【ちょっと知りたいキリスト教 ユダヤ教・イスラム教合併SP】日本はイスラム国である。 その2 日本は本来は自由と民主主義を尊ぶ国である。

 直前の記事『【ちょっと知りたいキリスト教 ユダヤ教・イスラム教合併SP】日本はイスラム国である。』の続きです。

 ユダヤ-キリスト教は:抵抗しない者は殺してもよいという信仰
 イスラム教は:抵抗しない者を殺してはならないという信仰

 というと、イスラム的思想の強い日本にはかようなイスラム教が好ましいと思う向きが多いかと思われる。
 しかし裏返して言うと――

 ユダヤ-キリスト教は:少しでも抵抗があれば殺さない信仰
 イスラム教は:抵抗する者は殺すべしという信仰

 ――良し悪しはさておき、少なくとも自由と民主主義の観点から見ればユダヤ-キリスト教がより「良心的」ということになる。自由と民主主義を何よりも重んずるアメリカがイスラム教徒の排除を訴えるのはアメリカのイスラム教徒が民権を持つことによりそのようなイスラム的原理に基づく法や政策を勧めかねないという懸念から必然ともいえる。
 殊にアメリカのイスラム教はインドネシアなどの東南アジア諸国やイランのそれのようにそれぞれの国の自由や民主主義のために再構成されたイスラム教ではなく少数派のものとして剥き出しのアラブ直輸入のイスラム教なので懸念は深まる。
 尤も、それらのような再構成されたイスラム教を正しく保持するためには権力が幾らかは独裁的たらざるを得ず、日本人やアメリカ人が思うような自由と民主主義とはやや異なろう。そして東南アジアのイスラム圏のような一部独裁の自由と民主主義、即ち権威主義体制に基づく自由と民主主義はこれからの世界の標準となると思う。

 抵抗しない者を殺してはならない、抵抗する者は殺すべし――それが東南アジア諸国とは異質な日本の通奏低音である。東南アジア諸国は自国が自由と民主主義を導入している以上は抵抗しない者はいないとするので全ての国民は抵抗する可能性があり、つまり国は全ての国民を殺す可能性があると見定める。しかし中でも法に照らして悪質な者を殺すべしとする。日本はそのような発想をしない。抵抗を知る筈もない国民を殺すなんて考えられない以ての外と見定めながら、時に抵抗する者がいれば適宜に殺すという発想である。故にリベラルを名乗る人達が戦争や権力による弾圧を語る時に、「無抵抗の市民を殺した、許せない。」などというイスラム的言辞が出て来る。というか、日本赤軍はイスラム過激派との提携の集団なので必然にイスラム的になる。キリスト教圏の自由と民主主義の国においても市民を殺すことは望ましくないことは同じではあるが、そこに「無抵抗の」とか「無辜の」とかというような言葉は冠されることはあり得ない。キリスト教においては無抵抗の者こそを殺してもよいものとするからである。抵抗は神が命あるものに与えた賜物であり、抵抗しないとは自らを命ではないと見做すことであり、故に殺しても構わない訳である。そのような信仰からは当然に、「嫌よ嫌よも好きの内」などという思想は生まれ得ない。「嫌よ嫌よも好きの内」は本来は殺すべき抵抗者に猶予を与えるというイスラム教の発想から来るものである。抵抗していても回心してされる侭になれば赦すということである。
 抵抗しないとは女性的たるべしということであり、女性を守るべき清らかなものと見做す。鉄道の女性専用車が日本とアラブにしかないのはそれが理由であり、毎朝夕の通勤通学の風景にも日本のイスラム性が見える。場所を分け隔てることに由り女性による抵抗の余地を予めなくしておけばよいという訳である。「君の怒る顔なんて絶対に見たくない、そうだろう?」。

 イスラム教とは本質的にはそれ程に日本のおっさん的にキモヲタな宗教である。故におちおち寛容の精神をとか異文化の尊重をとかいう訳にはゆかない。
 故に、「日本は仏教国、日本らしさを大切にしよう。」などという人達は仏教の名を借りるのをやめて潔くイスラム教徒になるべきである。そうなれば日本はインドネシア並に魅力ある国になるかもしれない。
 イスラム教の成り立ち、殊にその正統派とされるスンニ派の成り立ちそのものがそもそも、ユダヤ教とキリスト教の駄目出しのような否定的動機からのもの。批判のための批判から生まれたものである。

 無抵抗といえばマハトマ ガンジー。
 日本にも支持者が少なくないチベット仏教の導師である。
 しかし、ガンジーは何となれば殺されても構わない、文句を云わない、それが彼の無抵抗の信仰である。
 ならばとばかりに殺しに掛かることを奨めるのではないが、日本の支持者達が無抵抗とはいいながら殺されることは罷りならない、殺されれば文句を云うのを見るにつけ、ガンジーを信ずることにはなってはいないのが閉口である。ガンジーとリベラルな価値観は相容れる筈がない訳であり、なのに彼等はガンジーを尊敬するリベラルを称する。ガンジーはそれそのものは超保守主義ではないが、超保守主義を容認するものである。また、同じく無抵抗を信仰するイスラム教の影響が強くある。
 キリスト教にも殉教の信仰はあるが、それは然るべき抵抗の末に殺されてもその血が抵抗の最も大きな証となるということであり、無抵抗ならば殉教ではない。
 殉教といえば今時に連想されるのはイスラム過激派の自爆テロであるが、彼等はそれを抵抗と位置づけてはいない。彼等のしようとしていることは西洋のキリスト教文明に対する抵抗ではなく「権力の側からの処刑」である。あれだけ情けない風采をしていても自分達は権力者なのであり、その銃や爆弾は戦争のそれではなく処刑のためのものである。その本質が次々と示されたのがイスラム国によるビデオ付の「処刑」である。自らを権力や体制の側に位置づけることを嫌う左翼ならばイスラム過激派のそのような権力主義や体制主義は絶対に受け入れられるものではなく、イスラム過激派の歴史や現状を少しでも擁護することはできないと思う筈であるが、何故か日本の左翼からは彼等に忖度するような言説が相次ぐ。日本の左翼はイスラム過激派と親しい日本赤軍の流れを汲むからである。彼等の殉教はどこまでも権力者の任務における殉死である。それがまた日本においてはしばしば受ける。

 但し人には抵抗することを知らないこともある。
 抵抗したい思いはあれども、如何に抵抗すればよいのかが分からない。
 そのような場合をも無抵抗でありイスラム的であるとする訳にはゆかない。

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by keitan020211 | 2017-07-30 21:14 | 文明論 | Comments(0)
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