活などについて語るブログ ●自民党(水月会)と民主党(民社協会)を支持します。 ●"Logry Freesia"とは『ブログのある所 自由な国』の意味です。


by keitan020211
プロフィールを見る

a0313715_22353037.png

a0313715_20240705.jpg


フジテレビ/関西テレビ 関東:8ch 東海:1ch 近畿:8ch
Mr.サンデー  日曜22.00~

 「美人の側に入りたい」――
 
 「愛していると云ってくれ」と韻を踏む。名曲『世情』のある、中島みゆきのアルバムの名作である。
 『世情』の歌詞の英語訳は弊ブログの記事にあるので各自でこのブログ内検索で探して下さい――弊ブログは弊ブログ内や他のサイトの参考記事についてはリンクを張らず、殆どはその方式を採ります。自分で探して何歩と思うからです。逆に、他のブログなどにおけるリンクをクリックすることも殆どありません。とんでもないページに飛んでは困るからです。――。

 その「美人の側に入りたい」と言うのは弊ブログの外部リンク――:Exciteブログ以外のお気に入りブログ――『コスプレで女やってますけど――北条かや公式ブログ』の主北条かや氏である。その昨日1日の記事『ものすごい美人とすれ違った絶望感』のキーワードとして語っている。

 『自分を曝け(さらけ)出したい中毒』なのか、北条氏はそこで感じたという自らの情けなさを縷々語る――:「縷々」の意味の確認をした。分からない方は自分で調べてみて下さい。――。
 ――そこで「切々と」や「赤裸々に」の言葉が似つかわしくはないのがミソであり、聊か不可触な、しかし学問的話題としてはあり得るようなものを感ずる。北条氏のそのような感覚には軽蔑すると言ってはやや言い過ぎとなるが、聊か呆れるということである。
 「♪燃えながら熱くなれ 何もかも曝け出して」とか「♪情けねえ!」て知っているであろうか?

 「自分ってもしかして美人〜⁉︎ちゅー とか思ってた……あぁ、くっそ∞←無限大恥ずかしい。」
 ――そこに、彼女がそれと同じ思いを他者にも味わわせたい、感じてほしい、「おい!感じろよ!!」みたいな圧しつけがましさを感じてしまう訳である。文面の見た目によらず、説教がましい。そして当の自分は然程に「恥ずかしい」と思ってはいない――それだけ色々としてみて恥ずかしいと思っているならば物凄い散財気質である。――。自らが恥じる振りをして偏に他者を恥じさせたいのである。彼女は’80年代生まれであるが、意外と団塊二世――:’70年代前半の生まれの世代 私は’70年代後半生まれ――的卑怯さである。今時の若いのとしては珍しいっす――ゆとり教育を否定するが、ゆとり世代ファン――。

 「結局、私はあっち側の人間にはなれないんだってこと分かっていたはずなのに、やっぱりどこかで期待してたんだな。」
 ――「あっち側の人間」という時点でかなりやばいっす――:勿論、「やばい」の語には拙くて良くないという意味しかない。――。
 政治の党派性とかその前提となる風土や文化における「あっち側の人間」、「あっち側の世界」ならばしばしばあるが、美人と不美人を『あっち側/こっち側』に分けるとはどういうことなのであろうか?
 そしてそこでも、そのように言いながら、自らがどこかで裏口で「あっち側」に入る機会は残されているに違いないと信じており、他者に「あっち側には行けないんだよ。」と説こうとする訳である。

 何しろ私は唯幻論の岸田秀を読み込んでいる。岸田教授も恐らくそのように言うであろう。彼の職場の偏差値も「あっち側とこっち側」になるのであろうか?

 美人の側、美人の世界などというものはない。
 世の中には各々に、美人がいて不美人、即ちブスがいる。それだけである。
 それともう一つ、とても重要なのが「どちらでもない」、即ち普通の人である。
 ブスとはなるべく関わりたくない、それは私も思うが、ブス男女を排除したら残るのは美人だけではなく普通の人が多くを占める。美女二割、美男二割と普通の男女六割が関わり合いの理想の比率であるが、なかなかそうもゆかない。
 北条氏はブスを排除したら残るのは美人だけでそこに「側、世界」が存在すると思っているのであろうか?、美人男女二人を除くと、美人だけが一緒にいる様を見掛けたことは一度もないが。
 彼女のように思う人はそれを分かったからといって「私は普通の人」と言ってほしくはないのであるが――尚も「美人の側と普通の人の側」に分けているであろうから――、

 「美人を羨む」――いいと思いますけどね、羨まれたら擦り減るものでもないし。
 「…羨ましいですね。」と語れることができる人を美人というんですけどね。
 自らも美人となるには美人の在り方を盗む外はないんですけどね。勿論、盗むためには色々と考えてみないとならないし、盗む対象は一人だけではなく何人もの美人を色々と盗みまくらないとならない。『見尽くし 盗み尽くし 考え尽くす』の三光作戦が大切である。考え疲れてしば漬を食べたくなったら笑える。

 「身も心も、美人になりたい 方法は誰も教えてくれないし雑誌にも、本にも書いてない。」
 ――いや、教えてくれますけどね。書いてありますけどね。
 弊ブログを読めば美人になれます。
 
 ● ● ●

 「あっち側の世界」――そのようなものが本当に出来上がって来つつあるのは流行語の世界である。

 昔は流行語が出来て聞かれると、誰でもいつでも遣うことができた。
 流行語は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず――それが流行語というものであり、弊ブログのように今尚「…みたいな。」とか「悲惨だな悲惨だな悲惨だな。」とか平気で言う人もいる。
 しかし今は、流行語を遣う人と遣わない人とが行き来の粗ない世界に分けられており、遣う人だけが遣うものとなっている。
 確かに、近年のユーキャン新語・流行語大賞の選出を見ると、自らも遣いたいとは全く思わないし遣う人がいるのを聞いたこともない、自分だけがそうなのかと思っていたら、「知ってはいるが実際には聞いたこともない」という人が結構多いらしい。

 「神ってる」――今年の流行語大賞がそれに決まったとの報を聞き、あっち側に行ってはいけないという思いを更に強くする。
 多分、「ヒロシマの球団」ということでカープ贔屓が選考委員に多いのであろう。処がその受賞者はネット右翼であり、笑えない――左翼がネット右翼語に賞をあげる訳であり、それ程にグロテスクなことはない――日本エレキテル連合というのもかなりグロテスクで気色悪いが、――。

 今は流行語の遣われる世界と遣われることのない世界が歴然と分かれている。遣われるべきではない言葉がしか流行しないからである。
 但し「保育園落ちた 日本死ね」は言葉そのものは良いと思う。それを「「日本死ね」なんて言葉が選ばれるのは信じ難い」と批判する人々が散見されるが、無視してよい。やはり批判の対象は受賞者が民進党の山尾志桜里氏であることである。山尾氏が「くれ。」と言ったのではないので詰りは新語・流行語大賞の存在そのものが否定されるべきということである。毎年不快な思いをさせないでほしいと挙国一致で廃止を迫り、叩き潰すべし。

 「美人の側」と比べると、羨ましいと思われることの決してない人々である。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■ブログ Keitan 地球を行く は⇒http://blogs.yahoo.co.jp/keitan020211
■政治家のブログへのリンク(:自由民主党;民主党)⇒http://www.geocities.jp/keitan020211/linkpage_politicians.htm

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_1412168.jpg●東海地方の緊急地震速報は ダイヤル1332 東海ラジオ
静岡県:FM 78.4 K-MIX


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


a0313715_15111415.png
テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

a0313715_15411366.png
フジテレビ みんなのニュース 15.50~18.57 <FNN>17.54~18.57/月~金

[PR]
# by keitan020211 | 2016-12-02 22:14 | 文明論 | Trackback | Comments(0)

a0313715_22353037.png

a0313715_20240705.jpg


フジテレビ/関西テレビ 関東:8ch 東海:1ch 近畿:8ch
Mr.サンデー  日曜22.00~

 CHAGE&ASKA――
 結構古く、1990年代の前半の頃に俄然に意気を挙げて売れたバンドである。
 当時に私は無論耳にしてはいたけれど全く興味はないので彼等の活躍はマスコミの年表に載るだけのものとしか認識していない。
 よってその一人であるASKAが2014年5月に覚醒剤取締法違反で逮捕された時にはこれという感慨はなく、一般の犯人と同じようにしか見ていない。さすがに残念と感じたのは元西武ライオンズの清原和博氏の件である。逆に酒井法子は如何にもやってそうという感じで「ざまあ見い。」とさえ感じた。

 寧ろ、ASKAを一般の犯人と同じようにしか見れない程にどうでもいい人であることがそれから2年を経ての今般の逮捕についても至って冷静に見れる理由かもしれない。

 ――ASKAが「絶対にやってない。」と言うのを信じたいのである。

 前回の逮捕については確かに「やっていた」であろう。そして今はその執行猶予中であり、更生を図っている筈であった。
 その中の逮捕となったが、覚醒剤の検査で陽性反応が出たことだけが証拠として取り上げられ、彼が覚醒剤の関連品を身元に全く持っていないことは諸報道は一応は言及しているだけで勘案してはいない。即ち、その検査が虚偽であるか或いは検査そのものは適正であるが彼が覚醒剤を摂取した原因が彼の意思においてではない可能性が勘案されてはいないということであり、諸報道はそれにもかかわらずASKAが覚醒剤を「やっている」ことを断定して報じている。それは仮に事実であったとしても報道の作法としては不適切であり責められるべきことである。取り分け酷いと感じるのはテレビ朝日の『ワイド!スクランブル』であり、司会の元高知県知事などがASKAを早速や有罪と断定して彼を批判する。

 私の推察では、ASKAは外へ食事にでも行った時に覚醒剤を彼に供していた暴力団関係者か何かと「偶然に――勿論偶然ではない――」会い、そこで料理に覚醒剤を混ぜられたのを食べたか或いは「久々にちょっとだけやって見いひんか?」と云われてどうにも断れずに一発だけ打ったかである。若しそうであったなら、不可抗力ということで無罪になる。尤も、断れないのは如何なものかとも思うが――やーさん程断り易い相手はいないものでもあるし――、そうはできない人が世の中には多いというので仕方がない。で、そうであれば関連品が身元にある筈もない。

 では、そのやーさんは何のためにASKAに覚醒剤を奨めるかが問題となる。

 前回の逮捕の2014年5月は集団的自衛権の行使を認めるように憲法の解釈を変える旨が閣議決定された7月の直前である。そこでは充分な国会における審議がなく閣議により強行されたことが強く批判された。また、同じ5月には環太平洋合同軍事演習がハワイにて行われ、そこに何と太平洋を侵略するのではないかと懼れられている中国軍が加わったエポックメーキングなことがあった頃である。中国軍のその『太平洋への進出』の事実と件の閣議決定はグローバルな観点から見て辻褄の合わないことである。然るに当閣議決定を批判する報道メディアはそこを重点的に突いて報ずれば世論の理解をもっと得ることができた筈である。しかしその合同演習については流しのニュースで少し報じられただけである。
 丁度その頃を、ASKAの前回の逮捕の報は埋め尽くしていた。

 そして今回、TPPの承認や年金の減額を定める法案の可決など、国会の審議が足りな過ぎる、与党は強行採決を繰り返していると野党などに批判されている案件が幾つもある。

 『ASKAを冤罪にした警察』或いは『ASKAにいつの間に覚醒剤を入れたやーさん』のその意図は自公与党のかのような強行議決に対する批判の報や特集をさせないようにするためではないかと考えられる。
 そもそも、警察庁長官は内閣の指名はしないが、承認による就任である。警察はそもそも秘密保護法案などには反対の気風が強い――その良し悪しについてはさておき――ので彼等がそれを認めるようにするためには長官などの幹部を政府の意向に適うように固めておかねばならない。

 車で自宅を護送されるASKAの顔は、如何にもやっているような顔つきをしていたが、現にしていないことが過去の経験を思い出すことにより顔に出る場合がある。やっていた頃の顔などの動きは更生を重ねても全く消え去ることはなく、その動きがどこかで出る場合がある。被爆の衝撃が後々にまで身を震わせることと同じである。

 ASKAは初めから覚醒剤をやっていたのでその点は身から出た錆であったといえるが、二度目の逮捕を機に薬物依存の更生の在り方が更生者の名誉や人権を損なうように改められたりすることがあってはならない。『あの国とは違うので殺しはしないが生かさない』ような在り方に変えられてしまう虞は充分にある。既にそのような方向を志向するような言説が大手報道メディアにも出ている。逆に、ホリエモンは薬物依存はそもそも絶対に治らないと、「だから何なんだ?」というような感じがしなくもないが更生者の名誉や人権を重視する言説を自らのツイッターに出している。治そうと働き掛けることそのものが名誉や人権に反する場合があるということである。絶対に間違いのない更生の手立ては単純に薬物がないこと、手に入ることのないこと、それだけである。

 まあしかし、安倍さん達はそうまでしてASKAを殺したい訳であろうか?
 確かに『万里の河』とか、日本らしくないし、安倍政権にとっては疎ましいアーティストであるには違いない。
 リベラルを自認するならば結果はどうあれ、ASKAの擁護をするべしと思うが――誰かのように、CHAGE&ASKAを好きであるからということでは勿論なく――、社会問題に疎い反安倍のリベラル左派はそうはしそうもないな、サイケの時代を生きていた筈な団塊世代がそもそもその中心であるし、本当に彼等はまやかしですな。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■ブログ Keitan 地球を行く は⇒http://blogs.yahoo.co.jp/keitan020211
■政治家のブログへのリンク(:自由民主党;民主党)⇒http://www.geocities.jp/keitan020211/linkpage_politicians.htm

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_1412168.jpg●東海地方の緊急地震速報は ダイヤル1332 東海ラジオ
静岡県:FM 78.4 K-MIX


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


a0313715_15111415.png
テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

a0313715_15411366.png
フジテレビ みんなのニュース 15.50~18.57 <FNN>17.54~18.57/月~金

[PR]
# by keitan020211 | 2016-11-30 21:15 | 政治、社会 | Trackback | Comments(0)

a0313715_22353037.png

a0313715_14363789.png

a0313715_14365126.jpg


 作家の百田尚樹氏が久々に問題発言を出した。
 自らのツイッターに、千葉大学医学部の学生等が集団で女性に暴行した容疑で千葉県警に逮捕された事件につき、「千葉大医学部の学生の集団レイプ事件の犯人たちの名前を県警が公表せず。犯人の学生たちは大物政治家の息子か警察幹部の息子かなどと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする。」とのものである。

 それにつき、文筆家の古谷経衡氏は:
 それをめぐり、或るジャーナリストがツイッター社は百田氏のアカウントを規約違反により停止するべしとするなど議論が沸騰中だ。私はここ数年間、嫌というほどリアル/ネットの空間の別を問わず、耳を疑うような、決して言葉にすることが憚られるような、異形ともいうべきヘイトスピーチを見分してきた。よって社会的影響力の大たるベストセラー作家の言だとしても、上記発言に特段の感慨はない。
 むしろ、悲しむべきなのはそういった直接的な異形のヘイトスピーチと比較して「この程度ならまだしも穏健な方だ。」と少しばかり得心してしまう自分についてである。少し前なら社会生命を失いかねない言葉が平然と大手を振って歩いている。百田氏云々よりも、そちらを憂慮するべきである。
:とする。
 これという感慨がない、その程度ならば寧ろ穏健ともいえると思うのは私も同じくあるが、そう思う自分を何とも思いはしない。
 犯罪沙汰があれば先ずは外人を疑うことは昔も今もかわらない定番である。伝統などといえるようなものではないが、「外人じゃね?」みたいなことは昨今に著しく増えていることではなく、寧ろ少なくなってさえいることである。寧ろ、少ない故に目立ち、殊更に問題とされるようになっているに過ぎない。問題とする側はそのような準ヘイトスピーチをこの折に根絶したいと息巻いているのである。
 外人は国の社会への関わり合いが本国民と比べ格段に少なくて薄いので何か行き詰まる際に犯罪や頽廃行動へのアクセスを取る余地が大きい。それは当たり前のことであり、寧ろ外人を無条件に国民と同様に捉えるようになれば外人を疎外することになる。外人を国民と同様に受け入れることはする側にとってもされる側にとっても、然程に甘いことではない。
 「外人じゃね?」は決して「外人がやってまーーーす!!!!!」ではない。尤も、近年にヘイトスピーチと目されている事例等には後者のようなものも見受けられはする。百田氏のツイートは明らかに前者である、「気がする」と言っているし。
 「外人じゃね?」は一つの可能性、即ち事案の解決の切り口の一つを出すことである。国民のためにある機関との前提による捜査当局は得てして国民だけに目がゆき、外人によるものとの可能性を考慮しないものである――その良し悪しは分からない。捜査機関には特有の定石というものがある。――。そこに、「外人じゃね?」のような問いが出ることは国と社会の国際性の表れでもある。外人がいない国や社会ならばそのような問いは出ようもないからである。詰り、ヘイトスピーチを問題視している人々の中には自らが外人や国際化社会とは何の関わりもなく日本人だけの空間で生きていて、今後もそれを望んでいて問題視する人々が少なくない。所謂安全地帯からしかものを言わないことの典型である。団塊世代的リベラル左派とその継承者はその典型である。

 古谷氏は若いので―笑―そのようなことが普通に言われていた時代を知らない、故に「悲しむべきなのは……少しばかり得心してしまう自分についてである。」や「しかし、そういった異形に比べてまだマシなのだからよいで済んでしまうお話なのだろうか?」となるのか?
 得心するとはそのようなことが普通に言われていた時代から生き続けている感覚を無意識に分かるということでもある。それが昨今の聊か異様な政治的正しさ、PCの概念の意識とのずれを感じて戸惑う訳である。今時が間違っている。「まだましやし、かまへん。」で済むお話である。
 とはいえ、「私はなぜ百田氏のような高名な作家が2002年ごろから勃興してきたいわゆるネット右翼の界隈に定説となった『犯罪者=在日コリアン』説を垂直的にトレースするのかに興味がある。」には良し悪しはともかく、意味があると思う。
 一つ言うと、日本の在日外国人の最多勢力は昔も今も朝鮮半島系、所謂コリアンである。先の「外人の可能性」を単純な数論で割り切るとその可能性が最も高いのは在日韓人ということになる。次がシナ人。
 外人だけではなく、古代以来に帰化している韓国系を含めれば、日本の相対多数に過ぎないのに最大多数、即ち過半数であるかのように振る舞う不快感や被抑圧感ということもある、彼等の云う通りにすれば最大幸福が実現すると。
 よって在日韓人が日本においては何かと疑いの筆頭格とされることは歴史的に避けられない宿命なのであり、百田氏の程の準ヘイトスピーチ、即ちヘイトスピーチに似るものが出て来る位のことで目くじらを立てたり非難をかますのはおかしい、ならば貴方は在日のために何をしているというのですかという話になる。

 おい、言うだけ番長。

 ――これらのことは私の物心がついてから永らく思うことであり、昨今にネット右翼が愈々無視し難い存在になってきたから考えを変えて言っているのではない。ネット右翼は逆にそのようなことを知らずに今世紀のトレンドに乗って騒いでいるか或いは少し知っただけでその知見をひけらかしているかのどちらかである、例えば元左翼やリベラル左派で昨今に右派の論調に雷に打たれるように出会い、以後右派的なるものにこだわってものを言い生きている人達など。
 彼等を含むいわば潜在的左翼が今の世を牛耳っていることを見るに、古谷氏が右傾化はない、あるのは左傾化であると語るのは得心である。

 もう一つ、古谷氏が語るのは日本の右派論壇または保守論壇の特殊性についてである。

 古谷氏がそこに「インターネットが普及する以前、この国の保守論壇は冷戦時代の反共保守が中心となり、そしてそれを支える支持者もまた著しく高齢化していた(現在もあまり変わらないが)。そしてその保守論壇は産経新聞と論壇誌『正論』を中心とする貴族的でサロン的な閉ざされた空間であった(産経 正論路線 参照:拙記事『温室の中の保守論壇』とヘイトスピーチ)。彼らは良い意味で喜捨の精神に優れ、そして高齢者が主体なので肉体言語とは遠くまたその動作は緩慢かつ温和であった。当然、そういったある種の高級サロンの中で観測される人々は思慮深く温順な日本人であり、暴力や犯罪から最も遠い。」と語るのは本当である。前世紀、本当の保守右派が生きていた時代である。私、弊ブログも、根底の路線はそのような前世紀の保守右派の論調にある。それが今世紀ネット右翼の台頭と共に相対的に左寄りに見えるようになって来、それが竟先頃まで続く。安倍安保法案などにも反対である。しかし、ネット右翼やリベラル左派を一々念頭におきながらものを考えて語るのは面倒臭いので最近はもう少し相対的右寄りに路線を戻しているが絶対値としては昔も今も殆ど変らない。

 しかし、そのようなかつての保守右派論壇と今のネット右翼を含む右派論壇には本質的違いがある。断絶というよりは異質なものに乗っ取られているものである。
 それは古谷氏がそこに指摘する保守右派論壇の閉鎖的サロン性は今の右派論壇にはないことである。
 昔の保守右派論壇は良くも悪くも閉鎖的で世間への影響力は微々たるものしかなかった。その『微々』に可能性を夢みて保守を語り生きる、それが保守右派のロマンであり生き甲斐であった。それはそれぞれの生き方により可能であった。そもそも人は世界に微々たる影響をしか与えられない存在として生まれて生きて没するものである。
 そのような保守右派論壇が断絶しつつあったのは2000年頃、その一因は1998年に橋本政権の下に決まった在日米軍の普天間基地の辺野古への移転の政策である。辺野古における問題は当時は余り今に見る程には表に出て来てはおらず、日本、沖縄とアメリカの三方良しの、万全の決定策であるかのように見えた。そこに、年来に保守右派が支持する日米安保体制は更に磐石のものとして完成しつつあるかのように思えた訳である。その感慨を今になって引繰り返されたくはないことが最近の辺野古への移転を巡る情勢には現われている。俗に言う「これ最強!」というものであり、それが如何に恐ろしい観念であるかが分かる。かくして保守右派論壇はそれまでの閉鎖的サロンにおける穏健賢慮の美風を失い、「これ最強!」に乗り掛かって下らない話に明け暮れるだけのサブカルチャー的存在に転化してゆく。その代表は元外交官で正論の執筆者の一人であった岡崎久彦氏である。
 『正論』を含むサブカルチャー化した右派論壇は今世紀の初めの頃のネット右翼予備軍の思想と言論の教科書となってゆく。その『正論』が教科書を作るようになったというのが何ともサブカルチャー的話で下らない。ネット右翼は新世紀の右派論壇を参考として着々とその足掛かりを当時の普及し始めたネットの世界に築いてゆく。ネットは情報の伝達力はそれなりに高いが動員力は余りないことが特色のメディアである。それはインターネットのサイトを作るためには結構手間の掛かる知識と技術、時間が要り、情報を出すだけで一苦労、それを使って人物金を実地で動員することはアメリカの民主党のネット献金などの強者にしかなかなかできないことである。
 かつての保守右派論壇はサロン風に閉鎖的とはいえどもそれなりの動員力があった。先ずは動員される側に積極的関心があることが動員の成り立つ最低条件ではあったが、一度やその世界を知ればアクセスが可能なものであった。また、多くの場合はそれが可能となるのは都市部であり、保守右派論壇は東京圏と大阪圏にしか粗ないものでもあった。都市部に偏在することは後のネット右翼も大体同じであるが、ネット右翼は実地的動員力にはツイッターのある今も聊か欠ける。
 逆にツイッターを生かして実地的動員力を持ったのは彼等の忌み嫌うリベラル左派を含む護憲平和主義の勢力である。安倍安保法案の反対のデモや辺野古への移転に対する抗議のデモなどに、彼等はツイッターを生かして人物金を容易く―?―動員する。元々が実地的動員による訴求を主な手立てとする人々なので新しいメディアをそのために生かすことは何故考えないかというべきことである。
 ネット右翼はツイッターなどのメディアを実地的動員のためには使わないために、それを使う目的は不特定多数へのメッセージの発信に偏る――弊ブログもその点は同じであるが、使う能だけはあると思う。――。それがヘイトスピーチや準ヘイトスピーチの横行につながる。また、デモ好きな人々の程にはメディアを使いこなせない旧い発想のリベラル左派がその内容はともかく、その基本的発想や行動様式においてはネット右翼と同類となる。経済的貧困とは違う意味における格差、the gapが存在し、ネット右翼とリベラル左派はメディアリテラシーにおける相対的貧困層であるといえる。何れも経済力は今時にしてはやや高めであるとは古谷氏の既存の指摘にも明らかである。
 故に、ネット右翼同士の互いの存在の確認は殆どネットの文字や記号を通してしかできない。必然に、顔も背格好も不明となる――偶に顔を隠して躰だけを映すネット右翼女がいたりするが、――。サロン的とはいえないし、閉鎖的ですらない。

 故に、古谷氏の続いて言う「それはインターネット時代になり、ネット右翼がその保守論壇に寄生する現在になってもいささかもかわることはない。」は誤りであり、聊かかわってしまっている。
 但し「ともあれ、保守も、右派も、ネット右翼も、貧困に無縁な比較的富裕な社会的強者だからこそ、日本人なら犯罪など犯さないはずだという結論に至っていく。自分の周りが同じような社会階層ばかりなので、犯罪傾向とは無縁で、日本国内の重大犯罪はどこか海外で起こっているかのような距離感がある。」というのは本当なろう。日本人のイメージが彼等においては辺野古のV字滑走路のように固定化されている。しかしそれを古谷氏のように「貴族的」ということはできない。貴族とは悪く言えば大年増であるが、様々な伝聞を得て自らとは異なる世界が確かに存在することを少なくとも知識としてだけでも知る人々であり、貴族的であるとはそのような性質のある平民である。同じような社会階層としか関わらない人々は良く言えば武士的であり、普通に言えば単なる中流大衆である。

 古谷氏には他にも、ハロウィーンについて語る批評にハロウィーンは見せびらかし消費であるなどというのにも見て取れるように、階級的特徴や価値を巡る問題というものに関してやや無知で倒錯している処がある。貴族とも呼ばれる上流階級は見せびらかし消費をしたりはしないし、地位に基づく同質的交流に生きる人々ではない。西欧の舞踏会やサロンなども、互いの同質性を確かめ合う場では全くなく、逆に各々が如何に異質であるかを見究める場であるり、日本の保守右派論壇もまたかつては向こうとの規模と予算の差はあれ、そのようなものであった。
 「派手に遊んで見せびらかす上の人達」に対して「自分達庶民は質実で賢い」と対置し、上を羨みながら蔑み下を称――「日本揚げ」の「揚」――する発想はネット右翼やリベラル左派に相通ずる悪弊であり、古谷氏もその影響を受けて育っていることに気をつけるべきである――凄い目つき…emoticon-0141-whew.gif――。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報



■NEWS of the WORLD


a0313715_20290187.png
    ●ル フィガロ(フランス パリ)
a0313715_20324653.png
    ●朝日新聞(日本 大阪)
a0313715_20351165.gif
    ●日本経済新聞(日本 東京)
a0313715_20365208.png
    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
a0313715_20390867.png
    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
a0313715_20405274.png
    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_14522563.png
    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
a0313715_20590106.png
    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
# by keitan020211 | 2016-11-30 19:13 | 文明論 | Trackback | Comments(0)

 弊ブログ『The Logry Freesia』はこの11月から2017年度に入っています。毎年11月が新年度です。

 この記事では昨年度版『The Logry Freesia 2016』、2015年11月から2016年10月までの記事等にある、明言の数々を振り返って紹介します。
 トランプ新大統領の暴言の数々に勝てるでしょうか?


◯手前方は低水準であると語れる風土は実は高水準であるというべきことである。
Some culture who can tell that themselves are in a lower level should indeed be something seen to be a high level.
◯人間は自分の自由にしていると思うことさえも何等かの強制が過去にあった故にそうするようになっていることは少なくはない。
On the human some things which have been made so as he to do such because he'd had some kind of compulsion in the past even if he's thought to have done in himself's freedom are not a few.
<2015.11.2 【考察英語】譲る より>

◯この題名の「身もダフもない」が流行語大賞に選ばれた。
Has the title here "Had neither the body nor the dafs" been elected for the grand prix of the popular words.
※:dafs: illegal vendors of tickets on concerts or sports games, etc..
<2015.11.13 【流行語大賞】身もダフもない より>

◯『旨いものが食べられない自分』に『クール』を感じる、自虐的快感のようなものを彼等はそこに求めているのである。自虐史観は卒業して自虐生活に入りましょう、そのような意図である。
They would be desiring on it something like a masochistic pleasant feel, feel "cools" upon "himself who can never eat any tasty ones". They shall graduate from the masochistic historical views and be in a masochistic life, in such an aim they are.
<2015.11.23 クール より>

◯吉永に及ぶ大御所はもはや出て来るまい、旧い時代を愛する人々には得てしてそう見える。吉永に及び或いは凌ぐ女優が出ることを許せない気持ちがあったりする。
Any greatest person who can be equal to Yoshinaga must never come out no longer, seen such very often on some ones loved the former age. They are having some mind keeping never to arrow any actresses equal to Yoshinaga or taking her over could come out.
<2015.11.30 入れ替わり立ち代わり――原節子の逝去に思う より>

◯政治や社会、思想、言論に参加するとはその自由を幾らかは失うことを覚悟しつつ生かし用いることである。
That he engages in the politics, societies, ideas or opinions is to use his freedom having to be resolved on losing it somewhat.
<2015.12.2 リベラルと保守 再論 その2 より>

◯「安心して下さい。ちゃんと開いてますよ。」
"Never mind. It should be pretty open."
<2015.12.30 思えば便利になったもんだ より>

◯『内側』に身をおいていると、何でも見えるかのような気がして来る。実際に、粗何でも見える。然し、その外側からは、自分の姿は見えていない。世界はマジックミラーのようである。
To stay on the "inside", becomes to have some mind as if he can see everything. Practically, roughly every things can see. However, by the outsiders, figure of himself is not seeing. The world is like the magic mirrors.
<2015.12.31 【コラム 葉がつく】マジックミラー より>

◯原発の再稼働及び維持は浮気を蔑む生活を意味し、脱原発は浮気の肯定或いは容認、批判には慎重たることを意味する、故に浮気宰相小泉純一郎は必然に脱原発を支持する。
The re-operation of the atomic power generations and its maintenance signifies the life despising unchastity; getting rid of the atomic power generation signifies his affirmation or toleration on unchastity, that he is prudent on criticising on it, therefore the unchaste premier Koizmi Jun'ichirou supports certainly on getting rid of the atomic power generation.
<2016.1.25 【ベッキー疑惑】ベッキーを全面支持する。 より>

◯人の名はその人自らのためだけにあるのではなく、末代の誰かのためにもある。寧ろ、人は自らの名を誇るのではなく先人の名を生きるべきものではないか?
His name is the one exists even for anyone in the future, never the one exists just for himself. Rather, man should not be proud of his own name but have to live a name of some former man.
<2016.1.28 【コラム 葉がつく】甘利大臣のあんまりな辞任 より>

◯彼が言うことは「貴方は貧しくないのでキリスト教徒ではない。」などと言っているのと同じである。
His speeches are equal to something which says such as: "You are not the christian for you not poor,".
<2016.2.19 フランシスコローマ司教 即時退任を 然もなくば死を――トランプ氏を誹謗 より>

◯誰か、「非国民の歌う国歌なんて聴いても見苦しいだけでしょう。」という当たり前のことをネット右翼や橋下徹に言い聞かせられないものであろうか?
Dear fellows, couldn't you have to say and make the right-wings on the net or Hashimoto Toru to listen about the reasonable thing that: "Such the national anthem the outlaws sing may be just the unsightly as it listened."?
<2016.2.23 プロレスラー大臣の無知とアナウンサー大臣の不知 より>

◯事の本質は保育所に入れないことそのものにあるのではなく人の生涯は保育所の如何によって左右されかねないこと、即ち保育所の観念と実態が人間の実存と別ち難く結びつくことにある。
You will not have essentials of the thing on itself that some ones never to enter a nurseries but on it that someone's life could be swayed by affairs on the nurseries, or that the ideas and the realities on the nurseries to engage the human's existence indissolubly.
<2016.3.1 待機児童は日本の象徴なのか? 山尾×安倍 再び より>

◯やはり男女は互いの世界を度々訪れたり迎え入れたりして何歩であると思うからである。
Because I think all for a male and a female can get any merit in visiting each other's world or welcoming at often.
<2016.3.2 堺屋太一 今度は『低欲望社会』 より>

◯下着の話として「パンティー」と聞くと先ずは想い浮かぶのは飾り付けの多くて聊か時代錯誤な趣のものである。「女性のパンティーの自由は、保障する。」のような感じである。
The one to get imaged first to hear "panties" as topic on the lingerie is one in a look somewhat anachronistic had plenty of ornaments, which feels like: "On freedom of the women's panties, guarantee it."
<2016.3.4 【民主党】「もう党名つけないよ。」――??? より>

◯根づいていないものを名にすることはできない、『民主』の名がなくなるのはそれが唯一つの理由かも。
To name it out of something never taken root can never be affordable; It may be the only reason on the name "Democratic" will disappear.
<2016.3.16 【コラム 葉がつく】民が進むのが『民主』 より>

◯疑惑は想定の範囲内ではないが想定するべき事柄の範囲外なのである。
The suspicion would have not been on the scope in suppositions but been out the scope in the matters to suppose.
<2016.3.16 【S.M.川上詐称】「騙された」??? より>

◯自由主義とは国民が国家による抑圧を逃れられないようにするための手立てである。
The liberalism is a means in order the nation never to get away out of oppression by the State.
<2006.3.29 【中一少女監禁事件】『逃げられない自由』 より>

2016年4月以降の分は追って加えます。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報



■NEWS of the WORLD


a0313715_19444519.png
    ●ル モンド(フランス パリ)
a0313715_1946890.png
    ●リベラシオン(フランス パリ)
a0313715_19485112.png
    ●読売新聞(日本 東京)
a0313715_19504029.png
    ●毎日新聞(日本 東京)
a0313715_201454.jpg
    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
a0313715_19541757.png
    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_19555015.png
    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
# by keitan020211 | 2016-11-30 15:36 | 文明論 | Trackback | Comments(0)

a0313715_22353037.png

a0313715_14363789.png

a0313715_14365126.jpg


 豹柄――

 雹柄も良いかもしれないが、雹柄ではなく豹柄、脚の速い四足の獣、豹の皮を使う生地や皮を模す柄の生地の服や装飾品をいう。

a0313715_22092876.jpg 昨今は余り見掛けない豹柄、そのタイトなワンピースなどは昔は所謂若い姉ちゃんの典型的装いの一つであったし、豹柄の玄関敷やソファーなどは素敵な金持ちの典型的趣の一つであったが、今はとんと見掛けない。羽振りの良さげな豹柄の婆様もなかなかいない。老人はとにかく慎ましそうな慎ましそうな服を着るべしというような時代にある。年金問題などの、政治的反感を買わないためでもあろう。
 しかし、まだ生きている地方もあるという。
 豹柄の県別の購買数の番付を取った調査者がおり、それに拠ると埼玉県が1位で大阪府が2位、岐阜県が3位、東京都が4位となる。
 埼玉県は市の数が日本一多く、有象無象の市とその市街がある。それらに分け入って行くと今も豹柄がここにもそこにもと生き残っているらしい。大型SCも東京都や神奈川県と比べると多く、そこにも豹柄が「はい、あります。」と姿を現す――
 東京都は、人口と商店の数の絶対数の多さによるものであろうか?現に東京やその周辺では豹柄を見掛けることは粗全くないが地域によっては根強いのであろう。

 豹柄が尚も強く支持されていそうなのは大阪府と岐阜県である。何となくそんな感じがする。

a0313715_22075132.jpg 私は豹柄の服を着たことはないが、豹柄の布団を使っていたことがある。奇しくもというか本当に多いのか、岐阜県の近くに住んでいた頃である。川を渡ると岐阜県で川沿いに早くも山の迫る、まんが日本昔ばなしの舞台に絶好そうな所である。その愛知県の或る町の小さなホームセンターに豹柄の布団があり、迷わず買った。無論、皮製ではなく豹柄をあしらう普通の布団であるが、気分としての高級感は満点で、眠るのが楽しみで寝起きも良い。
 豹柄の服も良いのがあれば着てみたいと思う。
 豹は猫科の動物であり、猫である私には親しみが湧く。野球のファンも猫科のライオンを奉る埼玉西武ライオンズである。

a0313715_22123384.jpg 豹の魅力は自然が織りなす最高度の芸術的美しさにある。「立てばライオン、坐れば猫、駈ける姿は豹」という諺もある。
 而して人とその作り出す文明もそのようにありたいとの願いが豹柄には感じ取れる故と思う。正に文明の象徴な訳である。
 尤も、豹を獲って皮を売り始めた人々が初めからそのような意味を込めていたのではなかろう。寧ろ、あの凄い動物を獲ることには人間の力の勝利があるという程に思っていたのかもしれない。そのような感覚から好まれる豹柄の世界もある。所謂イケイケ姉ちゃん流の豹柄である――私はそうではない。――。それらを合計すると人間主義の強い埼玉県や大阪府などの豹柄の売れ行きとなる。岐阜県は多分、私と同じような前者の好まれ方であると思う。

 豹柄がよく見掛けられたのは1980年代であり、その時代に日産自動車がレパードという2扉セダンを売り出した。2扉セダンとは聞き慣れない種別かもしれないが、2扉車に多いクーペではなく車体が三箱型の2扉で、セダン並みの室内の快適性を求める車である。同じ時代にトヨタ自動車はソアラという同種の車を出している。
a0313715_22055349.jpg そのレパード、Leopardの名の意味は豹であり、豹柄の座席や内装をしてはいないが何となくその趣向に似合う座席や内装のデザインをしている。オークル系、即ち黄土色を基調とするものである。
 私は初めから当時もトヨタ派であるが、その日産レパードには聊か心酔してしまい、大きくなったらレパードの似合う人になろうと夢みていたものである。手短に言えば知性と色香を兼ね備える――約めて才色兼備と言う。――大人である。そこへ以て来ると、トヨタソアラは性能もデザインも素晴らしいが若干の色香の不足があった――後のレクサスSCとなるとその点も完璧となったが、――。因みにソアラ、SOARERは天馬というような、空想上の動物である。動詞の"soar"に"-er"である。

 今はどうであろうか?
 良し悪しはさておき、豹の皮とか縞馬の皮とか空の雲とか、自然の姿をそのまんま柄にするようなデザインの在り方は早い話、ウケない。何でもいいから、人の発案の生かされるデザインでないと駄目、今はそんな感じになっている。仮令それが下らないメッセージであろうと――「さておき」違うんかい??――、人間性が感じられるものが良いというのである。
a0313715_22155051.jpg そのようにかわっている背景にはパクリとか盗作というような、意匠における権利の意識が生半可に――「さておき」違うんかい??――高まっている思潮がある。人間性の感じられる発案は人それぞれに違う筈なのでそこには権利による分別をつけやすい利点があるが、獣の皮や空模様には目立つ違いは作りにくく、大雑把に見れば皆同じである。違いは正に野菜の傷み具合のような細かa0313715_22172610.jpgい納得の如何におけるものとなる。豹柄では少なくとも権利ビジネスは成り立たないし、そもそも似ているものが出て来たらここぞとばかりに訴訟に打って出るような発想と行動様式には馴染まない。
 故に、パクリの常習といわれる中国が尊敬される経済大国となりたいならば豹柄を普及することである。そこには初めからパクリも盗作もないからである。そして日本も、「未だにそんなものを好む中国」などと思わずに豹柄の人気を再来させるべきである。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報



■NEWS of the WORLD


a0313715_20290187.png
    ●ル フィガロ(フランス パリ)
a0313715_20324653.png
    ●朝日新聞(日本 大阪)
a0313715_20351165.gif
    ●日本経済新聞(日本 東京)
a0313715_20365208.png
    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
a0313715_20390867.png
    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
a0313715_20405274.png
    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_14522563.png
    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
a0313715_20590106.png
    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
# by keitan020211 | 2016-11-27 22:18 | 文明論 | Trackback | Comments(0)

GUのトレンチコート


 弊ブログの推すコスパブランドであるGU――
 この冬は極めてコスパの高い逸品を見つけた。

a0313715_18332253.jpg GUのトレンチコート――

 他のトレンチコートとは何が違うか、何も違わない、見た目は。
 否、厳密にいうと見た目も違う。
 下手に高いものより質感とデザインの高級感が良い。

 そして何よりも着心地の柔らかさ
 分厚いセーターの上にも融通良く合い、きつい感じになることがない。

a0313715_18350541.jpg 生地は薄く、裏打ちも薄目に出来ているが、それが暖かい。動き易さの理由でもある。
 薄くて暖かい布団のような着心地である。
 その薄暖かさの故に、襟巻(マフラー)が前に膨らみ出張るような感じにもならず自由に巻ける。例えば長いマフラーを半分の長さにして丸っと巻くのにも能く合う――私のはライトベージュのコートにオレンジの長マフラー――。

a0313715_18371212.jpg 大き目な襟のしなり具合も完璧、ライトベージュの色合いも良く、汎用性が高いながらありきたりな感じもない。様々な装いにぴたりぴたりと合う。

 但しシルエットはやや太目、私の大き目好みには合うがそこは好みが分かれよう。
 細目のトレンチコートの帯(ベルト)の後(しり)が程良く垂れていると聡しくて(:知的で)かわいいと思ったりするが、太目なシルエットのこのGUのトレンチコートでは、その垂れ具合がやや足りずにそのような感じが出にくいかと思う。失敗を懼れるならば、垂らさずに普通に締めるのがお奨めである。寧ろ前を垂らすとウケるかもと思う。
 トレンチベルトの締め方の種々については、これも弊ブログの推すブランドであるNEWYORKERのサイト:
に例示が載っている。

 私が買って着ているのは新品同様の中古で新品同様の価格であるが、それと同じ型のものは新品では在庫が既にないらしく――発売中の定価は990円 再発売の可能性なくはなし――、GUのウェブサイトの写真で見る限りではより細目でスタイリッシュな形、資生堂MAQUILLAGEのリキッドファンデーションに合いそうな新型のトレンチコートZが出ている。従来のGUはきゃりーぱみゅぱみゅやa0313715_18425219.jpg山本美月がCMモデルとなっていたことにも窺えるように微妙にぽちゃっとしていて強かわいい趣を主としていた感があり、私もそれを気に入っていたが、この処にはもっと'90年代風+αのスタイリッシュさを志向しているようである。『'90年代風』はスマート感;『+α』はゆるキャラ感である。'90年代を愉しめなかった今の中年世代とか、'90年代を馬鹿にしていたけれど近頃は当時が羨ましくなってきた高年世代とか、「GU=B層と学生/ユニクロ=セーフ」みたいな思い込みの強い層――「プチプラ」の語もそのような先入観を助長しているかもしれない――を見直させて引き込む狙いがあるのかもしれないと弊ブログは見る。
 とはいえ、トヨタマークXやレクサス車なんかも今の型より一つ前の型が良いし、中古のGUも新品に劣らず価値が高い。丁度、マークXの'2004年型と’2009年型との違いのような違いが私の着ている旧型と今出ている新型との違いという感じである。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報



■NEWS of the WORLD


a0313715_19444519.png
    ●ル モンド(フランス パリ)
a0313715_1946890.png
    ●リベラシオン(フランス パリ)
a0313715_19485112.png
    ●読売新聞(日本 東京)
a0313715_19504029.png
    ●毎日新聞(日本 東京)
a0313715_201454.jpg
    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
a0313715_19541757.png
    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_19555015.png
    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
# by keitan020211 | 2016-11-27 18:45 | 生活 | Trackback | Comments(0)