【成人の日】理性と教養――小堀桂一郎教授に学ぶ
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 私は先日にツイッターを始めた。
 ツイッターのアカウントを設けたのは5年前となるが、それから粗手付けずで、原野の土地を購入し放しとしていたかのような状況にあった。そこを実際に耕し始める訳である。
 このブログの右欄外にもそのツイッターが表示されるので折々に見ていただければ幸いである。

 ツイッターは今や人類の標準的ツールまたはメディアともいうべき普及にある。その一方でツイッターについての批判も多い。
 「たかが140字で、何を語れるというのか?」、主立つ批判はそのようなものである。140字のフォーマットが人類の、なかんずく日本人の言語感覚を麻痺させまたは壊しているなどとの批判もある。
 しかしツイッターは140字のフォーマット――それが145字などであってもよいが、――であるからこそ言語感覚を養いまたはインテリジェンスとメンタリティーを養うことのできる、いわば教養の可能性を見出すことのできる目メディアツールである。
 ツイッターをそのように批判する人々は和歌が31音のフォーマットであり俳句や川柳が17音のフォーマットによるものであることには頬かむりをするか或いは「そんなものは知らねえ、俺田舎者だから。」と無視するかである。ツイッターはそれらの日本の詩句芸術と一定の短い字音の範囲内で表現することにおいて同質であり、日本の古来の伝統が世界に普及しているものである。限られた範囲を生かして表現しようとすることは限られた資源を生かして生産し及び消費する産業経済の基本的能力につながるものであるし、人の生涯の縮図でもある。下らないツイートは各々がそれを生かしていないだけであり、メディアツールとしてのツイッターが悪いのではない。

 私が先ずは打ち当たったのは英語などの欧米語でのツイートは日本語のツイートにも増して140字の範囲を厳しく意識せざるを得ないことである。全角でも半角でも等しく1字となり、半角英数字を並べる欧米語は一つのツイートに遣える単語の数が日本語より一段と少なくなる。故になるべく短い文章を編まなければならない。そのためには同じ意味になる別の語句を考えることを要する。例えば「行く人と来る人」を英語にすると、先ずは想い浮かぶのは"someone to go and someone to come"、33字となるが、それでは一文が140字に収まらなくなる場合がある。といって"one to go and one to come"では理解不可能ではないが、英語としては今一つ響きが良くない。では妙案は何か?――"who goes and who comes"、22字となり、原案の三分の二にも削減することができる。『ゆく年、来る年』ならば"The year away; The year comes"となる。"The year goes"と言うと、「本年」のことになるので間違いのないよう。

 勿論、短くする必要のない処で短くしようとすることは単純に意味がない、示しがましくて嫌らしいパフォーマンスでしかなかったりする。使える余地をなるべく多く使うことは短いフォーマットでも長いフォーマットでも無制限でも同じであり、それぞれの範囲を見極めて生かすことが教養の一つの大きな要素である。
 ツイッターとそれに彩られる世界を批判する人々は自らがその持ち場を生かしているといえるかどうかを考えてみてほしい。
 デモをする際に、400字詰の原稿用紙を何枚も連ねて掲げても、誰もその字を読み取ることはできない。

 或いは、成人式の祝辞なんかもそうである。
 尤も、市長や財務大臣などの偉い人はその持ち時間を長く取ることは常識であり、並外れて長いのでなければ長い祝辞を聴くことを厭うべきではない。しかし持ち時間を生かす辞をする者にはそれだけ、聴く人の生涯に良く響き渡るものがある。
 話が少し逸れるが、飯塚市の成人式における麻生太郎財務大臣による祝辞はなかなか含蓄深く良いものと見える。彼は当地の選挙区の選出の議員なのでそこに招かれた訳であるが、その「今までは何をしても「少年A」で済まされるものであった。しかし、二十歳になれば何にでも名前が出る。」と語る祝辞には麻生氏と麻生派が少年法の改正に賛成しないことが暗に読み取れる。弊ブログも少年法の改正には反対である。
 麻生氏もまた教養の深い人物である。

 私は成人式に出ていない。
 私が二十歳の頃に住んでいた市は後に市長がバカラ賭博をしに韓国へ度々行っていたことが批判されて辞職して共産党政権となった所である。
 私も共産党の市長の候補に投票したが、その頃にはまだそのことが知られてはおらず、批判するべくもない。そのバカラ市長の祝辞を聴きたくはない故に成人式に出なかったのではない。寧ろ、発覚していたらレアなので聴きたいと思って出ていたであろう、彼の話は私の一生の思い出と自慢話の種になっていたであろう。
 私が成人式に出たいと思わなかったのは成人式には伝統というものが何も感じられないからである。伝統をそこには求めない人にとっては意義のあるものではあろうが、私にとっては伝統のない成人式は考えられないものである。私は生まれながらの保守主義者であり、その頃に主に読んでいた新聞は産経新聞である――保守主義者や保守層が共産党に投票することが禁忌ではなくなり始めたのはその時代である。――。
 21世紀に入るや、私は産経新聞を読まなくなった。近年にしばしば語られているように、スレッド投稿サイト2ちゃんねるなどを介してのネット右翼の台頭と共に、産経新聞は極右を志向するようになって保守といえるものではなくなり出したからである。その寄稿論説『正論』などに繁く登場する旧来の保守の識者等の高齢化による代替わりは彼等の元々弱い一般への影響力が更に弱まることになった。西部邁氏のように『正論』を事実上は見捨てて去った者もいる。西尾幹二氏や山崎正和氏の登場も極めて稀となる程に減っている――年末の朝日新聞に、山崎氏が安倍総理の真珠湾の訪問を評する記事に出た。粗100%同感である。尚、山崎氏は近年は読売新聞に出ることが多い。――。 しかし、もはや21世紀という言葉も死語となる程に年月の去っているこの一年程に、私は再び産経新聞を時折に読んでいる。
 尚も極右路線がかわっていないと思えるものもあるが――公論の場を彼等にも与えるという意味においては幾らかは許容するべきものでもある。――、その切掛となったのは一昨年2015年の暮れに三浦瑠麗氏が『正論』の執筆員に加わったことである。そこに、保守反動ならぬ保守再生の兆しを見た。そして産経新聞を中身はどうあれ手に取ると、私の心が成人の頃に戻ったかのように感じられる。今はダブルスコアである。心だけではなく体もより健康になっているとこの一年程には実感している。

 その産経新聞の『正論』に、昨日に出たのは東京大学の小堀桂一郎名誉教授である。
 小堀氏は先述の旧来の保守であり、今も『正論』の執筆員の主力として永らく生き残っている識者である。
 題は『年頭にあたり 健全な「国家理性」に基づく力の発揮、躊躇せぬ氣概を持て』、成人の日に因み新成人を一とする若い人々に送る非公式の式辞である。
 それもまた、年末の山崎正和氏に続く粗100%同感の論である。私の成人の頃に養われて抱いていた志が今も生きていると感ずるに充分なものである。

 因みに、私は先日のツイートで「旧仮名で書く論者は一顧にも値しない。」と語った。有り難くもリツイートをしていただけたツイートである。
 小堀教授は旧仮名による執筆を専らとする論者である。言うことが違うではないかと思われるかもしれない。
 しかし小堀教授のそれは生まれながらに身に着き、それを以て自らの教養と心性が養われているものである。いわば旧仮名は小堀教授の心血であるといえる。
 私はそのような旧仮名の遣い手を否定しないし、一顧をも二顧をもする場合はある。
 私が否定して一顧をもしないのはそうではなく、旧仮名を単なる知識としてまたは人目を引くための珍し物として利用する向きである。
 旧仮名はそもそもは古語と共に在るものなので、古語を用いずに現代語を旧仮名で記すことはおかしい。現代語が旧仮名で記されていた時代はあったが短いし、日本語の伝統を徴すものとはなり得ない。但し小堀教授などはその時代に物心をつけて育った人なので現代語を旧仮名で記して論ずる資格がある。彼の固有性がそうしている、故に価値がある。

 『国家理性』――聞き慣れない言葉ではあるが、その意は立ち処に、分かった。
 大雑把に言えば、様々の古今の心ある書や辞により語り伝えられる伝統の意の生きる処に形作られてゆく国家社会の姿である。
 それを小堀教授は「夫々の専門職の世界で多年に亙つて蓄積されて来た先人の経験を、次代を背負ふ若い世代が着実に継承し、保持してゆく事である。文献の読破を通じての力の継承が、実業の世界では人と人との直接的接触によつて実現し、集合的な経験となり、やがて集団全体の具有する力となつて効果を表してゆく。」と語る。
 ――とにかく本を読めという話ともとにかく人と話せという話とも、明確に違う。
 「書を捨てよ、街へ出よう」とか「新聞を読む子は学力が高い」とかという一方的な訓に、我々は永らく、如何に惑わされて時代を失って来たか?
 また、「専門主義という最劣等人」という西部邁氏などによる批判が如何に不当に無価値とされて「スペシャリストの時代になる!」といわれたり或いは勘違いにより持ち上げられて「総合的グローバルな教養こそが大切だ。」といわれたり、何の意味もない下らない論が横行していたか?それらの何れも先導していたメディアの一つは新世紀の産経新聞である。
 大体やね、「総合的グローバル」と「教養」は形容矛盾である。教養とは各々の宿命として生まれついている国から、主体を以て自らと人々の自由を護持する所にあるものである。勿論、その国を捨てるも国に留まるも各々の自由であるが、『宿命と主体』が教養と生涯の礎となることは金日成先生も教える通りである。
 「総合的グローバル」とは一過性の技術的課題に対する所定の解決策を供するものとはなり得ても教養とはなり得ないものである。いわば「取り敢えずそうしておく」や「保留に付す」である。その限りにおけるグローバリズムの容認は必ずしも排することではないし、場合によっては身に着けて損のない資質であるかもしれない。
 本当にあれば「ぎく!…」であるが、「グローバル教養学部」などという大学の学部や学科の名はあり得ないものである――但し、「総合」には'global'の他に'general'の語もあり、general-istの意における「総合」は教養と相容れるものである。――。
 教養とは問題解決にせよ新規作成にせよ、物事を責任を以て完遂することを志す資質に外ならない。そのために先ずは書に学ぶべきものは『宿命と主体』である。何が宿命であるかや主体とは何かの認識は現実を見ることにより深まるが現実を見るだけでは現実認識の基となるものがない故に見誤る。

 これも大雑把な説明となるが、そこに宿るものが『国家理性』である。国家の理性は個人の教養とその自然の理に適う摩擦の積み重ね、即ち社会的伝承から生まれる。完成体としての国家理性が先ず初めに存在して各々がそれを学び身に着けるべきなのではない。

 そのように望ましい『国家理性』を実現するために、一つの大きな参考となるものは広告代理店の電通の吉田秀雄氏の遺訓『電通鬼十則』である。
 電通は『電通鬼十則』を捨てるべきではないし、かの社のみならず、あらゆる社会人にその意が広く理解されて普及するべき心得書である。正に『電通鬼十則』を廃する時が電通の終わりの始まり、そして人類の『文明が衰亡するとき』、即ちヒトが絶滅する時となろう。
 新成人や新社会人は如何わしい知識人等が『電通鬼十則』やその類似のものを廃することを試みて本末転倒な世論の形成に明け暮れる状況を危惧し或いは無視して文明社会の力強い担い手となってほしい。

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by keitan020211 | 2017-01-10 17:46 | 文明論 | Comments(0)
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