朝日新聞の『女子力』特集に苦笑…と言っては失礼や、苦笑なのは隣の頁

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 一昨日1月22日の朝日新聞の『F フォーラム』という意見特集の記事が『「女子力」って?』と題している。全4回の内の1回目であり、興味のある方はこれからでも追って読むとよいかと思う。

 苦笑と言っては失礼な位の、それには至らない程の軽い苦笑のようなものをその読者等の意見等に感ずる。彼等が苦笑の対象なのではなく、彼等がそのように思う状況、即ち『女子力』という言葉が流行にある時代、そしてそれが彼等を戸惑わせることに苦笑を感ずる訳である。
 苦笑の対象なのはその隣の頁の投書等と社説であり、いい年をしてメリル ストリープに心が震えるという投書者は馬鹿としか思えない。苦笑というよりも空恐ろしい。芸能人の頭が悪いのはアメリカも同じ、彼女よりは少しましな位であることを分かっているのか?
 但し彼女の隣の投書の経営コンサルタントは、賛同はできないが面白い人とは思う。ワシントンでの反トランプのデモの人に「「いまさら遅いのではないですか」と聞いてみました。」と語る。笑える。投書であるが、一端の記者である。その草ジャーナリズムに、決してなくなってはいないこの国と世界の可能性を見出す。

 『女子力』――という言葉の受け止め方がその特集記事に見られるように、様々であることは『女子力』という言葉と概念がそもそもばらばらの寄合所帯であることを物語る。というか、初めに何等かの意味概念を以て出て来た言葉ではなく初めに言葉だけが出て来てその意味概念が様々ばらばらに仮構されて論じられているので戸惑う人々も多い筈である。『宇宙人力』のようなものである。

 担任の教師にことある毎に「女子力が低い」と言われる、その中身が家事が得意で気配りのできるということであることに憤りを覚えると云う大阪府10代♀;
 「女子力アピールうざ。」とSNSで批判されたり「女子力発揮してよ。」と居酒屋で促されるけれどそんなことを考えたことは一度もないと云う岩手県20代♀;
 料理や掃除の話をすると「女子力ありますね」とよく言われるけれど「ちょっと今何て言った?」といつも思う、彼にあるのは家事力であり女子力ではないと云う東京都30代♂;
 パーティーで少し手の込む演出をすると「女子力高い!」と言われ、少し嬉しい、「女子力」は良い褒め言葉であると思う外国40代♀;
 面倒くさくなって来た。言うならば「男子力」とも言うべきでマスゴミの妄言がでっち上げた固定観念に過ぎないという埼玉県20代;
 そうだ、埼玉に同意するという千葉県20代♂

 様々ばらばらとはいえ、大きく二つに分けると ①あれば嬉しい積極的資質能力としての女子力 ②ないと困る消極的資質条件としての女子力 となろうかと思われる。また①と②の各々に肯定的受け止めと否定的受け止めがあって4通り、更にはそれらが「男として」のものと「女として」のもので8通りの「女子力」。
 前世紀末に或る女性ファッション誌のコラムニストが遣い始めて大して話題にもならなかったその言葉がいつしかねずみ算式に膨れ上がっている。
 正体不明な侭に世を覆いゆく様は「宇宙人力」というよりも「何か感じ悪いよね。」というべきものかもしれない。

 私、弊ブログも『女子力』という言葉とその市場を快いものと思いはしないが、『女子の力/じょしのちから または おなごのちから 』というべきものは紛れもなくあるものであると思う。女子がおればそこにはその力があるには決まっているからである。
 女子の力、それは決して『女性の力』ではない。弊ブログは女性の力というものについては否定的である。少なくともそれは『男性の力ではないもの』を仮構するものに過ぎず、そんなものはそもそも存在しないからである。日本における『リベラル』がしばしば『自民党ではないもの』を仮構するものに過ぎないのと同じである。雲の隙間に出来る雲はない、雲が増えるだけである。
 そもそも、その頁で語る識者キャシー トラン氏の語る「「女子力って何?」」、尋ねても誰も答えられず、携帯電話の辞書を引くと「girl power」と出てきた。」というが、「女子力」の英語は'the mighty on female'であり'girl power'や'girl's power'ではない。'power'とは腕力、物理的力や権力をいう語である。人の資質や能力をいう「力」は'mighty'といい、何にでも通じる力を'all mighty'という。
 詰り、外国の誰も『女子力』の話題に真面に取り合ってはおらず、日本人がでたらめな英訳をして国内向けのメディアを「世界が注目!日本の『女子力』」などと騙すしかない訳である。
 'girl power'は「女の子の腕節」或いは天皇陛下が辞めたら次が敬宮になることをいう。前者は頼もしいが後者はロリコン権力亡者である。いつかはなってほしいというのも、今から言っているのではやはりロリコン権力亡者小林よしのりである。

 『女子』とは「子女」を「習慣」と「慣習」のように引繰り返して出来た語であり、要は『人』ということである。女子力とは『人としての力』である。
 『人として』ならば何故に男は女子とはいわれずに男子というのか?、それは歴史的により暇の多いものであった女は『人として』の姿、在り方を範として示すためには適当と考えられたからである。そのために、女子校が出来た。で、そのような形での社会的活躍を望まれるものとしての女子ではない人々を男子ということとなったのである。
 トランプ大統領の就任演説にはアメリカは自らの在り方を他におしつけるのではなく自らが範となるべしと説いたが、『女子』に望まれるものもそのようなアメリカと同じ、人々の範になる者となって下さいという意味が「女子」の語と概念にはある。
 故に、先の東京都30代♂が「女子力ではない、家事力。」というのはお心分からなくはないが『女子』の意味を分かってはおらず、無意味な主張である。寧ろ、家事をするだけならばそれを女子力とはいわず、家事を範になるようにすることや少なくともそうありたいと思うことを女子力といい、彼は女子力があるといわれることを故に栄えあることと思うべきである。女子力というようなものはないというならばそれは人としての向上心も心得もないことを意味する。
 但し、女子力を定めるものは他者よりも自己であることは忘れてはならなかろう。向上心のある者を「女子力の高い人」というべきものであれば、他者の評価を否むべきではないが、先ずはそれがあるかどうかを最も知るのは自分に外ならない。

 「そんなことを考えたことは一度もない」――初めから育ちの良い人に多い感慨である。考えなくても充分に範たり得る言葉と行いをしかすることがないからである。故に、「女子力」が語られる処にはしばしば育ちの良くなさ、例えば卑屈な目線などが匂い、それも『女子力』という風潮が戸惑われ或いは忌み嫌われる一因であろう。野蛮人が情報メディアを通して自分磨きをしまたは他者がそうするように勧めるようなイメージしか浮かばない訳である。

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by keitan020211 | 2017-01-24 18:21 | 文明論 | Comments(0)
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