【追悼】星野仙一 元プロ野球選手、監督

星野仙一  ほしの せんいち

a0313715_14463834.jpg1947年に岡山県児島郡福田町、現倉敷市に生まれる。
岡山県立倉敷商業高等学校と明治大学(経済学科卒)の野球部を経て1968年に中日ドラゴンズに入団。
1974年に最優秀救援投手賞と沢村賞を受ける。その年にドラゴンズは読売ジャイアンツの10連覇を阻み自らが勝利を決める投手となって優勝した。
1982年に引退、その年にドラゴンズは優勝した。
1986年に翌年から務めるドラゴンズの監督に就任。
1988年にドラゴンズが星野監督の下には初めて優勝、西武ライオンズとの日本シリーズを戦ったが敗れた。
1991年に監督を辞任したが、1996年より再び同団の監督に就任。
1999年にドラゴンズは星野監督の下に二度目の優勝、福岡ダイエーホークスとの日本シリーズを戦ったが敗れた。
2001年に辞任して阪神タイガースの監督に就任。
2003年にタイガースが優勝、福岡ダイエーホークスとの日本シリーズを戦ったが敗れた。
その年にタイガースの監督を辞任して同団のシニアディレクターに就任。
2010年に翌年から務める東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。
2013年にイーグルスが初めて優勝、読売ジャイアンツとの日本シリーズを戦って優勝した。巨人キラーと呼ばれる星野にとっての初めての日本一は巨人に対してのものであった。
2014年に辞任して同団のシニアアドバイザーに就任。
2015年に同団の取締役副会長に就任。
2017年に野球殿堂顕彰を受ける。
2018年に膵臓癌により逝去、享年70歳。

 中日ドラゴンズのファンではないので、星野仙一監督はいつも自分とは少し違う所で気になる存在であった。
 彼の率いるドラゴンズを日本シリーズで破ったことのある西武ライオンズと後に彼が優勝させた阪神タイガースのファン、その阪神の優勝の余韻と共にかつて彼が投げそして率いた名古屋の地へ移り住んだが、それでも私がドラゴンズのファンにはなることはなかった。
 そして星野は東日本大震災から国中が注目することとなった東北の仙台へ。「自分とは少し違う所に生きる星野仙一」の気になる存在感が四半世紀を経て再び感じられる時代であった。

 それを一言に表すなら、「美しい不完全燃焼」であろう。

 星野は決して完全燃焼の青い炎を上げることがなかった。
 「燃える男星野仙一」としばしば呼ばれるが、その燃え様はどこまでも赤く、荒く、風が吹けばその姿を更に強く拡げる。片や青い炎は小さく、風と共に去るかのように、逆風には姿が見えなくなる。
 きっと彼自らもそのようにいつも思っているに違いない。どれだけ燃えても燃えても、足りな過ぎる。彼にとっての最高の球、最高の試合はもしや、なかったのではないか。
 しかし人々は彼を忘れない。

 そして東北の被災地もまた、彼と共に、まだまだ本領を発揮してはいない。

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by keitan020211 | 2018-01-09 15:09 | 追悼 | Comments(0)
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