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教育勅語を読む
敎育に關する勅語

朕惟ふに我が皇祖皇宗國を肇むること宏遠に徳を樹つること深厚なり 我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々厥の美を濟せるは此れ我が國體の精華にして敎育の淵源亦實に此に存す 爾臣民父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭儉己れを持し博愛衆に及ぼし學を修め業を習ひ以て智能を啓發し徳器を成就し進て公益を廣め世務を開き常に國憲を重じ國法に遵ひ一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし 是の如きは獨り朕が忠良の臣民たるのみならず又以て爾祖先の遺風を顯彰するに足らむ
斯の道は實に我が皇祖皇宗の遺訓にして子孫臣民の倶ニ遵守すべき所之を古今に通じて謬らず 之を中外に施して悖らず 朕爾臣民と倶に拳々服膺して咸其徳を一にせむことを庶幾ふ

明治二十三年十月三十日
御名御璽

 何が悪いというのか、さっぱり分かりません。
 暗唱の価値はあると思います、私はすらすらと読むことができるだけですが。但し「厥」、「咸其」と「庶」は読めません。「よよけつのびをさゐせるは…」;「いそのとくをゐつにせむことをつれづれねがふ」?
 正解は:「よよそのびをさゐせるは」;「みなそのとくをゐつにせむことをこひねがふ」
 弥栄です。

 それを悪いと思う人は何ゆえにそのように惟うのでしょうか?

 それは教育論と政治論や社会論を結びつけて考える習慣がついてしまっているからです。
 専門の領域に留まらないということでは様々の分野を跨ぐ考え方は寧ろ求められるものでもありますが、教育勅語を悪いと思う人々は様々の分野を「科学的に」繋ぎ合わせれば一つの統合的、universalな『真実』に達することができると前提します。
 その前提に随うと、明治天皇が教育に関して勅令をしたその言は帝が君主である以上は教育のみに留まらず多くの分野領域の基本的思想を前提づけるものであろうと見定めることになります。教育勅語が政治の原理にもなりまたは社会問題の解決の原理にもなるというのです。
 尤も、その精神が政治や社会、経済に及ぶことが全くない訳ではありません。教育は生涯の早い日々における人格の陶冶になるものであり、その後の生涯に多少の影響を与えるものです。しかし前提としては教育勅語は教育における基本的価値、それを与える者と受ける者の思惟や実践の目安として在るものであり、それを基準として政治や社会、経済を動かそうとするものではないのです。
 政治や社会、経済は特定の代表者と不特定の多数の市民により組織的に営まれるものですが、教育はその前に、組織に加わる可能性のある個人に与えられるものです。教育勅語は諸々の個人が一つの目安とすべきものとしての人間性の根本を説くものであり、故に賛否にかかわらず尊重すべきものです。
 政治をどうする?、社会をどうする?、経済をどうする?――その前に、一人の個人として含みおくべきことを説くのが教育勅語です。それを一人の個人として実践するかどうかはともかく、そこに説かれることに関する視座がなければ政治、社会や経済の不調や破綻は寸分たりとも改善されません。実は現野党の政治家等も、それを分かってはいるのです。にもかかわらず彼等が教育勅語への理解を寸分たりとも示さないのは選挙の票をあてにするためのポジショントークです。そしてその票となる有権者国民は先の『科学的統合的思惟』から、現野党の政治家等のポジショントークに躍らされていることに気づきません。彼等政治家が教育勅語とは異次元の世界にいてその異次元の価値をあらゆる分野に亘り統合的に実現することを志す人達である筈と思い込むのです。
 凡そ職権を有する政治家の殆どは教育勅語の精神を弁えずに務まるようにはできていません。今は意ならずもそうではないのではなく、そのような政治の制度は永久に出来得ません。そのようなものが極めて例外的にあり得るとしても、ルイ16世のような趨勢を辿るでしょう。
 蓮舫も山尾も玉木も、志位も小沢も皆、教育勅語を尊重する人達です。

 重ねて云いますが、教育は教育です。
 教育における価値は他の領域における価値を直ちに決定づけるものではありません。
 而して教育の領域のみを見る際には、教育勅語がその標準の価値となることは明白に妥当であるといえます。
 天皇は政治的中立の立場なのでそれを令することのできる者は天皇の他にはあり得ません。
 一々云うのも面倒臭いですが、教育勅語は政治的意図の全くないものです。
 そのまんま再採択してもよい程です。

 故に、今はやりの森友学園が教育勅語をその児童に暗唱させることを非難している人々は政治的中立性を否定し且つ教育そのものを、延いては人が人として生きることを否定するならず者の外の何者でもありません。

045.gif『科学的に統合的に考える』のを今直ぐにやめよう。/Let you stop 'conceiving scientifically and universally' right now.

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by keitan020211 | 2017-02-26 18:01 | 文明論 | Comments(0)
【Freesia料理】本場金沢にもない金沢キャベツカレー
 或るネットニュースに金沢のキャベツカレーというのが話題になっているのを見た。
a0313715_20515701.jpg それを巡り、それをカレーライスではないという人々がいるという。
 どう見ても、それはカレーライスであり、食べたことがなくても写真を見るだけでその味わいが分かる。

 そこで私もそれに倣い、キャベツカレーを作ってみた。
 但しカレーの味付けは私の独自のものであり、本場金沢のものと比べてどうであるかは分からない。

●揃えるもの
a0313715_20392612.jpgカレー  2切  推奨は:S&Bゴールデンカレー 辛口
胡椒  多目  推奨は:S&Bあらびきコショー ※:ブラックペッパー
ナツメグ  適量  推奨は:S&Bナツメグ
オリーブ油  適量
りんご酢  適量  推奨は:マルカン サラダ酢
ウースターソース  適量  推奨は:カゴメソース中濃
モッツァレラチーズ  適量
玉葱  適量
キャベツ  適量
豚ばらブロック肉  適量
米  1.5合  推奨は:あきたこまち

●作り方
・たっぷりのキャベツを千切りにする。
・豚ばらブロック肉を角煮の大きさに切り、擂粉木などでよく揉む。
・六分の一程の玉葱の半分を磨り下ろし、半分を葉形に切り、それらをオリーブ油でよく炒める。
・炒まって来た玉葱に胡椒をたっぷりと振り、全体にゆきわたらせる。
・そこにりんご酢とウースターソースを入れ、適量の水を加えてカレーのルーを入れてよく混ぜる。
・そこに豚ばらブロック肉を入れ、10分程煮込める。
・豚肉が煮込めたら胡椒を更に足し、8~10㎠程のモッツァレラチーズを入れて混ぜながら溶け出すチーズをゆきわたらせる。
・カレーが煮込めたら米とキャベツと共に皿に盛る。

 出来上がり

 多分本場のキャベツカレーよりおいしいです。
 横須賀海軍カレーと対抗して金沢文庫カレーとでも呼ぶことにします。

 胡椒とウースターソースを効かせて全体に黒ぽい感じにするのがミソ、そこにりんご酢とチーズの甘さが溶け合い、ほっぺたが何枚も落ちます。

 因みに本場の金沢キャベツカレーはりんご酢ではなく黒蜜を、ナツメグではなくガラムマサラとクミンを、チーズではなくトマトを、豚ばらの角煮ではなく豚かつを使い、更に生姜と葫が入るといいます。
 一概に深く甘辛いといえども、私のは爽やか目で本場のはより濃厚なのでしょう。

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by keitan020211 | 2017-02-25 20:53 | 生活 | Comments(0)
【自動車 特別編】日本の名車列伝 その1:トヨタ自動車 後編
◯コロナ CORONA
1964年 T4; T5型
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 今なら、ピックアップトラックではないかというような重心の高い構えとフォルムである。
 そのことは、乗用車の運転もトラックの運転と然して違わないという本質が物語られるようで意味深い。

2007年 T26型(プレミオ PREMIO)
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 1990年代のトヨタが試みた、『高級車からのダウンサイジング』はコンパクトカーの人気の点では当たっていたがコロナ級の中堅セダンには向かわなかった点では外れたといえる。
 当時はメルセデスベンツのAクラスがはやったことを、その人気の要因を大きさではなく価格と見做してしまったのであろう。ベンツAクラスを買う人々はその小ささに魅かれていたのであり、国産のコンパクトカーより値が高いことに魅かれていたのではない。
 その苦境を打開すべく2001年に出たのがコロナの後継車プレミオである。その名の通りに高級感を高めて『高級車からのダウンサイジング』ではなく逆に『もっと上をゆく選択』を感じさせた。それは寧ろトヨペット コロナの原点に帰るものであった。それが功を奏してデフレ傾向の下にあっても堅調好調な販売が続いた。

◯プリウス PRIUS
2003年 NHW20型
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 こう見ると、2003年型の魅力は失われてはいないと気づく。
 ――何かといえば、2008年型のプリウスが2003年型を陳腐化させるような形でのモデルチェンジであったことである。'08年型は'03年型の全体のデザインを踏襲しながら、端々の盛り具合をかえて出た。故に人によっては'08年型はより高級感を増して程良くスポーティーで格好良くなったと思えるであろう。
 しかし私は'08年型を運転してみると、他のセダンと違わない、良く言えばコンベンショナルな感じのものにかわっているのに物足りなさを感じた。私が運転免許を取って初めて運転した'03年型のプリウスとは中身が全くかわってしまっている。何よりも先進的感じが薄れている。
 NHW20型プリウスが出た'00年代の前半は凄い時代であったと改めて感じる。
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 プリウスに次ぐトヨタのハイブリッド車であり今の日本一売れている車となっているアクアもまた、デザインが完璧で走りも多分素晴らしいが、乗ったことがないのでこの名車列伝に準ずる評価とする。

◯ヴィッツ VITZ
1999年 SCP; NCP1型
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 「時代がかわった」、それが感じられたのはヴィッツからである。
 それまでの軽自動車を含むハッチバックのコンパクトカーは三扉が主であったが、ヴィッツからは五扉が殆どを占めるようになった。’90年代の『高級車からのダウンサイジング』の故もあるが、それを単なるダウンサイジングではなく一つの理想のスタイルを確立させた意義は大きい。
 私がそのヴィッツを初めて名古屋のトヨタレンタカーで借りて運転した時は愉しくて堪らなく感じて然も疲れない。

2005年 KSP; SCP; NCP9型
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 丸々としている1999年の初代型と比べ精悍な趣となるが、初代型に感じられる全体のかわいらしさは確りと受け継がれている。三代目はそれがなくなってヴィッツではない車になってしまった。

◯パッソ PASSO
2004年 XC10型
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 ヴィッツなどの'00年代を彩ったコンパクトカー等の特徴はリアのフォルムの安定感が半端ないことである。どっしりと構え、全体の小ささの故に尚更に力強く見える。また、使い易さを重視して傾斜角が抑えられていることが無理のない美しさを感じさせる。
 パッソは殊に高速走行における切れがよく安定感も良い。

◯マスターエース サーフ MASTERACE SURF
1982年
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 キャブオーバー型のワゴン車を初めて格好良いと感じたのがマスターエースサーフ。
 日本ではライトエースやタウンエースのプレミアム版として出たが、元はアメリカのトヨタバンの日本仕様として出た逆上陸車である。
 後のミニバン、ガイアやアイシスにも連なる存在感と洗練が素晴らしい。

◯ガイア GAIA
1998年
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 ミニバンであるが後扉がスライドドアではなくよりセダンベースのワゴンに近い。
 同じような形で当時に人気であったホンダ オデッセイの対抗車として出たというが、販売台数はオデッセイには遠く及ばない。
 私は寧ろ、オデッセイと比べることより、マスターエースサーフなどのトヨタのキャブオーバーワゴンの存在感を受け継いでいることに価値を感ずる。しかも前世紀末の時代の洗練が余すところなく感じられる趣である。

◯アイシス ISIS
2004年
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 それもニュースステーションと報道ステーションの関係についてと同じくか、トヨタはアイシスをガイアの後継車と位置づけてはいないという。しかし端的に見ればそうであることは明らか。
 尤も、今は『既存のものの後継』ということが望まれない思潮があり、今時の人々は「だったら初めから名前をかえるな。」と思ってしまうらしい。「無関係」の主張はそのような要望に応えるべくしてのイメージ戦略ということもできる。
 そんな時代の中、2004年に出たアイシスは尚もモデルチェンジがなく、今も13年に亘り生産及び販売されている。先ずはその事実だけでも名車と呼ぶに相応しい支持の厚さである。
 私としては初めてのマイナーチェンジの前のカジュアルな趣の内装のものが好みである。マイナーチェンジによりラグジュアリーな趣にかわり、それもまた良いには違いないが、前世紀の『何でも柔らかい車』に逆行したかのように感じて物足りない。

◯ポルテ PORTE
2012年 NP14型
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 2004年に出た初代型も驚くばかりの斬新さで運転のし易さも素晴らしいものであったが二代目のNP14型はそこにデザインの洗練も加わり、今の時代のライフスタイルと自動車の在り方の一つの理想を体現している。
 その形で高速走行の安定も良い。
 同じような大きさのシェンタも良いが機能性の高さなどの気合いの入り具合の半端なさではポルテに若干の引けを取る。

◯ライトエース・タウンエース LITEACE; TOWNACE
1996年 R40; R50型
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 商用バンといえばいかにも平凡な運転感覚、そんなイメージはそこには既にない。
 ボンネット形となった故もあろうか、ライトエース・タウンエースバンの運転感覚は至ってスポーティーで疲れ知らずである。トラックも実に能く馴染む。
 取り分け旋回時、特に右折の時の旋回の姿勢が従来のキャブオーバーバンにはない安定感と美しさであり、正に逸品。

2008年 S402M; 402U型
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 先のR40;50の程ではないが、運転のし易さは尚も抜群である。素人目には寧ろS402M;402Uが乗用車に近くてより馴染み易い運転感覚となろう。

◯ハイエース・レジアスエース HIACE; REGIUSACE
2004年 H200型
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 元々ハイエースはトヨタのキャブオーバーバン・ワゴンの永年来の旗艦車であるが、2004年に出たH200型はその存在感が更に揺るぎない、世界のハイエースと感じられるものとなった。
 車体や内装など、至る所の剛性が高く、全てに不安感の全く感じられない完璧な車である。
 しかし殊に愛知県においてはそのハイエースバンのトヨタのエンブレムをレクサスのそれに付け替えるお馬鹿が多くおり、痛々しい。品質の圧倒的高さをいいたいのではあろうが、そのハイエースの品質を実現しているのはトヨタでありレクサスではなく、トヨタのブランド価値に対して失礼なことである。

◯レクサスLS・トヨタ セルシオ LEXUS LS; TOYOTA CELSIOR
1989年 F10型
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 止まっている時も高級感を漂わせるが、走る時は更に躍動感が加わる。
 高級セダンがかくもスタイリッシュになれるものかと、その今までにないデザインに驚いたものである。

2006年 F40型
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 2000年の前代型は『和装の外人』を想わせ、アメリカ人受けを狙うジャパニズムやオリエンタリズムの匂いがして良くなかったが、2005年のレクサスの日本上陸に合わせて出た2006年のF40型はそのような媚びのない、純粋に『良い車 良い形』が追求されていて素晴らしい。
 クラウン マジェスタとの比較となるが、加速の滑らかさと鋭さではマジェスタが勝る。LSが勝るのは停まる時の安定感であり、加速に関してはやや機械的で感動が薄い。

◯レクサスGS LEXUS GS
2005年 S19型
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 正直にいうと、運転のし易さの点では私には余り合わない。ゆったりとし過ぎていて却って安心できない。
 しかし、GSは元々は日本においてはトヨタ アリストと称して出ていた車であり、そのアリストのキャラは『運転し易い』というような趣ではなく、人が車に合わせてゆく、その車を知ってゆくことに価値のあるものである。そのように見れば、「三代目アリスト」でもあるS19型は初代GS・アリストからの在り方に忠実である。
 アメリカの出身のレクサスのGSであるが、S19型は外装のデザインがヨーロピアンスタイルで洗練されている。

◯レクサスIS・トヨタ アルテッツァ LEXUS IS; TOYOTA ALTEZZA
1999年 GXE; JCE10L型
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 日本向けのアルテッツァはセリカ系の4気筒の原動機であるが、アメリカ向けのISは全車が直列6気筒であり、またアルテッツァの程の積極的スポーツ色はない。
 同時代のヴィッツが今までにないコンパクトカーであったのと同じく、アルテッツァは今までにないセダンと鮮烈に感じさせた、「こんな車が本当に出来るようになったのか!」。
 '90年代までの車が『より大きく』を志向して豪華で優美なデザインを究めてゆこうとするものであったのと比べ、21世紀を控える当時の車は『存在感の確かさ』と『かわいらしさ』が志向されるようになったといえ、IS・アルテッツァもまたその流れの一つである。

2005年 GSE2型
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 世界のあらゆる車で最高
 そのGSE2型のISを上回る車はあらゆる面においてもはや出ては来ない。
 写真で見ると大き目の高級車のように見えるが、現物はもっと小さくてコンパクトな高級車である。
 運転のし易さではレクサス車で一番、トヨタ車と世界でも屈指である。
 全く新世紀の車でありながら前世紀の様々な車の面影が巧く残っているのも心憎い。
 コンバーチブルのIS-Cもセダンと共に世界一。

◯レクサスSC LEXUS SC
2001年 UZZ40型
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 世界一のオープントップ車IS-Cに次ぐ世界二のオープントップ車がSCである。三位はメルセデス ベンツ。
 ISに勝るのは操舵感、ステアリングフィールのエロさである。それは如何にせよISにはなく、いわばdesexualizingといえるものであるかもしれないが――私はdesexualisingには賛同しない。なのでISをそのように「嫌らしくない美しさ」と見ることには理解できない。単にSCと比べて丸くないだけである。――、SCは微に至るまでがsexyである――勿論、電動ルーフの開き方や閉まり方まで。

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■NEWS of the WORLD


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    ●AFP(フランス パリ)
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    ●ル フィガロ(フランス パリ)
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    ●共同通信(日本 東京)
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    ●朝日新聞(日本 大阪)
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    ●日本経済新聞(日本 東京)
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    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
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    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
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    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
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    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
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    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2017-02-25 16:00 | 生活 | Comments(0)
【自動車 特別編】日本の名車列伝 その1:トヨタ自動車 前編
 先日にジュリアナ東京についての調べものをしていると、自動車評論家の徳大寺有恒翁が常連であったと記されていた――…想像――。
 その序に、今日は日本の名車列伝、即ち私の好きな車の数々をここに紹介する。

●トヨタ自動車 TOYOTA MOTOR

◯クラウン CROWN
1987年 S13型
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 クラウンが初めて出たのは1955年、トヨペットクラウンと呼ばれており、1987年のS13型は8代目となる。トヨペットクラウンを名車と認めないとは潜りと思われるかもしれないが、生まれた時から低成長時代の私にとってはその頃の車のデザインは理解不可能となる程に私の感覚とは掛け離れてしまっている。時代の熱気の話には率直に薫陶を受けるけれど、車にはやはり魅力が感じられない。
 逆にいえば、’80年代までは旧いものは旧いと明らかに感じられる程に技術や感性の進歩が確かにあったということであり、十年も二十年も前の物が未だに古びないように感じられる今はその点では良くない時代であるともいえる。1987年は丁度30年前。

1991年 S14型
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 クラウンを含むあらゆる車が一つの完成の域に達した、即ち煮詰まって来た、悪くいえばネタが切れつつあるまでになったのが'90年代――
 S14型クラウンもまたグランツーリスモの理想を体現するような、鋭くも柔らかな形である。
 20世紀の最後の十年の車は自動車の一つの時代の終りを告げていたかのようでもある。21世紀に入ると、CVTや多段自動変速機の普及による走りの変化、新しい排出ガス基準やGPSカーナビゲーションシステムの普及などの、それとは異なる進化と自動車を取り巻く環境が作られてゆく。

2003年 S18型
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 ゼロベースでの新しいクラウンということで『ゼロ クラウン』と呼ばれる。
 フロントとリアの厚みが増し、確かに従来のクラウンとは明らかに違う。
 しかしラジエーターグリルの大きな構えやなんとなくの面影はそれが確かにクラウンであると一目で悟らせ、允に巧妙に出来ている。
 内装の質感がその時代の車からは著しく高まり、前世紀の車が一気に古びて見えるようになった。
 徳大寺有恒翁も愛用。

2012年 S21型
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 2008年のS20型はその前のS18型と比べややマッチョなデザインとなったが、そのS20型と比べやや絞られて優美な趣となった。
 自動車のデザインがおしなべて振るわない'10年代にあって気を吐いていた数少ない車である。

◯クラウン マジェスタ CROWN MAJESTA
1991年 S140型
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 先のクラウンのS14型の更に上をゆく最高級車として同じ年に初めて出た。
 そのマジェスタの存在感は街の趣をもかえた。

2004年 S180型
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 私が今までに運転した車では外車を含め、最も乗り心地の良い車である。
 しばしば比べられるレクサスLS/トヨタ セルシオも良いが、マジェスタにはLS/セルシオにはない繊細なタッチと生命感がある。
 4代目となるが、2~3代目は高級な趣を追い過ぎてけば絢爛な感じがする。そこへ来てやっと初代からの正常進化の感じられる傑作となった。

◯マークⅡ MARKⅡ
1976年 X30-40型
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 四扉のセダンというものが日本の自動車史上初めて優雅さを具えるようになった記念碑的車であると思われる。自動車先進国アメリカの車の真似ではない日本の車の独特の佇まい、且つ、世界の何処にでも似合う普遍性――
 それまでは車といえば二扉のクーペが広く理想とされていたが、今は極小市場である。
 尚、マークⅡにもその型までは二扉車があった。

1984年 X70型
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 1980年のX60型の軽快なスポーツセダンのスタイルを踏襲しながらよりラグジュアリーの趣が増した。
 '80年代を代表する車の一つであり一般人気も高い。

1992年 X90型
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 従来型と比べ車体が大きくなっているが運転のし易さ、取り回しの好さは寧ろ高まっている。
 思いの侭の走りと想定外の状態における運の良さ―?―は正にサルーンの皮を被るスポーツカーそのものである。
 やはり’90年代は自動車の技術と趣向が辿り着く処まで辿り着いた時代であったと改めて感じられる。

◯マークX MARK X
2004年 GRX120型
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 マークⅡの後継車ではあるが、マークⅡとは全くの別物でもある車として新しく出たマークXはいわばニュースステーションと同じ2004年に始まった報道ステーションの関係のようでもある。
 乗った感じはマークⅡとは明らかに違い、前も後も低く沈み込むような体勢を取る。足回りと共に座席の硬さも増し、柔らかい走りと柔らかい座り心地の求められていた前世紀とは異なる、車の新しい常識を打ち立てた記念碑的名車である。

◯ソアラ SOARER
1983年 Z10型
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 Z10型は初代として1981年に出たが、その時はまだ、新しい時代への試作品という感じがあった。1983年のマイナーチェンジによりそれが一気にリファインされて完成を見る。
 名車の条件が度肝を抜くことであるとすれば、そのソアラZ10の程に名車として相応しい車はない。
 乗り心地は「走るダウンジャケット」という感じであり、車に乗ることにはしばしばありがちな寒々しい感じが少しもない。その乗り味は2代目となる1986年のZ20型にも受け継がれたが、デザインには初代を上回る掴みに欠ける故にこの列伝には登らない。

◯セリカ CELICA
1970年 A20-30型
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 私は二扉車が徐に廃れゆく時代に育った故に魅力を感ずる車の殆どは四扉車や五扉車であるが、セリカはソアラやその競合車の日産レパードと共に名車と見做す数少ない二扉車である。
 「日野コンテッサは?」、「いすゞ117は?」や「ホンダ プレリュードは?」――…いいと思います。しかし名車と称したいまでではない。
 セリカは後のトヨタの車の数々の基本型ともなり、そのスタイルだけではなく実用的走りにおいても大変に意義深い車である。その発展形としての最高級車はレクサスIS、取り分けコンバーチブルのIS-Cである。

1985年 T160型
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 スタイリッシュ且つ安心、そんな時代の要請に充分に応えるような、同時代の鉄道車輌にも相通じるような理想的デザインと居住性を具える。
 1981年に出たセリカXXはスタイリッシュで魅惑的ではあったが、何分氷室京介のような怖さがある。私としては凄過ぎて名車には列せられない。

1993年 T200型
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 二扉車に不振が多くなって来ていた'90年代、売れないことを覚悟で開き直る積りもあったのかもしれない。
 しかしそれが結構当たり、T200型は街でよく見掛ける、いわば当時の「勝ち組スポーツカー」となった。
 その頃のソアラなどは「些か痛い」という感じで語られていた。
 高級車からのダウンサイジングにも耐えるように、走行や安全の性能の向上も著しい。

1999年 T230型
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 しかし、五扉のコンパクトカーやミニバンの台頭などによる二扉車の更なる不人気の波には勝てず、1999年~2006年に生産及び販売されていたT230が最後のセリカとなった。
 でもどこか、名残惜しさというものがない。私が元々二扉車好きではないからでもあろうが、セリカは充分に歴史を創り、その存在意義を全うした、廃止されて寧ろ清々しいと思うのである。

◯MR2
1984年 AW11型
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 何の説明も要らない、見ての通り。
 2代目となる1989年のSW20型にはMR2らしさは感じられない。
 前代の成功に気を好くしてか、元はカローラ系であった車格がセリカ系に編入格上げされた。それがそもそもの間違いである。
 Wikipediaの解説を読むと案の定、悉く邪道な変更が加えられて不振と不評を極めたという。

◯MR-S
1999年 ZZW30型
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 名が替わり、元のMR2に戻った。
 ポルシェのパクリのようなデザインは御愛嬌である。

◯コロナ エクシヴ CORONA EXIV
1989年 T18型
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 コロナ エクシヴはセリカをベースとして作られたスポーツセダンである。
 平成元年に出たT18型は正に新しい治世の始まりを感じさせる、小さくてもきらりと優雅な車であり、'EXIV'の名もそのような意味合いの'the extra impressive'であるとの説がある。
 数年後に出るトヨタの高級車等の最新型を先取りするかのように、リアはそのクラウンに、フロントとサイドはそのマークⅡとよく似ている。

1993年 T20型
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 ラグジュアリー感の強い初代と比べよりスポーツ感の増した二代目T20型――
 私の最も愛用していた車でもある――グレード:事実上最上級の200G 最上級の200GTが乗り心地に難があって失敗となったらしく、乗り心地と走りを兼ね備える200Gが最善の選択となる。――。
 祖のセリカと同じく、同時代のダウンサイジングの需要にも充分に応えるべく足回りには4気筒車では当代最強のスーパーストラットサスペンションが用いられ、室内はその後のレクサス車並の、10スピーカーのプレミアムサウンドシステムが装備された。しかしより上級のマークⅡの売れ行きが依然空前の好調となり、その陰に隠れて販売は伸びなかったという。
 FFでありながら、FFらしさとFRぽさの何れをも出せ、思いの侭の走りが愉しめる。

◯カローラ COROLLA
1974年 E3型; E5型
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 歴史的意義としてのカローラの魅力は1966年に初めて出たE1型から充分にあるが、私の好みから見ると三代目のE3; E5型からが名車カローラである。
 ラジエーターグリルと丸型ヘッドランプは数年後の最新型マークⅡによく似ている。馬体のようによく絞られて隙のないフォルムとディティールは今時の感覚から見ても感じ入りまた敬服すべきものである。

2000年 E12型; E13型
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 先の3代目に続く4代目のカローラからは時代に合わせる余りにカローラの独自の魅力が薄れている。同時代の他のトヨタ車を小さくしただけのような感じがする。より大きな車の開発に追われてベーシックカーたるカローラの構想が疎かにされていたのかもしれない。
 久々に掴むカローラを見るのが2000年、前世紀の最後の年に出た9代目のE12; E13型である。
 所々にクラウンを想わせるような風合いもあるが、一目でカローラと分かる存在感が帰って来た。
 ワゴンのカローラフィールダーも素晴らしい。
 次の2006年に出た10代目E14型は車体がやや大きくなったような感じがし、重心がやや半端な感じがしまた走りの感触がカローラには新しく導入されたCVTの故かざらついているような感じがして見た目は美しいが余り良くない。

2001年 E120H型
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 '80年代に光っていた三扉ハッチバックのカローラFXの『久々の後継車』として新世紀の初めの年に出た五扉ハッチバック
 但しスポーツスタイルのFXと比べラグジュアリー性を強く出すものとなる。実際に、高級感は満点であり、走りにもスポーティーなFXの良さが損なわれずに無理がない。
 国産のハッチバック車が未踏のプレミアムカーの域に日本の自動車史上初めて達した記念碑的車でもある。

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by keitan020211 | 2017-02-22 19:47 | 生活 | Comments(0)
【英語訳】天声人語 朝日新聞 2017.2.22
Heavenly Voices and Human Words
on The Rising Sun (Asahi Shimbun, Osaka, Japan)
on 22nd February 2017

A lovers' season started off: That is a topic on not the men but the cats. 'a cat in the spring'; 'gay cats'; 'a cat's wife'; 'cats in a heat'――Tryed listing some seasonal words drawn any things spurred by loves, somehow to see an air in which the chiliness moderated▼Even the trick poets have been charmed by some cats in this season. However, how are the passions on the cats chanted on the poems able to be estimated scientifically? I requested to Associate Professor Caquma Yoshie of Teikyo, or the Imperial Metropolitan College of the Science who is acquainted with actions of the dogs and the cats a comment▼For instance, for Basho 'In a careworn with a barley rice: would be in a love: the wife of a cat': 'Saying it a careworn of a love, it shall be so somewhat overblown. On the mating season the appetite into a loss temporarily, the weight lost, which would be acceptable simply.'▼Either had a famous poem that chants a passionate dynamism. On the Basho's 《The complete: trampled a dog: the cat lovers》. On the Shiki's 《The horrible: the cat lovers breaking down a stone walls》――Could those see the exaggerated?: 'No, it is the reasonable zoologically. A switch on the excitement turning to the cat as the instinct orders, which can go away even beyond the line for the human to check by his rationality.'▼Letting me select a famous poem of the lovers just alone, this writer likes to recommend 《The enviable: the time to dare: the cat lovers》, which is a poem of Ochi Etzzin, so his master Basho's praised keenly. Could I have thought if it is a poem to envy the great nerve in a love, either had a view seen it chanted the calmness to avoid any pursuit deep. Anyhow, the cat lovers should have some especial charms which let the poetic sentiment in the men be gushy from old times▼Today the 22nd is the Day of the cats. 《The cats in a love: even if they will see the world their enemy,》, Ohqui Amari's. About the swing between the calmness and the passion in a moment in a love some cats let them teach us.

恋の季節がやってきた。人ではなく猫の話である。「春の猫」;「うかれ猫」;「猫の妻」;「猫さかる」――恋に突き動かされるさまをとらえる季語を並べてみると、不思議と寒さがやわらぐ気がする▼俳人たちもこの季節の猫たちに魅せられてきた。しかし、句に詠まれた猫たちの熱情は科学的にどう評価できるのか?犬や猫の行動に詳しい帝京科学大学の加隈(かくま)良枝准教授に講評をお願いした▼たとえば、芭蕉なら《麦飯にやつるる恋か猫の妻》:「恋やつれと言うのは、ややオーバーでしょうね。発情期は食欲が一時的に減退し、体重が減る。シンプルに受け止めるべきでしょう」▼情熱的な躍動を詠む名句もある。芭蕉は《またうどな犬踏みつけて猫の恋》。子規は〈おそろしや石垣崩す猫の恋〉――誇大だろうか?:「いえ、動物学の理にはかないます。発情のスイッチが入ると猫は本能の命じるまま。人間なら理性で抑える一線も越えて行ってしまう」▼恋の名句を一つだけ選ぶとしたら、筆者は《うらやまし思ひきる時猫の恋》を挙げたい。越智越人(えつじん)の句で、師匠の芭蕉も激賞している。恋の大胆さをうらやむ句かと思いきや、深追いを避ける冷静さを詠んだとみる説もある。いずれにせよ、猫の恋には人の詩情を湧きたたせる何か特別な魅力が古来あるようだ▼きょう22日は猫の日である。《恋猫や世界を敵にまはしても》大木あまり。恋するときの冷静と情熱の間を猫たちは私たちに教えてくれる。

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恋の季節がやってきた。人ではなく猫の話である。「春の猫」;「うかれ猫」;「猫の妻」;「猫さかる」――恋に突き動かされるさまをとらえる季語を並べてみると、不思議と寒さがやわらぐ気がする▼俳人たちもこの季節のネコたちに魅せられてきた。しかし、句に詠まれたネコたちの熱情は科学的にどう評価できるのか?犬や猫の行動に詳しい帝京科学大学の加隈(かくま)良枝准教授に講評をお願いした▼たとえば、芭蕉なら《麦飯にやつるる恋か猫の妻》:「恋やつれと言うのは、ややオーバーでしょうね。発情期は食欲が一時的に減退し、体重が減る。シンプルに受け止めるべきでしょう」▼情熱的な躍動を詠む名句もある。芭蕉は《またうどな犬踏みつけて猫の恋》。子規は〈おそろしや石垣崩す猫の恋〉――誇大だろうか?:「いえ、動物学の理にはかないます。発情のスイッチが入ると猫は本能の命じるまま。人間なら理性で抑える一線も越えて行ってしまう」▼恋の名句を一つだけ選ぶとしたら、筆者は《うらやまし思ひきる時猫の恋》を挙げたい。越智越人(えつじん)の句で、師匠の芭蕉も激賞している。恋の大胆さをうらやむ句かと思いきや、深追いを避ける冷静さを詠んだとみる説もある。いずれにせよ、猫の恋には人の詩情を湧きたたせる何か特別な魅力が古来あるようだ▼きょう22日は猫の日である。《恋猫や世界を敵にまはしても》大木あまり。恋するときの冷静と情熱の間を猫たちは私たちに教えてくれる。

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by keitan020211 | 2017-02-22 15:00 | 生活 | Comments(0)
【書を読む】三浦瑠麗 「トランプ時代」の新世界秩序
「トランプ時代」の新世界秩序
潮(うしお)新書 著:三浦瑠麗
定価:759円 ISBN978-4-267-02076-6 C0295

a0313715_16502149.jpg 私にとっては『日本に絶望している人のための政治入門』に次ぐ国際政治学者三浦瑠麗氏の書である。
 気のせいか、三浦氏の著書はその帯に彼女の顔の映るものが多い。本を顔写真付で出す人は三浦氏のように美人であるか経済評論家の三橋貴明氏のように面白い顔であるかの何れかであり、容姿が本の売れ行きにも影響する現実を改めて思い知らされる。また、それらの例のように、政治の分野においては『美しさ』が尊ばれるが経済の分野においては『美しさ』は余り尊ばれずに『面白さ』が尊ばれることは少なくはない人々が政治にはきれいで分かり易いことを求め、経済には或る種の冒険のようなわくわく感を求めることが背景にありそうである。故に、二昔も三昔も前の国際政治学者舛添要一氏は容姿の非優位性を何とか補うべく『おやじ臭さ』の排除のための今様の身嗜みといわれるものに是努めていたのであろう――私から見ると痛々しいものでしかないが、――。逆に、経済の分野においては『美しさ』は自由を損ないかねないええ格好しいのエリート気質と見られ易い。アメリカの著名な経済学者らも、容姿は一癖のある面白い者が多い。
 『美しさ』が受ける政治の分野と『面白さ』が受ける経済の分野、それらをやや半端にせよ併せ持つのが安倍晋三総理である。

 その安倍総理を「彼はなかなかだ。」と云うアメリカのドナルド ジョン トランプ大統領の『美しさ』はその髪型とその輝き抜けるような金髪、そしてトランプタワーなどの壮麗な資産群である。また、彼の『面白さ』は評価は様々ではあるが、その演説やツイートにおける弁舌、更には就任式の日の夜に見せた妻メラニア氏とのおやじ踊りである。その意味においては、彼の安倍晋三との類似性はないとはいえない。しかし安倍に経験のあるものは経営ではなく勤務である。

a0313715_17544646.jpg 因みに私は、トランプ大統領の容姿はなかなか好みである。
 私はポール マッカートニーのファンであるが、彼はアイルランド系――ケネディ大統領と同じ――であり、トランプはスコットランド系――マッカーサー将軍と同じ――、トランプの人種はマッカートニーと同じであり、英語の喋り方もまたトランプのそれはどこかポールの喋りを想わせるような親しみを感じる英語である。喋り方だけではなく口元の造りや動きなんかもポールと似、『面白い』だけではなく結構『美しい』、『格好良い』と思うのである。 オバマ大統領も格好の良さは定評であり私もそれを大いに認めるが、オバマの格好良さには都合の好過ぎな感じがどうしてもついてまわる。トランプの格好良さはより現実味と実現可能性の高さがあり、供にする女の負担も軽いのではないかと思う。即ち、オバマ系を恋人にすると大変になるということである。

a0313715_17560868.png トランプ時代の新世界秩序、先ずはいえるのはオバマ系の『都合の好い格好良さ』が価値観を占める時代が終わることである。
 「都合の好い」とは三浦氏の語る「経緯論」に当たる。従前の経緯に照らして最も実現可能性の高そうなことやものを選ぶ――しかしそこには従前の経緯を離れてゼロベースで考えればより得をしたり損をしなかったりする可能性は勘案されない。
 代わって現われるものは「ゼロベース」である。トランプはゼロベースで考える当代で初めてのアメリカ大統領であると云う。
 形としてはどのようなものとなるかを、三浦氏はそこには示さない。何しろ、ゼロベースの時代となるからである。予想よりも『何をしたいか』が問われる時代が竟に来る。

 幾つか残念な点は三浦氏が「帝国」や「覇権」の語を聊かええ加減な観念で用いることである。
 彼女は、または多くの学者や知的好奇心の強い人々はしばしばアメリカを「帝国」や「覇権国」と呼ぶ。
 しかしアメリカの歴史と現状は帝国にも覇権にも当て嵌まらないし、何よりアメリカ自らが自国をそのようなものと思ってはいない。アメリカはトランプの選挙を通して「帝国たること」や「覇権たること」をやめたのではなく、単にそのような心外な形容を付されることに対する拒否感を票を使い表明したに過ぎない。
 アメリカを帝国や覇権国と思い込んでいるのはアメリカを利用したい或る種の国々であり、アメリカはそんなものになりたいと思ったことは一度もないし現実になったこともない。
a0313715_17580573.jpg 世界はいわば剥き出しのエゴの世界であり、そうであれば何等かの帝国的或いは覇権的秩序をそこに打ちたてることは国家のような固有の主体としては不可能な筈である。固有の主体が秩序をなすことができない故に国際連合という抽象的主体を立てて秩序を生みだそうとしている訳である。
 アメリカが「帝国」や「覇権」といわれている現代の歴史は国連を通しての国際安全保障を図りたいアメリカ以外の幾つかの国々が軍事力や経済力の相対的に大きいアメリカを都合好く利用して来た歴史に過ぎない。いわば、アメリカは巨大な植民地であり、しばしば日本に関していわれるのと同じように、独立国家としての独自の意思に随うことのできた時代は少ない。故にこそ、ケネディが、レーガンが、オバマが、独立と誇りを万年植民地のアメリカに与えてくれる者として期待を懸けられたのである。
 アメリカ軍は世界の傭兵に過ぎず、そうであればトランプ大統領がその撤退を訴えることは必然でもある。

 その端的現実が見えないのは日本が『それ程でしかない国』に打ち負かされた事実を直視したくないからである。自らを打ち負かした国は全てにおいて優れる巨大な力であるとしないと負けを認めることができない、即ち、『帝国アメリカ』や『アメリカの覇権』という形容は敗戦国日本や敗戦国ドイツが勝手に作り上げた伝説であり、これからの時代に期待される三浦氏のような学者がそのような幼稚で現実逃避な伝説に拠って立ちながら学問をしているのは允に残念としかいいようがない。

a0313715_18004495.jpg そこをリセットして見ないと、トランプ大統領がアメリカ軍はいいようにこき使われてきたということの現実味と歴史的経緯は見えて来ない。
 アメリカを「帝国」や「覇権」に仕立て上げたのは元々はシナの陰謀であり、そして日本や韓国、ドイツの現実逃避の願望である。シナにとってはその目の下のたんこぶや遙かヨーロッパの鍵を握る国がアメリカの軍事力に頼ってくれればそれらに対して政治的に優位に立てるという永年の読みがある。
 故に或る種の親米派はシナの手先でもある。
 トランプ政権はそんな惨めな日本を救ってくれるものとなるかもしれないが、そのためにはアメリカを「帝国」とか「覇権」ということをやめることが条件となる。現状の追認ではなく、初めからそうである。

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■NEWS of the WORLD


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    ●AFP(フランス パリ)
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    ●ル フィガロ(フランス パリ)
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    ●共同通信(日本 東京)
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    ●朝日新聞(日本 大阪)
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    ●日本経済新聞(日本 東京)
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    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
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    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
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    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
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    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
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    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2017-02-21 18:01 | 政治、社会 | Comments(0)
【Freesia料理】豚ふわ肉のおから煮込み
 前の記事に大根の葉やパセリの話をしたことがある。
 それらを捨てるなんてとんでもないという話である。
 私は大根の葉を必ず使うし、パセリはあまり使わないけれどあれば必ず食べる。
 私は七草粥がとても好きであるが、今までは七草の一つである蘿蔔(すずしろ)は大根の葉のことであることを知らず、それを知ると大根の葉を捨てる人々のお話にならなさを改めて強く思った。「七草粥だよー♡」と云われるとエルメスのように有り難がるのに、同じものである大根に付く葉は質屋にも行かないのである。
 そもそも、「大根」とは大きな根のことであり、いわば株も芋も大根である。厳密には大根は「蘿蔔の根」と呼ばれるべきものであり、葉が主役な筈である。

 その大根も入る、もう二つのお仲間を使う料理をここに紹介する。

 一つは:豚ふわ肉
 二つは:おから

 何のお仲間か、捨てられる或いは売られても買う人のいないものである。

a0313715_16172096.jpg 豚ふわ肉は捨てられることは余りないが、売られることは稀であり、売られても買う人が殆どないという。値段は大抵は安く、高くて買えないのではなく安くて買う気にならないのであろうか?
 豚ふわ肉とは豚の肺の肉である。重さが軽くて柔らかいことから「ふわ」というという。
 私も聞いたことはあるが、合成市場で初めてそれを見つけ、なかなか売れないらしくて10%引になっていた。

 おからは或る地域の外には売られることが少なく、その前に多くは捨てられてしまうという。おからとは豆腐の製造の過程に出る残り滓である。或る地域とは京都及びその周辺である。
 私は食べたことはないが、おから御飯やおからケーキなどの話をよく聞く。おから御飯も早速や試そうと思う。

 その豚ふわ肉とおからを使い、その他には野菜をごろごろと煮込めて作る煮込み料理である。

●揃えるもの

a0313715_16230282.jpg豚ふわ肉  5~6切
牛筋肉  少量
大根  厚切り3枚を6等分ずつ
人参  厚切り6枚以上
玉葱  4分の1程
小松菜  3本程
生姜  薄切り2~3枚
だし昆布  6~7㎠程
胡椒  多目  推奨は:AEON TOPVALU シャープな香りと辛み コショー―:ブラックペッパー100%
オリーブ油  適量 ※:右の写真の量ではありません。
味醂  多目
米酢  少量  推奨は:タマノイ穀物酢
胡麻油  適量
濃口醤油  多目  推奨は:ワダカン 八甲田伏流水本醸造しょうゆ
おから  煮込みつゆの表面が充分に覆う程 煮込めながらつゆの全体にゆき渡らせる。

●作り方

・豚ふわ肉、牛筋肉、大根、人参、玉葱、胡椒、オリーブ油を鍋に一挙に入れ、蓋をして10分程オリーブ油蒸しにする。
 すると豚ふわ肉がローストビーフのようにきれいに焼ける。しかし、その後に水で煮込めるとそのきれいさが失われてしまい並の見た目になるのがやや残念。

・生姜、だし昆布、味醂、米酢、胡麻油と濃口醤油をそこに加え、そして適量の水を加えて更に10分程煮込める。

a0313715_16210755.jpg・煮込めたら、小松菜とおからを入れ、小松菜が蒸れておからがつゆの全体に行き渡るまで煮込め続ける。

 出来上がり

 豚ふわ肉の味はレバーを極薄に薄めたようなものであり、味わいは味付けに依るといえそうです。
 この一皿というか一杯では、胡椒と生姜のほの辛さが酢醤油の中にきらりと効き、おからの柔らかな風味が相俟ってまろやかで深みのある味が出せました。
 詳しくは知りませんが、豚ふわ肉には栄養は余りないといい、野菜とその吸収を助けるおからが実際の主役となります。尚、Wikipediaの『豚肉』の頁にはふわ肉は載ってもいません。

 また、おからは漬物や豆に和えるなどしても使えます。取り分け胡麻とは好く合います。それは私もしばしば見掛けまたは食べているものです。

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■NEWS of the WORLD


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    ●ル モンド(フランス パリ)
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    ●リベラシオン(フランス パリ)
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    ●時事通信(日本 東京)
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    ●読売新聞(日本 東京)
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    ●毎日新聞(日本 東京)
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    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
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    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2017-02-21 16:24 | 生活 | Comments(0)
プレミアムフライデー 肯定論が出ない怪
 毎週金曜日の事業所の終業時刻を早めることにより消費を促そうとするプレミアムフライデー――
 私はそれを聞き初めに、消費税との関わりがあるのかと思った。
a0313715_14335144.jpg 消費税は日本のそれの英語は'the consumption tax'と呼ばれアメリカの新聞等にもそのように記されるが、ヨーロッパなどの多くの国々のそれは'the premium tax'、即ち付加価値税と呼ばれる。消費税の10%への増税が棚上げとなっている今、消費を上向かせることによりその実現への足掛かりをなしたいとの考えがあるのかもしれない。そのための『付加価値のある金曜日』。

 それについての批評等は、その発表の初めから否定的見解が粗全てであり肯定的見解が粗全く出ていない。
 弊ブログも賛成か反対かといえば反対ではあるが、それらの否定的批評は悉くそこに何の意味をも見出さずに「官僚は馬鹿」と、「主権者国民」が政府を上から目線で貶すものしかない。
 漫画家の小林よしのり氏もその一人であり、2月19日の自らのブログを『プレミアムフライデーは庶民感覚ではない』と題してその批判をしている。
時間ができればカネを使える人は嬉しいだろう。
高給取りの個人消費は上向くかもしれない。
だが普通に考えれば、時間があっても、カネがなければモノは買えない。
旅行なんてもってのほか。
 小林はそのように思うのが庶民感覚というが、それは本当に庶民の感覚といえるものか?
 ――そうではない。
 庶民ならば『金がないのに暇が出来る金曜日』に備えて月~木の消費を見直そうと思うであろう。或いは土日もそれに含まれるかもしれない。その結果として金曜日が本当に付加価値になる人もいようし、殆ど何もかわらない人もいよう。 そこでプレミアムフライデーが困るという人々はそのように消費延いては暮らしの在り方を見直すことのない怠慢な人々であり、それを小林のように庶民感覚というのは余りに厚かましい、貧困なる精神である。

 政府は恐らく、プレミアムフライデーのなりゆきと効き目を見定めてから適当と思しい時にプレミアムフライデーを導入している法人に税制の優遇をするであろう。但しそれが内部留保に回しても大きな意味のない程の減税に留めることにより賃金の若干の上乗せに回り得るようにするのである。企業が生産性を高めればその増賃金はもっと大きくなる。
 「なりゆきと効き目を見定めながら」という実験的政策には国民を馬鹿にするようなものがあり、見定めようとする側が自らに都合の好い事実や情報だけを恃むことになりかねず、その点からも賛成しかねるが、そうではなければ銭の遣い方や遣う動機をかえることを主眼とする経済政策の意義はあるといえる。金の流れをかえることが本来の意味における再分配であり、プレミアムフライデーはそれそのものが再分配なのである。君達の大好きな再分配である。

a0313715_14362370.jpg 今時は週末が『輝く』ものとはならない暮らしの在り方が主流となっている。宵に遊びたい人は月曜日にするかもしれないし、少しも遊べない人々もいる。多様性は大切であるが、人々の暮らしの在り方がさようにもまちまちとなると世論の形成もなり難くなり、世論が極個人化して国民の実感を反映し難いものとなってくる。政府が世論を掴み易くなるためには昔のように『金曜日が待ち遠しい』暮らしの在り方をする人々がもっと増えなくてはならない。しかし増賃金が既定の傾向であった昔とは違い、そうなるためには国民の個々の消費の在り方や暮らし方の見直しや改善の努めを要する訳である。

 月~木に、考えてみればなくても困らない余分な出費をしている人は少なくはない筈である。恐らく小林もまたその一人であろう。
a0313715_14385570.jpg そのような余分な出費が多くはグローバリズムの時代の所謂勝ち組企業の商品である。分かりやすい例はコカコーラ社の飲料等である――コカコーラ社の不買や排斥を訴えるのではない、私もそれらを好きである。――。或いは古谷経衡氏が『「意識高い系」の研究』に批判するような、コンビニスイーツもあろう――私は昼のコンビニフライと宵のコンビニビールをやめる積りはないが、――。また、前の記事にも語ったような、日本一癌の多い県である東京都内のスーパーマーケットにおける主婦や独身女性の買い物籠の中身も酷いものである――逆に、日本一癌の少ない県である神奈川県内のそれはもう改善の余地もない程でプレミアムフライデーの効果もないかもしれない。――。グローバリズム企業の主な狙いは旅行や持家のできない人々が『残る豊かさ』を味わうための或る種の代替需要、消極的代替需要である。即ち、グローバリズム経済の主要の想定消費者は外でもない「意識高い系」である。――それらのようなものを買わないようにすれば金曜日の消費に驚く程に―?―回るようになろうし、月~木に他のものに回して金曜日は早く寝るのでもよかろう。
 それにより勝ち組企業にしか回っていなかった金が違う企業に回るようにもなる訳である。詰り、グローバリズムを批判する小林が自らの手で今までグローバル勝ち組企業を勝ち続けさせており、そんな者の云うことの何が庶民感覚というのか、お話にならない。

 「意識高い系」を「庶民」と呼ぶ小林よしのり…

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by keitan020211 | 2017-02-21 14:30 | 政治、社会 | Comments(0)
報道ステーション 土井善晴とのコラボで『一汁一菜』を訴える
 テレビ朝日というと、『土井勝 おかずのクッキング』の主題歌と場面が思い浮かぶ。今を遡ること三十年程も前の番組である。
a0313715_22004318.jpg 当時のテレビ朝日の番組といえば他には『象印クイズ ヒントでピント』、『霊感ヤマカン第六感』、『クイズ タイムショック』、『大戦隊ゴーグルファイブ』や『宇宙刑事ギャバン』など、魅力のあるものが多い。当時のテレビはどの局もそうであったが、番組の音楽に力をいれており、スタジオの造りも半端なく隙のないものであり、それが番組の緊張感を醸し出していた。取り分けフジテレビとテレビ朝日のそれらは素晴らしいものであった。
 当時の私の個人視聴率はフジテレビが九割にテレビ朝日が五分、残りをTBS、日本テレビとNHKが分け合っていた。因みに今はやりのNHKは、私の観ていたのは『スプーンおばさん』と『みんなの歌』、『おかあさんといっしょ』である。後にも、その他のNHKの番組を放送時間の全てを通して見たことは一度もない。
 私が九割五分を占めて観ていた、そして今も九割五分を占めるフジテレビとテレビ朝日は後発局であることにおいて相通ずる。後発局といえば聞こえは良いが、要は元弱小局である。元弱小の後発であることにおいてはトヨタ自動車もそうであり、トヨタは一度は倒産を経ている。
a0313715_22031487.jpg 今の私の個人視聴率におけるその九割五分の内訳は時代をすっかり反映してか、テレビ朝日が六割五分にフジテレビが三割となっている。テレビ朝日をそこまでに押し上げた力の素は何といっても1985年に始まったニュースステーションの後継番組と目されるけれども当局は無関係という、2004年に始まった報道ステーションである。
 しかし、その訳合率が近頃は再びフジテレビが増してテレビ朝日がじり貧となって来ている。
 それは私だけの試聴傾向化と思っていたら、実は一般傾向であることを示すネットニュースの記事を今日に見つけた。テレビ朝日は1位の日本テレビに次ぐ2位を維持しているが、視聴率の差は近頃に開く一方であり、少し前までは2強3弱といわれていた視聴率が今は1強4弱となっているという。
a0313715_22060950.jpg そこで「テレビといえばTBSとテレ朝♡」と未だにいう人々は「テレビの価値は視聴率ではない。」というかもしれないが、テレビの価値を客観的に測ることのできる方法は今の処は視聴率の外にはない。尤も、絶対値が低くても増加の傾向にあれば価値が高いと見做せるが、今のテレビ朝日は絶対値が2位でも減少の傾向にあり、それが意味するのは紛れもなくテレビとしての価値の喪失である。
 因みに今の視聴率の低さが何かと揶揄されるフジテレビは若年層の視聴率は尚も1位であり、フジテレビは価値を高めている側面もあるといえる。そのフジが総合では4位となっている今は如何に年寄りがテレビの試聴傾向を牛耳っているかを物語る。
a0313715_22081161.jpg テレビ朝日の視聴率の漸減の傾向の原因として一つ考えられるのは視聴者の死亡である。その高い視聴率を支えている高年層が死亡により常に減少し、それを補うだけの若い人々の試聴率が増えていない。しかしそれを勘案しても尚テレビ朝日の怠慢は著しい。

 願わしいのは死亡による減少ではなく脂肪の減少か?

 昨日2月17日の報道ステーションは金曜日のゲスト解説者として何を血迷ったか笑、『おかずのクッキング』の二代目である土井善晴氏を招き、陳腐なトランプ評を喋らせた後に場をスタジオの奥の座敷へ移して一同正座での放送となった。正座でのニュースは報道史上初めてである。そこには「2位の座に胡坐をかくことはない。」との宣言はあるのかどうか?

 その主題は『一汁一菜』の奨めである。
a0313715_22105361.jpg 一同が大きな膳を囲み、土井製の『一汁一菜』の御膳をいただく。
 献立は:米の飯、あり合せの材料を注ぎ込めて作る土井特製みそ汁と小さく簡素なお新香
 とても料理番組の先生とは思えない普通過ぎる、というか、普通にもやっている人は余りいなさげなプアーな献立であるが、報道ステーションは料理番組ではない。正にですね、それは報道の特集なのです。

 その土井特製みそ汁にはキャベツとウィンナーが主に入っており、『白い米と肉のスープ』を忠実に再現するかのようでもあって微笑ましい。それを実現することが日本の国家目標であり各々の個人目標である、そのようなメッセージにも思える。

 然も、そのみそ汁は私とマブダチの、だしなしである。
 左脇に座るスポーツの寺川綾が本当に思ってか口先介入としてか、「おだしが出てますね。」と言う。
 真相は――何かを入れれば大抵はだしが出る。
 具がそもそも、だしになる。
 よって昆布だしやの鰹だしやのという所謂定番の話は橋下徹ではないが、莫迦莫迦しい。
 私はみそ汁の昆布、鰹、や煮干のだしは偶に入れたい時にだけそれらの現物から取って出す。なので顆粒や粉末のだしは使わない。昔は顆粒のいりこだしを使っていたが、それはいりこは加工物も現物と近い風合いがあるからである。
 そうではない通常はだしなしである。正に寺川と土井の語る通り、何かを入れればそれがだしになるからである。
 私は余りしないが、キャベツやウィンナーのみそ汁を食べたことはある。なかなか良い。その味を知るのでその土井特製みそ汁は立ち処に理解し得た。それと似るものでは私のよくするのは白菜と鶏胸肉である。そこに人参や大根、椎茸、豆腐なども入ってちゃんこになる。ちゃんこの際には鶏殻の粉末だしが入る。価格も白菜と鶏胸肉はキャベツとウインナーより安く、より低原価である。番組としてはウィンナーなどのような加工食品を否定的にいうことはできないので寧ろそこにウィンナーを使うことは妥当ともいえる。

a0313715_22164752.jpg やや残念なのは米の飯が麦飯や胚芽米ではないことである。私はそれらを多くする。
 とはいえ、みそ汁を重視するならば白米の弊害は抑えられ、また今時の麦は米より値が高くて米と併せて結構な値段になり、偉大なる金日成首領の言葉を忠実に再現するならば白米だけでもそれも番組としては、差し支えなかろう。しかしその心を日本人として継承する私は麦飯や胚芽米、玄米を強く奨める。

 折しも、私が報道ステーションの前スポーツ解説者でもある工藤公康氏の『工藤公康 粗食は最強の体をつくる!』<管理栄養士幕内秀夫著 三笠書房刊>を買って読もうと思っている処の放送である。報道ステーションは私の暮らしを覗き見ているのかと思う程である。
 その本のやや残念なのは表紙の工藤の着るのが西武ライオンズのユニフォームではなく読売ジャイアンツのユニフォームなことである。
a0313715_22184222.jpg 「粗食パワーで奪三振数が一挙に倍増!」などと旨い話がふんだんに並ぶ。
 一つだけ疑問なのは「ステーキ信仰――「肉を食べるとパワーがつく」は迷信」である。
 肉は力をつけるための食べ物ではなく技を養う食べ物であるということからすれば確かに云っていることに間違いはないが、肉を否定的に語るとそれが恰も体に良くないかのような印象を与えかねない。肉は技を養い、力がつくのは野菜である。力は技があって何歩のものであり、野菜を奨める余りに肉を避けてはいけない、避けるのではなく初めから考えにないというのは良いが。よって「それ迷信」と云われて肉をやめると力だけで技のない人になり、体質も「逆に」肥満の傾向が強まる。日本人に肥満体質や癌などの成人病が多いのは肉を含む脂肪分の忌避により体の脂肪の入れ替えが鈍り、古い脂肪が蓄積して硬化し易くなるからである。
 肉には否定的と見えても、脂肪分を重視するのが工藤流である。肉以外の物からの脂肪分はふんだんに摂るべしと云う。

 『おかずのクッキング』の土井善晴氏とのコラボによる報道ステーション――

 もう一つの特筆は一同の食べ方がきれいなことである。一同とは富川悠太、小川彩佳、土井善晴、喜田勝、森川夕貴と寺川綾である。
 きれいというか、それが普通であり、他の番組等の出演者の食べ方が汚すぎる。「汚い人もいる」のではなく、食べる場面のある番組の殆どとその大半の出演者がお話にならない程に食べ方が汚い。食べ物を口に入れた侭喋ったり音を立てて啜ったりする者が多い。食べ方だけではなく、食べ物の映し方も箸でつまんだりしたものを大写しにして画面に近づけたりする。まじに、番組の企画者や演出家及びその支持者は人ではないので死んでほしいと思うばかりであり、そのような番組が多くを占めているのでは日本人のテレビ離れは必然である。
 ――取り分け、喜田氏の端正な佇まいとその妻に居る森川アナウンサーの姿は美しい。私の好きな小川アナウンサーも普通にきれいである。
a0313715_22210177.jpg その報道ステーションの他に食べ方のきれいな番組はフジテレビの『めざましテレビ』の『伊野尾慧のいのお飯』の伊野尾慧と立本信吾アナウンサーだけである。それと偶に菓子などを摘まむキャスター等一同、本当にそれだけなのが空恐ろしい。『イマドキ』の女子等も不合格である。
 無難なのは食べる場面をなるべくなくすることであり、速やかに求められるのは食べ物の出て来る番組を少なくすることである。
 首位を独走する日本テレビが強い理由の一つはそこにある。食べる場面や食べ物の出て来る番組が比較的に少なく、不快感を催すことが少ないからである。尤も少ないだけであり、日本テレビにも不快感を催す番組がなくはない。今日に三十年程振りに『キューピー 三分間クッキング』を観たが、他局の料理番組とは明らかに圧倒的に違う。他局が何歩趣向を凝らしてなうい料理番組を作っても、昔ながらの至って普通な趣の『キューピー 三分間クッキング』の迫力と隙のなさには到底に及ばない。因みにNHKは論外であり、あの訳の分からない老婆の声が気持ち悪くて学ぶ気と食欲が失せる。

 美食は健康にも美容にも不利である。それが直ちに不健康や不美容を招く訳ではないが、美食を尊ぶ思想はそれらにつながる。どんな豪華で美しい料理も粗食の発展形としてあるものであり、初めから美食を想い描いてもその通りにはならないからであり、想像と実践の結びつかないことが不健康や不美容の最も大きな原因である。
 「貧乏者は麦を食え。」と云う池田勇人総理の心を今一度思い致すべし。富者も貧者も基本は同じである。
 「成熟社会」などという下らない戯言を信じてはいけない。

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by keitan020211 | 2017-02-18 21:58 | 生活 | Comments(0)



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