ジョブスならばトランプ大統領をどう見るか?――メタ思考

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 もう気づいている進んでるぅ人がいるかもしれないが、トランプ大統領が再選を目指す次の大統領選挙は2020年――東京オリンピックの傍らでトランプ氏が選挙戦に汗を流しているさ中
 アメリカの選手等がそこでもネガティブキャンペーンをするべく敗け捲って『トランプのアメリカ』のイメージを悪くさせるかもしれない。無気力試合でメダルがないの処か失格となろうとお構いなし。
 弊ブログはトランプ新大統領には4年だけでもよい、確り務め上げてほしいと思って支持しているので2020年の大統領選挙に敗けても悔いはないと思う。

 4年は早い。安倍政権の発足からも間もなく4年となる。

 5年も早い。アップルの前総帥スティーブ ジョブス氏が2011年10月5日に逝ってから今年は5年となる。まるでapple-penである。

 ジョブス氏はトランプ氏を大統領に選び出した今年2016年のアメリカ大統領選挙とトランプ氏をどう見るであろうか?
 実はそれがとても重要である。

 私はジョブス氏はトランプ氏に投票してさえいたかもしれず、そうではなくクリントン氏に投票していても少なくともトランプ氏を悪く言うことはないと思う。
 尤も、アメリカの経営者の多くはトランプ政権の可能性を懸念することはあっても彼の人間性を批判する向きは余りいなかった。やはりトランプ財閥を敵に回しては利益ではないからでもあるが、政治家とは異なり、何歩差別的であれ他者を貶めることは経営者としての信用を損なうからでもある。その点は日本の経営者も凡そ合格ではある。
 ジョブス氏も経営者なのでトランプ氏を悪く言いはしないということもあるが、それだけではなくもっと積極的に彼を評価していたのではないか。

 ――「死人に口なし!」の言葉も聞こえてきそうではある。「勝手な想像をするな!ジョブスがトランプを好く思うなんてあり得ない!」――それを「死人に口なし」と言うのである。
 ジョブス氏が民主党の支持者でありアップルが民主党の支持層の風土を体現するものであるとは夙に有名である。ブッシュやトランプのi-padツイッターよりはオバマやクリントンのi-padツイートは悠に能く似合う――今はi-padよりi-phoneが多い。――。そこで「勝手な想像をするな!ジョブスがトランプを好く思うなんてあり得ない!」という声が挙がるのもそのような既定のイメージの故である。
 因みに、最新型のi-phoneの評判が余り良くないのはクリントン氏の敗北のようでもある。アップルにその象徴を見る民主党的風土の陳腐化や技術革新の不足の反映と視るべきでもある。その原因は正に「勝手な想像をするな!ジョブスがトランプを好く思うなんてあり得ない!」という民主党の怠慢なる精神にある。

 その見えにくい危機を、ジョブス氏が健在ならば逸早く見抜いてアップルの『次に来るもの』を既に作り出していたであろう。それが『トランプ氏に学ぶ』ことである。その点も、日本の政治家は合格といえる。

 ジョブスとトランプに相通ずるもの、それはメタ思考である。

 メタ思考とは物事そのものよりも物事の周りや間にあるものを見ようとするものの見方をいう。
 よくあるその意味の説明に「物事の上位にあるものを抽象として見る」というのがあるが「上位/sup-」では図式化された捉え方でありまた「抽象」も"meta-"ではなく"abstruction"なのでそれは適確な説明ではない。メタとはどちらかといえば抽象より具象に近いが未確認の現象を想像することが肝である。故にUFOについての考察もまたメタ思考であるといえる。日本の国会においてもUFOについての質疑が偶に行われるが、それは議論と政治におけるメタ思考を鍛えるためのものであるといえる。
 やや拡大解釈となるかもしれないが、apple-penもまたメタ思考を喚起するネタなのかもしれない。林檎と筆の周りや間にある物事、そしてそもそも何で林檎と筆なのかまたはそれが英語なのかを想像してみるのである。

 故に、日本によくある或いは日本以外にもあるような『メタ思考の奨め』の類の論はメタ思考を潰すための嘘である。ジョブスやトランプのようにメタ思考のある人が出て来ると既定の社会秩序を脅かすとして芽を摘む訳である。そのような心性が如実に表れているのはトランプ氏の当選から一夜明けて新聞等やテレビ等の報道の見出しなどに躍った「異端」の言葉である。
 彼等は異端という言葉が欧米の歴史において如何に重く慎重に用いられているものであるかを分かっていない。異端とは早い話は殺すべきもの、殺されても仕方のない正に人ではない者を意味する。そのような言葉をあろうことかアメリカの選挙の報道に遣うことは信じ難い厚顔無知である。
 最近にもフィリピンのドゥテルテ大統領の政策を受けての警察による麻薬中毒者の殺害があったが、それも正に異端に対する懲罰であり、欧米人にとっては許容の範囲内のことである、なのでこれという非難の声は欧米社会や国際共同体からも挙がっていない。
 しかし、日本のメディアはその異端の語を何か「普通とは少し或いはかなり違うもの」というような意味合いに遣っている。故に「ガラケーは今や異端だ。」とか「異端の力が社会を変える」みたいなことをも平気で言う。「平気で」というか、そんな遣い方はあり得ない。実際に殺すべきと思うかそうするべきではないと思うはともかく、異端とはいてはならない人及びそのもたらす現実のことであることには違いはない。英語では"a heresy"や"a heterodoxy"という。"hetero-"の対義語は"homo-"、即ち「同じ人としての-」であり、即ち"heterodoxy"とは人ではないということ。"-doxy"とは倫理や真理の擁護者、多くの場合は宗教が保持する倫理や真理であり、民主党の作った既定の社会秩序などはそもそも"-doxy"と呼ぶに値しない、単なる政権のマニフェストに過ぎないものなのでそれと"hetero-"であることは"heterodoxy"ではない訳である。

 メタ思考とは例えば「2-1=3」や「2-1=4」を考えてみることである。
 「2-1=3」や「2-1=4」は昨日11日のANN報道ステーションに出た左手だけのピアニストが語ったものである。自らの活動とは2-1が3になったり4になるかもしれないと思うことであると云う。
 メタ思考とはそれが本当に3になるとか4になるとかを理論化することではない。そんなことは不可能に決まっている。そのような理論化はメタ思考ではなく詭弁という。
 メタ思考とは「2-1=3」や「2-1=4」という見解や主張が出て来ることそのものの周りや間にあることを想像して探てみることにある。即ち、それが命題として成り立つか否かを問うのではなくその命題が現に存在することの背景若しくはそれにより及ぶ可能性を探ることである。彼はそれを音で表現することができる。
 両手を広げたり着けたりして"open; close; open;...ではこれはどちらか?"というクイズも同じく解答者のメタ思考を試すものであろうか?

 "Sweep the Mexico away."、その命題が出る背景を考えてみることにはメタ思考の芽があるといえるが、その命題そのものはメタではなく象徴、the symbolであり、メキシコとの因縁の対立を抱えるアメリカの歴史を知る人には直ぐに理解できる修辞である。歴史の柵(しがらみ;さく)を政治によって解決しようということである。

 物事の周りや間を問うことには無論、論理の飛躍や詭弁の虞もある。飛躍や詭弁が生ずるのは物事そのものを離れ過ぎることにあり、物事そのものに捉われなさ過ぎることを戒めなくてはならない。なのでトランプ氏はその命題の主題をあくまでも"Mexico"と"Islams"などの"illegal immigrants now on"におき、話の対象を絞る訳である。
 実はその点はヒトラーが「ユダヤ人」の排斥を訴えたのもその命題そのものが数々の迫害を生むようなものではなく、ヒトラー以前からあったユダヤ人の差別の既定の国民感情と結びついてそれらが起こった。ヒトラーは多分ユダヤ人がドイツにおいては被差別民であることを知らなかったのである。しかし、メキシコ人やイスラム人は元々アメリカにおける被差別民ではない。トランプ氏が少なくとも差別に関する事柄としては意外な話題として突然に持ち込み盛り上げたものに過ぎないのでそれが迫害などの憎悪や差別の増幅を生むことにはなり得ない。積年の国民感情となっているものではないからである。
 深刻な問題を孕むものではないとはいえ、逆にそれを単なる冗談や脅しと見做すべきでもない。やはりメキシコとの国境の壁は造るし、簡単なものならば現にある。その肝は国境の管理を厳しくすることにある。それが物事そのものを離れ過ぎないということである。

 メタ思考はシュールというものとは見掛けと内容が一部は重なるものであるが、切り口は違う。シュールとは物事そのものをなるべく離れようとするものであり、離れ過ぎないようにするというようなことはない。殊に政治にはシュールの考え方は物事を有耶無耶にして逃げたい場合の外は粗あり得ないし、ピコ太郎のように「シュール。」といわれるネタに乗ることには一定の注意が要る。その本質、質料を離れ過ぎる所で乗っていても馬鹿でださい奴としかいわれ得ない。

 トランプ現象を見ずに逝ったジョブス氏もまたメタ思考の人物である。

 彼はそのメタ思考を彼の製品等が直に現わすことをではなく使い手が彼の製品等を通してメタ思考を養うことを志向して作った。
 その製品等そのものは至って単純なデザインと機能性であるが、使い手はそこに自らと他者のメタを通じさせ合う。そのためには製品そのものの存在感が個性的であり過ぎてはならない。重要なのは誰でも思いつくようなことを誰もなし得ないような水準ですることである。同じような様式のPC、タブレットや携帯電話を作ることは他社にもできるがアップルのそれらを上回るものはない。
 単純な風采のそれらがどう使われるかを想像し捲る、それがジョブス氏のメタ思考である。彼が公の場に現われる時には恰も使い手の一人のような恰好であったのは象徴的である。

 もう一つ、メタ思考が窺えるのは日本の民主党の海江田万里代表の下における宣伝ポスターの「民主党を嫌いでも、民主主義を嫌いにはならないで下さい。」の文言である。
 その文言そのものを見れば正に「1+2=1」であり、民主党はなくなってもよいものであるかのようである。現になくなってしまったが、当時は存続が前提であった。
 その文言の主旨は正にですね、そのような言葉、即ち正しいとはいえない命題が出て来る背景を探ることにある。その背景とは一つ考えられるのは民主主義が現に存在しないことである。民主党をどうするという前に先ずは民主主義を求める、それがメタのメッセージである。
 但しやや出来が悪いのはそのメッセージである民主主義の語を直に入れている、即ち答をそこで言っていることである。物事、即ち民主党そのものを離れて民主主義を考えるためにはもう少し違う言葉が欲しい処である。
 とはいえ、日本の民主党はジョブス氏のようなメタ思考が比較的豊かな党であることは確かであり、自民党にはそのようなスマートネスが聊か乏しい。故に失言と謝罪を繰り返すことになる。
 トランプ新大統領についても、民主党の議員等などが後に立てた民進党はアメリカの民主党におけるように嫌悪的ではないしこれという懸念や批判も聞かれない。民進党にはメタ思考を解する力があるのでトランプ氏を政治の経験もなく危険な人物であるとは思えないのである。民進党の御用学者である脳科学者の茂木健一郎氏もしばしばメタ思考の重要さを説き、先述の『メタ思考の奨め』の数々のようなその意味の捻じ曲げはない。但し彼はトランプ新大統領を懸念しており、そこだけでは彼もメタ思考を発動することができてはいないようである。

 メタ思考は本来の意味における忖度でもある。しかし、メタ思考が嘘の『メタ思考の奨め』により潰されたところでしている「忖度」が今の日本には多い。逆に、忖度そのものを悪として潰そうとするかのような批判の数々も出て来ている。

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by keitan020211 | 2016-11-12 17:46 | 文明論 | Comments(0)
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