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【考察日本語と日本料理】薩摩揚と「自主規制」
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いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう  初回:1月18日(月) 月曜21.00~
フラジャイル  初回:1月13日(水) 水曜22.00~

 昨日の弁当は薩摩揚(さつまあげ)にした。
 静岡県の焼津港の産となる薩摩揚、それに私の定番の鰹節御飯である。米(:秋田小町)と薩摩揚を跨ぐように播州三木産の鰹節と薩摩鹿児島のヒシク醤油が乗る。単純にして華やかな献立である。

 薩摩揚、その発祥は読んで字の如く薩摩であると後で調べて知ったが、スーパーマーケットにあるその焼津港の薩摩揚を見ていると恰も「薩摩」とは名だけであり、薩摩の発祥のものではないかのように思っていた。「然し名だけでも『薩摩』」ということでそこに使う醤油は薩摩の濃口醤油にしたのである。味はこの上なく甘美であり、間に割って入る――所謂『関西人のマナーの悪さ』を参照――鰹節の控え目な香りも相俟って素晴らしい献立となった。で、調べると薩摩揚は正真正銘薩摩の料理と知り、更に私の弁当作りの確かさを確信した訳である。味だけではなく彩の妙も完璧である。

 話はかわるが、近年の新聞やテレビのニュース解説にしばしば見受けられる言葉に「自主規制」がある。どうもその言葉は誤りではないかと直前とその前の記事等を記している間に気づいた。弊ブログがその記事に用いた言葉は「自己規制」、それが正しい言葉である。
 「自主規制」は安倍政権による報道その他のメディアへの介入を巡る批判において出て来た言葉である。それと並びしばしば用いられている言葉は「自粛」や「忖度」、そしてそれに因る「萎縮」である。「自粛」は今般の安倍問題におけるだけではなく、昭和天皇の崩御や兵庫県南部地震、東北地方太平洋沖地震などにおける国民とメディアに顕著に見受けられた態度についても用いられている。「忖度」と「萎縮」は安倍政権の今に新たに頻用を見る旬な言葉である。
 言おうとしていることの賛否はともかく、言葉の用い方としては「自粛」、「忖度」と「萎縮」は必ずしも誤りではない。「自粛」と「忖度」はそのように言われる側がそもそも自らの取るべき態度をそのように思っていることであろうし、「萎縮」は客観的に見てそうであるかはともかく、そのように言う側が現状を「萎縮している」と思っていることは確かである。然し、「自主規制」はどう見てもその言葉の意味に適う現実は少なくともそのように報じられる事象の内にはない。それが「自己規制」と言うならば、そのような現実はあるといえる。

 「自主規制」とはその規制の意図や内容の客観的良し悪しはともかく、それを自らにおいてしようとする者にとっては良いと信じてなされる規制をいう。人が何かを自らが悪いと思ってすることは一般的にいって悪いことであり望ましくはない。よって良いと思ってすることだけを『自主的』と言う。それが正しい場合もあるし誤りである場合もある。良いと思ってすることを「自由意思」と言い、「自主」とは自由意思に基づくことを言う。よって今般の安倍問題について言われている事柄を、「自主規制」と呼ぶとそうする人々の全てがそれを良いと思ってしていることになる。そのような人々もいるであろうと思われるのではあるが、大方は良いと思ってはいない、少なくともそのように報じたい文脈においては「自主規制」と言うことはできない筈である。そうでないと「安倍政権の支持は底堅く、我々はあくまでも一般意思を代表しない少数派としてこれを報じまたは論じています。」と紙面や画面を通して宣言していることになる。反安倍と目されている朝日新聞や毎日新聞が取り分けそのように「反安倍は民意ではない。我々の仕事は単なる少数派へのサービスである。」と宣言している訳である。本当にそうであっても話にならないが、そうではなく意ならずもそのようにしかなり得ていないとしてもそれは言葉の用い方のええ加減さから来ることでありかなり話にならない。

 片や「自己規制」は自らの自由意思に由るか否かを問わず端的に自己における所業としてなされる規制を言う。それが自分のせいであるのか人のせいであるのかをも問わず、客観的に見て『その人(達)が他者による明示的命令に由らずそうしている』ことを言う。よって「自主規制」と現下に記されている報道文は「自己規制」と改められなくてはならない。
 恐らく、「自主規制」の言葉を初めに報道の世界へ持ち込んだのは今般でいうと安倍側の、『自主規制』をさせたい人々であると思われる。それを批判したい側の辞書に、彼等は潜り込み――という程ではなく、実際には馴染みのある同僚などではあろうが、――その「自主規制」の語を滑り込ませ、「自主規制」と呼び習わされることになる事象が言葉の響きに釣られて『自主的で望ましいこと』或いは少なくとも『政権と共にあるべき国民として良心的であり否定されるに及ぶべきものではないこと』と徐に思えて来るように仕向けるのである。その『自主規制』をさせたい人々とは例えば『同じ朝日新聞の記者』であるかもしれないし或いは業界の横のつながりによるものであるのかもしれない。

 そのように自主規制と呼ばれる自己規制を巡る諸問題を解決するためには、人の『自律』を促すことによってはどうにもならない。
 『自律』とは国家社会の近代化に際し、諸国民は権力に対して自律的であることが求められるという一つの命題である。
 そのような近代国家社会の成立の文脈によってではない、一般にいう『自律』は重要であることは確かではある。人は自律の可能な存在である。
 然し自律とは所謂「自主規制」、即ち自己規制をすることも含まれ得るものである。人の自律に任せているとそのようなことになる、それが近代の次に来た現代の国家社会の実相である。自律を求めた近代主義の末路が今般の日本におけるメディアなどの安倍政権に対する自粛、忖度、萎縮、即ち「自主規制」こと自己規制である。批判する側とされる側がしばしば同根なので、事は泥沼ならぬ泥レスである。『プロレス社会』(:堺屋太一氏の提言)の処か泥レス社会と相成っている。
 但し、近代主義を捨てるべしというのも無理ではある。今の少なくはない日本人は揺り籠から墓場まで、『自律』を至上命題とする近代主義に基づく教育とその実践にたっぷりと漬かっている。そうではない発想を新たに身に着けよというと、勢い他律、自らの発想と行動の拠りどころを他者に委ねることを至上価値とする共同体主義や『近代の超克』などのウルトラナショナリズムに行き着きかねない。よって近代の価値を何程かには擁護し保つ必要はある。弊ブログにとってのそれは近代産業と自由経済、そして現在の民主党、殊に旧民社党を中心とする民主主義である。それに関しては「何程かには」ではなく「全く以て」といえる。
 他律でも自律でもない『次に来るもの』としての価値には何があり得るか?
 青山学院大学の東方敬信教授はそれを『神律文化』であると提唱する。『神律』とはキリスト教学校である故に必然に神の存在を含む概念ではあるが、東方氏はそれを必ずしも神の存在を認めて信仰することにはないと言う。神の存在の証明は不可能であることは当のキリスト教が認めることであり、その意味においては無神論も何程かには尊重されるべきものである。何であれええ加減な理解に基づく信仰は良くない。近年の日本のネットにおいて「神◯◯」のような表現が見受けられることは神に関するええ加減な理解に基づくものであり由々しいものである。
 東方氏の提唱する『神律文化』とは個々の人の魂の深みより出るものによって国家社会が律せられることである。イスラム原理主義には魂の深みがあるとはいえなさそうではあるが、無神論にも魂の深みはある。"I don't believe in God but just believe in me."と歌うジョン・レノンの妻であるオノ・ヨーコ氏が今日重病で倒れたという。
 
 個々の人の魂の深みより出るもの、それが『自主』である。「自主規制」云々とでは『安倍政権に与することが自主的というべきものである』と言って魂の深みを否定していることになる。
 そのような意味においては、主体思想を持つ北朝鮮やイスラム国家体制を持つイランは世界に先駆ける望ましい国である。それらは『神律文化』を既に導入して実践している。
 片や、既存の日本国憲法を「自主憲法ではない」といい、憲法を改正しないと被占領体制を脱することはできないとする向きは自己の存在意義をアメリカなどの連合国という他者を起点として捉える故に自主性を否定する完全他律文化にあるといえる。そこが動かないと全てはどうにもならないといっているのでそこに自主性、神律はおろか一般的意味における自律のあろう筈もない。前近代におけるような常識的意味における他律文化でもない。

 そのように「自主」と「自己」の用法が倒錯混乱している状況が永らく続く今の時代においては、仮令報道メディアの用いる言葉を校正部門の手によって改めることができたとしても、自主的たることとは何かを広く問うて理解されることはなかなか難しいかもしれない。言葉とその意味の理解の倒錯混乱が改まることは個人においても全国民においてもそう一朝一夕、朝日が燦々おはようさんにできることではない。完璧に直すことができてもそこに送られる原稿等が間違い続けることにはかわりはないからである。然し直せるものは今直す、それが中長期的変革にもつながる。

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by keitan020211 | 2016-02-27 23:52 | 文明論 | Comments(0)
【漢字の自由化】私の書く文字を検証する
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 直前の記事には文化庁がこの程に表明した漢字の自由化の再強化の政策を熱烈に支持する旨を論じた。漢字の書き方には、延いては仮名文字や英数字なども、無限にとはいえないが様々の形がある。それを唯一の共通書体としてそれを守ることを求めることは殊に字の書き方においてだけではなく自己規制や萎縮、面従腹背や媚態などの宜しくはない心性とその反映としての空気が醸し出されることになる。

 さて、それを報ずる24日のFNN『みんなのニュース』を見て私は「ここは一つ、久々に字を気合いを入れて書いてみるか。」と思い、この記事にその直筆の文字を公表する。
 私が近年に、というかかなりの長くに亘り、自らの文字について懸案としていたのは字を真直ぐに書けない、殊に縦向きの線が曲がりがちになることである。そして罫線のない紙に書くと行がどうしても右肩上がりになる。それを改めるように練習をすれば直るかとは思うのであるがその機会がなかなかない。今回のいわば練習ではその弊は直っていない。

 先ずは新聞の見出しを拾い書いてみた言葉等を

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 さて、その2枚の、教育界における共通書体、所謂学校で習う漢字の書き方とは違うものを見つけると――

選 今 指 想 意 紋 隠 慰 激 亡 所 連 政 出 県 市 生 過 家 直 像 獲 絵 難 東 驚 送 家 飼 時 豚 戸 悶 恐 坊 剖 小 方 辞 迷 云 優 天 瓶 心 神 達 抗 観 安 穿 熊 福 高 徳 山 鳥 広 京 馬

 こんなに出て来る。金銀財宝のようである。
 どこが違うかは画像をクリックすると出る画像を拡大して見て見つけてみられたい。

 但し、同じ字でも共通書体と同じ場合と違う場合があるものもある。上の例には、 芸 愛 がある。「芸」はそこ、「芸術」と書いてある所では「云」の一画目が私の字には多い右下がりの点ではなく横画になっているが、後に出て来る地名の「学芸大学」の箇所では右肩下がりの点になっている。「芸」の場合は一つの単語の一文字目はそこが横画になり、二文字目以降は右下がりの点になることが多い。
 片や「愛」は「愛媛」の所では「心」の左端の画が標準書体と同じく左を向くが、「愛知」の所ではそれが右を向く。その理由は一つには『慣れている言葉である程に右を向く』ことがあろうかと思われる。愛知県は住んでいたことがありまたは余所者としても愛知県宛てに書く機会は多いのでそこが自ずと右を向くが、愛媛県には住んだことがなく馴染みも薄いので何となく左を向くのである。「愛」だけの場合も私はそこを右向きに書く。
 何文字目になるかや言葉の遣い慣れによっても書く文字の形はかわり得るということである。漢字の試験の採点をする教育界はそこが見えていない。
 また、日本の教育界には物事の何等かの特徴を殊更に際立てて表現したがる傾向がある。例えば上にもある「安心」の「安」の字、安倍の「安」でもある。その宇冠の左端を私は大抵はやや内向きに書くが、先の「愛」の「心」の左端のように時にやや外向きに書くこともある。何れにせよその傾きは小さくて目立つものではないが、共通書体においてはそこは外向きに書くものとされる。然も、その外向きの角度たるや垂直線に対して30°近くはあるかと見える程に傾きが強いものである。教師によってはわざとらしく45°程にもして「ここは、こうです。」と書いて見せながら教える者もいそうである――←これを英語で記すと、「教える者もいるべきだ。」と誤訳する向きが多い。――。教育界やその支持層にはそのような大袈裟、わざとらしさ、即ち物事を意図的に際立てることを好む人が多い。それそのものがそもそも非教育的であり反文化的、即ち野蛮人の所業営為であるがそれが教育であり文化であると信じている向きは少なくない。

 次に、地名などを書いてみたものと朝日新聞の22日の天声人語を書き写してその英語の要約をしたものを――
 天声人語のは、きれいに書くことよりも早く書くことを優先してのものであり、「散らかってるんですけど…」みたいに、私の普段の文字により近い。

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by keitan020211 | 2016-02-27 19:21 | 文明論 | Comments(0)
【漢字の自由化】実は今に始まることではない
 文化庁の文化審議会漢字小委員会は漢字の手書文字について、撥ねや止めなどの細かい違いによる正誤はなく多様な漢字の形が認められていることを説明する指針案を9日に纏めた。この春までに指針の確定版を作成して文化庁のウェブサイトに掲載し、その書籍の出版も予定している。

 それについての報が全国新聞等に出て今週にはFNNの『みんなのニュース』などのテレビ報道にも出た。処が何故か新聞の記事等は何れも削除されている。

a0313715_16582462.jpg この冒頭の報の文を読むと、「多様な漢字の形が認められていることを説明する指針案を」とある。「多様な漢字の形を認めることを説明する指針案を」ではなく、既にそうなっていることを改めて国民に周知しようとするものであることが分かる。
 私もそのことを近年に国語に関する本等を読み知っていたが、文部省・文化庁のそのような主旨とその指導の下にある諸学校の実態には乖離があるということで永らくある従来の『漢字の自由化』をこの程に再強化するものとその報を見て解していた。
 その『再強化』の理解は強ち外れではないようではあるが、その報を通しては如何に自由化を志向する政府――全てにおいてではないが、――とそれに抵抗する教育界の意識の乖離が根強くあるかが窺われる。私がその存在を近年に知ったのも、私が子供の頃やその後の永らくにも、学校の教える『漢字の唯一の書き方』は政府文部省がそのように指導を求めているかのように誤解しており、学校はそれを仕方なく従って教えている、児童生徒も仕方なくそのように書かなければならないものと思っていたからである。実態は全く逆様であり、政府は自由化を勧めたいのに教育界は自己規制を固持して児童生徒を萎縮させているのが現実である。

 漢字の字形については、国語施策が知られていないことによる混乱とでも言うべき状況がある。
 既にもう国語施策として示されているにもかかわらず、それが社会において十分に知られていないところに問題の基がある。もっと緩やかに捉えていいのだという基本的考え方を前書きにきちんと示すことが必要である。
<国語分科会(H26.11.21) 漢字小委員会の審議状況について(経過報告) (「手書き文字の字形」と「印刷文字の字形」に関する指針の作成について )より>

 そもそも、文部省の学習指導要領も本来は教育の自由を保障して教育界による教育の内容の無用の束縛を防ぐためにいわば指導の要領の『幅のある』理解を促すためのものであったと思われる。それがいつしか誤解されて支持するにせよしないにせよ、教育の内容を縛るためのものと解されるようになっている。今般にも再確認されることとなる漢字の自由化は学習指導要領のそのような本義を象徴するものでもあると思う。但し常用漢字と人名用漢字はそのような本義とは異なるものであり廃止されるべきである。
 国民を束縛し自由を損なう事柄は何でも政府が勧めているものと短絡するのは教育界の抵抗の現実、即ち下々の国民が自ら国民の自由を奪う現実を覆い隠すことなのではないか。愚民に対しては官僚もお手上げなのである。

a0313715_16590362.jpg 読売新聞や朝日新聞がその報の記事を削除したのは自由化に抵抗する教育界やその支持者による抗議があったからなのではないか? 詰り、そのことが国民に広く知られると政府の勧める漢字の自由化が現実にも国民に広がり、教育界の面子が潰れるということである。恐らく彼等の内には安倍政権の支持層もいるであろう。本当の処は安倍に訊いてみないと分からないが、今般の漢字の自由化の再強化の政策は安倍政権の意向には反してなされているのではないかと思う。「学校でこう習うじゃない?何でこう書かないの??」或いは「昔はそう書きましたよね。でも今は駄目なんですよ。」と言いそうな面々が既に辞任した者を含み、安倍政権には多い。よって文化庁の今般の英断は極めて大きな意義がある。筆によるクーデターとは正にそのことである。

 「安倍晋三」には尤も、異体の成り立つ余地は殆どない。唯一つあるのは「安」の字の「女」の部分の左掃を横画の上に出すか出さないかと宇冠の真中を縦画にするか右下がりの点にするか、宇冠の左端の縦画を左下がりにするか右下がりにするかの違いだけである。標準的なのはそれを上に出すものであり、教科書体はそれを踏襲するが、明朝体やゴシック体は出さないものが多い故に手書においても出さない例が多く見受けられる。私は出すように習い、実際に常にぴたりと、出さないように書くのは難しい故にもそのように習った通りに書くこととしている。いわば『唯一の書き方』が実際にも良い例はその『女』の字の例だけともいえる。また、私は宇冠の真中は右下がりの点としまた左端の縦画は右下がりとするがそれは教育界においては共通書体とはされない。
 宇冠の他にも、日本の教育界における共通書体の字画の形には悉くともいえる程に左下がりが多い。例えば「隹」の上真中の点などである。然し私はそこを右下がりの点とする。そこが右下がりなのは台湾の漢字の標準的書体でもあり、初めはそれを知っていたのではないが高校の漢文の先生が右下がりに書くのを見てそのように書いてみたらそれが好く馴染むと思いそれからは常にそのようにしている。多分、左下がりの日本型を好む人と右下がりの台湾型を好む人とは字を書く際の姿勢と腕及び手の動作の基本形が異なるのではないかと思う。また、左下がりの形は先の尖っている物である筆を心臓に向かってやや速く動かす動作によるものであり、日本には独特の武士道の美学の影響があるのではないかとも思われる。台湾にも武士はいるが、そのような美学はない。
 また、「神戸」や「戸籍」の「戸」や「芦屋」の「芦」の「戸」の部分の上の一画目もまた、私は右下がりの点とするが、日本の教育界の共通書体においては「戸」は横画で「芦」は左掃である。「神戸」の「神」の示偏の一画目もまた、私は右下がりの点であるが、彼等は縦画である。
 それらの右下がりもまたやはり台湾の標準的書体なそうであり、また中国の簡体字もそうである。自由化と言うことと一見は矛盾するかのようにも見えるが、漢字の起源はシナにあり、漢字の書き方の一つの指針をというならばそれを最も忠実に継承している台湾の標準的書体が最も信頼性の高いものであると思われる。日本の教育界の共通書体は漢字とは似て非なるものであり、漢字の伝統との断絶を招くものである。それは築地銀だこがたこやきではないものをたこやきと呼ぶのとも似ている。

a0313715_17023261.jpg 文部科学省・文化庁がその決断をしたのは昨今は如何に教育界の共通書体を振り翳す向きが多くなっているか――その意味においては築地銀だこの「たこ焼き」をたこやきではないと鶏知をつける関西人とも似ている。――、古くから一般に用いられている様々の漢字の書き方を知らない人が多くなっているか、文部科学省は教育の在り方を統一するためにあるものと思っている向きが多いか、「止め;撥ね;掃いを美しくする方がいいと思います。」(:FNN『みんなのニュース』の街頭インタビューより)などとの普遍性のない独善的美学――社会学者の古市憲寿氏が「おじさん品質」と評するような――を文化や教育と思っている人が多いか、そのような現況に対する公僕としての懸念でもあるのかもしれない。
 弊ブログは件の文化庁の政策を熱烈に支持する。次に望まれるのは常用漢字と人名用漢字の廃止である。

 教育界が漢字の書き方を統一している現状は、殊に漢字についてだけではなく、先生の前でだけは先生の言う通りにするなどという或る種の面従腹背を助長するものでもある。殊に学校においてだけではなく、広く社会や国家においてそのような面従腹背、それが何程かはいつの時代にあっても必須のことであるというならば「媚態」である。件の『みんなのニュース』の報は文化庁の自由化の再強化の政策により教師等の戸惑いがあることを報ずるものであった。児童生徒にどう教えたらよいか分からないと言う。尤も、幅のある教え方の経験の浅い教師がどう教えるべきかを真面目に悩むことは分からなくもないが抵抗勢力が如何に根強いかを物語るものでもある。また、市井にもそのような「戸惑い」と意を同じくする人の多いのを見て聊か信じ難い心持ちがする。許容例とされる漢字の書き方を日頃に実際に見て「あの方のこの字、変じゃないの?」;「ちゃんと書ける人が少なくなってるんだね。」と語っているか或いは語らずに思っている訳である。但しそのように言う彼等にとっては面従腹背も媚態もない、純粋まっすぐ君である。
 媚態といえば弊ブログも嫌う、上戸彩の2000年代及び2010年代前半期における全盛である。少し前までは私などのように上戸を嫌う人は少なく、世を敵に回しているのではないかと恐れていたが、最近のネットニュースの情報によると上戸を嫌う人は意外と多い。その媚態、いわば『男性専用目線』を感じて快くないからであるという。それが偏に芸風に過ぎないのかはさておき、そのような上戸が業界においてだけでも高く支持されるのは先生の前でだけは『正しい漢字』を書くような教育の歴史的堆積の反映であろう。態度の面では上戸が、そして文字そのものの『美しさ』の面では仲間由紀恵が、それぞれテレビを独占して日本人に思想と美意識の偏向教育をしているのである。仲間の主旨は、見た目はあくまでも媚態を取り除いて教科書通りの形にすることである。

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by keitan020211 | 2016-02-27 16:36 | 文明論 | Comments(0)
【考察英語】初めはあれと思っていたけど…
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ヤーヌス  土曜1.15~

 初めはあれと思っていたけど…

 初めは安倍と思っていたけど…

 ――今でもやはり安倍。

 さて、それを英語に訳すとどうなるか?

 カナダの新聞グローブ・アンド・メールの昨日26日の記事にこんな一文がある。

What started as a disagreement between Moscow and Ankara over Syria exploded last November when Turkey shot down a Russian Su-24 bomber jet that it claimed had violated its air space.


 私はそれを一読して初めは意味を取りかねた。何故かと言うと、"a disagreement"と"exploded"の間の文脈が能く分からないからである。"what started as"と来て"a disagreement"と来たら、次に来るものは"a little more agreement"のような意味合いの言葉、即ち『かわり目』が来ると予測されるものである。処が"exploded"とより"as a disagreement"なことが来ている。その変化と前後の対比が"what started as"の用法には馴染みにくいかのように見えた訳である。

 それは私が"as"の訳を「として」としか考えていないことも一つの原因であろう。「Aとして始まったことが」、そのような言い回しは日本の日本語による日本人のための報道番組などにおいてもしばしば用いられる。「Aとして始まったことが結局はBになりました。」、前後が背理のような関係にないと成り立たなさそうに見える言い回しである。"What started as A has got B at last."、英語にするとそうなる。"what"は『こと』や『もの』を表すので"What started"を「始まったことが」とすることができる。
 然しそのような言い回しに慣れると同じ英語の言い回しを用いて言うことのできるものを「Aとして始まったことが結局はBになりました。」の意味合いにおいてしか意味を取れないことになる。然し、"as"は「として」としてだけにしかないのではない。それとはもう少し違う訳がある。

 先ずは答を言うと「初めはAでしたが(更には)Bになりました。」、何となく安藤優子的表現ではないかと思う。前後が背反ではなく更に発展する意味合いのことに、「が…」と言う。
 その「が…」は多くの場合は照応する英語の"but"ではなく"as"となる。", however,"を用いることのできる場合もあるがそうなると日本語は「初めはAでしたが、Bになりました。」となり、イントネーションや身振りの角度も違う。後者はAとBを違うものであるか違わないものであるかを問わず対等に並べて言う感じとなるが前者はAとBを角度のある線で捉えるような感じになる。

 "as"だけではなく"what"も「が」の意味合いで捉えられる。
 "what"は関係代名詞でありまた所謂形式主語である。例えばコンテンツビジネスにはよくある"What's new"の表現は「何新しいか」、即ち「新しもの」という意味である。現代の日本においては多くは「新着」と言われる。

 それらを念頭において先のG&Mの一文を読むと「不一致始まったこと竟には爆発した。」と解して訳することができる。"when"は「竟には」の意味合いであり、「◯◯の時に」とはならない。"when"は語る者により意図的に区切られた『時の観念』をいう代名詞であり、物事の実際の『時』をいう―"where"を用いる――ものではない。
What started as a disagreement between Moscow and Ankara over Syria exploded last November when Turkey shot down a Russian Su-24 bomber jet that it claimed had violated its air space.
「モスクワとアンカラのシリアを巡る不一致始まったこと先月11月トルコがロシアのSu-24爆撃機を撃ち落とすに至って爆発し、ロシアは領空侵犯を主張した。」

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by keitan020211 | 2016-02-27 14:30 | 文明論 | Comments(0)
鴻海シャープと築地銀だこを巡る世論
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テレビ朝日 関東:5ch 東海:6ch 近畿:6ch
スミカスミレ 45歳若返った女  初回:2月5日(金) 金曜23.15~

 弊ブログの外部リンク(:準お気に入りブログ)である『よのなかのことかんがえる』の昨日25日の記事に築地銀だこという蛸料理屋―?、名前をしか知らない―を巡る話がある。そこのたこやきを、関東の人達は旨くて掴むと言っているが、関西の人達はそんなものはたこやきではないと評すとの話である。そのブログの主は「関西人て意外と保守的なんだな」と、その主旨は関西の人達の反応を宜しくないということにはないと仄めかしながらも、関東のように本来の仕立てとは違う料理が作られて嗜まれるのは豊かなことではないかと語る。
 私、弊ブログの見るにはどっちもどっちなことであり、そのブログが結論とするような『本来との違さにおける良さ』というような尤もな話ではない。ことの本質はガラパゴス化 対 権威主義にある。現下の政治や社会において色々と起こっている問題も、それが底流にあって始末の悪くも根深いものである。
 その築地銀だこを巡る一幕は、関東のガラパゴス化と関西の権威主義の衝突である。日本においてしか話しの通じない矢を何本も射て我が国を世界に売り込もうと叫ぶ安倍ガラパゴス政治と意味を知らずに「立憲主義」や「反知性主義」などと論ずる反安倍権威主義はその現下の最も大きな例である。今行われているアメリカ大統領選挙において――という話の持って行き方も権威主義といえなくもないが、――トランプとサンダースによって主張されている既成勢力との対決を支持する人々は日本における反安倍のうねりを正に打破されるべき既成勢力、即ち権威主義と見るであろう。彼等と同じようにではないが、弊ブログもそう思う。
 元々、憲政がどうのとか知性がどうのというような論議は関西を主としてあったものである。故に築地銀だこをたこやきではないというようなこととそれは歴史的に結びつく。「僕等はそんな話にはついていけましぇ~ん!!」とばかりに現代になって発祥して発展したのが関東のガラパゴス志向である。関東のガラパゴス志向は関西の権威主義に対する反権威主義なのではなく、東京の新しい権威を背景にしてその権威を利用するように発展した。よって真の反権威などはどこにもない、権威主義対権威主義であるともいえる。官僚の縄張り争いとも似ている。

 無論、多様性や革新は良いことではある。然し築地銀だこが自らの蛸料理を「たこやき」と自称することはサンダースが「民主社会主義者」を自称することの程に無理があるのではないか。
 その理由は築地銀だこの側はその新しい蛸料理をたこやきとは違うものと初めから思って作り出したであろうからである。少なくとも、それをたこやきとは認めないさそうな人々が少なからずいることを分かっていて敢えて作り出した。そうであるならばそれがたこやきとは認められないことがあったからとばかりに彼等を多様性や革新性を解しない頑迷な人々とすることはできない。彼等の築地銀だこについての批判は予想していたことが予想の通りに起こっただけである。
 また、築地銀だこがそれをたこやきであると確信してはいない以上は誰もそれをたこやきと断言することはできない。関西人だけではなく、当の本人がそう思ってはいないのである。
 客観的に見てどうなのかよりも、当の本人が何をどう思って考え出して作り出したのか――少なくとも築地銀だこが「これは全く以てたこやきであります。」と宣言することがなければそれはたこやきと認めることは不可能である。
 関東のガラパゴス志向においては、例えばたこやきではないと思うものをたこやきと呼ぶような、本来のものとは異質或いは無関係なものをそれと同じ名を以て呼ぶことが認められる。「ベースボールではないものを野球と呼ぶ」というのも、私はそうは思わないが、それと同じようなことである。因みにそれを初めて言ったのは京都の出身のスポーツ評論家である。また、「高速道路ではないものを高速道路と呼ぶ」と言った国際ジャーナリスト兼作家もいる。大阪や神戸にもあるので他所のことを言えはしないが、大阪駅が国鉄の総起点でありまた天皇の即位の礼が京都にて行われていた時代にはそのような「高速道路」はまだなかった。

 野球や高速道路がそうであるように、たこやきは関東人にとっては永らく欲しいけれどもなかなか手に入らないものであった。その理由は需要はあっても供給がない、たこやきを作る人や売る人が余りいなかったからである。あっても、関西のものと比べると当然にしてひけを取ることは関東人も大いに認めていた。
 たこやきを殊の外に好むのは関西人だけではない。手に入りはしないものに、後の関東人はどのような態度を取ったか?――たこやきそのものをではなく、「たこやき」という名を、即ち言葉だけを普及流通させることにした。そのためにはたこやきではないものをたこやきと呼ぶことにしたのである。人間は不思議なもので、『欲しいもの』の真意はその欲しいものそのもの、即ち実体ではなくそれに付随して想像を掻き立てるものなのである。その一つが「たこやき」という名であり、そして鉄板である。
 服なども典型的に、想像が実体の優位に立って欲しがられるものであり、その意味では関東人のガラパゴス志向は人と物、延いては金の本質に即するものでもある。然し想像が優位であることは実体の存在しないことを意味しはしないが、関東人はしばしばそのように考える弊がある。彼等が実体を過剰に軽視することは政治における看板の架け替えについての論争にも明らかである。

 鴻海シャープの成立の報から思いを致すのは「シャープには、流出したら困る技術者とその技術というべきものが今や本当にあるのか?」ということである。「流出が懸念される」とニュースの解説が言うのでそれを疑問に思う訳である。多分、所謂日の丸何とかという政府系の出資元を粘って勝たせたいという意図によるものでもあったのであろう。政府系ならばそうはならないが、鴻海ならばそうなるかもしれないというのである。
 大阪の企業ではあるが、シャープは今や関東流のガラパゴス企業であり、流出したら困る技術なんてそうはない。若しそうであったとしても、そのように有意義な技術がシャープの外にも生きることになることは必ずしも悪いことではない。件の問題の命題は『技術』にあるではない、シャープの『債権者』の利益にあるのである。そこで技術や頭脳について問うことは国会の憲法審査会でオバマ大統領の話をするようなものではないか、シャープのアクオス、これ吉永小百合ですよ。そういうダイナミックな国なんです。と。

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by keitan020211 | 2016-02-26 21:28 | 政治、社会 | Comments(0)
【民主党】党の名をかえるならば…
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フジテレビ 関東:8ch 東海:1ch 近畿:8ch
いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう  初回:1月18日(月) 月曜21.00~
フラジャイル  初回:1月13日(水) 水曜22.00~

 直前の記事には民主党と維新の党の合併による新たな体制による党の名称を絶対にかえるべきではないと語った。民主党は何処まで行っても民主党であり、かえるのはロゴマークだけとするべしと。

 処がその岡田克也代表自らが党の名をかえて「全く新しい名称による全く新しい党にする」と言う。

 その協議が難航して決裂することを願うが、民主党の中核的支持層――弊ブログは準中核という程――の程に「民主党の汚名」というものを深刻に考えているのかもしれない。然し大方の有権者国民にとっては「民主党の汚名」は良くも悪くもどうでもよいと思う問題なのであり、少なくとも民主党の名と基本理念を望ましくはないものと思っているのではない。器とその名はもう充分に認知されており、具がどう少しでもかわるかが評価の要諦なのである。民主党に代わる一大勢力の誕生を今更に望む人は余りいない。二大政党制における政党とは単なる私的団体とは異なり、名実共々、民主党の維持と発展は国民の凡そ半分を代表するべき者としての義務であると認識しなくてはならない。党の名をかえることは実際に投票するかどうかはともかく、その認知を捨てることになる。
 ネット右翼の手も借りたいのは「民主党は所詮民主党だろう。」;「党名をかえる?? 馬鹿は辞めてから言え。」と民主党を今こそ攻撃することである。
 ――「ということで、新しい党名は『所詮民主党』に決まりました!! 松野も所詮は民主党…」

 但し、岡田代表が合意したと言っていることを左と言う訳にはゆかないのであり、新名称の協議の決裂が実現しなかったら――合併は決裂しなくてもよいが、――どうするかを取り敢えずは考えておかないといけない。
 『所詮民主党』、これも一つの有力な案である。全く新しいし、ネットでは圧倒的支持を集めるであろう。

 先ずは駄目出し、そうしてはならない名の例から挙げさせていただく。

・立憲民主党 ――理由は直前の記事を参照
 よって ・立憲党 ・立憲主義の党 ・立憲民政党 ・立憲民主同盟 なども全て駄目

・民主自由党 ――立憲民主党と並び早速や飛び交っているという案 「自由」は日本においては従来に党の名として用いられた例が多く、イギリスにおいては長銀や山一證券のように破綻した党の名であるということで歴史的観点から難があるだけではなく、自由主義は民主主義とは相反する理念である意味からも最NGワードの一つである。自由民主党を引っ繰り返しただけと解されることも。また、直前の記事にも語っているビジュアルとサウンドの観点からも、その略称として「民自党」と呼ばれることになることは必定であり、その読み方は「みんじとう」と音的に無理が強く余りきれいではない。稀な場合とはなろうが、「民事棟」と聴き間違えられることもあり得る。
 よって ・自由党 ・自由の党 ・民主と自由の党 なども全て駄目

・民主共同党/The Democratic Cooperative Party ――民主党及びその後継となる新党だけではなく広く民主政治の確立を願う人々と共同するという意味では推したい気もするような名ではあるが、「共同」と名のつく団体には共同通信社がある。弊ブログは共同通信を信頼するが「民主共同党」となると共同通信は民主党を支持する通信社なのかとの誤解――とまでは言い切れない微妙なものではあるが、――若しくはそれに基づく定評が広まって共同通信の信用と利益が落ちることになりかねず、断念すべきかと思われる名称である。
 よって ・共同民主党 ・日本共同党 も駄目

・創生党 ――「創」の字がつく名はその意味の誤解が生じやすくまたかなり誤解が根強くあるものでもあるので全てNGである。
 「創」の正しい意味は"breaking"(現状を打ち破るような)或いは"the founder of"(その集まりを初めに立てた者)であり、俗にいわれているような"creative"(真面なものを作り続ける)という意味ではない。"creative"を「創造的」と勘違いしている向きが多い。またその勘違いを地で行く一部の広告代理店の軍門に下ることをも意味し――現に2012年12月の解散総選挙では民主党はその宣伝広告を電通に発注して惨敗した。――、党もそのように無知蒙昧の集団と認識されることになる。

・新民主党 ――日本語に訳すとそのようになる名の政党がカナダにあるが、民主党とは基本理念がかなり異なるポピュリズム的革新左派政党である。当地における穏健な民主主義とリベラルの風土を持つ政党は保守党であり、対する自由党は日本の自民党型の自由主義の政党である。
 他に「新」のつく名も新幹線の駅名を連想させ、土建屋ばらまき政治を想わせる、或いは、神戸の新開地や広島の新天地などの場末の盛り場を想わせるのでおしなべて良くない。

・片仮名の言葉による名全て ――理由は言うまでもない。・リベラルの会 ・民主ジャパン――損保ジャパンのよう。―― ・フロンティアの党 などなど全て駄目。

 ではそうなっても良い名の例はどうか?
 一つ奨めたいのは選挙の投票における候補者の所属政党の名の表記――主に比例代表における――の略称の許容例を利用して『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』や『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない』のような長い名にすることである。尤も、長過ぎるとふざけていると思われかねないので適切な長さはそれらの題名位が限度ではあろう。この考えはいつかの選挙の時にも提唱されたことがあると思うがいつであったかは忘れた。さてはその略称として「民主党」や「民主」が最も多くなるような名にする、実際の通称も殆ど全て「民主党」になるようにするのである。
 例えば ・自由、平和そして一人一人を大切にする民主政治の党 とである。――←敢えてばら色にした。――その英文名称は"The Party in the democratic politics to see them necessary: the liberty, peace and everyone"となる。"them"とは圧力団体である連合や日教組のことかとのつっこみは許容する。そしてその投票用の略称は ・自由平和 ・一人一人 ・ひとりひとり ・民主 ・民主政治 ・民主の党 ・民主政治の党 ・民主党 であり、報道の略称、通称は民主党または「民主」、「民」となる。目立つという観点からも若しかえるならばそれしかないであろう。

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by keitan020211 | 2016-02-23 23:54 | 政治、社会 | Comments(0)
【民主党】維新の党と合併 党の名はかえるな
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 おひねりが入って来るように、その報は入って来た。
 弊ブログの支持する民主党と維新の党が合併することになった。
 民主と維新を核とする所謂野党の再編はその他には ②それらが共々解散をして新党を設立する との案や ③これまでの通りに特に何も変えない 案などがあり当事者の折衝とその報道が錯綜していたが、『野田が撞き、安倍が捏ねし天下餅 座りし侭に食うは岡田』という決着となった。
 ①或いは③を支持し②を支持しない弊ブログとしては一先ずは安堵のおひねりニュースである。

 合併による新体制は3月にも立つ見込みにある。
 そこには、党の名を新たにするとの案も出ており、今の処は『立憲民主党』を有力とする見立てが報道には出ている。

 然し党の名をかえることには反対であり、殊にその『立憲民主党』は避けるべきものである。

 維新の党はこれまでに相当の支持者と勢力を以て続いている党であり、被吸収合併による解散を迫られることになるその維新にその名を失うことを一方的に求めることは公平ではないとの見方もあるかもしれない。三井住友銀行のように『対等の精神』による合併を望むならばその名を新たにするのが望ましいのではないかとである。
 先ずは考えにくいのは銀行のように両者の名を合わせて『維新民主党』とすることである。『維新』という名には物事がまだ定まってはおらず世も我も普請中にあるという意味合いがある。それを只今においてだけならばともかくいつまでも名乗り続けることは当の維新の側も違和感を覚えるであろう。然もその『維新』も元々は現在の構成員等が名乗ったものではなく今や別の人々となっている大阪維新の会の創始者の橋下徹氏が名乗ったものである。現在の代表である松野頼久氏等がそれにこだわり抜く筈もない。

 前の記事にも語っているように、民主党の名に代わる新たな名は考えられない。民主政治を守るという、一政党においてだけではなく国民のかなり多くの人々が是とする価値を捨てることを、民主党の名を捨てることは意味する。因みに自由民主党の「民主」は単に旧日本民主党を引き継ぐ名であり、自民党の発足の当初はそこに民主政治を守る意味合いはあったが今はそのような意味合いはない、単なる名残りでしかない、事実上は『自由党』であり或いは単なる符牒としての『じみん』である。よって民主党は現在の日本における民主政治の中心として『民主党』の名を維持する義務がある。
 民主党の名は単なる一団体の固有名詞でしかないものではなく、かなり多くの国民が失うべきではないもの、守るべきものとしている価値の一つの大きな拠り処となるものを表す一般名詞でもある。
 よって『民主党』の名を残しながらそこに何等かの新たな言葉を付け加えて新しい価値を表すべしとの考えに基づく件の『立憲民主党』なども容認すべきものではない。何かを付け加えることは民主政治や民主的諸価値を政局の事情から相対化して有名無実とすることを意味する。『立憲民主党』などとは、「本当は民主主義なんて関心もないし面倒臭いだけだが取り敢えずそう言っていないといけないらしいのでそうしておく」という所謂戦後民主主義そのものの心性の反映である。

 『立憲民主党』の案は初めは朝日新聞の天声人語が提起したものである。あの「た」と「こ」の字の画の切れ目だけが2000年代に変更になった朝日書体で「『立憲民主党』はどうだろう?」と来た。
 或いは初めの初め、学者や政界関係者などが国民一般の与り知らない処で考えて朝日新聞に持ち掛けてみたものなのかもしれない。何れにせよその話の始まりは天声人語にあることは確かである。
 大新聞は黙っていても強い影響を世にもたらし得るものであり、弊ブログのような極小の媒体がメイリオなどで「これはどうだろう?」と言うのと朝日新聞が「これはどうだろう?」と言うのとでは量的力の違いだけではなく本質的意味合いの違いがある。大新聞は或る程度に固まりつつある民意を公に提示することが目的なので「これはどうだろう?」では逆に「こうしないとどうなるか分かっているのかね?」と言っているのと同じである。やくざが作ってインテリになり損ないが売るのが新聞であるということになる。固まりつつある民意ならばそうではなく「こうすることが◯◯に資すると信ずる。」のように記すべきなのである。勿論、そう言ってそうならない場合も少なくはない。どうも、今の代の天声人語はやくざ的で宜しくないと感ずることが多い。その天声人語を受け、反安倍を自認する学者や活動家の間にその『立憲民主党』の案を推す声が徐に広がっている。
 若しそうなると、民主党はこれから国民と共にしてゆくべき価値の中心となる自党の名を或る大新聞のチンケなコラムニストの声によって決めたことになり、生まれた子の名を金まみれ下まみれの町長が命名するようなものである。その時はそんな醜聞はなかったが、後に明らかとなって彼の親は後悔するばかり……

 言葉の本質とは何の関わりもないことではあるが、「立憲」の「憲」の字は画数が多くて書くのにはやや辛い。投票用紙の表記は多分「民主党」や「民主」が許容されようけれども、全ての字を正式に書いてみる気になる人が少なくなる字面である。パソコンにおける表示も字画の線が潰れて映るのでその字を知らない人が覚えるようにもなりにくい。また、こう言うと木梨憲武や古市憲寿、畑正憲などの「憲」の字のつく名の人には失礼ではあるが、その上半分は「害」の字と要素を同じくし、それに縦画を二つつけて「心」と書く形である。その二本の縦画が『害を解決する心』を意味すると言って通じれば良いかもしれないが能く分からない話にしかならない。「憲」の字には害という意味は何もないが、あくまでも見た目の問題としては、先ず初めに「害」と書く字は広く支持を得るために立つ団体の名称としては相応しくない、ビジュアルエフェクトの悪い名称となる。読み方が「りけん」と音便を含むことも音の問題として相応しくない、サウンドエフェクトの悪い名称となる。「にぽんいしんのかい」の支持が漸減していたのもそれが原因の一つにあるであろう。因みに、他に「日本」が名称につく党は何れも「にほんきょうさんとう」;「にほんしゃかいとう」;「にほんしんとう」と、音便を避けるものとなっている。音便は文字通り便宜としての発音に過ぎないものであり、正式名称として用いると便宜的でしかなく誠意のないものと直感されてしまう。「にぽんちょうきしんようぎんこう」も破綻した。
 立憲主義に基づく民主的政党という概念には全く賛同するが、名称の付け方としては『立憲民主党』はセンスがなさ過ぎるものなのである。短期的好感度の観点からも長期的或いは半永久的浸透性の観点からもである。

 よって弊ブログが予てより提起しているように、維新の党との合併による新体制の民主党は現行の前原誠司氏の眉毛のように太いロゴマークをもう少し爽やかなものに改めることと綱領の見直しに留めるべきであり、名称をかえるべきではない。

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    ●ル・フィガロ(フランス パリ)
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    ●ボストン・グローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
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    ●タンパ・ベイ・タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
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    ●グローブ・アンド・メール(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ザ・テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
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    ●インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2016-02-23 21:48 | 政治、社会 | Comments(0)
パンケーキを朝食に――あるあるある・・・・・!!!?
 今時に「あるあるある!!!」と言って何のことか分かる人は少なくなって来ている。
 何のことか、知らなくても何も困りません。

 或る調査が、パンケーキを朝食にすることについて県別に調べたという。
 朝食としてのパンケーキはロイヤルホストなどのチェーンレストランにおいては定着している。それを家ですることについてを問う訳である。
a0313715_19405687.jpg ロイヤルホストのパンケーキはミスター・ディモズという銘柄のものであり、創業者の江頭匡一氏がアメリカにて外食産業人としての修業をしていた時にそれを見初めて自社の商品として即決導入としたとの逸話がある。江頭氏は他にもトロピカルティーや英国風野菜カレーなどの数々の商品を外国に行った際に持ち帰ってロイヤルホストに導入している。江頭氏の眼の特色はそのように持ち帰る品々は外国においてもありふれているものでもなく非常に珍しいものでもない、一定の支持が根づいているものを選ぶことである。然も日本の感性にも適う。単なる外タレマニアではないのである。

 その調査の結果は「駄目っす」との回答が最も多いのは広島県(:30%近く)であり、「いいっす」との回答が最も多い――実際には「駄目っす」の回答が最も少ない――のは京都府(6%程)であり、平均的となったのは東京都や大阪府など(20%程)である。
 広島と京都の5倍程の違いも凄いが、平均の東京や大阪と比べても3倍程も違うのも凄い。何故か京都だけが飛び抜けて「朝からパンケーキを食いたい!」県民性なのである。

a0313715_19430239.jpg 私はいつもではないが、バタースコッチやメープルパンケーキを朝食にすることがある。なのでそれに関しては私は京都の感覚に近いといえる。
 また、これもいつもではないが、それらのような甘味パンだけではなく肉料理などの重目の料理を朝食にすることも好む。量としては軽い場合でも、トーストにオイルサーディンとか米にししゃも焼などはよくある。

 甘いものや油ものは目を、延いては頭を覚ませる力がある。軽いものではそれがなかなか覚めない。口に入れるだけみたいな感触になってしまう。パンケーキは甘く然もバターが乗り油ものでもあるのでそのような効き目が望める典型的料理な訳である。また、朝はそれから動くことが前提なので重目のものを食べても消化とカロリーの消費が保証される。睡眠の間に生じる疲労もミソである。片や夜はそれから寝に入ることが前提なので消化と消費の力は漸次に弱まってゆく。そこに重いものを専らとして食べると不消化や不消費が生じて体に良くない。
a0313715_19461082.jpg 広島はお好み焼や牡蠣料理の聖地でもあり、夜に重目のものを食べる傾向が強く、朝は軽く行きましょうやという習慣が多いと考えられる。健康の定石に見ると逆様であり、するとどうしても「パンケーキなんて夜にうっとりしながら食べるものやろう!?」という感覚になる。お好み焼とパンケーキは形が似ているのも示唆的である。

 因みに、朝に食べることが望ましいものとしてはインスタントラーメンの類がある。或いは冷凍食品もそうであろう。糖分や油の少々の取り過ぎも朝の内ならば消化消費される。それらは何しろ用意に時間が掛からないので実に朝に向くものであるといえる。

 「朝にパンケーキ、いいっす。」の多い京都は、肉体労働者が多いこともあり、そのような健康の定石が根づいておりまた時間を掛けない食事が好まれることが理由の一つにあると考えられる。パンケーキは手作りとなると時間が掛かるが即席のものも多い。
a0313715_19484850.jpg また、京都は歴史的にもてなしの町、詰り『食べること』といえば人に食事を供すること、お出しすることが先ず発想の基点にあり、自分が食べることは二の次なので何を毎度の食事に食べるかについては余りこだわらない感覚であることも他地方においては「駄目っす」の多い『パンケーキを朝に』を駄目とは思わない理由であろうかと思われる。仕立てや味についてはさておき、量としてはパンケーキは朝食に実に適うのがミソであり、何を食べるかよりもどう調えるかが京都の人々においては重要なのである。

 京都が必ずしもそうなのかは分からないが、『インスタント食品を朝に食べる京都』とは逆に『インスタント食品は夜中に食べるもの』と思う人が多いのはその調査では平均的と出た東京と大阪である。その感覚からか、「朝にパンケーキなんて考えられない」という東京と「いや、パンケーキよりもてっちりサンドです。」という大阪、それが全国平均の感覚ということであろう。私としては『朝からパンケーキ』な京都を支持しその感性と在り方の普及を望む。

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    ●ル・モンド(フランス パリ)
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    ●リベラシオン(フランス パリ)
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    ●読売新聞(日本 東京)
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    ●毎日新聞(日本 東京)
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    ●ザ・シアトル・タイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
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    ●ザ・トロント・スター(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ザ・ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2016-02-23 19:49 | 生活 | Comments(0)
JR南武線の205系車輌のインドネシアへの譲渡とその逸話
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ヤーヌス  土曜1.15~

 一昨日21日のフジテレビ・関西テレビの『Mr.サンデー』にJR南武線の205系車輌が全廃となり、インドネシアの鉄道会社へ譲渡されたこととそれを巡る逸話の特集があった。
 205系の生産と運用が始まったのは国鉄の最後の時代である1985年である。『ゆく鉄 くる鉄』を象徴する車輌であり、旧来の国鉄の趣と新たなJRの風を合わせて感じられるシンプル且つハイポテンシャルな風采の車輌である。
a0313715_17492976.jpg それから30年、JR東日本の南武線(:川崎~立川)の205系は新型車輌への置換がなされており、昨年2015年の冬に全廃が完了した。

 『Mr.サンデー』の特集は沿線の幼稚園の児童が譲渡される205系の塗り絵と伝言をJRに献上してそれがインドネシアへ渡った車輌等の室内に掲示されることや南武線の車掌による案内放送の独自の文言の温かさ、最終運転の時の中原電車区の社員による列車の乗客への御手振り挨拶の場面など、かなり感動の極まる題材となっている。そのような独特の放送が何故南武線だけにおいては永年に守られているのかは不思議であるが、恐らくJRの乗務員の担当は路線毎に決まっているので『決めた』ことを続けてゆき易いのであろう。異動があるとは雖も全員が一度に入れ替わる訳ではないので継承することができる訳である。
 私は南武線の沿線に住んだことはないが関東においては凡そ常に南武線の近い地域に住んでいるので不定期の利用は多い。そこで最も多く乗っているというか殆どそれをしか見たことはないのは205系である。

a0313715_17544171.jpg 但し特集の最後の、インドネシアの車掌が乗務しているその旧205系車輌は日本より譲渡されたものであることを紹介する案内放送は『発掘あるある大事典』ではないが、やらせという感じもしなくはない。『日本が如何に感謝される国であるか』を番組を通して演出するためのやらせである。何しろ、日本より譲り受けている車輌はJR205系だけではなく他にも東京地下鉄や東急電鉄など既に多くあり、南武線の205系の時にそのように紹介の放送をするのは「何をいまさら?」という感じである。
 尤も、それをやらせとしてした処で現にそのようにしたら乗客も感心したのは事実なので捏造の類とはいえないのかもしれない――『番組と共に作り上げるホットな一時』という論理なのか?――がそれを依頼する心性はさもしいとしかいいようはなく、釈然としない締め括りである。改装後の現在のリベラルな『Mr.サンデー』が、改装前のネット右翼的『Mr.サンデー』に戻ったかのようである。

a0313715_17565496.jpg 馴染みの深い存在と思うのは私もその特集に出た沿線の人々と同じではあり、しんみりとすることではあるが、205系は車輌として良質であるとは必ずしもいえない。なのでそれを後進国――というか、インドネシアは今や先進国といえると思うが、――に譲り渡すことが果たしてそんなに感謝されるようなことなのか、旧いものをたらい回す、物財における帝国主義の芽さえもあるのではないかとの感は拭えない。その205系の譲渡はそうではないとしても、日本はこれまでにそのような見方を世界の人々にされるような悪い実績を積んでいる名誉白人であるからである。
 205系しか走らない南武線をいつも利用していたら、それが良質ではなくても何等かの思い入れが生じるのは当然である。そこにおける選択の不可能性と生涯の一時における拘束を少しでも和らげようと―?―温かみのある案内を心掛けている車掌等は素晴らしい。
 205系はデザインはそれなりに良いが乗り心地は悪いのが難点である。その前に普及していた103系と比べると格段に向上してはいるしそこはやはり'80年代の技術革新の成果を見ることはできるが103系のような揺れなどの走りの荒々しさはなくなった反面として加速、速度の維持及び減速の際の感じが妙に生暖かくふわりひゅるんと変な滑らかさをしている。それは寧ろ『乗り心地を良くする』ことにこだわり過ぎていて実効の薄a0313715_18004751.jpgい作りをしているということである。車輌とは少々の乗り心地の悪さは座席の腰の厚さや室内の造りの良さなどにより感じとしては抑えられるものである。また、尤も肝となるのは原動機(モーターやエンジン)の回転の安定であり、205系が志向するような『滑らかな感触』は二の次となるべきものである。
 205系の殆どの車輌の製造元は正面衝突をした中国の高速鉄道の車輌の製造元でもある川崎重工である。川崎重工は他には新幹線を含むJRの車輌の多くと小田急の多くの車輌の製造を行う。川崎重工は神戸の企業であるが、南武線や東海道本線、小田急の通る川崎は川重銀座である。
 小田急の川重製の車輌等もやはり走りの生暖かさは同じである。同じ型式でも東急車輌製や日本車輌製のものは走りの安定感が違う。今はない9000系車輌はその生暖かさに加えモーターの回転が荒々しく、その轟音と共に走る。私は小田急ロマンスカーの指定銘柄である日東紅茶を好きであるが、紅茶を嫌いな人にとってはロマンスカーの生暖かい走りは紅茶を飲むと気持ちが悪くなるものであるかもしれない。酒に弱い人は、ビールなどもそうであろう。
 川重は二輪車のメーカーでもあるのでその原動機や足回りの機構は運転者が自ら安定を取りながら走ることを前提として設計されているのかもしれない。列車も考えてみれば、立ち乗りならば自ら安定を取らないと乗っていられないことは少なくない。インドネシアの鉄道は凄まじく混む――屋根に乗ったりする――ことが有名であり、その条件には適う。それと比べると混雑が車輌の増備により緩和されることは悠に良いという訳である。


a0313715_17582023.jpg その手の生暖かい感触のする製品作り延いてはサービス作りをする業者に相通ずるかもしれないのはキャッチアップ型の事業たることである。キャッチアップ型とはそれぞれの技術を生み出しその本質を確立している業者ではなくそれらの後発として他所の技術を取り入れることを専らとして成り立つ業者のことである。川重は新興財閥として始まり、技術を自ら生み出して確立したことはないので乗り心地の向上に関しても乗り心地の本質を見究めることなく他所の製品と設計書の見真似で物を作る。そのようなタイプの企業は無論当然にあるものではあるが、それが業界や産業界を取り仕切る立場になったりすると非常に危うい状況となる。中国の高速鉄道の事故もそのような川重の分不相応から起こったような一面はあるのではないかと思われる。本来ならば自社の製品を一から基盤を形成しないとならない中国に売り込めるような分にはない企業なのである。その甘さを埋めてくれるのは政治家であり、安倍政権への依存度もかなり高いのであろう。

 という訳でその『Mr.サンデー』の特集はそこまでで留まっていてよいのであろうかと思わずにはおられないものである。

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by keitan020211 | 2016-02-23 17:47 | 政治、社会 | Comments(0)
【アメリカ大統領選挙】共和党の予備選の大勢が判明するのが早いのは何故か
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スミカスミレ 45歳若返った女  初回:2月5日(金) 金曜23.15~

 4年に一度のアメリカ大統領選挙の巡って来るのが近年は早いような気がする。日本の政権は長くなる程にやたらと長く感じ、小泉政権の時はもはや永久政権かとさえ思える程であった。然し、アメリカの政権は大統領選挙が近づくと「もう終わるのか。」といつも思う。その傾向が――私において――強まっているのはブッシュ二世大統領が2004年の大統領選挙で再選した頃からである。その後は矢継早にオバマ~オバマ~クリントン/トランプと来ている。

 近年のアメリカ大統領選挙の候補は以下の通りである。

1988: 民:M.デュカキス  共:G.ブッシュ
1992: 民:W.クリントン  共:同上
1996: 民:同上  共:R.ドール
2000: 民:A.ゴア  共:G.ブッシュ二世
2004: 民:J.ケリー  共:同上
2008: 民:B.オバマ  共:J.マケイン
2012: 民:同上  共:M.ロムニー
2016: 民:H.クリントン/B.サンダース  共:D.トランプ

 毎度、負けた候補は「若し彼が大統領になっていたら」とはもはや考えられないのがミソかもしれない。勝つと存在が大きく見えるのではなく、勝つ者は初めから存在が大きいのである。
 珍しくと言うのがよいのかはともかく、再選を得なかった1992年のブッシュ大統領はやはりゲロが響いたのであろう。かと思うと、名前からして「負け」な者もいる。「俺は本当は当選していたが蹴っただけだ。」と言う者もいる。そろそろ弱体オバマ政権の蹴りをつけていただきたい。

 もう一つ感じるのは共和党の候補者は本選での勝ち負けを問わず、候補としての呼び声の確立が民主党のと比べて早いという印象である。即ち、「もう決まったようなものだ。」といわれ始めることである。候補者として『当確』な者の名が早々と日本の報道にも出始める。今回もドノー・トランプ氏は共和党の候補としては『当確』であろうと予備選挙が始まって早々といわれている。片や民主党は、予備選挙の終盤になるまでなかなか勝馬の見立てが決まらず或いは決まってはいてもそのことについて決して言わずにまだまだ決まってはいないかのように伝えられる。いわば共和党は軟派で民主党はお堅い雰囲気がある。毎度負けた民主党の候補者はその雰囲気を地で行くようにお堅い人物像の者が多い。

 その理由は一つには共和党の政治にはある『名望家政治』の伝統があると思う。共和党の候補はおしなべて名望家の競争であり、「俺はこんなに凄い!」;「いや、俺はもっと凄い!!」と繰り広げられる。その「もっと2」がより多く積み重なった候補者は『当確』と見られる訳である。

 またもう一つは、弊ブログのお気に入りブログである『民主コッホのブログ』が今日の記事に言及する民主党の予備選挙における特別代議員制度にあたるものが共和党にはないことである。
 民共共に、予備選挙または党員集会は一般有権者の支持の状況が生で表れるために、その積み重ねを追ってみると誰が有利であるか若しくは当確であるかが見えて来る仕組みである。然し民主党はそれに加え特別代議員という制度を設け、予備選挙の決戦となる党大会までは誰が終いには勝つのかは何ともいうことはできないようになっている。予備選挙の積み重ねにより有利と見られていた候補がそこ一発で引繰り返されることもあり得る。特別代議員は現職の議員などによりなるが、その正統性の論理は「民意とは『今選ばれようとする人/選ぶ人々』だけにあるのではなく『既に選ばれた人々/選んだ人々』にもあるということである。いわば『先輩方の意見』がものをいう訳であり、その意味においては民主党はより保守主義的政党であるといえ、共和党は『今』が全てを決める前衛的政党であるといえる。共和党にはそのような制度はなくまた予備選挙や党員集会の在り方も公開性がより強いので予備選挙の積み重ねだけで『勝負ありたり』を見て取れる。いわば日本などの選挙における出口調査のように、それを通して取材し或いは報道を丹念に見ておれば分かるのである。

 アメリカの大統領選挙は州により制度が違い、またその方法等も厳格な地域があったりええ加減な地域があったりすることは他国には中々理解されにくいものの民意をより的確に反映するには良い在り方であると思われる。即ち、民意を汲み取る『確率』が重要であるということであり、人為的営為だけによっては民意を的確に反映することは難しい。野田佳彦総理により今般に3年3か月振りに――と言えばよいのに何故かここだけは報道メディアはその言葉を用いずに「4年振りに」としか言わない。4年振りになるまではあと9か月もある。――国会に挙がっている定数の是正なんかも、日本の選挙は定数や区割りの変更、そして何より選挙制度そのものをどうするかの論争などの人為的営為を偏重して『確率による反映』の観点がない。既定の選挙制度の枠組みの中で実際に何をするか、できることは何かを問う姿勢、即ち民意を問う努めがない。選挙制度はヨーロッパ諸国も日本とそう違わないがそのような観点に由る営みは日本よりもう少しはあるのではないか。他者に投票をさせる、即ち「委任する」などの不正は決してあってはならないが、或る種のええ加減さは民意をより的確に反映させるものである。場の空気に流される、友人や恋人の意見を踏襲してみる、花弁を一枚ずつ取って決める・・・・・などなどは意義のあるものであり、不合理で遅れている、宜しからざるものなどとはいえない。アメリカの有権者は皆そうしている。

 そのように見方を変えてみないと、反安倍の方々による安倍政権への批判も密かに反感を買い、弊ブログのような良識のある正しい反安倍が彼等のそれと一緒くたにされることになる。場の空気に流されてアベノミクスに少し期待してみた人が何かとてもとんでもないことをしているかのように所謂リベラル左派のネットや雑誌などに糾弾される。若し安倍はやはり駄目であったかと認識を正しくしても、彼が次に選ぶのはまたも自民党――「安倍政権は駄目だがここの候補者は良いとしかいいようがないから」とばかりに――或いは自民党に有利な棄権となり、選挙協力などにより結集した野党にはなり得ない。尤も、リベラル左派の真の狙いは宏池会や平成研究会などのリベラル派の主導による自民党の一党支配の再生及びその衛生政党としての諸野党の確立なので何を言ってもどうにもならない。少なくとも広く有権者に見える報道メディアの世界におけるその筋のリベラル左派を排除するしか日本の政治と選挙が改善される手立てはない。

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by keitan020211 | 2016-02-23 15:25 | 政治、社会 | Comments(0)



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