【アメリカのシリア空爆】一石を投ずる意義深いもの
 昨日の中-USAの首脳会談の晩餐会と同じ時に、アメリカがシリアの空爆をした。
 トランプ大統領はその時に、それにつき習主席に告げたという。習主席はそれに理解を示したと今日の朝日新聞が伝える。

a0313715_18455145.jpg シリアの反体制派を民間で支援するアメリカはこれまでにはアサド政権軍によるものとされる無差別殺戮や化学兵器攻めなどが繰り返されても、シリア情勢への対応を悉く見送っていた、オバマ政権におけることである。
 その間に、ロシア軍が反体制派の地域と思しい場所を主として攻撃を重ねている。
 様々な事態を見ても何の対応をも取らないアメリカの姿勢は宛ら『織り込み済みの忍耐』と呼ばれる北朝鮮への対応と似てもいる。――しかしその濁った静けさはここに破られた。

 それを、どう評価したら良いのであろうか?

 アサド政権が悪いのか良いのかはさておき――弊ブログは総じてはアサド政権とそれを支援するロシアが正しいと見るが、何の責任もない訳ではないと見ている。シリアにおける無差別殺戮や化学兵器攻めをしているのは政府軍が捕虜にするなどして寝返った元反体制派がアサド政権を内側から崩すために行っている自爆テロであり、主な責めは反体制派にある。但しそれを見敗れないでおり或いは見破っていても何の粛清の策をも取らないアサド政権にはそれに相応する責任がある。「ロシアによる軍事攻撃」さえも、元反体制派がロシアの予てよりシリアに与えている兵器等を使っての偽装工作であるかもしれない。――、その一撃は今までの濁った静けさ、即ち空気に水を差すことになる意義深いものとなろう。「水を差す」はこの場合は「一石を投ずる」と言い換えることもできる。

 尤も、水を差すだけに終始することは水を差すことはそもそも空気による支配の存在を前提とするからであり、空気そのものを解決することにはならない。アメリカ軍によるその空爆だけではなく、これまでのシリア情勢を巡り所謂国際共同体が醸し出していた空気を解決するためには何等かの重ねての手立てが必要となる。それを実現し得る可能性のある国は今の処はイギリス、カナダ、ロシアと中国しかない。アメリカはトランプ政権がロシアとの関係の改善にその一撃を経ても努め続ける限りにおいてその一角を占め得、日本は安倍政権がこれまでに幾度となく表明していた国際共同体を足蹴にする覚悟を持ってトランプ政権との協調を図ることによりその一角を占め得る。国際共同体を足蹴にするとは主には、EUを支持しないことである。殊に経済界にはEUを金科玉条とする向きが多く、政治がそのような経済界に振り回されないことが強く求められる。

 何れにせよ、空気は破られた。
 空気とは、シリア情勢に関する何の手立てをも取ることなくアサド政権を悪として非難するだけの国際共同体の「自由を守るための言論」である。彼等の言論により自由が守られることはついぞないだけではなく人類、殊に日本人の自由が損なわれてもいる。また、それを支持していたのがオバマ政権のアメリカとその御用インテリジェンスたるCIA、中央情報庁である。しばしば批判の対象となる「アメリカ」とは彼等によりアメリカがアメリカではなくなって国際共同体という別物に「進化」することを指す。

 その一撃によりアメリカとロシアとの関係の改善の気運にひびが入りかねないとの懸念があるが、ロシアが表明した「今回限りは許す。次は許さない。」の言葉が概ね全てを物語ろう。
 アメリカによるそのシリアへの空爆は正に一回限りは許すことを前提としてロシアが認めたことに依るものであろう。そうではなければそのように一回でも許すような発言が出ては来ない筈である。
 そしてそれを部分的に支持すると表明したカナダ――
 ――とにかく、空気を破らなければどうにもならないのである。

a0313715_18475049.jpg 日本が、例えば安倍総理がそこで「部分的に」と言えないでいるのは彼がこれまでにさんざ国際共同体との歩みを共にするとか国際法を守ることを呼び掛けてゆくなどという書生論、場合によっては書生も相手にしない口上を振り翳して政権の支持を繋ぎ止めているからである。彼はそれと矛盾するかのようなことを1枚のトランプを見て言う訳にもゆかない。安倍総理は意気軒昂とではないにせよ、その一撃を全面支持とするかのような所感を述べている。

 アメリカとロシアの関係は引き続き改善に向かおう。
 中国はアメリカとより親密となることはなかろうが、習政権は秘かにトランプ政権との協調を強めると思われる。今までがそうではなかったのは偏に中国は広いからである。それにより習政権の権力はより磐石となる。

a0313715_18492493.jpg 考えられる解決策はアサド政権の『解散総選挙』である。
 ティラーソン国務長官の「アサド政権の命運はシリア国民に委ねられる」との発言はそのことであろうと考えられる。『解散』の進言をするのは勿論ロシアである。おまけに元同盟国のフランスが加われば尚更に良い。EU派で無所属のマクロン氏が大統領となり、そのマクロン政権が公約に反してロシアに「押し切られ」ればヨーロッパももう少しは真面になる。

 何に優先しても潰さなくてはならないのは「偽アメリカ」がこれまでに支援し助長して来たシリアの反体制派である。次にイスラム国――
 ――そもそもこれまでのアメリカが世界最大且つ唯一のテロ支援国家であった。そして彼等が自らの矛盾に何も言えなくなるのがこの程のシリアの空爆である。「アサドが悪い、しかし、シリアを攻めることはあってはならない。」――全く意味不明とはそのことである。逆に「アサドは悪くない、しかし、シリアを部分的に攻めるのは良い。」も彼等には理解不可能であるかもしれない。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報



■NEWS of the WORLD


a0313715_18135641.jpg
    ●AFP(フランス パリ)
a0313715_20290187.png
    ●ル フィガロ(フランス パリ)
a0313715_16210877.png
    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
a0313715_18035419.jpg
    ●共同通信(日本 東京)
a0313715_20324653.png
    ●朝日新聞(日本 大阪)
a0313715_20351165.gif
    ●日本経済新聞(日本 東京)
a0313715_20365208.png
    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
a0313715_20390867.png
    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
a0313715_20405274.png
    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_18190235.jpg
    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
a0313715_14522563.png
    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
a0313715_20590106.png
    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
# by keitan020211 | 2017-04-08 18:52 | 政治、社会 | Comments(0)
【ちょっと知りたいキリスト教】厩(うまや)で生まれたイエスは貧しかったか?
 キリスト教の復活祭が近づいている。

 復活祭の日取りは月の満ち欠けに随い年毎に違う日が決まり、そこが毎年12月25日に定まる降誕祭との違いである。降誕祭はローマの冬至の祭とのコラボで制定された祭であり太陽、日の象徴性があるのと比べ、復活祭は月に象徴性のあるものなようである。
 太陽の形は年中無休でかわらないが、月の形は不断に――じっと見ていても分からないけれど、――かわり、日が改まって気がつけば元の同じ形に戻る。その『変化と不変』の様が復活というものを物語るようでもある。
 今年の復活祭は4月16日となる。お月様の都合によっては3月となることも多い復活祭が、只今の日本の遅い春に恰も合わせてくれているかのようでもあり、クールジャパンや日本の素晴らしさを喧伝するテレビ番組等、そして2020東京オリンピックなどの日本の自己満足につきあってくれている諸外国を想わせる。

 京都の或る人が「桜は散ってもまた咲きますえ。」と語ったとの逸話がある。桜の魅力をそのように捉えるならば、桜は復活を物語るかのような生き物にも見える。元々は桜は日本の伝統の花ではないので、寧ろそれが桜の本分であるともいえそうである。「寧ろ」とは、日本における桜の愛され方は『散りゆくこと』に見定められがちであることを指す。それが全くの誤りであるとはいわないが、日本に移植されて親しまれるようになった西洋の花である桜の本義は『散るかのように見えても散りゆかないこと』にある筈である。

 ――「桜ってパンだね。」

 さて、今日のこの【ちょっと知りたいキリスト教】はイエスの復活とも関わりがあるけれどもどちらかといえばイエスの降誕に照準を合わせる話となる。まだ寒気が残るので強ち季節外れな話ではなかろう。

 この晩冬初春に、日本の文部科学省の検定による学校の歴史の教科書につき、永らく記される史実である聖徳太子の名が厩王子に改められるとの報があった。
 私はそれに賛成したが、結構な批判反対が出て挙句にそれが取り下げられた。今までと同じく聖徳太子の名とするという。
 厩王子とは彼――何れにせよ「その彼」であることは確か。――が馬の住み処である厩で生まれたことから呼ばれる名であり、その名を以て現に呼ばれていたことは事実であると予てよりされる。問題は聖徳太子の名が彼の生前にはなかったということにある。後世の決定が史実の説明としては好ましいのかどうか、なるべく当時の実際の名を標準とするべきではないかとの見方に立てば厩王子の名はより相応しいではないかと考えられる。尤も、私も聖徳太子の名を不適切と思うのではない。

 キリスト教の歴史的最高指導者または神と称されるナザレのイエスもまた、聖徳太子と同じく厩で生まれたと聖書に記される。
 更には、インド仏教の最高指導者と称される釈迦もまた、聖徳太子やイエスと同じく厩で生まれたとされる。

 人なのに厩で生まれるなんて汚くて貧乏くさいと思われるかもしれない。
 そう思う人が多い故に、イエスは貧しい生まれ育ちであるとの説が結構に支持されている。それはキリスト教の知識の乏しい教外者だけではなくキリスト教圏のキリスト教徒にもかなり多い。その反映は日本基督教団の讃美歌の歌集に収められる歌の一つ『みどりもふかき』、122番である。その第2節の歌詞が「♪貧しく低き工(たくみ)として 主は若き日を過ぎ給へり」、「主」とはそこではイエスのことであり、イエスは貧乏育ちであるという。工とは大工のことであり、彼の父ヨセフが大工なので彼はその家業を継ぐことを視野に入れて育った。
 しかし、バブル経済の時代に入る1980年代の末期に、そこが「♪人の住まひを調へつつ 主は若き日を過ぎ給へり」に変更となり、当時に刊行された歌集の本は差し替えの説明書の紙片が挟まって出ていた。
 何やら左翼の言葉狩りを想わせる怖いことであるが、その本当の理由はイエスが貧乏育ちではないという説が有力となったからである。尤も、教団におけるそのための説得には言葉狩ラーが納得するような「「貧しく低き」は差別的表現である。」との方便も遣われていたという。日本基督教団は元々は雑多の福音派キリスト教会、所謂新教またはプロテスタントが戦中に当時の東京急行電鉄のように大同合併して発足した教会であり、宗教的にも政治的にも、右翼も左翼も保守も革新も寄合所帯である故にそのような説得の方便、即ち政治的嘘は日常茶飯であるといわれる。いわばその政治性の故に歴史の教科書に悪名の高いローマカトリック教会も顔負けの政治的風土であるともいえる。尤も、普遍的たることを志す宗教はなるべく多くの人々からなることが望ましいのでそのような寄合所帯と方便は必ずしも悪いものではない。

 厩で生まれたイエスは貧乏育ちではない。
 それは同じく厩で生まれた釈迦が金持ち育ちの所謂ぼんぼんであったことが夙に知られることからも推し量ることができる。何しろ仏像には金ぴかのものが多い。
 イエスはそれなりに裕福で安定していた大工ヨセフとその妻マリアの子としてそれなりに豊かな暮らし向きの育ちをしている。
 そのことはイエスが数々の学者等の下に学び、その学識を深めていたと福音書に記されることからも察せられる。貧乏育ちが学識を得られない訳ではないが、そのために数々の学者が付いてイエスを指導していたとなると、それはそれなりに裕福でないとできない。教授等のギャラの前に、先ずは彼等の許に行くための費用或いは彼等がイエスの許に来るための費用の負担を要する。公共交通機関のない時代ならば移動の銭は掛からなかった訳ではない。

 それが、厩で生まれたとは如何なることか?

 それは釈迦や聖徳太子を見れば分かって来る。
 古代の東洋においては偉くなることが生まれる前から予め決まっている人は、その母が厩で産むことになっていた。そのような常識的仕来が東洋には広くあった。
 そもそも、厩にも色々とあり、偉い家の持つ厩は汚くも貧乏くさくもなかったのかもしれない。私なんかもかなりきれいな厩で馬達の世話をしていたことがある。臭いは慣れれば好い匂いと思える。
 尤も、釈迦は夙にいわれるように、むちゃ金持ちの家であったという。そんなに金持ちなのに何をも生み出すことがないのは不徳と思える訳で、故に釈迦はインド仏教を開いて世に仕えたと考えられる。
 聖徳太子の公開資産額は知らないが、彼もまた皇族の育ちであり、釈迦の程ではないがかなり裕福であったろう。この前の日曜日のフジテレビの池上彰の緊急特別番組に皇室皇族に定例支給される国費の個人毎の金額が示される企画があったが、そのように帝の分の10分の1とかの小遣いを子供の頃から貰っていたことは間違いなさそうである。
 イエスは聖徳太子の程ではないが、大工ヨセフの子としてそれなりに裕福な育ちにあった筈である。裕福なだけではなく高学歴である。「貧しい子供たちのために教育を」という考え方は当時にはなかった筈であり、イエスもまたその例ではない。
 にもかかわらず、イエスが「♪貧しく低き工として」といわれるのは先ずはイエスを伝える福音書に「貧しい人は幸いである。」や「金持ちが天の国に入ることは駱駝が針の穴を通るよりも難しい。」などと記されるからである。記されるだけではなくイエス自らがそのように説いた、故にそのイエスが裕福な育ちであったとは思いにくいということからである。尤も、裕福な育ちがそれらの言葉と両立するというと、自らの裕福さを捨てて、即ち断捨離をして貧しくなり天の国を目指す身になったというような如何にも日本的珍解釈――というか、非人道的解釈――が助長される虞もあり、イエスは貧乏育ちであったとの説の意義は全くなくはなかったとはいえそうである。その説は、自らの貧しさは自ら興す革命により解決するべしとの共産主義の信念とも一致する。丁度共産主義との入れ替わりの時代に、讃美歌のその歌詞が改められた。

 イエスは生まれる前から偉くなることが望まれていた、即ち勝つことを宿命づけられていた人である。
 彼が何で数々の学者等に付いて学んでいたか、それはイスラエルの指導者、王となることが望まれていたからである。
 福音書の上面だけを追って読むと、イエスはそのような身分を望みはせずに、それこそ断捨離で貧しくなってプアーな市民運動の活動家となることを志していたかのように見えたりする。金も知識も要らず、貧しいその身一つで父なる神の教会をおっ建ててみせる!――そのような生き方が格好良いと思われていた時代も今と然程に遠くはない昔にはあった。これも日本に見受けられる珍思想である、『下剋上』の理念である。しかしそのような人が上に剋って偉くなっても尚貧しい身でい続けるかといえばそのような前例は日本と世界の何処にもない。イスラエルの王にはならずに上ではなく横へ出てキリスト教会をおっ建てるだけでも莫大の費用を要し、それを全て皆のために遣って自らは貧しくあり続ける人はいない。
 そうではなく、イエス自らもまたイスラエルの王、指導者となることを望み、そのために学業に勤しみ自らを修めていた。

 しかしそんな彼のキャンパスライフのさ中の或る時に、彼はふと思いを変えた:「イスラエルの王になるべきではない。」――
 何故か?
 それは当時のイスラエルの民が余りにも愚民でローマへの属国根性が強く、何を説いても交わりを重ねても彼等がイスラエルを名誉ある国にすることはあり得ないと悟ったからである。
 因みにここにいう属国根性とは植民地一般のことではない。植民地には植民地なりの独立性がある。当時のイスラエルは寧ろ大層な独立国でありながら属国根性を宿し続ける今の日本に近い。当時のイスラエルはローマ帝国の属国であり日本のような大層な独立国ではないが、独立国たることの意味を分かっていないことにおいては両者は同じようなものである。
 随分と上から目線と思われるかもしれないが、イエスは若くしてイスラエルの民を愚民として見限って見下す構えに入った訳である。日本には上から目線では宗教家として相応しくはない、人間を救うべき者が人を愚かと見定めて見下すようではいけないというようなそれもまた、世界に類を見ない珍思想がある。
 しかし福音書にはイエスがそうであったことを直接に示す行がある:「聞く耳のある者は聞きなさい。」である。即ち、「愚民の耳に聖書」ともいうべき聞く耳のない、何を云っても無駄な人はいるということである。
 イエスがイスラエルの王にはならなかったのはその地位を好ましくないもの、意義のないものと思うからではなく国民の皆さんが聞く耳を持っておればその座に就く意思は充分にあったけれどもそうではないようであるからである。イエスが十字架に磔けられて殺されることになったのはその公約違反、そしてアメリカならぬローマにたてついたからである。それもローマが初めに目を着けてではなくイスラエル人がローマに密告をしてローマがそれを渋々勘案して決まったと云い、日本とアメリカの関係ととてもよく似る。アメリカはローマのような帝国ではないし日本はイスラエルのような属国ではないが、内と外との関係ということでは同じである。
 他にもイエスがイスラエルの民を愚民扱いにしていたことを伝える行は福音書に数々ある。それを通し、イエスの当初の自他共に認める政治性は失われて宗教性が高まってゆく。
 育ちについていえば今の日本でいうと、並に豊かな庶民が慶應や青山には入れないけれども東大を目指して見事に受かり、留年もなく順風満帆に4年で卒業したのがイエスの青春時代である。しかし総理大臣や高級官僚の座を目指しながら社会人となるのではなく、家業の手伝いをしながら宗教右派系の市民運動家を志すようになった。日本にはリベラル系の市民運動家を経て総理大臣となった者がいる。
 因みにイエスの弟子の一人には熱心党のシモンという宗教右派の活動家がいる。そこから見ると、キリスト教はその初めから右翼色や保守性の強い集団であるといえそうであり、近代になるとルターの宗教革命で先ず左派が離反し、フランス大革命などを経てキリスト教とは距離を置く人々が世俗主義的左翼層を確立した理由が見えて来る。

 ではそんな右翼のイエスが、「貧しい人は幸いである。」や「金持ちが天の国に入ることは駱駝が針の穴を通るよりも難しい。」などという左翼染みたことを説き出すのか?
 先ず、「貧しい人は幸いである。」は少なくともカール マルクスは否定する。マルクスの信念は幸いではない貧しい者が革命により豊か且つ幸いとなるというものである。右翼の信念は、幸いなることは豊かであるか貧しいかには関わりがないというものである。
 その決定的意味は私には分からないが、仮の解釈として妥当と思うのは右翼のいう「幸いなることは豊かであるか貧しいかには関わりがない」を踏まえながら殊に貧しい人について語ったというものである。「貧しい人々」ではなく「貧しい人」であることがミソである。貧しい人々が生じることについていうならば、そこには何等かの政治や経済、文化の体制や政策の不義があるからな場合がある。イエスは自らの脱政治を通してそのような主題を避け、個人に訴える当時のイスラエルにおける第三の道を選んだのである。
 逆に、「金持ちが天の国に入ることは駱駝が針の穴を通るよりも難しい。」においては政治的意味合いにおける金持ち、即ち富裕層という概念で一緒くたに捉えられる人々を指して語ったのではないか。故に寄付金についての話も出て来る。当時の神殿は政治との密接な関わりのあるものなのでそこへの奉献は自ずと政治的意味を帯びる。故にその強い関心を持つ人々は政治的富裕層が殆どな訳である。そんな彼等の質疑を受けたので、イエスは政治的意味合いの強い話をした訳である。
 偏に個人として金持ちなだけならば正に「天の国に入れることは豊かであるか貧しいかには関わりがない」故に金を持っている人が容易く天の国に入る場合も幾らでもあろう。

 日本のキリスト教においては初めからそのような傾向は余りないが、諸外国のキリスト教においては左寄りの人々がキリスト教を離れてゆく傾向が今時は頓に強い。フランスの社会学者エマニュエル トッドの指摘に拠ると、一昔前までの、キリスト教離れを踏み止まった左派系のカトリック層が今は極右に衣を替えているという。その心理を推し量って説明づけることは難しいが、カトリック教会に対する不信を募らせながら離れる訳にはゆかず自らのカトリックへの帰属意識と政治思想を正当化せざるを得ないのであると考えられる。そしてそれを説得することのできる識見と勇気のあるキリスト教の指導者がいない――政治指導者としてはルペンがいる。――。先ずは現職の教皇ことローマ司教フランシスコが極めて卑俗で卑怯な似非左翼のならず者、侵略国の出身の人類の侵略者であり、速やかに明仁天皇より早く退位することを要する。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報



■NEWS of the WORLD


a0313715_19444519.png
    ●ル モンド(フランス パリ)
a0313715_1946890.png
    ●リベラシオン(フランス パリ)
a0313715_18080681.gif
    ●時事通信(日本 東京)
a0313715_19485112.png
    ●読売新聞(日本 東京)
a0313715_19504029.png
    ●毎日新聞(日本 東京)
a0313715_201454.jpg
    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
a0313715_19541757.png
    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_19555015.png
    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
# by keitan020211 | 2017-04-04 23:11 | 生活 | Comments(0)
【英語訳】槇原敬之 どんなときも
Even any kind of moments, of Makihara Noriyuki
published at 10 June 1991

a0313715_19144714.jpgMy back been honest more than myself thought?
I'll get anxious away as never asking it to someone
That dream there you sworn for me got to my journey
as it was left put on the corner of the antiquated classroom
Still it might be me the one which you could never outrun with your sneakers got muddy there
neither the railways nor the time

Even any kind of moments Even any kind of moments
for me to be like me
I like to hold my minds tight
to say 'The love I've loved,'
Even any kind of moments Even any kind of moments
Because I have known that it's getting the answer
days I'm going on seeking it strayed

I have a dream absolutely never to concede
even if I could hurt anyone else in my mind never seen him
Because I dislike to take my life truly
lipping always 'So it was the good that times,'
Even if I'd be carrying my bitter minds as I'd feel like disappearing
try to smile faced the mirror, it will be likely to fair

Even any kind of moments Even any kind of moments
May I go melted my hasty mind
with the sunset going to incline
And so as to take the way to change my boldness
into the power of myself
to keep the one, loved someone anywhere

Even any kind of moments Even any kind of moments
for me to be like me
I like to hold my minds tight
to say 'The love I've loved,'
Even any kind of moments Even any kind of moments
Because I have known that it's getting the answer
days I'm going on seeking it strayed

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■ブログ Keitan 地球を行く は⇒http://blogs.yahoo.co.jp/keitan020211
■政治家のブログへのリンク(:自由民主党;民主党)⇒http://www.geocities.jp/keitan020211/linkpage_politicians.htm

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_17314580.jpg●関東地方の緊急地震速報は ダイヤル1134 文化放送


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


a0313715_13041605.jpg

ANN 報道ステーション 9.54~/月~金
ANN 報道ステーションSUNDAY 16.30~18.00/日

[PR]
# by keitan020211 | 2017-04-01 19:15 | 芸術(音楽、文学など) | Comments(0)
【考察日本語】『吉澤準特【3万時間でたどり着いた文章術】 読みやすい資料を作るための6つのルール』を検証する
 外資系IT企業の有力者で著述家の吉澤準特氏が今日3月29日のBLOGOSに『【3万時間でたどり着いた文章術】 読みやすい資料を作るための6つのルール』と題するhow to物の評論を出している。

 「準特」とは派手な名でどう読むのかは分からないが、字面を見るに想い浮かぶのは京王電車の準特急、略式表示では「準特」である。今世紀に新しく特急に準ずる列車として出来たものであり、東京新宿~府中が特急停車駅で府中~八王子が急行停車駅となる。日本にも世界にも唯一つの列車名である。

 その評論には主に実践の望まれるものとして6つの、加えて更に6つの、合わせて12の文章術が紹介される。
 ざーと目を通して大体良いと思わしいことが記されるが、それら12の則(ルール)が適当であるかないかをここに検証してみる。
 「3万時間で」とは凡そ1200日で、3年半程、三行半程ではないが、長いか早いかは人によろう。

a0313715_19333375.png1.一般的な表現を使う
2.明確な表現を使う
3.文体を統一する
4.トートロジーを削る
5.「~を行う」を多用しない
6.受け身を多用しない
7.長くない一文で表す
8.接続詞と指示語を多用しない
9.前提を明示する
10.主語を明示する
11.主語と述語を近づける
12.校正機能を利用する

◎:正にその通り ◯:凡そ正しい △:正しいが必ずしもそうとは限らない ×:誤り

1.一般的な表現を使う :△

 言葉でも何でも、「一般的」という認識は人によりかなり違いがある。或る程度の客観的認識は可能であるとはいえ、或るものが一般的であるかないかを立証することは難しい。故に言葉、言語にはフランスやドイツにはあるような正しい国語を定義して維持するための権威となる団体がしばしば設けられ、日本にはそのようなものがない故に言葉の揺れや乱れが著しい。何れにせよ、何等かの権威が認めるものが一般的と見做され易いものである。尤も、ここに弊ブログが云いたいのは権威に遵うべしということでも権威に遵うべからずということでもない。
 故に、「一般的な表現」を特定することは難しく、それだけで無駄に思惟と作文の時間が掛かることになる。学問ならともかく、業務などにおける資料の作成は急ぐことが求められるものなのでそんな時間を掛けてはいられない。 故に、表現はそれをする人が知っている通りにする、自らの知見や能力を偽らずに思うように/求められるように表現する、それが最も大切である。
 資料なら資料だけで完結するのではなく、それを用いての口頭での説明がある訳であり、資料に分かりにくい言葉があると指摘されたらその意味の説明や言い換えをその場ですることができること、後で説明するとの約束をしたらそれを反故にすることなく約束の通りに説明すること、そのようなフレキシビリティーとアカウンタビリティーこそが望ましいものである。
 「資料だけで完結」、それが資料作りの下手な人や表現そのものが下手な人の最も陥り易いことであり、資料を作れと云われるとそれだけに奔走して意を注ぎ込もうとする。すると理解しにくい自己満足的な仕上がりになり易い。そこには正に「これ、一般的な表現なんですけど…」が駆使されていることが多い。

 口頭での付加の説明をすれば、メモを取る人がいる。
 メモを取ればお引き取り願う、それでは明らかに駄目であるが、実際にそうすることがなくてもプレゼンターとしての心性においてそのような構えを暗に取る人は少なくないのではないか。「苦心して作った資料を理解できない聞き手が悪い、人の話を聞け。」というのである。
 聞き手が資料だけに目を落としておれば語り手は自らの姿を見られずに済む。

2.明確な表現を使う :◎

 その典型はこれ:「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 ――日本国憲法第9条第2項の条文である。
 「前項の目的を達するため、」の部分は芦田修正と呼ばれ、原案にはなかった文言が後に芦田均総理の提案を受けて追加されたものである。
 それを見、その部分があってもなくても意味は同じではないか、何れにせよ戦力の完全な放棄を定める条文ではないかと誤解する向きが少なくないと思われる――一体、何が「修正」なのかと。
 実はそれは助詞と読点の用い方の不備から来る誤解であり、本当は「前項の目的を達するための」でなければならない。それの指す「前項の目的」とは「国権の発動たる戦争と武力に依る威嚇または武力の行使」であり、彼等が解しているような「…は、永久にこれを放棄する。」を指すのではない。「放棄する目的のため」ではなく、それらの行為を目的とする戦力の保持と交戦権の行使を認めないのである。
 本題とは逸れるが、故に憲法9条の改正は必要ではなく、語法の不適切を校正するだけでよい、尤も、校正するだけでも改正の手続きを要するが。
 因みに英文では同じように'for...'や'in order to...'と記してどちらにも取れる。

 憲法がそうであるからか、日本の言語シーンにおいては曖昧な表現が多くなっているようである。その点は、大日本帝国憲法がより優れると見るのは強ち誤りではない。帝国憲法の時代には良かれ悪しかれ曖昧な表現が招く悲劇はなかったからである。あったのは或る種の明確な表現による悲劇である。しかし、そうであるからといって戦後的曖昧な表現が良いというものでもない。当時とは違う悲劇は跡を絶たない。問われるのは明確に表現される意思と内容である。

3.文体を統一する :△

 弊ブログのように粗全て「である調」で「だ調」を99.9%用いない者もいるが、例えばそれらの使い分けに関しても、必ずしも何れかに統一するべきとはいえない。
 現在の日本の殆ど全ての新聞は「だ調」に統一されており「ムッシュムラムラ!」並みの言説を弄しているが、昔の新聞には「である調」を取るものが多く、朝日新聞もまたそうであった。今の朝日新聞は、『天声人語』などの随筆記事において稀に格好をつけるため一際気合いを入れて訴えるために「-である」が用いられることがあるだけである。
 しかし、学術論文においては逆に今も「である調」が主流であり、「だ調」は稀である。一般に、「である調」は公式な表現に相応しくまた「だ調」はジャーナリスティックで時に一寸だけアウトローな感じの表現に相応しいと見られている。
 しかしそのような使い分けは元々はなく、単に文語と口語の違いでしかない。戦後の新聞界における文語の排斥と口語至上主義の流れが「である調」を放逐した。無論それは根拠のない似非科学の類であり、本来は新聞も「である調」がもっと増えることが望ましい。
 人の言葉遣いには文語的言辞と口語的言辞が折々に使い分けられるものであり、「である調」と「だ調」が同じ文の中に混在しても何らおかしくはない。寧ろ、表現に奥ゆきが感じられる場合がある。それは資料作りに関しても同じであり、人は奥ゆきの感じられるものをより強く買いたいと思うものである。例えば「気合だ!気合である!気合いです!」でも良い。

 また、所謂敬体と常体も、統一すると変である。
 「常体だけ」は然程に変ではないが、「敬体だけ」は文面ががちゃがちゃとして目障り、口にすれば耳障りになる場合が少なくない。その故に、日本共産党の機関紙しんぶん赤旗は説得力が半減しているともいえます。「敬体だけ」に統一することにより緊張感と本音感が感じられないからです。

 そもそも、「統一/universal; unify」という観念はフレキシビリティーのなさを招く。自分の則(ルール)に全て従ってもらうというおしつけがましさが生じ、聞き手はそれを理解したいとか取り入れたいとは思わなくなってしまう。文体一つでもそのような空気は生じるので、文体の統一ということはマニアックな作家にでもさせておけばよい。

4.トートロジーを削る :△

 トートロジーとは同義反復のことであり、修辞学の基礎概念の一つであるが、重複表現をもトートロジーというのであろうか?、私は聞いたことがない。
 同義反復とはその最も単純な例は「猿の尻が赤いのは猿の尻が赤いからである。」みたいなものである。説明になっておらず、その事象を抗弁を許さない自明の理に仕立て上げる修辞の技法―?―である。
 そこに例示される「白い白馬」は「白馬でも取り分け著しく白い」ということに解せるし――然程に白いとは思えなくても、少しでも白ければ種の名としては白馬と呼べる。――、「頭痛が痛い」は頭痛という一般的現象とそれに関する自らの感想を分けて捉えて表現するということに解せ――それは「白い白馬」も同じ場合がある。――、何も誤りではない。言葉には客観的事実の要素と主観的感慨の要素があり、それらを分けて表現することはより公正中立な表現をしているものともいえる。故に日本の新聞はそのような意味のあるものである筈の重複表現を誤りであり直すべきものといっているから、公正中立とは程遠いフェークニュースといわれるのである。
 但しそのような必要のない場合はあり、そこで重複表現をしておればそれは無駄であるといえる。故に重複表現を直すことが必ずしも悪いというのではないが、多くの場合は直すべきではないといえる。

5.「~を行う」を多用しない :◎

 「行う」を英語で言うと、'to hold'或いは'to perform'となる。
 そのような英語の意味と照らし合える場合だけが「行う」の適切な用法であるが、「行う」を「する」のフォーマルな表現であるかのように誤解している向きが多い。
 「会議を行う」は'to hold a meeting'であるし、「政策を行う」は'to perform the policy'となる。'to do a meeting'や'to do the policy'なら、「会議をする」や「政策をする」となる。因みに「やる」は'to give'或いは'to take', 'to play'である。
 「行う」を「する」のフォーマルな表現であるかのように誤解している向きが多いのは近現代の日本語が古来の標準的日本語を知らない長州などの田舎侍が東京で政権を取ることにより定められたからであり、故に長州に由来する政治家である安倍晋三が「当該措置を適切に行うことが必要となる訳でありまして」などとしばしば言うことになる。尤も、「措置」は'to hold a measure'と言えるので必ずしも誤りではないが、安倍の他にも「行う」を濫用する者は多い。その他にも、安倍晋三の演説や答弁などの言葉には標準的日本語とは掛け離れる変な言葉が多い。

 それなどは正にですね、『1. 一般的な言葉を使う』の重要さを物語ることである。一般的な言葉を遣わずに自らの知見や能力を偽ろうとするから、「行う」や「…の上から判断して」などのようなより難しげな言葉を遣ってみてそれが誤りになるのである――「…の上から判断して」は正しくは「…の点から判断して」や「…から判断して」―。

 また、「「可能だ」と並んでビジネス文書頻出の表現が「必要だ」です。これも「すべきだ」と書き換えることで文を読みやすくできます。たとえば、「修正が必要だ」→「修正すべきだ」と改めることができます。」は誤りであり、「すべき」や「すべし」は誰がどう見ても明白にそのようになる筈なことを指す。然程に明白ではなくあくまでも当事者の意思や判断としてする/なることが望ましいということなら「するべき」や「するべし」となる。そのような場合に「すべき」や「すべし」では決めつけがましくまたおしつけがましくなる。
 「必要だ」にも適切ではない場合はあり、「必」の字が示すように、正に明白かどうかは分からない、延いては当事者の意思さえも確かではない場合に用いるならば不適切であるといえ、そうではない場合には「-ことを要す と思われる」が適切となる。

6.受け身を多用しない :△

 これは、日本語の受動態の表現が英語などの外国語にかなり訳しにくい場合があることからして或る面では適当な指摘であるといえる。それは要は主語を何におくかの問題である。
 但し「-される」が必ずしも受動態であるとは限らない。所謂霞が関語に多いとされる「-される」は受動態ではなく「-し得る」のことである場合も多い――未然形と已然形の組み合わせ――。例えば「かような事例が散見される」は「かような事例を散見し得る」と同じであり、英語では'Anyone can see anywhere such examples'となる。英語では余りなさげな表現ではあるが、フランス語ではそのような表現は頻出であり、強ち日本的曖昧さであって良くないとはいえない。

 逆に、今の日本においては受動態で言うべきものを誤って能動態で言う例が多い。
 そのような語法は粗完全に標準的日本語を用いている私、弊ブログには絶対にあり得ないのでそのような例を想い浮かべてここに示すことはできないが、聞いていて/読んでいて変だと思うような、本来は受動態にすべきものが能動態になっている表現が散見される。逆に英語では、本来は能動態にすべきものが受動態になっていて頭がこねくり返されるような表現がある。
 そのような例では多く、主語が明らかとならない。
 ――一つ思い出した。例えば「天然酵母で作ったパン」みたいなのである。テレビや新聞にもしばしば見受けられるが、正しくは「天然酵母で作られたパン」であり、前者なら主語が必須となる筈であるがそれが暈かされており、パン屋の腕を暗に認めずに神様であるお客様が作ってあげたとでも云わむとしているかのようである。後者ならパンが主語である。

①「わかりました、改善させます」
②「わかりました、改善します」
両者を比べると、①よりも②の方が積極性を感じられます。

×××ーーーーー!、正解は①。
 「改善します」では主語が取り組む物事となるので単なる説明としては誤りではないが、積極性の感じられるものとはならない、「その事業が改善します。」であるから。
 「改善させます」は'making it improved'或いは'let it improved'であり、使役動詞が積極性を感じさせる。日本語の文法用語では使役動詞とはいわないが、意味合いとしてはそうである。
 ②は取り組む物事だけではなくそれをする自らの心をも改善の対象とすると言っているかのように見えるけれども、よくいわれる、無駄な精神主義の類、即ちいい子振りであり、何をも生み出さない。自らの心の改善が必要なのは当たり前であり、表現に反映させる必要のあるものではない。そんなことを一々アピールする人は信用し難い。

7.長くない一文で表す :◯

 但し、どの位が長いと思うかの認識の違いがある。極端に短く切るのは良くない。
 一つの構文が長いとそれだけ読点の数が増し、それが今時の日本における読点の誤った遣い方、その数の過剰につながっていると考えられる。構文が短ければ読点は殆ど要らないともいえる程である。
 重ね重ね云うが、読点は区切り記号ではない、同格を示す記号である。楽譜のブレス記号とは違うので、息を継ぎたい所やリズムをつけたい所に付けるみたいなのは誤りである。文章においては息継ぎや拍子取りは読み手の任意であり、書き手が示して求めるようなものではない。先述の「資料で完結する」ような人にはそのようなおしつけがましい文体が多い。

8.接続詞と指示語を多用しない :△

 これは一概にどちらが良いとも悪いともいえない。
 指示語の少ない言葉は、必然に同じ単語の繰り返しが多くなる。書き手も面倒臭いし読み手も面倒臭い。現代日本語にはその傾向が強い。
 しかし、指示語の多い欧米語が必ずしも面倒臭くはないかといえばそうではない。文を遡って指示語の対象を特定する読み方や一文に深く没頭して読み漏らさない読み方が必要となるが、そのような読み方を当たり前にすることができるのはおしなべて高学歴な人々であり、歴然たる社会格差が当たり前となる訳である。
 故に、反格差を唱えるリベラル左派の人々には指示語の少ない現代日本語を良い言葉と思う向きが多いと思われる。現実に、ガラパゴス的に変な日本語の多いのはリベラル左派である。
 同じ単語の繰り返しが文章ではなく会話においてとなると更に耳障りである。日本のリベラル左派が多くの場合に嫌われるのはそれが理由である。尤も、会話においては互いの知見や関心の範囲が考慮或いは忖度されることが多いので「あれがさ…」などと指示語を多用しても分かりにくくはならない場合が多い。

9.前提を明示する :◎

 言うまでもなし。

10.主語を明示する :◯

 「主語を省略しても許される唯一の例外:「私」が主語」とあるが、寧ろ「あなた」は略すべきであり「私」は略し過ぎてはいけないというのが日本語の伝統的常識である。
 寧ろ、ビジネスは責任である故に、殊に文章においては「私」を略せない場合が多い筈である。

11.主語と述語を近づける :◯

 短い構文にこだわり過ぎると情報の質が断片的で量が乏しいという印象になりかねない。故に時には主語と述語の間の遠い長い構文を効果的に用いることも必要となる。

12.校正機能を利用する :◯

 単語の綴りなんかは殆ど間違いがなくて使えるが、文の読み易さに関してはソフトメーカーの見解のおしつけであることもあり、必ずしも信用せず、正に先述の口頭での付加説明を重視して資料の出来にこだわり過ぎないことが大切である。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■ブログ Keitan 地球を行く は⇒http://blogs.yahoo.co.jp/keitan020211
■政治家のブログへのリンク(:自由民主党;民主党)⇒http://www.geocities.jp/keitan020211/linkpage_politicians.htm

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_1412168.jpg●東海地方の緊急地震速報は ダイヤル1332 東海ラジオ
静岡県:FM 78.4 K-MIX


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


a0313715_15111415.png
テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

a0313715_15411366.png
フジテレビ みんなのニュース 15.50~18.57 <FNN>17.54~18.57/月~金

[PR]
# by keitan020211 | 2017-03-29 19:34 | 文明論 | Comments(0)
【書を読む】橘玲 言ってはいけない 残酷すぎる真実
橘玲 言ってはいけない 残酷すぎる真実
新潮新書 780円、税別
ISDN978-4-10-610663-7 C0236

a0313715_18552881.jpg このような場合に、請求番号の表示は便利である。「橘玲」を読める人は余りおらず、「たちばなれいの…」と本屋に問い合わせてしまう。私は更に彼の名を度忘れしており、「林玲」とネット検索をした。読み方は「りんれい」、シナ人のようである。

 初版が出て丁度1年となるが、その間に私は本屋に並ぶその本を見て読んでみたいとずっと思っていたがなかなか買えず、この程にやっと買うことにした。頁を粗方下見してみると面白そうな主題が幾つかあるが、全体のコスパを勘案するとなかなか購入適当の判定が出なかったのである。
 買って読むと、購入適当であったと感じられる。

 但し、そのように「残酷すぎる真実」みたいな本を殊更に賞しても殊更に否めてもならないと思う。
 殊更に賞する人は自分が現実主義者であると思い込み、とにかく常人の頷かない物事を語るものを好む。一種の曝露趣味というべきものであり、他人の現実には敏くても自分の現実にはどうなのかと思わしいことがそのような人には多い。
 殊更に否む人は云うまでもなく、大向こうに受けるような言説をしか受け容れない。教育勅語の一部だけを取って「その部分は現代にも通じるものがあるが、」みたいなことを言う/信ずる。
 所謂リベラル左派にはそれらの何れをも併せ持つような型の人が多い。或る面では殊更に現実の直視を説き、或る面では現実を無視して通説の護持に是努める。森友問題におけるリベラル左派の多くの取っている態度は正にそのように、自らに都合の好い現実だけに冷徹になるものである。

 橘玲の本書に説く『遺伝子による支配』もまた、場合に由っては自らに都合の好い現実となりかねないものである。
 何しろ、何でも遺伝子のせいにすればいい。自分の不幸も不遇も不満も、皆遺伝子が決めてなっていることなので自分には責任がない、本書をそのように読むことも彼等の得意の『一部だけを取って読む』をすれば楽勝にできる。 逆に、場合に由っては自らの無駄な罪や恥の意識を本書により解放される人もいよう。それは人間の自由意思は万能ではないことを知ることである、自由意思は人間にとって最も大切なものではあるが。

 彼は本書の終りに、場合に由っては環境、取り分け家族などとの非共有環境も大切であり、人が願わしくかわり得る力となると語る。
 但し私がその説に賛同するのは形作られる環境が遺伝とも共有環境とも明確に異質であると認識される場合だけである。『環境を作る』ことはその外には何の意味もないからであり、既成の遺伝子や環境との違いの認識こそが人を願わしくかえ得る。
 そも、家族などとの共有環境とは親が自らの出身家とは異質な環境として作り上げる非共有環境でもある。それが子供にとっては既成の共有環境でしかない訳である。
 環境とはそのように、自他、即ち内と外を分けて差別化するための構造である。それが悪い構造となる場合とは自他不分明、即ち他人の真似とか意識高い系が『リア充成り』を試みるようなものであったりする場合である。所謂世間体主義というのもそれである。環境の異質性の認識はけじめをつける心を生む。それにより、人間は自らの遺伝子をも相当程度にかえることができる。或いは他人の遺伝子を不当にかえることも可能である。
 遺伝子そのものは意味をも意思をも持たず、人の行動が遺伝子の作用と発現の在り方を決める。『遺伝子には色がない』。
 環境作りということも、自分に都合の好い現実をしか見ない人々にとってはそのような異質性の認識の考え方がすっぽりと存在しない。只漠然と、『自由と民主による幸福な社会』を想い描くだけであり、その具体的実践は悉く他人の真似である。そうなると遺伝子にどこまでも支配される自動人間となる。自動人間は「女は子供を産む機械だ。」などという発言を聞くと真先に非難をする。夫も妻も図星な故である。そんなに非難するならば、西野カナの『トリセツ』をも非難して発売中止に追い込まなければ嘘である。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■ブログ Keitan 地球を行く は⇒http://blogs.yahoo.co.jp/keitan020211
■政治家のブログへのリンク(:自由民主党;民主党)⇒http://www.geocities.jp/keitan020211/linkpage_politicians.htm

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_1412168.jpg●東海地方の緊急地震速報は ダイヤル1332 東海ラジオ
静岡県:FM 78.4 K-MIX


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


a0313715_15111415.png
テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

a0313715_15411366.png
フジテレビ みんなのニュース 15.50~18.57 <FNN>17.54~18.57/月~金

[PR]
# by keitan020211 | 2017-03-25 19:39 | 芸術(音楽、文学など) | Comments(0)
【英語訳】社説 朝日新聞 2017.3.25
Authorising in the moral studies――Got constrained by an adoption to the subjects
the Editorial of The Rising Sun (Asahi Shimbun, Osaka, Japan)
on Sat. 25th March 2017

The Ministry of civilisation and sciences told to aim at 'conceiving and disputing moral studies'. As the efforts, could be the opinions on the authorisation there, here the textbook.
MCS officially announced the outcomes of the authorisation on elementary schools, under that the moral studies is getting in the subjects since spring of the coming year.
a0313715_17190263.jpgSuch as doing conversing, presenting or playing a role of a hero and considering it: the ways on learning certainly got diverse.
However, the contents vital are in a trussed-up with the guideline on learning.
Try to see some concrete examples on the authorisation.
The guideline puts 22 of points of moral, for the contents of the moral studies, such as 'the honesty and the sincerity', 'the moderation and the temperance', 'the courtesy' and 'the gratitude'.
Different to the other studies, those meant not have any ground neither objective nor scientific. But so those written on the guideline, that the textbooks never getting on as it not covering the all.
Additionally the opinions out of the authorisation have seen that it'd be the improper as that not attaching the concrete items written on explanations of each ones of the points of moral.
For example, the guideline shows for an object of 'the gratitude' the seniors. Therefore that about the gratitude to 'a senior' in a region which some former textbook had was rewritten to 'an old'. 'An athletics' found at explorations in a town, in a reason of 'a respect of the tradition and the bunka', was altered into 'a shop of harps and triple liner strings'.
a0313715_17212267.jpegAmazed on them too much the ladling-ruler. That the textbook first on 'conceiving and disputing moral studies' made by such a constrained posture on the authorisation should be nothing but the irony.
The State rules the contents of points of moral by the guideline and adopts the textbooks made based on it further, the double bound's made the livery textbook. As the Editorial of the Rising Sun has raised a skeptical mind to the adoption of the moral studies to the subjects, the mind just got deeper.
The aim on the moral studies is to let the children's eyes see the challenge of 'how to live'. That should never stay on the frame of points of moral MCS settled originally.
As teachers have a duty to use the textbook, MCS too has never forbidden use of any original teacher tools.
The one we like to request to the leading teachers is a posture that every their idea must be with their pupils and students they are responsible for. We want them to try their guidance to touch the heart, seen any situation surrounds each ones of children or the classes, seen any events around them as the material.
We like the education committees and the heads of schools to respect any intention on the spots as much as they can and to secure rooms on their contriving. For them like to bring it up truly by their mind the conceiving and disputing ability, they should see some classes reading the textbooks critically adapted to the stages of growth, doubting the contents itself.


道徳の検定 教科化で窮屈になった
2017年3月25日(土)

 文部科学省は「考え、議論する道徳」をめざすという。その取り組みが、あの検定意見であり、この教科書なのだろうか。
 道徳が来年春から教科になるのに伴い、文科省が小学校の教科書の検定結果を公表した。
 話し合ったり発表したり主人公の役を演じて考えたりするなど、学習方法はたしかに多様になった。
 しかし、肝心の中身は学習指導要領にがんじがらめだ。
 検定の具体例を見てみよう。
 指導要領は道徳科の内容として、「正直と誠実」、「節度と節制」、「礼儀」や「感謝」など22の徳目を定める。
 他の教科と違い、それらに客観的または科学的根拠があるわけではない。だが指導要領に書かれている以上、教科書はすべてを網羅しなければならない。
 加えて検定意見は一つひとつの徳目の説明に書かれている具体的事項にふれていなければ不適切とした。
 例えば、指導要領は「感謝」の対象として高齢者を挙げる。そのため元の教科書にあった地域の「おじさん」への感謝は「おじいさん」に書き換えられた。町探検で出合った「アスレチック」は「伝統と文化の尊重」を理由に、「こととしゃみせんの店」に変更された。
 あまりの杓子定規ぶりに驚く。「考えて議論する道徳」の最初の教科書がこんなに窮屈な検定姿勢から生まれるとは皮肉以外の何物でもない。
 国が徳目の内容を指導要領で定めてそれに基づいてつくられた教科書を改めて検定する、その二重の縛りがお仕着せの教科書を生んだ。朝日新聞の社説は道徳の教科化への疑念を投げかけてきたが、その思いは深まるばかりだ。
 道徳の狙いは子どもたちを「いかに生きるか」という課題に向きあわせることにある。文科省が決めた徳目の枠内にそもそも収まるはずがない。
 教員には教科書を使う義務があるが、文科省も独自の教材の使用を禁じてはいない。
 一線の先生に求めたいのはあくまでもあらゆる着想は目の前の児童生徒になくてはならないとする姿勢である。一人ひとりの子供や学級をとりまく状況を踏まえ、身のまわりの出来事をも素材にし、胸に届く指導を試みてほしい。
 教育委員会や学校長には現場の意向を最大限尊重して工夫の余地を確保してもらいたい。考え議論する力を本気で育てたいのなら、成長段階に応じて教科書の内容そのものを疑い、批判的に読む授業をも認めるべきだろう。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報



■NEWS of the WORLD


a0313715_18135641.jpg
    ●AFP(フランス パリ)
a0313715_20290187.png
    ●ル フィガロ(フランス パリ)
a0313715_18035419.jpg
    ●共同通信(日本 東京)
a0313715_20324653.png
    ●朝日新聞(日本 大阪)
a0313715_20351165.gif
    ●日本経済新聞(日本 東京)
a0313715_20365208.png
    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
a0313715_20390867.png
    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
a0313715_20405274.png
    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_18190235.jpg
    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
a0313715_14522563.png
    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
a0313715_20590106.png
    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
# by keitan020211 | 2017-03-25 17:16 | 文明論 | Comments(0)



政治、社会、文明論、生活などについて語るブログ ●自民党(水月会)と民主党(民社協会)を支持します。 ●"Logry Freesia"とは『ブログのある所 自由な国』の意味です。
by keitan020211
カテゴリ
全体
お知らせ
コラム 葉がつく
政治、社会
文明論
生活
芸術(音楽、文学など)
ランキング投票(世論調査)
他のブログへのトラックバック
未分類
以前の記事
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
more...
The Time on Anywhere
フォロー中のブログ
プラハなchihua**hua
日本がアブナイ!
A Lake Mirror
ひつじのお散歩
楽なログ
+deja+
* Colorful W...
Lovely-Jubbl...
HANA*HANA
*Photo Garden*
Berry's Bird
Sora*Koto
Night Flight...
BARON MAMA*S
Yuruyuru Pho...
Roaming people
ひつじのお散歩2
外部リンク
ファン
ブログジャンル
検索
最新の記事
【Freesia料理】spa..
at 2017-04-26 18:23
【追悼】渡部昇一 上智大学名..
at 2017-04-18 17:34
【コラム 葉がつく】生涯の重..
at 2017-04-12 20:21
【2017衆議院総選挙?】政..
at 2017-04-12 17:11
【2017衆議院総選挙?】政..
at 2017-04-12 17:11
【2017衆議院総選挙?】政..
at 2017-04-12 17:10
【アメリカのシリア空爆】一石..
at 2017-04-08 18:52
【ちょっと知りたいキリスト教..
at 2017-04-04 23:11
【英語訳】槇原敬之 どんなときも
at 2017-04-01 19:15
【考察日本語】『吉澤準特【3..
at 2017-03-29 19:34
【書を読む】橘玲 言ってはい..
at 2017-03-25 19:39
【英語訳】社説 朝日新聞 2..
at 2017-03-25 17:16
【ちょっと知りたいキリスト教..
at 2017-03-22 19:13
新聞の言葉は「脳に良い」のか..
at 2017-03-22 17:13
【Freesia料理】ロース..
at 2017-03-18 17:31
東急2020系 2018年春..
at 2017-03-18 13:41
北朝鮮大使 persona..
at 2017-03-07 20:09
北朝鮮大使 persona ..
at 2017-03-07 17:22
【考察日本語】「ブーメランを..
at 2017-03-01 16:21
教育勅語を読む
at 2017-02-26 18:01
最新のコメント
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 15:49
山本七平の「空気の研究」..
by コッホ at 10:15
花王のHP見ても、ミュー..
by ミューズ at 12:03
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 13:04
宮崎哲弥が明確に左とかあ..
by あえ at 17:15
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 15:37
ミューズって花王なんです..
by とくとく at 18:56
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 15:21
おー、ちょっとビックリ!..
by コッホ at 10:09
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 12:20
なるほど! なるほど!..
by コッホ at 11:34
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 16:38
わたしは英語が出来ません..
by コッホ at 10:21
コメントをいただき有難う..
by keitan020211 at 11:49
コメントをいただき有難う..
by keitan020211 at 19:23
あはははは。その小賢しさ..
by ぱよぱよち~ん at 21:27
コメントをいただき有難う..
by keitan020211 at 12:12
安倍自民は保守の欠片..
by blue at 23:50
大企業に入れない奴隷階級..
by 在日ですか。 at 11:57
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 18:55
最新のトラックバック
ニューヨーク在住で超富豪..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
北方ヨーロッパ絵画の最高..
from dezire_photo &..
北方ヨーロッパ絵画の最高..
from dezire_photo &..
EU諸国中英国への投資残..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
「北のヴェネツィア」と呼..
from dezire_photo &..
庶民の通信手段の力に気づ..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
無理やり解決をつけた従軍..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
巧妙なNHKの大本営擁護..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
山本太郎議員の単刀直入質..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
今回の統一地方選は投票し..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
記事ランキング