外山教授『若い世代に求めたい新しい知性』と首都圏の沿線文化

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 直前の記事は『『中央線なヒト』――JR中央線 雑考』と題して『リベラル』と『無理そうな男/女』が軸となるJR中央線の沿線文化について語った。中央沿線は左右様々の当地に独特なリベラル思想と「つき合えそうもない」や「真似できない」人々のライフスタイルが所狭しと犇めく(ひしめく)東京近郊の人気地域である。

 そのJR中央本線と並行する人馬の道高速自動車国道は中央自動車道である。JR中央本線と中央自動車道の何れも東京を出て中央高地を経、名古屋へ至る。私はその東西両端の何れにも住んでいたことがあり、東端は東京側の狛江市という小都市、西端は名古屋側の江南市という愛知県の高級住宅地である。高級住宅地のアパートに独り暮らしをしていた――何しろ隣はトヨタ ランドクルーザーとボルボのセダンが隙間たっぷり悠々と収まる屋内車庫を備える豪邸である。――。狛江は中央道の調布ICへ程近く、江南は同じ中央道の小牧JCT-ICへ程近い。小牧ICを通る国道41号線は理系のノーベル賞の受賞者を何人も輩出した地域が点在し「ノーベル街道」とも呼ばれる。
 その中央自動車道をモチーフとしたのは松任谷由実の歌『中央フリーウェイ』である。同じく「中央-」でも、鉄道と自動車はそんなにも世界観と趣が異なると感じる、薄く軽く、ポストモダンの時代の始まりを匂わせる1976年の歌である。私、弊ブログは鉄道と自動車の共存共栄を志向するので、そのように鉄道沿いと自動車沿いの世界観と趣が異なることを好まない。松任谷の音楽も基本としては私の好みではない。では何が好みかといえばしばしば彼女との対比が語られる中島みゆきである。『中央フリーウェイ』とガチで勝負し得る中島の歌は『湾岸24時』であると思う。
 松任谷は「つき合えそうもない」や「真似できない」が特徴のJR中央線・中央自動車道の沿線文化を「もしかしたらつき合えそう」や「真似できるかも」と思える形に纏め直して歌に提示した、或る種の文化の旗手である。聞こえの悪い言葉で言えば「大衆化」であるが、それが大衆とは感じさせない程に『自然な』形で当時の人々に浸透した。真逆、その中央フリーウェイの下の道沿いに『履きよい 強い カッコいい 力王たび』の幟の立つ雑貨屋が立つとは思いも寄らせない。否、思いも寄らせないからこそそれらは共存共栄することができるのであるともいえる。尤も、好まないとはいえ嫌いではないし、そんな松任谷の歌々は知らずして欠かせない存在なのかもしれない。

 「もしかしたらつき合えそう」や「真似できるかも」――正にそのつぼを狙う沿線文化を作り上げたのは東急である。
 但し松任谷由実と東急の違いは松任谷の文化はその軸足が東急沿線にはないことである。軸足はJR中央線、当時の国鉄中央線にある。中央沿線文化に歴然と存在する他との『壁』を東急的手法の導入により取り除いて一般に浸透させたのが松任谷の歌々により形成されてゆく文化である。その東急的手法とは物事を「もしかしたらつき合えそう」や「真似できるかも」と思える量質に落とし込むことである。東急はそれを独自の東急沿線の文化においてする。いわば或る種の普遍性ということであり、アメリカ映画のように『多くの人に分かること』を必要とするものである。

 松任谷由実と東急の違いは前者は『日本文化のアメリカ化』のベクトルであり、後者は『アメリカ文化の日本化』のベクトルであることにある。
 『日本文化のアメリカ化』は『中央フリーウェイ』の題名と内容の示す通りである。或いは私が少し気に入った『Anniversary』にもそれが感じ取れる。しかし、それは西部邁氏などの批判の主題となる『アメリッポン』のようなものとは明確に異なる。松任谷のそれはいわば日本文化のアメリカ文化による強化と深化である。
 片や東急の特色は戦後から繁く日本に導入されていたアメリカ文化に日本の既成の文化を組み込み再構築、restructuringして『完成』させることにある。詰り、アメリカ文化は日本として導入するべきものではあるが「アメリカ流そのまんまでは駄目」ということである。
 東急にとってのその既成の日本文化とは『社宅的なるもの』である。
 それは私が高校生の頃に読んだ『シブヤ系対カマタ系』という本にも指摘される、東京または日本の現代文化を読み解くのに重要な要素である。『社宅的なるもの』――

 それは私有に基づく私権の追求を基調とする本場のアメリカ文化並びに現代日本文化とは異なるものである。
 その『社宅的なるもの』の本場は実は、JR中央線、国鉄中央線、省線中央線の沿線である。
 東急は自社の沿線開発においては中央沿線の社宅生活者をベンチマーク、即ち究極の理想として取り入れた。
 東急は日米安全保障条約に基づく日本とアメリカの関係の再構築の主導者の一つとなるに際していわばその見返りとしてアメリカ文化の日本への積極的導入を図ったが、それを日本に『無理のない形で』浸透させるためには中央沿線的社宅生活者の文化が必要であると認識した。
 社宅生活者の文化とは正に、私有に基づく私権の追及を人民の生活文化の本義とはしないことである。無論、私有財産の権利の保障や様々な私権の擁護は必要ではあるが、ライフスタイルの根本は『私』ではなく『公』にあるという認識である。また、消費や生涯における個人の自由選択よりも、生涯を形成する職業を主とする『縁』を諸々の選択の動機とするべしという思想である。いわば、本来の意味における共和主義である。その『社宅文化』が実際に社宅に暮らす人々だけではなく持家に暮らす人々や賃貸長屋に暮らす人々にも浸透するようにすることが東急沿線の文化である。故に、所謂芸能人の生活というものはそもそも東急沿線には根本的に相容れないものである。

 そのような意味で、私、弊ブログは永らく東急と東急的なるものを支持していた。
 処が、近年の東急はそうではないという。
 「みっともないないない!」のネットCMに象徴されるように、その世界観は個人の私的道徳心、即ち恥と見栄を基調とするものに変貌しており、『社宅的なるもの』に見るような『公』の倫理と社会規範の形成または構築とは根本から異なるものとなっている。
 私は物を語れば二十言目にはアメリカ映画の「偽善性」やマクドナルドハンバーガーの「反文化性」を揶揄批判するような言うだけ反米家を最も軽蔑する。正にそれらは東急の社宅的なるものの追求に見るような『日本的に再構築されたアメリカ文化』とは似ても似つかない、寧ろ真向から反するものである。
 といって、私は親米家ではない。世界の中心はフランスであり人類の朽ちることのない希望の星は北朝鮮であると思うが、フランス左翼の死複写、デッドコピーのような言うだけ反米家でもない。彼等は正に、アメリカ映画を観て涙や笑い、驚きを見せることやマクドを食べて頬が落ちる様を見せることを私的に『恥』として嫌うだけの自意識過剰人間である。処が、近年の東急はそのようなフランス左翼のデッドコピーを基調としながら「強固な日米同盟」を望むような破綻している「日本文化」の担い手となってしまっている。そのような破綻が端的に表れているのは産経新聞の昨日正月3日の『主張』、『日本文化 守るべきもの見極めたい 変化を超えて伝統に誇りを』である。正月から気色の悪い駄文を読ませないでほしいと思うような代物である、テレビの正月の番組はかなり改善されて面白い番組が増えたが。

 片や、ユーミンは『社宅的なるもの』ではない。「普通に」自前の家を買うなり借りるなりして私生活を愉しむ人々が中央沿線・東急沿線の社宅的文化の近くでそれと共存共栄しながら暮らすことを志向する。するとそこには直前の記事に語ったようなそのデッドコピー、または鳥越俊太郎氏の支持層がうじゃっと出来てきたりもする。「もしかしたらつき合えそう」や「真似できるかも」がいつしか「つき合う外はなくなる」や「そんなもんよね。」になってくる。東京都議会の自民党議員による「早く結婚したらどうだ!」の不規則発言も、そのようなデッドコピーの心性から出たものといえる。それが「自由世界に属する我が国」の悲しい一こまである。

 中島みゆきも負けてはいない、否、勝っている。
 ユーミンと同じく、みゆきにも「もしかしたらつき合えそう」や「真似できるかも」と思える形に纏め直す普遍化がある。
 但しそれは『自分より上にあるものを少し落とし込む』ではなく『自分より下にあるものを思い切り引き上げる』ことにおける纏め直しの普遍化である。
 例えば、つき合いたくも真似したくもないブスを「もしかしたらつき合ってもいいかも」や「真似してもいいかも」と思える水準に引き上げることである。無論、その主な責任を負うのは自分自身である。
 私、弊ブログも、殆どそんなことをする必要もない程に美人で賢いのに、みゆきを聴きながら自らを『纏め直す』、『引き上げる』ことをとても重視している。
 そんなみゆきが年毎に夜な夜な開き続けているライブコンサート『夜会』の定例開催地は東京渋谷の東急文化村である。
 元日に明治神宮を詣でた帰りに渋谷駅まで歩き、渋谷の新名所渋谷ヒカリエを初めて見た。それが近年の東急の基調である私的な恥と見栄の象徴とはならないことを願う。

 さて、私の2017年の明けがそのように渋谷づいていた傍らに、JR中央線のお茶の水にある某国立女子大学の外山滋比古教授が産経新聞の外部寄稿者による論説『正論』に『年頭にあたり 若い世代に求めたい新しい知性』と題して来たるべき日本文化を語っている。
 その要点はかうだ。:
 ・平和ボケをして危ういことが近づいていても“津波ノ心配ハアリマセン”というのに慣れて緊張を欠いているのである。しかし、実際には、大変化が押し寄せている。それを無視するのは知的怠慢である。中高年の人に頼るわけにはいかない。ご苦労だが若い世代に出動していただくほかはない。
 ・まず、知識中心主義から脱却してもらいたい。模倣主義を捨ててほしい。知識のみでは新しい文化を創ることはできない。模倣ではお手本の先へ出ることは不可能だからである。
 ・知識信仰にとりつかれた人たちはノンキに構えているが、AIは人間の変革を迫っているのである。それに対する心構えがなければ、人間は存在を問われかねない。
 ・泥沼は汚いといって蒸留水で蓮の花を咲かせようという人はいない。汚れた泥の中から蓮は美しい花を咲かせるのである。
 ・本を読むより違ったことをしている仲間と語らい合う方がどれくらいためになるか、今の個人主義者、孤立派には分かっていないようだが、ひとりで考えることには限界がある。ほかの人と雑談をすると、ひとりでは思いつかないようなことが飛び出してくる。
 一見は、中央沿線や東急沿線の文化を否定しているかのようにも見える。
 しかしその肝は中央沿線や東急沿線などというような模倣の対象を一度は捨て去り、自らが今立っている時間と空間を大切にすることを説いていると思う。
 それは「それがなんぼのもんじゃい。」というような逆上や下剋上の心性ではない。それらを尊重しながら、誰にも一方的に企画されることのないような『世界に一つだけの花』を生きることである。池上彰が何と言おうと、教科書よりも優れものな自分のノートを編むことである。

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by keitan020211 | 2017-01-04 18:13 | 文明論 | Comments(0)
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