【Freesia大特集2018年末:衣食住、そして生 】その3:「住」――住む
『その2:「食」――食べる』に続き、日本語と英語の話から。
 日本語は何故「私は神戸に住んでいる。」と言い「私は神戸に住む。」とは言わないか?
 英語は何故'I live in San Francisco.'と言い'I have lived in San Francisco.'とはあまり言わないか?
 どちらも「私の家は神戸にあります。」、'My home is in San Francisco.'と同じように言うこともできますが多くの場合は先の二つ。
 「私は神戸に住む。」とは言わないのは日本は古来から人口の移動が多くて土地との結び着きが世界に類を見ない程に弱い歴史から来るものと思われます。「住む、live(s)」は今住んでいるしこれからも住み続けるつもりであるという意志の表明の意味合いがありますが「住んでいる、have/has lived」には今まで住んでいるけれどこれからどうなるかは分からないという意味合いがあります。英語圏などの西洋にもそのように土地との結び着きの弱い人々は少なくはなく、日本語と同じような'I have lived in San Francisco.'のような言い方もあるのです。

 土地との結び着きが弱い故にバブル経済のような不動産投機の風潮もしばしば生じます。

a0313715_02204658.jpg 日本はこの三四十年程昔から「兎小屋」と呼ばれ、住宅の狭さが問題とされています。後に漸次に改善の傾向にありますが世界の相対で見るとかなり狭い。
 その理由をしばしば日本は国土が狭くて人口が多いからといわれますが実は国土の面積と人口は住宅の狭さは関係がありません。日本より狭くて人口密度の高いイギリスの住宅はおしなべて広い。
 住宅の狭さは日本だけの現象ではなく資本経済には必然の現象です。世界の凡そどの国々も資本経済が発達すると土地に値段がつくために面積当たりの価値が上がり、住宅は狭くなります。しかし諸外国の多くの国民は一度手に入れた土地や住宅を滅多なことでは手放さない、即ち他所へ引越さないので自己所有ならそこに含み資産ができ、土地の形状が変わることが少ない。日本には土地や住宅を手に入れても他所へ引越して手放す人が多い――「兎」には引越すのが早いという含みがあるのかもしれない。――ので売買や投機の機会が多くなり、その度に物件の面積が縮小されてゆくのです。
 なので高度経済成長期の前はそれ以後より戸建も集合住宅(長屋)も広い。それが経済成長と共に狭くなってゆき、近年はその傾向が幾らか逆転してきています。
 人口移動の多さは年金や生活保護、医療などの社会保障の制度による処も大きくあり、その理由を民間企業の慣行だけに見ることはできません。民間企業の慣行が長らく日本の住宅事情の悪玉と見做されていた汚名を晴らすために、近年に経済界が社会保障の改革とそのための途の一つとしての消費増税を支持しているのです。しかしそれを逆に更なる悪玉と見做す向きもあります。

a0313715_02233793.jpg 近年の横浜の港北ニュータウンの三井不動産のマンションの構造の問題など、日本の住宅がかなり昔から強度などの品質を軽視する弊があるのも子孫代々に亘る永住が少なくてどうせ遠からず引越すであろうという見込みで造られるからでしょう。  
 住宅以外の分野においてはかつては高い品質を持っていたが今は低下の傾向にありますが、住宅の分野だけは少なくとも近代の初めから品質が低い。
 但し大阪のあべのハルカスや横浜のランドマークタワー、東京のスカイツリーなどに代表される高層建築は比較的に高品質を持つ。それらの商業用建築だけではなく住宅も高層住宅の信頼性は元来は高い、術理(the technology)と技術(skills)の見せ場だからといえばそれまでですが――故にも東武スカイツリーラインなどとは国の恥である。――。港北ニュータウンのマンションは見せ場ではないのでそのようになる。密集地の木造建築等に至っては更にお粗末。

 よく十把一からげに「アパート・マンション」、略して「アパマン」と呼ばれますが、低層住宅の全てはアパートですが高層住宅の全てがマンションではありません。
 団地はマンションではないのは勿論ですが、他にもマンションではない高層住宅があり、それが『その1:「衣」――着る』の記事の冒頭にも言及した高層アパートです。
a0313715_02255644.jpg それらを分類する法的基準はないのでマンションなのか高層アパートなのか或いは低層なのでアパートと見做すべきなのか、グレーなものも多くありますが概ね高層アパートとはより厳しい品質基準により造成され、業者による各々の物件に特有の付加価値サービスはないか或いは必要最小限のもの。マンションとはより緩い品質基準を許容して業者による各々の物件に特有の付加価値サービスがより多く重視されるもの。
 見た目の特徴も高層アパートとマンションは大体は明確に違います。
 勿論、様々な業者等のそれぞれの企業努力があり、マンションは必ずしも品質が低い訳ではありません。あくまでも相対の傾向として高品質ではない、即ち万が一の危険の可能性を軽視するべきではないと見込むべきということです。故に或る意味では三井不動産は正直ですが当世に流行の自己責任の思想が過ぎると思われます。因みに三井との提携或いは合併の関係にある住友の住友不動産のマンションは高層アパート風のものが多い。
 しかし近年は大阪府などがマンションの住み替えの補助金の制度を創設し、経年劣化によるマンションの危険が懸念されてもいます。高層アパートや団地にはそのような懸念がないとはいえず、高層アパートもそこではマンションと同格に分類されているでしょうし団地は公営が多いので別枠での補助があるのかもしれません。

 鉄道の沿線の発展史を見ると、戸建分譲住宅の阪急沿線、高層アパートの東急沿線、マンションの小田急沿線に団地の京王沿線といえるかと思われます。戸建分譲住宅はどの鉄道の系列の不動産業者も多少は行っていますがどの鉄道も手広く力を入れている訳ではありませんし、その草分けの阪急も沿線の高級化と共に戸建分譲住宅は往時と比べ少なくなっており、今は系列の能勢電鉄や神戸電鉄の沿線がその主要の展開地となっています。
 その発展史の初めから概ね変わらず活況にあるのは小田急沿線のマンションと京王沿線の団地です。それらは沿線の住宅だけではなく鉄道そのものの考え方や品質の違いを現すかのようです。

a0313715_02283181.jpg '60~'70年代の「住」の時代がとうに過ぎていた'00年代に静かなブームとなっていたのは大正時代の阪急沿線の文化住宅風の小さくて高品質な戸建住宅が関東などの全国に増えたことです。
 '00年代は住宅ローンの金利が1%になるなど、デフレによる低金利のさ中。その状況を生かして文化住宅風の家が広く造られて売り出されたものと考えられます。取り分け横浜の綱島街道の浜手へ向かう曲線部に並び立つその家々は美しい。
a0313715_02300922.jpg '10年代は小泉政権の下でのデフレ好況による戸建住宅の活況は潜まり、首都圏の更なる人口の増加を反映してアパート・マンションがデフレの脱却を旗印に(?)活況。殊に川崎の武蔵小杉などの高額のタワーマンションが人気で報道にもしばしば出ました。タワーマンションのはしりは'00年代に先行して出来、商店等の数々を併せ持つ東京六本木の六本木ヒルズ。しかし今年にタワーマンションの物心両面の問題点が指摘されたりアパートを多く持つ『いい部屋ネット』の大東建託の悪質な商法が露見してもいます。
 その大東建託や「夢じゃないよ。」の掛け声が気持ち悪いコスモ石油の自動車リースなどのテレビCMのモデルの桜井日菜子はその筋――:賃貸系、広い意味ではモバゲーも賃貸物。――の宣伝ばかりに出ているためか、どうも胡散臭さが漂います。「岡山の奇跡」というのもどこか白々しい。岡山県の出身者にはB'zの稲葉浩志やブルゾンちえみなど、大物は充分に多いので何をそんなに有難がるのか意味が分からない。   
   
 今時は地震国と夙にいわれる日本だけではなく台湾やイタリアなどの地震が起こり得ないといわれていた諸外国にも大地震の数々が起こり、住宅の安全の強化は世界的課題となりそうです。
 住宅の高品質を実現して保障するためには建設業者や不動産業者の企業努力は勿論、その購入や賃借がよりし易くなる諸企業の賃金水準や社会保障の改善が必要となります。
 増税は一般に税収を低下させるといわれ、それらを実現する税収の増加のためには産業経済そのものの改善による経済成長が必要になります。決して人口が減るから経済成長はない、成熟社会の時代ということにはなり得ません。人口が減っても一人当たりのGDPが増すことは充分に可能です。
a0313715_02323175.jpg 町毎や地域毎の安全性を改善するためには一定の補償による既成の土地の接収及び移住の斡旋も要するかもしれません。鳩山政権による農家への戸別補償の政策も要はTPPを視野に入れての農地の緩やかな接収、モラトリアムに(猶予として)補償するので次の身の振り方を考えてほしいということです。鳩山由紀夫総理が後にTPPに反対に転じたのは自らの辞任と不興により戸別補償の政策の行く手も危ぶまれたからです。
 そのようなことは従来はしばしばファシズムといわれ絶対に否定されていましたがそのようなことを民生の改善を目的として試みた政権が世界のどこにもない以上はそれがナチスのようなファシズムであるかどうかは分かりません。ナチスにさえ学ぶ程の気持ちで従来はファシズムや権利の侵害などといわれていた事柄が逆に人権を実現するかもしれないものとして、実現しなくてはならないこととして検討されることを要します。移住の斡旋先は戦前戦中のような国外の植民地ではなく国内の有望な地です。

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a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_1412168.jpg●東海地方の緊急地震速報は ダイヤル1332 東海ラジオ
静岡県:FM 78.4 K-MIX


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


a0313715_15111415.png
テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

a0313715_00332621.pngFNN PRIME news evening 16.50~19.00/月~金
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# by keitan020211 | 2018-10-11 02:33 | 文明論 | Comments(0)
【Freesia大特集2018年末:衣食住、そして生 】その2:食――食べる
 「食」という語は本来は良い言葉ではありません。
 「衣」は「衣を着る」や「服を着る」と言うし「住」は「家に住む」と言い、目的語名詞と動詞が別の語なのに、「食」だけは「食べ物を食べる」と言い、目的語名詞と動詞が同じ語、即ち二重語になります。
 しかし「御飯を食べる」とも言い、ならば本当は「衣食住」ではなく「衣飯住」と言うべきかと思うのです。
 英語も'clothing, meals and dwelling'であり'clothing, eating and dwelling'ではありません。
 日本語はいつからか「飯」が男性語といわれるようになり、代わりに「食」や「食事」という品のない語が遣われるようになっています。「一食、二食…」も本当は「一飯、二飯…」です。「召し上がる」の「召し」は「飯」の語源であり、男性語ではなく普通に品位のある語です。
 食品メーカーの味の素が近年にその宣伝に'eat well, live well'というコピーをしていますが、英語はそのように言われることはなく'have your meals well, have your life well'となる筈です。御飯をすることを朝は'have a breakfast'、昼は'have a lunch'で夕は'have a dinner'と言う。決して'eat a breakfast'などとは言わず'eating'は個々の食べ物について言います。
 また、暮らすことや生きることを'living'とは言わず、'I live in San Fraicisco.'などのように住むことを言います。味の素は食品のCMに住宅の宣伝も兼ねているのでしょうか?暮らしを良くすることは'I make my life better.'など、「私は四十年生きている。」は'I have had my life for fourty years.'となり、どちらも名詞の'the life'しか遣われません。
a0313715_02033307.jpg アメリカのキリスト教の聖書に'THE LIVING BIBLE'と題するものがありますがその'living'は「生きるための聖書」ということではなく「お茶の間の聖書」です。LDKのL。イエスは「私は道であり、真理であり、命(the life)である。」と語りますがだからといって聖書の題名も「生きるための聖書/The Bible for your life」としてはキリスト教を信じなければ生きられないということになります。
 「食品」も'foods'なら「糧」と言うべきでしょう。現に「兵糧」という語が生きており「軍事食品」や「自衛のための最小限の食品」とは決して言われません。
 「食品」、'articles for eating'では食べ物のことか食器のことか分かりません。「糧」はパンと同じ'the bread'とも言い、パンはthe foodで米はthe mealという違いがあります。

 私は二十代になる'90年代には「衣」に関心があり三十代になる'00年代には「住」に関心がありましたが「食」には関心があったことはなく、四十代になる'10年代の今は再び「衣」に関心があります。
 しかし食欲がないのではなく、原始的意味における食欲は昔も今も旺盛です。但し二十代前半の頃に中性脂肪値が著しく増したのでそれからは食べる物と量に気をつけ、中性脂肪値が二十年で大きく減り、胴囲(ウェスト)は3cm増の63cm――最近はそれから1cm減で二十年前の2cm増の62cm。――に留まっています。

 近頃はそのような健康の観点からの糧についてのテレビの特集番組も増えてはいますが、'00年代から'10年代に亘り「食」への異様な関心が高まっているようです。
 そのはしりは先んずる'90年頃、バブル時代のグルメブーム。ティラミスやナタ デ ココを一とする贅沢な皿の数々がテレビやインターネットのない当時はまだ活況にあった雑誌に語られていました。スパゲティーが「パスタ」と仰々しく呼ばれ始めたのもその頃。或る一皿をパスタと呼ぶならせめてマカロニは添えんかいという感じです。
a0313715_02055635.jpeg '60年代の高度経済成長のから「住」を手にし、'80年代の再成長の時代から「衣」を手にし、残るは「食」だけということで当時の金に任せて旨いものを求め出した。
 しかしバブル経済は短期に終わり、'90年代は折角求め出した「食」への夢がいきなり絶たれたみたいな感じになり、その燻りが'90年代後半のフジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげでした』の『食わず嫌い王決定戦』などに表現され、そして新世紀の'00年代にマスコミの本格的関心になった。そうなったのは当時に始まったデフレと更に勧む円高が国民の実質賃金を維持し若しくは増加させるという期待とその期待に沿うような'00年代後半からの好景気が背景にあります。しかしデフレはあくまでもデフレなので「衣」と「住」への期待と関心が凋み(しぼみ)、代わって単価のより安い「食」への期待と関心がそれらを買い求められない穴を埋めるべく高まった訳です。つまり、この二十年に日本のエンゲル係数は増している筈です。
a0313715_02081363.jpg 低成長ならバブル時代のような金に任せるような食べ方はしない、もっと家庭的で慎ましいと思われているようですが実態はそうではありません。
 経済力の高い人はバブル時代にも増して衣食住の何れにも金を注ぎ込み、経済力の低い人は隙あらば高くて美味しいものを食べてやろうと日々の糧をけちって「食」を追求して暮らしています。富む者も貧しい者も一様に贅沢志向。経済力に見合うコスパの高さは「食」に関しても何に関してもあまり追求されてはいません。
 日本は敗戦の後遺症よりもバブル崩壊の後遺症がより大きい。故か、近年にバブル時代をモチーフにする芸がちらほらと見受けられます。安倍晋三総理に代表される極右勢力の方々の云う「敗戦の後遺症」とはバブル崩壊の後遺症の言い換えなのかもしれません。バブルの崩壊が後遺症と云うと今の人々の生活の記憶に触れて聞き苦しかろうとして「敗戦の後遺症」というより遠い時代の抽象的主題に仕立てる訳です。

 そのような背景による「食」の時代についての批判は弊ブログの過去記事にフランス人も蛸を食らう程にしています。なのでこの記事は今も続くその時代を過去のものと見做し、なるべく次に来るものを語ります。

 先ずは酒の話を。
 「食べる」の話なのに「飲む」の話になります。

a0313715_02093429.jpg 会社の宴会が自粛される傾向にある今の時代に、国民の飲酒の量も漸減の傾向にあるといいます。殊に若者が酒を求めなくなっています。若者は車も買わないといわれ、車に乗らないなら酒が呑めるぞと思うかもしれませんがそうではないようです。
 深酒は健康を害しますが、酒を飲まなくなっているならばより健康になっているのでしょうか?
 そうなっている向きもあるでしょうが必ずしもそうなるとは限りません。
 健康の基は食べる物や飲む物よりも運動を含む日常の行動のあり方にあります。しかし行動のあり方については不明な点が多い――多分中高年層よりは良い。――ですが、若者の運動能力が著しく低下の傾向にあるといいます。その点を見ると、今時の若者は昔の若者と比べより健康になっているとはいえないでしょう、より不健康になっているかは分かりませんが。

 今はまだその影響があまり現れてはいないようで何よりですが、酒を飲まなくなることによる重要な弊害が予想されます。
 それはつき合いが悪くなることではありません。つき合いはお酒だけではありません。
a0313715_02120284.jpg この二十年来の「食」の時代、特に最近十年来の『日本を、取り戻す。』の風潮から、日本の料理が内外への自慢の種としてしばしば特集されています。
 最も人気で分かり易いその種はアメリカなどの諸外国にも広まっている鮨。因みに今日10月6日は鮨の種になる魚介類も多く卸売がされている東京都中央卸売市場築地市場の閉場の日。
 鮨が何故に世界に類を見ない料理なのか?、それは生の魚介を用いるからです。
 魚介だけではなく、日本には牛刺や馬刺などの生肉の料理もあります。獣魚の生肉を用いる料理は諸外国においては殆どありません。それは生肉には食中毒や感染症の虞があるからです。日本は江戸時代からそれらの虞を取り除く技術が発達しており――戦国時代までは刺身も鮨もなかったと考えられる。――、生肉料理が普及した訳です。西洋のステーキやハンバーグなどの肉料理にレアが出来たのは江戸時代よりもっと後であり、そもそも昔のヨーロッパの一般の国民はそれらを食べてはいなかった。
 刺身や鮨を生み出したのは日本の努力も大きいけれど、その始まりは江戸時代の日本との外交が盛んであったオランダに代表される医学や衛生学の導入が大きく礎になっていると考えられます。江戸時代の町造りの骨子である風水も要は衛生学の一種です。なので刺身や鮨を専ら日本の自慢の種にするのは間違いなのです。それらが世界に広まったのは明仁天皇陛下がオランダに謝りに行ったからであったかもしれません。それだけ頭を下げれば日本料理を食べてやろうそして広めてやろうという訳です。尤も、その相手が西洋の国なら極右の方々もあまり文句を言わない。
 しかしそれだけ入念な食品衛生を以ても万が一の食中毒や感染症の虞は完璧に取り除くことはできません。故に西洋は石橋を叩いても渡らずに生肉料理を生み出さなかった訳です。

 '90年代には病原性大腸菌O-157が流行し、菅直人厚生大臣が記者会見でかいわれ大根を食べてその解決済を訴えました。'10年代の今も食中毒の虞のある物質等が幾つか新たに発見されて警告されています。「食」の時代とはいいながら、その基である食品衛生が退歩している。一頃は消費期限切れの物を客に出していた高級料亭の報に「そんなのいいじゃないか!何が問題なんだ?」と主張した識者等が続出、その頃から日本の品質は著しく低くなってきている。料理だけではなく時事問題も旨いか不味いか、即ち良いか悪いかでしか批評をすることができない。

 ――酒も良いか悪いかでしか語れない、世論。

 酒には食中毒や感染症の虞を軽減する効果があります。アルコールには消毒の作用があるからです。
 それらのような重篤の事態だけではなく、日頃は見過ごされがちな食べ物による内臓の炎症や水周りの浄化の不足、外気や住宅塵芥(ハウスダスト)などの空気の汚染による中毒症の軽減や治癒の効果もあります。
 尤も、酒を以てもそれらの虞を完全に取り除くことはできませんが少しでも軽減されることにより一命を取り留めることもあり得ます。
 酒は体に悪いといって全く飲まないで刺身や鮨、延いては焼肉や焼魚も生焼けを食べていると危ないのです――生肉や生焼けそのものは栄養の効率の観点からは体により良い。――。
 酒を飲まないならば刺身や鮨、ステーキやハンバーグのレアも食べないことを前提にしなければなりません。念のため、生野菜のサラダも駄目。実際にアメリカには生物を食べないことを前提にして酒を飲まない人々が多くいます。ドナルド トランプ大統領もその一人で、彼は日本への訪問の際にもオバマ大統領のように鮨屋に行くことはありませんでした。生物はハンバーガーのレタスとトマトだけ――野菜の多くは消毒済。――。ステーキは安倍総理の夫妻が訳知り顔でレアを取る中、特注のウェルダンです。

 フランスなどのヨーロッパの料理に食前酒の慣習が出来たのは新しいことであり、肉料理にレアが出来たから。そうではない場合にも、食前酒で肝臓を開けて慣らしておくと消化と吸収が良くなります。逆に食後酒にはあまり意味がありません。――現代の日本にはそれが多いので酒は体に良くないとされる。酒を飲む前には何かを食べておけといわれるのは誤り。――。
a0313715_02132037.jpg 若者に酒を飲むなと教えるならば食習慣もトランプ大統領などのようなアメリカの本場のものにしなければなりません。日本料理の自慢をしている場合ではないのです。

 料理屋だけではなく医者にも人々の慣習を考慮しない「こだわり」、即ち悪い専門主義の傾向があるようです。勿論、もてなされる側や診てもらう側である客も自分のこだわりに固執していてはなりませんが専門家に求められるのはこだわりではなく客の喜びです。日本以外の世界の何処に「こだわりの店」があるでしょうか?日本ブームもいつしか見放されます。   
    
●Freesia 2018-2019 特選の糧

 弊ブログは11月~10月を一年度としています。
 この【Freesia大特集2018年末】を出しているのは10月が私、弊ブログの年末であるからです。私は一足お先に来年です。
 年度には様々な切り方があり、よく知られる4月~3月の年度は財政年度と商業年度。政府の歳入と歳出が4月~3月で決算されるために民間企業もそれを踏襲して商業年度とされています。企業と政府は法人税や消費税でつながるからであり、今話題の加計学園などのように企業が政府に便宜を図ってもらうためではありません。
 しかし同じ企業にもそれとは異なる年度があり、製造業の製造・技術部門は1月~12月を一年度とし、それが工業年度です。電機製品などに「'18年1~6月製」や「'18年7~12月製」と記されるステッカーがあるのはそれが見て取れるもの。
 10月は神無月と、出雲国を前身とする島根県は神有月と称され、全日本の神々が何かのla grande finaleの如く出雲大社に集まると云われる月です。
 因みに私がツイッターでフォローしている歌手の石飛まりなさんは島根県の出身で神有月を紹介するツイートをされてもおり、是非観てあげて下さい。
 そんな訳で、弊ブログは来月には'La Freesia 2019'に題名が更新されます。私のこのブログとツイッターも宜しくお願い申し上げます。

 通常の弊ブログは【Freesia料理】の記事等があり、私の作っている料理の数々を紹介しています。
 この記事のここからは、料理の材料に焦点します。
 ここでもテレビや新聞などが近年にしばしば遣う「食材」という下品な語は遣いません、「料理の材料」や「御飯の材料」、「飯の種」であり、それが「糧」の素です。
 「食材」の語は素人を玄人気取りにさせるような響きもあり、安倍総理夫妻のような訳知り顔を煽りもします。食べ物を大切にする人なら決して遣ってはならない言葉です。

 「飯、上がりますか?」――出来る女子はこう言います。
 「飯、上げさせていただきます。」――出来る料理人はこう言います。作りながら食べてみるので「-いただきます」。
 「御飯かましてよかですか?」――衰えている人はこう言います。
a0313715_02162200.jpg 関係ないけどテーラー スウィフト、かわいいですね。でも私はテーラーとドナルドの両方を応援します。'You won't see any candidates whom you can see 100% of your agreement.'<ANN報道ステーションの報の日本語の字幕を英語に再訳。本人の口上と一致するかどうかは分からない。>。

 ――それが正にですね、料理の肝でもあります。
 100%同意し得る材料、調理に味つけはなかなかありません。
 そうであればこそ、「こだわり」などはあり得ないのです。
 日本とアメリカの民主党を支持する私が先のアメリカ大統領選挙ではトランプ氏を推さざるを得ないと思うように、料理にも「捻じれ」というものがあります。しかしその捻じれを著しい捻じれ、即ちちぐはぐと感じさせない、それが料理の要諦です。ヒラリーの料理なんて如何にも気合を入れている割に不味そうでしょう。私なら余程にビル クリントンの料理をいただきたいと思います。
 食べ物は政治理念(イデオロギー)のようにすっぱりとゆくものではない。人の体は状況による違いはあれどその基は皆同じです。しかしどう同じなのかは素人はもとより専門家にもなかなか分かりません。何を食べれば良いのかは手探りをして見出してゆくしかありません。その手探りこそが「何を着ようか、何を食べようか、それらは皆、神が加えて与えて下さる。」ということです。ヒラリーの民主党にはそのような姿勢が感じられません。それが全く感じられないヒラリーの民主党と曲がりなりにも感じられるドナルドの共和党を選べと云われれば、後者しかあり得ません。
 尤も、歴史を見ればそのようなヒラリー主義を生み出してきたのは共和党であり、ドナルド主義を生み出してきたのは彼もかつて支持していた民主党です。どんな調理や味つけによってもごまかせない致命的捻じれがそこにはあります。材料そのものが農薬や違法無効な加工術に汚染されているからです。

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■NEWS of the WORLD


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    ●AFP(フランス パリ)
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    ●ル フィガロ(フランス パリ)
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    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
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    ●共同通信(日本 東京)
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    ●朝日新聞(日本 大阪)
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    ●日本経済新聞(日本 東京)
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    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
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    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
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    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
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    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
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    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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# by keitan020211 | 2018-10-11 02:17 | 文明論 | Comments(0)
【Freesia大特集2018年末:衣食住、そして生 】その1:衣――着る
 「衣――着る」、い――きる、生きる。
 衣(ころも)を着ることは生きるということなのかは分かりません。

 衣について語る前に、先ずはこの大特集の主旨を説明します。

 現代は衣の時代、食の時代と住の時代に大きく分けられるかと思います。

 先ずは住の時代――昭和30年(1955年)の頃から日本は戦後からの復興と経済の再成長の拠りどころとして先ずは住処、住宅の発展が国民の懸案となりました。
a0313715_01121642.jpg その際に初めに出て来たのは高層アパート。建売戸建、低層アパート(長屋)と戸建分譲住宅――:阪急の文化住宅など――の三種の住宅があった戦前が、戦後は新しく高層アパートが出来た。昨年2017年に廃止された東京渋谷の宮益坂の高層アパート、宮益坂ビルディングはその頃1953年に建ったものであり、歴史を物語るものとしてテレビ朝日のサンデーステーションにもa0313715_01160819.jpgその廃止が特集として報じられました。以後、渋谷を拠点とする東急電車の沿線を主として各地に高層アパートが出来る。しかし当初の家賃の高さなどから、この高層アパートという住宅の様式は全国にあまり広く広がりはせず、代わりに広く普及したのは仕様と家賃に幅のあるマンションと呼ばれる高層住宅です。詳しくは『その3:住――住む』の記事に述べますが、それに始まって現代の日本は’60年代から’80年代までの三十年は「住」が国民の主要の関心事でありました。

 「住」が凡そ満たされてきていると認識されていた――逆にまだ劣っているとの意見も少なくなかったがその点についても『その3:住――住む』の記事に述べます。――'80年代から新たに国民の主要の関心事になったのは「衣」、この記事の主題です。
 それに先行して'70年代にもベルボトムのパンツなどが語り草になっているように、「衣」についての関心が高まり出していましたが、一部の「時代に敏感な」人達の趣味の性格が強く、国民的関心という程になってはいません。そして’90年代、20世紀が終わるまでの二十年は「衣」の時代でありました。

 これも一部の「時代に敏感な」人達の間では大方の国民がまだ「衣」の時代にあった'90年代から関心が高まり出していましたが、20世紀が終わり21世紀に入って新たに国民の主要の関心事となり出したのは「食」です。
 「住」の時代が三十年、「衣」の時代が二十年、では「食」の時代は十年で2010年頃には終わるかと思いきや、「食」の時代は'20年代を迎えようとしている今2018年もまだ続いています。

 住、衣そして食――現代の時代の関心事は重いものが軽いものへ、腐りにくいものが腐り易いものへ、変遷しているといえます。日本の現代だけではなく、その順番は世界の歴史に凡そ遍く見られることです、無論その内容には大小優劣様々な違いがありますが。歴史の教科書は先ずパルテノン神殿や竪穴式住居などという建築物についての話から始まります。それらの出来た時代には着るものや食べるものが多様化してはいないとされます。
 今の日本はより軽くて腐り易いものに関心を持っているともいえます。
      
 一部の「時代に敏感な」人達と大方の国民のそのような認識の違いは何から出るのでしょうか?

 「衣」の時代は前者が'70年代に始まって後者が'80年代に始まっている。大方の国民は十年遅れているかのように見えます。
a0313715_01220799.jpg しかし実はもっと根源的で深い関心は大方の国民が先行しており、「住」の時代にあった高度経済成長期の'60年代に既に「衣」についての関心が広がりつつありました。
 しかし関心を持ち始めてはいても、市場がそれに追いつかない。供給が需要に追いつかない状況が十年程続き、'70年代に市場がやっと重い腰を上げ始め、更に十年後の'80年代に漸く供給が関心と需要に応えられるようになっているのです。
 '70年代に時代に先行していた人達は市場の実験台になるような特有の立場にあった人々です。
a0313715_01255188.jpg 時代の実験台になるような特有の立場とは大雑把にいえば、'60年代の高度成長に乗り遅れている時代遅れの「かわいそうな」人々。彼らは高度成長を現実(リアル)に支えて来た人々ではなく、我が国の同時代を生きている人々とはいえないので、その遅れをキャッチアップするだけではなく高度成長を支えてきた同時代人を「見返す」ような箔を着けてあげようとする企画者が市場におり、その実験台になる。
 '70年代に特有の「ワケあり感」はそのようなキャッチアップと箔着けから来るもの。
 この記事はそれが良いか悪いかを問うのではなく――それを読みながら考えていただくのは構いませんが、――そのような流れが現実に存在したことを語るものです。
 弊ブログの大まかな論調はそのような'70年代的なるものには否定的なので、どちらかといえば「我が国の同時代」的生き方を奨めるものですが、近年は'70年代的「ワケあり感」を独特の形で取り込むことにより今までとは異なる新しい「我が国の同時代」を作り出そうとする安倍政権の時代になっているので単純に「我が国の同時代を生きるべし」と云うと誤解を招く虞があります。
 「衣」の時代がより深まって来ていた'90年代に、なべやかんの替え玉事件などの不祥事が起こりました。
 それは'70年代的キャッチアップと箔着けが二十年を経ても営々と続き、衣だけではなくそちらも爛熟の極に達していたことを物語ります。鉄道車輛のステンレス車体が著しく増え出したのもその頃です。更に二十年を経、今度は医科大学の男子受験者の水増合格の事件が起こっており、'70年代から四十年余りを経てもその「文化」は留まる処を知らずにいます。

 そして今'20年代を控える'10年代、国民の需要に基づく「我が国の同時代」と一部の遅れている人達の「キャッチアップと箔着け」の違いが曖昧になっており、それらが混然一体の風俗を醸し出しています。 
 
 何故、キャッチアップと箔着けにより同時代人を「見返させてあげる/見返す」動きが起こるのでしょうか?

 それは日本には文化がないからです。

a0313715_01302649.jpg 近年はやたらと意味も分からずに「文化」と言う人達がテレビや新聞などにも目につきますが、そんな浅ましい「文化/bunka」ではない歴史的伝統的、そして程良く近代主義(le modernisme)の盛り込まれた文化(la civilisation)があれば同時代に遅れていることは問題にもなりません。早かろうと遅かろうと文化を身に着ければ一介の市民(de citoyens)として恥じない存在になれるからです。文化とは市民として必要最低限の知識や心得を身に着ける/教えることです。
 文化のない処に「同じ日本人」の意識を持たせようとすれば、質としては異質でも値段または知名度としては引けを取らないかそれ以上の風俗(culture)を身に着ければ同時代人を見返し若しくは上回ることができるという動機(モチベーション)になります。いわゆる「マウンティング」の風がそのようにして出て来ます。それをしている人達にとってはマウンティングをして威張る位が丁度好い平等なのです。つまり、ベルボトムはマウンティングのネタであったのです。――「ほら、こんなに裾が広いぞ!」。
 因みに、昨今にネット右翼やパヨクと呼ばれる人々はそのようなキャッチアップと箔漬け、そしてマウンティングにより育った人が多い。彼らのブログやツイッターなどの論理体系を観ても、ネット右翼やパヨクはその三種の神器に貫かれていると見て取れます。'70年代を直に知るネット右翼やパヨクは還暦以上の高年であり、直には知らないがその影響の下に育った人々が若いそれらです。
 パヨクは高年層に多いといわれ、ネット右翼は中年層に多いといわれますが、今の中年にとっては'70年代は自分が生まれて物心が着き始めた時代、私にとっても物心が着いた1979年(昭和54)年は「あーうー…」や「会社は永遠です。」、「江川通れば道理引込む。」などに彩られた特別な年ですが、40代後半にとってのそれは正にベルボトムやヒッピールックの時代。
a0313715_01344056.jpg または、和服と呼ばれる日本の伝統衣服も、殆どは時代に遅れている人のキャッチアップ、箔漬けとマウンティングのネタとしてしか用いられていない現実があります。櫻井よし子など、テレビや新聞、雑誌などに和服を着て出る人はどこか胡散臭いのです。和服と呼ばれるものを纏ってすることの多い演歌にもそのような性質があります。演歌を知っておれば恥ずかしくない若しくは大威張りが出来る。それは決して時代を担うことではない。

 テレビが普及した'70年代から続くそのような三種の神器の風潮を'90年代に引繰り返すことに幾らか成功した、引繰り返したと言うと物々し過ぎるならば是正に幾らか成功したのはZARDです。

a0313715_01362657.jpg ZARDは日本文化(Japanese bunka)となって久しいキャッチアップ、箔着けとマウンティングを一切も含まない歌々を世に出した音楽人です。
 また音楽だけではなく、'90年代に爛熟を見る「衣」の時代の一端を主導してもいます。
 ZARDと並びその時代の音楽の代表とされるB'zはその「衣」を含め、それら三種の神器を若干含むものですがZARDは全く脱却しています。脱却というか、初めから無関係にその視聴覚を形成しています。
 ZARDにはどこか'60年代の高度成長の時代を思わせる力と'80年代の再成長の時代を思わせる技があり、'70年代的なるものは絶無です。
a0313715_01384271.jpg '70年代の再来ともいわれ経済成長率の低下した'90年代に、'70年代を繰り返さない。――そんな志が感じられます。志はあくまでも志で現実がどうなるかは分からないし、現にZARDの時代から四半世紀を経ている'10年代、そのようになってはいませんし、それがあくまでも「幾らか成功」という所以です。何よりも本人が志を捨てたならばそうなる筈もありません。

 '80年代の音楽はマウンティングという'70年代に出でてこの'10年代にそのボルテージを見るものはありませんでしたが、キャッチアップと箔着けの風はまだ残っていたと見えます。私は'80年代の音楽やその他の風俗をこよなく好みますが、その点はどうしても旧い、これからの時代にはあまり生きないものと思わざるを得ません。
a0313715_01400616.jpg 例えば松田聖子の『青い珊瑚礁』を見ても、朝日新聞の珊瑚事件を予言するものなどというトンデモ論ではありませんが――否、強ちそうではないともいえない。「松田聖子の歌の切ない心を傷つけてみたら案の定非難されました。」というスタンドプレーのようにも見える。――、「南の風に乗って走るわ」は、「南」が今の現実とは異なる所を象徴する言葉で、そこで独特の功を成すことにより凡百の日本人を見返してやるという動機を詠うものとも解釈し得ます。
 因みに、私は『青い珊瑚礁』とZARDの『揺れる想い』が音的に酷似し、詞的には発展形をなしているものと思います。「あー、私の…」と「揺れる…」がぴたりと重なり合います。その発展とは正にマウンティングに加え、フォローアップと箔漬けを脱するものを示すということです。

 音楽はその演じ手が音盤のジャケット写真や公演の舞台の衣装にも力を入れることからして衣食住の「衣」との結びつきが強くあるといえます。
 '50年代、'60年代、'70年代、'80年代、'90年代、'00年代に'10年代――それぞれの時代の音楽人らの衣装を見ると各々の違いもあるものの、時代による違いが明確に見て取れます。
 '50年代は、国民の多くが戦後の復興のさ中で貧しくあった頃。音楽人らの着る物は取り敢えず立派な服を着れれば良いという復興の課題を示すような趣。
 '60年代は、高度経済成長に入り、より豊かに、より華やかにという夢が価値として加わったような趣。特に典型のスーツやドレスを纏う者が多く、基本形としては堅く形式的。
 '70年代は、低成長と世界秩序の動揺の時代。未知への不安感もあり、国民の共通の課題や夢というものはなくなり、個人や仲間の趣味を形成してそれを守ろうとする趣。
 '80年代は、思いの外に舞い込んだ再成長の時代。もうなかろうかと思われていたことがあるという機会(opportunities)が世に現れ、「衣」もしれを反映して更なる多様化と高級化が勧む。
 ’90年代は、再成長の終わりと再びの低成長で、多様化と高級化に抑えが掛かり、「衣」にもその限りでの深まりが見られた時代。また、商品よりも店、即ち着ることだけではなくその前段の視ることや買うことへの関心が高まった。
 '00年代は、20世紀末までに万事の粗方の着想(ideas)が出尽くしたとの感から既存のもののあり方や意匠を改良して再生(recycling)することが多くなった時代。更なる低成長の予想から、単品の価格を抑えて予算あたりの点数と価値を増す「コスパ/cost performance」が追求された。
 '10年代は、新しい着想のない'00年代の倦みを晴らして何か新しいものはないかと隙あらば探し求める時代。特に自国日本についての関心が高まり、「日本らしさ」を訴えるものが最新の方法を用いて作り出された。

 先述のように、'60年代~'70年代は「住」の時代で'80年代~'90年代が「衣」の時代、'00年代~'10年代は「食」の時代なので、「衣」との結びつきの強い音楽、即ち「音」が発展したのも'80~'90年代。殊に自動車においてはその時代に音の静かさまたは音の良さが追求されていました。加えて車室の音響装置も多様化し高級化しています。
 '60~'70年代の「衣」は「住」の時代を反映し、住宅に相応するような、即ち家の豊かさや貧しさを現すような服であることが多い。'80年代からはその相応が良きにつけ悪しきにつけ崩れ、衣は住を現さなくなってきています。名が体を現さなく(?☆)なってきてもいます。
a0313715_01442598.jpg '00年代~'10年代の「衣」は「食」の時代を反映し、服が自分の食欲を現すようなものになっています。地味な衣を着る人はそれだけ食欲が強くはなく、何にせよお洒落をする人は食欲が強い。自然色と人工色の違いも自然食と人工食の違いを反映するかのよう。私は「食」への関心はあまりありませんが食欲は強く、食べるものも着るものも自然に近いものが多い。しかし、再成長で景気の良い'80年代は意外と着るものと食べるものとが相応せず――当時を知る人々にとっては少しも「意外と」ではありませんが、――、お洒落ならば食欲が強かったり「食」への関心が強かったりとは限らない。景気の良い時代は経済力の自分の関心事への特化がより可能になり或いは特化せざるを得ないので衣食住の均衡というものが良くも悪くも偏ることが多いのです。今の時代は経済力が衣食住やその他の全てに亘り絶対的差を生む傾向にあるといえます。

a0313715_01461403.jpg 「食」の時代で「衣」への関心は然程に強くはない今の時代に、フジテレビの『めざましテレビ』のお天気の阿部華也子さんが毎朝にファッション誌『CanCam』との提携により着せ替えショーをしています。私はそれがいつも楽しみですが、阿部さんの姿と共にその衣装の銘柄と金額が字幕で表示されるのは一時代前'00年代のコスパの時代のパラダイムであり、今'10年代のパラダイムには与しないという強い意志が感じられて嬉しい。
 実は『めざましテレビ』に先行してテレビ朝日の『グッド!モーニング』がその三人のアナウンサーによる『今日のOggiスタイル』という一こまをしており、それが報道番組による着せ替えショーの元祖ですが、銘柄を紹介しても金額の表示はない。その『今日のOggiスタイル』もそれなりに好きな時間ではありましたが金額を云うことを卑しむ価値観の反映にも見え、阿部さんが勝ると思います。
 しかし『めざましテレビ』は一方では「食」に関する特集も多く、『グッド!モーニング』はそれが少なく、それが『グッド!モーニング』の好感する点です。テレビ朝日は元々『おかずのクッキング』や系列のABCテレビの『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』という名門の料理番組があるので他局等の程にはそもそも「食」を追う必要がない筈なのですがそのテレビ朝日もフジテレビなどの真似をして「食」についての番組や報道の特集が多いのは如何なものかと思います。『めざましテレビ』だけではありませんが、『めざましテレビ』の出演者等は『イマドキ!』の若い女子達と立本信吾アナウンサーを除き、食べ方が汚いのも由々しい。何も食べない阿部さんと食べ方のきれいなイマドキ女子達だけが品位がある。それと、番組の始まって以来の生え抜きの軽部真一アナウンサーもあまり食べることがありませんし、食べる際の食べ方も他の方々よりきれいです。永島優美アナウンサーは他の点は良いですが食べ方が汚いのが残念です。特に口に食べ物を入れながら喋るのは論外です。

 '10年代は'90年代に一度は脱した'70年代様式が幾らかの趣を変えて再生していると見えます。
 低成長の故か、衣が住を現し更には食をも現す、経済力による絶対的格差の現出が'70年代から四十年振りに傾向になっている。それが仕方ないというのではなく、寧ろ望ましいという向きさえある。
 音楽人の衣装も、'70年代の人気であった革ジャンパーが再び増えている。尤も、当時の程には小汚い感じを醸し出してはおらず、今は真新しくて小ぎれいな革ジャンパーです。世界の潮流から見れば、獣の皮を使う衣は避けるべしとされており、今の日本の潮流は世界のそれに逆行しています――それでも靴だけは世界も獣の皮を使うのが当たり前ですが、――。アメリカにもロシアにも革ジャンを着る音楽人や俳優は殆どいませんし、ヨーロッパのそれらにはとうの昔です――それでも「外交の安倍政権」なんていえるのですかね?――。
 パンツの裾は’70年代のベルボトムのような広いものとは逆に、裾の絞られたスリム型が増えています。音楽人の衣装だけではなく業務服にも裾が細くてタックのないパンツが圧倒多数になっています。'80年代や'90年代はタックのあるストレートのパンツが殊に男子の服の主流でしたし、ZARDの坂井泉水のデニムパンツにも見られるように――デニムパンツにはタックはありませんが、――女子にもストレートのパンツが主流になっていました。今やタックのあるストレートのパンツを見掛けると後光が差す程に好感します。タックなしスリム、それだけが経済力の差を埋める世間並の証になっているかのようです。元々はそれをはやらせたは'00年代の2004年に始まったテレビ朝日の『報道ステーション』の司会の古舘伊知郎であり、あの古舘さんも良いことだけではないという感じです。彼がその12年の間に徹底してタックなしスリムを固守した故にそれが圧倒多数になってしまったのです。
 タックがないことと形がストレート(真直ぐ)ではないことはそれだけ低い技術での生産が可能なので、タックなしスリムが主流になっていることは技術力の低下の証でもあります、それが日本の技術力の低下なのか中国の技術力の未発展なのかは分かりませんが。
 スリムパンツはそのシルエットを前後から見ると縫製が曲線になされているかのように見えるので一見は技術が高いかのように見えますが実はどちらも二枚の布を真横から真直ぐに合わせて縫い合わされるものであり、縫製の技術はストレートパンツと違いません。縫製機に置く向きはどちらも同じで、前後で二枚の布の形が違うだけです。布の形を切り出すための技――多くは手切り。――は曲線に切るのは直線に切るより易しい。つまりスリムパンツの人気は技術力の低下――経済大国日本の没落とグローバル世界における新興経済国の増加――に合わせるための苦肉の策に過ぎません。処が、技術の水準をそのように低い方に合わせることにより、全体の格差よりも寧ろ低い層における格差が拡がっています。それだけの低い技術をもより良く出来る人々と碌すっぽできない人々がいるからです。寧ろ要求品質、即ち課題が低くなる程にそれに取り組む姿勢と成果には差が生じます。故にタックなしスリムパンツの品質も遠くから見れば皆一様に見えてもよく見ると大きな格差があります。

 そんな中、或る人々にとっては好ましく、或る人々にとっては好ましくない「衣」の状況が'10年代の今に見て取れます。私はそれを条件付で好ましい傾向と思います。
 それは女子におけるスカートが再び増えていることです。
 スカートは「衣」の時代が深まりを見せた'90年代から急速に減っていました。それが'00年代や'10年代の前半も続いています。
 '20年代を迎えようとする今になってスカートを着る女子が増えています。『めざましテレビ』の阿部さんもスカートが多い。なのでその傾向は'20年代を先取りするものといえるのかもしれません。
a0313715_01501022.jpg それが分かり易く見て取れる例は'90年代からUNIQLOを展開して'00年代からGUを展開――全国におけるブレークは'10年代、きゃりーぱみゅぱみゅの『ファッションモンスター』の唄のテレビCMの頃から。――するファーストリティリングの売り筋です。スカートの激減していた'90年代に始まったUNIQLOは今もスカートの品揃えには消極的ですが同社のもう一つの銘柄であるGUはスカートを積極的に品揃えしています。そのGUが'10年代に出て今を時めく中条あやみと共に、反スカートの'90年代を代表する女優の一人である内田夕紀を宣伝のモデルにしているのは示唆的です。
 低成長により、スカートは着る機会の割に価格が高くて割に合わないという感じから減っていたのでしょうが、GUは低価格高品質のスカートを多く売り出すことによりスカートを三十年振りに再び普及させています。そのGUに触発されてか、他のより高価格な衣料業者等もスカートに力を入れ始めているようなのです。
 内田夕紀がスカートを着るようになる。――それが只今の大きな時代の地殻変動なのです。
 あまり大きな声では言えませんが、今もパンツのみを三十年も墨守している女子は聊か貧相に見えます。しかし既に安倍総理のいる風景が常態となっている竟数年前まではそれが常識、「スカート?斬新ですね…。」といわむばかりに当たり前の風景でした。


 私の衣の好みは弊ブログの前の記事等にも紹介しているように、以下です。

 ['70年代] 不詳

 ['80年代] 銘柄:McGregor(アメリカ)
      様式:アメリカのアイビーリーグ風の様式が主。当時に流行のスタジアムジャンパーを一とし、シャツ、トレーナーにデニムパンツ(ジーンズ)を合わせるのが多い。パンツには吊帯(サスペンダー)が必須。
 銘柄ではないが、鳩山由紀夫総理――彼は当時は自民党で当時の私も自民党を支持。――の出身校であるスタンフォード大学のエメラルドグリーンのトレーナーの上下を寝間着にしており、それが特にお気に入り。

 ['90年代] 銘柄:POLO RALPHLAUREN(アメリカ); CHAPS RALPHLAUREN(アメリカ); LEVI'S(アメリカ); 横浜元町スミノPORTLAND(日本); REGAL(アメリカ); UNIQLO(日本); 三陽商会(日本); オンワード樫山(日本)
      様式:'80年代からのアイビーリーグ風も一部に残存していたが、'90年代はユダヤ系が強まる。
 ラルフローレンは学校にはやっていたが私は専ら私服での愛用で、学校では無名銘柄のシャツや学校指定のポロシャツを着、その辺りは一線を画したい感じ。また、POLOだけではなく同じラルフローレン氏のCHAPSも広く取り入れ、近年まで現役。しかし、今はRALPH LAURENには然程に興味がない。
 PORTLANDは白地に紺の線、金色の釦のカーディガンや現色緑のポロシャツが当時のお気に入りで、最近に久々にPORTLANDの赤青ストライプの七分袖のシャツを見つけて迷わず買う。
a0313715_01535908.jpg LEVI'SやREGALも'90年代から長いこと買っていなかったがLEVI'SはBOOK OFFで当時と1インチしか変わらない(27が28に。)寸法のベージュのデニムパンツを見つけ、REGALは近年に三井アウトレットパークで久々に朱色スエード調の靴を見つけて愛用。
 その他、LEVI'Sのデニムパンツやデニムジャケットを軸とするZARDの衣装を真似る。それにど根性ガエルの白Tシャツを合わせていたこともある。
 '90年代末はUNIQLOを取り入れ、当時に流行のフリースにチノパンツが増える。
 業務服はオンワード樫山と洋服の青山のスーツが主。'00年代の民主党の政治家に多い炭地に白の縦縞のスーツを愛用。

 ['00年代] 銘柄:UNIQLO(日本)
a0313715_01562245.jpg      様式:'00年代は粗UNIQLO一色。独り暮らし――:名古屋と横浜――を多くした故か、衣にも食にも関心が薄く、主に住に関心。名古屋の気風に倣い、本も殆ど読まない。それが寧ろ本を読むことの真の意義を悟ることにつながる。簡素で快適な暮らし方の価値観がそれを通して強まる。真似していたのではないが、自分の姿のイメージは吉田羊。

 ['10年代] 銘柄:GAP(アメリカ); ZARA(スペイン); GU(日本); H&M(スウェーデン); UNITED ARROWS(日本)
      様式:先述の'90年代との再会もあるが、新たにそれらが加わる。
 GAPなどのアメリカ西海岸の様式は'90年代にもESPRIT――今はニットが1着。――などを通して少し知っていたが、東海岸様式を専らとしていた子供の頃と比べ西海岸様式が増えている。但しGAPは靴だけは美しいが持たないので要注意。特にアメリカなどの西洋にはよくある部屋履がそのまま日本にも外履と一緒に売られていたりするので慣習の違いの認識を要す。
 ZARAは埼玉県民の勝負服といわれるそうだが、神奈川県民の私にとっては普段着として落ち着く服。
 GUはほんまに様々という感じ。H&Mは私がスウェーデンで唯一の好きなもの。
 UNITED ARROWSが逆に特急レッドアロー号のような勝負服かも――テレビCMは吉高由里子。――。
a0313715_01584973.jpg '90年代のZARDに代わり、今は波瑠を髪形から真似ている。それらの銘柄で波瑠に似合うのはGUとH&Mか。波瑠は知らないくせに日本を取り戻したがる今'10年代の気風とは一線を画し、低成長の'90年代と'00年代の良さ、更に高成長の'60年代を併せ持つ機微に富む緩やかさが魅力。

 何れにしても多い色は:ベージュ;灰色;桃色;紺色;水色、それが私の五大色、加えて橙色と緑色の七大色です。
 色遣いについては、一般に色の数の少ないのがお洒落の要といわれ、殊にイタリアにおいてはその要を守る人が多いそうです。
 しかし私はそれにはあまりこだわることはないと思います。
 日本人は何でも何かを知ると聊か極端に追求する癖があるようで、イタリアのそのようなお洒落の要なんかも日本人の一つ覚えで頭に爪先まで同じ色や質感で固める人が少なくない。そうなるとさすがにださいといわれることはないかもしれませんがどうも恐い感じがします。垢抜けると言って肌が垢すりで傷ついているかのような感じ。殊に今'10年代のお洒落に力を入れているらしい人には人相の恐い人が多い。昔とは違い、金の力を誇示しているかのような感じもする、車に喩えるとトヨタのアルファード/ベルファイア。マスコミが今時は人それぞれの時代ということで国民の衣装には注目しなくなっており、誰も見てはいないのに力を入れているのがそのような恐さを醸し出すのかもしれません。そんな中、『めざましテレビ』の阿部さんは見る人もおり、貴重な存在です。
 但し近年の良くなってきている傾向は'90年代までは多く見受けられた黒ずくめが少なくなり、もっと多彩な色柄が好まれるようになっていることです。黒なら賢く見えると思っているのでしょうが、私などのような賢い人から見ればあまりそのようには見えません。
 '90年代までは黒い装いが多く好まれていたのは本当は衣装には関心がないのに周りには関心の高い人々が多く、埋もれないようにするためであったと考えられます。しかし、今は良くも悪くも人それぞれの時代になっているので黒で固めなくても埋もれることがなくなったのです。

 衣は第二の肌ともいえる重要なものですがええ加減なものも最も多い分野です――本よりは少ないかな?――。お洒落も大切ですが他の物と同じく、品質が第一。物心の両面で持ちの良い物を選びたいものです。

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# by keitan020211 | 2018-10-11 01:59 | 文明論 | Comments(0)
小田急電鉄は車輛の小型化で速度の向上と混雑の緩和を図るべし ●小田急沿線が人気沿線である驚きの理由
 今年の春に小田急電鉄のダイヤが改正されて半年になる。
 長年の取り組みであった代々木上原(東京都渋谷区)~登戸(川崎市多摩区)の高架複々線の工事が完成したことによるものであり、それにより当該区間の混雑率が200%程であったのが160%程に緩和されている。それだけでも大きな効果になっていることは確かである。

 それに併せ、2000年代に多摩唐木田を出て東京メトロ千代田線に乗り入れる多摩急行を導入するなどして利便の向上が図られていた多摩線の運行が更にアップデートされ、多摩急行に代わり東京新宿行の快速急行――:休日――と急行――:平日――が新たに運行されている。それにより従来は京王電鉄の事実上の独占にあった多摩~東京の輸送における小田急の存在を高める試みである。

●鳴り物入りの高架複々線も、まだ冷やか

 しかし満を持して行われた高架複々線による新体制の実際は期待されていたより芳しくはない。

 多摩線の急行は通勤時には通勤急行となるが、その通勤急行の乗車率は高くはなく、多摩市街の多摩センター駅や永山駅の利用客の数は殆ど増えてはいない。
 新百合ヶ丘駅の唐木田行急行の下車客の数もまばら。それは東京方面の急行の停車駅で来た列車が「唐木田」と表示されているだけでどこへ連れて行かれるか分からないので乗らないという客の判断がされていることによるものと推測し得る。何しろ唐木田の「唐」は「毛唐」の「唐」でもあり「唐変木」の「唐」でもある。「毛唐」も「唐変木」もWindowsの漢字変換には出て来ない。
 先ずそれだけを改善するなら、列車の行先表示と案内を「唐木田」ではなく「多摩センター方面 唐木田」とすることが考えられる。そのダイヤ改正により廃止された多摩急行は列車名に「多摩」が付くだけに分かり易く、地下鉄千代田線との乗入の効果もあり、今の多摩線の急行より高い乗車率があったという印象がある。或いは列車名を多摩急行に戻すことも考えられよう。
 小田原線の東京新宿~新百合ヶ丘の利用客の多くはは唐木田がどこにあるのかを知らなくても多摩線があることを知ってはいる。「多摩急行 唐木田」と「急行 唐木田」では分かり易さが違うのである。
 多摩線の利用客の伸びがないのはそれらの問題に加え、広告宣伝の拙さもあると思われる。何を伝えたいのかが分からない。平たく言えば、やる気の感じられない宣伝である。小田急電鉄は平日の夕刻に番組の提供があるTBSテレビを主としてテレビCMもあるがやはり何の宣伝なのか分からない、それでいて何か凝っているようではある、平たく言えば独り善がりな広告が多い。提供先のTBSの体質にも似ている。

 実は、小田急は昔はそんなやる気がなくて独り善がりな企業ではなかったということが以下の論からも分かる。いつしか時代が先進的優良企業であった小田急を変えてしまった、それが宿願の高架複々線の完成を見ても猶続いている。

●車輛を17m3扉の12両に

 小田急電車の車輛は一般車の全てが20m4扉で特急ロマンスカーに用いられる特別車は車体長がまちまちで扉の数は1扉である。

 因みに全国の大手鉄道の一般車の車輛は以下。

 西鉄:19m4扉;19m2扉
 近鉄:20m4扉
 京阪:19m3扉
 阪急:19m3扉
 阪神:19m3扉
 南海:20m4扉
 JR西日本:20m4扉
 名鉄:19m3扉
 JR東海:19m3扉
 京急:18m3扉
 相鉄:20m4扉
 東急:20m4扉
 小田急:20m4扉
 京王:20m4扉
 西武:20m4扉
 東武;19m3扉;20m4扉
 京成:18m3扉
 東京メトロ:17m3扉;19m3扉;20m4扉
 JR東日本:20m4扉

 関西には19m3扉が多くて関東には20m4扉が多い傾向が分かる。

 ここで注目すべきは東京メトロ、旧営団地下鉄の車輛。
 東京メトロが関東の主流と同じ20m4扉を用いるのは意外と少なく、小田急と直通の千代田線、東急東横線や埼玉高速と直通の南北線、東急東横線や西武池袋線、東武東上線と直通の副都心線、東急田園都市線や東武伊勢崎・日光線と直通の半蔵門線、西武池袋線や東武東上線と直通の有楽町線の5つの路線だけ。
 日本最古の銀座線や丸ノ内線は16m3扉で東武伊勢崎線と直通の日比谷線は19m3扉である。
 日比谷線は前は東急東横線とも乗り入れていたが東急電鉄の全ての駅における乗場扉、いわゆるホームドアの設置のために乗入が廃止されている。乗場扉は列車の車体長と扉の数が合わないと設けられないためである。

 実は、小田急もその東急東横線と同じことをすればよいのである。
 但し車体長と扉の数は逆で、小田急がより短く少なく、銀座線や丸ノ内線と同じにして地下鉄千代田線が現行のまま。それで、小田急と地下鉄千代田線の乗入は廃止。
 来年には皇太后陛下になる皇后陛下もその願いを奏したように、乗場扉、いわゆるホームドアの普及が待たれている――「ホームドア」という語は英語にはない。「乗場扉/the boarding gates」に改めるべき。――。
 今の処は東急だけが先行して勧められているが行く行くは小田急を含むその他の鉄道にも乗場扉が導入されることが望ましい。
 小田急が乗場扉を導入するには一般車と特別車の車体長が合わなくてはならない。
 そのためには小田急の全ての車輛の車体長が17mになることを要する。扉の数は違うが一般車の3扉と特別車の1扉の位置を合わせれば乗場扉の位置に合う。そして編成を現在の6両+4両=10両または10両を6両+6両=12両に改める。現在の20m4扉は10両で200mであるが17m3扉は12両で204mになり、4m長くなるだけなので輸送力は下がらないし駅の乗場の改造も要しない。一つの列車の扉の数は20m4扉×10両は40か所で17m3扉×12両は36か所、4か所少なくなるだけである。車体長が短い分、扉の間隔は著しく長くはならず、現行の車輛等と大きな差は生じない。
 車体長が3m短くなるともう一つ良いのは曲線部での遠心力が低くなるので現在の車輛等より連続で速く走れることである。現に特急ロマンスカーの多くは短い車体で速く走れている。しかしその速さも車体の長い一般車の遅さに追いついてしまい、常に速く走れてはいない。
 また、全ての編成が6両編成車となることにより、従来の4両編成車が余って入庫になることがなく、車輛の稼働率が高まって収益の効率が上がる。車輛の取得価額や資本的支出が入庫が多くなる程に無駄になり、車輛当たりの機会収益が低くなるからである。そのためには10両編成車を増やすのではなく6両編成車+6両編成車=12両、但し区間と列車により6両が良いのである。
 「ロマンスカーのためにはホームドアは要らない、仕方がない。」では済まされない。特急ロマンスカーの停まる新百合ヶ丘駅や町田駅、本厚木駅、藤沢駅などが乗降客数も多く、乗場扉を最も要する駅である――新宿駅は特急ロマンスカーの乗場が一般車とは別である。――。
 そう言うと逆にロマンスカーの特別車の車体長を一般車と同じ20mにせよという声もありそうではあるが、そうなると永年のロマンスカーの面影はなくなる。地下鉄千代田線に乗り入れる車体の長いロマンスカーが近年に出ており、以降のロマンスカーの新型車もその車体長を踏襲しているがロマンスカーの印象を毀しており邪道なもの。そもそも青いロマンスカーなんてあり得ないその形も茹卵をふざけて斜めに切ったよう、黴の生えた茹卵である。私も一度その車輛のメトロホームウェイ号に乗ったことがあるが室内の通路が異様に長く、乗りにくい。数メートルの違いでも、長い車体に座席が連々と並ぶと閉鎖空間に閉じ込められているような感じになる。余程に平行座席の一般車の方が良い。それはJRの特急なども考えるべき事柄であろう。
 今年の春に新しく出た70000形GSEは20m1扉であるが1次車のみでそれをやめて2次車以降を17m1扉に改めることが望ましい。
 小田急と地下鉄千代田線の接続する代々木上原駅は互いの乗り換えが元々便利であり、直通運転を必ずしも要しない。なのでそれを廃しても小田急沿線と東京市街との輸送にも不便は生じない。寧ろ千代田線との乗入が必需なのは小田急線とは反対側のJR常磐線であり、小田急方面は昔から繁忙時にも混雑率が低いがJR方面は混雑率が高い。常磐線は北千住~上野が複線で快速と仙台方面への直交流切替車しか通れないために普通列車が千代田線に乗り入れなければならない。小田急が車体長と扉数を変えるとそれと同時に千代田線と常磐線も全ての車輛を同じくしなければならなくなる――乗場扉がなかった頃はそのような規格の統一を要せず、例えば東急東横線には車体長と扉数の違う地下鉄日比谷線の車輛が平気で乗り入れていた。――ので小田急だけを千代田線との乗入をやめることにより変えれば済むようにする訳である。

 小田急沿線は住宅や職場を選ぶ際に永らくの人気路線である。時代により若干の変動はあるが凡そ常に1位が東急、2位が小田急で3位が京王という番付になっている。
 但しその人気は大昔の小田急が名実共に優良企業であり魅力のある鉄道であった頃の印象の名残が大きい。しかし実際に住んでみたらがっかりという声も多く、それがあくまでも2位で決して1位にはなれない理由でもある。また、小田急沿線は東武沿線と首都圏の貧困率の最悪を争い、故に安倍自民党の優勢な近年の状況に合っても「2位では駄目なんでしょうか?」の民進党や立憲民主党の支持率と得票数が多い。人気沿線という華やかなイメージとはかなり違う経済的にも精神的にも貧困な地域である。
 その小田急が名実共に優良企業であり魅力のある鉄道であった頃とは1960年代以前、日本の高度経済成長期までの時代である。今の小田急の「人気と失望」のイメージは1970年代以降に形成されているものである。
a0313715_20472165.jpg 初めて連接構造が導入されたSE3000形や初めて展望席が導入されたNSE3100形の登場も’60年代。一般車は1959年から1989年まで稼働していた先頭車が16mで中間車が19mの3扉の高性能車2400形や2004年まで稼働していた初めての20m4扉となる2600形が出ている。更に旧い車輛等も名車であるが、1964年に出た2600形が大体小田急史の分水嶺になっている。
 以後、1966年に4000形、1969年に5000形、1972年に9000形、1978年に5200形、1983年に8000形、1987年に1000形、1995年に2000形、2002年に3000形、2007年に4000形が一般車として出ている。現在稼働しているのは'83年に出た8000形以降であるが、今の小田急沿線民の多くが知るのは'64年に出た2600形以降であり、2400形を知る人は少ない。乗ったことや見たことがある人は私と同じ昭和50年(1975年)頃以前の生まれの人々であるが彼らの記憶にもあまりないのではないか、それ程に首都圏には3扉車は稀少になっており、4扉車しか知らない人々が多くなっている。
a0313715_20473359.jpg 2400形が最新であった時代の小田急は全車が17m以下であり、故に常に速く走れていた。因みに列車の運行速度は列車の本数や混雑はあまり関係がなく、線路の敷き方と車輛の大きさが合っているか、それと原動機(モーター)と制御装置の仕様が最も大きい。
 尤も当時の小田急は高度成長後の程には運行本数が多くはないが若し車輛が大きくなってはいなければ本数が増えても早く走れていたのである。17m以下の車輛が走ることを前提とする線路の敷き方が当時も今も変わってはおらず、そこに20mの車輛が走るようになって遅くなった。
a0313715_20472872.jpg 隣の京王も昔は17m車が主流であったがそれでも線路の敷き方は初めから一部の区間を除き20m車の高速運転が可能なものになっている。故に京王は今年に新しく出た特別車/一般車の両用車を含む全ての車輛が20m4扉であり、そのままでも問題がない。
 線路の取換は一晩でも出来るものであるがその敷き方を変えるのは運行の大規模の休止をしなければ殆ど不可能であり、創業や新線の建設の時に決定的になる。京王は車輛の大型化が初めから視野に入っていたが小田急はそうではなかったのであり、創業年の古さを考えると仕方がない。ならば車輛の大きさを昔に戻すしかないのである。小田急の大型20m車の導入は無謀であったといえる。
 今年に完成の高架複々線の区間だけは線路の敷き直しになったが他の区間は変えられない。中には新百合ヶ丘や相模大野までを高架複々線にするべしとの声もあるというが、その必要はない。車輛を短くするだけで小田急の輸送力と乗場扉などによる安全性はかなり大きく改善される。

 車体長と扉数の他に、室内の天井の高さももう少し低くすると良い。すると室内の容積が小さくなって冷暖房が効き易くなる。小田急は暖房の効きは良いが冷房の効きは悪いとは定評である。天井が低くなって全高(屋根)も低くなると低重心になり、空気抵抗もやや小さくなるので高速走行に良い。

 小田急だけではなく、そもそも4扉車は混雑の緩和のためには意味がない。
a0313715_20515889.jpg 日本一混む地下鉄である銀座線、丸ノ内線や大阪の御堂筋線は昔も今も3扉車。それで何の問題もない。
 寧ろ4扉車は扉の間隔が詰まる故に乗場の余地もその分少なくなり、'90年代以降に導入された整列乗車による通行の妨げも相俟って混雑度が増す、即ち身動きの自由度が減る。
 つまり、逆に京王は創業時から意味のないことをしているともいえる。しかし「大は小を兼ねる」が当て嵌まり、その弊害が出てはおらず、後々に変わった小田急には弊害が大きい。

●小田急沿線の人気は 東急沿線や京王沿線には住めない人々の受け皿 が理由――ワケあり人間の多い小田急沿線

 小田急は'60年代までは優良魅力で'70年代以降にそれが失われている。
 その理由の一つは小田急沿線の人口の増加が他の鉄道等の沿線より十年程遅れたことである。
 昔の小田急沿線は東京(新宿~喜多見)と湘南(藤沢~片瀬江ノ島)が古くからの由緒のある高級住宅地であり、その他は何もない田舎であった。
 '60年代までの首都圏の人口の増加は主に東京において生じたが、小田急沿線は高級であり過ぎて当時に新しく経済力を増していた労働中間層には住む検討の余地のない所であった。故に労働中間層の招致を重視していた東急などの他の沿線と比べ人口が増えなかった。
 また、小田急は不動産部門が東急や京王、西武と比べ小さく、沿線の粗全域に亘る地主階級による不動産の支配も強い故に沿線の大規模の開発をすることができない宿命にある――それは大資本による一方的開発を許さないということで、良いことでもある。――。
a0313715_20543051.jpg 故に高度成長期には沿線の人口が増えず、小田急は牧歌的な沿線風景を維持していた。そこにロマンスカーの走るその雰囲気が正に小田急ファンの原風景である。
 しかし、'70年代になると高級な小田急沿線の物件が「射程圏に入る」経済力の比較的に高い層が急激に増えて来る。'60年代の高度成長を直に担って来た労働中間層や経営者ではなく、その実現の後に経済大国になったことの恩恵で成り上がるたかり経営者などの人々が'70年代に増えた。小田急沿線はそこで初めて著しい人口の増加を見ることになる。代々木上原や下北沢、経堂、成城学園前などの高級住宅地が売れ、世田谷代田や後の'80年代に木梨サイクルで有名になった祖師ヶ谷大蔵などには学生や新社会人の一人暮らしが増える。その頃にその風潮にはあまり染まらずに他の沿線に近い人口の増え方をしたのは千歳船橋や狛江などの京王沿線に程近くどちらかといえば京王沿線色の強い地域である。'60年代には新居を買い求められなかったいわゆる遅咲きの人々がそれらの地域に住むようになる。
a0313715_20572862.jpg 「'70年代の高級さ」といえば当時を知る人には鮮烈な記憶があるであろう。それは隣の東急沿線の一部にも起こっていたが、ヘレニズムを基調とするもので、如何にも芸術の分からない成り上がりがその如何に西洋物な感じ或いは「和の心」な感じの故に買い求めて誇るような悪趣味性の強いものが立ち並び敷き詰められる。一方ではヒッピームーブメントなどの風俗が起こり、'70年代はいわば「汚らしい豊かさ」の時代であった。
 普通の労働中間層のようでもそのような汚らしい豊かさを東京の先進主流の風俗と思って一目置くような人々も少しずつ小田急沿線に増える。
   
 '70年代の後半期には日本最大級の新田である多摩ニュータウンが出来、その近隣の川崎市西部や町田市の新興開発が始まる。
a0313715_20584265.jpeg 小田急は京王相模原線に並び多摩ニュータウンへ行く新しい路線多摩線を開業するが小田急は不動産部門が小さく大きな開発ができない故に小田急多摩線の沿線人口は増えなかった。多摩ニュータウンの主な開発の主体は住宅都市整備公団、現在のURであるが京王はその開発域外の調布市多摩川や稲城市、更に多摩市の残りの地域を開発して人口を増し、多摩~東京の京王電車の乗車率も順調に増した。小さな開発では寧ろ費用対効果が望めないので当面は詮めざるを得なかったのである。
 しかし当時に新しく出来た新百合ヶ丘駅を中心とする川崎市西部や町田市は小田急以外の業者等が順調に開発をし、町田市は'70年代後半に、川崎市西部は'80年代に人口が増え始める。そこで小田急以外の業者等が何故多摩線の沿線には進出しなかったのかは謎である。「どこも公団が握っていて無理。」という先入観の故か?
a0313715_21014062.jpg 5年程先行した町田は'70年代の東京の汚らしい豊かさの影響を今も残し、小田急沿線の中でも比較的民度の高い神奈川県方面では随一の低民度、即ち柄が悪めの地域である。
 '80年代になってから本格的に人口が増した生田、百合ヶ丘や新百合ヶ丘などの川崎市西部は先の千歳船橋や狛江と同じく京王沿線色がより強く東京近郊の小田急沿線の例外な地域である。京王沿線の人口の増加は'60年代と'80年代、'00年代の二十年おきであり、それらの地域は'80年代に京王沿線と同時に発展している。

 '70年代から二十年を経、'90年代に小田急沿線は全般に再び人口の大きな増加を見る。
 '70年代の東京に加え、町田市が更に人口を増し、更に大和市や海老名市の人口が増えた。海老名の隣の厚木市は主に'80年代の増加であり、'90年代にもそれなりに順調な増加にあった。
 尚、'90年代になっても多摩線の沿線人口は殆ど増えず、'00年代に漸く多摩急行の運行などにより増加、それも小田急沿線では例外な京王沿線と同じ時期のものである。
 '90年代の思潮や風潮はバブル後ということもあり、一言で言えばせこい。舛添要一前東京都知事などはその典型かと思われる。
 '70年代のようにあからさまに汚らしくはないがどこかきれいではない。向上や改善というものには関心がなく或いは拒みさえするような感覚、それを「成熟社会」というキーワードでごまかす、そんな人々が小田急沿線に新しく居を構えるようになる。バブル経済の崩壊により不動産価格の高騰が止み、一概に高額とされる小田急沿線も従来と比べると買い易く・借り易くなったからであろうと思われる。
 '90年代は神奈川県西部を主として外国人労働者が著しく増えた時代でもある。それそのものは必ずしも悪いことではないが、「国際化」や「グローバル化」の名の下に彼等外国人労働者の水準に合わせるような日本人が現れてくる。省エネルックや後のクールビズに象徴されるような、あからさまに汚らしくはないがどこかだらしのない感じの、例えば弊ブログの前の記事にも言及した乳首がシャツに透けている男や吊り手をがっしりと握る人――MBSテレビの『林先生の初耳学』にも言及されたように、日本の吊り手は握るものではなく親指を除く三四本の指を掛けるものである。握るように出来ているのは西洋に多い玉型の吊り手。――、整列乗車をしないと怒ったり侮蔑の眼差しを向けたりする人などの卑しい人々が人気沿線である小田急沿線には殊に多くなってきた。同じ時代を生きているようでも、両隣の東急沿線や京王沿線は明らかに違う。
 ロマンスカーが走り始め、2400形車輛に乗って通勤する。――そんな素晴らしい小田急の時代とは全くの別世界である。   
 小田急に「引けを取らない」混雑率で列車の遅い東急田園都市線にはそのことを含めてもさしたる不満が聞かれることがないのに、小田急には常に不満が聞かれる。それはよく云われるような混雑率や列車の遅さではなく、殆どは周りにいる人や或る時には彼らに媚びる小田急自らの卑しさから来る無意識の或いは顕著な不安感であろう。 
 マツコ デラックスや私はしばしば田園都市線を嫌うと語っているが、そのような点ではどうしても認めざるを得ない。「この差って何ですか!?」或いは「物件選びで得する人損する人」、「全力!脱力通勤」、「こいつ今何してる?」である。

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a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_17314580.jpg●関東地方の緊急地震速報は ダイヤル1134 文化放送


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


a0313715_13041605.jpg
ANN 報道ステーション 9.54~/月~金
ANN サタデーステーション 20.54~/土
ANN サンデーステーション 16.30~/日
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# by keitan020211 | 2018-10-01 21:12 | 生活 | Comments(0)
【自民党総裁選挙】『地方創生』の敗北――石破氏は善戦ではなかった
 安倍晋三総裁の3選となって石破茂氏が敗れた自民党の総裁選挙を受け、安倍内閣において財務大臣をその初めから務める麻生太郎氏がまた物騒なことを言っています。
 「選挙は勝てばいいんでね、」や「石破さんが善戦と皆がいうけれど、そうは思わない。」などの記者会見における喋り。
a0313715_20290387.jpg 総裁選の前後の数日には私はツイッターやネットのニュースを観ていないのでそれらの喋りについての反応がどうなのかは分かりません。テレビのニュースにも、麻生氏がそう言ったことが報じられてはいますがそれがいつもの彼のような失言と受け止められてはいないようです。これまでの麻生氏などの政治家の喋りについての批難は報道がそれらを失言と受け止めてそのように報ずることによりそれがネットにも波及、世論の厳しい批判があるという本当か嘘か分からないような状況が出来ていましたが、さて、報道が騒がないくても世論の批判が起こるのか、どうなのでしょうか?

 いつもは麻生氏の「失言」を粗全て擁護している弊ブログですが、逆に、その総裁選を受けての喋りは失言といわれるに値する筈なものと思います。
 麻生氏の「失言」には必ずそのような見方の出て来る現実の背景があり、少なくとも二理はあるものです。しかし「選挙は勝てばいいんでね、」や「石破さんが善戦と皆いうけれど、そうは思わない。」は少なくとも麻生氏が安倍総理を支持する者である、即ち勝者の側であるという前提からすると、一理もない滅茶苦茶な失言といわざるを得ません。現の背景を無視して感情論を打ちまけている、そんな感じのものです。

 いつもは麻生氏を非難する報道筋やそれに賛同する人々が、そのような感情論になると何も云わない。――それはその麻生氏の喋りに見て取れる「勝てば官軍」や「敗者必衰」には異論がないからであると考えられます。どんなに弱者に優しい社会などを訴えていても、そこだけは譲らない。なのでナチスに学ぶまでもなく社会的抹殺に手を貸して恥じないことになる。学ぶ必要はないから、ナチスに学べという麻生氏の言に「余計なお世話だ!そんなことは充分に得意だ。」と批難する。

 しかし若し麻生氏が石破氏に密かに肩入れをしているならば、その喋りは現実の背景に基づく二理も三理もあるものと考えられます。
 例えば総裁選の前に、石破氏が麻生派(為公会)の人事における優遇を云っていたなら、麻生氏及び麻生派は安倍氏を支持することをやめて石破氏を支持したくなるでしょう。石破氏の年来の主張を踏まえると、石破政権の構想において最も優遇されるのは麻生派であろうと考えられます。石破派(水月会)はそもそも人員が少ないので自派閥とはいえそれを優遇するのは物理的に無理、人数の多い麻生派を優遇することになります。
 なので、目前に迫る今度の総裁選では安倍氏の支持を突然にやめる訳にはゆかないけれど近い内に安倍政権を終わらせて石破氏を次の総理総裁に立てる、そんなもくろみが麻生氏にあるかもしれません。
 すると、それまでの間はなるべく石破氏に厳しく言っておく。「選挙は勝てばいいんでね、」や「石破さんが善戦と皆いうけれど、そうは思わない。」は逆に次は石破さんが勝てばいい、その時に安倍さんの側がどんなに文句を垂れても遅いと云っているように読めます。

 また、その文言の通りに、石破氏が善戦したとはいえない、完敗と見るべき面もあります。
 報道も指摘する、二三十人の議員による石破氏への「隠れ石破票」は石破氏の善戦を物語るものではなく、党内の融和、面子(めんつ)のためのものでしかないと考えるべきです。それを「お!」とか言って「石破氏予想外の善戦」と報ずるのはそのような自民党の論理に乗かって太鼓を持っているとしか思えません。そもそも自民党は面子で動く党であります。

 その完敗の要因は石破氏の政策構想として主張する『地方創生』です。

 その政策の詳細を見れば必ずしもそうではないのかもしれませんが少なくともその『地方創生』のキーワードを支持する人達とその宣伝に基づいて支持することになる有権者の認識を見る限りでは、その政策構想は誤った前提に立つものです。
 その前提とは「地方と都市の格差」、とりわけ「東京と他地方の格差」です。
 その前提に立ってその格差の解消を訴えている者には例えば立憲民主党を支持する山口二郎教授などがいます。また、岩手県知事を歴任して前回の東京都知事選挙の自民党の公認候補となって敗れた増田寛也氏もそのような格差論を前提として政策を提言している一人です。
 答から云うと、現下に存在する格差は地方と都市、東京とその他ではなく地方と地方、東京の中のどこかとどこかです。これを「地地格差」と呼ぶことにします。「乳格差」ではありません。因みに県別の売れているブラジャーの平均値は大阪府と京都府はDカップで神奈川県はBカップ、東京都はCカップ、土地柄がよく表れています。

 そのことは地域総生産や地域別貧困率などのデータを大雑把に見渡すだけでも直ぐに分かる筈ですが、政策の提言をしている人達は国民はそんな詳らかな数値なんか見てはいないから分からないであろうと高を括り、狐と狸のような図式を作り上げて示そうとします。どちらも由緒があって美味しいけれど最後は莫迦し合いに勝った方が利を得る、麻生氏の「選挙は勝てばいいんでね、」と同じです。そのような図式を作ることのできる人が彼らのエバンジェリスト(:キリスト教の福音宣教者に由来する、宣伝家)池上彰氏などにより「教養のある人」といわれて重用されています。

 莫迦し合いなどする由もなく、豊かな地方と貧しい地方はそれぞれに粗無関係に存在している、それが現在の日本の姿です。
 無関係ならば無駄な莫迦し合いや争いが起こる余地もないので平和で安全な世の中になるという良さもあります。そのような意味では国民や人類の分断は多少はあるべきものであり、大新聞の社説が訴えるような、分断を憂うというのは現実的ではありません。
 しかし経済の観点からすると、分断は人・物・金、即ち資源の流れを狭めるので良いものとはいえません。トランプ政権や西欧の移民の排斥の動きなどの昨今の情勢を批判している人達は自分達の云っていることが純経済的論理、平たく言えば金の話であることを自覚するべきです。
 殊に日本は永らく国民の社会的交わりが経済活動だけに特化されて成り立ってきた、即ち堺屋太一氏の云う「職縁社会」であるために、人間の融和と分断ということを経済問題と混同してしまう弊があります。そのことは近年にブームになっている人生の終わり、即ち自分の死に早くから備えるといういわゆる「終活」などを見ても色濃く感じられます。それは死に早くから備えることが経済効率を高めるという暗黙の発想から出ているとしか考えられません。決して「終活」は堺屋氏の提唱する「好縁」をそれを通して豊かにすることにはつながらないでしょう。
 「終活」はしないまでもそれに準ずるような「断捨離」と呼ばれるものもあります。人生が終わるまでに自分の持ち物を少なくしておこうというものですが、そもそも、初めから無駄な物を持たない習慣があれば「断捨離」などをすることはない筈です。無駄を累積しているから断固として捨てて離れようという発想になる。必要なのは削減を基調とする「断捨離」ではなく、無駄がなくて良質な暮らし方を構想することです。「断捨離」は削減を基調とする故に経済成長の、延いては人間の成長の妨げになってもいます。

 「そんなに死にたいのか?」、それらの風潮を背景とするそんな雰囲気が石破氏の総裁選の戦いからは感じられてしまいます。
 尤も、石破氏の本意はそんなことにあるのではありませんが、安倍政権に代わるものをということになると、石破氏の側のイメージはどうしてもそのようなものになってしまう。安倍政権の基調は「文句を言わずに生きろ。」なので、その反対は「そんなに云われてまで生きたくはないよ。」になる。それでは支持は拡がらない。
 石破氏の演説の調べは死のうと思っている人がその前に何かを言い残すかのような感じがします。「公正、正直」――人間として当たり前過ぎることなのですが、言い残す人は何故かそのようなことを頓狂に言う。多分「自分にはそんなものはなかったが君達はそうしてくれ。」ということなのでしょう。「まっとうな政治。」もまた然り。

 さて、地地格差は如何にして出来るのでしょうか?

 少なくはない反安倍の方々はその原因は富の大企業への集中にあるといいます。
 安倍政権がその初めから五年以上に亘り行っているアベノミクスという経済政策は大企業の利益が中小企業に滴り落ちて全体が豊かになる、いわゆるトリクルダウンに基づくものであるがそんなことが起こる筈はないのでつまりは大企業を優遇する政策なのであるという。この総裁選における石破氏による批判にも出て来たものです。
 アベノミクスがそのような発想に基づいているかいないかはさておき、格差を訴えて安倍政権を批判する人達の多くが日本の経済とその利益はは大企業に偏っているという誤った認識に立っています。
 その誤った認識を補強するものとして出ているキーワードが内部留保であり、大企業は内部留保を多く確保しているので利益を偏らせているといいます。
 古谷経衡氏がその著書『日本を蝕む「極論」の正体』<:新潮新書2017>に語るのは内部留保はその批判筋のいうような不当利得では全くなく企業の存続のための生命線であるということですが、不当利得ではないというのは全くその通りであるにしても、古谷氏のその見方は間違っている批判筋よりももっと間違いです。内部留保は企業が振るわない際に生命線として使えば再生が能うような分厚いものではそもそもありません。充分にあっても精々数年までの投資に使える程のものですし、それが生きるのはそもそも倒れる懸念のない安定企業です。内部留保は企業の生命線であるというような批判の批判が出て来る背景には銀行がお金を企業に貸さないので資金を利益処分で保たなければならない昨今の経済事情が背景にあります。若し銀行がより広く多く貸せば内部留保は薄くてもよいし、実際に貸し渋りのなかった前世紀には内部留保という語は一般の知るものではありませんでした。「宵越しの銭は持たねえ。」は好況の証でもあります。
 古谷氏の主張は「安定企業も本当は不安定なのだ。だからそれを批判するのはいじめなのだ。失礼だからやめなよ。」といういい子ぶりのようなものが感じられます。
 しかし、古谷氏に批判される反安倍の方々も、内部留保を取り崩せば労働分配率が上がって好況になるという間違いがあります。
a0313715_20320082.jpg 労働分配率を左右するのは年毎の収益です。収益が上がれば労働分配率が高まり、更には内部留保も増すのであり、内部留保が下がるとは収益が確保されないということであり、労働分配率も下がっていることになります。内部留保の額は法的基準により定まり、企業の任意により増やしたり減らしたりすることはできません。
 因みに、現在の日本の労働分配率は低くはありません。最も低いのは2000年代の前半の数年であり、他は一貫して労働分配率が高い傾向にあります。その'00年代の数年は確かに異常な状態が経済界にあったと考えられますが他は自動車の完成検査や諸事業における品質データの改竄などの不正などのような品質の問題を除いてはそうでもありません。
 労働分配率は雇用の状況と照らし合うものなので、'90年代にあったといわれている就職氷河期は嘘である、当時の就職の事情は頗る良好であったといえます。それも'00年代の数年だけに幾らかの就職難の傾向があったといえるだけです。丁度古谷氏が大学の新卒の頃です。
 但しアベノミクス以来の就業率の増加と失業率の低下は労働分配率の全体が維持されながらその分配の対象が増えたことにより一人当たりの賃金の低下になっているというのは本当でしょうしそれを改善するには収益の増加を要します。そしてそれを実現し得るのはやはり銀行が金融緩和の既成事実を生かして貸出を拡充することです。しかしそれは「異次元の」金融緩和が五年を過ぎている今もまだ行われてはいません。

 内部留保についての批判にも見られるような富の大企業への集中はありません。
 そもそも、大企業の労働者や経営者が自らの賃金や報酬を市場で使うことをトリクルダウンというのに、大企業の内部留保を取り崩して賃金を増やすべしというのは「トリクルダウンのアベノミクス」に賛成していることになります。中小企業には内部留保はないという見立てなので、取り崩せるものがなく、中小企業の労働者の賃金は増やさなくてもよいということになります。
 大企業にも中小企業にも、内部留保の多い企業も少ない企業もあります。人の資源が極めて限られる零細企業を除いては、企業を規模の大小で切り分けることはできません。

 麻生財務大臣は前の選挙の演説でアベノミクスが勧まないのは中小企業の経営者が阿呆だからであると言いました。
 全てがそうな訳はありませんが、かなりそういえる現況なのでしょう。というか、中小企業が企業の圧倒多数を占めることからしてそうとしか考えられません。アベノミクスに限らず、景気が良くならないのは粗常に中小企業の責任です。
 貸し渋りの事実上の長期継続も一因ではありますが、それを客の側から打ち破れるだけの事業の構想が多くの中小企業にない。それでは銀行が発行株式を割増で買い叩いて傘下にするしかありませんがそれを全国で展開するだけの資金は銀行にもないし、経営者がそれは勘弁してほしいとごねる。 
      
 大企業のある都市と中小企業しかない地方。都市銀行のある都市と地方銀行しかない地方。――日本経済の分断はそのように出来ているのではありません。
 中小企業の経営者が有能な地方と無能な地方。――それが日本経済の分断と地地格差の構造です。

 しばしば「支店経済」といわれる都市がありますが、そんなものは実在しません。
 広島や仙台がその有名な例ですが、どちらも大企業の支店が経済を占め或いは動かしているのではありません。その「支店経済」とは正に「大企業と中小企業」、「都市と地方」の誤った現実認識に基づく虚構であり、虚構が虚構を呼び『君の名は。』などのJアニメが出来ます。
 或る反安倍の大家のブロガーが『君の名は。』を絶賛していたのが印象的で、つまりそのようなものなのです。クールジャパンを推進する政府が反安倍の方々の気休めのための粋な計らいで作ったアニメ映画、それが『君の名は。』系の作品等です。
 そのような虚構を信じる人達から見ると、麻生財務大臣の「中小企業の経営者が阿呆やから。」などは強者が弱者を上から叩いて苛めているかのように見えるらしいですがそのようなものではありません。

 但し公共事業系にはその筋の大企業の存在が地域経済に不可欠な場合が多く、その限りではトリクルダウンは存在するといえます。しかしそれが地域経済の全体に占める率はそう高くはありませんし――公共事業だけで地域総生産の高率を占められるような地域にはそもそも公共事業系の企業は殆ど立地しない。――、アベノミクスの公共事業の経済効果が全国はおろか地域にも波及してはいないことからも明らかです。
 トリクルダウンがある場合もない場合もある、そのように細かく切り分けて批判を考えるとどうしても分かり易くはならず、本人が嘘とは思わない嘘を正直に単純にぶつけるしかなくなります。故に経済政策は一方的に主張することには適うが批判して説得することには適わない分野です。石破氏は安倍総理総裁に対抗するに際して経済を争点にしたことが先ず戦略の間違いといえます。レーガノミクスやクリントノミクスにも野党のこれという批判が出てはおらず、与野党共に、国民が挙って賛成せざるを得ないという感じのものでした。アベノミクスは国民が挙って半信半疑という感じです。

 地地格差を埋めてゆくことができるのは直接には産業と経済、労働に関する教育であり、間接には学校教育です。学校教育については蓮舫代表の民進党や日本維新の会などが重視すると主張していましたが産業経済労働の教育については禁忌の如く言及しません。勿論「人間の「生産性」を養う教育を。」などという発想ではいけませんし蓮舫氏も「人への投資」などと云って人間を金儲けの種にしているので五十歩百歩ですが――多分台湾のバナナ農園の話などを基にしての思想で他意はないのでしょうが、公約を聞く有権者はそんなことは知りません。――、産業経済労働の教育は学校におけるものにしてもその他におけるものにしても必須のものです。 
 そのような教育が確りとなされておれば、現下の売り手市場で楽々就職したといわれる若者の早期離職もなくなるでしょう。

 それでも、安倍一強といわれる今の状況を動かしたいと考えて自民党の総裁選に出た石破氏の愛国の烈志は決して無駄なものではありません。但し私――国民民主党を支持し、石破氏を応援。――も善戦というには心許ない戦いであったとしか思えません。

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# by keitan020211 | 2018-10-01 20:32 | 政治、社会 | Comments(0)
【英語訳】天声人語 朝日新聞 2018.8.29
Heavenly Voices and Human Words
of The Rising Sun (Asahi Shimbun, Ohsaca, Japan)
on 29th September 2018

Has a powerful typhoon the 24th moved northward. Pray about it as no one getting any damages. Heard the typhoon, imagining about some figure of that rages, however, according to some professinal the typhoon annoyes the series of islands is what'd have got into old age▼The National University of Yocohama's Professor Fudeyas Hironori tells: 'As seeing the birth and the breeding, can describe any figure on the old age,'. On the Pacific Ocean where eggs of the typhoon yield, blow the trade wind by the eastward and the seasonal wind (monsoon) by the westward. The most terrible for the Japanese is the eggs yielded at some spots where the airflows from the east and the west strike, grows powerfully, so rate to attack the series of islands gets higher▼More of the necessary element to sway influences afterward, it's the growth. On the eastward from Philippines there is a warm sea which the professionals call it 'the devil sea area'. In their infant days passed there to get the power sharply▼The Typhoon in the Bay of Ise, 1959, where gotten more than 5 thousands of victims yielded at the spot where the airflows strike, got powerful at the devil sea area. The 21st in the end of this month even passed the same sea area, yielded such on the metropolitan region some great damages. Could get to be able to analyse the histories of growth more profoundly, could be able to predict the courses and scales further faster▼Still, so had some unique birth, and, too had some unexpected conducts. Mr. Fudeyas told: 'It's the attractive for the researchers that it has still many mysteries,'. The eventful, it might be even to the human that the destination should never foresee▼This year has unusual number of typhoons. At least by the end of October necessarily needs alerts. Having to expect further clarification encouraged, first like to let the defences today be sure all.

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# by keitan020211 | 2018-10-01 20:26 | 文明論 | Comments(0)



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