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【Freesia料理】spaghetti sugo di carne Genovese/ジェノベーゼ ミートソースのスパゲティ
 spaghetti sugo di carne Genovese、読み方は「スパゲティ スゴ ディ カルネ ジェノベーゼ」です。
凄いでかいねジェノベーゼ、という程に豪華な見栄えではありませんが、なかなかのたんまり感が味わえます。
 イタリア語の'tanto'といえば「そんなに」ということで、'mangiare tanto'と言えば「たんと食べる」ということです。

 実はスパゲティジェノベーゼと呼ばれるものには二つの全く異なるものがあり、一つは日本にも馴染みのバジルペーストを使うもの、他の一つは牛肉の煮込ソースを使うものです。
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 前者はその名の通り北イタリアのジェノバの御当地スパゲティであり、日本を含む世界に普及している。
 後者はジェノバの料理人が南イタリアのナポリで作って広まったスパゲティであり、殆どパスタの本場イタリアにしかない。
 私が今までに食べたことのある「ジェノベーゼ」はそれらのどちらなのか記憶にございません。
 但し何れにせよ私が昔に食べたのはバジルの緑色に染まる見た目と苦甘い味ではなく全体に白ぽくて爽やかな酸味の強めな感じなのは確かです。スーパーマーケットなどに見掛けるジェノベーゼの素のパックにある写真の多くは全体が緑色に染まり、バジルの豊かな香りがふんだんに感じられるものですが、私の記憶と比べると蛸墨スパゲティが苔生して緑色になったような風にも見えます。

 ――という訳で、私はこの程にそれらの二つの異なる「ジェノベーゼ」を足して二で割り、バジルペーストを使いながら白く爽やかな味の新しいスパゲティジェノベーゼを作ってみました。それが[IT] spaghetti sugo di carne Genovese/[FR] spaghetti sauce à la viande genovese(スパゲチ ソース ア ラ ビアンド ジェノベーズ)/[EN]Genovese meat sauce spaghetti(ジェノビーズ ミートソース スパゲティ)/[JP]肉たれのスパゲティジェノベーゼです。

●揃えるもの

a0313715_18040728.jpgスパゲティ 細麺  1.5人前程  推奨は:AEON TOPVALU デュラム・セモリナ100%使用 スパゲッティ1.4mm
塩  適量
オリーブ油  少な目  推奨は:西友Great Value. エキストラバージンオリーブオイル
胡椒  適量  推奨は:S&B テーブルコショー
玉葱  適量
好みに由り:人参  適量  推奨は:白人参
牛豚合せ挽肉  多目  :純牛挽肉でもよい。
ワインビネガー  適量  推奨は:MAILLE(マイユ)-S&B 白ワインビネガー
バジルペースト  少な目  推奨は:S&B 予約でいっぱいの店の国産バジルのジェノベーゼ

●作り方

 ジェノベーゼに使うスパゲティは細麺を薦めます。
 太麺(1.7mmなど)を使うと、バジルペーストの多い場合は味わいがおしなべてもっさりとした感じになり、少ない場合は味が薄過ぎる感じになります。何れにせよ、細麺にしっかりと油とペーストを乗せると味わいが確かに感じられます。また、細麺は同じ嵩でも量が多めに感じられます。

 玉葱と人参を細く小さ目に切り分けておく。人参は薄輪切りでもよい。

a0313715_18164809.jpg その細麺のスパゲティを普通に塩水で茹でる。推奨品は茹時間が5分とあるが、例によってなるべく早めに、端こに麺がくっ着いて剥がれていない部分が残っていても構わずに上げる。但しこのジェノベーゼでは麺の茹で具合には然程に厳格になる必要はなく、表示時間の通りや若干超過でもよい。
 「このジェノベーゼでは」とは、ペペロンチーノなどの他のスパゲティーやマカロニなどに関しては厳格を要するということです。5分と記されていれば3分半~4分、8分とあれば5分半~6分半が適切な茹時間です。
 また、具とソースの味が柔らかいので麺の硬さも若干は軟らかくてもよいということでもあります。

 大き目のフライパンに挽肉、玉葱と人参を入れ、そこにオリーブ油を少な目に敷き、ワインビネガーと胡椒を振って炒める。ジェノベーゼのワインビネガーは白が原則であるが、なければ赤でもよい。
 何となく、オリーブ油は先に敷かずに具の後に掛けるように敷くのが炒め易くて良いと思う。挽肉は油が上に掛かっているのを軽く軽く崩しながら炒める。
 それらがよく炒めたら、バジルペーストを中匙山盛1杯程 粗塊の侭にして乗せる、広く塗り広げたり一緒に炒めたりしない。
 数秒してバジルペーストの姿が具に馴染んだら、それらを丸毎ボウルに移して待たせる。

 スパゲティの麺が茹でたらそれを笊ボウルに移して水を切り、冷や水を数秒通して再び水を切る。

 具を出してあるフライパンに麺を入れ、残る油とバジルペーストを馴染ませながら混ぜて焼く。バジルペーストが足りな過ぎる場合は少し足す。スパゲティの小麦色が隠れず、バジルの緑色の斑点が微かに見える程の量に抑える。

 焼き上がった麺を皿に盛り、ボウルに待たせてある具をその真中にこんもりと盛る。

 出来上がり

 苦甘味と酸味が溶け合い、最高の味になりました。

 平たく言えば、緑色のミートソースです。

 先ずは麺だけを、そしてこんもり具と一緒にして、それらを交互に愉しむ。

a0313715_18204059.jpg 推奨品のS&B 予約でいっぱいの店の国産バジルのジェノベーゼは東京銀座のイタリア料理店ラ ベットラ/LA BETTOLA da Ochiaiの主人落合務氏の監修によるバジルペースト。'bettola'とはダンプのこと、食事をしていると突然ダンプ松本が出て来て荒らしてゆくことでも有名な店です。銀座の他には池袋、名古屋と富山にもあります。
 落合務ものの材料は前に一度何か買って使ったことがあるけれど、それも何であったか記憶にございません。
 他のバジルペースト等との違いといえば、渋味がなくて口当たりの良い甘味になっていることでしょうか。

a0313715_18223056.jpg バジルペーストの材料の一つである松の実は中華料理の香辛料としても用いられるものであり、S&B菜館という中華香辛料のシリーズ製品にも松の実が取り揃えられています。
 イタリアとシナ、そして日本――そこにジェノベーゼなどに見るスパゲティが単なる西洋料理ではなく東洋とのつながり、影響の及ぼし合いにおいて成り立っている『ユーラシア料理』であることが感じられます。単なる西洋料理といえばアメリカ流のふにゃふにゃのナポリタンのことです。

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    ●AFP(フランス パリ)
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    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2017-04-26 18:23 | 生活 | Comments(0)
【ちょっと知りたいキリスト教】厩(うまや)で生まれたイエスは貧しかったか?
 キリスト教の復活祭が近づいている。

 復活祭の日取りは月の満ち欠けに随い年毎に違う日が決まり、そこが毎年12月25日に定まる降誕祭との違いである。降誕祭はローマの冬至の祭とのコラボで制定された祭であり太陽、日の象徴性があるのと比べ、復活祭は月に象徴性のあるものなようである。
 太陽の形は年中無休でかわらないが、月の形は不断に――じっと見ていても分からないけれど、――かわり、日が改まって気がつけば元の同じ形に戻る。その『変化と不変』の様が復活というものを物語るようでもある。
 今年の復活祭は4月16日となる。お月様の都合によっては3月となることも多い復活祭が、只今の日本の遅い春に恰も合わせてくれているかのようでもあり、クールジャパンや日本の素晴らしさを喧伝するテレビ番組等、そして2020東京オリンピックなどの日本の自己満足につきあってくれている諸外国を想わせる。

 京都の或る人が「桜は散ってもまた咲きますえ。」と語ったとの逸話がある。桜の魅力をそのように捉えるならば、桜は復活を物語るかのような生き物にも見える。元々は桜は日本の伝統の花ではないので、寧ろそれが桜の本分であるともいえそうである。「寧ろ」とは、日本における桜の愛され方は『散りゆくこと』に見定められがちであることを指す。それが全くの誤りであるとはいわないが、日本に移植されて親しまれるようになった西洋の花である桜の本義は『散るかのように見えても散りゆかないこと』にある筈である。

 ――「桜ってパンだね。」

 さて、今日のこの【ちょっと知りたいキリスト教】はイエスの復活とも関わりがあるけれどもどちらかといえばイエスの降誕に照準を合わせる話となる。まだ寒気が残るので強ち季節外れな話ではなかろう。

 この晩冬初春に、日本の文部科学省の検定による学校の歴史の教科書につき、永らく記される史実である聖徳太子の名が厩王子に改められるとの報があった。
 私はそれに賛成したが、結構な批判反対が出て挙句にそれが取り下げられた。今までと同じく聖徳太子の名とするという。
 厩王子とは彼――何れにせよ「その彼」であることは確か。――が馬の住み処である厩で生まれたことから呼ばれる名であり、その名を以て現に呼ばれていたことは事実であると予てよりされる。問題は聖徳太子の名が彼の生前にはなかったということにある。後世の決定が史実の説明としては好ましいのかどうか、なるべく当時の実際の名を標準とするべきではないかとの見方に立てば厩王子の名はより相応しいではないかと考えられる。尤も、私も聖徳太子の名を不適切と思うのではない。

 キリスト教の歴史的最高指導者または神と称されるナザレのイエスもまた、聖徳太子と同じく厩で生まれたと聖書に記される。
 更には、インド仏教の最高指導者と称される釈迦もまた、聖徳太子やイエスと同じく厩で生まれたとされる。

 人なのに厩で生まれるなんて汚くて貧乏くさいと思われるかもしれない。
 そう思う人が多い故に、イエスは貧しい生まれ育ちであるとの説が結構に支持されている。それはキリスト教の知識の乏しい教外者だけではなくキリスト教圏のキリスト教徒にもかなり多い。その反映は日本基督教団の讃美歌の歌集に収められる歌の一つ『みどりもふかき』、122番である。その第2節の歌詞が「♪貧しく低き工(たくみ)として 主は若き日を過ぎ給へり」、「主」とはそこではイエスのことであり、イエスは貧乏育ちであるという。工とは大工のことであり、彼の父ヨセフが大工なので彼はその家業を継ぐことを視野に入れて育った。
 しかし、バブル経済の時代に入る1980年代の末期に、そこが「♪人の住まひを調へつつ 主は若き日を過ぎ給へり」に変更となり、当時に刊行された歌集の本は差し替えの説明書の紙片が挟まって出ていた。
 何やら左翼の言葉狩りを想わせる怖いことであるが、その本当の理由はイエスが貧乏育ちではないという説が有力となったからである。尤も、教団におけるそのための説得には言葉狩ラーが納得するような「「貧しく低き」は差別的表現である。」との方便も遣われていたという。日本基督教団は元々は雑多の福音派キリスト教会、所謂新教またはプロテスタントが戦中に当時の東京急行電鉄のように大同合併して発足した教会であり、宗教的にも政治的にも、右翼も左翼も保守も革新も寄合所帯である故にそのような説得の方便、即ち政治的嘘は日常茶飯であるといわれる。いわばその政治性の故に歴史の教科書に悪名の高いローマカトリック教会も顔負けの政治的風土であるともいえる。尤も、普遍的たることを志す宗教はなるべく多くの人々からなることが望ましいのでそのような寄合所帯と方便は必ずしも悪いものではない。

 厩で生まれたイエスは貧乏育ちではない。
 それは同じく厩で生まれた釈迦が金持ち育ちの所謂ぼんぼんであったことが夙に知られることからも推し量ることができる。何しろ仏像には金ぴかのものが多い。
 イエスはそれなりに裕福で安定していた大工ヨセフとその妻マリアの子としてそれなりに豊かな暮らし向きの育ちをしている。
 そのことはイエスが数々の学者等の下に学び、その学識を深めていたと福音書に記されることからも察せられる。貧乏育ちが学識を得られない訳ではないが、そのために数々の学者が付いてイエスを指導していたとなると、それはそれなりに裕福でないとできない。教授等のギャラの前に、先ずは彼等の許に行くための費用或いは彼等がイエスの許に来るための費用の負担を要する。公共交通機関のない時代ならば移動の銭は掛からなかった訳ではない。

 それが、厩で生まれたとは如何なることか?

 それは釈迦や聖徳太子を見れば分かって来る。
 古代の東洋においては偉くなることが生まれる前から予め決まっている人は、その母が厩で産むことになっていた。そのような常識的仕来が東洋には広くあった。
 そもそも、厩にも色々とあり、偉い家の持つ厩は汚くも貧乏くさくもなかったのかもしれない。私なんかもかなりきれいな厩で馬達の世話をしていたことがある。臭いは慣れれば好い匂いと思える。
 尤も、釈迦は夙にいわれるように、むちゃ金持ちの家であったという。そんなに金持ちなのに何をも生み出すことがないのは不徳と思える訳で、故に釈迦はインド仏教を開いて世に仕えたと考えられる。
 聖徳太子の公開資産額は知らないが、彼もまた皇族の育ちであり、釈迦の程ではないがかなり裕福であったろう。この前の日曜日のフジテレビの池上彰の緊急特別番組に皇室皇族に定例支給される国費の個人毎の金額が示される企画があったが、そのように帝の分の10分の1とかの小遣いを子供の頃から貰っていたことは間違いなさそうである。
 イエスは聖徳太子の程ではないが、大工ヨセフの子としてそれなりに裕福な育ちにあった筈である。裕福なだけではなく高学歴である。「貧しい子供たちのために教育を」という考え方は当時にはなかった筈であり、イエスもまたその例ではない。
 にもかかわらず、イエスが「♪貧しく低き工として」といわれるのは先ずはイエスを伝える福音書に「貧しい人は幸いである。」や「金持ちが天の国に入ることは駱駝が針の穴を通るよりも難しい。」などと記されるからである。記されるだけではなくイエス自らがそのように説いた、故にそのイエスが裕福な育ちであったとは思いにくいということからである。尤も、裕福な育ちがそれらの言葉と両立するというと、自らの裕福さを捨てて、即ち断捨離をして貧しくなり天の国を目指す身になったというような如何にも日本的珍解釈――というか、非人道的解釈――が助長される虞もあり、イエスは貧乏育ちであったとの説の意義は全くなくはなかったとはいえそうである。その説は、自らの貧しさは自ら興す革命により解決するべしとの共産主義の信念とも一致する。丁度共産主義との入れ替わりの時代に、讃美歌のその歌詞が改められた。

 イエスは生まれる前から偉くなることが望まれていた、即ち勝つことを宿命づけられていた人である。
 彼が何で数々の学者等に付いて学んでいたか、それはイスラエルの指導者、王となることが望まれていたからである。
 福音書の上面だけを追って読むと、イエスはそのような身分を望みはせずに、それこそ断捨離で貧しくなってプアーな市民運動の活動家となることを志していたかのように見えたりする。金も知識も要らず、貧しいその身一つで父なる神の教会をおっ建ててみせる!――そのような生き方が格好良いと思われていた時代も今と然程に遠くはない昔にはあった。これも日本に見受けられる珍思想である、『下剋上』の理念である。しかしそのような人が上に剋って偉くなっても尚貧しい身でい続けるかといえばそのような前例は日本と世界の何処にもない。イスラエルの王にはならずに上ではなく横へ出てキリスト教会をおっ建てるだけでも莫大の費用を要し、それを全て皆のために遣って自らは貧しくあり続ける人はいない。
 そうではなく、イエス自らもまたイスラエルの王、指導者となることを望み、そのために学業に勤しみ自らを修めていた。

 しかしそんな彼のキャンパスライフのさ中の或る時に、彼はふと思いを変えた:「イスラエルの王になるべきではない。」――
 何故か?
 それは当時のイスラエルの民が余りにも愚民でローマへの属国根性が強く、何を説いても交わりを重ねても彼等がイスラエルを名誉ある国にすることはあり得ないと悟ったからである。
 因みにここにいう属国根性とは植民地一般のことではない。植民地には植民地なりの独立性がある。当時のイスラエルは寧ろ大層な独立国でありながら属国根性を宿し続ける今の日本に近い。当時のイスラエルはローマ帝国の属国であり日本のような大層な独立国ではないが、独立国たることの意味を分かっていないことにおいては両者は同じようなものである。
 随分と上から目線と思われるかもしれないが、イエスは若くしてイスラエルの民を愚民として見限って見下す構えに入った訳である。日本には上から目線では宗教家として相応しくはない、人間を救うべき者が人を愚かと見定めて見下すようではいけないというようなそれもまた、世界に類を見ない珍思想がある。
 しかし福音書にはイエスがそうであったことを直接に示す行がある:「聞く耳のある者は聞きなさい。」である。即ち、「愚民の耳に聖書」ともいうべき聞く耳のない、何を云っても無駄な人はいるということである。
 イエスがイスラエルの王にはならなかったのはその地位を好ましくないもの、意義のないものと思うからではなく国民の皆さんが聞く耳を持っておればその座に就く意思は充分にあったけれどもそうではないようであるからである。イエスが十字架に磔けられて殺されることになったのはその公約違反、そしてアメリカならぬローマにたてついたからである。それもローマが初めに目を着けてではなくイスラエル人がローマに密告をしてローマがそれを渋々勘案して決まったと云い、日本とアメリカの関係ととてもよく似る。アメリカはローマのような帝国ではないし日本はイスラエルのような属国ではないが、内と外との関係ということでは同じである。
 他にもイエスがイスラエルの民を愚民扱いにしていたことを伝える行は福音書に数々ある。それを通し、イエスの当初の自他共に認める政治性は失われて宗教性が高まってゆく。
 育ちについていえば今の日本でいうと、並に豊かな庶民が慶應や青山には入れないけれども東大を目指して見事に受かり、留年もなく順風満帆に4年で卒業したのがイエスの青春時代である。しかし総理大臣や高級官僚の座を目指しながら社会人となるのではなく、家業の手伝いをしながら宗教右派系の市民運動家を志すようになった。日本にはリベラル系の市民運動家を経て総理大臣となった者がいる。
 因みにイエスの弟子の一人には熱心党のシモンという宗教右派の活動家がいる。そこから見ると、キリスト教はその初めから右翼色や保守性の強い集団であるといえそうであり、近代になるとルターの宗教革命で先ず左派が離反し、フランス大革命などを経てキリスト教とは距離を置く人々が世俗主義的左翼層を確立した理由が見えて来る。

 ではそんな右翼のイエスが、「貧しい人は幸いである。」や「金持ちが天の国に入ることは駱駝が針の穴を通るよりも難しい。」などという左翼染みたことを説き出すのか?
 先ず、「貧しい人は幸いである。」は少なくともカール マルクスは否定する。マルクスの信念は幸いではない貧しい者が革命により豊か且つ幸いとなるというものである。右翼の信念は、幸いなることは豊かであるか貧しいかには関わりがないというものである。
 その決定的意味は私には分からないが、仮の解釈として妥当と思うのは右翼のいう「幸いなることは豊かであるか貧しいかには関わりがない」を踏まえながら殊に貧しい人について語ったというものである。「貧しい人々」ではなく「貧しい人」であることがミソである。貧しい人々が生じることについていうならば、そこには何等かの政治や経済、文化の体制や政策の不義があるからな場合がある。イエスは自らの脱政治を通してそのような主題を避け、個人に訴える当時のイスラエルにおける第三の道を選んだのである。
 逆に、「金持ちが天の国に入ることは駱駝が針の穴を通るよりも難しい。」においては政治的意味合いにおける金持ち、即ち富裕層という概念で一緒くたに捉えられる人々を指して語ったのではないか。故に寄付金についての話も出て来る。当時の神殿は政治との密接な関わりのあるものなのでそこへの奉献は自ずと政治的意味を帯びる。故にその強い関心を持つ人々は政治的富裕層が殆どな訳である。そんな彼等の質疑を受けたので、イエスは政治的意味合いの強い話をした訳である。
 偏に個人として金持ちなだけならば正に「天の国に入れることは豊かであるか貧しいかには関わりがない」故に金を持っている人が容易く天の国に入る場合も幾らでもあろう。

 日本のキリスト教においては初めからそのような傾向は余りないが、諸外国のキリスト教においては左寄りの人々がキリスト教を離れてゆく傾向が今時は頓に強い。フランスの社会学者エマニュエル トッドの指摘に拠ると、一昔前までの、キリスト教離れを踏み止まった左派系のカトリック層が今は極右に衣を替えているという。その心理を推し量って説明づけることは難しいが、カトリック教会に対する不信を募らせながら離れる訳にはゆかず自らのカトリックへの帰属意識と政治思想を正当化せざるを得ないのであると考えられる。そしてそれを説得することのできる識見と勇気のあるキリスト教の指導者がいない――政治指導者としてはルペンがいる。――。先ずは現職の教皇ことローマ司教フランシスコが極めて卑俗で卑怯な似非左翼のならず者、侵略国の出身の人類の侵略者であり、速やかに明仁天皇より早く退位することを要する。

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    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
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    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2017-04-04 23:11 | 生活 | Comments(0)
【ちょっと知りたいキリスト教】「初めに言葉があった。」――ヨハネによる福音書の核心
 直前の記事においては「新聞の言葉は脳に悪い。」ことにつき語った。

 言葉にまつわり、この記事では聖書の言葉について語る。

 とは雖も、この【ちょっと知りたいキリスト教】はキリスト教の宣教を目的とするものではない。――というのは日本にも数多くあるキリスト教学校の常套句でもあるが、私なりに学んでいるキリスト教学の知見をキリスト教やその他の諸宗教についての年来の誤解や偏見を解くことに生かすことを目的とするものである。誤解や偏見は自らの属する宗教とは異なる宗教に関してだけではなく、しばしば自らの属する宗教に関しても持たれているものである。例えば日本は仏教国であるとか神道国であるとかとしばしばいわれるけれども、その仏教徒の日本人や神道を奉ずる日本人がそれらの適切な理解を持っているとは限らない。少数であるキリスト教徒の日本人にも少なくはなかろう。
 よって【ちょっと知りたいキリスト教】の内容は仏教徒や神道派だけではなく、キリスト教徒にも心して覚ゆべきものが大いにあるのではないかと思う。

 昨日に買った本は橘玲の『言ってはいけない 残酷すぎる真実』と山本七平の『空気の研究』である。
 前者はキリスト教かどうかとは余り関わりのない、人類世界の生の現実を語ろうとする本であるが、後者の『空気の研究』は山本氏のユダヤ・キリスト教に関する知見が公然と反映されている本である。
 先ず、そこが山本後、略してA.S.の時代の日本においてしばしば語られる『空気』の論の前提となる筈なのであるが、しばしば「日本人は空気を読んで行動したりものを言ったりする、良くない。」という論はしばしば山本氏の拠って立つユダヤ・キリスト教という要素を粗全く捨象して『空気の研究』を自己流に読み替えていると見える。それを煎じ詰めると、状況を勘案せずにア プリオリにものを言いまたは行動することが正しいというように見える。それが『空気を読む』ことを脱して日本が真の文明国となるに欠かせないことであるという。ア プリオリとは『自由と民主』であるという。臍が茶を濁すような話であり、『空気』は日本だけではなく世界に幾らでもあり、『空気を読む』ことは逆に、自由と民主を実現するためには欠かせないものである。山本氏は『空気-を読む』ことを否定しているのではなくあくまでも日本に特有の或る種の『空気』を批判的に考察している。

 ア プリオリを自由と民主の同義語とすることは日本の所謂リベラル左派、殊に脱構築主義的リベラル左派に顕著に見受けられるものであり、故に彼等の政治的社会的主張は何の意味をも力をも持たない。現実をかえるためには既成の現実を的確に捉えることが欠かせなく、そのためには空気を読むことが欠かせない。彼等はそれを否定するので何の意味をも力をも持たない訳である。
 何しろ『空気の研究』という。それは『空気を読む』と同じ意味である。研究とは読むことである。山本氏はそれを通して空気を読むことを奨めているのに、何故かそれが「空気を読むことは良くないということを山本七平は説いた。その通りだ。」と真逆様に解されている。

 ――そのようなことを、「何故『空気の研究』を読まずに買っただけで分かるのか?」と突込む人がいるかもしれない。
 奇しくも、その本の近くには『大物は皆心得ている 読まずに語る術』みたいな本が並べてあった。
 私もマルクスの『資本論』を一文字も読まずに資本論と共産主義を語ったりしているが、山本七平の『空気の研究』に関してはそうではない。前に一度読んだことがある。この度はそれを再び読み直して懐に入れるために買ったのである。
 前に読んだ時に、「これは「『空気を読む』ことを脱しなければこの国はかわらない」というのとは全く違う。」と直観した。今度は更なる精読となる。

 尤も、山本七平の著書は聖書のようなものとは違う。かなり正しい彼にも誤りはある。
 日本のリベラル左派や或る種の親七平の右派の人々は彼の著書を聖書のようなものに祀り上げている。
 「聖書のようなもの」と聖書は異質であり、彼等は聖書とは如何なるものであるのかを理解することができない。実は聖書もまたユダヤ・キリスト教圏においては一般の著書と同じように批判的考察が加えられることが当然であると認識されているものであり、祀り上げるようなものとは違う。

 学生の頃に、或る日本基督教団の信者が聖書をぽい!と投げ捨てるような仕草をするのを見たことがある。彼の云わむとするのは聖書そのものが神ではない、聖書により示される啓示、即ち自らの『神との出会いの体験』が神であるということであった。
 尤も、それは聊か極端ぽいパフォーマンスであり、キリスト教圏の敬虔なキリスト教徒が聖書をそのように扱うことは殆どあり得ない。しかし彼のパフォーマンスは或る本質を捉えてはいる。一冊一冊の聖書はマルティン ルターが至上のものと説く『聖書そのもの』を伝える写しに過ぎない。その彼のパフォーマンスはキリスト教の信仰に加えて日本的超合理主義に基づくものであろう。欧米などのキリスト教徒はそこまで合理的にはなれない。寧ろ日本の神道的風土が説くような、『物にも命が宿る』みたいな感性があり、物としての聖書を生き物のように大切に扱う。

 聖書は言葉で書かれている。
 その聖書の有名な行に、「初めに言葉があった。言葉は神であった。」というのがある。ヨハネによる福音書の初めの一句である。

 その彼のパフォーマンスが示すように、言葉そのものは神ではない。言葉は人間が作り出したものである。しかしヨハネというナザレのイエスの一番弟子は「言葉は神であった。」という。それは如何なることか?

 言葉を用いる人及び人間の態度、そこに神が宿るということである。

 前の【ちょっと知りたいキリスト教】の記事に語ったように、ユダヤ・キリスト教は神の『正体』を特定しない信仰である。『正体』を特定しないとはそれが一であるか多であるかというようなことを決めつけないということである。故にユダヤ・キリスト教は日本の宗教学者やそれを信じる人々が思っているような「一神教」ではない。「多神教」でもない。弊ブログの用語では「不特定神教」である。

 言葉は人を結びつけるための大切なものである。
 それを作りだしたのは人間であり、神が直接に作り出したものではない。
 しかし人は神を知りまたは人を結びつけるために言葉に依らなくてはならない。
 言葉を用いるに際しての態度、そこに神が宿るか宿らないかの違いがある、それがヨハネによる福音書が説く「初めに言葉があった。言葉は神であった。」の意味である。

 ユダヤ・キリスト教はさように、神が何でも作り出してくれる、それを元手にして人を導いてくれるというような発想ではない。「神は万物の造り主」とはキリスト教の信仰箇条にもあるが、「万物」とは「一つ残らず全て」ということではない。そのことは日本の神道の「八百万の神」が「一つ残らず全ての神聖なるもの」のことではないことからも分かろう。神が作り出すものとはいわば、人が最後まで歩み通すことができるだけの力である。その「最後」とはキリスト教信仰にいう「終りの日」であるが、その「終りの日」とは実は『必ず来るもの』ではない。
 聖書には「終りの日は必ず来る」と言う箇所があるが、その「必ず」とは「人間がこの世が終わってほしいと思うならば必ず」ということである。そのようには望まないならば「終りの日」は来ない。
 「この世が終わってほしいと思う」とは神の国を実現する意思を捨て去るということであり、そこには必然に神の罰がある。すると神による天地の創造の全ては無駄であったということになり、神自らがその罪を認めることになる。――「終りの日は必ず来る」とは不可避の真実――ジャーナリストとかいう人達が好む言葉――を語るものではなく、「貴方方がそう思うならばそうなりますよ。それでよいのですか?」という警告であると解することができる。

 故に、ユダヤ・キリスト教は「真実/truth」を嫌う信仰であるということもできる。「真実/truth」は神とは何の関わりもないからである。
 詰り、それを社是にし延いては最近のテレビCMの標語にしているニューヨーク タイムズは少なくともキリスト教圏の新聞とはいえない訳である。

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by keitan020211 | 2017-03-22 19:13 | 生活 | Comments(2)
【Freesia料理】ローストビーフとトマトリゾット
 英国の代表的料理ローストビーフ――
 イタリアの代表的料理トマトリゾット――

 それらを同じ膳に載せて味わう夕食です。

a0313715_17183916.jpg 主菜のローストビーフは夕食のために仕込みましたが、時間は余り掛かりません。難しそうで意外と簡単手軽です。
 トマトリゾットは急いで作った朝食の残りで、その宵の私は茶碗の半分程でしたがたっぷりと作って盛って食べても勿論良いと思います。
 但し主役はローストビーフなのでトマトリゾットの味は控え目とするのがミソです。そこを余りこだわりの深い味付けにすると見境なくどかどかと色々な皿を注文したかのように落ち着きのない食卓になってしまいます。
a0313715_17201765.jpg ローストビーフのソースは、合成市場(スーパーマーケット)などによく専用のソースが売っていますが、多くは醤油仕立ての日本向けのもの、それも良いですがそうはせず、本場英国にもない程に素晴らしく英国的なウースターソース仕立てのものとします。
 本場英国のローストビーフのソースには、多くはわさび大根、ホースラディッシュのすり下ろしとワインビネガーが用いられるそうです。

 ローストビーフはその日本向け醤油たれと共におつまみとしての嗜まれ方が専らとなっていますが、勿体ない。ローストビーフは食事の主菜として健康と美容にも素晴らしく良い料理です。その肝は『粗食の心』――
 フランス料理やイタリア料理も、その肝は英国的粗食です。それが発展して華やかなフランスやイタリアの料理になるのです。日本などの野蛮国に多い美食家(グルメな人)は逆立ちしてもそれらには達せません。

●揃えるもの

<ローストビーフ>
a0313715_17230460.jpgローストビーフ用牛ブロック肉  1本
胡椒  適量  推奨は:S&Bあらびきコショー :ブラックペッパー
塩  微量
ウースターソース  気持ちたっぷり目  推奨は:カゴメソース中濃
赤ワイン  適量  推奨は:スペイン産 王様の涙
りんご酢  少量  推奨は:マルカンサラダ酢
すりおろし生姜  適量
すりおろし葫  1粒分
玉葱  適量
☆アルミホイル
おくら  3本程
大根サラダ  適量
豆腐  冷奴2つ分
鰹削り節  適量  推奨は:ヤマキ本かつお
醤油  少量  推奨は:マルキンしょうゆ うすくち

<トマトリゾット>
a0313715_17250022.jpgホールトマト  適量
玉葱  適量
水菜、または京菜  適量
鶏笹身肉  適量
米  1.5合
胡椒  適量  推奨は:S&Bあらびきコショー :ブラックペッパー  

<その他>
スープ  一皿分  推奨は:SSK 冷たいじゃがいものスープ

●作り方

・炊飯器の窯に米、ホールトマト、鶏笹身肉、玉葱、水菜と胡椒を入れておかゆ炊きにする。

・ローストビーフと同じ皿に添える野菜等と冷奴の豆腐を用意しておく。何でも良いが、お奨めは丸毎のおくらと大根サラダ。大根サラダは私は朝食向けの袋入りの残りを空けるために使いました。なるべく原価を低くするために、野菜はその日のために買い揃えずにいつもの残りを使うことが奨められます。おくらは軽く茹でる。

・ローストビーフに載せる玉葱を切る。形は普通に細い弧。

・ローストビーフのソースを作る。
 ウースターソース、赤ワイン、りんご酢、すりおろし生姜、すりおろし葫と胡椒を小鉢に入れてよく混ぜる。または好みにより、軽く混ぜるだけでも良い。

・フライパンにアルミホイルを敷き、塩と胡椒を塗してあるローストビーフ用の牛ブロック肉をそこに載せ、微量の水をホイルの面に敷き、ホイルを閉じて火を通して蒸す。表面の一部に少し赤色が残る程が好い蒸し加減であり、肉の芯が気持ち硬く残り、その硬さと表層の柔らかさの妙が良い歯応えになる。

・肉が蒸せたら少し冷まして適当な厚さに切り分ける。店で出るローストビーフは一様に薄切りなのでそれが当たり前と思う人も多いが、機械を使わないときれいに薄く切ることは難しいので手切りならば厚切りが無難でお奨め。その厚さは概ね刺身の鮪並みかその二倍程まで。

・小さ目の皿にローストビーフを盛り、そこに玉葱とソースを載せる。ソースはたっぷり目に。
そして野菜等と鰹節及び醤油載せの冷奴を同じ皿に盛る。

・皿にもう一点、スープを付ける。
a0313715_17294056.jpg スープのお奨めは冷たいじゃが芋のスープ――温める手間が掛からず、然も熱いトマトリゾットと常温のローストビーフと野菜等、冷たい冷奴との調和が良い。

 出来上がり

a0313715_17305811.jpg 3つの皿の熱さと冷たさの競演が素晴らしい。『暑さ寒さも彼岸まで』のこの季節らしい御膳立です。
 洋食というと何でも熱くしがちですが、刺身のように熱くないものを織り交ぜることにより御膳の全体の深みが増します。
 また、トマトリゾットのだしなし調味料なしの淡白な味――厳密には玉葱と鶏肉のだしが出ている――がローストビーフとそのソースの濃密な味を引き立て、または、冷奴の薄い味とも好く馴染みます。

 ソースの赤ワインは渋めのものがお奨め――甘いと生姜と馴染みにくい。――、取り分けスペインの王様の涙は普段に呑むにも素晴らしくコスパの良い逸品です。

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by keitan020211 | 2017-03-18 17:31 | 生活 | Comments(0)
東急2020系 2018年春に導入
 東京の西南部と横浜・田園都市を結ぶ首都圏の私鉄東京急行電鉄に、来年2018年の春を予定して新しい車輌2020系が導入されると発表された。

 2020系は田園都市線向けとなるもの、従来は2002年に導入された、東横線との共通車5000系が主力となっており、16年振りの新型車となる。

a0313715_13352372.jpg その2020系の注目すべき点は車体の色に新しく白が取り入れられること。
 古くは渋茶を想わせるような緑色、そして永らくステンレス鋼の銀色が東急電車のイメージを成していた。銀色には赤色の帯が入るものがあり、現下最新型の5000系はその赤色帯に加え東横線は桃色・田園都市線は緑色の路線イメージカラーが併用されている。
 田園都市線向けの2020系には同じく緑色の帯が窓の上に通るが、永らく用いられている赤色の帯はなくなり、新しさを感じさせると共に昔の緑一色の東急電車のイメージにより強く回帰するものとなる。
 更にその緑色の帯の上、屋根に渡る部分は純白に近い白色で覆われ、従来のステンレス鋼製の東急の車輌にはない温かみと爽やかさが感じられる。

 極めて私好みな色取り――私のツイッターの画面もそのような趣――であり、
a0313715_13343113.jpg内外装のデザインも中々の出来であり、殊にフローリング調の床などを具える内装は理想的である。

 但しやや残念なのは側面の窓の形がJRや小田急、相鉄などの近年の――というか、21世紀に入ってずっと――車輌等との共通の、角の丸ぽい非対称左右二枚型を踏襲することである。その形の窓は5000系も同じであり、新しさがない。
 その全体のデザインに車体色なら、仕様は非対称左右二枚型でもその形は角の丸い部分の径の短い、縁取りがなくてもう少し角張りのある形が望ましい。

 また、もう一つの極めて残念な点は型番の「2020系」が東京でのオリンピックが予定される2020年に因むことである。
 鉄道は公共性の高い事業であり、一部の人々の趣味に過ぎないオリンピックのモチーフは公共性とは相容れ難い。また、東京におけるオリンピックそのものが開催の望まれるものではない。
 極めて悪質なマナー広告などをも含め、東急は自分達の夜郎自大な傲慢さ、公共意識のなさを反省して改めてほしい。

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by keitan020211 | 2017-03-18 13:41 | 生活 | Comments(0)
【Freesia料理】本場金沢にもない金沢キャベツカレー
 或るネットニュースに金沢のキャベツカレーというのが話題になっているのを見た。
a0313715_20515701.jpg それを巡り、それをカレーライスではないという人々がいるという。
 どう見ても、それはカレーライスであり、食べたことがなくても写真を見るだけでその味わいが分かる。

 そこで私もそれに倣い、キャベツカレーを作ってみた。
 但しカレーの味付けは私の独自のものであり、本場金沢のものと比べてどうであるかは分からない。

●揃えるもの
a0313715_20392612.jpgカレー  2切  推奨は:S&Bゴールデンカレー 辛口
胡椒  多目  推奨は:S&Bあらびきコショー ※:ブラックペッパー
ナツメグ  適量  推奨は:S&Bナツメグ
オリーブ油  適量
りんご酢  適量  推奨は:マルカン サラダ酢
ウースターソース  適量  推奨は:カゴメソース中濃
モッツァレラチーズ  適量
玉葱  適量
キャベツ  適量
豚ばらブロック肉  適量
米  1.5合  推奨は:あきたこまち

●作り方
・たっぷりのキャベツを千切りにする。
・豚ばらブロック肉を角煮の大きさに切り、擂粉木などでよく揉む。
・六分の一程の玉葱の半分を磨り下ろし、半分を葉形に切り、それらをオリーブ油でよく炒める。
・炒まって来た玉葱に胡椒をたっぷりと振り、全体にゆきわたらせる。
・そこにりんご酢とウースターソースを入れ、適量の水を加えてカレーのルーを入れてよく混ぜる。
・そこに豚ばらブロック肉を入れ、10分程煮込める。
・豚肉が煮込めたら胡椒を更に足し、8~10㎠程のモッツァレラチーズを入れて混ぜながら溶け出すチーズをゆきわたらせる。
・カレーが煮込めたら米とキャベツと共に皿に盛る。

 出来上がり

 多分本場のキャベツカレーよりおいしいです。
 横須賀海軍カレーと対抗して金沢文庫カレーとでも呼ぶことにします。

 胡椒とウースターソースを効かせて全体に黒ぽい感じにするのがミソ、そこにりんご酢とチーズの甘さが溶け合い、ほっぺたが何枚も落ちます。

 因みに本場の金沢キャベツカレーはりんご酢ではなく黒蜜を、ナツメグではなくガラムマサラとクミンを、チーズではなくトマトを、豚ばらの角煮ではなく豚かつを使い、更に生姜と葫が入るといいます。
 一概に深く甘辛いといえども、私のは爽やか目で本場のはより濃厚なのでしょう。

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by keitan020211 | 2017-02-25 20:53 | 生活 | Comments(0)
【自動車 特別編】日本の名車列伝 その1:トヨタ自動車 後編
◯コロナ CORONA
1964年 T4; T5型
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 今なら、ピックアップトラックではないかというような重心の高い構えとフォルムである。
 そのことは、乗用車の運転もトラックの運転と然して違わないという本質が物語られるようで意味深い。

2007年 T26型(プレミオ PREMIO)
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 1990年代のトヨタが試みた、『高級車からのダウンサイジング』はコンパクトカーの人気の点では当たっていたがコロナ級の中堅セダンには向かわなかった点では外れたといえる。
 当時はメルセデスベンツのAクラスがはやったことを、その人気の要因を大きさではなく価格と見做してしまったのであろう。ベンツAクラスを買う人々はその小ささに魅かれていたのであり、国産のコンパクトカーより値が高いことに魅かれていたのではない。
 その苦境を打開すべく2001年に出たのがコロナの後継車プレミオである。その名の通りに高級感を高めて『高級車からのダウンサイジング』ではなく逆に『もっと上をゆく選択』を感じさせた。それは寧ろトヨペット コロナの原点に帰るものであった。それが功を奏してデフレ傾向の下にあっても堅調好調な販売が続いた。

◯プリウス PRIUS
2003年 NHW20型
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 こう見ると、2003年型の魅力は失われてはいないと気づく。
 ――何かといえば、2008年型のプリウスが2003年型を陳腐化させるような形でのモデルチェンジであったことである。'08年型は'03年型の全体のデザインを踏襲しながら、端々の盛り具合をかえて出た。故に人によっては'08年型はより高級感を増して程良くスポーティーで格好良くなったと思えるであろう。
 しかし私は'08年型を運転してみると、他のセダンと違わない、良く言えばコンベンショナルな感じのものにかわっているのに物足りなさを感じた。私が運転免許を取って初めて運転した'03年型のプリウスとは中身が全くかわってしまっている。何よりも先進的感じが薄れている。
 NHW20型プリウスが出た'00年代の前半は凄い時代であったと改めて感じる。
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 プリウスに次ぐトヨタのハイブリッド車であり今の日本一売れている車となっているアクアもまた、デザインが完璧で走りも多分素晴らしいが、乗ったことがないのでこの名車列伝に準ずる評価とする。

◯ヴィッツ VITZ
1999年 SCP; NCP1型
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 「時代がかわった」、それが感じられたのはヴィッツからである。
 それまでの軽自動車を含むハッチバックのコンパクトカーは三扉が主であったが、ヴィッツからは五扉が殆どを占めるようになった。’90年代の『高級車からのダウンサイジング』の故もあるが、それを単なるダウンサイジングではなく一つの理想のスタイルを確立させた意義は大きい。
 私がそのヴィッツを初めて名古屋のトヨタレンタカーで借りて運転した時は愉しくて堪らなく感じて然も疲れない。

2005年 KSP; SCP; NCP9型
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 丸々としている1999年の初代型と比べ精悍な趣となるが、初代型に感じられる全体のかわいらしさは確りと受け継がれている。三代目はそれがなくなってヴィッツではない車になってしまった。

◯パッソ PASSO
2004年 XC10型
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 ヴィッツなどの'00年代を彩ったコンパクトカー等の特徴はリアのフォルムの安定感が半端ないことである。どっしりと構え、全体の小ささの故に尚更に力強く見える。また、使い易さを重視して傾斜角が抑えられていることが無理のない美しさを感じさせる。
 パッソは殊に高速走行における切れがよく安定感も良い。

◯マスターエース サーフ MASTERACE SURF
1982年
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 キャブオーバー型のワゴン車を初めて格好良いと感じたのがマスターエースサーフ。
 日本ではライトエースやタウンエースのプレミアム版として出たが、元はアメリカのトヨタバンの日本仕様として出た逆上陸車である。
 後のミニバン、ガイアやアイシスにも連なる存在感と洗練が素晴らしい。

◯ガイア GAIA
1998年
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 ミニバンであるが後扉がスライドドアではなくよりセダンベースのワゴンに近い。
 同じような形で当時に人気であったホンダ オデッセイの対抗車として出たというが、販売台数はオデッセイには遠く及ばない。
 私は寧ろ、オデッセイと比べることより、マスターエースサーフなどのトヨタのキャブオーバーワゴンの存在感を受け継いでいることに価値を感ずる。しかも前世紀末の時代の洗練が余すところなく感じられる趣である。

◯アイシス ISIS
2004年
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 それもニュースステーションと報道ステーションの関係についてと同じくか、トヨタはアイシスをガイアの後継車と位置づけてはいないという。しかし端的に見ればそうであることは明らか。
 尤も、今は『既存のものの後継』ということが望まれない思潮があり、今時の人々は「だったら初めから名前をかえるな。」と思ってしまうらしい。「無関係」の主張はそのような要望に応えるべくしてのイメージ戦略ということもできる。
 そんな時代の中、2004年に出たアイシスは尚もモデルチェンジがなく、今も13年に亘り生産及び販売されている。先ずはその事実だけでも名車と呼ぶに相応しい支持の厚さである。
 私としては初めてのマイナーチェンジの前のカジュアルな趣の内装のものが好みである。マイナーチェンジによりラグジュアリーな趣にかわり、それもまた良いには違いないが、前世紀の『何でも柔らかい車』に逆行したかのように感じて物足りない。

◯ポルテ PORTE
2012年 NP14型
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 2004年に出た初代型も驚くばかりの斬新さで運転のし易さも素晴らしいものであったが二代目のNP14型はそこにデザインの洗練も加わり、今の時代のライフスタイルと自動車の在り方の一つの理想を体現している。
 その形で高速走行の安定も良い。
 同じような大きさのシェンタも良いが機能性の高さなどの気合いの入り具合の半端なさではポルテに若干の引けを取る。

◯ライトエース・タウンエース LITEACE; TOWNACE
1996年 R40; R50型
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 商用バンといえばいかにも平凡な運転感覚、そんなイメージはそこには既にない。
 ボンネット形となった故もあろうか、ライトエース・タウンエースバンの運転感覚は至ってスポーティーで疲れ知らずである。トラックも実に能く馴染む。
 取り分け旋回時、特に右折の時の旋回の姿勢が従来のキャブオーバーバンにはない安定感と美しさであり、正に逸品。

2008年 S402M; 402U型
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 先のR40;50の程ではないが、運転のし易さは尚も抜群である。素人目には寧ろS402M;402Uが乗用車に近くてより馴染み易い運転感覚となろう。

◯ハイエース・レジアスエース HIACE; REGIUSACE
2004年 H200型
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 元々ハイエースはトヨタのキャブオーバーバン・ワゴンの永年来の旗艦車であるが、2004年に出たH200型はその存在感が更に揺るぎない、世界のハイエースと感じられるものとなった。
 車体や内装など、至る所の剛性が高く、全てに不安感の全く感じられない完璧な車である。
 しかし殊に愛知県においてはそのハイエースバンのトヨタのエンブレムをレクサスのそれに付け替えるお馬鹿が多くおり、痛々しい。品質の圧倒的高さをいいたいのではあろうが、そのハイエースの品質を実現しているのはトヨタでありレクサスではなく、トヨタのブランド価値に対して失礼なことである。

◯レクサスLS・トヨタ セルシオ LEXUS LS; TOYOTA CELSIOR
1989年 F10型
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 止まっている時も高級感を漂わせるが、走る時は更に躍動感が加わる。
 高級セダンがかくもスタイリッシュになれるものかと、その今までにないデザインに驚いたものである。

2006年 F40型
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 2000年の前代型は『和装の外人』を想わせ、アメリカ人受けを狙うジャパニズムやオリエンタリズムの匂いがして良くなかったが、2005年のレクサスの日本上陸に合わせて出た2006年のF40型はそのような媚びのない、純粋に『良い車 良い形』が追求されていて素晴らしい。
 クラウン マジェスタとの比較となるが、加速の滑らかさと鋭さではマジェスタが勝る。LSが勝るのは停まる時の安定感であり、加速に関してはやや機械的で感動が薄い。

◯レクサスGS LEXUS GS
2005年 S19型
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 正直にいうと、運転のし易さの点では私には余り合わない。ゆったりとし過ぎていて却って安心できない。
 しかし、GSは元々は日本においてはトヨタ アリストと称して出ていた車であり、そのアリストのキャラは『運転し易い』というような趣ではなく、人が車に合わせてゆく、その車を知ってゆくことに価値のあるものである。そのように見れば、「三代目アリスト」でもあるS19型は初代GS・アリストからの在り方に忠実である。
 アメリカの出身のレクサスのGSであるが、S19型は外装のデザインがヨーロピアンスタイルで洗練されている。

◯レクサスIS・トヨタ アルテッツァ LEXUS IS; TOYOTA ALTEZZA
1999年 GXE; JCE10L型
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 日本向けのアルテッツァはセリカ系の4気筒の原動機であるが、アメリカ向けのISは全車が直列6気筒であり、またアルテッツァの程の積極的スポーツ色はない。
 同時代のヴィッツが今までにないコンパクトカーであったのと同じく、アルテッツァは今までにないセダンと鮮烈に感じさせた、「こんな車が本当に出来るようになったのか!」。
 '90年代までの車が『より大きく』を志向して豪華で優美なデザインを究めてゆこうとするものであったのと比べ、21世紀を控える当時の車は『存在感の確かさ』と『かわいらしさ』が志向されるようになったといえ、IS・アルテッツァもまたその流れの一つである。

2005年 GSE2型
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 世界のあらゆる車で最高
 そのGSE2型のISを上回る車はあらゆる面においてもはや出ては来ない。
 写真で見ると大き目の高級車のように見えるが、現物はもっと小さくてコンパクトな高級車である。
 運転のし易さではレクサス車で一番、トヨタ車と世界でも屈指である。
 全く新世紀の車でありながら前世紀の様々な車の面影が巧く残っているのも心憎い。
 コンバーチブルのIS-Cもセダンと共に世界一。

◯レクサスSC LEXUS SC
2001年 UZZ40型
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 世界一のオープントップ車IS-Cに次ぐ世界二のオープントップ車がSCである。三位はメルセデス ベンツ。
 ISに勝るのは操舵感、ステアリングフィールのエロさである。それは如何にせよISにはなく、いわばdesexualizingといえるものであるかもしれないが――私はdesexualisingには賛同しない。なのでISをそのように「嫌らしくない美しさ」と見ることには理解できない。単にSCと比べて丸くないだけである。――、SCは微に至るまでがsexyである――勿論、電動ルーフの開き方や閉まり方まで。

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by keitan020211 | 2017-02-25 16:00 | 生活 | Comments(0)
【自動車 特別編】日本の名車列伝 その1:トヨタ自動車 前編
 先日にジュリアナ東京についての調べものをしていると、自動車評論家の徳大寺有恒翁が常連であったと記されていた――…想像――。
 その序に、今日は日本の名車列伝、即ち私の好きな車の数々をここに紹介する。

●トヨタ自動車 TOYOTA MOTOR

◯クラウン CROWN
1987年 S13型
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 クラウンが初めて出たのは1955年、トヨペットクラウンと呼ばれており、1987年のS13型は8代目となる。トヨペットクラウンを名車と認めないとは潜りと思われるかもしれないが、生まれた時から低成長時代の私にとってはその頃の車のデザインは理解不可能となる程に私の感覚とは掛け離れてしまっている。時代の熱気の話には率直に薫陶を受けるけれど、車にはやはり魅力が感じられない。
 逆にいえば、’80年代までは旧いものは旧いと明らかに感じられる程に技術や感性の進歩が確かにあったということであり、十年も二十年も前の物が未だに古びないように感じられる今はその点では良くない時代であるともいえる。1987年は丁度30年前。

1991年 S14型
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 クラウンを含むあらゆる車が一つの完成の域に達した、即ち煮詰まって来た、悪くいえばネタが切れつつあるまでになったのが'90年代――
 S14型クラウンもまたグランツーリスモの理想を体現するような、鋭くも柔らかな形である。
 20世紀の最後の十年の車は自動車の一つの時代の終りを告げていたかのようでもある。21世紀に入ると、CVTや多段自動変速機の普及による走りの変化、新しい排出ガス基準やGPSカーナビゲーションシステムの普及などの、それとは異なる進化と自動車を取り巻く環境が作られてゆく。

2003年 S18型
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 ゼロベースでの新しいクラウンということで『ゼロ クラウン』と呼ばれる。
 フロントとリアの厚みが増し、確かに従来のクラウンとは明らかに違う。
 しかしラジエーターグリルの大きな構えやなんとなくの面影はそれが確かにクラウンであると一目で悟らせ、允に巧妙に出来ている。
 内装の質感がその時代の車からは著しく高まり、前世紀の車が一気に古びて見えるようになった。
 徳大寺有恒翁も愛用。

2012年 S21型
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 2008年のS20型はその前のS18型と比べややマッチョなデザインとなったが、そのS20型と比べやや絞られて優美な趣となった。
 自動車のデザインがおしなべて振るわない'10年代にあって気を吐いていた数少ない車である。

◯クラウン マジェスタ CROWN MAJESTA
1991年 S140型
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 先のクラウンのS14型の更に上をゆく最高級車として同じ年に初めて出た。
 そのマジェスタの存在感は街の趣をもかえた。

2004年 S180型
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 私が今までに運転した車では外車を含め、最も乗り心地の良い車である。
 しばしば比べられるレクサスLS/トヨタ セルシオも良いが、マジェスタにはLS/セルシオにはない繊細なタッチと生命感がある。
 4代目となるが、2~3代目は高級な趣を追い過ぎてけば絢爛な感じがする。そこへ来てやっと初代からの正常進化の感じられる傑作となった。

◯マークⅡ MARKⅡ
1976年 X30-40型
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 四扉のセダンというものが日本の自動車史上初めて優雅さを具えるようになった記念碑的車であると思われる。自動車先進国アメリカの車の真似ではない日本の車の独特の佇まい、且つ、世界の何処にでも似合う普遍性――
 それまでは車といえば二扉のクーペが広く理想とされていたが、今は極小市場である。
 尚、マークⅡにもその型までは二扉車があった。

1984年 X70型
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 1980年のX60型の軽快なスポーツセダンのスタイルを踏襲しながらよりラグジュアリーの趣が増した。
 '80年代を代表する車の一つであり一般人気も高い。

1992年 X90型
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 従来型と比べ車体が大きくなっているが運転のし易さ、取り回しの好さは寧ろ高まっている。
 思いの侭の走りと想定外の状態における運の良さ―?―は正にサルーンの皮を被るスポーツカーそのものである。
 やはり’90年代は自動車の技術と趣向が辿り着く処まで辿り着いた時代であったと改めて感じられる。

◯マークX MARK X
2004年 GRX120型
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 マークⅡの後継車ではあるが、マークⅡとは全くの別物でもある車として新しく出たマークXはいわばニュースステーションと同じ2004年に始まった報道ステーションの関係のようでもある。
 乗った感じはマークⅡとは明らかに違い、前も後も低く沈み込むような体勢を取る。足回りと共に座席の硬さも増し、柔らかい走りと柔らかい座り心地の求められていた前世紀とは異なる、車の新しい常識を打ち立てた記念碑的名車である。

◯ソアラ SOARER
1983年 Z10型
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 Z10型は初代として1981年に出たが、その時はまだ、新しい時代への試作品という感じがあった。1983年のマイナーチェンジによりそれが一気にリファインされて完成を見る。
 名車の条件が度肝を抜くことであるとすれば、そのソアラZ10の程に名車として相応しい車はない。
 乗り心地は「走るダウンジャケット」という感じであり、車に乗ることにはしばしばありがちな寒々しい感じが少しもない。その乗り味は2代目となる1986年のZ20型にも受け継がれたが、デザインには初代を上回る掴みに欠ける故にこの列伝には登らない。

◯セリカ CELICA
1970年 A20-30型
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 私は二扉車が徐に廃れゆく時代に育った故に魅力を感ずる車の殆どは四扉車や五扉車であるが、セリカはソアラやその競合車の日産レパードと共に名車と見做す数少ない二扉車である。
 「日野コンテッサは?」、「いすゞ117は?」や「ホンダ プレリュードは?」――…いいと思います。しかし名車と称したいまでではない。
 セリカは後のトヨタの車の数々の基本型ともなり、そのスタイルだけではなく実用的走りにおいても大変に意義深い車である。その発展形としての最高級車はレクサスIS、取り分けコンバーチブルのIS-Cである。

1985年 T160型
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 スタイリッシュ且つ安心、そんな時代の要請に充分に応えるような、同時代の鉄道車輌にも相通じるような理想的デザインと居住性を具える。
 1981年に出たセリカXXはスタイリッシュで魅惑的ではあったが、何分氷室京介のような怖さがある。私としては凄過ぎて名車には列せられない。

1993年 T200型
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 二扉車に不振が多くなって来ていた'90年代、売れないことを覚悟で開き直る積りもあったのかもしれない。
 しかしそれが結構当たり、T200型は街でよく見掛ける、いわば当時の「勝ち組スポーツカー」となった。
 その頃のソアラなどは「些か痛い」という感じで語られていた。
 高級車からのダウンサイジングにも耐えるように、走行や安全の性能の向上も著しい。

1999年 T230型
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 しかし、五扉のコンパクトカーやミニバンの台頭などによる二扉車の更なる不人気の波には勝てず、1999年~2006年に生産及び販売されていたT230が最後のセリカとなった。
 でもどこか、名残惜しさというものがない。私が元々二扉車好きではないからでもあろうが、セリカは充分に歴史を創り、その存在意義を全うした、廃止されて寧ろ清々しいと思うのである。

◯MR2
1984年 AW11型
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 何の説明も要らない、見ての通り。
 2代目となる1989年のSW20型にはMR2らしさは感じられない。
 前代の成功に気を好くしてか、元はカローラ系であった車格がセリカ系に編入格上げされた。それがそもそもの間違いである。
 Wikipediaの解説を読むと案の定、悉く邪道な変更が加えられて不振と不評を極めたという。

◯MR-S
1999年 ZZW30型
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 名が替わり、元のMR2に戻った。
 ポルシェのパクリのようなデザインは御愛嬌である。

◯コロナ エクシヴ CORONA EXIV
1989年 T18型
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 コロナ エクシヴはセリカをベースとして作られたスポーツセダンである。
 平成元年に出たT18型は正に新しい治世の始まりを感じさせる、小さくてもきらりと優雅な車であり、'EXIV'の名もそのような意味合いの'the extra impressive'であるとの説がある。
 数年後に出るトヨタの高級車等の最新型を先取りするかのように、リアはそのクラウンに、フロントとサイドはそのマークⅡとよく似ている。

1993年 T20型
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 ラグジュアリー感の強い初代と比べよりスポーツ感の増した二代目T20型――
 私の最も愛用していた車でもある――グレード:事実上最上級の200G 最上級の200GTが乗り心地に難があって失敗となったらしく、乗り心地と走りを兼ね備える200Gが最善の選択となる。――。
 祖のセリカと同じく、同時代のダウンサイジングの需要にも充分に応えるべく足回りには4気筒車では当代最強のスーパーストラットサスペンションが用いられ、室内はその後のレクサス車並の、10スピーカーのプレミアムサウンドシステムが装備された。しかしより上級のマークⅡの売れ行きが依然空前の好調となり、その陰に隠れて販売は伸びなかったという。
 FFでありながら、FFらしさとFRぽさの何れをも出せ、思いの侭の走りが愉しめる。

◯カローラ COROLLA
1974年 E3型; E5型
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 歴史的意義としてのカローラの魅力は1966年に初めて出たE1型から充分にあるが、私の好みから見ると三代目のE3; E5型からが名車カローラである。
 ラジエーターグリルと丸型ヘッドランプは数年後の最新型マークⅡによく似ている。馬体のようによく絞られて隙のないフォルムとディティールは今時の感覚から見ても感じ入りまた敬服すべきものである。

2000年 E12型; E13型
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 先の3代目に続く4代目のカローラからは時代に合わせる余りにカローラの独自の魅力が薄れている。同時代の他のトヨタ車を小さくしただけのような感じがする。より大きな車の開発に追われてベーシックカーたるカローラの構想が疎かにされていたのかもしれない。
 久々に掴むカローラを見るのが2000年、前世紀の最後の年に出た9代目のE12; E13型である。
 所々にクラウンを想わせるような風合いもあるが、一目でカローラと分かる存在感が帰って来た。
 ワゴンのカローラフィールダーも素晴らしい。
 次の2006年に出た10代目E14型は車体がやや大きくなったような感じがし、重心がやや半端な感じがしまた走りの感触がカローラには新しく導入されたCVTの故かざらついているような感じがして見た目は美しいが余り良くない。

2001年 E120H型
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 '80年代に光っていた三扉ハッチバックのカローラFXの『久々の後継車』として新世紀の初めの年に出た五扉ハッチバック
 但しスポーツスタイルのFXと比べラグジュアリー性を強く出すものとなる。実際に、高級感は満点であり、走りにもスポーティーなFXの良さが損なわれずに無理がない。
 国産のハッチバック車が未踏のプレミアムカーの域に日本の自動車史上初めて達した記念碑的車でもある。

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by keitan020211 | 2017-02-22 19:47 | 生活 | Comments(0)
【英語訳】天声人語 朝日新聞 2017.2.22
Heavenly Voices and Human Words
on The Rising Sun (Asahi Shimbun, Osaka, Japan)
on 22nd February 2017

A lovers' season started off: That is a topic on not the men but the cats. 'a cat in the spring'; 'gay cats'; 'a cat's wife'; 'cats in a heat'――Tryed listing some seasonal words drawn any things spurred by loves, somehow to see an air in which the chiliness moderated▼Even the trick poets have been charmed by some cats in this season. However, how are the passions on the cats chanted on the poems able to be estimated scientifically? I requested to Associate Professor Caquma Yoshie of Teikyo, or the Imperial Metropolitan College of the Science who is acquainted with actions of the dogs and the cats a comment▼For instance, for Basho 'In a careworn with a barley rice: would be in a love: the wife of a cat': 'Saying it a careworn of a love, it shall be so somewhat overblown. On the mating season the appetite into a loss temporarily, the weight lost, which would be acceptable simply.'▼Either had a famous poem that chants a passionate dynamism. On the Basho's 《The complete: trampled a dog: the cat lovers》. On the Shiki's 《The horrible: the cat lovers breaking down a stone walls》――Could those see the exaggerated?: 'No, it is the reasonable zoologically. A switch on the excitement turning to the cat as the instinct orders, which can go away even beyond the line for the human to check by his rationality.'▼Letting me select a famous poem of the lovers just alone, this writer likes to recommend 《The enviable: the time to dare: the cat lovers》, which is a poem of Ochi Etzzin, so his master Basho's praised keenly. Could I have thought if it is a poem to envy the great nerve in a love, either had a view seen it chanted the calmness to avoid any pursuit deep. Anyhow, the cat lovers should have some especial charms which let the poetic sentiment in the men be gushy from old times▼Today the 22nd is the Day of the cats. 《The cats in a love: even if they will see the world their enemy,》, Ohqui Amari's. About the swing between the calmness and the passion in a moment in a love some cats let them teach us.

恋の季節がやってきた。人ではなく猫の話である。「春の猫」;「うかれ猫」;「猫の妻」;「猫さかる」――恋に突き動かされるさまをとらえる季語を並べてみると、不思議と寒さがやわらぐ気がする▼俳人たちもこの季節の猫たちに魅せられてきた。しかし、句に詠まれた猫たちの熱情は科学的にどう評価できるのか?犬や猫の行動に詳しい帝京科学大学の加隈(かくま)良枝准教授に講評をお願いした▼たとえば、芭蕉なら《麦飯にやつるる恋か猫の妻》:「恋やつれと言うのは、ややオーバーでしょうね。発情期は食欲が一時的に減退し、体重が減る。シンプルに受け止めるべきでしょう」▼情熱的な躍動を詠む名句もある。芭蕉は《またうどな犬踏みつけて猫の恋》。子規は〈おそろしや石垣崩す猫の恋〉――誇大だろうか?:「いえ、動物学の理にはかないます。発情のスイッチが入ると猫は本能の命じるまま。人間なら理性で抑える一線も越えて行ってしまう」▼恋の名句を一つだけ選ぶとしたら、筆者は《うらやまし思ひきる時猫の恋》を挙げたい。越智越人(えつじん)の句で、師匠の芭蕉も激賞している。恋の大胆さをうらやむ句かと思いきや、深追いを避ける冷静さを詠んだとみる説もある。いずれにせよ、猫の恋には人の詩情を湧きたたせる何か特別な魅力が古来あるようだ▼きょう22日は猫の日である。《恋猫や世界を敵にまはしても》大木あまり。恋するときの冷静と情熱の間を猫たちは私たちに教えてくれる。

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by keitan020211 | 2017-02-22 15:00 | 生活 | Comments(0)



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