【ちょっと知りたいキリスト教】「全知全能の神」
 「私は神様ではないのでそんなことはできない。」という文言を偶に耳にする。

 では「私ではない神様」とはどんなことのできる人なのか、それに答えられる人はなかなかいない。

 そこで早速や突込みが入りそうなのは「神様は人ではない」というもの。
 しかしキリスト教においては神は人でもあると信仰される。

 キリスト教の神は「父と子と聖霊」という。
a0313715_18421317.jpg 父とは天地万物を初めに造った人、子とはその父の意を受けて世の終りまで父と子を信ずる人と共に在る人そして聖霊とは父と子の意を受けてそれを世に遍く伝える人々の働きと解される。
 キリスト教はそれらの三者を神と呼び、神は少なくとも三人以上いるのでキリスト教は神は一つであるとする一神教ではない。しかしその三者が拠りどころとなるために、もっと沢山いるとする多神教でもない。弊ブログの用語ではそのようなキリスト教の神の観念の類型を寡神教と呼ぶ。企業の独占と寡占の「寡」である。
 日本の市場は寡占が多く、そのような寡神教の観念も比較的に理解され易い筈である。数多くはない幾つかの企業が市場をなして消費者の需要を満足する状態、それはキリスト教の父と子と聖霊による支配というものと似ている。
a0313715_18444150.jpg 面白いことにというべきか、西ローマなどの多神教を好ましく思う人々の程に市場における多くの企業等による競争を是とする。彼等にとっては市場とはどこまでも自由に参入してどこまでも自由に競争することのできるものとなることが望ましいのでそのための規制緩和などの企業活動の自由化を支持することが多い。
 逆に、キリスト教の父と子と聖霊、至聖三者の信仰の構造を理解することができずにキリスト教信仰を一神教と取り違えてしまった人々が企業の国有化や労働者の主権、文化におけるthe universal value―:統一価値、しばしば「普遍的価値」と誤訳されるが、「普遍的」の英語は'the ordinary'或いは'the cathoric'である。―などを是とする国家社会主義を好む。
 至聖三者の信仰の構造とは至って簡単で、「神が三人いる、三人寄れば文殊の知恵」ということである。三人おれば互いに対話をすることができるので、神は互いに対話するものであるともいえる。決して一段も二段も高い所にいる神がその下にいる人間に一方的に語り掛けたり「黙って俺について来い。」などというものではない。
a0313715_18465019.jpg ローマを本拠とするカトリック教会においてはその「文殊の知恵」、即ち神同士の対話が完全に成り立つことを「一致」と呼び、それが実現されるための力を「三位一体」と呼ぶ。因みにその読みは「さんいいったい」であり、小泉純一郎総理が自らの政策を呼ぶ「さんみいったい」ではない。
 至聖三者と呼び習わすのは主にコンスタンチノープルなどの四か所を本拠とするギリシア正教会であり、その呼び方の違いをしばしばローマカトリック教会とギリシア正教会の教義の違い、埋め難い歴史的溝という向きがあるが、それらの指すものは全く同じであり、両教会の歴史的分裂の理由はそこにあるのではない。但し最も古くて正しい教義を保持するギリシア正教会とその展開している東洋世界が「一体」という観念というかイメージを嫌うことは確かである。「一体」というイメージはどうしても「統一価値/the universal value」という観念と結びつき易く、そうなるとキリスト教の信仰ではなくなってしまう。
a0313715_18480699.jpg そもそも、「三位一体」の「一体」は日本の用語にしかつかず、英語などでは'Trinity'、「三位」としか言わない。よって変に深い処に立ち入らずに伝統的キリスト教用語を素直に受け止めておれば「一体⇒統一」という観念と結びつく虞はない。変に立ち入る向きが西洋にも日本にも少なくないが、カトリック圏や新教圏の西洋人の多くもギリシア正教と同じように至聖三者、即ち「神が三人いる」のがキリスト教であると解している。

 尤も、子なるイエスとその心を伝える人々の群れなる聖霊はそれぞれどこかに実在する人である。但し聖霊は個体、即ち一人ひとりの単位では神と見做されることはない、人は神ではないからである。しかしイエスだけは特例として個体として神であるとされる。その理由は父なる神に最も近い―:キリスト教の理解では「父なる神と一致する者」―とされるからである。
 しかし、父なる神は人でありながら、どこかに実在するのではない。先にも後にもどこかに実在したことはない。さて、それを人というのは如何なものか?

 実在したことのない人の例には野比のび太や剛田武などがいる。
 彼等はアニメーションドラマの登場人物であるが、キリスト教の神はアニメーションではなく、彼等とは異なる。しかし神というものを少しでも窺い知ることのできるヒントではありそうである。
 野比のび太の弱さや剛田武の強さ、などなどは神の特色の一端を表すものである。神にはそれらの特色がある、それがキリスト教とその前身のユダヤ教の神の観念である。
a0313715_18514235.jpg 野比のび太のように弱々しい神や剛田武のように暴力的な神などあってはならないと思うならばそれはユダヤ-キリスト教的ではない。神の全知全能とは彼等のような望ましくない行いや或いは罪を犯すことさえできるということであり、単なる理想像ではない。尤も、神は実績としては罪を犯したことはないらしい。
 また、神は自らを反省して悔い改める者でもある。罪を犯してはいないが、反省して悔い改める。その特色がその子イエスの十字架の贖罪により体現される。
 神は全知全能なので何を反省する必要も悔い改めることもないと思うならば、それはキリスト教の神ではない。そもそも全てを知り全てが能うなら、そのようなことも出来る筈である。その本質はイエスの処刑の話しに記される「あなたが神の子なら、自分を救ってみよ。」の言葉とは真向に対立する。

 人は神に似せて造られた、ならば、神は人に似ている筈である。
 そうであれば、人の特色は悉く神の特色でもあると解するのが自然である。
 但し違いは神はどこかに実在するものではないこと、即ちいつどこにでも立ち現われることのできるものであること、それを神の遍在性と呼ぶ。
 しかし神がいつどこに現われるかを予測することはできない――日本には狐がどこからともなく現われては消えるという話があるが、それは多分にユダヤ-キリスト教の神の観念の影響によるものであろう。そのような伝説は近年の日本におけるユダヤ-キリスト教を嫌い『八百万の神と仏を信ずる日本人』としての国民の意識を覚醒する思想の強まりと共に廃れていると思われる。
a0313715_18535893.jpg 実は仏教も元々はそのような狐伝説との親和性が強く、仏様はいつどこに現われるか分からないものという感覚が生きていた筈であるがそのような仏教信仰の要諦がすっぽりと落ち、仏様とはいつも自分の身近にいるものであるという信仰―?―に摩り替えられている。寧ろ、仏教こそが一神教と化しているのが昨今の日本の精神風景である。
 八百万の神に関しても誤解が多く、『八百万』とは神が八百万いるということ、即ち多神教のことではない。神には八百万を数える程にも沢山の特色があるということ、即ちユダヤ教に基本としては近い不特定神教であるということである。しかしそれを日本の神道は多神教であると誤解する向きが少なくはなく、その見方に沿うような自由競争主義などの世界観もまた国民の意識を覚醒する思想の強まりと並び昨今の日本に強まっている―最近はやや廃れてもいるが、―。

a0313715_18565295.jpg 但しユダヤ-キリスト教、仏教や神道とは異なる一神教は或る人間が取り敢えずの命脈を保つためにしばしば編み出す信仰の一つの在り方ではあり、その限りにおいては必ずしも否定されるべきものではない。しかし一神教はその役目を果たし終えたりその内部に異なる傾向が生じたりすると分裂して多神教に転化し易いものでもある。その分裂は得てして国家の状況の変化を反映する。一神教は或る国を統一価値により支配することに有利なものであり、『神はいつも等しく国中にいる』ということを国の支配力の源泉の一つにするからである。一神教に転化している仏教と多神教に転化している神道―何れも本来は不特定神教である。―からなる所謂日本というものはそのような独裁的一神教国の統一と分裂が同時に起こっている稀有な国であるといえる。

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# by keitan020211 | 2017-05-06 18:57 | 生活 | Comments(0)
憲法記念日と大型連休に寄せて
 今年も憲法記念日が来た。今年は1947年5月3日の施行から70年になる。

 護憲派と改憲派を戦争に擬えるなら、5月3日憲法記念日は今の憲法を護りたいとする人々にとっての象徴であるから、憲法をかえたいとする人々が実際にかえたら同じ日が憲法記念日となるようにすればその象徴が攻撃破壊されて決め手を打ったことになる。別の日が新しい憲法記念日となれば今の憲法記念日は昭和天皇の誕生日が後にみどりの日に名をかえたように、何等かの形で記念日の席を確保して残ることになる。
 天皇というこの国のかわらない象徴も、今の憲法が新しく定められた時に残された。当時の日本はそれぞれの下々の国民各位はともかく、国の形の攻撃破壊の決め手を免れて今に至る。
 日本は海洋国家といわれ、敷島を碧い海に囲まれる。憲法がより強めた自由の象徴色は青、よって若し憲法が改正されたなら、5月3日はみどりの日と並び「青の日」となるかもしれない。この国においては緑も青でゴーのサインを表すので二日で一つになる。

 話は逸れるが、日本は敷島というけれども、島国ではないと思われる。
 日本列島というが、その最大の「島」である本州は島と呼ぶには物理的にも人的にも大きい。億の人々の住む島は他にはジャワ島やスマトラ島などからなるインドネシア位しかない。参考として順位を示すと:
1) インドネシア ジャワ島 1億3千3百万人
2) 日本 本州 1億4百万人
3) イギリス グレートブリテン島 5千九百万人
4) インドネシア スマトラ島 4千7百万人
5) フィリピン ルソン島 4千6百万人
 こう見ると、億の半分程のグレートブリテン島のイギリスを島国と呼ぶことは自然であるが、それより格段に広い面積と多い人口を擁するインドネシアと日本を島国と呼ぶのは聊か不自然である。
 ジャワ島や本州は世界最大の島ではなく世界最小の大陸である。

 法学の分野においては、大陸法と英米法という対立概念がある。
 大雑把にいえば、成文法の正しい解釈を以て法治をなすのが大陸法の特色であり、裁判の凡例や慣習を加味しつつ出来る『見えない法』の解釈の蓄積を法とするのが英米法の特色である。尚、弊ブログは国号の漢字略称を廃することを提唱するので「英米法」とは呼ばずに「慣習法」、「アングロ法」または「BR-US法」と呼ぶ。
 日本の法治は事実としては前者の大陸法を基調とする法の体系と運用を常としている。しかしその事実が事実の全てではない処にこの国の法治と社会秩序の難がある。日本は大陸法を基本としながら、そこに慣習法を随時に併用している。「併用」と言えば聞こえは良いが、本当は何と言うべきかは諸賢の見方に任す。
 如何にせよ、日本の在り方は元来は大陸的である。故にも日本列島と呼ばれる日本の国土は世界最小の大陸というべきものである。

 成文法の正しい解釈は主権在民の国家においては国民の総意が定めるものである。誰か国家を、少なくともその法律の分野を専有して担う者が定めるものではない。故に法律家などの科学者を信用し切るべきではないとは主権在民の要諦でもある。
 国民の総意を実現することを望まれるものとして選ばれるのが議院及び内閣或いは議院及び内閣並びに大統領府により組織される政府であり、主権の存する国民により選ばれて立つ政府には成文法の正しい解釈を定めまたは持する権利の一端がある。
 憲法を最高とする法治、即ち立憲主義においては憲法及び法律の解釈の変更は随時に必要となる。その変更は民選の政府が主導となる場合もあるし、市民運動などの直接の民意を受けた法律家が主導となる場合もある。
 慣習法においては尚更に、法律そのものよりもそれに先立って在る「解釈」がものをいう。そこにあっては法を解釈するのではなく解釈が法を作るのである。
 故に、解釈改憲の否定は主権在民の否定であり、違憲世論である。
 2014年7月1日の安倍内閣による解釈改憲の閣議決定を非難した向きはそもそも憲法と法治を分かっておらず、無法者といわれても仕方がない。改められた憲法の解釈の内容を非難することは自由であるが、そうならば交代した先の政権がそれを覆す解釈改憲をすればよい。そのための手続きは必ずしも閣議決定のみが適当であるとはいえないがそれも正しいと認め得る手続きの一つである。寧ろ、国会の決議による解釈改憲は多数の賛成によることから、多数による圧政との誹りを免れない場合があり得る。
 彼等は云っていることが悉く『天に唾』なのである。立憲主義の否定、数を恃む政治、アメリカに対する屈従…それらは全て安倍政権を攻める側に当て嵌まることである。

 今の憲法は度重なる解釈改憲に耐え得るものであり、また、この国日本国民は度重なる解釈改憲を通してもそれぞれの自由と主権の維持に耐え得る人々である。

 憲法記念日に際し、護憲を基調とする朝日新聞を買って読んだが、護憲を建前としながら「改憲已むなし」、即ち滅び去ればそれでも仕方がないという弱音が聴こえて来るように感じられた。そのような論調は近年の朝日新聞の傾向でもある。憲法の改正そのものを否定するかのように誤解されると如何にも柔軟性のない人であると思われかねないのでそうは思われないように予防線を張って「改憲もなしとはしませんが…」と言っておく、そこに年来の読者や支持者の裏切りの疑いが嗅ぎ取れる。そのように言うことが『空気に従うこと』であるとは自らは思ってもいないであろうが、そうである。
 そのような卑怯さを近年の傾向とする契機の一つとなったのが先の『7.1閣議決定に対する抗議』である。そこで解釈改憲そのものを否定してしまった故に、そのこととの辻褄を合わせるために「改憲已むなし」の媚態を打ち出すことになっている。その根底には「あらゆる文章、言葉は一義的であり違う解釈の余地はない。」とする、言葉に関する態度の根本的誤りがある。「「てふてふがひらひら」と言えば、それは紛うことなく「てふてふがひらひら」という感じである、それが分からないのはあなたがおかしい。」という態度が様々の局面に立ち現われる。そのような人達が、自らをリベラルと呼び、幾らかの人達が彼等をそう呼んでいる。そうは思わなくてもいわば政治的文化的立場の便宜的分類の記号としてそう呼ぶ人は尚多い。
 「そんな風に受け取られてしまった。」と彼等が言う時、それは「そんな風に受け取る人もいるという現実を直視せねばならない。」ということではなく「そんな風に受け取る人がいるなんてあってはならないことだ。しかし…」というぼやきである。
 そのような根本的態度に『7.1閣議決定に対する抗議』が相俟ってそのような状況になっている。

 読売新聞が憲法改正試案を1994年に初めて出した時に、私は1946年から当時を経て今に続く憲法を改正するべしと思う人達がいることを初めて認識した驚きと幾らかの意義を感じはしたが、実際の憲法の改正とその読売試案の内容が適切であるとは思わず、その感慨は今も粗変わらない。
 それを機に色々と研究を重ねると、改憲派はその頃に初めて出たのではなく今の憲法が定められた初めから少なからずいたと知る。私は当時は今の憲法の良し悪しと改正するべきか否かはともかく、そんな人達がいることを知らなかったので驚いた訳である。
 私がそこで幾らかの意義を感じたのは今の憲法そのものについてではなく憲法に関する態度、憲法秩序を実現しようとする意思についてである。それが充分にあるとは、当時までのこの国を見聞きしていて思えなかった。そしてその感慨は今も粗かわらない。
 その意思がないのは今の憲法が悪いからではなく、憲法というものそのものに関する認識と態度がなっていない向きが少なくないからであるとの現実に関する「解釈」を今も積み重ねて継承している。
 その解釈に当て嵌まる事実の一つが「日本は集団的自衛権を有するがそれを行使することはできない。」という或る時代になされた解釈改憲である。
 彼等はそれを解釈改憲とはいわないというが、それとて歴然たる解釈改憲である。自分の解釈改憲だけは良くて他のそれは認めないのである。
 私はその解釈の意義を必ずしも否まない。或る時代の状況においては大いに意義があり、正しいといえるものであったと思われるが、それが必ずしも常に意義があって正しいとはいえない。

 もう一つ加えて云うと、この国の少なくはない人々にとっては憲法とは自己正当化と空気の醸成の装置であったとしか考えられない。
 彼等にとっては憲法を護ることとは自分達を守って他を顧みないことである。
 読売改正試案は23年前に、その空気に水を差した。
 しかし、唯水を差すだけのものであり続けて今に至る。
 水は時間が経つと空気になる。水を差すことだけが目的の空気が新たに今を覆っている。

 昨日5月5日子供の日のフジテレビの『めざましテレビ』の戯動画『紙兎ロぺ』が出色である。
 「連休に遠出するのってさー、渋滞の自慢をしたいだけだろー?どっかに行きたくて行ってるんじゃねえ訳よ。」
 憲法の改正を支持することも、その論議に加わったけれど結局は何もかわらなかったことを自慢したいことが動機なのではないか。ぼやくことが国民の共同体を作るということであり、それを「あきらめることを美徳とする日本の国柄だから、それを憲法に定めよう。」と思う人達もいる。

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# by keitan020211 | 2017-05-06 15:48 | 文明論 | Comments(0)
【自動車 特別編】日本の名車列伝 その2:三菱自動車
 今年の2月に『【自動車 特別編】日本の名車列伝 その1:トヨタ自動車 前/後編』の記事を出しました。


 2か月振りの『日本の名車列伝』、その2は三菱自動車です。
 三菱自動車は日本の最も古い自動車メーカーであり、独立の前は三菱重工業の自動車部門として始まり、大型車を主として数々の名車を生み出していますが、二十年前の品質不良による死亡事故や近年の燃料消費量の表示の不正などによる信用の喪失から存続が難しくなり、今は日産自動車とルノーの傘下に入り再生が図られています。
 私としては三菱自動車はトヨタ自動車に次ぎ好きな日本の自動車メーカーであり、トヨタの豊田市の隣の岡崎市にも三菱の大きな製造拠点があります。

◯コルト ギャラン COLT GALANT
1969年
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 三菱は高度経済成長期の入口の1960年に総排気量600ccの二扉セダン コルトを、その真只中の1963年に同じ名でより大きく1100~1500ccの四扉セダンを出している。
 コルトギャランは安定成長期に移っている1969年に出た四扉、二扉と五扉ステーションワゴンの車である。
 従来のコルトは他メーカーにも広く見られるように、アメリカ車を模範とするデザインが強く現われているが、ギャランの名が加わったそれからは日本の車としての独自のデザインを身に着けるようになった。但し原案はイタリアの名高いデザイナーであるジョルジェット ジウジアーロによるもの。角張て流線型が弱まる代わりに重心が低くなり、止まっている姿にも走る姿にも落ち着きが増している。
 当時昭和40年代の三菱車は柑橘色、オレンジ色をテーマカラーとするものが多く、コルトギャランも『オレンジ色のニクイ奴』という感じが鮮やかであった。
 1973年の2代目型はややアメリカ風への回帰が見られ、丸みの強い流線型となっている。

1976年
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 3代目となってその名をコルト ギャラン Σ(シグマ)に改め、更にデザインの独自化が勧む。
 写真の丸型前照灯は1978年からのもの、当初は角型であった。好みの分かれる処ではあるが、角型の前照灯は当時は斬新であったが他メーカーにも広くはやり、逆にありふれて埋もれるような感じがする。その故か、後期型で丸型に戻った。私はその丸型が好きである。
 この3代目コルトギャランΣは私の感性の原点をなすような存在感がある。いわばそのあらゆる点が完璧に私の心に染み渡るのである。
 総排気量は1600~2000ccと、昭和50~60年代の車の標準的規格。
 四扉セダンだけではなく五扉エステートバンも素晴らしく洗練されている。

1983年
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 概ね1980年の4代目型のフォルムを踏襲しながら、より直線的で繊細な趣を強めている。
 かつての曲線的流線型とは違い当時の車はトヨタのマークⅡなどのような直線的流線型がはやったがギャランΣは他にはなく、典型的箱型でありながら優美な繊細さを醸し出す。
 その故に、乗り心地は安定感と滑らかさに優れる。
 従来型は全て後輪駆動、FRであったが、この型からは前輪駆動、FFになっている。21世紀になるとどのメーカーの車も更にFRが少なくなりFFが殆どとなっているが、ギャランΣは二十年も前にその先駆者となったことになる。

1996年
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 昭和が平成となり、6代目と7代目のギャランはその時代の趣を現すものとなったが他に埋もれて目立たないものとなっていた。8代目となるこの型はそれらの形を受け継ぎながらも大きく広くなることにより存在感と独自色を取戻している。
 当時は少ない燃料直接噴射原動機、GDIを搭載し、『大きいのに低燃費』――実際には持っていた人に聞いてみないと分からないが、――のイメージをなし、環境の時代といわれ始めた'90年代らしい車である。
 21世紀には直接噴射方式は多くの車が採用するようになっている。

2007年
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 ギャランと三菱自動車の衰退が止まらない21世紀に、2002年に出たコンパクトカーのコルトと並び起死回生の役を果たした。名はギャラン フォルティスとなる。
 2005年にトヨタ-レクサスが出した2代目ISを小さくてより普通にしたようなフォルムであり、スポーツセダンの静かなブームを形作った。
 2008年に五扉ハッチバックのギャランフォルティススポーツバックが加わったがセンスがなくて販売も鳴かず飛ばず、ギャランフォルティスのブランド価値が失われることとなってしまった。
 2015年にギャランの名を持つ車は全廃となった。

◯ギャランΛ/エテルナΛ GALANT Λ; ETERNA Λ
1978年
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 1978年にエテルナΣがギャランΣの姉妹車として出たが、その年によりプレミアムな二扉クーペのギャラン/エテルナΛ(ラムダ)が出た。
 ギャランのテーマカラーであるオレンジ色のΛのミニカーが当時の私のお気に入りで、実車も一際私の心を捉えた。
 セダンのギャラン/エテルナと同じく、鉄道車輌や日用品、服などにも、私の直線好きを象徴する車である。
a0313715_15595588.jpg 丁度その頃は、シャツの着方なんかも第二釦まで外して胸元を直線的に見せるのが普通にはやっていた。そこに簡素な趣のネックレスがあれば尚良い。しかし、今は第二釦まで外す人は少なく、殊に男は第一釦まで閉める人も多くなっている。第一釦を外しても釦の間隔が詰めて出来ているシャツが多いのでどうしても窮屈な感じになる。それで腹の辺りがΛ型に見えている人もいたりする。
 Λの直線的に優美なフォルムと繊細なディティールは第二釦まで外して涼しげな趣に好く合う。
 総排気量は時代に先駆ける2000ccであり、内装の高級さを含めプレミアムカーのはしりとなった。
 そういえば今は余り見掛けないが、三菱自動車販売の店構えも白の全タイル張りが多く、直線好きには嬉しい街並みを作っていた。

◯コルト COLT
2002年
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 コルトの名は1960年に出たコンパクトカー――当時はそれが普通の大きさ――コルト600及びセダンのコルトギャランから取られたものである。
 1990年代の末から1300cc前後のコンパクトカーが自動車の新たな主流となっていたことを受け、三菱もトヨタのヴィッツやホンダのフィットなどに続き新世紀2年目の2002年に1300~1500ccのコンパクトカー コルトを出す。
 ヴィッツやフィットがユーティリティーを主眼とするスタイルを重視するのと比べ、コルトは走りをより重視し、そしてユーティリティーとスタイルをも高めている。走りの力と滑らかさ、そして内外装の質感は2000cc前後のスポーツセダンにも引けを取らず、全方位の見通しも抜群で極めて完成された車である。
 後へ車体長を伸ばして荷室を広くしたコルトプラスが加わる。ホンダのアコードやトヨタのプリウスなどにも見られるその手のバリエーションは多くの場合はデザイン的に破綻しているが、コルトプラスは無理なく洗練を保ち、良く出来ている。
 また、ハイパフォーマンス版のコルト ラリーアートも名高い。

◯RVR
1991年; 1997年
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 1990年代末からはやり始めたミニバンを想わせる大きさではあるが、RVRは大きなハッチバック車でありミニバンではない。乗れる人数も普通の乗用車と同じである。
 しかし、RVRは後のミニバンブームへの布石として少なからぬ影響を与えた車であると思われる。ミニバンブームが2000年代に熟して来るとトヨタのウィッシュやアイシス、日産のラフェスタなど、8人乗りを保ちながら基本的には5人乗りの、より小さな新しい趣のミニバンが出て来、従来のワンボックス型のイメージを変えてRVRに近い趣となっている。
 RVRが出たのはバブル景気の時であり、それによりよく売れたが、直ぐにバブル経済が崩壊してRVRは思う程の売れ行きを維持することができなかった。故に’90年代には根強い支持を一部に得ながら時代を作る程の大きな存在とはなれなかった訳であり、再び好況となった'05年頃に小さなミニバンがRVRの遺志を継ぐこととなった。
 「並の車でも、乗り心地の三菱」をそこでも感じさせる。

2010年
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 ワンボックス+ボンネット型のミニバンの全盛期の中、より小さいRVRは廃れてしまい2002年に廃止となったが、ミニバンブームの過ぎつつある2010年に再び出た。新旧通算3代目となる、イチローの日米通算も着々と積み重なっている時代に。
 コンパクトカー、ステーションワゴン、SUVと小さなミニバン、更にはスポーツセダンのそれぞれの潮流を融合したような理想的デザインで、テーマカラーの川蝉ブルーが相俟て精彩を放つ。

◯エアトレック AIRTREK
2001年
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 「エアトレック」、何か涙が流れてきそうな響きではありませんか?
 'air'に'trek'、'trek'とは旅のこと。意味もさることながら、音の響きが抒情と叙景を誘う。
 出た当時のテレビCMも平凡ながら美しい演出で、心をふと掴むようなものがあった。
 その車のスタイリングも凡庸でありながら、凡庸の極みを究めたように美しい。
 売り上げは伸びずその名を聞いたこともない人も多かろうが、エアトレックは出なければならなかった車なのである。
 何しろ、今は広く普及しているインパネシフトを採用して室内の真中が通り抜けられるようになっているのはエアトレックが先鞭。様々な車の型の『クロスオーバー』のはしりでもある。
 2006年にその後継車となるアウトランダーが出たが、より『通俗的洗練』のデザインとなって魅力が半減している。

◯ミラージュ ディンゴ MIRAGE Dingo
1999年
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 1978年に出て一度は廃止となったが再び出て今もあるコンパクトカー ミラージュのワゴン型として出た。
 あらゆる点において前世紀、旧時代の結晶且つ最後の車であり、歴史的意義の深い車であると思う。
 ミラージュディンゴと入れ替わるように、トヨタのヴィッツやホンダのフィットに代表される新しい時代のスタイリッシュコンパクトカーが出て取って代わられた。大きさとしてはヴィッツの派生車トヨタ ファンカーゴや三菱コルトの派生車コルトプラスと同じであるがミラージュディンゴは色々な面で旧さが感じられる。しかしその頃まではそれが最先端であった。

◯キャンター CANTER
2002年
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 日本を代表するキャブオーバー車であるキャンターは1963年に初めて出てからのどれも素晴らしいが、取り分け私の推すのは2002年に出た7代目である。理由は運転したことがあるからである。
 何が良いか?――トランスミッションの切り替えが滑らかなことである。また、原動機の音も滑らかである。
 滑らかさではトヨタのトヨエース/ダイナもなかなかではあるが、そこに適当な重みが感じられない。そこは好みにも依るが、確かな重みの感じられ且つ滑らかな三菱車のトランスミッションが私には好い。クラッチのないいすゞ車は殊に高速ではイケイケな感じになり、やや違和感がある。

◯MP
1980年
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 '80年代の幕開け、第二次高度経済成長――そんな時代の気運を乗せる迫力の走り。
 というか、旧い型のバスの最後となる車であり、その次の型からはそんな物凄い原動機の音は聴こえない。原動機の音そのものは次の型1984年に出たエアロスターも凄いが、MPはまだ車体の防音が進歩しておらず、筒抜けである。しかしそれが少しも苦にならない程に素晴らしく良い音を放っていた。
 畳み掛けるように、富士の高嶺のように、その音は加速を増すにつれて私達をそれぞれの行先へ誘ってくれる。

◯エアロスター AEROSTAR
1984年
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 車体の防音が進歩したからか、原動機の轟音の筒抜けな感じが格段に抑えられた。しかし床越しに聴こえる迫力の音は健在である。そして乗り心地の滑らかさが増して先にも後にも史上最高の出来になった。
 1996年以降の型は原動機の低出力化や意味のなさげな新技術、それに低床化も相俟って走りが弱々しくなって乗り心地も安ぽくなっている。
 自家用車における低出力化や排気ガスの低減は望ましいがそれを公共交通機関の車に求めるのは筋違いである。三菱は筋を通してほしい。

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a0313715_1412168.jpg●東海地方の緊急地震速報は ダイヤル1332 東海ラジオ
静岡県:FM 78.4 K-MIX


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


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テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

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フジテレビ みんなのニュース 15.50~18.57 <FNN>17.54~18.57/月~金

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# by keitan020211 | 2017-04-30 18:46 | 文明論 | Comments(0)
【Freesia料理】spaghetti sugo di carne Genovese/ジェノベーゼ ミートソースのスパゲティ
 spaghetti sugo di carne Genovese、読み方は「スパゲティ スゴ ディ カルネ ジェノベーゼ」です。
凄いでかいねジェノベーゼ、という程に豪華な見栄えではありませんが、なかなかのたんまり感が味わえます。
 イタリア語の'tanto'といえば「そんなに」ということで、'mangiare tanto'と言えば「たんと食べる」ということです。

 実はスパゲティジェノベーゼと呼ばれるものには二つの全く異なるものがあり、一つは日本にも馴染みのバジルペーストを使うもの、他の一つは牛肉の煮込ソースを使うものです。
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 前者はその名の通り北イタリアのジェノバの御当地スパゲティであり、日本を含む世界に普及している。
 後者はジェノバの料理人が南イタリアのナポリで作って広まったスパゲティであり、殆どパスタの本場イタリアにしかない。
 私が今までに食べたことのある「ジェノベーゼ」はそれらのどちらなのか記憶にございません。
 但し何れにせよ私が昔に食べたのはバジルの緑色に染まる見た目と苦甘い味ではなく全体に白ぽくて爽やかな酸味の強めな感じなのは確かです。スーパーマーケットなどに見掛けるジェノベーゼの素のパックにある写真の多くは全体が緑色に染まり、バジルの豊かな香りがふんだんに感じられるものですが、私の記憶と比べると蛸墨スパゲティが苔生して緑色になったような風にも見えます。

 ――という訳で、私はこの程にそれらの二つの異なる「ジェノベーゼ」を足して二で割り、バジルペーストを使いながら白く爽やかな味の新しいスパゲティジェノベーゼを作ってみました。それが[IT] spaghetti sugo di carne Genovese/[FR] spaghetti sauce à la viande genovese(スパゲチ ソース ア ラ ビアンド ジェノベーズ)/[EN]Genovese meat sauce spaghetti(ジェノビーズ ミートソース スパゲティ)/[JP]肉たれのスパゲティジェノベーゼです。

●揃えるもの

a0313715_18040728.jpgスパゲティ 細麺  1.5人前程  推奨は:AEON TOPVALU デュラム・セモリナ100%使用 スパゲッティ1.4mm
塩  適量
オリーブ油  少な目  推奨は:西友Great Value. エキストラバージンオリーブオイル
胡椒  適量  推奨は:S&B テーブルコショー
玉葱  適量
好みに由り:人参  適量  推奨は:白人参
牛豚合せ挽肉  多目  :純牛挽肉でもよい。
ワインビネガー  適量  推奨は:MAILLE(マイユ)-S&B 白ワインビネガー
バジルペースト  少な目  推奨は:S&B 予約でいっぱいの店の国産バジルのジェノベーゼ

●作り方

 ジェノベーゼに使うスパゲティは細麺を薦めます。
 太麺(1.7mmなど)を使うと、バジルペーストの多い場合は味わいがおしなべてもっさりとした感じになり、少ない場合は味が薄過ぎる感じになります。何れにせよ、細麺にしっかりと油とペーストを乗せると味わいが確かに感じられます。また、細麺は同じ嵩でも量が多めに感じられます。

 玉葱と人参を細く小さ目に切り分けておく。人参は薄輪切りでもよい。

a0313715_18164809.jpg その細麺のスパゲティを普通に塩水で茹でる。推奨品は茹時間が5分とあるが、例によってなるべく早めに、端こに麺がくっ着いて剥がれていない部分が残っていても構わずに上げる。但しこのジェノベーゼでは麺の茹で具合には然程に厳格になる必要はなく、表示時間の通りや若干超過でもよい。
 「このジェノベーゼでは」とは、ペペロンチーノなどの他のスパゲティーやマカロニなどに関しては厳格を要するということです。5分と記されていれば3分半~4分、8分とあれば5分半~6分半が適切な茹時間です。
 また、具とソースの味が柔らかいので麺の硬さも若干は軟らかくてもよいということでもあります。

 大き目のフライパンに挽肉、玉葱と人参を入れ、そこにオリーブ油を少な目に敷き、ワインビネガーと胡椒を振って炒める。ジェノベーゼのワインビネガーは白が原則であるが、なければ赤でもよい。
 何となく、オリーブ油は先に敷かずに具の後に掛けるように敷くのが炒め易くて良いと思う。挽肉は油が上に掛かっているのを軽く軽く崩しながら炒める。
 それらがよく炒めたら、バジルペーストを中匙山盛1杯程 粗塊の侭にして乗せる、広く塗り広げたり一緒に炒めたりしない。
 数秒してバジルペーストの姿が具に馴染んだら、それらを丸毎ボウルに移して待たせる。

 スパゲティの麺が茹でたらそれを笊ボウルに移して水を切り、冷や水を数秒通して再び水を切る。

 具を出してあるフライパンに麺を入れ、残る油とバジルペーストを馴染ませながら混ぜて焼く。バジルペーストが足りな過ぎる場合は少し足す。スパゲティの小麦色が隠れず、バジルの緑色の斑点が微かに見える程の量に抑える。

 焼き上がった麺を皿に盛り、ボウルに待たせてある具をその真中にこんもりと盛る。

 出来上がり

 苦甘味と酸味が溶け合い、最高の味になりました。

 平たく言えば、緑色のミートソースです。

 先ずは麺だけを、そしてこんもり具と一緒にして、それらを交互に愉しむ。

a0313715_18204059.jpg 推奨品のS&B 予約でいっぱいの店の国産バジルのジェノベーゼは東京銀座のイタリア料理店ラ ベットラ/LA BETTOLA da Ochiaiの主人落合務氏の監修によるバジルペースト。'bettola'とはダンプのこと、食事をしていると突然ダンプ松本が出て来て荒らしてゆくことでも有名な店です。銀座の他には池袋、名古屋と富山にもあります。
 落合務ものの材料は前に一度何か買って使ったことがあるけれど、それも何であったか記憶にございません。
 他のバジルペースト等との違いといえば、渋味がなくて口当たりの良い甘味になっていることでしょうか。

a0313715_18223056.jpg バジルペーストの材料の一つである松の実は中華料理の香辛料としても用いられるものであり、S&B菜館という中華香辛料のシリーズ製品にも松の実が取り揃えられています。
 イタリアとシナ、そして日本――そこにジェノベーゼなどに見るスパゲティが単なる西洋料理ではなく東洋とのつながり、影響の及ぼし合いにおいて成り立っている『ユーラシア料理』であることが感じられます。単なる西洋料理といえばアメリカ流のふにゃふにゃのナポリタンのことです。

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■NEWS of the WORLD


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    ●AFP(フランス パリ)
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    ●ル フィガロ(フランス パリ)
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    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
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    ●共同通信(日本 東京)
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    ●朝日新聞(日本 大阪)
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    ●日本経済新聞(日本 東京)
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    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
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    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
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    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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# by keitan020211 | 2017-04-26 18:23 | 生活 | Comments(0)
【追悼】渡部昇一 上智大学名誉教授
 英語学者で保守言論界の第一人者でもある、上智大学の渡辺昇一名誉教授が昨日4月17日に心不全により享年86歳で逝去した。

a0313715_17321723.jpg 渡部氏は1930年に山形県鶴岡市に生まれ、上智大学の大学院の英文学修士課程を了り、ドイツのミュンスター大学と英国のオックスフォード大学に留学して知見を深めた。
 帰国して上智大の教授となってから、1973年に分野を問わない評論活動を始め、以後はサンケイ新聞―現:産経新聞―の寄稿評論記事『正論』の執筆員となるなどして保守の言論を担っている。
 主な著書は『知的生活の方法』<:講談社現代新書>やフランシス フクヤマの著した『歴史の終り』の翻訳など。
 最近は明仁天皇陛下の退位についての意見交換会での意見役の一人となるなど、最期まで現役として活動を続けていた。
<依拠情報:産経新聞 2017年4月18日>


 今朝にコンビニエンスストアの新聞売場でそれを伝える新聞を見、凡庸な言葉ではあるが、時代の変わり目を感じずにはおれなくなった。
 私の今日のツイッターにも渡部教授の逝去を受けての幾つかの言葉がある。ここにそれらを全て紹介する。




 渡部氏の評論家としての過去の発言に、障碍者は社会に莫大な負担をかけるからその出現を未然に防ぐことは神聖な義務であるとのものがある。1980年のことである。
 それなんかも、保守派だけの集う言論サロンという場での内輪での話である。そのように語る随筆を公に刊行していながら内輪話も何もあるのかという向きもあろうが、本を書いて出すことは多くの人の経験則からも分かるように、多くは己の話の通じる内輪に向けてのものである。作家にも評論家にも常連のファンがいたりそれ程ではなくても書いてあることを少なくとも理解することのできる人々が読んでみたりする。
 かつて彼の浅めのファンであった私なりの解釈では、彼はそこに障碍者だけを語るのではなく子を宿して命を育む者としての心得を語っていると思う。
 莫大な負担を社会に掛けることがあるのは障碍者ではない健常者も同じ、様々な人がいて或る人々が社会に負担を掛けたり惑わせたりする。否、「或る人々」といわず全ての人にはその虞があるといえよう。
 そのような現実を前に、一体誰が、子を宿して育てることを直ちに神聖な務めということができようか?神聖でもなければ当たり前でもない、そうとしかいいようがないのが人の世である。
 それが神聖な務めとなるためには「ちょっと待て。」といわざるを得ない。
 障碍の遺伝の話は極端なものではあるが、それが犯罪の遺伝の話なら、どうか?:犯罪は遺伝すると科学的仮説としていわれる。勿論科学と言って若干の誤りを含むことはあり得ても、似非科学の話ではない。
 遺伝により犯罪者が生まれることが「分かった」ら、生むべきではないと思うのは当然のことと分かる筈である。少なくともそのような遺伝子が自らの内に漸減若しくは消滅するまでは生むのを先送りしようと思うべきである。尤も、そのようなことを奨励し或いは義務づける法律や社会制度を作ることが許されはしない。

 しかしそうはせず、己には子を宿して育てる権利が当然にあると思う人がなかなか多い。果てには政府が子供を産み育てることを国民に勧めて支援しようという動きさえある。渡部語にいう障碍児しか生まれなくなるかもしれない。そうなれば国が亡ぶだけではなくそれまでに多大の迷惑を世界に掛けることになる。

 渡部氏の言葉から来たものとは知らない人が大半ではあるが、その渡部氏の言葉は当時から後の世に結構な影響を及ぼしたようであり、障碍児を宿したら生むべきか生まないべきかという命題、いわばその十年程後に人気を博した『究極の選択』の先駆けのような問いが初めて語られるようになった。そして1980年代当時には「生まない」と答える人が普通に多くいた。それが「生む」に逆転されたのは1990年代である。'90年代は今2010年代に「感動ポルノ」という不名誉な呼び方がされるようになった、民衆の生活をルポルタージュするドキュメンタリー番組が活況を呈していた時代であり、それらに障碍児を困難を乗り越えて立派に育て上げる家族の話があったりする。
a0313715_17384164.jpg 無論、言うは易く行うは難し/案ずるより産むが易し。「生まない」と答えるのは容易くても若し実際に障碍児を宿したらその内の多くはやはり生むことにする訳である。考えと行いはしばしば違って来る。
 生まないと言っても実際には生むのが当然であった'80年代と生むと言っても実際には堕したりする'90年代、どちらが良識的且つ良心的かは明らかである。渡部氏の評論もそのように文面や音声に表れては来ない'80年代的良識と良心に支えられていたのである。
 そして「意に反して」生まれて来た障碍児等のお蔭で障碍者との共存共栄のための政策は格段の進歩を遂げている。それが「意に沿って」生まれて来た障碍児等であったなら、点字ブロックさえ碌すっぽ侭ならないような障碍者にとって生きにくい世の侭であったかもしれない。障碍者の社会進出も実現していなかったかもしれない。難しいという問題意識があるから、政策の進歩や心得の改善がある。所謂感動ポルノはそのような問題意識をなくしてあらゆることを容易いと或いは他人事と認識させる弊がある。

 渡部氏のような評論家や或る場合には政治家や経済人の発言がかのように問題となる背景には何があるのか?

 その大きな一つには、『共感』に関する人々の意識の違いがあると思われる。
 厳密には個人の違いであるが、大雑把に分けるとその違いは男女にあるとされる。確かに目立つ限りでは男と女の違いと見受けられる場合が多い。

 その男女の違いとは:
 男:共感とは意見を同じくすることである。
 女:共感とは感情や場の空気を共にすることである。

 意見を同じくすること、即ち言われたことや書かれたことに即して解したものを通して互いの結びつきを強めるべきであるとの考えに随うならば、渡部昇一の評論は共感できないものということになる。そして実際に渡部昇一を非難する者は男に多い。女はその内容を認めないと思っていても非難しない。男の世界にいないと本当の趣旨は分からないものである、或いは、男さんの意見にはたてつくべきではないと思う『前時代的』感覚の人が女には多いからでもある。
a0313715_17340094.jpg 尤も、あくまでも一人の人として彼を認容することができないというのは分かるが、中には女性や弱者に代わって不義を討つみたいな感じの者もおり、そのような者が渡部昇一を非難しても女や弱者は少しも彼に守られているとは思わなかったりする。彼が渡部を討つのは大学教授、取り分け面倒くさい計算問題を解くことを要しない文系の教授は男にとっては本音では最高の憧れの職であるからであったりもする。そんな憧れの立場にある者が女性や弱者を守ってあげない論調をしていると見れば彼がどんな挙に出るかは粗方想像がつく。

 感情や空気を共にすること、即ち言われたことや書かれたことだけではなくその前に物事に臨む心構えや態度、具体的振舞いを通して互いの結びつきを強めるべきであるとの考えに随うならば、渡辺昇一の評論は共感し得るものということになる。先述のように認めないけれど非難しない女と全く興味がない女を不支持率から引くと、彼の支持率/不支持率の男女差は歴然となる。渡部昇一は女高男低の人気である。尤も、一般に女子学生や女子教官が多い英文学科の教授であることも一因であろう。

 そして津久井やまゆり園事件のような犯行は、内輪の話をしている筈の渡部昇一などの発言を用もなく拾っては言いふらして非難の対象にする新聞記事を何処かで見た犯人が書かれたことだけに共感するからであろう。障碍者との共存共栄の意識のあるなしの問題よりはそのようなマスコミュニケーションの構造の一端として起こった事件なのである。

 彼が『知的発言の方法』ではなく『知的生活の方法』を記したのも、そのようなことと解することができる。

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    ●ル モンド(フランス パリ)
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    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
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    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
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# by keitan020211 | 2017-04-18 17:34 | 文明論 | Comments(0)
【コラム 葉がつく】生涯の重さと軽さ
a0313715_19413138.png葉がつく 2017年4月12日

 半年振りのこのコラム『葉がつく』になる。新聞のコラムなら考えられないことではあるが、この半年は混沌とも停滞ともつかぬかつてないような「物事の語りにくさ」を感じた時節であった。その間にトランプ大統領の就任があり、それがはっきりと『混沌』へ動き出すかと見えた。先のシリアに対する攻撃の決断が何を生み出すのかはまだ見えては来ないが少なくとも語りにくい停滞を破る出来事とは思える▼同じ画面を通してもう一人、今までには言えなかったことを言った人がいる。フィギュアスケートの女王と称される浅田真央、彼女が引退を表明した。今までにもその可能性を匂わせてはいたので驚くばかりのことでもないが、彼女のスケートに捧げる生涯がここに終わるのを見るとそのかけがえのなさを思うと共に新たな『混沌』の始まりを感じずにはおられない▼そしてもう一人、語ることもなく生涯を終えた人の報が来る。歌手のペギー葉山、この国がまだ戦災から立ち上がり始めているさ中にデビューをして経済社会の発展と共に活躍し、近年まで新しい歌を出していた。竟先頃までは元気な姿を見せ、突然の肺炎にたおれた▼如何に多大な功を遺しても、生涯は決して満足し切れるものではない。真摯且つ偉大な程に「まだ足りない。」という心残りは多い。浅田もそうであろうし葉山もそうであろう。そこに生涯の『重さ』がある▼人々が一つの職に生涯を捧げることが望まれていた時代は、そのような『重さ』が溢れていた。その生涯を生きる多くの人はそして、満足し切れない生涯が終わりゆく重さを感じていた。しかし、それが望まれなくなり、日本を代表する自動車メーカーの社長が「定年まで安定して勤められると思っていてはなりません。」と新入社員に訓示する今、浅田や葉山が持ち永らえているような生涯の重さがない。生きる時間が断片化し、軽くなっている▼安定とは重さの類義語である。本当はその社長の言葉は意味のない紙屑な筈である。「安定」の意味を軽くしたのは誰か?新しい責任を担うトランプ大統領の影に隠れ、名乗り出る責任者がないようである。

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# by keitan020211 | 2017-04-12 20:21 | コラム 葉がつく | Comments(0)



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