古市憲寿氏が相次ぐ不倫騒動に結婚を疑問視――田中萌アナウンサー その2

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<直前の記事から続く>

 社会学者の古市憲寿氏がその件などを受けてまたも実のある話をしている。今日11日に放送のフジテレビの『ワイドナショー』が結婚についての論を語っている。

 曰く:「不倫のニュースがたくさんあると結婚てますます意味がわからなくなる。結婚してもあんまりいいことないな、と思って。<司会の松本人志頷く> 結局皆さん上野さんの定義を守ることに失敗してるじゃないですか。僕の周りの人がたくさん失敗してる。」

 上野さんの定義とは同業者のフェミニスト上野千鶴子氏による結婚の定義:「自分の身体の性的使用権を生涯にわたって特定の異性に対して排他的に譲渡する契約」である。

 上野氏の定義を人々が如何程に聞いたことがあるのかはともかく、その陰の陽の影響は小さくはないらしく、上野氏が活躍している昭和の晩節晩年からの日本人の結婚に関する意識をかなり強く規定するものとなっているようである。私は初めて聞く。
 上野氏はいわば政治的学者の代表格のようなものなのでその表現においては厳密さよりも政治的訴求力が優先される。古市氏も上野氏の程ではないが、テレビなどのマスメディアに出て発言をする学者なので政治的訴求力の追求が幾らかはなされている。弊ブログはその古市氏の訴求力に期待している。
 厳密さを追求するならば、人の身体の「性的使用権」とかそれを「排他的譲渡契約」などと言う訳はない。人を権利の対象と見做すことは人身売買を肯定する文脈におけることであるし、女性を含む人間の解放を志す者におけるそのような表現は或る種のブラックジョークとしての効用を図るものであろう。かような上野氏の発想力と行動力の強さを認めるものではあるが、面白いかどうかといえば面白いとは思わない。上野氏の政治的学問は昨今のお笑い芸人などにおける「それ犯罪だよ!」・「やっべ!!」――芸人が女装男子を抱いた時などの――などの言い回しに結びつく系譜を形成している。詰り、上野氏は一周周って今の時代を下劣にした訳である。

 故に、『ゲス不倫』という報道と話題のジャンルが出来て来る。今般のそのブームはこの国の人々が未だに上野氏などの政治的学問に縛られて生きていることを物語る。古市ちゃんはそんな時代に代わる新しい学問と批評の在り方を生み出してほしい。

 浮気、所謂不倫を問題視して非難をする人々は安倍政権を支持していそうな反動的右派なのかと思うと、そうではなく上野千鶴子を時代の旗振り役として支持し或いは参考にしてきたようなどちらかといえば反安倍寄りの左寄りな人々であることに、先ずは驚く。古市ちゃんがそこで指摘しなければ気がつかなかったことである。
 安倍寄りな反動的右派の人々からすれば「うちにとってはとんでもないことだけれど、浮気するような人はどうにもならないし何も言うべきことはない。そんな人とはつき合わなければよい。」という感じであろうか。私は「うちにとってはとんでもないこと」とは思わないが、一つ理解可能なものではある。確かに、どうにもならないようなつき合いたくはない人であるから「ゲス川谷」と呼ばれるし、何より自らがそのように名乗っている、「私に関わらないで下さい!」といつも言っている。
 しかし、浮気をする人々の全てがゲス川谷などのような人ではない。浮気が極普通のことであり適切な浮気をする人々も多い。ゲス川谷の相手であったベッキーやテレビ朝日の田中萌アナウンサーはそのような適切な人であると先ずは信じたい――女だけを認めるのではない。――。
 但し、かような上野的左寄りな人々が反動的右派を核とする安倍政治と容易く結びつくことがあり、その虞があり、現に傾向がある。そうなればファシズムである。

 上野氏が言わむとするのは「結婚とは所詮は資本主義体制に取り込まれてそのような性質を強いられることなので、若ししたいと思うならば必要悪と割り切ってそのような結婚生活をすべし。」ということである。究極としては結婚と家族の廃止を志向するが、それまでの過程となる発展段階としての『忍従の期間』をおくことが特色である。忍従が極みに達した時に社会問題としての力が爆発して究極目標の実現が近づくという。即ち、社会問題と認識したら直ちに主張と行動に出ることは彼等においては野暮なものとして否定される。主張と行動をすることが許されるのは朝日新聞などのマスメディアに出ることのできる上野氏のような知識人だけであるとされる。直前の記事の、鳥越俊太郎氏も同じ口である。
 「忍従が極みに達した時に社会問題としての力が爆発して究極目標の実現が近づく」――それは正にですね、オウム真理教と同じ在り方なんですよ。

 弊ブログは結婚も家族も廃止するべしと思いはしないが、或る面では結婚や家族が廃止とも同然の根底の革命があるべしとする。故に、家族制度の廃止を是とする日本社会党の綱領を理解できもするしその後継党である民主党を永らく支持していた。それは正に、上野的『必要悪』としての結婚と家族、資本主義を構成する装置としての結婚と家族がなくなることであり、『必要善』としてのものとならなくてはならない、それは世の中が変わるまで待つことなく「いつやるの?、今でしょ。」とばかりに各々自らが自らの結婚と家族において実現しなくてはならないことである。
 個々の家族が大切となると反動的右派のように「他所のことは知らない。うちが良ければ全て良し。」となる虞もあるが、結婚や家族が政治的学問などにより全社会的に規定されて果てには「家族は社会の最小単位」などといわれるよりは良い。

 要は、結婚と家族が必要悪に過ぎないという認識である故に、そうではないいいことがありそうな世界を描く『失楽園』などのような不倫物が不倫はいけないことであるという認識と共に受けたりする。学問だけではなく文学もまたかような政治目的に仕えてthe establishmentを形成しているのである。トランプ氏がそのような時代を地球から消すことを訴えて大統領に選ばれたのは当然の流れである。そして日本もまたトランプ氏の猿真似ではいけないが、それに匹敵する新しい流れを生み出さなくてはならない。その芽が幾らかなりとも感じられるのは小池百合子東京都知事である。他にはまだない。

●結婚とはそもそも何か――古市ちゃんのそもそも総研 金玉ペディア

 結婚とは何か?

 そもそも、それは政治的なるものである。
 故に、上野千鶴子氏などがそれを更に政治化して定義することは或る意味では仕方がないともいえる。
 結婚は政治を離れることはできないものである。

 しかし政治には善政と悪政がある。
 悪政に規定される結婚であってはならないが、善政に規定される結婚ならば直ちに良いものとはいえなくても、悪いものとはならない。

 結婚、政治の側から見ると、婚姻――
 婚姻とは人間の繁殖の全体的制御を目的とする政策の名称である。
 全体的制御とは個々の婚姻者が自らを努めて制御することではなく、様々の婚姻者及び未婚姻者からなる国家社会の全体の繁殖を適当に治めることである。個々の制御ではないので、産みたい人は幾ら産んでも咎められることはないし、全く産めないことを咎められることもない。
 婚姻を交わすと、住地が固定される。すると、国家との権利義務の関係が生ずる。それが憲法の規定する国民の三大義務である。住地が固定されなければそのようなものは成り立ち得ず、繁殖の機会も無限大となる。
 国家が国民の全体を婚姻により制御することはあくまでも『適当』、即ち『大体』の目的なので、それにより制約される繁殖の機会を婚姻者相互に限るようなことはない。憲法は一方では婚外子などのあらゆる人々の人権を保障する。
 憲法憲法とうるさいようではあるが、結婚とは憲政、即ち立憲主義により確立した制度である。
 近代立憲主義以前にも結婚の制度はあったが色々と違う。最も大きな違いは前近代の結婚が既成事実主義であり、近代の結婚が自己契約主義であることである。既成事実主義においては婚姻者が互いに結婚の認識を持ってはいなくても社会が彼等の共同生活の既成事実を追認するように結婚の祝福を与えていたが――その追認が無効となる、即ち事実上の離婚は幾らでもあったし、浮気も許容されていた。――、自己契約主義においては婚姻者の公的申告がなければ婚姻は成り立たない。しかし何れにせよ、国家社会が繁殖の全体的制御を何となく図ることは同じであり、何等かの立憲主義のない処には結婚はあり得ないことはユダヤ人の古代の社会生活を記し留める旧約聖書などを見ても何となく分かる。
 なので、中国が極めて厳しい繁殖の制御の政策を先日までしていたことを強ち否定できるものでもない。聊か異様と思えるものもあるが、人類社会の定石に反するものではない。
 逆に、そのようなもののない社会を未開であり悪いものであるとすることもできない。何れにせよ、国家社会が生まれてきた人々の人権を保障すること、少なくともその構えを取りはすることに違いはないからである。

 現代の日本における結婚と家族の在り方はそのような人類社会の歴史的定石を離れて資本主義に仕えるような人間の形成のみを目的とするものとなっている。浮気、所謂不倫による経済効果は見込むことの不可能な取るに足らない動きに過ぎず――というか、許容されても見込不可能であることには違いはないが、――、現実の浮気ではなく虚構またはならず者による不可触の事例――漫画家の小林よしのり氏はそれを肯定する。――としての『不倫』の消費だけが経済効果を生むものとされる。資本主義的経済効果の計算外となるようなことをすることは現代日本の結婚と家族においては許されない、故に『ゲス不倫』の騒動がブームとなる。
 そのような反歴史的思潮としての『不倫』の否定は直ちに否定されるべきものである。そうである内は、日本が憲政国家または国民国家となることは永久にできない。

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by keitan020211 | 2016-12-11 18:00 | 文明論 | Comments(0)
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