カテゴリ:文明論( 548 )
文化放送が他局の出身のアナウンサーを2人採用 テレビも続け
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賊軍戦没者の靖国神社の合祀に 絶対反対

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A級戦犯の分祀に 絶対反対

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 「-も続け」と、何やら朝日新聞の社説のような言い回し。

 因みに一昨日17日の朝日新聞の社説はオリンピックの存続を問う主題で、暗に2020年にオリンピックの開催が予定される東京をそれに相応しくはない都市であると示唆する内容である。昨今に何かと不信の種の多い朝日新聞であるが、朝日社説の底力をそこに見る。私のツイッターの名称は'keitan No! Tokyo2020'、東京オリンピックを潰してくれれば願ったり叶ったりである。ANNニュースステーションのメーンキャスターであった久米宏氏も東京オリンピックに反対の声を上げている。

 さて、何が「-も続け」なのか?
 ――東京及び関東地方のAMラジオ局文化放送が今日19日にNHKの契約社員のアナウンサー2人を自局のアナウンサーとして採用すると発表した。
 契約社員ならあり得る話と思われよう。正社員のアナウンサーが他局に転ずる話は今までに聞かれたことがない。しかしそれも今までにはなかったことであり、嫌味ではなく斬新である。
 また、その採用は一般公募であり所謂引抜きなどのような採用側の私的意図によるものではないという。そのことが逆に「それなら良いかも」と、アナウンサーの雇用の良い意味での流動化に「歯止め」となってしまう可能性もなくはない。一般公募であろうと内々であろうと、アナウンサーが局に縛られずに活動するためにはフリー(自由業)として成功しなくてはならないという「旧態依然の社会における例外的栄華」の通念がなくなる必要がある。アナウンサー以外にもそのような通念が支配することは少なからずあるのであろう。

 何れにせよ、フリーではない局アナとしての転職の前例が出来たことは望ましいことである。

 因みにこれまでにフリーに転じて大きく成功したアナウンサーには前出のTBSの出身の久米宏、テレビ朝日の出身の古舘伊知郎、フジテレビの出身の逸見政孝、中京テレビの出身の北島美穂やABCの出身の宮根誠司などがいる。フジテレビの出身の加藤綾子は昨年の春から新しい成功を目指している処である。

 「局アナ⇒フリー」の方程式が強くあるこれまでは彼等もまた出身の局の思想やイメージに縛られる傾向が強くあった。個人事業とはいえ自らを育てた出身局と違うことをしたり言ったりしては信用されないという通念が今もある。良し悪しはともかく、久米や古舘がなんちゃらステーションのキャスターとしてしばしば批判を受けるのもTBSやテレビ朝日の思想やイメージを守って務めることを猶も求められているからにほかならない。フジテレビは右派系という根も葉もないレッテルの下、逸見や加藤はそれに当たり触らないようにフリーとなってからはバラエティー番組を専らとしている。そのようなものがないのはキー局の出身ではない故にそのようなことが問われることの余りない北島や宮根などである。
 局の思想やイメージは大切ではあり、不偏不党というものは全く無意味であるが、現実を見ればそのようなものは存在しないし、存在しても出身者が出身局とは違う思想やイメージを持つことは自由であり、視聴者国民もまた色眼鏡を掛けずにテレビなどのメディアを見るべきである。

 弊ブログが今のアナウンサーの顔触れから良いと思うのはテレビ朝日の小川彩佳アナウンサーが同局を辞めてフジテレビ或いはテレビ東京へ移ることである。
 日本を代表する報道番組である報道ステーションの副キャスターとしてプレミアムな働きをして来た小川が来れば、低迷するフジテレビにとっては渡りに船となろう。この9月を以て打ち切りとなる『ユアタイム』などに見るように、同局が永年来に弱いとされる夜の報道番組の強化の助けにもなる――「やっぱり夜なんだね。」……――。また、小川は経済に強いというので経済報道に強いテレビ東京には適うかもしれない。
 フリーとして成功する程の個人経営の力はないと思われるので局アナとしての転職が望ましい。今までにフリーの道を選んでいる者にしてもそれが本当に良かったのかといえば必ずしもそうはいえない。
 そうなるとテレビ朝日の地盤沈下が進むことになるというかもしれないが、テレビ朝日も他局のアナウンサーを引き抜けばよい。尤も、それが余り頻繁では業界のたらい回しの様相を呈して局の思想やイメージは絶無になってしまう。どの局も違わないのが現状でもある。

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by keitan020211 | 2017-09-19 19:24 | 文明論 | Comments(0)
進化論は科学ではない――トランプ時代は進化論を覆すか?
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 アメリカのトランプ政権の発足により日本においても俄かに静かに注目されることになった、アメリカの極右勢力――
 主に共和党の支持層の一部をなし、新キリスト教の信仰に厚く家族を一とする強固な近代的価値観を持ち、先の事件で表沙汰になった白人至上主義との歴史的関係もあるといわれる。
a0313715_00570867.jpg その強固な近代的価値観はそれが既成事実として保守されるものとなっていることからしばしばアメリカの伝統主義とも呼ばれる。尤も、今のアメリカ連邦をなす国にはそれを遡る伝統はないのでそれがそこの伝統とされるのも無理はない。しかし普通は近代以前からの、多くは古代から、更に遡れば人類の誕生の昔から受け継がれるものを伝統といい、アメリカのそれは世界の通念から見れば単なる近代主義に過ぎないとは私の思想の原点の一つである西部邁氏なども説くものである。近代主義とは人間の理性を限りなく賛美して社会及び世界を合理的に設計して造り上げてゆく、それが人間の進歩というものであるという思想である。その原点は西ヨーロッパにおけるルネサンス、人間性の再生の運動と宗教改革、フランス大革命にあるとは歴史の定説である。アメリカはそれらの原点を最も忠実に受け継いでいるとされる――否、もっと忠実なのは日本であるとの説もある。――。

a0313715_00592726.jpg 詰り、世界の伝統通念から見ればアメリカの保守と呼ばれる勢力はこてこての左翼である。例外として本当に保守なのは南部の民主党の支持層である――それと東部の旧支配層――。南部の民主層は市民戦争、または南北戦争の将等の像を今も大切にしている人々であり、彼等の一部が複雑な歴史の経緯を経て白人至上主義の勢力を形成している。というか、白人至上主義は元々は南部保守層の周縁をなす人々であり、奴隷制の時代の南部社会を主導していた人々ではない。そもそも、奴隷を囲うことのできる富裕階級は財産があるので奴隷を失っても然程には困らない人々であり、奴隷制の廃止を損得勘定から受け容れた。白人至上主義を立てた人々は従来の奴隷に代わり富裕層の雇う新しい下層労働者となることを快しとせず、新しい白人下層労働者階級と旧来の富裕階級との間で宙ぶらりんとなって宇達を上げることのできなかった人々、言わば柄の悪い中間層である。実はそれが20世紀に興って今に至る主に民主党を支持する柄の良い―?―リベラル中間層の原形となってもおり、リベラル中間層こそが白人至上主義や人種差別を隠し持っていたりする。彼等はそれを隠す、棚に上げるために今のトランプ政権を差別主義といって非難している訳である。トランプ大統領がそれらについて言ったのは'Blame both sides.'、「両者を非難する。」であり、日本の報道筋が誤訳をしている「どっちもどっち。」ではない。白人至上主義と現在のリベラル民主層は根が同じ、故に受けるべき非難も同じであるというのであり、どっちもどっち、喧嘩両成敗などというようなものではない。
a0313715_01022323.jpg リベラル中間層は市民戦争に勝った北部の工業地域に主に増えて根を張っているために、根の柄の悪さは同じでも所得と生活の水準、延いてはそれを通して得られる知識は南部の白人至上主義者達より格段に高い。彼等が南部の保守富裕階級とその下の労働者階級が主流であった民主党を乗っ取って今に至る。クリントン家の夫ウィリアム ジェファーソンは南部の保守富裕階級の流れを汲み、その妻ヒラリー ロダムはリベラル中間層の労働力を通して得られる利益を積む北部の財界や経済界の流れを汲む。言わば民主党史一冊分を体現するかのような政治家夫妻である。
 要は、ヒラリーは自分の支持層に日本の全共闘も顔負けの自己批判をさせてしまった訳である。

 というか、白人至上主義も彼等や日本などに思われているような程には酷いものではない。
 白人至上主義、the white supremacistsとは政治的支配における白人による独占を是とする思想であり、人種や文化の優劣を問うようなものではない。
 政治的支配に関していえば、アメリカは紛う方なく白人が立てた国であり、その原点をあるべき姿と見做す人々がいて何の不思議もない。要は国民を予め格差づけることの是非を問うものであり、それを非とするならば白人至上主義は全くの誤りという結論になる。しかし実際にはそれが結果としての格差の拡大を抑えるかもしれず、何の意味もない思想とはいえない。正にその点を捉えたのがトランプ大統領とその公約である。
a0313715_01065101.jpg 日本の報道の多くが白人至上主義を人種差別や文化絶対主義と混同して非難の論調を取っているが、批判するならば正しい知識に基づくべきである。只、人種差別やアメリカ文化絶対主義のような雰囲気も白人至上主義と同時にトランプの選挙戦を通して発煙しているので何も知らずに観ておれば同じであるかのように映ってしまうかもしれない。とにかくアメリカの色々な恥部がトランプの金の口を好機として同時多発で現われている。
 白人至上主義者は事実上は白人の白人による白人のための政府から、巨額の再分配を引き出して何とか生き永らえた――地元の資本を引き出す程には知識も意欲もなかった。――。それもまた後の民主党の政策の原型となっている。

 白人至上主義と並ぶアメリカの極右思想といわれるのは反進化論である。
 アメリカはダーウィンの提唱した進化論を否定する人が世界で最も多いといわれる。
 それが何かを知らずに◯や×を付けて質問に答える人も第三世界などには多いと思われるのでその本当の数がアメリカは世界一なのかどうかは分からないが少なくとも統計上はそのように出ている。
 進化論を否定する最もベタな根拠は「聖書に書かれていることではないから」。聖書の初めをなす『創世記』には神は人を造ったと記されている。人は神が造ったものであり何ものかから転じたものではないという。しかし「神が造る」とは何もない処に一から造ることであるとも書かれてはおらず、聖書には実際にはどのようにして初めての人が生まれたのかを特定する手掛かりはないというのが最も不偏不党な見方である。そもそも、光が造られる前にあったと記される「地の面」はいつの間に出来たのかも分からない。
 聖書を如何に読むにせよ読まないにせよ、確かなのは進化論は科学ではないということである。
 科学とは手短に言うと、仮説の実証である。仮説を立てる際にはそれがまだ実証されていなくてもよいがそれが然るべき道筋を通して実証されなくてはならない。実証されない説は科学とは認められない。尤も、結果としては実証に至らなくてもそのための過程を守ることもまた科学である。要は先ず結論ありきではならない。先ず結論ありきが求められるのは論争であるが、科学は必ずしも論争には馴染まない。何しろ誰も知らないことを研究するので、論争の相手がいようもない。しばしばいるのは知らないのに鶏知をつける人――それがしばしば「論争が巻き起こる」と云われるが、本当はそれは論争ではない。――、必要なのは実証を目指す過程を批判的に確認する者であることは日本においても近年に重大な問題を通して改めて知られるものとなった。
 進化論はその極一部すら、実証されたことがない。
 偶に実証されたとされることがあるのは進化論の総体を構成する論旨ではなく論旨と本当に関係があるかどうかは分からない細々とした部分事実だけである。例えば遺伝子の在り方や可視特徴の似ている動物がいるとかである。それらを繋いで見てゆくと一連の進化の過程が浮かび上がるというが、そもそも繋がるのかどうかは全く分からない。同じ遺伝子の在り方や可視特徴がそれぞれ初めから別に存在し始めたと見ることもできる。
 ――と言うだけでは能く分からないかもしれないが、能く考えてみれば分かる。一つの個体の誕生と成長という変化はあっても或る生物が他の生物に変わることは説明づけられているとはいえない。故か、反進化論のアメリカ人は進化、the evolutionの語を一つの個体や物事の誕生及び成長のことにのみ用いる。進化論なんかはなかった前近代までのその語の意味はそれであった。その意味で用いられている一例は日本の三菱自動車のランサー エボリューションという車である。
 詰り、進化論とは科学ではなくあらゆる生命体を含む世界の全体を一つの個体或いは物事として認識するイデオロギーに過ぎない。
 詰り、アメリカの反進化論は近代主義の一つの流れではあるが近代主義の一端をなす進化論だけは受け容れないものである。平たくいえばそれは近代主義の「行き過ぎはいけない。」と思う人々である。
a0313715_01162311.jpg 近代、the modernと言えば聞こえは良いが、進化論の実態は怪しげな自己啓発セミナーの教えのようなものである。或いは立派なカルト宗教といってもよい。進化論を常識と見做す日本人などはカルト宗教が無難な宗教を馬鹿にしているようなものである。何しろ、全世界を一つの個体や物事と見るもの、進化の現象そのものの存在についてはさておき、そんな見方からは何も見える訳がない。世界とは固有の事象等の寄せ集めに過ぎない。故にもトランプ政権の'America First'の考え方は出るべくして出た正論である。

 人は初めから人であったというのも実証されてはいないが、より単純で無難なのはそれであるのは確かである。人以前の存在は分からないから考えないということであり、それが何等かの正しくて確実な事実や知識と反することがない。進化論はそれらとの様々な背反や妄想を生む。日本が頽廃して弱体化しているのも進化論、ダーウィン主義の支持率が100%に近いからであろう。それがトランプの時代に打ち壊されることを望むが、向こうは'America First'なのでその余波が日本へ届くかどうかは分からない。

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by keitan020211 | 2017-08-27 01:17 | 文明論 | Comments(0)
【英語訳】余録 毎日新聞 2017.8.23
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The Remained Records
of The Daily Mail (Mainichi Shimbun, Tokyo, Japan)
on 23rd August 2017

'On the pavements the terrible. So that getting on the carriage ways,'. On the words his acquaintance who uses the power wheelchair repeated, Mr. Saiki Keizou, 61, Toyonaca City, Osaca MP amazed▲The acquaintance too many times fell down at the height of steps on the kerb with his wheelchair. He has got standstills unable to take U-turn on the pavement opposed to a buffer pole. Mr. Saiki began a research on the pavements in the all region of Toyonaca City has its extent from the east to the west 6km., the south to the north 10km., 'As having some map seeing situations on the pavements I will be able to get out without any anxiety.' That was one in 2003 he had his duty for a teacher of junior high school▲On holidays he continued it alone. Spent 11 years for completing the pavements map, distance he walked got more than 1000 km. On the map he shown at website, explained ones by marks such as height of the kerbs, existence of buffer poles or gutters and slants, which sees in a sight whether those are easy to use for the handicapped and the aged▲The barrier-free in the railways and the buses progressed, even legislation encouraged such of the Act for solutions on the discrimination of the handicapped. The Government this year settled measures of action's plan. Which is the one aims at making streets easier for the handicapped and at education holding mind of sympathy▲The social consciousness changed, seems that the height of steps got less higher. Even by that still there are many barriers for the handicapped to get a step outside his home, Mr. Saiki's map indicated▲As Mr. Saiki proceeded a second research gotten down the end of the last year by ill, the administration began an improvement of the pavements based on his points. Seeing the map anyone to know that it is never the one particular in Toyonaca City, should get on the track to let any pavement dangerous for the wheelchairs less on the outskirts of homes and anyone's scenes.

「歩道は恐ろしい。だから車道を通る」。電動車椅子を使う知人が繰り返す言葉に、大阪府豊中市の齊喜慶三(さいき けいぞう)さん(61)は耳を疑った▲知人は何度も縁石の段差で車椅子ごと転倒した。車止めのポールに阻まれ狭い歩道をUターンできず立ち往生したこともある。齊喜さんは「歩道の状況が分かる地図があれば安心して外出できる」と、東西6キロ、南北10キロに広がる豊中市全域の歩道の調査を始めた。中学校教諭を務めていた2003年のことだ▲休日になると独り調べ続けた。歩道マップの完成には11年かかり、歩いた距離は1000キロを超えた。ウェブサイトで公開した地図には、縁石の高さ、車止めや側溝の有無、傾斜などを記号で説明している。障碍者や高齢者が利用しやすいか一目で分かる▲鉄道やバスのバリアフリーが進み、障碍者差別解消法などの立法も勧む。政府は今年行動計画を策定した。障碍者に優しい街づくりや思いやりの心を持つ教育を目指すものだ▲社会の意識は変わり、段差は低くなってきたように見える。それでも障碍者が自宅を一歩外へ出るとまだまだ障壁は多いと、齊喜さんの地図が示している▲再調査を進めていた齊喜さんは昨年末病気で倒れたが、行政は指摘を基にして歩道の改良を始めた。マップを見ていると、豊中市に限られることでないことに誰しも気付くだろう。自宅の周辺や外出先から車椅子にとって危険な歩道をなくしていく手がかりとなる。

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静岡県:FM 78.4 K-MIX


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テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

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フジテレビ みんなのニュース 15.50~18.57 <FNN>17.54~18.57/月~金

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by keitan020211 | 2017-08-26 17:23 | 文明論 | Comments(0)
牛乳石鹸のCM炎上 問題の根は 宣伝とは良いイメージを持ってもらうこと という鉄則を守らないことにある
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 昨日から、牛乳石鹸のウェブCMが炎上したことについての話題がネットニュースやツイッターに散見されている。
 昨日からというか、一日が明けた今日は既に話題が引いているようである。

 私はそのCMを観ていないのでそれがどんなものかについては今日のBLOGOSに出た赤木智弘氏の批評の説明に基づくしかない。

 そもそも私はネット動画を殆ど観ないのでウェブCMがといわれても分からないのである。
 同じようなことは弊ブログが前に集中的に批判をした東急電鉄のウェブ限定のマナー広告などがある。何れもテレビCMではないために、CMといえばテレビと思う私などにはぴんと来ない。東急のそれは炎上が起こってから私もネット動画で観た。そしてその件につき東急を擁護するデヴィ夫人のブログに反論を寄せもした。

 赤木氏によるその牛乳石鹸のCMについての説明は:
 ・「家族や子供思いの優しい父親」であることにふと疑問を覚えた父親が子供の誕生日であることを分かっていながら家に帰らず、怒られていた部下を飲みに誘ってしまい、怒られる。
 ・それについて「子供の心を傷つけた」や「胸くそ悪い」などの批判が起きている。

 一体なにが傷ついて胸くそ悪いというのか全く分からないが、弊ブログがここに問うのはその内容とそれを支える思想についてではない。但し一応、炎上した側の言い分は理解不可能と言っておく。
 資生堂の化粧品ブランド インテグレートの件のように牛乳石鹸を全面支持ではないが、炎上側には理がないことは確かである。
 全面支持ではないとは、多少は悪いといわざるを得ない点はあるということ。というか、どちらかといえば不支持で、両者を非難するべし、blame both sidesといえる。
 この場合は、「家族や子供思いの優しい父親」はどちらかといえば極右的価値観なので炎上側が人種差別主義勢力に当たり、炎上された牛乳石鹸は反トランプの所謂リベラル勢力に当たる。オバマやクリントンを支持するリベラルなビジネスマンは子供の誕生日などを平気で忘れて知的に呑みに行く。そう、日本人はそれを取り違えては致命的誤りを犯す。日本の牛乳石鹸の父とアメリカのリベラルビジネスマンの違いは、単に卒業校の偏差値や知識の量質の厚さが相対的に違うに過ぎない。尤も、彼等も「家族や子供思いの優しい父親」を願わしい理想とすることはあり、それがぽきりと折れてふらりと往ってみることがあるか否かが所謂保守派や極右との違いである。
 私も「家族や子供思いの優しい父親」が価値観や理想として誤りとは思わない。しかしそれに何があってもどこまでもこだわるべきかといえばそうではないとしか考えられないので私、弊ブログはどちらかといえばリベラル派に近い価値観を持つ。況してや他人のこととなれば「家族や子供思いの優しい父親」たるべしと前提することはとんでもないことであるとも思う。

 牛乳石鹸のそのCMはそのような保守的或いは極右的価値観を広告を通して敢えて打ち壊そうとしたのであるが、これが問題の根であるが、広告とはそのようなことをするための媒体ではない。

 例えば牛乳石鹸の社長や会長がJR東海や高須クリニックのそれのように、新聞や雑誌などの言論メディアに出て価値観の変革を説くならば良い。それはあくまでも言論であり、受け入れるも受け入れないも自由である。
 しかし広告とは商品や仕事(サービス)を紹介してその良いイメージを視聴者消費者に持ってもらうためにある。
 そのためには否定的(ネガティブな)印象やイメージ、即ち表象を用いてはならないことは言うまでもない。

 そのCMは如何なる価値観や思想を持つまでもなく、否定的表象を用いている故に端から宣伝として認めるに値しない。
 その場合の否定的表象とは ①怒られること;②その故の辛さが商品のある風景に滲むこと である。
 そのような場面に使われている商品を、誰が買いたい使いたいと思うであろうか?
 「牛乳石鹸は皆様の苦しみと共にある石鹸です。」、そのような否定的メッセージを与えてしまう訳である。それは恰も「人の不幸は大好きさ。」と言っているかのようにも映る。
 苦しかろうと楽しかろうと、商品は買えば変わらずに彼の許に在る。その商品と共に苦しみが増してゆくかのようなイメージを与えてはいけない。

 しかし、そのように端から宣伝として認めるに値しないCMは殊に近年は多く、牛乳石鹸だけではない。

 取り分け悪質なのは弊ブログが重ね重ね非難して不買を呼び掛けている花王である。
 花王は否定的表象をも多く用いるが、逆に独善的肯定的表象をも多く用いる。肯定的表象とは楽しいとか嬉しいとかお得とかであり宣伝には望ましい要素であるが、それが独善的で本当に楽しいとか嬉しいとかお得という感じがしないものを独善的肯定的表象という。独善的は読み下すと独り善がり。
 何がそれぞれそうであるかはおぞまし過ぎるし知らなければ何よりなのでここには挙げないが、花王の殆どのCMがそれらの何れかに当て嵌まる。稀な例外は菅田将暉と澤部佑の出演によるメンズビオレのCMだけ。

 花王などのような否定的表象や独善的肯定的表象がテレビCMやウェブCMなどの宣伝に増えているのは何故か?

 直結はしないが、その可能性を開いたのは1990年前後のバブル時代からの『モノを言うCM』みたいな流れである。広告宣伝に広告主や国民社会の主張を込めるというものである。ここでは所謂こだわりという程度のものも「主張」に含める。
 その流れは必ずしも悪いものではなかったが、2000年代以降になると、『良い印象で主張する』という当たり前の心得のない向きが増えて来る。例えば竟先頃に解任されたバノン顧問も、少なくともその筋では良い印象やイメージが持たれるような極右政治啓発を行っている。日本の広告宣伝はそのバノンの水準もない訳である。さては、人種差別主義の最大手KKKにも劣るかもしれない。
 広告主や広告業者は電波と画面を使って視聴者市民に嫌がらせをしているのである。不快な言葉や汚いものを見せつけて悦に入るのが彼等である。そのようにすることに、世相がどうであるからとか人々のマインドがどうであるからとかという言い訳は全く通じない。

 故に、牛乳石鹸のその件は子育てや性役割(ジェンダーロール)などというものも何の関わりもないものである。

 赤木氏の批評はそれらの事柄についても取り敢えず言及しているが、批判する側のそれらについての考えが浅過ぎるとも述べており、総じて弊ブログの所感と近いと思われる。

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■NEWS of the WORLD


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    ●AFP(フランス パリ)
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    ●ル フィガロ(フランス パリ)
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    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
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    ●共同通信(日本 東京)
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    ●朝日新聞(日本 大阪)
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    ●日本経済新聞(日本 東京)
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    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
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    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
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    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
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    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
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    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2017-08-20 01:26 | 文明論 | Comments(0)
打消し表示が廃止へ 消費者庁 体験談広告に規制
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 久々の良いニュース。

 弊ブログが特に注目するのは「※個人の感想です。」など、健康食品のテレビCMなどにしばしば見られる打消し表示の廃止である。
 実はそれは「しばしば」ではなく、必ず付けなくてはならないと景品表示法に定められるものなそう。
 私はテレビを観ていてその表示がとても目障りで感じが悪いといつも思っている。
a0313715_18155481.jpg それが健康食品や健康器具などの商品の宣伝だけではなくバラエティー番組の内容にも付いている。私の知る限りで目につくのはテレビ朝日の『中居正広のミになる図書館』やフジテレビの『ホンマでっか!?TV』など。いつも観ているから目につくのかもしれないが、テレビ朝日とフジテレビには取り分け多いような気がする。永年来の好きな局なのに品がなくて残念な傾向である。『中居正広のミになる図書館』は番組の終りに「あくまで出演者個人の見解です。」と、『ホンマでっか!?TV』は「この番組に登場する情報・見解はあくまでも一説であり、その真意を確定するものではありません。‘ホンマでっか‘という姿勢でお楽しみ頂けると幸いです」みたいな一文が示される。
 番組で散々言いたいことや言わせたいことを喋っておいて最後にちょん、視聴者は莫迦にされているような感じになる。昔に子供の間にはやった「責任切った!」を公器であるメディアがやっているのである。
 それらの番組の基本的考え方や出演者の話の内容は今時にしてはなかなか優れており、そのような様式とそれを支える思想に難がある。どんなに良い企画を上げてもそこには随所を弄り回す無能なスタッフや鑑識者が洩れなく付いて来るのであろうか?
 所詮はバラエティー番組であり語られることが正しいとは限らないことは当たり前であるなどと云う積りはないが、番組及びその出演者が誤りを語ることはあり得る。報道番組などもそうである。報道番組は誤りがあれば訂正をすることができるがバラエティー番組はなかなかそうはゆかない。ならば予め責任を切っておこうというのがそれらの発想である。
 しかしそれが「予め」ではなく、一通り喋った後に物々しく「あくまで出演者個人の見解です。」と来たもんだ。掌を返す様にも似る。
 そのようなものが罷り通っている一因には、司会者の才能が乏しくなっていることにあるかと思われる。
 例えばそれらの番組なら、中居正広は元SMAPで国民的人気者ではあるが、司会者としていけているかといえばやや疑問である。存在感は良いが、はっきり言って司会は下手である。それを埋めるような有能なアナウンサーも付かない。『ホンマでっか!?TV』の司会は明石家さんま、彼も芸人として永らく不動の地位を築いている大物ではあるが、司会者としては役過剰であり、彼の司会による番組は各局に数多いがその司会振りはどれも余り感心しない。それらが面白いのは他の出演者が面白いからであり、さんまの魅力は他の出演者を引き立てる機微の良さにある。また、その番組における彼の相方は加藤綾子アナウンサーであり、彼女もまた女さんまさんである。
a0313715_18174445.jpg しかし引き立てるだけで、司会者が出演者の話の内容の信憑性をそれとなく示すことがない。あれだけ引き立てられれば全てがほんまに見える。さんまが「うそやん…。」と言っても、それは彼自らが信じられないと云っているに過ぎないと見られてしまう。更にはそこに汚らしい字幕が付く。
 尤も、客である出演者の話を本当かどうかは分からないと云うことができるためには司会者の能力だけではなく企画筋による番組の筋書きが確りとしている必要がある。そうではなければ客を貶めることになる。そのような難しいことをできる、考えることのできる、考えようとするテレビ人がいなくなっている。
 司会者はとにかく客に頭を下げるだけ、時にぼやいて見せるだけ、それが今時のバラエティー番組である。故に出演する専門家などがつけ上がることにもなる。プロがありがたい話を聞かせてやっているのに小池は聞かないなどと云う。
 いつも云っているが、今時のバラエティー番組は始まりと終りの挨拶すらない。そんなので良いと思っている人々が人の話を聞けというのはテレビマンや視聴者として役過剰である。

 どうも、「あくまで個人の見解です。」が挨拶代りなようである。

a0313715_18201445.jpg 失笑してしまったのは今日のフジテレビの『バイキング』でそのまんま東がトランプ大統領の例の'both sides'の弁明を、トランプさんがそう思うのは構わないかもしれないが大統領としてそう言ってはいけないみたいな感想を語ったこと。即ち、「あくまでトランプ大統領の個人の見解です。」と云う訳である。実態は逆であり、トランプ大統領個人としては人種差別などはないけれどもそのような方々も国民には民意の一つとして無視することができない程にいるから言っているのである。尤も、思っていても言うべきではないことがあることは確かではある。東の感想からは正に、「トランプさんがそう思うのは構わないかもしれないが大統領としてそう言ってはいけない。」という結論にしか至らないようにして来たのは外でもなくアメリカや世界の自由主義――延いては東の属していた維新の会の政治も――であることが改めて浮かび上がる。なので'blame both sides'は正しいといわざるを得ない。

 健康食品やその他の科学的にグレーな商品やサービスの広告宣伝に関し、消費者庁などが如何なる筋道を示すのかは成り行きが注目されるがこれからよく見てゆかなければならないが、弊ブログとして一つ考えられるのは広告宣伝の料金を商品やサービスの分野毎に差をつけることである。科学的に不確定性――「深く訂正」ともいう。――の高い分野については高い広告料を課す。また、内容の適法性を確保するために1本の放送時間を長く、何分何秒以上とすると定める――現に健康食品などのテレビCMは長いものが多い。但しその理由は適法性の確保のためではなく露出を多くして宣伝効果を高めるためである。――。或いはそれをメディアの自主努力には委ねずに法制度が強制的に規定するのも良い。但しその場合は金額を定めることはできないので科学的に白が確証されている一般的商品やサービスの標準の広告料との金額の比で定めることになる。

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by keitan020211 | 2017-08-18 18:20 | 文明論 | Comments(0)
【広島・長崎 原爆の日】核のない世界――文明の在り方を考える、変える記念日に ・ブログ The Logry Freesia 4周年
賊軍を官軍の勝ち組クラブに入れる
賊軍戦没者の靖国神社の合祀に 絶対反対

都合の悪い歴史を覆い隠す
A級戦犯の分祀に 絶対反対

皆様の力で阻止しましょう!

 弊ブログは2013年8月6日に開いてから4周年となります。
 いつも御覧いただいている方も、一度だけ御覧いただいた方も、この4年に目を止めていただき允にありがとうございます。

 今年も原爆の日が来た。
a0313715_19373663.jpg 今年は新聞やテレビのその報道がいつになく控え目と感ずる。
 安倍政権が日本が核不拡散防止条約、NPTには加わらない方針を取るために、報道が所謂忖度というものでその報を少なくしていると見るのは穿ち過ぎであろうか?
 しかし広島原爆の日を告げるその翌日の朝日新聞もまたその控え目さの例に洩れないが、いつになく、原爆を巡る昔と今の現実を直視している感じがしてなかなか好感である。出色なのは被爆者でありながら原爆を語り継ぐことを思う処があって拒んで来た八十代の人についての記事。今はそれが自分の務めと感じて語り継ぐことに重い腰を上げたというが、その思う処とは何であったのか、歴史と生涯の深遠に思いを致す。そのような重みのある報道は過去にはなかった。例年の原爆の記念の報道はいかにも情緒的で軽薄と感じている。「ヒロシマ」や「ナガサキ」、「ヒバクシャ」という片仮名語がその端的現われであり、兵器ではないが核を使う原発の事故があった福島についても同じ手で「フクシマ」と記す。その日の朝日新聞の投書欄は高校生を使ってその「フクシマ」を正当化しようとする。核の保有国が祈念式典に参列するのはおかしいと云う意味不明なもう一つの投書と並び、それだけがその日の朝日新聞の瑕疵である。

a0313715_19392765.jpg 『核のない世界』――私、4周年を迎える弊ブログも支持する、アメリカのオバマ大統領が打ち出した目標。
 しかしそれを『戦争と平和』の文脈で語ることはもはや時代の役割を終えていると思うのである。
 核は核兵器だけではなくチェルノブイリや福島に事故が起こった原子力発電もある。
 その他のあらゆる使い方を含め、人類が核のない文明と生活を考えて作り出し、確立する――それが今や切に求められる『核のない世界』の切り口ではないか。
 核を軍事に使うか使わないか及び実験をするかしないかよりも、核物質そのものを使わない。人間の扱うことのできない物質を使うべきではないのは当然であり、今までに幾つもの事例がそれを証している。生産者にも消費者にも安全な物を使う、それが求められる文明の在り方である。
 そのような視点は作家の大江健三郎氏にもある。大江氏も『戦争と平和』の文脈に少し乗ってもいるが、その文学と言論の核心はやはり『核のない文明』にある。
a0313715_19404934.jpg 広島や長崎の祈念とそれを報ずるメディアにはそのような視点が残念ながらないといわざるを得ない。被曝と平和が直結し、専ら平和を願う祭とされるが、原爆に注目すれば通常兵器がそこには含まれないことは必然であり、通常兵器による戦争に関しては何も言わず、なくする努力をしないと宣言しているように映る。核兵器をさえなくせば広島・長崎のお仕事は終了!火の始末はちゃんとしてねと言わむばかりの軽さが毎年の暑さと共に通り過ぎてゆく。
 ヒロシマ・ナガサキの方々はビキニ環礁の核実験を知っているのであろうか?先日のテレビ朝日の『ザ スクープ』がその特集を放送し、なかなか手堅い見識と感心したが、「日本は唯一の被爆国」といつも繰り返される言辞にはビキニ環礁も北朝鮮の近海も眼中にない。いつ国粋主義と結びついてこの国が再び被曝することになるか分からないとても自己中心なものである。

 安倍政権が核不拡散条約に加わることを見送ったのも、一つの見識である。
 「核兵器のない世界」ではなく『核のない世界』――それを実現するためには少し遠回りをしてみることも必要である。被曝と平和が直結している今までの観念からは、核のない世界を実現することは殆ど不可能と思われる。核兵器による力の均衡という架空の理論を支持する人々と核兵器の廃絶を訴える人々の話が少しも通じ合うことのない侭に時が空費されている。核を『戦争と平和』の文脈で考えることのそもそもの無理の故である。人を殺す前に先ず手を付ける自分が死にかねない、そんなものに恃むことはそもそも戦争でさえない。
 安倍総理の決断を支持する人々にはそれを核の抑止力の観点からする人が少なくないが弊ブログは核の抑止力を否定する立場からその決断を支持する。その意義は勇気ある遠回りである。それを広島県の選出でNPTに積極的という岸田前外務大臣を引き合いに出して非難する報道筋は蛮勇であり、文明と似つかわしくない。

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by keitan020211 | 2017-08-08 19:46 | 文明論 | Comments(0)
【安倍改造内閣 変な言葉 合併SP】「仕事人内閣」
a0313715_22282995.jpg この程に発足した安倍改造内閣につき、憲法の定めるその長安倍晋三総理がその内閣の性格を「仕事人内閣」と語った。

 ――さっぱり意味が分かりません。

 英語に訳すと'the Cabinet of servicemen'。

 蛇足となるが、「いや、'servicemen'ではなく'service persons'でしょう。」などという下らないことを言ってはならない。所謂the politically correctnessの見地からの揚げ足取りであるが、'-man'や'-men'で何も間違ってはいないので揚げ足取りにすらならない。揚げ足取りとは少しは間違っていることについてのもの。'-person'や'-persons'は全くの誤りである。
 「そんなに相手を否定せずに建設的議論をしましょう。」というなら、彼は安倍政治と同じである。
 この程の改造内閣については、弊ブログは直前の記事にそれなりの好い評価をした。それなりにpoliticallyにcorrectな内閣であると思う。

 'the Cabinet of servicemen'……、何やら自動車販売店のサービスマンを想わせる。
a0313715_22295590.jpg 日本の高度経済成長は自動車や家庭用電気製品の普及とそのサービスマンの所得の向上と共に在った。経済を優先すると云う「仕事人内閣」で高い経済成長を実現するのであろうか?
 ――どうも安倍総理の言うのはそのようなことではないらしい。経済を優先するが、サービスマンの意味合いはないようである。安倍総理だけではなく、それを好く評する人々にも悪く評する人々にも、そのような理解はないようである。河野太郎外務大臣なんかを見ると、自動車販売店のサービスマンのような雰囲気が私にはするけれど。彼の地元の湘南地方はトヨタ自動車と日産自動車の販売店等の競争が歴史的に激しく繰り広げられて来た。その歴史を綴る本もあり、正に仁義なしとはそのことである。また、先日に3選となった横浜市の林文子市長は日産自動車の販売店の元社長である。

a0313715_22320087.jpg 自動車や電器の店の人をサービスマンと呼ぶ経緯は定かではないが、それらは無償回収修理の窓口となるなど、無償の業務が一部にあるからではないかと思う。serviceとは無償奉仕がその原義にはある。平たく言えばただ働き。銭を取る場合にもserviceと言う場合はサービス業こと第三次産業など、あるが、何れにしても普通は余り遣うものではない言葉が'service'とその日本語「仕事」である。無償奉仕は民法や労働基準法に依り原則としては禁ぜられる。
 故に、閣僚が報酬を取らないと言えば、それは紛れもなく「仕事人内閣」である。或いはこの国の経済を第三次産業を専らとして農林水産業や製造業をなくすと言えば、その陣頭を担う彼等は紛れもなく「仕事人内閣」である。

a0313715_22335834.jpg 第三次産業を'the industry of services'と呼ぶにせよ、service、仕事とはbusiness、業務及びその生み出す利益の総称をいい、個々の業務や労働者のjob、職務をいうものではない。個々の人に関わるものではないなら、「私の仕事は」やなどという言葉は粗絶対に成り立たない。逆に「お仕事は何をなさっていますか?」、'What service do you take in?'や「仕事は何時に始まるか?」、'What time will the service be off?'は成り立ち得るが、非常に鼻持ちならないお上品な言葉であり、少なくとも'your service'などのような所有格はつかない。
 'seivice'という観念は多分、マルティン ルターの職業召命観に由来する。ざっくり言うと、職業には神に仕える意思を持ってせねばならないということであり、彼のそのような発想は心掛けとしては誤りではないが、彼を元にして随分なきれいごとが西洋世界に広まり、それが職務における'service'や「仕事」という言葉につながり、近代産業による労働者の搾取の歴史になった。
 故に、「この店サービス悪いな。」や「もう少しサービスしてもらえませんか?」、「サービスさせていただきます。」などという遣い方は以ての外の下劣な口上である。「私の仕事は」などというのも意味不明である。

 もう一つ意味不明なのは物理学における「仕事率」の語。
 その概念は分かるが、それを呼ぶ言葉が意味不明、'rate of services'?????。
 英語の辞書を引くと、「しごとりつ」の項には'power'とある。数式の記号もPであるが、先ずそこで物理の先生が「'P'とは'power'の略です。英語ではそう言います。」と教えた時におかしいと気づくべきである。そも、「-率」さえ英語にはない。
 'power'なら「力」でなければならない。その外には「力」という概念は物理学にはなく、物理学では「梃に掛ける力」とは言わずに「梃に掛かる重力」と言うし、混同もない筈である。
 その線でいうと、「仕事人内閣」は「権力主義内閣」ということになる笑。

 にもかかわらず、この国には「仕事どう?」などとの言葉が年中あちらこちらで聞かれる。その点は日本は西洋よりも西洋的といえる。勿論、19世紀までの街は煙に塗れて労働者が身を毀しているのに中産階級は左団扇の西洋である。
 「仕事」の話をする人は何もしていない人と見て良い。そもそも自分が何をしているかを分かっていない、分かりそうもないからである。前の安倍内閣はそんな人の宝庫であった。

 正しい日本語は「勤め」である。
 「どちらにお勤めですか?」とは勤務先を訊く場合もあるが、本当は職業を訊く言葉である。「どちら」とは「何」の雅称である。英語にはぴたりと来る語がないが、フランス語には'Quel est votre travail?'または'À quelle société vous travaillez? 'となり、日本の就職情報誌『とらばーゆ』の語源になっている。因みにフランス語は「会社」も日本語とぴたりと同じくune sociétéと言う。英語の'company'はどちらかといえば中国語の「公司」の意味合いに近い。
 また、'job'は「職」または「職業」。今はやくざしか遣わない「しのぎ」も元は「職」の訓読みである。「お前さん、ようけしのいどるか?」と言えば'Are you taking good job?'となる。故に「明日は仕事があるから」と今まで言っていた人はこれからは「明日はしのぎがあるから」と言えばよい。「職」と言うのも「しのぎ」と言うのもどうしても違和感があるならば'job'に当たるa0313715_22392516.jpg言葉を用いずに'travail'に当たる「お勤め」と言えばよい。昭和の時代には普通に「お勤め」の語が公にも私にも遣われていて「お仕事」、「仕事」の語が遣われる様は記憶にない。正に平成になる頃から片仮名書きの「シゴト」――おぞましい。――と共に見受けられ出した。多分、当時からこの国において力を持ち始めた、フリードリッヒ ハイエクを祖とする各界の新自由主義者が言い広めた言葉と思われる。「仕事の出来る人」や「仕事の出来ない人」という新奇な言葉が平成の時代の始まりの頃に生まれた。新自由主義は先に述べた『神への奉仕』の概念を教会としてではなく個人に還元するので業務における'service'もまたその全体としてではなく個人単位でいう。今は高須クリニックの院長が会員であることでも有名なフリーメイソンもそこに一枚噛んでいたかもしれない。ルパード マードック氏がテレビ朝日を買収したいとか、そんな時代のことである。
 そういえば、『必殺仕事人』というそれもまた意味不明な題名の時代劇を放送していたのもテレビ朝日である。
 昭和の時代には当時から今に言う「仕事探し」というのも「勤め口探し」と言っていた。何かと昭和を蔑む弊ブログではあるがその点は昭和が正しくて平成は誤りであり、私もその意味では昭和的でありたいと思う。

a0313715_22411705.jpg 松本幸四郎が三代同時に襲名することを発表する会見で次の松本幸四郎になる市川染五郎が抱負を語り「つとめてゆきたい」と言った。その字幕が「務めてゆきたい」と出ていたが、正しくはそれも「勤めてゆきたい」である。「務める/having my duty」も誤りではないが大上段な言い回しであり――歌舞伎界の務め、the dutyは人々が決めて求めているものではなく、あくまでも歌舞伎界のそれぞれの家の流儀に過ぎないのでそれを会見で語ることは余り考えられない。――、ともすれば独り善がりになりかねない。「勤めてゆく/having my travail」は平たく言えば「頑張ります。」である。
 逆に、政治は国民の舞台裏までもの監視の下に行うものなので「務める/having the duty」が適う。

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by keitan020211 | 2017-08-04 22:42 | 文明論 | Comments(0)
乳首と監視社会
 近頃都にはやるもの――

 男子が乳首を見せること。

 街を往くと、この国の高齢者率に追いつかむとする勢いで、男子の乳首見せを目にする。
a0313715_18565388.jpg 昨日のテレビ朝日の『橋下×羽鳥の番組』はコメンテーター選手権の第2弾、選手となったコメンテーターは番組の主橋下徹元大阪府知事または元大阪市長と作家の室井佑月氏、ジャーナリストの堀潤氏、国際政治学者の三浦瑠麗氏、社会学者の古市憲寿氏と、乳首の美しそうな人が揃ってのもの。そこでの1分間解説のお題にもこの国の高齢化の問題を含む『平均寿命の増加は良いか悪いか?』があった。そこで「悪い」として解説をしたのは橋下氏唯一人である。
 時間の超過やそもそも結論を言わないなど、散々な評価であった室井氏は『乳首選手権』ならば優勝していたに違いない。
 男子の乳首についていえば、橋下は平均的に引き締まっている乳首、堀はかなり美しい黒めの乳首で古市はきれいなピンク色の乳首か?

a0313715_19023562.jpg しかし幾ら橋下や堀、古市のように美しくても、男が乳首を見せるのは不快でしかない。
 もう少し厳密にいうと、自らの体を粗末なギャグにしているようにしか見えない。
 それはちんぽに盆で最近に売れている芸人アキラ100%にも通じる。ユーモアではなく粗末なギャグである。
 そもそもヘレニズムの昔から、男性の体を晒して称揚することは文明の頽廃である。真白な男性の裸体像を芸術という人々がいるが、とんでもないことである。ヘレニズム思想は人間の精神を肉体とは別のものとして尊び、肉体を卑しいものとすることがその根源にある。裸体像による男性の肉体の称揚は『肉体を捨て去った末に、卑しめた末に宿る美しさ』という逆説紛いの屁理屈がそのモチーフであり、本質的には肉体を否定するものである。その辺りは日本に根深い婚外交際、所謂不倫の禁止にも歴史的につながる邪悪な思想である。
 近頃の日本の都を往く乳首見せ男もまた、乳首を通して人の肉体を卑しめるための歩くプロパガンダである。

 その直接の起因はシャツの下には何を着るか着ないかの考察であるらしい。
a0313715_19060859.jpg 昔はシャツの下にはタンクトップ型で生地が綿の白い下着、所謂ランニングシャツを着るものとされていた。
 しかし趣向が多様化してランニングシャツが聊か旧いものとされるようになり、1980年代からはTシャツをシャツの下に着る人が多くなった。
 しかしTシャツは半袖である故にその袖が長袖のシャツの袖に映るとぼてっとした感じになる。また、白いTシャツなら問題はないが、色物や柄物はシャツの銅に丸映りするのでビジネスやフォーマルには相応しくないとの批判が多い。
 すると2000年代から、シャツの下には何も着ないのが良いとする男子が増え出した。それが2010年代の今は多数派を窺う勢いで増えている。
 そもそも、ランニングシャツを旧いと言い出したのが問題の始まりである。同じく1980年代から多数派となったトランクスとの色柄の兼ね合いが悪いなど、その需要の地盤沈下は著しい。見た目も使い心地もタンクトップと同じで何も悪いものではなかろうと思うが、男子の同調志向、そうしないともてないんじゃないか症候群、立身出世が叶わないのではないか妄想は凄まじいようである。
 そのような志向、症候群と妄想の末に、自らの肉体を粗末なギャグに仕立て上げるべく乳首見せに至る。

a0313715_19091067.jpg そのような積りはない人も、肥満傾向――然程に著しいデブではなくても――の故に、シャツの下にはTシャツを着てもTシャツやポロシャツだけになるとどうしても乳首が浮き出る人が多い。殊に昨今は小さ目の服がはやっているのでそれらも体の線が出てしまう訳である。2065年には平均寿命が男子も85歳に達するであろうといわれるが、今の現役世代のそのような姿を見るや平均寿命は今が「頂点」笑、或いは、女子との寿命の格差が拡がるばかりなのではないかと思えて来る。夫なんか早く死んでほしいと思う妻は少なくないというので彼女等はそうなって全然OKと思うかもしれないが、少なくとも自分の夫や子は別と思うべきである。

 前にテレビ番組にマッチョ男がキャミソールを着たらどうかというのがあり、なかなか似合うと思う。
a0313715_19131314.jpg 今「男 キャミソール」でネットの検索をしたら、変なフリル付のいかにも婦人向けというかロリコン趣味という感じのしか画像がない。そのようなのではなく、GUのキャミソールのようなプレーンな趣のものならば特に紳士用の製品を作る必要もなく、ランニングシャツの代用ともなるのではないか。
 夏はどんなに脱いでも暑さは違わず、下着を着ることは寧ろ自他共に涼やかな心持になるために必須の嗜みである。やはりタックなしののスリムパンツやシャツの第一釦を嵌めて着ることなんかもそうであるが、今時の男子のはやりは全く間違っている。

 偶に耳にする話は男にも乳首があるのは何故かということ――

a0313715_19151509.jpg 科学においても謎とされ、諸説がある。その最も支持されている説は「形だけが残った」というもの。元は無性生物であった人が雄と雌に分化した際に、男の乳首は授乳などの用をなさないが女と同じ人としてそこに何もないと変なので形だけがあるのではないかという。いわばダミーである。
 弊ブログはその説を採らない。人の体には意味なく具わるものはないからである。
 もう少し説得力がある説は人の体はまず外見から形作られるために乳首も雄雌の違いなくできるというもの。そこに機能が付加されることにより一部の形にも違いが出て来る訳である。
 その説は何事もまずは体裁が大切であるという弊ブログの思想とも合うが、それもまた男の乳首は機能のないダミーであるという点は前の説と違わない。但し物事の順序の違いは大きい。

 そこで弊ブログによる新説。これはかなり信憑性が高い。

 乳首及び乳房の機能はそもそも雄雌を問わず、「心の眼」であること。
 眼なので眼と同じように左右一対が備わる。他には耳や鼻の孔、頬、手足や腎臓、睾丸がある。或る意味では耳も眼、鼻も眼、頬も眼、手足、腎臓や睾丸も眼である。腎臓が二つあるのは恐らく液体は流れて移動し易く、その際に少しでも重心を逸れると体の平衡を失う虞があり、尿の移動をなるべく防ぎ平衡を保ち易いように左右一対になっていると思う。それが一つであると先ずは腎臓の位置そのものが重心をずれると平衡しない。平衡を保つことは天秤が妥当性の象徴であることなんかにも分かるように、心の眼の働きである。

a0313715_19165941.jpg 乳首は目線を下ろすとそこに直ぐに見える位置にある。眼を眼で見ることはできず、耳や鼻の孔は陰になって見えない。
 前の記事に女の乳房が大きくなるのは思春期に入ると自らの先行きに不安を覚えるようになり、その不安感を目に見える形で埋めるために丸くて重みのある乳房が体の前方にできると語った。男は若し先行きの不安を覚えてもおしなべて不安を吹き飛ばせと教えられるので不安を埋めるべくするようなことは体の変化にも余り生じないのである。また女でも、美食などの贅沢は不安をかりそめにも吹き飛ばすので美食家や浪費家の女子は胸が大きくなりにくい。胸が大きくなるためには粗食が肝要である――一々説明するのも面倒くさいが、粗食とは必ずしも少食のことではなく、況してや貧食のことではない。――。
 不安とは「見えないこと」であり、不安を解くためにはよりよく見えるようになる必要がある。そのための心の眼が乳房であり乳首であるので、大きさの違いはあれども男にも同じく具わる必要がある訳である。

 もう一つの乳首の重要な働きは触媒作用である。
a0313715_19194116.jpg 触媒とはそれそのものが直接の作用を生ずるのではなく他の要素の作用を媒介して助けるもの。
 乳首が触媒するのはそれとシームレスにつながる皮膚である。
 皮膚は主に皮脂腺と汗腺による分泌をする。それが女は乳腺による分泌をする乳首とつながる。
 乳腺による分泌のあるなしを問わず、乳首は皮膚の分泌や温度の維持を助ける。
 乳首は人自らの気づかない程に微細繊細に外気の変化をアンテナとして計測している。その点は髭と似る。殊に私などのような猫の髭はとても外気や周囲の状況を鋭く計測または察知する。アンテナなので出張っている。
 そこで乳首が得た情報が皮膚に伝わり、皮膚の分泌を促したり抑えたりする。
 アンテナとしてだけではなく、そもそも物は単体では作用せず、他の物との反応や複合によってしか作用しない。革だけがあっても手触りと匂いしかなく、そこに金具を着けたりする必要があるのと同じく皮膚もまた皮膚だけではその働きをなさず、それが作用するためには乳首や臍、爪などの他の物の触媒が必要となる。

 男などの他者が乳首を触るとアンテナのチューニングが変わったり触った人の手及び体を自分の体の一部と無意識に誤認する危険があるので他者が乳首を不当に触ることは悪いことであり、アダルトビデオなどにしばしば見受けられる乳首を引っ張ったりの所謂乳首攻めや洗濯挟で挟むなどは論外の暴挙である。

 アンテナといって連想するのは監視社会――

a0313715_19222782.jpg 先の共謀罪法の立法においては権力が市民のSNSを監視したりする虞があるなどの批判が相次いでいる。ネットは光ファイバーケーブルを使うものでありアンテナを使うものではないが、ラジオやテレビの次に来るメディアとして同じく情報のアンテナという喩が似つかわしい。インターネットの前にも盗聴器などによる通信の傍受がアンテナとしてある。やる側もやられる側もアンテナである。更には商業においては今時はアンテナショップという業態もある。
 橋下徹氏も監視社会には絶対になる。そうなると云わない与党はおかしいと語るが、そんな監視社会にあってより重要になるのは肉体のアンテナ――肉体のアンテナが情報と精神のアンテナをもハイパフォーマンスにする。
 皮膚のアンテナである乳首は排気ガスの低減を実現しつつある自動車の排気触媒の次に来る触媒として俄然に重要なものとなろう。
 男の乳首が双眼のように次々と見えるにつけ、この国の人々は監視社会を欲しがっているかのように思えてならない。

 男子の乳首見せが問題となり始めたのは今の東京都知事である小池百合子氏が小泉政権においてクールビズを提唱して普及したことからであるという。先述のシャツの下には何も着ない人が増え出したのもその頃である。
 それから十余年、猶も問題であり続け、それでも世の懸念を嘲うかのように激増している乳首を見せる男子――
 その激増の一因はスマートフォンの普及によりパソコンによるインターネットの利用者が減少していることと考えられる。ネットの諸々のニュースサイトがそれを重ね重ね問題にして戒めても、自分で情報を制限して使うスマホをしか見ないおっさんやゆとり青年はそれらを目にすることがない。自主制限を設けずに自由に使う人は代金が気になって見れない。いつでもどこでも見られるスマートフォンには『男性の透け乳首についてどう思う?』というようなばつの悪い情報は馴染まないのである。故に与党ではないが、自分のしていることについての批判なんてあり得ないと思っている。日本は自由と民主主義という普遍的価値を重んずる国だ!――

 重ね重ね云うが、男が体を晒して見せるのは体の美しさを愉しむためではなく体を卑しいものとして捨て去るという意味合いを帯びることが現実には殆どである。幾ら男の体の美しさを語ってみても、その真意は「捨て去ることは美しい」ということである。同じく今はやりの『断捨離』なんかも同じことであり、女子にも同じような思想を持つ人は少なくない。そんなヘレニズム思想やその他の霊肉二元論の思想の世界への影響はとてつもなく大きくて根強い。乳首透けや半裸で街を往く――街ではなくてもそのような意味合いを以てする男は少なくない。――などは一言で言えば自殺の奨めである。歩きスマホより余程にたちの悪いことである。捨てたければさっさと捨ててほしい。
 例えば「一肌脱ぐ」はそのような思想からのものであり、極めて卑しい卑語であるといえる。
 故に共謀罪だけではなく国民の安心安全のために一肌脱がせましょうという安保法案も通る訳である。

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by keitan020211 | 2017-08-01 19:23 | 文明論 | Comments(0)
【ちょっと知りたいキリスト教 ユダヤ教・イスラム教合併SP】日本はイスラム国である。 その2 日本は本来は自由と民主主義を尊ぶ国である。
 直前の記事『【ちょっと知りたいキリスト教 ユダヤ教・イスラム教合併SP】日本はイスラム国である。』の続きです。

 ユダヤ-キリスト教は:抵抗しない者は殺してもよいという信仰
 イスラム教は:抵抗しない者を殺してはならないという信仰

 というと、イスラム的思想の強い日本にはかようなイスラム教が好ましいと思う向きが多いかと思われる。
 しかし裏返して言うと――

 ユダヤ-キリスト教は:少しでも抵抗があれば殺さない信仰
 イスラム教は:抵抗する者は殺すべしという信仰

 ――良し悪しはさておき、少なくとも自由と民主主義の観点から見ればユダヤ-キリスト教がより「良心的」ということになる。自由と民主主義を何よりも重んずるアメリカがイスラム教徒の排除を訴えるのはアメリカのイスラム教徒が民権を持つことによりそのようなイスラム的原理に基づく法や政策を勧めかねないという懸念から必然ともいえる。
 殊にアメリカのイスラム教はインドネシアなどの東南アジア諸国やイランのそれのようにそれぞれの国の自由や民主主義のために再構成されたイスラム教ではなく少数派のものとして剥き出しのアラブ直輸入のイスラム教なので懸念は深まる。
 尤も、それらのような再構成されたイスラム教を正しく保持するためには権力が幾らかは独裁的たらざるを得ず、日本人やアメリカ人が思うような自由と民主主義とはやや異なろう。そして東南アジアのイスラム圏のような一部独裁の自由と民主主義、即ち権威主義体制に基づく自由と民主主義はこれからの世界の標準となると思う。

 抵抗しない者を殺してはならない、抵抗する者は殺すべし――それが東南アジア諸国とは異質な日本の通奏低音である。東南アジア諸国は自国が自由と民主主義を導入している以上は抵抗しない者はいないとするので全ての国民は抵抗する可能性があり、つまり国は全ての国民を殺す可能性があると見定める。しかし中でも法に照らして悪質な者を殺すべしとする。日本はそのような発想をしない。抵抗を知る筈もない国民を殺すなんて考えられない以ての外と見定めながら、時に抵抗する者がいれば適宜に殺すという発想である。故にリベラルを名乗る人達が戦争や権力による弾圧を語る時に、「無抵抗の市民を殺した、許せない。」などというイスラム的言辞が出て来る。というか、日本赤軍はイスラム過激派との提携の集団なので必然にイスラム的になる。キリスト教圏の自由と民主主義の国においても市民を殺すことは望ましくないことは同じではあるが、そこに「無抵抗の」とか「無辜の」とかというような言葉は冠されることはあり得ない。キリスト教においては無抵抗の者こそを殺してもよいものとするからである。抵抗は神が命あるものに与えた賜物であり、抵抗しないとは自らを命ではないと見做すことであり、故に殺しても構わない訳である。そのような信仰からは当然に、「嫌よ嫌よも好きの内」などという思想は生まれ得ない。「嫌よ嫌よも好きの内」は本来は殺すべき抵抗者に猶予を与えるというイスラム教の発想から来るものである。抵抗していても回心してされる侭になれば赦すということである。
 抵抗しないとは女性的たるべしということであり、女性を守るべき清らかなものと見做す。鉄道の女性専用車が日本とアラブにしかないのはそれが理由であり、毎朝夕の通勤通学の風景にも日本のイスラム性が見える。場所を分け隔てることに由り女性による抵抗の余地を予めなくしておけばよいという訳である。「君の怒る顔なんて絶対に見たくない、そうだろう?」。

 イスラム教とは本質的にはそれ程に日本のおっさん的にキモヲタな宗教である。故におちおち寛容の精神をとか異文化の尊重をとかいう訳にはゆかない。
 故に、「日本は仏教国、日本らしさを大切にしよう。」などという人達は仏教の名を借りるのをやめて潔くイスラム教徒になるべきである。そうなれば日本はインドネシア並に魅力ある国になるかもしれない。
 イスラム教の成り立ち、殊にその正統派とされるスンニ派の成り立ちそのものがそもそも、ユダヤ教とキリスト教の駄目出しのような否定的動機からのもの。批判のための批判から生まれたものである。

 無抵抗といえばマハトマ ガンジー。
 日本にも支持者が少なくないチベット仏教の導師である。
 しかし、ガンジーは何となれば殺されても構わない、文句を云わない、それが彼の無抵抗の信仰である。
 ならばとばかりに殺しに掛かることを奨めるのではないが、日本の支持者達が無抵抗とはいいながら殺されることは罷りならない、殺されれば文句を云うのを見るにつけ、ガンジーを信ずることにはなってはいないのが閉口である。ガンジーとリベラルな価値観は相容れる筈がない訳であり、なのに彼等はガンジーを尊敬するリベラルを称する。ガンジーはそれそのものは超保守主義ではないが、超保守主義を容認するものである。また、同じく無抵抗を信仰するイスラム教の影響が強くある。
 キリスト教にも殉教の信仰はあるが、それは然るべき抵抗の末に殺されてもその血が抵抗の最も大きな証となるということであり、無抵抗ならば殉教ではない。
 殉教といえば今時に連想されるのはイスラム過激派の自爆テロであるが、彼等はそれを抵抗と位置づけてはいない。彼等のしようとしていることは西洋のキリスト教文明に対する抵抗ではなく「権力の側からの処刑」である。あれだけ情けない風采をしていても自分達は権力者なのであり、その銃や爆弾は戦争のそれではなく処刑のためのものである。その本質が次々と示されたのがイスラム国によるビデオ付の「処刑」である。自らを権力や体制の側に位置づけることを嫌う左翼ならばイスラム過激派のそのような権力主義や体制主義は絶対に受け入れられるものではなく、イスラム過激派の歴史や現状を少しでも擁護することはできないと思う筈であるが、何故か日本の左翼からは彼等に忖度するような言説が相次ぐ。日本の左翼はイスラム過激派と親しい日本赤軍の流れを汲むからである。彼等の殉教はどこまでも権力者の任務における殉死である。それがまた日本においてはしばしば受ける。

 但し人には抵抗することを知らないこともある。
 抵抗したい思いはあれども、如何に抵抗すればよいのかが分からない。
 そのような場合をも無抵抗でありイスラム的であるとする訳にはゆかない。

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by keitan020211 | 2017-07-30 21:14 | 文明論 | Comments(0)
【ちょっと知りたいキリスト教 ユダヤ教・イスラム教合併SP】日本はイスラム国である。
 昨日の宵にテレビ朝日が『池上彰のニュースそうだったのか』で中東イスラム圏の特集をした。
 イスラム国の潰滅の見通しが立って来たことやイスラエルの混乱が強まっていることを受けてのものである。
 池上彰はこれまでにも中東についての知識を紹介する特集を幾度か行っている。

 そこで中東とアラブは別物であること――中東とは地理的区別であり、アラブとはアラビア語圏のこと――やイスラム圏にも色々とあることなど意味のある知識も幾つかあったが、総じて酷い内容である。

 中東のイスラム圏には親日国が多いことを殊更に語り、その御礼としてか、イスラム文化を絶賛する。
 イスラム圏の多くは男女交際が信仰上禁じられるが、女子と接吻をもしたことがない男子を、取り分け日本に留学をして東京の文京区茗荷谷に住んでいたという男子を「偉いですねえ!」みたいに紹介する。
 池上彰の番組の他にも、日本に留学の経験のある親日なイスラム男子やイスラム女子を紹介した番組がこれまでに幾つかある。
 その親日姿勢が嘘とはいわない。但し日本の力だけではなく中東の産油国等に関わっているアメリカが「奴等とは仲良くしてやってくれ。」と彼等に云ったから好意を持っている面は否めまい。池上番組はそのような点は全く無視して日本が中東諸国との良い関係を自力で築き上げて来たかのように語る。

 折しも、アメリカのトランプ政権が当国のイスラム教徒の排除を訴えている中、反トランプを叫ぶ日本のマスメディアはそんなトランプ政権には耳を貸さずにイスラム圏を大切にしようというプロパガンダを行っているようである。

 しかし日本と日本人ががイスラム圏とイスラム人を大切にすることは、そう容易いものではない。
 日本とイスラム圏及びそれらの文化は歴史的に非常に根深い関わりがある。
 一言で言うと、「日本はイスラム国である。」。
 ――尤も、歴史を通して常にそうなのではなく、殊に明治以降の近代日本国家はイスラム国にとても近い性質がある。

 その謎を解く鍵は日本の仏教である。
 仏教は元々は同じ一つの宗教ではない。インドに興ったインド仏教の影響を受けたシナの諸々の地域宗教が更に変化して日本に伝わったのが日本の仏教の諸宗派である。つまり、日本仏教はインド仏教の原形を殆ど留めてはおらず、シナの地域宗教の数々がその原型である。そこまでは日本人にも夙に知られるものである。インド仏教の直輸入は名古屋の覚王山日泰寺など、極めて少ない。因みに日泰寺はトヨタの豊田家の菩提寺である。それからしてトヨタの日本における地位及び日本の自動車愛好家のトヨタについての評の独特さの理由が浮かび上がる。
 日本の仏教の一つ一つの宗派は真面な信仰を持って大切なものではあるけれど、それらを一つに捉えて「仏教」というと、とても胡散臭いものになる。
 仏教とは国家の保護の下にある宗教ということであり――即ち、今の日本においては神道もキリスト教も仏教である。――、一つの「日本の仏教」というとそれは日本国家の教えということになる。それぞれの宗派の信仰とは関係ない。
 故に自分は日本人です仏教徒です、日本は仏教国ですという人は宗派の信仰に帰依しているのではなく自分にとって都合の好い日本国家を作ろうと志しているということになる。
 そのような姿勢はイスラム国とくりそつ、否、そのものである。
 所謂日本仏教というものとイスラム国の共通点は 世俗主義的原理主義 にある。
 原理主義というと普通は非常に峻烈な反俗主義を旨とするものであるが、イスラム国と日本仏教における原理主義は世俗主義を含むことにおいて他の多くの原理主義とは異なる。世俗の繁栄に見放されているイスラム原理主義者が世俗の経済力や権力を一から得ようとすることにより成り立ったイスラム国――絶対的欲望による世俗主義的原理主義――とそれらがそれなりにあって尚より高い経済力や権力を得ようとする日本仏教――相対的欲望による世俗主義的原理主義――は機会の差があるにせよ、その本質は同じである。それらの世俗主義の契機となったものは中国を除く現在の国連の常任理事国をなす西洋の近代国家等による政治経済的介入であることも共通する。
 比叡山延暦寺の僧兵による反乱は彼等にとってのモデルとなるレジェンドである。延暦寺の僧兵は歴史的国教としての地位を確立していた比叡山天台宗の失地を回復するための過激派であり、オスマントルコを取り戻すことを目的とするイスラム過激派と似てはいるが延暦寺の僧兵は程なく――とはいえども三十年以上が経つが、――解散された。彼等は時の新しい権力に敗けたのではなく更に新しい江戸幕府の体制が出来るにつれ自ら妥協して矛を収めた。しかし矛を収めた処をまでは見ずに反乱を興した処をだけが切り取られて彼等のモデル及びレジェンドとされたのである。しばしば、レジェンドは自らの人気に当惑する。
 日本国家の原理もまた、世俗主義的原理主義を常とする。尤も、日本国家を永らく治めていた自由民主党は世俗主義ではあっても原理主義ではなかったが、近年は原理主義の傾向をも呈し出しているし、自らが原理主義ではなくても原理主義的勢力への忖度や譲歩を常としていたのは確かである。安倍政権及び安倍政治とは永らくは忖度と譲歩の対象となる周辺勢力でしかなかったものが一挙に主流派となって来て出来たものであるといえる。人間は、強い者には忖度も譲歩もしないものであり、それらをせざるを得ないような感じがするのは相手が弱い者であるからである。安倍政権は本質的には弱者政権である。弱者として、見放されていた繁栄と権力をあらゆる手立てを尽くして奪う。

 日本の仏教及び日本国家に及ぶイスラム的性質、しかし、イスラム圏と日本には歴史を通して直接のつながりはない。
 唯一つ考えられるのはペルシア、今のイランイスラム共和国をなす地域である。
 ペルシア-イランはイスラム教のシーア派圏である。シーア派は政治的にはもう一つの大教派のスンニ派よりも保守的で強硬路線を常とするがイスラムの信仰においてはよりリベラルである。それは昨日の池上番組にも紹介されている。池上番組が明らかに贔屓にしているのは政治的には穏健で信仰においては原理主義、戒律主義なスンニ派である。
 ペルシア-イランは言語が異なるので中東ではあってもアラブではない。ペルシアはイスラム教の出来る前から繁栄し、西のヨーロッパにも東のアジアにも影響を及ぼしていた。殊に日本にはアジアでは随一の強い影響を及ぼしていたと考えられ、私は出雲大社はペルシアの古代信仰の影響を受けて成り立ったものであるかと思う。出雲大社の他にも、西日本にはペルシアの影響が強く、博多の明太子なんかもペルシア流なのではないかと思う。対してイラクはいくらである。
 かようの古代にはまだイスラム教はない。しかし後にシーア派圏となるペルシアとその他のアラブ圏の中東を分ける或る種の空気のようなものがペルシアの日本への影響と共に「遺伝」し、ペルシアの影響を好ましく思わない他の日本人をスンニ派圏に多いイスラム原理主義者のような気質にしたのではないかと考えられる。ペルシア流はより知的な繁栄の象徴であり、それとは縁のない「私達庶民」は下剋上的気質、即ち世俗主義的原理主義を身に着けることになった。私が明太子を好きではありながら余り食べないのはそんな日本人に目を着けられないためかと考えられる。それと、値段が高いからでもある。
 シーア派は元々アラブ-イスラム教ではなかったペルシア-イランの現地現物に見合うように組み直されたイスラム教であるといえる。それがイスラム共和国と称するのは根深くも面白い。

 古谷経衡氏の『リア充と意識高い系』に擬えると、イスラム教は本家のスンニ派が意識高い系で彼等から見れば贋物のシーア派がリア充なのである。それは日本においてしばしば見受けられる「本家」や「本物」、「プロ精神」などとよく似ている。日本はしばしば意識高い系を本物、主流派と見做す。スタバの味は本物の味で、そこで本物のPCであるマックを使うのがプロ精神の象徴となる訳である――マックが本物というのは私もその通りと思いはするが、――。
 尤も、リア充だけではオスマントルコのような大帝国は出来得ず、意識高い系などの本物の贋物や或る種のならず者を包含するから大帝国が出来るのではある。それだけの統治の巧さがあるからである。イランは統治の巧さがないからそれを補うべく宗教国家にせざるを得ない。

 ――この記事は【ちょっと知りたいキリスト教 ユダヤ教・イスラム教合併SP】、なのにイスラム教と日本仏教の話ばかりになってしまっている。それ程に池上彰はジハーディー池上と呼ぶべき問題の存在であるということでもある。

 その池上番組にも紹介されている、イスラム圏における豚肉の厳禁の風習、というか信仰――
 それが確立している風習であり信仰である以上はそれを尊重しなくてはならないことは論を俟たない。
 日本の食品メーカー味の素はイスラム圏のインドネシアにおいて豚肉の成分の含まれる製品を売って当地における販売の禁止と非難を受けたことがある。味の素のそのような傍若無人夜郎自大の性質はその問題が解決された今も変わってはいない。味の素は人の嫌がることをしたがる企業であり、その顧客もまたそのような味の素の性質に共感する人々から成る。「ほーら、毛虫毛虫!」みたいな――否、もっと酷いか。――。

 ここでは豚肉にまつわるユダヤ教、キリスト教とイスラム教――:古い順――の違いを見てゆく。

 大雑把にいうと:
 ユダヤ教: 豚肉は原則禁止 しかし血を搾り取れば食べてもよい
 キリスト教: 何を食べるか食べないかは自己責任によること 豚肉も禁止ではない
 イスラム教: 豚肉は例外なく禁止

 それを見ると、イスラム教は厳しくてキリスト教は緩いというかもしれないがそうではない。
 何故そうなのか、それぞれ何に厳しいのかを考える必要がある。

 そこに浮かび上がるのはユダヤ教の回りくどさ。
 優柔不断の末に妥協策を編み出したかのようにも見えるが、実はその通り。
 ユダヤ教は根から優柔不断な性質のある宗教である。
 そもそもが妥協策なのに、それを厳に守るべき本質なものと見做すエホバの証人、ものみの塔聖書冊子協会はその意味ではユダヤ教的ではない。
 イスラエルを中心とするユダヤ教圏は元々は菜食主義であり獣の肉を食べることには明確な禁忌ではないが戸惑いがあった故に、獣の肉をどうすれば食べてもよいかを考える必要があった。羊は祭で焼き尽くして食べる。豚肉は血を搾り取って食べる――それらは命を犠牲にすることを目に見える形で明らかにし、その罪の贖いへの感謝の内に食べることを旨とするものである。野菜も命であり同じではあるけれど、野菜は獣よりも嵩が軽く捧げ易いのでそのような問題にはならなかった訳である。
 キリスト教はそのようなユダヤ教圏だけではなく全世界を志向するために、あらゆる慣習に対応し延いては馴染み得るような原理をなす必要があった。獣の肉を食べる人をも食べない人をも包含するためには何を食べるか食べないかはそれぞれの自己責任に委ねるべしとなる。ここに言う自己責任とは今時に聞かれるような自己責任、即ち個人の責任だけのことではなく個人の責任をも集団の責任をも、延いては国の責任をも含む歴史的に重要な概念である。自己責任というのはさようにキリスト教圏においては伝統的に重要な概念である。
 イスラム教が豚肉を全面禁止とするのは何故か?それも、何故豚だけであり他の肉はよいのか?
 先ずは先のユダヤ教における豚の指名が根底にある。ユダヤ教もまた、豚だけを他とは違う特別なものと見做す。イスラム教はユダヤ教が例外付の禁止としたものをより厳しく例外のない禁止とした。
 一つは優柔不断ではいけないと思うから。信仰が優柔不断ならばそれを信ずる人々とその社会が皆優柔不断になりかねない。安倍晋三の口上の如く「ハッキリものを言う」ことを殊更に尊ぶ日本とも相通じる。
 もう一つは中東においては豚は特別なものと見做されていること。
 中東情勢に詳しい落合信彦もその著書にしばしば、メンタリティーの低い人を「ブタ」と呼ぶ。
 豚は抵抗しない、少なくとも人間がそのように認識することができるようには。メンタリティーの高さとは抵抗することができることである。
 イスラム人は抵抗しない者を殺してはならないと思う。コーランには理由なく殺してはならないとの教えがあるが、その「理由なく」とは「抵抗しないのに」ということであり、抵抗すれば殺してもよいということ。つまり、イスラムの発想は落合信彦とは真逆様である。要は、イスラム人にとっては豚は「女性のように清らか」な存在なる故にそれを殺して食べてはならないのである。同じ特別でも、ユダヤ教が豚を指名して特例を設けるのは豚を抵抗することもない程に不浄な存在と見るからであり、血を取り除くのはそれを浄める意味がある。しかしどんなに不浄で馬鹿でも命は命とし、それを捧げなくてはならない。
 その点もまた、ユダヤ教圏とイスラム教圏の決定的対立の要因である。ユダヤは「豚はブタ。ブタは死ななければ治らない。」といい、イスラムは「ブタで何が悪い!豚を馬鹿にするな。」という。
 無抵抗を清らかで美しいと見る発想は日本にも顕著なもの。その点でも仏教国こと日本はイスラム国であるといえる。
 ユダヤ-イスラエルは「抵抗しなければ殺せ。」という発想である。抵抗は神が命あるものに与えた尊いものであり、それがないことは自らを命ある者とは認めないということなのでモーセの十戒にある「殺してはならない。」の対象にはそもそもならない。植物野菜を食べるのも植物の多くは抵抗しないからである。ユダヤ教を前身とするキリスト教も本流においてはユダヤ教のそのような「抵抗は命;無抵抗は命にあらず」という生命観を受け継ぐが、その本流思想を支持するもしないも自己責任であるとし、異論も多く、異論が即ち排除される訳ではない。
 「ブタで何が悪い!豚を馬鹿にするな。」というイスラム人も、それを抵抗と見ることもできなくはないからキリスト教圏にはイスラム圏贔屓な反トランプの人々もいるが、何れにせよ無抵抗を命とは認めないことにおいては同じキリスト教の発想である。

 とはいえ、命だけに焦点を絞ると血腥い話になるが、命のないものを破壊するのは全然OKという教えはどの宗教にもない。

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by keitan020211 | 2017-07-30 18:36 | 文明論 | Comments(0)



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at 2017-08-04 19:19
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by keitan020211 at 15:49
山本七平の「空気の研究」..
by コッホ at 10:15
花王のHP見ても、ミュー..
by ミューズ at 12:03
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宮崎哲弥が明確に左とかあ..
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ミューズって花王なんです..
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おー、ちょっとビックリ!..
by コッホ at 10:09
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by コッホ at 10:21
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by keitan020211 at 11:49
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by keitan020211 at 19:23
あはははは。その小賢しさ..
by ぱよぱよち~ん at 21:27
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by keitan020211 at 12:12
安倍自民は保守の欠片..
by blue at 23:50
大企業に入れない奴隷階級..
by 在日ですか。 at 11:57
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by keitan020211 at 18:55
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