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【コラム 葉がつく】時計の効用
いちばん不要なもの ブログ『楽なログ』 2015年11月30日

a0313715_12331351.png葉がつく 2015年11月30日

 今日の日付を見ると、それが一年の十二分の十一の経過であることに気づく。厳密には端数があるがコンピューターの関数においては一か月を30日と仮定して計算する方法があるので一か月は1年の12等分ともいえる▼12等分は一日の時間もそうである。午前と午後を各々12等分して1時間、話はずれるが、英語の午前と午後の略称は何故"before noon"の"b.n."と"after noon"の"a.n."ではなくフランス語を起源とする"a.m."と"p.m."なのであろうか?尤も、19世紀まではフランス語がまだ国際標準語の地位を占めていたのでその名残りなのかもしれない。然し英語が国際標準語となっている今やそれはやや『遅れ』を感じる▼遅れていると意味がないのが時計である。時計が売れなくなっているとも言われるが、今は電波時計の実用化により遅れが生じない時計が増えているので時計の重要さと商機は寧ろ増している。殊に腕時計は携帯電話の時計を使うので意味がなくなっているといわれる。携帯電話の時計もまた一種の電波時計ではあるが、その数ある機能のほんの一部に過ぎない。時間を生涯の数ある事柄のほんの一部と思える程に人々が達観しているとも思えない▼腕時計は時間を知るためだけにある機械である。『時間を知る』とは端的に時刻を知るだけではなく時間を大切にする機微を託すものでもある。時間を知ることを単なる用便と機能の等価交換に還元する時に、知らぬ間にその機微を忘れ失っているかもしれない。その現れはテレビなどにおける「タイミング」と言う言葉の氾濫であろう▼「何故今、このタイミングで?」と政局などに疑問を呈する際に用いられる。然し真剣にしている事柄には「このタイミング」も「どのタイミング」もない。「タイミング」という観念が如何に時間の大切さを損ねているかが画面に伝わって来る▼もう一つは、「時を超えて」などの「超えて」、時間を何か程度の低い観念として蔑む態度がそこには見て取れる。『◯◯の時代を超えて』や『悲しみを超えて――◯◯の手記』などと題された本があっても、手に取る気にもならない。何でも今そこにいる自分の問題、本や歌を書く程の人々はもう少し考えて欲しい。勿論締切も。
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by keitan020211 | 2015-11-30 20:29 | 他のブログへのトラックバック | Comments(0)
【デモと就職】企業の意向と一般論は別物である
学生が運動をすると就職に響くと言いたがる人たち

 弊ブログのお気に入りブログである『楽なログ』がこの処に「デモに参加すると就職に不利になると思いたがっている人々がいる」ことについて語っているので随分と古めかしい話を出すと思っていたら今日に朝日新聞デジタルなどを見るとそれに関わる記事があった。反安倍安保デモを通していつの間にかそのような話題が出ていたらしい。

 今日30日のその朝日新聞の記事は『デモに参加すると就職に不利?「人生詰む」飛び交う』と題して
 安保法案に反対の声を上げる学生団体が注目され、若者が国会前に足を運んでいる。しかし、ネット上では「デモに行けば就職できない」という声が飛び交う。本当に就職に不利になるのだろうか。

と記し出す。
 参考として1973年の三菱樹脂事件とその判決及び事後の対応について語られる。その事件は学生の思想を理由に企業が採用を拒否したことについての訴訟であり、最高裁判所は「特定の思想信条を持つ者を雇うことを拒んでも当然に違法とすることはできない」との判決をした。処が法学界はそれについて憲法で保障される思想信条の自由を考慮していないとの批判を受け、三菱樹脂はその批判を勘案して原告の学生を雇い入れることとした。

 その事件に関しては二つの重要な意義がある。一つは裁判が被告の事業者の意向を無下に斥けずに雇い主が求職者の思想信条を問うことは違法ではなく認め得ることを示したことであり、今一つは裁判の判決がその侭に実際の採用を規定したのではなく被告の事業者が自らの勝訴となった判決に随わずに敗訴となった原告の意向を受け入れることを選んだことである。詰り、裁判は大いに重要な法的指針を示すものではあるが必ずしもその通りに執行され或いは不動の判例として守り続けられなくてはならないものではないことを日本が所謂『成熟の時代』といわれはじめていた頃に明らかとしたことである。経済成長に邁進している時代には人々が共に目的を実現しようとしていて係争は起こりにくいがそれが緩むと係争や不法、人権の侵害は起こり易くなる。原告、被告と裁判所の『三権分立』による任意の和解は後の日本の法治と人権の保障の礎をなしたといえる。そうではなかったと思うならば今からでもそのように認識してそうするべきである。
 裁判所の権力による見解だけにはよらず、学界の意見を尊重したことも三菱樹脂がその時に取った対応の大きく評価すべき点である。その辺りは今般の安倍安保法案を巡る事柄にも当て嵌まろう。

 一橋大大学院の阪口正二郎教授がその記事に指摘するようにデモに行くなどの政治的表現の自由は憲法が保障する権利の中でも価値が高いものであることは確かであり、企業が求職者の思想によって採用を拒む自由は時代を追って狭くなっている傾向は望ましいことではある。然し政治的表現の自由や思想信条の自由は個人におけるよりもその責任は厳しく問われるとは雖も企業にもまた等しく保障されるものである。企業がそれを失ったら思想信条の自由のない企業に諸個人が支配されることになり、結局は個人の思想信条の自由或いは行動などの自由も損なわれる。

 よって企業が求職者の思想信条を問うて雇い入れを認めないことはなくなる訳ではない。然しそのような企業の意向と一般に個人の思想信条や政治的表現の自由を保障するべきものとする原則は別物であり、後者は前者を斥けるものではなく、前者は後者を斥けるものではない。いわば互いの公理の矛盾を持ちながらも総合的に判断して正に個人の思想信条の自由と雇用の促進は図られるべきである。
 思想信条をいわば過剰に問うことがなくなるには思想の営みそのものが狭い思惟、認識やレッテル張りに支配されないものとなる必要がある。そうであれば三菱樹脂事件が判決の墨守により終結するようなこともなくなる。

 そのように考えるにも、件の「ネット上では「デモに行けば就職できない」という声が飛び交う」との事態は企業の現実の意向がどうであるかに係わらず一般論と原則だけを無用に動揺させ、結局はそのような指摘を現実としてしまうようなものがある。そのようなことがないようにするための警告ではなく噂が事実になるようなことである。デモへ出るような人を雇うべきではないという思想を持ち易い人(々)がそれを機に自らの悪い性向をより固めるような考えを起こして噂は噂に留まらなくなり、いつしかそれが企業の現実の意向となり果せる。挙句の果てにはそうではない人々さえもそうするべきなのかなどと思い始める。何よりも求職者の恐怖感を煽り立てるものである。

 若し「デモに行けば就職できない」ということを語りたいならばそれは実際の企業の実例を挙げて糾弾でもよいので語るべきであろう。求職者は多くの場合はそのようなことがなされているのかどうかは知り得ないのでその多くは企業の側の内部告発となるであろう。そこに多くの企業がデモを排斥している実例が出た場合には「デモに行けば就職できない」を一般論における現状の認識として語ることはできる。
 そのような悪循環にならないためには雇用における様々の差別を戒める大きな啓発も必要となろう。
 因みに成蹊大学の原昌登教授の指摘する思想を理由に内定を取り消された場合は労働基準法違反で取消が無効となるとは内定を既に出してある場合の話であり、内定を出さない、即ち不採用と決定した場合は含まれず、思想を理由に採用をしないことは原則としては認められる。
 また、その朝日の記事は企業は近年は社会問題への感度の高さを評価する傾向にあるとも語る。要はいわば寛容派と不寛容派もまた『勝ち組と負け組』と同じく二極分化しているのであろう。自分にとってなるべく有利な存在とその情報を見つけることができるように社会的情報の開示を勧めることも重要である。
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by keitan020211 | 2015-07-30 21:04 | 他のブログへのトラックバック | Comments(0)
朝まで生テレビ 他局へ売却をしては如何か?
田原総一郎をまだ起用する愚

 ショーン・マクアードル川上氏ならば言うかは分からないが、テレビ朝日の月に一度の深夜の討論番組『朝まで生テレビ』は他局へ売却をするべきとなっているのではないか?

 より良い番組にするためならばフジテレビへ、今の侭で『田原の葬式はうちが出す』ならばTBSへである。低迷しているフジテレビにとっては一発逆転のお台場カジノにもなり得る魅力的放送資源である。
 かつて落合信彦氏がその著書にて低劣な番組と言っていても私はそう思う程に悪い番組であるとは思わずに偶に観ていて四半世紀となるが、昨日26日の『朝まで生テレビ』は確かに酷い、落合氏の言う通りに『なった』、即ち良い番組で『した』。

 とにかく感じたのは司会の田原総一朗氏が老害であることである。

 老害の処か若い頃から害ではないかという方々もあろうが、言わば議長は場を仕切れればよいので多くを田原氏に求めながら観ていたのではない。然し今や、田原氏は議長さえも務まらなくなっている。
 やたらと人の話を止める。然も呆けながらである。
 人の話を止めるのはかつてはパネリスト、即ち論客等であった。人の話を聞かないで自らが喋ろうとするとはしばしば言われていた。然し近年はそのようなことはめっきりと少なくなっており、討論番組らしい感じであり続けている。処が司会がパネリストの話を片っ端から止める。場を確りと仕切っている積りなのであろうが明らかに三洋お洒落なテレコの一時停止ボタンである。因みに三洋電機は電機業界のテレビ東京と呼ばれている。テレビ東京は田原氏の出身の局である。

 仕切りワークでだけではなく言説においても、近年の田原氏は老害の様相を呈している。
 取り敢えずは反安倍政権ということになっているが、安倍政権の極右路線を生み出したのは田原氏(など)による処が大きい。
 田原氏は戦後の左翼の『潜伏』を代表するような者であり、社会党が軍縮路線を強めて行ったことによって元来は軍拡を是としていた左翼の党派的行き場がなくなり、反自民を維持するためには社会党の軍縮路線と足並みを揃えるように防衛政策の争点を避けていた。安倍一派やネット右翼などの極右が21世紀になって台頭して来たのはそのような田原氏などの左翼が陽の目を見る舞台を作るための装置なのであり、安倍政権で最も繁盛しているのは彼等である。安倍政権が色々とぶち上げないと儲けのネタがない訳である。

 そのような論争のための論争の実態が端的に表れたのが昨日の放送である。
 プロデューサーの弁明まで出て、『各党の若手議員』の筈が与党の自民党と公明党の出演の予定者が全て欠席して野党の議員等の出演者等だけによる討論となった。座席は議員等が変則で3列に同じ向きに座るものとなり、それに向かい合って田原氏、杉村太蔵元自民党議員、荻原博子氏、猪瀬直樹氏と荻上チキ氏が質問役として並ぶ。何やら就職の集団面接のような陣取りである。

 結論から言うと、彼等5人の『面接官』による野党への罵詈雑言の一時、言わば圧迫のための圧迫面接であった。
 田原氏などのかつての左翼が『潜伏』をしなくてもよくなった現下の時代を嘔歌するかのように現野党等が如何に役に立たず存在意義のないものであるかを代わる代わる説く。取り分けこの処に非武装中立の立場を強めている共産党への侮蔑は凄まじい。民主党に対しても杉村氏を除く4人はネット右翼並みの愚弄をする。杉村氏は短いとは雖も議員として政治の現場を分かっているからか、共産党に対してもそのようなことはなかった。とは雖も杉村氏の語りは物足りなく、質問にも切れは今一つではあった。合格点を与えられるのはかつての常連でもあるからか、猪瀬氏だけである。

 自公は折り合いがつかなかったのではなく、田原氏がプロデューサーなどの番組のスタッフに命じて自公の議員等を態と出演させなかったのではないかとの疑いもする。相手が辞退するように巧妙に誘導しながら依頼をすることは然程に難しいことではない。「民主党は審議の拒否をしたので与党がここで審議の拒否をしても何も言えんだろう」などと野党を貶める意図と同時に「与党までも審議の拒否をした。とんどもない政権だ」という場の印象を作る。ではその他の野党等を推したいのかというとそうではなく、とにかく政治家とその支持者を貶めたい、自分達メディア言論人だけが真面目に政治とこの国の行方を考えている、そのように言っている訳である。そんなことをやっていたら、100田尚樹氏の言うように潰せなどと言われてもその通りとしか言いようがない。今日27日の朝日新聞――勿論、だけではないが――の社説はその100田氏の発言を題材として猛批判を挙げているが、甘えと思い上がりも甚だしい。そもそも、100田氏の発言を含むその自民党の会合は取り合うまでもない下らない、影響力のないものであり、そんなものに真面に批判や非難をする感覚は信じ難い。自民党の幹部などが彼等を遺憾であると弁明することによって反省している振りをする策略に乗せられているのでもある。然も、彼等はスポンサーが云々と言うことによってメディア世論を主になすのはそれを利用するステークホルダーであって貴方方メディア媒体そのものには政治的責任はないと言ってくれているのにである。『朝まで生テレビ』で言うとプロデューサーは悪くはなくて田原氏などが悪いと言っているのである。視聴者が愚劣ならばメディアの内容も愚劣になることはTBSがいつも証明していることである。

 弊ブログは受け手が全て悪くて送り手には何の責任もないとは思わないが、より悪いのは受け手であるとつくづく思っている。
 その朝日新聞の社説の並びにある投書欄に、またも先の思いやられる投書があった。
 日本の捕鯨について、鯨を食べるのは日本の文化なので価値観の違いだけで批判することは良くないとの旨のものである。然もそれが極右生活何十年の中高年などではなく、中高生であることに空恐ろしさを感ずる。
 文化や価値観などと言っているが、要は贅沢なだけである。そのような場合ならば『ぜいたくは敵だ!』も適切正論である。大衆消費社会に感性は麻痺し、ゴネに過ぎないことを真面な言論であるかのように語る。人間は自然や外交の現実の条件において取れるものを食べ或いは身に着けて過ごす、その当然の道理を分かっていないのである。鯨は明らかに無理筋であり、無謀と言わざるを得ない。
 教師がそのような大衆中毒者で生徒等にそのように教えているのかは分からない。若しそうであるならば日教組の処ではない悪徳である。最も適切なのは分からないのならば何も教えないことである。
 然し何も教えなくても生徒は新聞の投書欄などを読み、それを受け売っては愚劣なメディア言論の再生産をする。朝日新聞の最近の投書には「鯨は日本の文化だ、価値観だ、だから守れ」と言うものが何通か載っている。朝日新聞の当局がそれを重点的に載せているのならば送り手である朝日新聞も愚劣である。

 そんな無謀なことを主張して悦に入っている方々が「現実的な防衛の議論をするべし、共産党の非武装中立は論外だ」とか「民主党はアベノミクスを批判するだけで経済政策の対案を出さない」などとけつかっている。では自分達言論人はそうなるために何をしているのかというと何もしようともしない、荻原、田原、猪瀬と荻上のようにふんぞり返って人を小馬鹿にするだけである。その人もかつての常連、西部邁氏に言わせると『自らの専門においてしか物を考えない最劣等人』である。自分達はちゃんとやっている仕事があるのだから考えてやる謂れはない、政治家が自分で考えるべしと言うのである。政治参加の意識はまるでない、代議士を先生と奉って利益政治を求める人々と全く同じである。それでも、猪瀬氏だけは自分も一緒に考える姿勢がそれなりにはある。意外なようではあるが、CBCテレビの『ゴゴスマ』などにも常任で出ている荻原氏にはそれがないし、『NEWS23』などのJNNの工作員である荻上氏は全くの論外である。誰も荻上氏を選び出した訳でもないのに、本来の意味における主体的使命感や責任感もなく、自分達の議論によって世の中が動くべきであると思っている極めて厚顔不遜な人物である。
 番組が彼等のような最劣等人を出演させているのは恐らく、テレビ朝日はかつてはTBS系列との混合ネットワーク制となっていたのでその時代に築かれた所謂リベラル――実際にはリベラルでも保守でもない、体制の黴(かび)のような人々――の枠組みを今尚も維持せざるを得ない圧力が当事者の間にあるからである。言わばテレビ朝日はTBSとの口裏を合わせることを求められている。故にTBS系の常連である荻原氏や荻上氏が主役級として出ることになる。
 詰り、メディアの圧力とは政権によるものも全くなくはないが、その多くは圧力を掛けられる側であるとされているメディアの業界とそのステークホルダーの内部にある。それを維持していて100田氏の暴言がどうのなどと言う筋合いはない。

 経済ジャーナリストである荻原氏は単に仕事熱心で言論の内容は二の次なだけなのであろう。自分の仕事の領域を外れると何も分からないので受け売りに走る訳である。
 杉村氏はもう少し頑張って欲しい。昨日の番組に出ていた若手に負けないように議員に復帰するのもよい。
 弊ブログが注目することとなったのは日本を元気にする会である。アントニオ猪木氏がいる故でもあるが、民主党の遠くない将来の連立或いは統合の相手となるとよいと思う。日本を元気にする会は党議拘束の全くない党でありその点は党議拘束を基本とする民主党との調整、即ち民主党がそれを場合によっては緩和或いはなしとすることが必要となろう。

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by keitan020211 | 2015-06-27 15:59 | 他のブログへのトラックバック | Comments(0)
憲法9条が日本国の最高法規であることについて
想田和弘の勘違いと余計な一言 - 9条を世界の宝と讃えるジョン・ダワー

 弊ブログの一目置く或る左翼系の有力ブログがその今日5月13日現在の最新記事に或る映画監督が戦争の放棄と戦力を保持しないことを定める憲法9条を「憲法の基本的価値ではなく豪華な附属品に過ぎない」とツイッターにて語っていることについての徹底批判をしている(上のリンクがその記事である。今日までに2本の記事が連続して出ている。)。
 それは憲法9条を相対化してその価値と戦後における具現を貶めるものであり断じて許すことはできないとである。
 全く同感、全然そう思うのであるが、この記事にはそのブログとは少し違う切り口からかの映画監督の『9条附属品説』を批判したい――何やら、『天皇機関説』のような語呂ではあるが、『9条附属品説』は言論の自由さえをも脅かしかねないものである以上はそのブログと弊ブログの批判は天皇機関説への弾圧のようなものではあり得ない。但し天皇機関説そのものは弊ブログも全面的に否定するものである。そのブログも懸念するように、『9条附属品説』は言論の自由への弾圧の一端ともなるものであり、それを否定したら言論の自由に反する訳ではない。

 そのブログにはその映画監督が「憲法として9条よりも重要なのは基本的人権であろう」というようなことを語っていることを紹介している。自民党の憲法の改正草案は基本的人権そのものへの攻撃なのでそれに抗い押し留める力を持ち得るのは戦争の放棄と戦力の不保持の9条などではあり得ず、基本的人権を憲法の価値として見直すことである、云々。
 一見は尤もらしく見えるが当人が自民党の改正案に基づく憲法の改正を現実に阻止して消し去ることを旨としているのかは允に怪しい。偏に自民改正を阻止して消し去るべしとする声が徐にではあるが高まって来ているが多数となっているとは言えない現状を前にしてその声を最大公約数として拾い上げる振りを示し、徐にその声を退かせてゆこうとする或る種の政治戦略と見える。自民党が基本的人権を否定しているとはそれなりに広く浸透している見方であり、弊ブログもそう思う。よって基本的人権の擁護と再強化は確かに必要なことではある。

 処が、「9条よりも重要」と言う処にとんでもない詐術がある。
 そもそも、論理的に比較の対象にならないことを比較の対象にしてその優先度を語る式の言説の多くは詐術である。「そんなことならこの方が余程によい」などのようなものである。仮に然したる害はなくても、精々気休めにしかなり得ない。平和や基本的人権を気休め話の対象にすることはできない筈である。
 そもそも、基本的人権は憲法よりも古い、即ち憲法に先んじて存在するものである。よって憲法は人権とは何かについて及び人権は如何にあるべきかについて定めることはできない。
 そこを先ず、その映画監督の言説はとんでもな認識に立っている。

 憲法は既に存在する人権、即ち天賦の人権を存在すべくある侭に保障し、それが妨げられる際には何等かの手助けをすると宣言するものであるに過ぎない。過ぎないと言っては語弊があるかもしれないが、少なくとも人権そのものを変えることは許されないので憲法の改正は基本的人権を9条に優先してなされなくてはならないとのかの説は基本的人権そのものをなくす暴挙であり、即ち自民党改正と同じなのである。
 因みに、天賦の人権というものについて日本の少なくはない言説においてはその『天賦』を『個人への天賦』と誤解しているので「そんなものはある筈はない」などとの否定論があるがある筈はないのはその方の頭に思い浮かべられているものだけであり、『天賦』とは諸国民の一般意思に間接的に存在する『天賦』である。それが主権在民の基となるものであり、「個人が生まれながらにして有するもの」ではない。

 然るに憲法がその最高の価値として固有に定めることができる、即ち自主憲法の礎とし得るのは基本的人権ではなく戦争の放棄と戦力の不保持による平和主義の外にはない。人権について概略を示し得るのは憲法ではなく多国間における国際条約であるが、それさえも概略をでしかない。人権そのものについて定めることができるのは諸国民各位及びその合意において定められる一般の法制度だけである。憲法とはそれらを侵すことがないようにすることを宣言し実践させるためのものであり、そのためには9条のような平和主義がせめてもの砦となるのである。『せめてもの砦』ということがとても重要であり、護憲派の程にそれだけが平和と人権を保障するに充分なものであるとは思わないのである。充分ではないがないと始まらないものである。片や反護憲派は現憲法には平和と人権を自動的に確保してくれるような、充分なものがないと見て憲法を改正しようとしている。「もっとシャブを!」のような虚しい試みである。彼等はしばしば「血を流すことのない平和はあり得ない」などと言っているがそれは自らが『自動確保』を本心では求めていることを覆い隠す呪文のようなものに過ぎない。

 日本の外に9条のような憲法の規定のある国は少ないのは多くの国は世界大戦の戦勝国及び非参加国なので国際連合などの宣言する9条的平和主義を守ることが信用されていることが理由である。信用されてはいても何等かの合法性を見つけて戦争をする国もあるが多くはそれを守っている。然し日本は敗戦国であり旧敵国なのでそれと同じようなことを国際宣言においてではなく自国の憲法において定めることが必要であると少なくとも大戦の終結の頃には思われていた訳であるが、果たして戦勝国には必要のないことであるのかは疑わしく、戦勝国も敗戦国と同じように平和憲法を定めることが望ましいと思われる。敗戦国を戦勝国に伍するようにしようとする改憲派の多くはそれが見えていない。一概に対等とは言っても、望まれるベクトルは逆であり、戦勝国を敗戦国と同じ基準にすることである。

 憲法9条があっても戦争は幾らでもし得る。何しろ、憲法の違反には罰則はないからである。然し憲法9条に勝る平和への策もまたない。即ち、憲法9条は最低限且つ最大の価値である。それがなくては人権の保障も覚束ない。「人権そのものを定めるべし」とは以ての外である。
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by keitan020211 | 2015-05-13 21:30 | 他のブログへのトラックバック | Comments(0)
【日本語訳】安倍晋三総理のアメリカ代表院における演説 2015.4.30
安倍首相の米議会での演説(15.4.29)の英文・全文

『希望の結びつきに向かって』

 議長様;副大統領様;元老院と当院の皆々様;御来賓の皆々様、お待ちかねでございます。

a0313715_12550005.jpg 顧みて1957年6月、私の祖父である岸信介が日本の総理大臣として、正にここに立ち、演説を始めました。彼はこう言います。
 「それは日本が自ら世界の自由の諸国と共に協える(かなえる)私共の民主的規律と理想の強い信念の故であります。」
 58年が過ぎております。今日、私はこれまでに初めての日本の総理大臣としてここに立って皆様の合同会議に演説することを誉れとします。私は皆様のお招きに心ばかりの謝意を陳べます。
 私は皆様にお伝えする沢山のことがあります。然し私はここに議事を妨げる力がなく、その意思もありません。(――「日教組~!!」)
 私が皆様の前に今日立つ際に、日本が大使等としてお迎え致しました皆々の衆の名が私に浮かびます。マイク・マンスフィールド様、ヲルター・モンデール様、トム・フォリー様、そしてホヲード・ベーカー様。
 日本国民に代わりまして、私共にそのような輝かしい民主主義の防衛の座を下さって本当に允に有難うございます。
 キャロライン・ケネディ大使もまたアメリカの民主主義の伝統を身を以て現されます。ケネディ大使、我々の皆になさっている全ての力強い御働きに、本当に有難うございます。
 我々はダニエル・イノウエ元老を喪います。彼は日米の誉れと成果を象りました。

☆アメリカと私

 皆々様、私の初めてのアメリカとの出会いは私の学生の頃に遡ります。私のカリフォルニアにおける一時を過ごしました。
 キャサリン・デル・フランシアという方が私をその家に住まわされました。
 彼女は寡であり、そしていつも彼女の亡き夫の言うのを懐かしみ述べられます。「まあ、彼はゲーリー・クーパーより断然いい男だった。」彼女はそう言う。本気で。
 聴衆には、さて、私の妻である、昭恵が、おります。私は彼女が私について何と言うかは敢えて問いません。
 デル・フランシアさんのイタリア料理は単にこの世のものでありました。彼女は嬌かしく(なまめかしく)、そして沢山の沢山の人々を彼女の家で立ち寄らしたりして、親切でもありました。
 それは幅広くもありました。私は驚いて自らに言いました。「アメリカはやばい国だ。」
 後に、私は製鉄メーカーで職を得、そしてニューヨークにて仕事をする機会を与えられました。
 ここ連邦においては地位や序列はここにもそこにもありません。人々は冥利に基づいて前に進みます。皆様が事々を討議する時には誰が下の者であるか上の者であるかに多くの注意を払われません。皆様は只最も良い発想を択ばれ、誰の発想であるかを問われません。
 この風土は私を虜にします。
 本当にね、私が議員に選ばれた後に、私の党の老守衛の一人が言うのです。「よう、あんたは生意気だねえ、安倍君よ。」

☆アメリカの民主主義と日本

 私の姓については、「エイブ」ではありません。
 腹を立てませんが、或るアメリカの方々は私をことある毎に呼ばれます。
 それは皆々様が、日本が、近代化に入ってからというもの、真の民主主義の礎をあのゲティスバーグ演説の行に見ているからであります。
 農夫兼工夫の子が大統領になれる… そのような国が存在する事実は19世紀の末の日本を民主主義に目覚めさせました。
 日本にとっては、我々のアメリカとの出会いもまた民主主義との出会いでありました。またそれは150年を超える昔であり、我々に成熟の歴史を共に与えております。

☆第二次世界大戦の記念

 ここに来たる前に、私は第二次世界大戦の記念をしました。それは平和の場所で聖蹟として私を捉える静かな場所であります。その気品は噴水に創られる水の音に満たされていました。
 一角には自由の壁が立っています。4,000を上回る金星が壁に輝きます。
 私は各々の星が100の落武者等の命を表すと聞いて驚きに喘ぎました。
 私はそれらの金星は自由を衛って犠牲の誇らしい象徴であると信じます。然しそれらの金星には我々もまた痛み、哀しみ、そして或いは仕合せな生活を営んでいたであろう若いアメリカの方々の家族としての愛を見出します。
 真珠湾、バターン・コレヒドール、コラル海… 刻み込まれた戦いは記念館で私の心を行き交いまして私はそれらの若いアメリカの方々の失った夢と失った未来に反省しました。
 歴史は手強いです。したことはしなかったことにはなりません。
 心の深い悔いと共に、私はそこにいつしかの音なしの祈り人となって立ちました。
 我が君なる友よ、日本及び日本国民に代わり、私は深く恭しく我が永遠(とこしなえ)の悼みを第二次世界大戦の間に失われたアメリカ国民の全ての魂に供えます。

☆亡き敵、今や友

 皆々様、今日聴衆におられるのはジェン・ローレンス・スノーデン中尉であります。
 七十年前二月に、彼は硫黄島、即ちイオウジマという島に、一団の大尉として上がられました。近年には、スノーデン大将はしばしば日本と連邦の合同による硫黄島において行われる記念行事に加わられています。
 彼はこう言いました。「我々は硫黄島に行って勝利を祝うことはありません。双方の命を失った方々を誉め称える厳かな趣旨のためですよ。」
 スノーデン大将に並び議員の新藤義孝が座っております。彼は私の内閣の前の一員であります。彼の祖父、栗林忠道はその勇みを我々は今日も憶える、硫黄島の戦における日本の要塞の指揮者でありました。
 我々はこれを歴史の奇蹟と呼ばずに、どう呼ぶべきでしょうか?
 互いに戦っていた敵は烈しくも魂の絆をなす友となっています。
 スノーデン大将へ、私は貴方の和解の努めを称えると言います。本当に允に有難う。

☆アメリカと戦後の日本

 戦後、私共はその路に戦争を俯瞰しての深い自責の念に耐え踏み出すに到りました。私共の行動等はアジアの国々の人々への苦しみをもたらしました。私共はそれに目を背けてはなりません。私は昨今の総理等によるこの認識において表された見方を是とします。
 私共は尚のことアジアの発展への事々の点に貢献するものであります。私共は地域の平和と繁栄のための働きにおける取り組みを惜しまないものであります。
 その全てを私共は自ら思い出し、この道を全く参っております。私はこの我々の取っている路を誇ります。
 70年前、日本は灰燼に帰していました。
 そこに月々連邦の市民の私共の子供向けの牛乳や暖かいセーターのような贈り物が、そして助平等さえも、日本へ来ました。はい、アメリカより、2,036の助平等が日本へ来ました。
 また米国がその自前の市場を開き上げて自由な世界経済を求めて育てていた戦後の経済体制によるほんの初めの最も大きな恩恵を受けたのは日本でありました。
 後々に、1980年代には、私共は大韓民国、台湾、ASEAN諸国の台頭を見ました。そしてやがては中国が同じくであります。
 この時、日本はその成長を支える資本と技術に専ら注ぎ込みもしました。
 片や米国においては、イギリスだけには及ばず、日本は他の如何なる国と比べても多い雇用が出来ました。

☆TPP

 この道において、繁栄は初めに米国によって、そして次に日本によって育ちました。また繁栄は平和の苗床の外の何ものでもありません。
 背景の変わりゆくアジア・太平洋の国々を巻き込み、米国と日本は主導を取るものであります。我々は公正、動的、持続的、そしてまた如何なる国の専権にも自由な市場を築く主導を取るものであります。
 太平洋の市場においては、我々は搾り取り工場(こうば)や環境における負荷を見過ごせません。況や知的財産権におけるただ乗りを許すにおいてをや。
 いいえ、代わりに、我々は世界に渡って分かち合う価値を拡げ及びそれを根づかせられます:法治、民主主義、そして自由を。
 それは丁度TPPの全てについていえるものであります。
 更には、TPPは経済的恩恵だけには留まりません。それはまた我々の安全についてもいえます。長期は、その成層の価値は凄まじい。我々はそれを忘れるべきではありません。
 TPP世界経済の40パーセントを、そして丼勘定での貿易の三分の一を弾き出す圏に及びます。我々は当圏を平和と繁栄を続かせる地域へと変えるものであります。
 それは我々の子供及び我々の子供の子供のためなのであります。米日交渉については、到達点は近いです。我々がTPPをその合弁の指導力を通して成功へと持って行くのです。

☆強い日本への改革等

 事実に鑑みて、私は皆様に今伝えられることがあります。
 それは凡そ20年前です。農業のGATT交渉がありました。
 私は若過ぎて、そして火の玉のようで、そして日本の農業市場を開くことに反対しておりました。私は議会の前に練り歩く農業者の代表に加わりさえしました。
 然しながら、日本の農業はこの20年来に亘り落ち目に入っています。私共の農業者の平均年齢は10年も上がっていて今や66歳を超えています。
 日本の農業は交差点に到っています。それが生き残るためには、今かわることです。
 私共は永きに亘って場を占めている農業政策へ向かう大きな改革等をもたらしております。私共はまた60年の長きにおいてかわっていなかった農業協同組合を一掃する改革等をももたらしております。
 日本における会社統制は今や満々と総合的標準と一致しています。私共はそれを強くなしたからです。
 岩盤規制は医療やエネルギーなどの部門等において壊されております。また私はその先鋒であります。
 私は取るべき何をであれする決意で、私共の人口減の趨勢を変えます。私共は女性を力づける我々の旧い習慣の一端をかえており延いては女性がより活き活きと生活の全ての徒歩に出られます。
 詰り、日本は即ち量子飛躍(:「大躍進」を表す比喩表現)の半ばにいます。
 我が君なる議員の皆様、是非とも来られて新たな日本を見て下さい。そこに私共はその改革の精神と速度感を取り戻しております。
 日本は如何なる改革等にも逃れません。私共は只道にあって前に眼を保って構造改革を以て前へ押します。
 それはTINAです:この道しかない。また何であれそれについての疑いはない。

☆戦後の平和と日本の選択

 我が君なる同志等よ、戦後世界の平和と安全はアメリカの指導力なしには能う可からざるものでありました。
 振り返るに、それは私を往年の日本が正しい決断をなした全ての時幸いにします。
 私が皆様に祖父を引き合いにし、冒頭で語ったように、その決断は路を択ぶものでありました。
 それは日本が自ら連邦との味方となるものとして、そして西側世界の一員として前に進むものとしての路であります。
 終には、連邦延いては他の一心となる民主主義等と共に、我々は冷戦に勝ちました。
 それは日本を成らしめて栄えさせた路であります。また今日さえ、この道しかありません。

☆戦線:その地域への使命

 我が君なる同志よ、我々は連邦によるアジア・太平洋地域の平和と安全を促進するための『再均衡』を支えます。
 また私は明らかに述べます。我々は連邦の取り組みを先ず、果てに、そして貫いて支える。
 日本はオーストラリアとインドとの成層関係を深めています。我々は多くの分野に渡るASEAN諸国と大韓民国との協力を促進しております。
 それらの相方を中心の柱へ加えたらそれは米日戦線となり、我々の地域は著しくより安定します。
 今や、日本は280億ドルに上るグアムの米軍基地の改善を助ける援助を供します。それは尤将来において成層的意味を得ます。
アジアの海域等の状態に目を配れば、ここに三つの原則を強調することができましょう。
 一つは、状態等は国際法に基づくそれらの主張を求める。
 二つは、それらは力や強迫を用いてその主張等を動かさない。
 そして三つは、それらは平和的手段等によってもし、係争等を、如何なる係争等をも、解決する。
 我々は太平洋ないしはインド洋にのびる広い海域を平和と自由の海域となすものであり、そこに全てが法治に従います。
 その道理において我々は米日戦線を強化するものであります。それは我々の責任であります。
 今、皆様に伝えましょう。
 日本においては私共は邁進してその安全の法的礎を促進しております。
 ひっくるめて、日本は大いにより切れ目のない対応を全ての危機の水準において供することができます。これらの促進された法的礎は連邦の軍事と日本の自衛隊との協力を強めさえしそうであり、そしてその結びつきは尚もより固く、当地域の平和における信ずべき抑止力を供するのであります。
 この改革はその種の初めてのものであって私共の戦後史における一掃たるものであります。私共はこれを今夏までに果たします。
 今、私は皆様と分かち合うものがあります。
 一昨日ケリー長官とカーター長官が私共の岸田外務大臣と中谷防衛大臣に御相談として合いました。
 結果としては、我々は今や新たな枠組みにあります。枠組みが米日の力を共に良くします。
 枠組みは日本において進んでいる法的試みと一致します。
 それは平和、当地域のより信頼すべき平和を築くことに必要なものであります。またそれは即ち新たな防衛協力要領であります。
 昨日、オバマ大統領と私はこれらの要領の意味に満を持して同意致しました。
 皆々様、我々は歴史的である文書に同意致しました。

☆日本にとっての新たな旗幟

 1990年代の初めには、ペルシア湾においては日本の自衛隊は海鉱を離れて掃海をしました。
 インド洋にて十年来には、日本の自衛隊は皆様のテロ集団等及び武器等の流れを止める作戦を支えました。
 片やカンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチ、そして南スーダンには、我々の自衛隊員等は人道支援と平和維持作戦(:平和維持活動)を供しました。その数は50,000を数えます。
 この軌跡に基づき、我々は世界の平和と安定のためにより責任を取る決意でおります。
 それは我々が全て必要な法案等をこの来たる夏までに成立させる決意でいるその趣旨となるものであります。また我々はそれを適正に致します。
 我々は人間の安全を国民の安全に加えてあるべく確かにするものであります。それは我々の強く固い、信念であります。
 我々はその最も良い処をするものであり然るにあらゆる個人は教育、医療支援、そして自らを扶け得るようになる機会を得ます。
 武力紛争はいつも女性を最も苦しめています。この時代には、我々は終には女性が人権の虐待を解き放たれる世界の親石を現すものであります。
 我々の奉仕を男性と女性は実質的成就にしました。我々の助けをも律儀にも働いている勤労者は受けます。
 彼等の合切は我々に新たな性分を与えています。
 それは我々が今や高く新たな旗幟を掲げそれが国際協力の原則に基づく平和への能動的貢献であるからです。
 繰り返しましょう。『国際協力の原則に基づく平和への能動的貢献』は日本をその未来への道に導くでしょう。
 我々が面する問題等はテロリズム、感染症、自然災害と気候の変化を含みます。
 時は米日戦線に誂えて(あつらえて)おりそれが新たであるそれらの課題等に直面して力を合わせます。
 竟には我々の結びつきは連邦の全ての歴史の四分の一より多く続いています。
 それは不屈、我々の間の深い、信託と友情に収束する結びつきであります。
 新たな概念は自由世界の最大及び第二の民主的大国である我々を繋ぐ結びつきにおいて共に働くには、不要となりそうであります。
 いつも、それは我々の分かち合う法治の価値を持つ結びつき、人権と自由への目配りであります。

☆未来への希望

 私が若く高校生でありラジオを聴いた時に、飛び出て私の心を打った歌がありました。
 それはキャロル・キングの歌でありました。
 「貴方が打たれて困っている時に、目を閉じて私を思う、すると私はそこにいて貴方の暗い夜さえ輝かせる。」
 またその日、2011年3月11日、大きな揺れ、津波、そして核の事故が日本の東北部に見舞いました。
 暗い夜というものは日本に下りました。
 然しそれは私共が米国の武力が日本へ予て見たことも聞いたこともない規模で駆け込むのを見た時でありました。
 米国の一角全ての沢山の沢山の人々が被災地の子供への助けの手をのべました。
 はい、我々は皆様の内に友を得ました。
 犠牲と共に皆様は涙を流されます。皆様は私共に允のもの、允に貴重なものを与えて下さいました。
 それは希望、未来への希望でありました。
 皆々様、連邦が世界に与えることとなる最も美しい資産は希望でありました。希望でありますよ。そしていつも希望となるものであります。
 連邦の市民の特別な代表の方々、我々は米日戦線を、希望の結びつきと呼びましょう。 我々の二手、アメリカと日本を、共に我々の方に加わらしめてその最良のことをして世界を良く、大いに良く、生きる場とさせる。
 希望の結びつき… 共に、我々は違いをなせます。

 本当に有難うございます。
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by keitan020211 | 2015-05-01 13:08 | 他のブログへのトラックバック | Comments(0)
【京大逮捕監禁容疑】国民は焦るな
警察権力と大学の自治 - 芦部信喜による憲法23条の解釈と通説

 昨日5日のANN報道ステーションにスポーツの青山愛アナウンサーの出身校である京都大学の学生等が学内に立ち入って捜査活動をしていた京都府警察本部公安部の私服警察官を逮捕して退出させたとの報があった。
 因みに、『逮捕』と言うと警察と検察のような捜査機関が専らするものであるかのような認識が多いが、誰がであれ取り押さえて身柄の拘束や命令をすることを『逮捕』と言う。何法であるかは忘れたが、法律は逮捕を国民の権利として認めている。その京大生等による取り押さえはその逮捕権の行使におけるものである。但し捜査機関による逮捕が不当なものであってはならないのと同じく一般国民による逮捕もまた不当なものであってはならず、京都府警はその京大生等による逮捕を不当な逮捕と見做して逮捕監禁容疑としている。

 逮捕された私服警官は京大生が参加した極左の関係のデモが先日に行われたのを受けて京都大学への立入捜査を試みていた。処が或る京大生等がそれを見破り、取り押さえて退去を命じた。

 京都大学と京都府警は学内における捜査活動は事前の双方の同意を以てするべしとの約定を予てより取り交わしており、その立入捜査は同意を得ない極秘のものであり、その約定に反してなされていた。

 逮捕監禁容疑とした京都府警の対応への賛成者は捜査活動が極秘で以てなされるのは当然であり、京大が警察とそのような約定をしていたとは大学は誰でも任意に立ち入ることのできる場な筈であるにもかかわらず、自分達だけの自由を求めるそもそも不当な不法原因給付であろうと見るであろう。片や反対派はそのような約定があるかを問わず、大学における極秘による捜査活動は学問の自由の侵害に中り或いは招く虞があり、容疑は不当であろうと見るであろう。

 然し茶番をネタに何を語っても意義は生じない。先の議員等の政治資金の疑惑についてもそうであり、予め企画された工作はそもそも人間と自然の理と罪に即さずに起こっているのであらゆる考察は無意味となる。『その教訓』などは全くあり得ない。それが茶番と言っては言い過ぎであるならば、それ自体は国民にとっては何の意味もないと言うべきものである。仮にこれからその京大生等の容疑が固まって有罪となってもである。なので国民は焦ってその一件について論じ語らずに、それが起こったそもそもの背景を考えるべきである。それにしても無意味であるかも知れないが。

 その一件は恐らく、報道ステーションもちょっとだけ言及したように、来月12月に施行となる特定秘密保護法の廃止への啓発の可能性を含むシミュレーションであろうと思われる。半ばやらせであるとも見ることはできるが筋書をその参加者に予め教えてある全くの演技によるものではない。即ち『どっきり映像』の一種である。刑事ドラマの多いテレビ朝日は古くより警察との関係が深く、報道ステーションのその映像は警察の側が提供したものである可能性もある。
 詳細は読めないが、そのシミュレーションを通して特定秘密保護法の実際の運用の在り方についての問題点や方法論を洗い出しているのである。その上に若し問題点が多過ぎるとなるのならば京都府警は特定秘密保護法の廃止或いは抜本的改正を呼び掛ける啓発を始めるのである。

 その京大生等がその私服警官を見破ることができたのは彼等の知らないその台本の中に「私服警官のありがちな特徴を能く掴んでおけ」との助言が彼等になされることがあったからである。京大には捜査機関の無断立入を禁ずる規則がある訳なのでそのように助言があるとなるほどと思うであろう。そのような一件が『起こる』ことにより、本来はそのような捜査活動が行われてはならないとのメッセージを送ることができるであろうと目しているのでもあろうが、先述のようにメッセージ効果は全くあり得ない。逮捕監禁容疑としたことにより逆にそのような捜査活動は本来はあるべきものなのであろうかとも同時に感じられ、両者の所感は誰の心理においても打ち消し合うからでもある。そしてことが過ぎればその一件は全く忘れ去られる。シミュレーションとしての警察の内部における意義は辛うじてあるのかも知れないが、テレビ朝日(或いはその他にも)にその情報を流した(即ち漏洩した)ことによりそれも疑わしくなる。

 さて、警察が特定秘密保護法に反対する訳はないではないかと思う方もおられるかもしれないが、警察と謂うのは意外とそのような治安法制を好まないものである。法律よりも自らの腕を大切にしたいと思うことも一つであろうし、何よりも市民(国民)に敵視され或いは疑念を持たれることは警察の威信の確保に不利となるからである。そのような法律の制定は市民の警察への信頼を弱めてしまう虞がある。
 1980年代にその特定秘密保護法案の前身となる秘密保護法案が検討されたが、その時にも警察には反対の声が多くあったそうである。

 警察がいかにせよ、特定秘密保護法は来月12月に予定通りに粛々と施行となる。改正或いは廃止の可能性もまだ見えてはいない。
 そのような極めて微妙な時節に、『安全保障の高度化(を妨げるな)』とか『学問の自由(を守れ)』などの空疎な言辞によって事の本質を見誤らせることのないようにしたい。
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by keitan020211 | 2014-11-06 22:42 | 他のブログへのトラックバック | Comments(0)
【池上事件】『池上彰の大岡山通信 若者たちへ』のトホホ
朝日叩きのファシズム - 池上彰の騒動に軽薄に便乗する左翼・リベラル

 朝日新聞の外注コラムとしてかなり長く続いている『池上彰の新聞ななめ読み』にまつわる事件により一躍時の人を返上するかの岐路にあるテレビ司会者の池上彰氏、その池上氏は日本経済新聞にも外注記事を持っている。その名は『池上彰の大岡山通信 若者たちへ』と称する。

 内容は読んでいないので明らかではないがどうやら学生などの若者向けの随筆的講義なようである。学生の購読層を増やしたいとの日経の思惑による企画か、或いは社会人もそれを読み大志を抱いたり早くも挫折したりした学生の頃を思い出して心のアンチ・エイジングをして欲しいなどとの考えなのかも知れない。

 と言うような内容の前の問題としてその題名に、池上氏とそれを擁立することによってない数字を稼ごうとするメディアの傲慢さが早速や表れていると見える。

 『大岡山』とは東京都大田区北千束にある東急電鉄目黒線と大井町線の駅である。因みに目黒線と大井町線は何れもその前身は目黒蒲田電鉄と言う渋沢財閥系の鉄道会社であり、東急の本流である旧東横電鉄の路線ではない。また、池上氏と名を同じくする池上線は池上電鉄と言う『第三の東急』たる小私鉄であった。
 大岡山は結構な高級地であるが意外と東京においてもその名を知る人は少ない。聞いたことはあるが何処にあるのかは知らないと言う人が大半であろう。そのように問われると大抵は「自由が丘や田園調布の近く」との説明となろう。すると「ああ、そう言えば…」となる。
 その大岡山と池上氏の所縁については分からない。何の所縁もないのに題名とするとは凡そ考えられないので何等かの所縁はあるのであろう。然し凡そ東京の人々にしか分からず、その東京にも知らない人は多い地名や場所の名を世界的にも知名度のある全国紙の記事の名として用いるのは言論や公的活動における責任の認識や自覚に乏しいことの表れである。
 『永田町』や『霞が関』、『兜町』、それに『新宿』、『渋谷』、『品川』、『新橋』、『上野』、『池袋』、『浅草』、『台場』…などとは訳が違う。辛うじて先の田園調布や青山、六本木、赤坂、千住、谷中、柴又の辺りが全国的に或いは世界的に許容され得る程であろう。
 近畿地方の地方大衆紙(全国で唯一か?)である大阪新聞にはかつて『兎我野町(とがのちょう)通信』であったかの名の記事があった。それが通るのは『大阪』新聞であるからである。それも大阪にも知らない人は多い。京都の人ならばスキー場の『栂池(つがいけ)』のことかと思うかも知れない。
 大岡山と凡そ同等の知名度なのは東住吉区の針中野(近鉄南大阪線)であろう。聞いたことはある、でも何処にあるのかは知らない、である。

 要は『大岡山通信』とか『針中野通信』では自分を客観的に見ることのできない、即ち自らの立ち位置を予め凡そにでも明確に示すことをせずに能く分からない曖昧な象徴性の中に身を置こうとすることなのである。言わば『山伏根性』とでも言えようか? 大岡山とはどんな所なのかを宣伝したいとか説明したいと言うことならば構わないがそうではない。東京の地名位は自分で調べろと言わぬばかりである。

 かつて活躍したリベラル言論人に筑紫哲也と言う人がいる。筑紫氏はそのような山伏根性を日本に抜き難く存在している難点であると見做し日本の伝統を参照つつそれを少しづつでも克服しようとする処があったように思うが池上氏の言う/言われる「リベラル」とはその山伏根性への復古主義である。そして自ら調べてでも『東京』の世界に入り込まないと知的に遅れを取りますよと日夜メディア洗脳に明け暮れている。

 確かに東京の地名位は直ぐにでもインターネットで調べられる時代になってはいる。
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by keitan020211 | 2014-09-10 19:21 | 他のブログへのトラックバック | Comments(0)
池上彰氏は煽動家であるだけではなく変質者でもあった……
賞味期限が切れた池上彰の朝日新聞中傷

 ついにやったぼ~い!! (『万歳』してしまっている。)

――テレビ司会者の池上彰氏は慰安婦問題に関する記事の一部を取り消した朝日新聞の報道を批判する連載記事の原稿の掲載を拒否された、その連載の中止を申し入れていたと昨日2日に明らかとなった。池上氏は産経新聞などの取材に「これまで朝日の批判でも何でも自由に書いて宜しいと言われていたが掲載を拒否され、信頼関係が崩れたと感じたと説明している。
 池上氏によると、連載の中止を申し入れたのは朝日において毎月1回掲載されていた『池上彰の新聞ななめ読み』。池上氏は8月29日の掲載分として朝日の性奴隷の報道の検証やそれを受けての他の新聞等の反応を論評する予定であったが掲載の数日前に原稿を送った処、28日に担当者より掲載することができないのと連絡があったと言う。

 池上氏は原稿の具体的な内容については言えないが、自らは朝日新聞の検証を不十分と考えており、その旨の内容も含まれていたと語った。

 どうも、池上氏はそのようなことをされたい人なようである。

 電車にて自ら身体を摺り寄せて「きゃあ~!! 痴漢!」と叫ぶ女――それが池上彰である。する側もNHK、させる側もNHK。流石は『赤い性』や『白い性』について報ずるテレビ局の出である。
 聊か残念なことに、私の共感するK村T郎氏もこの日曜日の出演の番組においてヘイトスピーチも権利だと語った。NHK人はとにかく犯罪的行動が大好きなようである。

 分けても悍ましい(おぞましい)と感じたのは「信頼関係が崩れたと感じた」との語りである。一見は何と言うことのないようであるが他の報道を見ると「信頼関係を崩さないためにも中止としたい」と言っていたそうである。
 崩れただけならばそれにて終わりと謂うことでよいであろうが「崩さないためにも」とは「あばよ」と言って去り際に「でも俺とお前の信頼関係はいつまでもあるぜ」と言っている訳である。
 随分と大安売りな信頼かと思われるが、離れて行きながら自らの存在感だけは相手方に残して行こうとする。言わば見えざる付き纏い(つきまとい)であり、変質者である。「テレビでも言われたくないのならばお前の方から載せさせて下さいと頭を下げろ。俺が番組を何本持っているのか分かっているのか」と。おまけに、件の記事の内容は「誠意を見せて下さいよ」との主旨であったそうである。

 そのような者が言論の自由を否定されたなどと言っている。何様なのかと言うべき感である。

 そのような暴挙に及ぶまでもなく池上氏はこの十年程にテレビにおいて悪質な世論の誘導を続けている。
 分かり易く解説すると標榜しながら実際にしているのは池上氏の話を何も考えずに拝聴するだけの人間を作ることである。そして世の中を変える権利があるのは特権層だけであると言外に繰り返し刷り込む。聞いている貴方方は只その解説に聞いて従うだけでよいのであると。
 他にニュースの解説をする番組がないとそれをまだ見破っていない人は取り敢えず観てしまう。アメリカにおける石油の独占のようなものであり、テレビ局等の制作筋は池上氏を代表とするカルテルを結んでいる訳である。そんなものの何がリベラルであり言論の自由なのか、せめて心ある企業は池上氏の番組の提供を止め、テレビ局に池上氏を下ろせと注文をも付けるべきである。

 報道記者の出ならば原稿を適当に書き直すこと位はできないのであろうか? 悪質であるだけでなく無能でもあるようである。

 『池上彰の新聞ななめ読み』がなくなるのは結果的に良いが、池上圏内にいる人々は自らの加担しているブーム(と言う程でもこの処はないようではあるが。)の由々しさに気付いて真剣に考え直されたい。悪い世相を作り出しているのは貴方方である。

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by keitan020211 | 2014-09-03 21:35 | 他のブログへのトラックバック | Comments(2)
暑さには塩水を (2013年8月8日)
石原慎太郎さん若き日の堂々とした交通違反

058.gif「熱中症の予防には水分を小まめに取りましょう」とは夏毎に聞かれます。

 先月にANNの報道ステーションにおいて熱中症の特集がありましたが、そこに力説されていたのは「暑さ対策には塩分が要」であり「塩水(食塩水)」を飲むと効くとのことでした。また、寝る前に水を飲むと良くないと。

 それから一か月程が過ぎて報道ステーションが二度目の熱中症の特集を組んでいたのを観てその先月の『塩水説』を思い出し、私は試しに塩水を作り飲んでみました。大き目のグラス1杯に食塩を長柄の匙に少な目に1杯程です。塩分の摂り過ぎは脳梗塞などを起こし易いと言われます。

005.gifするとどうでしょう。それは殆どポカリスエットと違わない味ではありませんか。

 食塩は少な目がミソなのでしょう。景気の足を引っ張るかのようですが、格安且つ手軽にプレミアム・ドリンクができる。よってなるべく費用を掛けたい公共事業派の方々には余りお勧めはできないかも知れません。

 その後に眠ったのが小川彩佳さんの忠言の通りではありませんが、真水を飲んで寝るよりも腹に溜まるような違和感がなく、よく眠れました。何とはなく眠っている間に電解作用(体の中がバチバチとなっている)が発生していたような感覚があります。体の弱い人や衰えている人には若しくは危険かも知れないので寝る前を避けてするのがよいかと思います。

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by keitan020211 | 2014-08-02 14:48 | 他のブログへのトラックバック | Comments(0)
舛添知事とウッチャン
外国の政変はヤラセばかりである

 舛添要一知事とウッチャンこと内村光良は齢の頃も芸風も異なるがブレークした時代が同じである。

 先日に就任したばかりの舛添知事が自民党の改正憲法草案を東京都庁における会見において批判した。
 曰く、家族は助け合えとか、そんなことは憲法に書かれるようなことではないと。

 党員ではなくその故に公認の候補ではなかったとは雖も自民党の支援により当選して就任した知事が自民党の批判をするとは浅墓であり、見ていて情けない感じであった。
 言っている内容は全くその通りではあるが寧ろ党員ではないからこそ尤自由な見地より自民党の擁護をし得る筈である。然も自由に物事を考えられる学者でもある。舛添氏の自民党への造反会見は逆に得体の知れない勢力の立場に立つとんでもないポジション・トークである。

 少しばかりは疑問や反対を述べるのは党内にもしばしばあるがそれでも「そのような案が検討される意味については真摯に受け止めなければならない」などと言うべきではないか。

 舛添知事はそのように手垢に塗れた喧嘩文句(所謂啖呵)をなしてテレビや新聞にてその会見を知る人々にしか聞こえない場を利用して実質的にはそこに舛添知事の言ったように思っている人々の耳目と信認を騙し取っていることとなる。そうはならないようにそう言っている訳である。先の都知事選挙に棄権しており自民党の改正憲法草案に賛成している人々にとってはその会見により自説が強化されることとなる。

 そんなことはない、本当にそう思って言っているのだと舛添知事が思うのならば政治を甘く見過ぎている。見る限りには本当にそう思っているのではなくやはり逆効果を期して言っているようにしか見えない。

 只でさえ自民党の内に反目の多い舛添知事に自党の案を否定されては自民党はそれを全く変えようとはしなくなる。艇能く憲法の改正を断念してもまた何の合法性もなく「政府見解」をでっち上げて解釈改憲となすだけになる(弊ブログは重ね重ね語っているが、「政府見解」と謂うものは存在しない。よって集団的自衛権の行使の禁止にも何の合法性もない。逆にその解禁にも合法性はないが――それは従来の禁止は合法であったと前提としているからである。不法な「禁止」を「解禁」するのが合法である筈はない。即ち現下には政府もまた存在していない訳である。)。

 因みに、それを打開し得る発言が野田毅税務調査会長によりあったそうである。
 野田氏はそのような「政府見解」の捏造の歴史を「先輩方の努力により積み重ねられているものである」と語った。余程の論旨の捻じ曲げではない限り、その『先輩方』とは自民党を意味する。他にとっては知ったことではない。
 即ち野田氏はそこに「こんな反民主的であり恥ずるべきことが繰り返されているのは全て自民党の責任である。なので我々自民党が何とかして後始末をしなくてはならない。」と言っているのである。
 そのような意味ではないと当人は思っているかもしれないが客観的に見るにそのような意味をしか帯び得ない。責任を取るには「政府見解」を一切已めれば済む。

 東京都民は舛添知事の会見を見てくれている訳ではない。
 石原慎太郎知事が年中「あのシナがだね…」などと語り続けて4選をし得たのもその会見を見ていた人は少ないからである。
 
 さて、昨日の晩にTBSテレビの『内村とざわつく夜』と言う番組を観た。
 ウッチャンはブレークした頃より結構好きなので今時には珍しく番組を持っているなと思い観てみたが、ウッチャンは立っているだけであり殆ど何もしない番組であった。『内村がふらつく夜』になり兼ねない。

 その回の内容は先述の舛添知事の『自民憲法発言』と恰も連動しているかの如き愚劣なものであった。

 夫の浮気が妻に発覚したとのそこまではよくある主題であるが、その妻が離婚すると言うと夫が俺がいなければどうにもならない分際で何を言っているか、ふざけるなと叱り付けると妻が居直り夫のあらゆる金品を慰謝料の財源として「差し押さえ」て追い出したとの話である。
 その結末にスタジオの出演者(芸人)等が拍手喝采となった。何でも、妻の態度が素晴らしいと言う。

 離縁される妻の人権と言うような話ではなく、そのような居直りに共感するとは舛添知事の言うような「家族を大切にしろと国に言われるようなことではないが私的な口実としては幾らでも押し付けるべきである」と同じことである。その妻は恐らくは家族を顧みない夫に私的に抗議をしていると思っているのであるが、家族を口実としてしか考えない人であるのでそのような態度に出る。その夫にとっては家族は口実ではなく現実である。

 或いは出演者等はその録画を観て拍手喝采をしたのではなく何か他の録画を観てそうしたのを制作側が巧いこと合成して放送したのかも知れないとさえ思う程にその反応はあり得ないものであった。
 家族が崩壊している様を見て喜んでいる訳である。後に如何に良くなろうとそこに崩壊したのには変わりはない。その事実はいつまでも付いて回る。
 と言うと私は結局は離婚させたいのではないかと思われるかも知れないが或いはそれでも良いであろうかとは思う。

 或いは舛添知事の会見はTBS(JNN)が根回しをしてそうさせたものなのではないかとも考えられる。若しそうであるならば無論、そのように言わされた舛添氏は被害者ではなくそれに同意しているから言っているのであるが。
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by keitan020211 | 2014-02-26 16:20 | 他のブログへのトラックバック | Comments(0)



政治、社会、文明論、生活などについて語るブログ ●自民党水月会(石破派)、志公会(麻生派)と民主党民社協会(高木派)を支持します。 ●"Logry Freesia"とは『ブログのある所 自由な国』の意味です。
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