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【ASKAの覚醒剤】『国会の審議』が問題になる時なのは何故か?
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フジテレビ/関西テレビ 関東:8ch 東海:1ch 近畿:8ch
Mr.サンデー  日曜22.00~

 CHAGE&ASKA――
 結構古く、1990年代の前半の頃に俄然に意気を挙げて売れたバンドである。
 当時に私は無論耳にしてはいたけれど全く興味はないので彼等の活躍はマスコミの年表に載るだけのものとしか認識していない。
 よってその一人であるASKAが2014年5月に覚醒剤取締法違反で逮捕された時にはこれという感慨はなく、一般の犯人と同じようにしか見ていない。さすがに残念と感じたのは元西武ライオンズの清原和博氏の件である。逆に酒井法子は如何にもやってそうという感じで「ざまあ見い。」とさえ感じた。

 寧ろ、ASKAを一般の犯人と同じようにしか見れない程にどうでもいい人であることがそれから2年を経ての今般の逮捕についても至って冷静に見れる理由かもしれない。

 ――ASKAが「絶対にやってない。」と言うのを信じたいのである。

 前回の逮捕については確かに「やっていた」であろう。そして今はその執行猶予中であり、更生を図っている筈であった。
 その中の逮捕となったが、覚醒剤の検査で陽性反応が出たことだけが証拠として取り上げられ、彼が覚醒剤の関連品を身元に全く持っていないことは諸報道は一応は言及しているだけで勘案してはいない。即ち、その検査が虚偽であるか或いは検査そのものは適正であるが彼が覚醒剤を摂取した原因が彼の意思においてではない可能性が勘案されてはいないということであり、諸報道はそれにもかかわらずASKAが覚醒剤を「やっている」ことを断定して報じている。それは仮に事実であったとしても報道の作法としては不適切であり責められるべきことである。取り分け酷いと感じるのはテレビ朝日の『ワイド!スクランブル』であり、司会の元高知県知事などがASKAを早速や有罪と断定して彼を批判する。

 私の推察では、ASKAは外へ食事にでも行った時に覚醒剤を彼に供していた暴力団関係者か何かと「偶然に――勿論偶然ではない――」会い、そこで料理に覚醒剤を混ぜられたのを食べたか或いは「久々にちょっとだけやって見いひんか?」と云われてどうにも断れずに一発だけ打ったかである。若しそうであったなら、不可抗力ということで無罪になる。尤も、断れないのは如何なものかとも思うが――やーさん程断り易い相手はいないものでもあるし――、そうはできない人が世の中には多いというので仕方がない。で、そうであれば関連品が身元にある筈もない。

 では、そのやーさんは何のためにASKAに覚醒剤を奨めるかが問題となる。

 前回の逮捕の2014年5月は集団的自衛権の行使を認めるように憲法の解釈を変える旨が閣議決定された7月の直前である。そこでは充分な国会における審議がなく閣議により強行されたことが強く批判された。また、同じ5月には環太平洋合同軍事演習がハワイにて行われ、そこに何と太平洋を侵略するのではないかと懼れられている中国軍が加わったエポックメーキングなことがあった頃である。中国軍のその『太平洋への進出』の事実と件の閣議決定はグローバルな観点から見て辻褄の合わないことである。然るに当閣議決定を批判する報道メディアはそこを重点的に突いて報ずれば世論の理解をもっと得ることができた筈である。しかしその合同演習については流しのニュースで少し報じられただけである。
 丁度その頃を、ASKAの前回の逮捕の報は埋め尽くしていた。

 そして今回、TPPの承認や年金の減額を定める法案の可決など、国会の審議が足りな過ぎる、与党は強行採決を繰り返していると野党などに批判されている案件が幾つもある。

 『ASKAを冤罪にした警察』或いは『ASKAにいつの間に覚醒剤を入れたやーさん』のその意図は自公与党のかのような強行議決に対する批判の報や特集をさせないようにするためではないかと考えられる。
 そもそも、警察庁長官は内閣の指名はしないが、承認による就任である。警察はそもそも秘密保護法案などには反対の気風が強い――その良し悪しについてはさておき――ので彼等がそれを認めるようにするためには長官などの幹部を政府の意向に適うように固めておかねばならない。

 車で自宅を護送されるASKAの顔は、如何にもやっているような顔つきをしていたが、現にしていないことが過去の経験を思い出すことにより顔に出る場合がある。やっていた頃の顔などの動きは更生を重ねても全く消え去ることはなく、その動きがどこかで出る場合がある。被爆の衝撃が後々にまで身を震わせることと同じである。

 ASKAは初めから覚醒剤をやっていたのでその点は身から出た錆であったといえるが、二度目の逮捕を機に薬物依存の更生の在り方が更生者の名誉や人権を損なうように改められたりすることがあってはならない。『あの国とは違うので殺しはしないが生かさない』ような在り方に変えられてしまう虞は充分にある。既にそのような方向を志向するような言説が大手報道メディアにも出ている。逆に、ホリエモンは薬物依存はそもそも絶対に治らないと、「だから何なんだ?」というような感じがしなくもないが更生者の名誉や人権を重視する言説を自らのツイッターに出している。治そうと働き掛けることそのものが名誉や人権に反する場合があるということである。絶対に間違いのない更生の手立ては単純に薬物がないこと、手に入ることのないこと、それだけである。

 まあしかし、安倍さん達はそうまでしてASKAを殺したい訳であろうか?
 確かに『万里の河』とか、日本らしくないし、安倍政権にとっては疎ましいアーティストであるには違いない。
 リベラルを自認するならば結果はどうあれ、ASKAの擁護をするべしと思うが――誰かのように、CHAGE&ASKAを好きであるからということでは勿論なく――、社会問題に疎い反安倍のリベラル左派はそうはしそうもないな、サイケの時代を生きていた筈な団塊世代がそもそもその中心であるし、本当に彼等はまやかしですな。

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a0313715_1412168.jpg●東海地方の緊急地震速報は ダイヤル1332 東海ラジオ
静岡県:FM 78.4 K-MIX


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


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テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

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フジテレビ みんなのニュース 15.50~18.57 <FNN>17.54~18.57/月~金

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by keitan020211 | 2016-11-30 21:15 | 政治、社会 | Comments(0)
百田尚樹氏の「在日外国人たちではないかという気がする」発言と古谷経衡氏の右派論壇閉鎖社会論について
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 作家の百田尚樹氏が久々に問題発言を出した。
 自らのツイッターに、千葉大学医学部の学生等が集団で女性に暴行した容疑で千葉県警に逮捕された事件につき、「千葉大医学部の学生の集団レイプ事件の犯人たちの名前を県警が公表せず。犯人の学生たちは大物政治家の息子か警察幹部の息子かなどと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする。」とのものである。

 それにつき、文筆家の古谷経衡氏は:
 それをめぐり、或るジャーナリストがツイッター社は百田氏のアカウントを規約違反により停止するべしとするなど議論が沸騰中だ。私はここ数年間、嫌というほどリアル/ネットの空間の別を問わず、耳を疑うような、決して言葉にすることが憚られるような、異形ともいうべきヘイトスピーチを見分してきた。よって社会的影響力の大たるベストセラー作家の言だとしても、上記発言に特段の感慨はない。
 むしろ、悲しむべきなのはそういった直接的な異形のヘイトスピーチと比較して「この程度ならまだしも穏健な方だ。」と少しばかり得心してしまう自分についてである。少し前なら社会生命を失いかねない言葉が平然と大手を振って歩いている。百田氏云々よりも、そちらを憂慮するべきである。
:とする。
 これという感慨がない、その程度ならば寧ろ穏健ともいえると思うのは私も同じくあるが、そう思う自分を何とも思いはしない。
 犯罪沙汰があれば先ずは外人を疑うことは昔も今もかわらない定番である。伝統などといえるようなものではないが、「外人じゃね?」みたいなことは昨今に著しく増えていることではなく、寧ろ少なくなってさえいることである。寧ろ、少ない故に目立ち、殊更に問題とされるようになっているに過ぎない。問題とする側はそのような準ヘイトスピーチをこの折に根絶したいと息巻いているのである。
 外人は国の社会への関わり合いが本国民と比べ格段に少なくて薄いので何か行き詰まる際に犯罪や頽廃行動へのアクセスを取る余地が大きい。それは当たり前のことであり、寧ろ外人を無条件に国民と同様に捉えるようになれば外人を疎外することになる。外人を国民と同様に受け入れることはする側にとってもされる側にとっても、然程に甘いことではない。
 「外人じゃね?」は決して「外人がやってまーーーす!!!!!」ではない。尤も、近年にヘイトスピーチと目されている事例等には後者のようなものも見受けられはする。百田氏のツイートは明らかに前者である、「気がする」と言っているし。
 「外人じゃね?」は一つの可能性、即ち事案の解決の切り口の一つを出すことである。国民のためにある機関との前提による捜査当局は得てして国民だけに目がゆき、外人によるものとの可能性を考慮しないものである――その良し悪しは分からない。捜査機関には特有の定石というものがある。――。そこに、「外人じゃね?」のような問いが出ることは国と社会の国際性の表れでもある。外人がいない国や社会ならばそのような問いは出ようもないからである。詰り、ヘイトスピーチを問題視している人々の中には自らが外人や国際化社会とは何の関わりもなく日本人だけの空間で生きていて、今後もそれを望んでいて問題視する人々が少なくない。所謂安全地帯からしかものを言わないことの典型である。団塊世代的リベラル左派とその継承者はその典型である。

 古谷氏は若いので―笑―そのようなことが普通に言われていた時代を知らない、故に「悲しむべきなのは……少しばかり得心してしまう自分についてである。」や「しかし、そういった異形に比べてまだマシなのだからよいで済んでしまうお話なのだろうか?」となるのか?
 得心するとはそのようなことが普通に言われていた時代から生き続けている感覚を無意識に分かるということでもある。それが昨今の聊か異様な政治的正しさ、PCの概念の意識とのずれを感じて戸惑う訳である。今時が間違っている。「まだましやし、かまへん。」で済むお話である。
 とはいえ、「私はなぜ百田氏のような高名な作家が2002年ごろから勃興してきたいわゆるネット右翼の界隈に定説となった『犯罪者=在日コリアン』説を垂直的にトレースするのかに興味がある。」には良し悪しはともかく、意味があると思う。
 一つ言うと、日本の在日外国人の最多勢力は昔も今も朝鮮半島系、所謂コリアンである。先の「外人の可能性」を単純な数論で割り切るとその可能性が最も高いのは在日韓人ということになる。次がシナ人。
 外人だけではなく、古代以来に帰化している韓国系を含めれば、日本の相対多数に過ぎないのに最大多数、即ち過半数であるかのように振る舞う不快感や被抑圧感ということもある、彼等の云う通りにすれば最大幸福が実現すると。
 よって在日韓人が日本においては何かと疑いの筆頭格とされることは歴史的に避けられない宿命なのであり、百田氏の程の準ヘイトスピーチ、即ちヘイトスピーチに似るものが出て来る位のことで目くじらを立てたり非難をかますのはおかしい、ならば貴方は在日のために何をしているというのですかという話になる。

 おい、言うだけ番長。

 ――これらのことは私の物心がついてから永らく思うことであり、昨今にネット右翼が愈々無視し難い存在になってきたから考えを変えて言っているのではない。ネット右翼は逆にそのようなことを知らずに今世紀のトレンドに乗って騒いでいるか或いは少し知っただけでその知見をひけらかしているかのどちらかである、例えば元左翼やリベラル左派で昨今に右派の論調に雷に打たれるように出会い、以後右派的なるものにこだわってものを言い生きている人達など。
 彼等を含むいわば潜在的左翼が今の世を牛耳っていることを見るに、古谷氏が右傾化はない、あるのは左傾化であると語るのは得心である。

 もう一つ、古谷氏が語るのは日本の右派論壇または保守論壇の特殊性についてである。

 古谷氏がそこに「インターネットが普及する以前、この国の保守論壇は冷戦時代の反共保守が中心となり、そしてそれを支える支持者もまた著しく高齢化していた(現在もあまり変わらないが)。そしてその保守論壇は産経新聞と論壇誌『正論』を中心とする貴族的でサロン的な閉ざされた空間であった(産経 正論路線 参照:拙記事『温室の中の保守論壇』とヘイトスピーチ)。彼らは良い意味で喜捨の精神に優れ、そして高齢者が主体なので肉体言語とは遠くまたその動作は緩慢かつ温和であった。当然、そういったある種の高級サロンの中で観測される人々は思慮深く温順な日本人であり、暴力や犯罪から最も遠い。」と語るのは本当である。前世紀、本当の保守右派が生きていた時代である。私、弊ブログも、根底の路線はそのような前世紀の保守右派の論調にある。それが今世紀ネット右翼の台頭と共に相対的に左寄りに見えるようになって来、それが竟先頃まで続く。安倍安保法案などにも反対である。しかし、ネット右翼やリベラル左派を一々念頭におきながらものを考えて語るのは面倒臭いので最近はもう少し相対的右寄りに路線を戻しているが絶対値としては昔も今も殆ど変らない。

 しかし、そのようなかつての保守右派論壇と今のネット右翼を含む右派論壇には本質的違いがある。断絶というよりは異質なものに乗っ取られているものである。
 それは古谷氏がそこに指摘する保守右派論壇の閉鎖的サロン性は今の右派論壇にはないことである。
 昔の保守右派論壇は良くも悪くも閉鎖的で世間への影響力は微々たるものしかなかった。その『微々』に可能性を夢みて保守を語り生きる、それが保守右派のロマンであり生き甲斐であった。それはそれぞれの生き方により可能であった。そもそも人は世界に微々たる影響をしか与えられない存在として生まれて生きて没するものである。
 そのような保守右派論壇が断絶しつつあったのは2000年頃、その一因は1998年に橋本政権の下に決まった在日米軍の普天間基地の辺野古への移転の政策である。辺野古における問題は当時は余り今に見る程には表に出て来てはおらず、日本、沖縄とアメリカの三方良しの、万全の決定策であるかのように見えた。そこに、年来に保守右派が支持する日米安保体制は更に磐石のものとして完成しつつあるかのように思えた訳である。その感慨を今になって引繰り返されたくはないことが最近の辺野古への移転を巡る情勢には現われている。俗に言う「これ最強!」というものであり、それが如何に恐ろしい観念であるかが分かる。かくして保守右派論壇はそれまでの閉鎖的サロンにおける穏健賢慮の美風を失い、「これ最強!」に乗り掛かって下らない話に明け暮れるだけのサブカルチャー的存在に転化してゆく。その代表は元外交官で正論の執筆者の一人であった岡崎久彦氏である。
 『正論』を含むサブカルチャー化した右派論壇は今世紀の初めの頃のネット右翼予備軍の思想と言論の教科書となってゆく。その『正論』が教科書を作るようになったというのが何ともサブカルチャー的話で下らない。ネット右翼は新世紀の右派論壇を参考として着々とその足掛かりを当時の普及し始めたネットの世界に築いてゆく。ネットは情報の伝達力はそれなりに高いが動員力は余りないことが特色のメディアである。それはインターネットのサイトを作るためには結構手間の掛かる知識と技術、時間が要り、情報を出すだけで一苦労、それを使って人物金を実地で動員することはアメリカの民主党のネット献金などの強者にしかなかなかできないことである。
 かつての保守右派論壇はサロン風に閉鎖的とはいえどもそれなりの動員力があった。先ずは動員される側に積極的関心があることが動員の成り立つ最低条件ではあったが、一度やその世界を知ればアクセスが可能なものであった。また、多くの場合はそれが可能となるのは都市部であり、保守右派論壇は東京圏と大阪圏にしか粗ないものでもあった。都市部に偏在することは後のネット右翼も大体同じであるが、ネット右翼は実地的動員力にはツイッターのある今も聊か欠ける。
 逆にツイッターを生かして実地的動員力を持ったのは彼等の忌み嫌うリベラル左派を含む護憲平和主義の勢力である。安倍安保法案の反対のデモや辺野古への移転に対する抗議のデモなどに、彼等はツイッターを生かして人物金を容易く―?―動員する。元々が実地的動員による訴求を主な手立てとする人々なので新しいメディアをそのために生かすことは何故考えないかというべきことである。
 ネット右翼はツイッターなどのメディアを実地的動員のためには使わないために、それを使う目的は不特定多数へのメッセージの発信に偏る――弊ブログもその点は同じであるが、使う能だけはあると思う。――。それがヘイトスピーチや準ヘイトスピーチの横行につながる。また、デモ好きな人々の程にはメディアを使いこなせない旧い発想のリベラル左派がその内容はともかく、その基本的発想や行動様式においてはネット右翼と同類となる。経済的貧困とは違う意味における格差、the gapが存在し、ネット右翼とリベラル左派はメディアリテラシーにおける相対的貧困層であるといえる。何れも経済力は今時にしてはやや高めであるとは古谷氏の既存の指摘にも明らかである。
 故に、ネット右翼同士の互いの存在の確認は殆どネットの文字や記号を通してしかできない。必然に、顔も背格好も不明となる――偶に顔を隠して躰だけを映すネット右翼女がいたりするが、――。サロン的とはいえないし、閉鎖的ですらない。

 故に、古谷氏の続いて言う「それはインターネット時代になり、ネット右翼がその保守論壇に寄生する現在になってもいささかもかわることはない。」は誤りであり、聊かかわってしまっている。
 但し「ともあれ、保守も、右派も、ネット右翼も、貧困に無縁な比較的富裕な社会的強者だからこそ、日本人なら犯罪など犯さないはずだという結論に至っていく。自分の周りが同じような社会階層ばかりなので、犯罪傾向とは無縁で、日本国内の重大犯罪はどこか海外で起こっているかのような距離感がある。」というのは本当なろう。日本人のイメージが彼等においては辺野古のV字滑走路のように固定化されている。しかしそれを古谷氏のように「貴族的」ということはできない。貴族とは悪く言えば大年増であるが、様々な伝聞を得て自らとは異なる世界が確かに存在することを少なくとも知識としてだけでも知る人々であり、貴族的であるとはそのような性質のある平民である。同じような社会階層としか関わらない人々は良く言えば武士的であり、普通に言えば単なる中流大衆である。

 古谷氏には他にも、ハロウィーンについて語る批評にハロウィーンは見せびらかし消費であるなどというのにも見て取れるように、階級的特徴や価値を巡る問題というものに関してやや無知で倒錯している処がある。貴族とも呼ばれる上流階級は見せびらかし消費をしたりはしないし、地位に基づく同質的交流に生きる人々ではない。西欧の舞踏会やサロンなども、互いの同質性を確かめ合う場では全くなく、逆に各々が如何に異質であるかを見究める場であるり、日本の保守右派論壇もまたかつては向こうとの規模と予算の差はあれ、そのようなものであった。
 「派手に遊んで見せびらかす上の人達」に対して「自分達庶民は質実で賢い」と対置し、上を羨みながら蔑み下を称――「日本揚げ」の「揚」――する発想はネット右翼やリベラル左派に相通ずる悪弊であり、古谷氏もその影響を受けて育っていることに気をつけるべきである――凄い目つき…042.gif――。

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by keitan020211 | 2016-11-30 19:13 | 文明論 | Comments(0)
豹柄の人気1位は埼玉県;2位は大阪府…
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 豹柄――

 雹柄も良いかもしれないが、雹柄ではなく豹柄、脚の速い四足の獣、豹の皮を使う生地や皮を模す柄の生地の服や装飾品をいう。

a0313715_22092876.jpg 昨今は余り見掛けない豹柄、そのタイトなワンピースなどは昔は所謂若い姉ちゃんの典型的装いの一つであったし、豹柄の玄関敷やソファーなどは素敵な金持ちの典型的趣の一つであったが、今はとんと見掛けない。羽振りの良さげな豹柄の婆様もなかなかいない。老人はとにかく慎ましそうな慎ましそうな服を着るべしというような時代にある。年金問題などの、政治的反感を買わないためでもあろう。
 しかし、まだ生きている地方もあるという。
 豹柄の県別の購買数の番付を取った調査者がおり、それに拠ると埼玉県が1位で大阪府が2位、岐阜県が3位、東京都が4位となる。
 埼玉県は市の数が日本一多く、有象無象の市とその市街がある。それらに分け入って行くと今も豹柄がここにもそこにもと生き残っているらしい。大型SCも東京都や神奈川県と比べると多く、そこにも豹柄が「はい、あります。」と姿を現す――
 東京都は、人口と商店の数の絶対数の多さによるものであろうか?現に東京やその周辺では豹柄を見掛けることは粗全くないが地域によっては根強いのであろう。

 豹柄が尚も強く支持されていそうなのは大阪府と岐阜県である。何となくそんな感じがする。

a0313715_22075132.jpg 私は豹柄の服を着たことはないが、豹柄の布団を使っていたことがある。奇しくもというか本当に多いのか、岐阜県の近くに住んでいた頃である。川を渡ると岐阜県で川沿いに早くも山の迫る、まんが日本昔ばなしの舞台に絶好そうな所である。その愛知県の或る町の小さなホームセンターに豹柄の布団があり、迷わず買った。無論、皮製ではなく豹柄をあしらう普通の布団であるが、気分としての高級感は満点で、眠るのが楽しみで寝起きも良い。
 豹柄の服も良いのがあれば着てみたいと思う。
 豹は猫科の動物であり、猫である私には親しみが湧く。野球のファンも猫科のライオンを奉る埼玉西武ライオンズである。

a0313715_22123384.jpg 豹の魅力は自然が織りなす最高度の芸術的美しさにある。「立てばライオン、坐れば猫、駈ける姿は豹」という諺もある。
 而して人とその作り出す文明もそのようにありたいとの願いが豹柄には感じ取れる故と思う。正に文明の象徴な訳である。
 尤も、豹を獲って皮を売り始めた人々が初めからそのような意味を込めていたのではなかろう。寧ろ、あの凄い動物を獲ることには人間の力の勝利があるという程に思っていたのかもしれない。そのような感覚から好まれる豹柄の世界もある。所謂イケイケ姉ちゃん流の豹柄である――私はそうではない。――。それらを合計すると人間主義の強い埼玉県や大阪府などの豹柄の売れ行きとなる。岐阜県は多分、私と同じような前者の好まれ方であると思う。

 豹柄がよく見掛けられたのは1980年代であり、その時代に日産自動車がレパードという2扉セダンを売り出した。2扉セダンとは聞き慣れない種別かもしれないが、2扉車に多いクーペではなく車体が三箱型の2扉で、セダン並みの室内の快適性を求める車である。同じ時代にトヨタ自動車はソアラという同種の車を出している。
a0313715_22055349.jpg そのレパード、Leopardの名の意味は豹であり、豹柄の座席や内装をしてはいないが何となくその趣向に似合う座席や内装のデザインをしている。オークル系、即ち黄土色を基調とするものである。
 私は初めから当時もトヨタ派であるが、その日産レパードには聊か心酔してしまい、大きくなったらレパードの似合う人になろうと夢みていたものである。手短に言えば知性と色香を兼ね備える――約めて才色兼備と言う。――大人である。そこへ以て来ると、トヨタソアラは性能もデザインも素晴らしいが若干の色香の不足があった――後のレクサスSCとなるとその点も完璧となったが、――。因みにソアラ、SOARERは天馬というような、空想上の動物である。動詞の"soar"に"-er"である。

 今はどうであろうか?
 良し悪しはさておき、豹の皮とか縞馬の皮とか空の雲とか、自然の姿をそのまんま柄にするようなデザインの在り方は早い話、ウケない。何でもいいから、人の発案の生かされるデザインでないと駄目、今はそんな感じになっている。仮令それが下らないメッセージであろうと――「さておき」違うんかい??――、人間性が感じられるものが良いというのである。
a0313715_22155051.jpg そのようにかわっている背景にはパクリとか盗作というような、意匠における権利の意識が生半可に――「さておき」違うんかい??――高まっている思潮がある。人間性の感じられる発案は人それぞれに違う筈なのでそこには権利による分別をつけやすい利点があるが、獣の皮や空模様には目立つ違いは作りにくく、大雑把に見れば皆同じである。違いは正に野菜の傷み具合のような細かa0313715_22172610.jpgい納得の如何におけるものとなる。豹柄では少なくとも権利ビジネスは成り立たないし、そもそも似ているものが出て来たらここぞとばかりに訴訟に打って出るような発想と行動様式には馴染まない。
 故に、パクリの常習といわれる中国が尊敬される経済大国となりたいならば豹柄を普及することである。そこには初めからパクリも盗作もないからである。そして日本も、「未だにそんなものを好む中国」などと思わずに豹柄の人気を再来させるべきである。

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by keitan020211 | 2016-11-27 22:18 | 文明論 | Comments(0)
GUのトレンチコート
 弊ブログの推すコスパブランドであるGU――
 この冬は極めてコスパの高い逸品を見つけた。

a0313715_18332253.jpg GUのトレンチコート――

 他のトレンチコートとは何が違うか、何も違わない、見た目は。
 否、厳密にいうと見た目も違う。
 下手に高いものより質感とデザインの高級感が良い。

 そして何よりも着心地の柔らかさ
 分厚いセーターの上にも融通良く合い、きつい感じになることがない。

a0313715_18350541.jpg 生地は薄く、裏打ちも薄目に出来ているが、それが暖かい。動き易さの理由でもある。
 薄くて暖かい布団のような着心地である。
 その薄暖かさの故に、襟巻(マフラー)が前に膨らみ出張るような感じにもならず自由に巻ける。例えば長いマフラーを半分の長さにして丸っと巻くのにも能く合う――私のはライトベージュのコートにオレンジの長マフラー――。

a0313715_18371212.jpg 大き目な襟のしなり具合も完璧、ライトベージュの色合いも良く、汎用性が高いながらありきたりな感じもない。様々な装いにぴたりぴたりと合う。

 但しシルエットはやや太目、私の大き目好みには合うがそこは好みが分かれよう。
 細目のトレンチコートの帯(ベルト)の後(しり)が程良く垂れていると聡しくて(:知的で)かわいいと思ったりするが、太目なシルエットのこのGUのトレンチコートでは、その垂れ具合がやや足りずにそのような感じが出にくいかと思う。失敗を懼れるならば、垂らさずに普通に締めるのがお奨めである。寧ろ前を垂らすとウケるかもと思う。
 トレンチベルトの締め方の種々については、これも弊ブログの推すブランドであるNEWYORKERのサイト:
に例示が載っている。

 私が買って着ているのは新品同様の中古で新品同様の価格であるが、それと同じ型のものは新品では在庫が既にないらしく――発売中の定価は990円 再発売の可能性なくはなし――、GUのウェブサイトの写真で見る限りではより細目でスタイリッシュな形、資生堂MAQUILLAGEのリキッドファンデーションに合いそうな新型のトレンチコートZが出ている。従来のGUはきゃりーぱみゅぱみゅやa0313715_18425219.jpg山本美月がCMモデルとなっていたことにも窺えるように微妙にぽちゃっとしていて強かわいい趣を主としていた感があり、私もそれを気に入っていたが、この処にはもっと'90年代風+αのスタイリッシュさを志向しているようである。『'90年代風』はスマート感;『+α』はゆるキャラ感である。'90年代を愉しめなかった今の中年世代とか、'90年代を馬鹿にしていたけれど近頃は当時が羨ましくなってきた高年世代とか、「GU=B層と学生/ユニクロ=セーフ」みたいな思い込みの強い層――「プチプラ」の語もそのような先入観を助長しているかもしれない――を見直させて引き込む狙いがあるのかもしれないと弊ブログは見る。
 とはいえ、トヨタマークXやレクサス車なんかも今の型より一つ前の型が良いし、中古のGUも新品に劣らず価値が高い。丁度、マークXの'2004年型と’2009年型との違いのような違いが私の着ている旧型と今出ている新型との違いという感じである。

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by keitan020211 | 2016-11-27 18:45 | 生活 | Comments(0)
脳科学者ケン茂木 テレビの画面の汚さを批判
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 民進党の御用学者である脳科学者のケン茂木こと茂木健一郎氏――
 近頃は弊ブログは茂木氏の批評に窺い知れる何とも非リベラルな昭和脳を批判することが多いが、今日27日にBLOGOSに出た彼の記事『なぜ民放のバラエティ番組はテレビの画面を「汚す」のか?』は久々にシームレスに共感することのできるナイスな批評である。

 ということで、取り敢えず全文を引用してやる。

時々、地上波テレビの「悪口」(笑)を書くが、それだけ、未だに重要なメディアであり、しかもメディアとしてはまだ存在しているのだからできるだけ良くなってほしいという思いからである。一種の「応援」だと思って欲しい。
最近つくづく思うのは、「日本のアニメ>>>日本の地上波テレビ(特に民放のバラエティ)」ということである。同じ国で、なぜ、これだけクオリティの違うものができるのか不思議なくらい、前者は最近めざましく素晴らしく、後者は惨憺たるありさまである。
民放のバラエティがダメになった理由はいくつかあると思うけれど、一つは、常々指摘している、馴れ合い、ゆるさで席巻しているお笑いの風俗のせいだろう。社会的な批評性を伴わないゆるい笑いは一つのあり方だが、それがモノカルチャーになるとさすがにきつい。
グラミー賞やアカデミー賞の授賞式を見ていればわかるように、向こうのコメディアンはエンタメのど真ん中でも、きちんとその時々の社会状況や帰一的価値を背景とする批評性を決めてくる。これが日本の地上波テレビにないのは、ほんとうにキツイ。
もう一つ、最近の日本のテレビでどうしても理解できないのは画面や音の汚さである。なぜ、あのように字幕やテロップを多用して画面を汚すのか?芸人さんたちのつまらぬ間の手や笑い声を強調するのか、全くよくわからない。
映画『君の名は。』があれほど画面の隅々まで心を配って絵作りをし、音楽も美しく作り上げているのに、同じ日本の地上波テレビが、なぜ、あれほど汚い画面作りや音作りをしているのか、私には一秒たりとも理解できないのである。
民放のバラエティなどは前から公言しているように一秒も見ないが(すぐれるドラマや、ニュース、スポーツ中継などは見ることもある)、たまたま食堂などでかかっていると、絵の汚さに音の汚さですぐわかるのはさすがというか、悲しい話だと思う。
民放の制作担当者の方々だって、『君の名は。』とか『この世界の片隅に』を見て感動したのだろうから、それならば、同じクリエーターとして、誇りを持って、良いものをつくっていただきたい。汚い大文字のテロップや、タレントさんの馴れ合いなんて、視聴者は別にテレビに期待していないと思う。

 弊ブログもアニメについてはともかく、そのケン茂木の批評と粗同じ主旨の批判を時折にしている。前は彼と同じく民主党を支持していた弊ブログをなぞっているのではないかと思う程である。

 一つ違うのはテレビをアニメ映画と比べること――それぞれ掛けられる時間と費用が格段に違うのでアニメ映画並みの造り込みの水準をテレビに求めることはできない。
 テレビにできる、しなくてはならないのは簡単な仕組みと技術を以て確実適時に画面を完成させることができることである。
 ていうか、弊ブログも茂木氏も批判する字幕やテロップの遣われ方も、簡単な仕組みと技術の産物である。PCの進化などによるそれらの技術の進化により、多種多彩の字幕を迅速に作ることができるようになっている。概ね1990年代からのことであり、バラエティー番組における字幕の濫用が興ったのも丁度その頃である。’90年代の半ば頃にそれに対する業界内外の批判が起こり始めて新聞の投書や記者による批評にもしばしば取り上げられるようになったが、それから二十年、テレビ業界はその批判を事実上全て無視して字幕の濫用をこの十年程に更に強めている。「正に麺を啜って何が悪い?!、日本の文化じゃけ!!」と同じ居直りと圧力である。
 簡単な仕組みと技術、それを如何に『必要なものを必要な時に必要なだけ』用いるか――昭和の時代のテレビはもっと難しい仕組みと技術または簡単ならば白い字だけみたいなものであったために『必要なものを必要な時に必要なだけ』揃えるだけでもなかなか難儀であった訳であるが、今は技術の進化に驕るような番組作り及び画面造りが跡を絶たないでいる。それを私はテレビ番組のレンジグルメ化と呼ぶ。

 ニュース番組の日本語の聴き取りにおける字幕も、今はデジタルテレビでの切替ができるので選択表示式に出来ないものであろうか?それを見ていると、「貴方の言葉は方言なので私達には分かりません。」、「貴方のおっしゃっていることは詰りこういうことですね。ふむふむ…」と云わむとしているかのように映る、「少し聴き取りにくいのでもう一度撮らせて下さい。」と頼むならばよいと思うが、方言なのでやら詰りやらと云うならば、メディアが不信感を持たれるのは当然である。

 また、これは弊ブログが予てより批判していることであるが、地名などの場所などを字幕に表示する際の「・」(中点)の使用をやめるべしということと選挙特番におけるツイッターのメッセージの表示をやめるべしということは繰り返し述べる。

<例>
●中点の使用について
×:東京・渋谷駅前 ⇒◯:東京 渋谷駅前
×:浜松・天竜区 ⇒◯:浜松 天竜区 浜松市天竜区
×:衆議院・予算委員会 ⇒◯:衆議院 予算委員会 衆議院予算委員会 ※:「衆院」も可
◯:昼・夜の気温差 昼夜の気温差 昼と夜の気温差 気温差 昼と夜
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●" "または' '(quotation mark)の使用について――:上下が互違いのものを含む――
日本語については認められない。
×:"二島返還"の可能性言及 プーチン氏の"真意"は? ⇒◯:「二島返還」の可能性言及 プーチン氏の真意は?
◯:Mentioned possibility of "two islets back": On Mr. Putin's true meanings
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●選挙特番におけるツイッターのメッセージの表示について
例えばこんな感じのメッセージが表示されると不快感があり、番組の品位を損なう。
・蓮舫ぶっちぎりキタ~~~~~~!!!!!
・やはり自民党強いな。
・今回も低投票率。主権者の意識が足りな過ぎる。
・池上無双!今回も見せた!!
・選挙費用も血税なんだよね。また選挙やってるの?
・日本人は変わらないことが好きということ、それにしても凄い圧勝だな。
・櫻井さん、次は立候補してこの国を変えてほしいです。
・どの党も信用できない。それがこの結果だね。
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by keitan020211 | 2016-11-27 16:24 | 文明論 | Comments(0)
【黒い金曜日】七面鳥への恩赦と米の飯を残す男性
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 アメリカに普及しており近年には日本にも導入する幾つかの企業ある黒い金曜日/the black Friday――
a0313715_21573391.jpg 墨塗りのフライデーではなく、降誕祭を迎える一月程前からのもの忌みの時節である待降節に入る直ぐ前の木曜日が感謝祭で、その翌日金曜日をいい、年末商戦の始まりの日には様々の激安などの出血大御奉仕を行う慣わしである。キリスト教圏でもヨーロッパなどにはなくアメリカとカナダだけのものであるが、アメリカと日本だけにしかないことの諸々の例に外れてなかなか良い行事である。
 私の支持するAEONやGAPも行っていて100円特売などがあるというが、取り敢えず今年は行かずにいることにした。GAPには四割引きや半額の期間が多くあり――一年の半分以上は行われている。――、私はよくそこで買うが、さすがに100円となるとえぐいと先ずは感じてしまいためらう。または、その100円が売り切れとなっていたり私の好みではないものにばかり設けられていたりすると折角や行っても無駄足に思うことを懼れてでもある。或いは、逆に四割引きや半額が物価水準の上昇を図るべき時代にはもう適わないこととなっていてそれをやめて一年に一度か二度だけの大放出に切り替えるということなのか?
 とはいえ、時代の状況への対応、保身の策は生かすべきであり、物価水準の上昇を妨げるからといって一概に否定するべきものではない。そのようにして低水準の消費が続くことそのものが停滞期の経済を下支えするものでもある。

 なかなか良い行事といえる黒い金曜日ではあるが、どうしても疑問に感じてしまうのはGAPを大統領家御用達とするオバマ大統領が参加しての、七面鳥に恩赦を与える祭である。
a0313715_21554806.jpg 七面鳥は降誕祭の会食に供される目玉の食べ物の一つであるが、そのために屠られることになる七面鳥の或る一番だけを屠られることを免除して生かすことを祝うものである。
 しかも、その主がオバマ大統領であると一段と偽善的で不気味に感じる。黒人は差別するべきものであるがオバマだけは赦す、大統領にもしてやろう――そんな印象がする。オバマ政権の本質そのものにさえ見えてくる訳である。 「君だけは殺さないでおいてあげるよ。」――どうです、気持ちが悪いでしょう。しかし、殺される方がましという訳にもゆかず、歯が痒くなるが、アメリカ人はとかくあり得もしない究極の選択の問題を考えることを好むものでもある。「激流の川の橋の上に男が立っています。橋が今にも崩れ落ちそうですがなかなか崩れ落ちません。さてその男を救うために橋を破壊して川を泳いで助けに行くか或いは歩いても橋が崩れ落ちないことを願って男に「渡り切れ。」と云うか?」みたいな話をである。どんな舞台設定でも人命に関わる問題が含まれることが多い。「その橋を渡る彼が悪い。故に見過ごすことにする。」という答は自己責任社会のアメリカなのに、なかなかあり得ないらしい。私はそう思うが、それとも、その答は当たり前に過ぎて知的遊戯の札とはならないということか?
 アメリカ人はオバマに釈放される七面鳥を見てそんなあり得ない命題を考えて愉しむのであろうか? 一番の七面鳥を赦して解き放つことに、何の意味がそれをする側にはあるのであろうか?される側としては、「本来ならば殺されるべきものであった。」との因縁をつけられてそれを背負い続けることになるのではないか?
 「君は名誉人間だ。」、詰りその七面鳥は日本人という訳か? 初めて行ったのはペルシア湾の油鳥が世に知られた湾岸戦争で有名なブッシュSr.大統領であり、少なくとも公式の行事としてはこの二十年程のものであるという。属国こと日本にも様々な変な流行や奇習が生まれたのもこの二十年程、その事実を聞くと何やらどす黒いものを感じる。また、オバマ大統領自らはその七面鳥の恩赦を何とも不可解と言っているといい、そのことをCNNなどのアメリカのメディアは言及して報じているが日本のメディアには全く言及がない、アメリカの行事なので批判してはならないと思っているらしい。オバマが言ってるんすよ、正しいとは思わないんでしょうか?

 もう一つ、聊か気持ちの悪い話がテレビ朝日の『スーパーJチャンネル』に特集された。ステーキ屋などの外食の米の飯、所謂ライスを残す男性客が急増中とのものである。それを肉も米もぺろりぺろりと平らげそうな堂真理子アナウンサーと竹内由恵アナウンサーが告げる。
a0313715_21531042.jpg その理由は糖質制限のブームから、米に含まれる糖分をなるべく採らないようにするためという。
 米の糖分は確かに体に悪い場合が多く、そもそもは米を食べることそのものを抑えるべしとは私も思うが、米が出ることを分かっていながら店に行って食べることがそもそもの誤りである。
 米の飯は料理の付属品として出る店が多くて食べたくなくても付いて来ることになっているのでそうせざるを得ないとの言い訳があるらしいが、「ライスなしで。」と頼むことは可能であり、「いえ、付けるものなのでなしにはできません。」などと云う店はない。そもそも肉を食べたいとか思って態々食べに行くならば米の代金が免除されないことなどはどうでもよいこと、米代込の価格を肉料理などの価値と思う筈である。
 今時はレジ袋をなしにするとその価格が引かれる店もあるので米代も引かれないと気が済まないというのであろうか? 他にも「パイズリなしで。」とか、そういうことのできる男性が魅力的というか事実上の最低条件なのであるが…
 出るものを残すことも直前の記事のパセリや麺つゆの話のように、信じ難いことである。然も自ら頼んでおいてのことである。男性ならば尚更に気持ちが悪いが、女性としても同じく、してはならないことである。
 食べ物を残すことは出される量と食べる量の差が開くことにより、その他の発想や行動習慣においても建前と現実の乖離に結びつくことである。食べ物が勿体ないこともそうではあるが、それよりも大きな悪である。何をするにも決めておいて「やっぱいいよ。無理無理。」というようになる。そのような悪を日本人はこれまでに何歩繰り返してかわれない国となっていることか。達成課題や意識改革の必要性などと繰り返し、全て不履行である。糖質制限も、鳩山邦夫のように手を染めて死ぬだけになる。糖分の摂取は常に抑えていないと意味がないことである。

a0313715_21542957.jpg そのような事態を受けて「ライス」を別売とするように改めている店も多くあるという。それも一つの対策にはなる。馬鹿な客を相手にするためには商売の仕組みをも幾らかは愚民対応型にしないとならない。「パン・ライス付」がパンや米を食べることの強要に事実上はなっているような節もあり、別売とすればそのような象徴的意味はなくなる。しかしより重要なのは客たる各々の普段の心得であり、残す人は、要らないものを頼む人は外食に行く資格はない。「そんな残してシナ人か?あんたは」という話である。

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a0313715_13053612.jpg木佐彩子(きさ あやこ:BS朝日『いま世界は』のキャスター;元フジテレビアナウンサー)を
皆様の! 皆様の! 皆様の! お力で!!
ANN報道ステーションの富川悠太アナウンサーの次のメーンキャスターにしよう!!


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by keitan020211 | 2016-11-26 21:58 | 文明論 | Comments(0)
パセリ、麺つゆ、大根の葉……――食べずに捨てられる食べ物の数々
a0313715_19401094.jpeg 弊ブログのお気に入りブログ『楽な日々』の昨日25日の記事に『パセリの悪循環』と題するものがある。
 パセリの八割が食べずに捨てられていることの問題である。

 パセリを食べないなんて考えられないし、ことはパセリだけではない。
 蕎麦やうどん、ラーメンなどの麺のつゆが残されることや大根の葉が直ちに切って捨てられること――大根の葉は、パセリや麺つゆのように皿に載って捨てられるのではなく初めから皿に載せられないので問題が少し違うが、何れも相通ずるのは「それは食べるためにあるのではないもの」という勝手な取り決めの存在である。そういうと「では勝手にそうさせてもらいます。」と言う人々がいるのでお話にならない。

 パセリ:食べる
 麺つゆ:全て飮む
 大根の葉:すべて使う

 ――それが常識である。
 食べたくない/飮みたくないならば使わないこと/作らないこと/取らないことである。「買わない」がないので「買って直ちに捨てるということか?」という人がいるかもしれないが、寧ろそれが良い。そうすればパセリなどを食べずに捨てることの愚かさが即ち分かるかもしれない。
a0313715_19411414.jpg 拉麺なんかも、「私はラーメンは食べないの。なので拉麺屋には誘わないで。」と言う人は寧ろ良い。私は拉麺を食べるが、デートやその他のつき合いなどで拉麺屋や蕎麦屋に行くのは仲が壊れる虞があるので断る。色々と考えられるが、「蕎麦湯なんて面倒くさいことをする女とは気が持たない…」と思われることもその一例である。今日のネットの記事にもあった『男は自分より上な女を好まない』というのも恐らくそのようなことであり、少しでもその差を縮めようとか女を上回るようになろうとは思わないのかと呆れるばかりである。
a0313715_19472622.jpg 或る人が「大根の葉は使うものじゃないわよ。」と言うのを聞き閉口した。私は麺やつゆを啜る人は野蛮人として絶対に認めないが、逆に大根の葉を使わないものと思う人が偶に遣う言葉は「土人」である。大根の葉を使うことは土人のすることであって土人ではない彼等にとってはあり得ないということを言いたい訳である。大根の葉の根元には土がついているが、土を食べる――:あくまでも微量ではあるが、――ことも彼等にとってはあってはならないことであり、本当に微塵も残らない程に洗い流すことは不可能なのに野菜の土を全て洗い流したかのような気になって洗うのが常である。そもそも食べたら毒になるものに生えるものを育てる/食べる筈はないので食べ物に関する感覚や思想が全く歪んでいる。聖書にも、神が人に「貴方は土の塵を食らって生きることになる。」と言う場面があるではないか。そこに聖書が言っているのは勿論、土を食べても死なないし食べるべきであるということである。

a0313715_19483937.jpg 但し私が知らなかったのは刺身に付く菊の花を食べると良いことであり、私はあっても食べたことがない。言い訳ではないが、菊は除虫菊の材料でもあり虫が嗅ぐと死ぬものなので人にも危ないのではないかとの推測が先ず出て来る。あるものには何にでも手を着けてよいとは限らないので一応の用心や慎重さは必要である。しかし、刺身の黄色い菊は食べると体に良いらしい。

 かのような歪んだ食物観が生じるのは逆に、「肉料理にはパセリを付けるもの」などという偏向情報が料理本や料理番組を占める故でもある。麺つゆは「塩分が多くて成人病の元となる」という全くの虚偽情報であり、大根の葉はそれを使う料理の例がなかなか載らない前例の不足である。
 現にパセリを必須とする肉料理の載る料理本や料理番組は少なくなっているが、昔のそれらには多くあったのであろう。そしてそれらの示す情報よりも尚、それらを見る人々の口コミが「肉料理にはパセリを付けるもの」という偏向観念を生み、それを食べたくなくて残す人が出て来ても食べさせるか或いは付けるのをやめるかの措置を取らずにかわらずにパセリを付け続ける愚かさが今にも続いているのである。更には大根の葉の「前例がないとは悪いことということだ。」という哲学が加わる。前例がないといえどもマスコミ+口コミ情報における前例のなさであり実際の前例のことではない。実際を見る/考える気は彼等には絶無である。そんな点からも、世の中が昭和、即ち一億総中流の世には絶対に戻ってほしくない訳である。昭和とはパセリを捨て、麺つゆを捨て、大根の葉を捨てる大愚民時代である。
 葉だけではなく、大根の根、即ち本体で出来ている、刺身に付く妻を食べるものではないと思う輩が多いという。刺身の皿があって刺身だけを食うて、厚かまし過ぎはしまいか。然もそこに醤油を掛ける人もいるという。品性下劣を地でゆく例である。

a0313715_19510687.jpg そのような彼等は主婦などが「肉料理にはパセリを……046.gif、付けなくても良くない??」――:「今もいた!」本物の賢い女性こと林美沙希アナウンサーをイメージ――とはたと気づくことを何よりも懼れ(おそれ)る。故に偏向情報を断続して再強化、即ちオバマ政権のアジア太平洋における軍事政策のようにreinforcementしてパセリを絶対に付けてそうはしない人を「お料理を知らないのね。」と満悦気味に揶揄する主婦の数と力を確保しようとする。
 久富慶子アナウンサーや上沼恵美子は間違っても「うわあ、柔らかいお肉で――…はい、パセリですね。」などと言わないでほしい。

 「料理のワンポイントとして親しまれるこの――どどん――パセリ、実はその八割が食べずに捨てられていたり、或いは、ちょっと意外な使われ方をしたりしているんです。――パセリ農家の嘆きの声です。」

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フジテレビ/関西テレビ 関東:8ch 東海:1ch 近畿:8ch
Mr.サンデー  日曜22.00~


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静岡県:FM 78.4 K-MIX


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


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テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

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フジテレビ みんなのニュース 15.50~18.57 <FNN>17.54~18.57/月~金

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by keitan020211 | 2016-11-26 19:37 | 生活 | Comments(0)
『『君の名は。』英メディア絶賛の理由は? 「ディズニーにはなしえない領域に……」』――……へ??
 英語の勉強の時間です。

 先ずは下の文を読んでみて下さい。

There’s a similar modern/trad dynamic going on with the film’s animation. The characters look classically hand-animated, but the world around them is hyperreal in its vividness: impossibly gorgeous skies, extreme lens flares, vertiginous flights through lush, 3D landscapes, even time-lapse sequences. Shinkai is also fond of using little snapshots to suggest mood: construction cranes silhouetted against the sky, rain falling on a plastic bottle, leaves in the wind. As one reviewer observed, he has a knack for “piercing the veil of the everyday to reveal a poignant, evanescent beauty most of us notice only in rare moments. Or maybe not so rare if you are … a sensitive adolescent in love.”

 これはイギリスの大手新聞ザ ガーディアンの11月9日の記事"Makoto Shinkai: could the anime director be cinema's ‘new Miyazaki’?"の一節である。
 日本のアニメ映画『君の名は。』とその新海誠監督の特集であり、題名を訳すると『新海誠:アニメのディレクターは映画の「新たなる宮崎」となれるか?』となる。

 さて、それを念頭に、下の文を読んでみて下さい。

 海外で日本のアニメといえば、宮崎駿監督のスタジオジブリ作品が圧倒的人気を誇るが、英メディアはポストジブリとしては初の大ヒット作だと作品と新海誠監督を称えている。
 ガーディアン紙は『君の名は。』は宮崎作品というよりも、村上春樹氏の小説に似ていると述べる。男女が入れ替わるというコメディから、予期せぬ方向へストーリーが展開していき、種が割れるのでこの先は言えないが、とにかく理論物理学、古い言い伝え、破壊的自然災害、考証、時間との戦いにロマンスとほぼすべてのジャンルが一つに織り込まれ、ユニークで感動的かつ壮大なものにブレンドされていると表現している
 英ヤフームービーは『君の名は。』のストーリーはセクシャリティ、ロマンス、愛や喪失という主要のテーマを持っており、アニメのなかで最も主題に沿い、実験的で力強いと評価した。家族向けのグローバルブランドであるディズニーアニメにはとても取り組めない領域に対応する、自由度の高い作品であることは明らかだとしている。

 これは情報サイト『洗練された大人へ国際視点を NewSphere』の11月25日の記事『『君の名は。』英メディア絶賛の理由は? 「ディズニーにはなしえない領域に……」』の一節である。

 一目瞭然です。――え?、同じじゃないかと???

 下の日本の記事はガーディアンが映画『君の名は。』とその新海監督を絶賛しているかのように書いている。で、ガーディアンのその記事を読むと、そこのことを云っていると思しい一節があり、それが上の文である。処が、そこには絶賛のようなことは記されてはおらず、記事の全文を通して見ても、『興行の大きな成功を収めた新海監督に訊く』というような普通によくある会見の報に過ぎない。勿論、取材の相手を批判することは報道人としてあるまじきことなのでガーディアンは新海監督を期待の作者と見て応援する構えを取るが、作品に感動したとか新海監督は凄いとかとは少しも言っていない。あくまでも日本のアニメに今や生かされている新しさ、技術効果を紹介する主旨の記事である。
 肝は両文の色付の部分、'As one reviewer observed,'、「或る評論の見る処では、」――それはガーディアンの見る処ではなく他の者の見る処に依ればということであり、日本の記事の云う「ガーディアンなどの英メディアも絶賛」は丸切りの嘘ということになる。ヤフームービーはそれと思しいようなことを語るがそれも「実験的で力強い、自由度の高い作品であると評価した。」とあり、絶賛したいものを「実験的」と言うことはあり得ないのでそれも日本側の嘘である。「実験的」とは「今はまだ何ともいいようがないが、きっと大きな成果の上がることが望めるものであり注視している。」というようなこと。

 英国人は然程に良いとは思わないことも取り敢えず立てておいて一応の見どころを見つけて云う。そのことを殊更に言う積りはないが、英国人による評価には悪意のないお世辞があり得ることを知っておくべきである。「実験的」と言えば「見慣れないものだが何等かの力がないとはいえない」ということ、「自由度が高い」と言えば「一発屋とまではいわないが、長く続くかどうかは心許ない」ということ。

 然も、「ユニークで感動的かつ壮大なものにブレンドされている」とは、一言も言っていない。初めに'There’s a similar modern/trad dynamic going on with the film’s animation.'とあるのを邪推で膨らませたのかもしれないが、英語で'dynamic'と言えば、良し悪しはともかくとにかくでかでかとしてどえらい感じなことを言う。それが良いならば'an attractive dynamism'や'It is dynamic as if my eyes shan't be stopping vibrating with.'などと尾鰭がつく。

 ガーディアンには他にも『君の名は。』についての記事が3つ程あるが、何れも調子は大体同じで成功作に注目しておくだけの感じである。中には山場へ向かい尻上がりにアップテンポになってゆく演出はどうしても理解し難いというような批判もある。いわば都会のプロレスの実況風の安ぽさと私ならば語る処を英国人はもう少し控え目に言う訳である。
 それがこの折に英国のメディアに出ているのはイギリスにおける『君の名は。/Your Name』の公開が18日に迫っていたことにも由る。単純なニュース価値における取り上げなのであり、絶賛したい訳ではない。

 それらを紹介する『NewSphere』はどうもそんなことをも読めずに騒いでいるのではなく寧ろそれを察していながら『君の名は。』が野蛮人によって絶賛されている日本向けの報としては捻じ曲げざるを得ないとして意図的に嘘を記していると見える。ガーディアンの報だけでは記事の根拠が弱いと見て「実験的で自由度が高い」というヤフームービーの評を援用して『絶賛』を捏造しているのである。
 海外通や国際通を名乗る日本のメディアはしばしばそのような捻じ曲げと捏造をする、というかそもそもそれが創刊の目的である場合が多いのでなるべく信じるべきではない。本当に海外を能く知り国際情報や渉り合いなどに強いならば例えば一般の新聞など、そのような色のつかないメディアを通して海外情報や国際情報を取り上げる筈であるが、それも時に捻じ曲げや捏造――取り分け産経新聞は――があるので比較的ましではあるが、油断ならない。

 先ず以ては英語版の題名が日本の原文に忠実に"Your Name."とはされない――何しろそんな句読点の遣い方はあり得ないし、――ことを見ても、諸外国は『君の名は。』を真面に相手にしてはいないのである。

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by keitan020211 | 2016-11-26 18:00 | 政治、社会 | Comments(0)
ヌードルハラスメントと『ファブリーズ×くさや』のP&GのCM
 麺を啜る(すする)のはよいと思っている人達がくさやを臭いというのは如何なものであろうか?

 先ず、弊ブログの22日の記事『【ヌードルハラスメント】マツコと松ちゃんが微妙な反応を 古市憲寿氏は断固拒否』の要点をここに示す。

 「何ハラ」などの流行語は何でもそうであるが、「ヌーハラ」などということで逆にそのハラスメントとされる事柄を正当化する論理や居直り、状況の改善を妨げることになる。セクハラにしてもヌーハラにしても、そのように名づけることにより「そんなことで騒ぐ厄介な人達」というレッテル張りに事実上はなってしまい、陰に陽に排除の対象となるのである。

 調査の数値で見ると麺を啜ってはならないとする人の率は四割程と半数近くおり、可ではあるがどちらかといえば良いとは思わないとする人々を含めれば安定多数を窺う勢いにある。しかし、そのオピニオンリーダーやイデオローグがメディアには余りいない故に麺を啜ることが「日本の文化だ。」などという出鱈目が広く信じられてもいる。

 というか、不快に感じるのは外国人だけではない。日本人としても不快に感じるのが普通である。しかし、日本には逆に不快に感じることを敢えてやる風習が数々ある。 

 松ちゃんことダウンタウンの松本人志は麺を啜ることを肯定すると見える。しかし、松ちゃんは「可ではあるがどちらかといえば良くない」に近いということであり、啜るのは構わないけれどそれをやたらと正当化したりそうはしない人に圧力や強要をしたりする、挙句の果てには東京五輪を機に世界にPRをなどというのは最悪ですよという構えなのではないか。

 日本人の癌による死亡率が高いのは麺を啜ることが大きく影響している。麺を啜ることは食道及び消化器官を不自然に震わせて劣化させる動作であり、前園などの言う「香り」というのも、麺を啜りながら香りを嗅ぐことは鼻を「嗅げ!嗅げ!」と無意味に刺激しながら使うことなのでやはり劣化を招く。また、啜ると噛まなくなる人が多く、その点も体に悪い。

 歴史的には麺が日本において啜って食べられるようになったのは1960年代からのこと、伝統も全くない野蛮行為でしかない。

 一介の芸能人の暴言とキャスターの暴言では番組として許容される余地が違う、小倉キャスターや市川キャスターの「麺を啜って何が悪い!」の発言は少なくとも立場として許容されない。また、『とくダネ』などはヌードルハラスメントの問題意識の主を外国人だけに絞り、恰も日本人にはそのように思う人はいないかのように話を進めている。論点をずらして問題を無効とさせようとする意図が窺える。

 ヌードルハラスメントという話題が或る覆面ツイッターを機に上がってから、それについての論議はネットやテレビにおいては麺を啜ることを「何が悪い?!」などと肯定する或いは居直る主張ばかりが出ている。麺を啜ることを悪いとはしなくても悪いと思う人々に配慮する姿勢が見えるのはその記事にも紹介したダウンタウンの松本人志とマツコ デラックスだけ、明確に否定するのは社会学者の古市憲寿氏と弊ブログだけである。
 否定派にしてみれば、古市氏のように相手を切れさせてでもとにかくゲリラ式に論を押し捲ることはなかなかできないもので、何も言うことができないでいるのが現状であるし、麺を啜ることをやめさせるとなるとそれも相手を切れさせることを覚悟でしないとならないのでかなり難しいことである。究極には原爆の肯定論ともならざるを得ない話になる――弊ブログもそれが広島や長崎にではなく東京に投下されておれば肯定していたと思う。――。

 さしあたり重要となるのは松ちゃんやマツコのように「麺を啜ることを直ちに否定しはしないが、どちらかといえば良くないこと、少なくとも大手を振って肯定できることではないし、どうしても啜りたいのならば少なくとも音を立てることはやめよう。」と一応の落とし処を作ることである。
 昔、'80年代や'90年代は、そのように「余り良くないけどね…」という人々が多くいた。即ち、一応の落とし処が生きていた時代であり、今時のテレビタレントが番組でしているように大きな音を立てて啜る人がいると「随分と元気がいいんだねえ。」などと遠まわしに戒める人がよくいたものである――態と江戸弁に訳して書いているのではなく、蕎麦が取り分け好まれる東京も普通にそうであった。――。云われる方も、それがどんな意味かを分かる人が多く、音を立てない程度に直ちに改める。それが「日本の文化だ。寧ろ広めるべきだ!」などと居直ることは考えられないことであった。当時は麺を啜る人々が出て来た’60年代以前の正しい麺の食べ方を知る旧い世代の人々がまだ現役世代であったからでもある。1960年に30歳の人は1990年に60歳であり、当時の定年は55歳であったが、まだまだ後世代の人々への指導のできた人々である。正しい麺の食べ方とは普通に音を立てずに口に入れて食べることである。
 それがいつの間にか「外人しか思わないこと」と歴史の捏造と論点の摩り替えによる主題の無効化がなされるようになり、果てにはニュースキャスターや元横浜市長さえが「日本の文化だ。寧ろ広めるべきだ!」と居直る様となっている。果てにはオランダ人が「いいと思いますよ。」と語る意見を鬼の首を取ったように持ち出す評論まである。オランダは反日派も多いが、そもそもは江戸時代以来の親日国なので日本のことをなるべく悪くいわない人々であり、それを麺を啜ることの肯定の論拠とするのはおかしい。逆に、居直りが著しければカレル ヴァン ヲルフレン氏のように完全に否定して来る人々でもある。彼も基本としては親日派であることを見落としてはいけない。
 事は『日本と世界』の問題ではない、『人として』の問題であり、麺を啜ることを日本の文化であり良いことと思う人は人ではない。
 近年に音を立てるのがよいという人が増え出しているのは寧ろ日本人自らではなく勝手に日本好きの外人が言い出して言い広めてのものではないかと思われる。鮨も何でも、外国の日本物は何でも大袈裟でけばけばしく、麺を啜ることはそのような外国の日本物を想わせるものである。当の日本人は「いや、別に文化とかそんなものではないんすけど…」と思うのにである。

 麺を啜る(すする)のはよいと思っている人達がくさやを臭いというのは如何なものであろうか?

 トイレタリー製品の大手プロクター&ギャンブル、P&Gがその消臭剤ファブリーズのウェブとテレビのCMに『パワーアップした ファブリーズ 対 日本一くさい食べ物 くさや』と題してその消臭剤がくさやの臭いをも消す実験を紹介する場面をして批判を招いている。
 くさやは魚の名であり、伊豆諸島の八丈島が主な産地である。匂いが強く、焼くとその臭いが室に充満する。充満といえど、勿論害はない。しかしその匂いを嫌う人は少なくはない。
 要はそれこそ好みに依るものであり、臭いと思うのは構わないが害のない食べ物を無下に臭いということは良いことではない。しかし、恐らく麺を啜ることが良いことと思う人の程に麺を啜ることを臭い行為であるとは思わずにくさやを臭いという。文化とは身勝手のことか?
 故にそのCMに対する批判は尤もなことであり、P&Gは少なくとも放送倫理には反する広告をしたことになる。そのような身勝手を助長する訳である。

 くさやなどを本当に嫌いなだけならばまだしもではあるが、訳の分からないのは臭いと言いながら食べる人々である。食べたいならば臭いなどと悪いことをいうべきではないし、臭いと思うならば食べなければよい。臭いといいながら食べて挙句の果てにはその臭いを消してみせるCMを作る、そんな人達のすることの何が文化というのであろうか?いわば「君ってブスで馬鹿だね、でも好きだよ。」というのと同じで、八丈町議会議員の岩崎由美氏が非難するのも当然である。せめて「アイドルみたいな名前でいいね、多分それ程ではないんだろうけど。」とでも言うべきである。
漁師や生産者はもちろん、くさやを好きな人が見たらどう感じるか、ショックで悲しむのが分からないのか、それを考えずに作っているようにしか思えません。くさやは生産者や島の住民にとっては欠かせないソウルフードです。300年以上にわたって守り継いできた伝統食を、こんなくだらない演出で侮辱するのは許せないと言っています。地元の貴重な産業にどれだけの影響力を及ぼすか想像できないのでしょうか。意図はなくても結果としておとしめています。お客様相談室にメールを送ったら、今後CMを制作する際の参考にさせていただく所存ですという返答でした。同じようにブルーチーズを箱に入れて検証したら、世界中から非難がくるはずです。

 そこで念頭に及ぶものは近年のテレビ番組などにおいてしばしば聞かれる「やばい。」や「何これ!?」と言う言葉である。
 「やばい」とは「拙い」や「えらいことになった」と同じような意味の言葉であり、「何これ!?」は或る物事を不審の念や幾許かの非難を込めて言う言葉である。しかしそれらの言葉を番組に出る料理や話題の品などをいう際に言う人がいる。
 全く訳の分からない語法であるが、それについての幾つかの解説を見ると先の「君ってブスで馬鹿だね、でも好きだよ。」と粗同じ意味であるという。詰り、そのP&GのCMもまたその「やばい。」や「何これ!?」と同じような意味合いを以てのものであると見ることができる。消臭は一種の身嗜みであるが、近年はそれが過剰となって「消臭は愛」といわむばかりのブームとなっている。加齢臭ブームもまた同じ文脈における似非科学的流行思潮であろう。くさやに対する消臭剤ファブリーズは『愛の噴射』であるという訳である。「愛の噴射」というだけでも丸切り男目線及び男目線に生きる女が窺われて不快感は大きい。
 分かり易くいえば、CMの画面にくさやが映っていてそれを「何これ!?、やばい!」とアナウンス、すると何やらスプレー噴射が現われて「くさやの臭いを 一発キャーッチ!」と、誰が臭いんですかやばい奴なんすかというような男が真面目くさり系のどや顔――それがそのファブリーズのCMの要旨である。

 「君ってブスで馬鹿だね、でも好きだよ。」はブスを判定する権力と、「それでも彼女を好きである、何と寛容なのだろう。」という『リベラルさ』をいわむとするので、所謂上から目線の塊でもある。それと同じ意味の「やばい。」や「何これ!?」もまた、反トランプ的リベラルのような上から目線の塊の心性から出ている流行語なのである。トランプに対しては「やば過ぎ、何あれ?」と表現に無用な手を加えなければならない。
 しかしそれらの言葉を遣う人達が、一方では何か気に入らないことがあると「上から目線だ。」と非難する。もう滅茶苦茶である。「麺を啜るのは日本の文化だ、上から目線でとやかくいわれる筋合いはない。」とも言うであろう。

 一報を精査して見ると、「何これ!?」は現にそのCMの文言にあるという。

 無論そのCMの制作者も頭が狂っている、そうでなければそのようなCMを作って公開に漕ぎ着けることができる筈もないことは疑いないが、それを通してしまう関係者――炎上すれば逆にためになるかもなどと思って通すことは背任につながり得る重大な倫理の欠如である。――や麺を啜ることを良いことと思う人々もまたその制作者と同じような人間性しかない最劣等人であることを知るべきである。

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by keitan020211 | 2016-11-26 15:46 | 文明論 | Comments(0)
金を追い求めるアメリカと地位を追い求める日本
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 弊ブログのお気に入りブログ『Roaming people』の第二ブログである『脱ガラパゴス~海外ニュースななめ読み』という池上彰氏の朝日新聞の連載『池上彰の新聞ななめ読み』のあてつけと思しく故に弊ブログが支持するブログにこんな指摘がある。
 曰く:アメリカ人は仮令ジョセフ ナイなどのような日本操縦団のような下司な奴等も能く分からない肩書をつけて仕事をしたことはない、即ち何のためなのか分からないような働きをすることがない。しかし、日本人は政治家にその類を見るように地位に恋々とする。

 ――それは金を追い求めるアメリカと地位を追い求める日本の違いである。改正するべしと思いはしないが、日本の憲法の前文にも「名誉ある地位を占めたいと思ふ。」とある。日本人は地位が大好きなのであり、金は二の次、愛となると更に五の次なので、金を追い求めて悪いことになる人についての批判と非難は必ず凄まじくも起こるが地位を追い求めて悪いことになる人についてのそれらは至って低調なのが常であってしばしば擁護の論さえ強まる。また、金を追い求めることを隠さないアメリカ人とアメリカ社会を軽蔑するような論がしばしば見受けられる。
 それには幾らかの合理的理由もありはする。日本社会における金、即ち生活の原資は地位と別ち難く結びつくものであり、地位がなければ金はないのが凡その常である。高い地位についてはその原理が分かり易いが低い地位についても同じであり、労働者における被雇用者の地位を失えば金がない訳であり話にならない。逆に地位があればそれなりの金は自ずとついて来る。
 アメリカにも被雇用者というものはおり、基本構造が日本とは全く異なるのではないが、被雇用者においてもその第一義の関心は賃金、即ち金である。先ずはそれがあって初めて被雇用者の地位が与えられる。日本は多くの場合はその話の順序が逆である。アメリカ的在り方に理解のある者も、金が先で地位が後ではなく金と地位を同時に求めて確かめるのが多い。私も同時派である。

 『一に地位、二三がなくて四に金、愛は五の次』の日本的在り方は偶に「名誉を貴ぶ武家社会の美徳の伝統」などと美化して正当化する向きがあるがその合理性を幾らかは認めるとしても、武家社会の美徳の伝統であるというのは嘘である。武家が名誉を重んずるのは本当であったとしても大方の日本人は武家社会との関わりはなく、その伝統を受け継いでいる筈はないからである。『日本人は武士の心』というのは正に熊沢天皇と同じ論理であるし、そうであったなら地位に恋々として悪いことになる政治家などが跡を絶たない筈もない。
 例えば農民が先祖であるならば、『一に土地、二に土地、三四に種で五に雨』となる筈である。事実、バブル時代にはそれを地でゆく人々が多く活躍しており、その正直さから私はバブルを一概に否定しはしない。しかし彼等においても金の優先度が低いことは聊か理解し難いものがある。彼等が当時に求めていたものは金ではなく土地を転がす先の読めない賭けの愉しみなのである。農家が天候を読むことも難しい。
 それを念頭におくと、トランプ新大統領についての日本人の評価が彼の当選の直前の頃から急に高まっているのも能く分かることである。トランプ政権により予想される『先の読めない時代』を、農民の出の多い日本人は魅力に感じて期待せずにはおられないのである、本当に先が読めなくなるかはともかく。何しろ、トランプ氏自らが土地を扱う業者であった。日本人の彼への潜在的期待感や最低限以上の信用は広くある訳である。

 逆にトランプ新大統領とその政権を歓迎しない向きは、金が第一のトランプ氏と金が第一のアメリカの中間層の金の規模の差についての嫉妬でしかない。嫉妬には様々な正当化の大義がつけられる。
 また、トランプ氏は大統領になるに際しては金が第一の思想とは違うものを求めようとしておりさえする。それもまた日本人の受けが宜しい理由の一つであり、反トランプのアメリカ人にとっては肩透かしを受けるような気になるものである。

 金が第一のアメリカ、基本的にはその思想と在り方は正しい。地位が幾らあちらこちらに用意されていてもそれが生きるための金が充分になければ有名無実であり武士の高楊枝の世界となる。
 その金が第一の思想の源流はそれがなかなか地位が第一の日本人が認めたくないことであるかもしれないが、英国やヨーロッパの上流階級にある。トランプ氏の白人優先のマニフェストは白人以外を差別するためのものではなくその源流を再確認する意義があると考えられる。
 「それはノブレス オブリージュである。」などという方々は歴史と伝統を何も分かってはいない。所謂ノブレス オブリージュとは近代に権力を握りつつあった中産階級が上流階級を制するために考え出して強要した論理に過ぎず、上流社会にはそのようなものはない。
 上流階級とは何か、それが肝である。
 上流階級とは地位が保証されることはなくて凡そ生活の全てを自力で賄うべき立場の人々をいうものである。その分かり易い例は武力闘争であるが、上流階級の全てが武家ではなく、大地主などの文民的上流階級もいる。現在のイギリスにある一代貴族の制度はその象徴的意味のあるものであり、時代が少しかわっているので貴方一代の地位は幾らか保証されるかのような名誉を与えるが二代目以降の地位は全く保証されないと暗にいうのが一代貴族に叙することである。それが貴族というものの本質な訳である。
 更に言えば、貴族と常々呼ばれる人々とその社会も前近代には存在せず、存在したのは侯爵とかジェントリーとかという固有の身分とその名だけである。それらが総称で貴族と称されることはなかった。その意味では、貴族制度を否定する近現代の日本なども貴族社会の伝統といわれる前近代のヨーロッパも現実は同じである。

 彼等上流階級がその生活の全てを自力で賄うために必要なのは金である。なので上流階級は保守党系であれ自由党系であれ金が自らに流れて来て得られるような仕組みを作ることに常々心を砕く訳である。その一つが保守党系においては土地であり、自由党系においては領邦の税金のようなものである。但し近代的自治体とは違いいつ潰されるか分からない――その点は近代的自治体は地位の保証される中流階級と同質である。――ので集める税の正当性や使い途にはとても厳しくあった。それは日本の武家社会も凡そ同じであり、稀に悪代官といわれる者もいた。その伝統から、近代国家の最重要の行政府は財務部門の府、日本は大蔵省及び財務省であるという通念も生まれた。
 日本においてはそのような上流社会的伝統を持っているのは政治の世界においては田中角栄総理や竹下登総理、金丸信氏、小沢一郎氏、鳩山由紀夫総理などを輩出した自民党の経世会だけであり、幾つかのその後継派閥は皆そのような上流の伝統を失っている。

 アメリカはそのような上流社会の伝統を幾らかは俗流化された形においてであれ、大部分において受け継いでいる。故にアメリカ人は金が第一なのである。
 上流階級に対しては批判をしてはならないなどというのは卑俗であるが、逆に批判し過ぎるのも同じく卑俗であり、アメリカの拝金主義を批判する日本人はその点からしても卑俗である。
 現代の日本は憲法が貴族制度を認めないと定めることを拡大解釈して上流社会的伝統を悉く否定してしまっている。単なる上辺に過ぎない上流的趣味を愛好したり称賛したりすることはあっても上流社会とその思想の本質に敬意を持つことがない。故に日本の論者等のアメリカに対する見方や批判が近年の「金融資本主義の専横」や「1%の富裕層が富を占める格差社会」、そして定番の「アメリカ映画の偽善」や「未だに銃を持ちたがる暴力的社会」みたいな、逆に卑俗で愚にもつかないものとしかならないのである。そもそもアメリカ人の祖先の英国人やヨーロッパ人がそのような卑俗な反米思想ではない。上流社会の本質とは自力本位であり、自力のない処には他力もない。所謂公助や共助というものは自力ではどうにもならないことを見究めることから成り立つものであり、そのためには自力がなければ何も見えては来ない。
 尤も、自力が如何程のものであるかを一々試す必要などはなく、どうにもならない場合とは何かを経験のない処で見出すことは良識により可能である。その点は、1990年代から2000年代、及び現在に掛けての所謂新自由主義とグローバリズムには『人々の自力が如何程かを試す』かのような人体実験的意図があって自力本位とはいえども必ずしも認められるものではないが、上流社会の思想が従来は中流社会の論理しかなかったような中流社会にも導入され始めて中流的価値観が相対化された意義はある。『地位こそはすべて/All you need is a position』の一億総中流の時代には絶対に戻らないであろう。

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by keitan020211 | 2016-11-23 02:20 | 文明論 | Comments(0)



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