『TOKYO2020』の佐野研二郎氏の葬式ごっこ 問題の根は『死者を罰せず』にある

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 直前の記事には神宮外苑の見世物における火災の問題の根は安全よりも芸術性にあると語った。
 何かこう、世の中の話題を作り出して物事を考えているかのような気分になろうとするようなものを感じるのがその事故と粗時を同じくして出ている多摩美術大学の佐野研二郎氏の葬式ごっこである。そうであったとすれば、事故ではなく事件であり、神宮外苑の件は過失致死傷罪ではなく殺人罪であるし、多摩美大の件もまた話題作りのためのやらせのパフォーマンスということになる。日本人て本当にいいものですね。

 その葬式ごっこを受け、弊ブログが電通の過労死の労災のことにつき先日に批判した常見陽平氏などが『いじめの問題』とし、「いじめが芸術ならば許されるというのはおかしい」と批判を語っている。
 片や弊ブログの外部リンク(:Exciteブログ以外のお気に入りブログ)である『 旧民主党支持者の、民進党応援ブログ です! 』はその葬式ごっこを反権力の姿勢が窺えるものとして支持すると語る。佐野氏などの芸術家やクリエーターはその思想信条を問わず皆権力者であり、それを批判したり抗議の念を表したりするのことは好ましいことであるとの旨である。確かに、権力とは政治や行政、司法、即ち国家権力だけではなく何であれ力を有して行使する物事を行う人は権力者であり、それに関わる人々は権力筋である。詰り、国民の間における互いの批判とは悉く権力の批判である。その点に目を着けるかのブログの主コッホさんは慧眼であるといえる。コッホさんは少なくともその葬式ごっこを芸術とかちょっとした遊びと見て擁護するのではない、擁護の観点が異なる。

 とにかく、近年はやらせとしか考えられないような分かり易過ぎる事件や事故、延いては政治行動が多い。犯行の動機や事故の原因、立候補の理由などが素人にも容易くに推測や理解することができ、複雑な分析や洞察を要せず、故に同じようなことを幾らでも起こせそうな感じがするのである。昔はもっと分かりにくい事件や事故、政治行動が多くあったと思う。例えばグリコ森永ハウス事件、いや、分かり易いか。犯人が判ってはいないだけの話ですな。

 佐野氏の葬式ごっこの問題の根はいじめでも芸術でもなく、『死者を罰せず』の法原則とそれを支える日本思想である。日本だけではなく諸外国の法原則にも『死者を罰せず』はあるのかもしれないが、それが民間の思想により支えられているのは多分日本だけであると思われる。
 その世界標準的理由は無論、死者は捜査の一部を受けることはできても、訴追を受けることはできず、裁判及び弁護を受ける権利を有することはできないからである。言わば端的合理性の故である。できないものはできない、それだけの話である。
 しかし、日本は世界が端的合理性のみにより定めるその法原則が思想により確りと肉づけされている。尤も、端的合理性の追求もまた思想の一つといえはする。なので私、弊ブログは端的合理性の追求の思想を信ずる人であるといえもする。
 日本の思想と法治の在り方においては『死者を罰せず』は「死者を罰することはできない」ではなく「死者を罰してはならない」である。死者は無条件に無罪であり、無垢であり、生者は死者を神として崇めなくてはならない――因みにその思想は日本の伝統である神道とは何の関係もない。神道は自然を尊びまたは和するべしとはするが死者とはどうでこうでというようなことを云いはしない。但し日本武尊や神武天皇などの偉い人を主に死後に尊び崇める慣習はある。死者が尊ぶべきかないかを考えることは生者の任意、但し何れにせよ自然に還ってゆくものであるとするのが神道である。片や死者は無条件に無罪であり、無垢であり、生者は死者を神として崇めなくてはならないとする思想はキリスト教圏に擬えると異端や魔女に相当する、少なくとも極めて野蛮で邪悪な思想である。それが神道であり伝統であるかのように装って日本人を断続的に支配している。

 佐野氏の葬式ごっこはそのような「死者を罰してはならない」という念を喚起する虞がある。
 何を罰するか罰しないかは既知の通り、『TOKYO2020』のロゴエンブレムのデザイン作品が盗作であったとの疑いである。それを訴えたベルギーのデザイナーもかなり批判されていたが、佐野氏の認識の浅さは疑い得ないというのが当時の取り敢えずの世論による結論である。
 さて、そのような佐野氏の葬式ごっこがいじめであろうとなかろうと或いは芸術であろうとなかろうと行われたことには、佐野氏を擁護する人々が佐野氏は無罪で無垢で神であるとの秘かな思いをそこに呼び覚ましてそれが再び声となるような効果がある。ただでさえ「神!」などというネット隠語が罷り通る時代でもある。そうなっている内に、彼等の支配力が再び増して国家社会を動かす或いは動かさせない力となる訳である。
 「佐野さんは悪くない!」、そこでそう思う人々は二手がおり、一つは葬式ごっこは彼に対する酷い仕打ちである故に許せないというもの、もう一つは葬式ごっこは彼を称えるものであり実に良いことであるというものである。そこに、葬式ごっこの否定筋と肯定筋が同じ根底の思想と目的を持つことになる。弊ブログがしばしば指摘する、極右とリベラル左派は一体のものであることと似ており或いはそれらは小さくはない一部が重なる。極右とリベラル左派は神道であるかのように装う日本の野蛮で邪悪な思想を共々信ずる人々である。

 『死者を罰せず』、それを彼が現に死者となってはいない内に訴えようとするのがその葬式ごっこである。多摩美大のその演じ手達もまた、初めからそのように企図しているのかもしれない。「極悪な佐野氏を擁する大学」と思われ続けては彼等にとっては心許ないからである――誰も多摩美大を極悪な大学と思っていたり大学に瑕疵があると思ってはいないが彼等は気が気ではない訳である。――。そこに、佐野氏を無罪無垢の存在として社会的制裁や不信が解けることを願う、そんな意が彼等による佐野氏への『弔辞』にも見て取れる。

 なのでコッホさんの見解である「反権力の表現」と見立てることは難しいと思われる。『弔辞』には佐野氏を少なくとも直接に批判する文言はないし、嘘泣きというか、寧ろ権力に媚び入るものと見立てるのが自然である。
 そんな次元のことに、常見氏などのようにいじめであるとかないとかと大真面目に社会問題と視ることは阿呆らしい。視るならば寧ろ真面な思想や信仰のなさ、それにより生ずる生き方の如何わしさの問題なのである。

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by keitan020211 | 2016-11-08 20:13 | 文明論 | Comments(0)
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