森鷗外に漢字というと、かつて問題となったのは朝日新聞が『鷗』の字を『鴎』と作り変えて新聞の活字に用いていたことである。正字は『鷗』であるが、朝日新聞だけではなく、日本工業規格(JIS)として考案され普及している略字は多い。例えば昨日3日文化の日の新聞を見ると秋の受勲者の一覧が載っているが、そこに「小沢一郎」の名がある。びっくり仰天は請け合いであるが、政治家の小沢一郎氏は若し受勲したらその名は「小澤一郎」と載る。彼の「小沢一郎」は読み方は同じではあるが通称であり、受勲の小沢一郎氏は別人である。政治家の小沢氏も、受勲の栄えに与ったら別人のように柔らかい顔になるかもしれない。
森鷗外もまた通称であり、本名は森林太郎という。そのように彼の代表作『舞姫』の集英社文庫の巻頭の参考記事に記されている。その写真に示される彼の直筆の『舞姫』の原稿も本名が記され、そこに雅号として「鷗外」と冠して書かれている。 森林太郎、読み方は「もり りんたろう」である。私は「もりばやし たろう」と思っていた。何れにせよ、「しんりん たろう」ではない。それでは植木や農薬の商品名のようである。 『舞姫』の主人公の太田豊太郎は或いはその自らの森林太郎の名に着想を得てのものなのかもしれない。森の前に大きな田圃があり、林が豊かに、そこに吾(われ)太郎あり。―― 『舞姫』を学校の教科書で読んだことのある人は多かろう。 前の『その1』にも語ったが、そこで本文の音読を命ぜられ或いは買って出、読んでいると「それは (音読み) と読みます。」とか「それは (音読み) でしょうね…」と漢字の読み方を直された人も多いのではないか? 鷗外森林太郎の記した原稿には読み仮名が振ってはいないのでその漢字等をどう読むのかは結局は分からない筈なのに、文学界が作者の意図とは関わりなく決めた読み方が唯一つの正解として国語教育にも反映されているとは能く考えると恐ろしいことである。教師に聞いた通りに読むと、意味が全然分からなくなる。 そこで弊ブログが『舞姫』の漢字の語等の読み方の目安をここに示す。基準は『意味の分かる読み方』である。 表示の頁「p◯」は集英社文庫の頁に拠る。 ・卓 p6 :つくえ、つくゑ これは読み仮名が文庫に振ってある。「たく」と言っても状況によって大抵は分かるがその場面の卓は食卓でも雀卓でもないことが明らかとなる観点からは「つくえ」が良い。 ・骨牌 p6 :カルタ これも読み仮名が振ってある。その卓を使って骨牌を遊ぶのか? ・平生 p6 :へいぜい これは「ひごろ」と振り仮名があるが宛て字となるので「へいぜい」が宜しい。 ・わが瞬間 p7 :わがまたたくま 一瞬の間(いっしゅんのあいだ)を意味するのではないことは「きのうの是はきょうの非なる」に明らかなので「わがいっしゅん」では駄目。「またたく」は「亦度く」、物事の分け目というような意味 ・生面 p7 :きのおもて、きのをもて 「せいめん」では「製麺」かと思うし「青年の客」や「成年の客」と聴こえたりもする。『見知らぬ人』の意 ・房 p7 :へや 「卓」の例と同じ 「部屋」は本来は一つのへやをではなく屋が部に分かれる様を意味する――よって「へやかず」は「部屋数」でも「房数」でもよい。――ので部屋の一つをいうには「房」と言う。「部屋」の表記をそのように改めるだけで国語教育と国語の現実はかなり変わるかもしれない。 ・山色 p7 :やまのいろ 助詞の「の」や「が」を表記しないことは地名の「-宮」――三宮、西宮や一宮など――や「-丘」――雲雀丘、鶴岡八幡宮や百合丘など――と一般的である。固有名詞だけではなく一般名詞もそのように記し読むことはできる。「さんしょく」や「さんしき」では「三色同順」かと思うが、「さんしき」ならば「色即是空 空即色是」があったりするのでまし。 ・九廻す p7 :ここにめぐらす 「きゅうかいす」では『九回回っている』としか思えない。「九」とは「今ここ」を意味し、痛みが体だけにではなく心持ちにも及び、その思いが廻り、今ここに自らが苦しんでいると言っているのである。「九」が「ここ」なのは人とその世は常に十(:十分に叶う)には及ばないという意味かと思われる。そんな浮世に日が昇って『旭』、思い立って道を歩み山に至ると『旭道山』 ・懐旧の情 p7 :ふるきをなつかしむのなさけ、かいきゅうのじょう 「かいきゅうのじょう」は今も結構広く知られる言葉なので聴いて分からない率は低いと思われる。然し、漢語をすっと読み下すことのできる習慣が身に着くと何かと良い。 ・銷せむ p7 :さやせむ 「しょうせむ」としか読めないかのようにいわれているが、刀の『鞘』は始めに出して終りに収める『物』を指し、始めに出して終りに収める『事』、転じて『身を処す』を意味するのが『銷』である。何れも『さや』であり、動詞としては『さやす』となる。 ・房奴 p7 :へやのやつ 「ぼうど」では『委員会の一団』か『坊奴』か? 因みに『坊』は本来は坊主をではなく建屋のある場所を意味する。 ・都 p8 :つ 「みやこ」の漢字は『宮処』のみであり、『都』を「みやこ」とは読めない。 その箇所の「故郷なる母を都に呼び迎え、」は「都合がついた折に遠い処を来てもらった」の意であり、しばしば誤解して言われるように「東京へ来る」でも「京都へ来る」でもない。また、母が豊太郎のいた東京にいたのは「三年(みとせ)ばかり」ではなく数日来ただけである。若し三年いたならば「故郷なる母を都に呼び迎えるに楽しき年を送ること三とせばかり」となる筈である。因みに『故郷』も、大抵は「こきょう」でも通じるが「なきくに」或いは「ふるさと」が望ましい。「くに」は俗語的で良くない。因みに『亡国』は「くにをなくす」及び「なきくに」ではなく「くにをほろぼす」及び「ほろびたるくに」である。 ・新大都 p8 :あらたなるおほづとめ そこにも、「都」は場所やその様子を意味するものではなく状況や境地を意味するものである。今に言う「新天地を求めて来た」のような意味合いであり、『ベルリンにおける自らの生活』を意味してもベルリンそのものを意味するのではない。 ・中央 p8 :なかほど 「中央に置く」は『なかほどに置く』のこと、「ちゅうおう」でもよいが、「新大都の中央に立てり(あらたなるおほづとめのなかほどにたてり)」とは「新たな務めの境地に入りつつある」ということであって「ベルリンの中央域」のことではない。 尚、『真中』を意味するのは主に『央』の字であり、『中』の字は主に『ほど』の意味合いに中るが一文字で「中」と記せばそれは「なか」と読む。 そんな豊太郎のような境地には中々立てない。 ・光彩 p8 :かがやき 「こうさい」でもよいが、「かがやく」は『輝』だけではなくその偏の『光』だけでも「かがやく」と読める。厳密に言うと「かがゆ」である。『光彩』は「かがゆる-あや-き」、「-き」は連用形で何等かの物事に結びつく(:来/come to)ことを意味する。「かがゆる-あや-き」の発音を約めて「かがやき」となる。 短編とは雖も一つ一つ挙げてゆくと長くなるので今回はここまでにする。 ![]() ![]() ■CYBER ECOLOGY 2015 ウェブサイト版は⇒http://www.geocities.jp/keitan020211/ ■ブログ Keitan 地球を行く は⇒http://blogs.yahoo.co.jp/keitan020211 ●政治家のブログへのリンク ⇒http://www.geocities.jp/keitan020211/linkpage_politicians.htm
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by keitan020211
| 2015-11-04 21:29
| 芸術(音楽、文学など)
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