【ちょっと知りたいキリスト教】ジャーナリストが失業することは良いことか?――人間の罪について
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a0313715_18415816.jpg ロバート キャパという20世紀の世界大戦の時代を生きたハンガリーの戦場カメラマンが「私の願いは私が失業することだ。」と語ったことがあるという。弊ブログのフォローブログ『旧民主党支持者の、立憲民主党応援ブログです!!』が最近の記事に言及している。
 キャパ氏は逝去した1954年に日本を毎日新聞社の招待により訪れている。
 キャパ氏の撮る写真が載ってはいないが私は20世紀末に毎日新聞社の発行の『20世紀の記憶』のシリーズ本を何冊か買って読んだ。20世紀を報道写真等と共に「振り返る」ものであり、取り分け戦中戦後の巻は見応えがある。その本を通して初めて知ったことも多い。
 報道カメラマンはジャーナリストに随行することが多くてジャーナリズムの一部を構成するのでここでは報道カメラマンをもジャーナリストと呼ぶ。
 
 「私の願いは私が失業することだ。」――つまり、ジャーナリストが失業することは良いことなのであろうか?
 果ては、ジャーナリストという職業がなくなることは良いことなのであろうか?
 キャパ氏のその言葉はそんな素朴な疑問を呈する。
 その言葉はジャーナリストが要らなくなる世の中が望ましい、即ちジャーナリズムの主な題材である戦争や政治の悪、社会の悪、個人の罪……そのようなものがなくなることが望ましいということであるが、そのようなことがあり得るのかという問いが浮かび上がる。
 因みに、「御免で済むなら警察は要らない。」という言葉とは意味が違う。その言葉は悪いことが「御免」と言えば済む故に警察の要らない世の中を想定するものであり、悪いことがなくなることを想定するキャパ氏の言葉とは根本が違う。

 先ずは私、弊ブログの常々言っていることから見ると、世の悪いことは人々がそれがない世の中というものを想像することができず、人が想像することのできないことは決して実現しない故に世の中の悪いことは決してなくならない。それが良いのか悪いのかについては何とも言いようがない。まだ存在していない未来を良いとも悪いともいうことはできない。人は只、現在までに存在している物事を良いか悪いかいうことができるだけである。

 つまり、キャパ氏の願いは実現しない訳であるがそれは良くないことであるとはいえない。
 尤も、キャパ氏はジャーナリズムが需要に応える供給ではなく、供給が需要を作り出す近現代の状況を批判してそのように語るのかもしれない。軍事兵器にもその供給が需要を作り出している例があるし、昨今の日本における感動ポルノと呼ばれる社会ドキュメンタリーもその一つであろう。何等かの必要や欲望の満足のためにではなく、身や技を見せびらかすための商売、ジャーナリズムもまたしばしばその陥穽に嵌まっている。
 ジャーナリズムが自らの存在を顕示するためではなければ、人間の罪はなくなるものではない以上はジャーナリストが失業することは望ましくはないのである。

a0313715_18492671.jpg キャパ氏の出身のハンガリーの宗教はカトリック教会が六割、カルヴァン派が二割にその他と、キリスト教が殆どを占める。
 キリスト教もまた人間の罪はなくならないといい、キャパ氏の言葉はキリスト教がヨーロッパ世界において相対化されて来ていた20世紀の前半の時代の思潮を反映するかのようである。ハンガリーは彼の晩年に共産化が興り、ハンガリー人民共和国という共産主義国家になったためにキリスト教の存在意義は更に下がった。
 それでもヨーロッパ人の多くが人間の罪を題材とするジャーナリズムの存在意義を疑わない中、ジャーナリズムを相対化するかのようなキャパ氏の見方は新しい思潮を物語るものといえる。脱宗教と脱ジャーナリズムが人間の世界を幸福にするという。
 その流れに棹差すかのように見えて水を差したのはイギリスのロックバンドビートルズのジョン レノン、「わしはキリストよりも有名よ!」と'60年代に語り、'70年代には「天国がないと想う」と歌う。――一見はキャパ氏の時代を受け継ぐかのような印象であるが実はその逆を、人間の罪は決してなくならないということを語りまたは歌っていた。キリスト教のものの見方をキリストと呼ばれるイエスよりも分かり易く伝えたので、自らをキリストよりも有名なりと云うのは尤もなことである。

 何故キリスト教は人間の罪は決してなくならないというのか?

 そのことは旧約聖書の創世記の初めに記されているとされるが、先ずはその解釈が難しくて書そのものの由来も一つのものではなく二つの別の書物の併合されたものであるといい、その決定的理由を探り出すことはなかなかできない。
 キリスト教においてしばしばなされるその説明は「人が神に背いたことが罪の初めである。」という。
 しかし神の存在を信じない人にはその説明は何も訴えんじゅうろうである。ないものに背くことはできないからである。
 先日にフランシスコローマ司教が偽善的キリスト者よりは無神論者がましであると語ったと報じられている。珍しく真面なことを言う、彼がローマ司教になってから初めて正しいことを語った言葉である。それは一般論からしてもキリスト教の観点からしても正しい。但し偽善的キリスト者というものがどんなものであるかは人それぞれに見方が違い、本当は偽善ではないものが偽善と見られることもあるのでその手の言葉はキリスト教に対する嫌悪や迫害を招いて自らの首を絞めることになりかねない危うさがある。尤も、そこでは自らがキリスト教の者である故にキリスト者について言ったまでであり、それをあらゆる宗教に読み替えることもできる普遍性はある。

 そのカトリック教会は元々、神の存在を認めない無神論者にも分かるような「罪」の概念がある。キリスト教においてそれと同じものがあるのは罪の告白をして赦しを得る秘跡――:キリスト教の枢要をなす七つの礼典――のあるギリシア正教会と聖公会だけであり、プロテスタントとも呼ばれる諸派にはない。諸派は「人が神に背いたことが罪の初めである。」ということをしか云わない。キリスト教にはキリスト者ではない人々のことについては分からないので干渉しないという考え方の徹底の故でもある。キリスト教はキリスト教にとっての罪のことだけを思えばよいというのである。故に諸派のキリスト者にとってはイスラム国などのようなイスラム過激派のしていることは「罪」ではなく「迷惑」として斥ける対象でしかない。自分達への迷惑を「悪の枢軸」とするのが昨今のキリスト教諸派圏の思潮である。
 旧教と総称されるカトリック、ギリシア正教と聖公会もまた「人が神に背いたことが罪の初めである。」とはいうが「キリスト教はキリスト教にとっての罪のことだけを思えばよい」という考え方はない。宗教を問わず問うべき人間の罪というものはあると見る。
 キリスト旧教における罪の概念は「人が自ら罪と思うことが罪である。」というものである。どんなことであれ、悪いと思えば悪い、悪くないと思えば悪くない、至って単純な原理である。
 そこには罪は人が作り出すものであり神が作り出すものではないという前提がある。何か罪という実体があって神がそれを作り出したのではない。人が罪を作り出すことができるのは神が人を自由な意思と責任のあるものとして造ったからである。自由の行使が罪を生むことがあるという。しかし神はそれでも人の自由を剥奪せずに罪を生みながらも自由を持ち続けることを望むことにした。故に世の中に悪いことがあり続けるのは神の望みからなっていることなので決してなくなることはないという。
 罪は実体をなすものではない以上は全てのものが実体として善となりまたはあり続けることができるといい、それを保証するものが洗礼の秘跡を一とする七つの秘跡であるとされる。それがないと保証されはしないが自らが善となりまたはあり続ける意思があればそれが可能であるという。

a0313715_18525427.jpg 罪は実体をなすものではないという見方は「罪を憎みて人を憎まず」とは全く異なるものであるといえる。
 「罪を憎みて人を憎まず」は罪を実体と見做すことが前提である。実体のないものを憎むことはできない。罪を幾ら憎んでも罪は何の反応を示しもしない。
 世の中には善なる実体と悪なる実体が存在してそれらが互いに戦うものであるという見方から出た観念が「罪を憎みて人を憎まず」である。そのような見方を善悪二元論といい、キリスト教はそのような見方には立たない。
 善悪二元論からすると、人の悪を救い善を勧めるためには実体としての悪を離れさせて善の側へ迎え入れるということになる。善の側とはしばしば、というか粗必ず、自分達の側であるというのが認識である。
 尤も、キリスト教には或る悪い物事に対する緊急避難ということでの「悪を離れさせる」という考え方はある。但しそれもその悪い物事を実体としてではなく実態、即ち特殊な状況としか見ない。故に或る戦争を特殊な状況として否定することはあり得ても戦争そのものを否定することはキリスト教にはない。

 ジャーナリズムも、或る日に或る所で起こっている特殊な状況を特殊な状況として見て伝えることが目的のものである。決して実体として存在し続ける悪を「相変わらずですね。」と云うためのものではない。
 そのような目的に日本のジャーナリスト等が適うようになることは可能であるだけではなく本来は向いている。
a0313715_18544111.jpg 日本の伝統宗教である神道はキリスト教の「神に造られたものは全て善である。」という信仰ととても近いものがある。少なくとも神社の佇まいには徹頭徹尾、善をしか感じない。そこで人が自由な意思と責任を新たにして世に漕ぎ出す。
 また、仏教はそもそも善悪を問わない信仰である故に、善悪二元論はない。仏教にとっての善悪とは人それぞれの生から出る煩悩に由来するものであり、仏は煩悩を解き放つ。その信仰は或る一方を善とも悪とも決めつけず或いは双方の善悪の何れをも問う公正中立や不偏不党に資し得る。
a0313715_18571870.jpg ジャーナリズムは決してキリスト教圏という特殊な世界に生まれただけの特殊な存在であって他がキリスト教圏の価値観に屈服や忖度を強いられることによってしか普及しないものではない。
 しかし日本のジャーナリズムにはしばしばそのような海の向こうへの屈服や忖度の念があるので、この陸における屈服や忖度をどうすることをもできずにいる。「今度の件」も実体として歴史的に存在する悪の派生なのでどうにもならない、詮めるしかないであろうとなる。物事を追及をする側の程にそのような傾向が強い。

 善悪二元論は日本だけではなく、歴史を権力闘争を主眼として見る歴史観を持つ国に普及し易い概念である。
 権力闘争はどの国や地域にもあるが、それが歴史を巡る関心事の最も大きなものとなると闘争し合う者やそれを支持し或いは抵抗する人々を善の側と悪の側に分けて見ることになり易い。
 権力には様々な固有性があり、何が権力というものであるかは一概にはいえない筈であるが、権力闘争史観からは権力はいつでも同じの実体であるかのように見える。それを奪る者とそれを支持する人々が勝ち組であり他は負け組であるという世相の認識もそこから生まれる。
 古くはアフリカのとんでもなく黒い地域など、植民地支配の虞に晒される地域に善悪二元論が信じられていた所が多い。日本も同じような理由がその一因であろうが、昔のものではなく今も信じられ続けているのは珍しい。例えば
安倍自民党 対 野党 というのもその一つであり、政治論がさようにも野蛮なものとなった時代は当の日本にも今までにはなかった。

 キリスト教におけるいわば最終解脱(マハーヤーナ)とは世の罪に思いを致して祈り続けることであり、思いを致すものがなくなればキリスト教の徳もなくなってしまう。
 しかし罪を作り出したり擁護してはならない。
 ――「じゃあどうしろというんだ?」と思うならば善と悪を固定的実体と見做して善の側への到達と加入を目指す二元論的発想の影響が強いということである。

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