【ちょっと知りたいキリスト教 ユダヤ教・イスラム教合併SP】日本はイスラム国である。

 昨日の宵にテレビ朝日が『池上彰のニュースそうだったのか』で中東イスラム圏の特集をした。
 イスラム国の潰滅の見通しが立って来たことやイスラエルの混乱が強まっていることを受けてのものである。
 池上彰はこれまでにも中東についての知識を紹介する特集を幾度か行っている。

 そこで中東とアラブは別物であること――中東とは地理的区別であり、アラブとはアラビア語圏のこと――やイスラム圏にも色々とあることなど意味のある知識も幾つかあったが、総じて酷い内容である。

 中東のイスラム圏には親日国が多いことを殊更に語り、その御礼としてか、イスラム文化を絶賛する。
 イスラム圏の多くは男女交際が信仰上禁じられるが、女子と接吻をもしたことがない男子を、取り分け日本に留学をして東京の文京区茗荷谷に住んでいたという男子を「偉いですねえ!」みたいに紹介する。
 池上彰の番組の他にも、日本に留学の経験のある親日なイスラム男子やイスラム女子を紹介した番組がこれまでに幾つかある。
 その親日姿勢が嘘とはいわない。但し日本の力だけではなく中東の産油国等に関わっているアメリカが「奴等とは仲良くしてやってくれ。」と彼等に云ったから好意を持っている面は否めまい。池上番組はそのような点は全く無視して日本が中東諸国との良い関係を自力で築き上げて来たかのように語る。

 折しも、アメリカのトランプ政権が当国のイスラム教徒の排除を訴えている中、反トランプを叫ぶ日本のマスメディアはそんなトランプ政権には耳を貸さずにイスラム圏を大切にしようというプロパガンダを行っているようである。

 しかし日本と日本人ががイスラム圏とイスラム人を大切にすることは、そう容易いものではない。
 日本とイスラム圏及びそれらの文化は歴史的に非常に根深い関わりがある。
 一言で言うと、「日本はイスラム国である。」。
 ――尤も、歴史を通して常にそうなのではなく、殊に明治以降の近代日本国家はイスラム国にとても近い性質がある。

 その謎を解く鍵は日本の仏教である。
 仏教は元々は同じ一つの宗教ではない。インドに興ったインド仏教の影響を受けたシナの諸々の地域宗教が更に変化して日本に伝わったのが日本の仏教の諸宗派である。つまり、日本仏教はインド仏教の原形を殆ど留めてはおらず、シナの地域宗教の数々がその原型である。そこまでは日本人にも夙に知られるものである。インド仏教の直輸入は名古屋の覚王山日泰寺など、極めて少ない。因みに日泰寺はトヨタの豊田家の菩提寺である。それからしてトヨタの日本における地位及び日本の自動車愛好家のトヨタについての評の独特さの理由が浮かび上がる。
 日本の仏教の一つ一つの宗派は真面な信仰を持って大切なものではあるけれど、それらを一つに捉えて「仏教」というと、とても胡散臭いものになる。
 仏教とは国家の保護の下にある宗教ということであり――即ち、今の日本においては神道もキリスト教も仏教である。――、一つの「日本の仏教」というとそれは日本国家の教えということになる。それぞれの宗派の信仰とは関係ない。
 故に自分は日本人です仏教徒です、日本は仏教国ですという人は宗派の信仰に帰依しているのではなく自分にとって都合の好い日本国家を作ろうと志しているということになる。
 そのような姿勢はイスラム国とくりそつ、否、そのものである。
 所謂日本仏教というものとイスラム国の共通点は 世俗主義的原理主義 にある。
 原理主義というと普通は非常に峻烈な反俗主義を旨とするものであるが、イスラム国と日本仏教における原理主義は世俗主義を含むことにおいて他の多くの原理主義とは異なる。世俗の繁栄に見放されているイスラム原理主義者が世俗の経済力や権力を一から得ようとすることにより成り立ったイスラム国――絶対的欲望による世俗主義的原理主義――とそれらがそれなりにあって尚より高い経済力や権力を得ようとする日本仏教――相対的欲望による世俗主義的原理主義――は機会の差があるにせよ、その本質は同じである。それらの世俗主義の契機となったものは中国を除く現在の国連の常任理事国をなす西洋の近代国家等による政治経済的介入であることも共通する。
 比叡山延暦寺の僧兵による反乱は彼等にとってのモデルとなるレジェンドである。延暦寺の僧兵は歴史的国教としての地位を確立していた比叡山天台宗の失地を回復するための過激派であり、オスマントルコを取り戻すことを目的とするイスラム過激派と似てはいるが延暦寺の僧兵は程なく――とはいえども三十年以上が経つが、――解散された。彼等は時の新しい権力に敗けたのではなく更に新しい江戸幕府の体制が出来るにつれ自ら妥協して矛を収めた。しかし矛を収めた処をまでは見ずに反乱を興した処をだけが切り取られて彼等のモデル及びレジェンドとされたのである。しばしば、レジェンドは自らの人気に当惑する。
 日本国家の原理もまた、世俗主義的原理主義を常とする。尤も、日本国家を永らく治めていた自由民主党は世俗主義ではあっても原理主義ではなかったが、近年は原理主義の傾向をも呈し出しているし、自らが原理主義ではなくても原理主義的勢力への忖度や譲歩を常としていたのは確かである。安倍政権及び安倍政治とは永らくは忖度と譲歩の対象となる周辺勢力でしかなかったものが一挙に主流派となって来て出来たものであるといえる。人間は、強い者には忖度も譲歩もしないものであり、それらをせざるを得ないような感じがするのは相手が弱い者であるからである。安倍政権は本質的には弱者政権である。弱者として、見放されていた繁栄と権力をあらゆる手立てを尽くして奪う。

 日本の仏教及び日本国家に及ぶイスラム的性質、しかし、イスラム圏と日本には歴史を通して直接のつながりはない。
 唯一つ考えられるのはペルシア、今のイランイスラム共和国をなす地域である。
 ペルシア-イランはイスラム教のシーア派圏である。シーア派は政治的にはもう一つの大教派のスンニ派よりも保守的で強硬路線を常とするがイスラムの信仰においてはよりリベラルである。それは昨日の池上番組にも紹介されている。池上番組が明らかに贔屓にしているのは政治的には穏健で信仰においては原理主義、戒律主義なスンニ派である。
 ペルシア-イランは言語が異なるので中東ではあってもアラブではない。ペルシアはイスラム教の出来る前から繁栄し、西のヨーロッパにも東のアジアにも影響を及ぼしていた。殊に日本にはアジアでは随一の強い影響を及ぼしていたと考えられ、私は出雲大社はペルシアの古代信仰の影響を受けて成り立ったものであるかと思う。出雲大社の他にも、西日本にはペルシアの影響が強く、博多の明太子なんかもペルシア流なのではないかと思う。対してイラクはいくらである。
 かようの古代にはまだイスラム教はない。しかし後にシーア派圏となるペルシアとその他のアラブ圏の中東を分ける或る種の空気のようなものがペルシアの日本への影響と共に「遺伝」し、ペルシアの影響を好ましく思わない他の日本人をスンニ派圏に多いイスラム原理主義者のような気質にしたのではないかと考えられる。ペルシア流はより知的な繁栄の象徴であり、それとは縁のない「私達庶民」は下剋上的気質、即ち世俗主義的原理主義を身に着けることになった。私が明太子を好きではありながら余り食べないのはそんな日本人に目を着けられないためかと考えられる。それと、値段が高いからでもある。
 シーア派は元々アラブ-イスラム教ではなかったペルシア-イランの現地現物に見合うように組み直されたイスラム教であるといえる。それがイスラム共和国と称するのは根深くも面白い。

 古谷経衡氏の『リア充と意識高い系』に擬えると、イスラム教は本家のスンニ派が意識高い系で彼等から見れば贋物のシーア派がリア充なのである。それは日本においてしばしば見受けられる「本家」や「本物」、「プロ精神」などとよく似ている。日本はしばしば意識高い系を本物、主流派と見做す。スタバの味は本物の味で、そこで本物のPCであるマックを使うのがプロ精神の象徴となる訳である――マックが本物というのは私もその通りと思いはするが、――。
 尤も、リア充だけではオスマントルコのような大帝国は出来得ず、意識高い系などの本物の贋物や或る種のならず者を包含するから大帝国が出来るのではある。それだけの統治の巧さがあるからである。イランは統治の巧さがないからそれを補うべく宗教国家にせざるを得ない。

 ――この記事は【ちょっと知りたいキリスト教 ユダヤ教・イスラム教合併SP】、なのにイスラム教と日本仏教の話ばかりになってしまっている。それ程に池上彰はジハーディー池上と呼ぶべき問題の存在であるということでもある。

 その池上番組にも紹介されている、イスラム圏における豚肉の厳禁の風習、というか信仰――
 それが確立している風習であり信仰である以上はそれを尊重しなくてはならないことは論を俟たない。
 日本の食品メーカー味の素はイスラム圏のインドネシアにおいて豚肉の成分の含まれる製品を売って当地における販売の禁止と非難を受けたことがある。味の素のそのような傍若無人夜郎自大の性質はその問題が解決された今も変わってはいない。味の素は人の嫌がることをしたがる企業であり、その顧客もまたそのような味の素の性質に共感する人々から成る。「ほーら、毛虫毛虫!」みたいな――否、もっと酷いか。――。

 ここでは豚肉にまつわるユダヤ教、キリスト教とイスラム教――:古い順――の違いを見てゆく。

 大雑把にいうと:
 ユダヤ教: 豚肉は原則禁止 しかし血を搾り取れば食べてもよい
 キリスト教: 何を食べるか食べないかは自己責任によること 豚肉も禁止ではない
 イスラム教: 豚肉は例外なく禁止

 それを見ると、イスラム教は厳しくてキリスト教は緩いというかもしれないがそうではない。
 何故そうなのか、それぞれ何に厳しいのかを考える必要がある。

 そこに浮かび上がるのはユダヤ教の回りくどさ。
 優柔不断の末に妥協策を編み出したかのようにも見えるが、実はその通り。
 ユダヤ教は根から優柔不断な性質のある宗教である。
 そもそもが妥協策なのに、それを厳に守るべき本質なものと見做すエホバの証人、ものみの塔聖書冊子協会はその意味ではユダヤ教的ではない。
 イスラエルを中心とするユダヤ教圏は元々は菜食主義であり獣の肉を食べることには明確な禁忌ではないが戸惑いがあった故に、獣の肉をどうすれば食べてもよいかを考える必要があった。羊は祭で焼き尽くして食べる。豚肉は血を搾り取って食べる――それらは命を犠牲にすることを目に見える形で明らかにし、その罪の贖いへの感謝の内に食べることを旨とするものである。野菜も命であり同じではあるけれど、野菜は獣よりも嵩が軽く捧げ易いのでそのような問題にはならなかった訳である。
 キリスト教はそのようなユダヤ教圏だけではなく全世界を志向するために、あらゆる慣習に対応し延いては馴染み得るような原理をなす必要があった。獣の肉を食べる人をも食べない人をも包含するためには何を食べるか食べないかはそれぞれの自己責任に委ねるべしとなる。ここに言う自己責任とは今時に聞かれるような自己責任、即ち個人の責任だけのことではなく個人の責任をも集団の責任をも、延いては国の責任をも含む歴史的に重要な概念である。自己責任というのはさようにキリスト教圏においては伝統的に重要な概念である。
 イスラム教が豚肉を全面禁止とするのは何故か?それも、何故豚だけであり他の肉はよいのか?
 先ずは先のユダヤ教における豚の指名が根底にある。ユダヤ教もまた、豚だけを他とは違う特別なものと見做す。イスラム教はユダヤ教が例外付の禁止としたものをより厳しく例外のない禁止とした。
 一つは優柔不断ではいけないと思うから。信仰が優柔不断ならばそれを信ずる人々とその社会が皆優柔不断になりかねない。安倍晋三の口上の如く「ハッキリものを言う」ことを殊更に尊ぶ日本とも相通じる。
 もう一つは中東においては豚は特別なものと見做されていること。
 中東情勢に詳しい落合信彦もその著書にしばしば、メンタリティーの低い人を「ブタ」と呼ぶ。
 豚は抵抗しない、少なくとも人間がそのように認識することができるようには。メンタリティーの高さとは抵抗することができることである。
 イスラム人は抵抗しない者を殺してはならないと思う。コーランには理由なく殺してはならないとの教えがあるが、その「理由なく」とは「抵抗しないのに」ということであり、抵抗すれば殺してもよいということ。つまり、イスラムの発想は落合信彦とは真逆様である。要は、イスラム人にとっては豚は「女性のように清らか」な存在なる故にそれを殺して食べてはならないのである。同じ特別でも、ユダヤ教が豚を指名して特例を設けるのは豚を抵抗することもない程に不浄な存在と見るからであり、血を取り除くのはそれを浄める意味がある。しかしどんなに不浄で馬鹿でも命は命とし、それを捧げなくてはならない。
 その点もまた、ユダヤ教圏とイスラム教圏の決定的対立の要因である。ユダヤは「豚はブタ。ブタは死ななければ治らない。」といい、イスラムは「ブタで何が悪い!豚を馬鹿にするな。」という。
 無抵抗を清らかで美しいと見る発想は日本にも顕著なもの。その点でも仏教国こと日本はイスラム国であるといえる。
 ユダヤ-イスラエルは「抵抗しなければ殺せ。」という発想である。抵抗は神が命あるものに与えた尊いものであり、それがないことは自らを命ある者とは認めないということなのでモーセの十戒にある「殺してはならない。」の対象にはそもそもならない。植物野菜を食べるのも植物の多くは抵抗しないからである。ユダヤ教を前身とするキリスト教も本流においてはユダヤ教のそのような「抵抗は命;無抵抗は命にあらず」という生命観を受け継ぐが、その本流思想を支持するもしないも自己責任であるとし、異論も多く、異論が即ち排除される訳ではない。
 「ブタで何が悪い!豚を馬鹿にするな。」というイスラム人も、それを抵抗と見ることもできなくはないからキリスト教圏にはイスラム圏贔屓な反トランプの人々もいるが、何れにせよ無抵抗を命とは認めないことにおいては同じキリスト教の発想である。

 とはいえ、命だけに焦点を絞ると血腥い話になるが、命のないものを破壊するのは全然OKという教えはどの宗教にもない。

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by keitan020211 | 2017-07-30 18:36 | 文明論 | Comments(0)
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