カテゴリ:政治、社会( 1468 )
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by keitan020211 | 2018-04-25 18:03 | 政治、社会 | Comments(0)
貧富の差を計る数値――何故 中央値 を取るのか?
 森友・加計疑惑や財務省の事務次官の不品行の疑惑などに隠れ、今年は貧困や貧富の格差についてはあまり語られなくなっているようです。果たしてそれらの問題が国民の貧富に関わるものなのかは分かりません:幼稚園を永らく経営してきた学校法人がその小学校を新しく創りたい、それに係り財務省が学校を建てるための用地を前例のない大幅の値引で譲渡しようとした;獣医学部のある大学が地元にはないのでそれを実現したいと志している或る学校法人や地元の自治体がその設立の認可を優先して与えるように政府に要請した;財務省の事務方の代表である事務次官がテレビの報道記者による取材に応じた際にその記者に卑猥な言辞により取材を妨害した。
 政府が或る者をその権力を用いてを不公平に優遇したり抑圧したりすることがそれらの特定の者だけにではなく巡り巡って国民の全般の不公平につながることはありそうとも考えられるしなさそうとも考えられる。勿論、それぞれの国民の受け止めようにもよるでしょう。若しそれがあり得るならば、それらの疑惑について考えることは貧困や貧富の格差についての問題意識ともつながるのかもしれず、それをそっちのけにして衆目を引くような疑惑に注目しているだけとはいえないでしょう。

 因みに、私は弊ブログのこれまでの記事等にも時折に語っているように、貧困や貧富の格差については絶対格差、gapsについては問題ありと思いますが相対格差、differenceについては問題そのものが存在しないと思います。日本においてはそれらの何れも十把一絡に格差と呼ばれて問題にされていますが、幸福を追求することなどの人権に関わるのは絶対格差、gapsだけであり、相対格差、differnceは人権とは関わりがなく、精々が経済論的問題に過ぎません。相対格差の存在は人々にとっての変わることのない所与の条件でもあり、当然に生じ続けるものですがあまりに大き過ぎる相対格差は経済を成り立ちがたくさせるという説もあります。

 しかし「大き過ぎる経済格差」とは一体、何を基準にするものなのでしょうか?

 それを解く鍵が格差、取り分け所得格差の計り方にあります。

 先述の疑惑の話に出て来た、学校や放送事業者においては多く平均値というものが用いられます。
 学校においては考査の平均点、或いは、数値にはならない「生徒達の平均的志向」などがいわれます。放送においては全ての時間帯に亘る平均視聴率が算出されます。平均視聴率と相対する数値は瞬間視聴率です。
 では、国民の所得や生産額も平均値で計ればよいのではないかと思うかもしれません。実際に平均所得という数値は統計されて官民において発表されます。しかし平均所得は他の事柄には役に立つことがあっても、格差を計ることには役に立ちません。
 他には、平均値が重視される事柄には株価を平均する日経平均株価というものがあります。今は電算機と通信装置の時代なので日経平均株価を算出することはその数式を知る人なら誰でも容易くすることができますがそれらのなかった時代には膨大な数の銘柄の株価を全て計算せねばならず、故にその担当者しか計算をしないものであった訳で、日経平均株価の担当者はかつては他に代わる者のない名誉職であったといえます。

 何故に平均値ではならないか?

 それは平均とはその基となるもの、例えば所得なら国民の総所得と個々の所得が一体のものとして互いに相関することが前提となる概念であるからです。平たく言うと、自分の所得と他人の所得または皆の所得の総合計は同じ土俵で比べることができる、そうであって初めて平均値は意味があります。それを数値の有機性と呼びます。
 しかし所得とはそのようなものではありません。先ず、時間賃金、いわゆる時給が千円であることの正当性には貨幣の価値の相対性などからして絶対の根拠はありません。千円の時間賃金はそれが千円なることに意味があるのではなく八百円より高いことや二千円より安いことに意味があります。先ずそこからして平均所得を格差の基準にすることの意味のなさが何となく分かります。皆が誰の千円をも等しい価値と見做していなければ平均額は価値を表す数値とはならないのです。
 政府が平均所得を統計するのは政府が貨幣の価値を制御することの能う立場にあり、正しく制御されておれば同じ金額は等しい価値を表すと推定することができるからですが現実には必ずしもそうではありません。政府の役人等も一市民としてはそのように思ってはいないでしょう。

 貨幣価値だけではなく、賃金とそれに基づく所得の決定には絶対の根拠はないことは業種の違いや地域の違い、労働者や経営者の能力の違いなどにもよります。それらを一様に金額に換算することはできません。唯一の決め手は支給者が支払えるか支払えないかです。
 故に同一労働同一賃金というものも不可能であると分かります。同じ雇用者、事業者の中でも賃金額を同一の基準により決めることは不可能です。実はそれを最もよく知るのは同一労働同一賃金ではなく同一雇用者同一賃金を原則とする共産党です。賃金の総額を単純に被雇用者の頭数で割るだけ。
 しかし何故か、自由主義資本経済を信ずる人達が同一労働同一賃金を実現するべしと主張しているのは貨幣価値などの相対性を前提とする自由経済の根本を理解していないということであり、不可解です。
 全体と個別の価値を有機的に金額に換算することができる、そのような国家社会主義的経済観が平均所得の大前提です。少しずつでも平均所得に近づくように同一労働同一賃金などの政策により国民の所得を高める。――本来の自由主義も共産主義もそれとは異なるものです。

 中央値の意味を説明することよりも平均値の意味のなさを説明することが長くなりました。
 さて、中央値とは何か?

 1; 2; 3; 4; 5――この五つの数値の平均値は7.5ですが、中央値は3です。
 1; 2; 3; 4; 5; 6; 7; 8; 9; 10――この十の数値の平均値は27.5ですが、中央値は5.5です。
 ――中央値とは複数ある数値の丁度真中、どまんなかにある数です。どまんなかの「ど」の漢字は「度」。
 そのような等差数列では分かり易いですが、偏差数列では少し難解です。
 1,856,475,219
 8,546,135
 7,954,264
 4,264,789
 3,786,451
 それらの五つの数値の平均値は376,205,371、3億7620万5371ですが、中央値はぐいと下がり、7,954,264、795万4264で、3番目の数値と同じです。5つある内の度真中は3つ目であるからです。
 つまり、中央値を出すには数値が奇数個なら計算を全く要せず、偶数個なら個数/2つめと個数/2+1つ目の数値を平均すればよい。計算の力よりも表を作る力を要します。
 何故度真中を取るだけの数値が中央値になるのか?、それにはどんな意味があるのか?そもそも計算しなくてよいなんて信用できる数字とはいえないではないかと思うかもしれません。
 それが正にですね、或る数値を決めるものには絶対的根拠はないということなのですよ。
 数値そのものに意味があるのではなく、偶々真中になったことに意味がある、それが世界の真中で輝くということなのかどうかは分かりませんが。
 それらの五つの数値には先に平均値の処で説明した同じ土俵での比較が可能な有機的関係はなく、只それらの五つの数値が発生して存在するだけです。所得(円)なら、それらの五人の所得額はそれぞれ無機的に、即ち無関係に決まって貰っているものです。無関係なら平均値を取っても意味がありません。なので金額を計算するのではなく順位に着目する訳です。
 
 格差の研究をする人達がそれに所得の中央値を用いることを思い立ってしているのは画期的であると思います。従来の経済社会観とその格差についての見方がそれにより根本的に変わっているからです。
 従来のものとは先に説明した平均所得を基準とするものです。その平均所得には全体にも個別にも意味のある数値として認識されていたものが、そうではない、数値そのものではなく順位が重要なのであると喝破しているのです。つまり、二位では駄目なことは全くなく、二位には二位の価値があることになります。
 度真中の順位には、それを上回る者と下回る者が同じ数だけいます。つまり、他者や世の中を中立に曇りなく見ることができる可能性が最も高いと仮定することができます。勿論それは最上級や最下級の人のものの見方は常に偏っているということではありません。最下級の人達も適当な知識や心得があれば物事を公正中立に見ることができますが所得の低さから来る教育の機会の不足などにより偏らざるを得ないのが実情です。彼等のやや偏っている主張を民意の一部として取り込むためには現行の放送法を擁護する人達のように公正中立不偏不党を振り翳す訳にはゆかないでしょう。不偏不党とは主張してはならないということであり、そのようなことを求めることが公正中立な筈はありません。
 但し、格差の是正には関心がないとされるネット右翼には中央値に近いかそれをやや上回る所得の人が多いとされるのが何故かは謎です。最も中立的と思しい所得水準なのに彼等のものの見方はかなり偏っている。考えられるのは所得の高さを自分や子供の教育に向けるのではなく実力の行使に向けることです。知識も心得も乏しいのにそれを主張する機会と装備能力だけは高い。

 格差とは中央値との差をいいます。
 その差を相対として計る際には、差の大きさは問題があるものと捉えられます。
 しかし二位には二位の価値があるのと同じく、最下位には最下位の価値があります。それはそれぞれの順位の者を絶対として見る場合です。それらの順位の間には有機的関係はないのでそれが可能になります。平均値との差で計る場合には有機的関係における差なので最下位には最下位の価値があるとは見做されず、価値がないとされます。
 昨今に格差の問題に関心がある人達には、格差がそのように中央値との差で計られていることを知らずに平均値との差の観念で見て語っている人が少なくないように見受けられます。故に格差を空けられている者はどこまでも疎外されている、それを解決するためには一億総中流の時代の水準を取り戻さなくてはならないと主張することになるのです。ものの見方の前提が格差を作り出しているとされる側と同じ。3億7620万5371円の所得の人はいないのに恰もそれがいるかのような前提で語っている。一概に格差を是正して所得水準を高めるべきとはいえども、存在しないものを想定してはいけません。
 また、問題の意識とその解決を求めることが「解決するまで待て。」という状態を生じてそれが長引くことにつながることが日本の特徴です。無論、待っている間は何も改善されません。それは日本だけでは必ずしもありませんが、その点からも今までの格差社会についての問題意識は百害あって一利ないものであったといえます。

 中央値はMicrosoft Excelの関数にもあり、=MEDIANがそれです。物事の意味によってそれを計る数理も違うものです。

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■NEWS of the WORLD


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    ●AFP(フランス パリ)
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    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2018-04-25 15:41 | 政治、社会 | Comments(0)
【書を読む】満員電車がなくなる日 鉄道イノベーションが日本を救う それと 小田急のダイヤ改正
著:阿部等、交通コンサルタント
刊:角川SSC新書 2008年2月28日
定価:税別760円 ISBN978-4-8275-5029-0

 小池百合子衆議院議員推薦!

a0313715_14214088.jpg ――本の帯に小池東京都知事の顔。
 この本が出た当時は自民党の衆議院議員でした。
 小池知事は満員電車をなくすことを公約としており、それはこの本の出た10年前には既に政策にしたい持論であったのでしょう。若しや、東京都知事になることさえその頃には既に決まっていたのかもしれません。
 2年前の東京都知事選挙の時には二階建の通勤列車を走らせるなど、物凄いことを説いていました。
 因みに二階建の地下鉄や路面電車はドイツや香港などにあります。
 通勤列車ではないものでは、近鉄の特急ビスタカーや京阪の特急テレビカーなどが二階建です。私のPCは先月に新しく導入したWindows Vistaです。
 乗り鉄や撮り鉄、泣き鉄などの鉄道ファンがありますが、小池知事は「政鉄」であるといえましょう。それも「鉄の女」というのでしょうか?

 そういえば、先月にダイヤが改正された小田急には少し前まで二階建のあさぎり号という特急がありました。東京の新宿を出てJR御殿場線に乗り入れて富士山麓の御殿場を経、港町沼津まで行く列車です。  
 そのダイヤの改正からは、あさぎり号は廃止されたらしく、代わって御殿場止まりのふじさん号という特急列車が出ています。車輛は二階建ではありません。

 本には先ず物凄いことが書かれています。
 今時平成30年頃は大都市圏の鉄道の混雑率が200%とかなのを150%近くまで下げよう、そして下げられるという話ではないですか。
a0313715_13573987.jpg 記録を見る限り、史上最高の混雑率は昭和26年、国鉄中央本線の新宿~四ツ谷の344%。300%は乗車定員の3倍です。
 それは何となく分かるような感じですが、史上2位は何と!、昭和40年、国鉄青梅線の西立川~立川の312%。何でそんな所の混雑率がそんななのかというと、列車の運行本数が少ない所に東京方面への通勤客が多くいたから。
 今時の混雑率は往時の三分の二以下にまで減っている。そんな訳で、三分の二を取らせないことが数年前の懸案になっていた訳です。鉄道と政治には密接な関わりがあります。

 私が通学や通勤に使っていた鉄道の混雑率は、学生の頃の小田急の200%程と社会人になってからのJR神戸線(東海道本線)の30%程や自家用車、横浜市地下鉄の20%程などなど。社会人としては通勤ラッシュというものを経験したことはありません。 
a0313715_14013275.jpg 因みに横浜市地下鉄は停車駅の案内放送にどこぞへはその駅で降りて下さいなどの案内が入り、大阪の地下鉄と雰囲気が似ています。例えば蒔田駅は:「間もなく蒔田、蒔田、南区総合庁舎下車駅、お出口は左側です。御葬儀で103年……」などなど。東京の地下鉄にはそのようなものはなく、横浜と東京はたった二十~三十km程で全く雰囲気が違う。分かり易く言えば、モントリオールとトロントの違いという程。乗り場の発車を告げる音に凝っている、専用の音楽を用いるのも横浜市地下鉄は大阪市地下鉄と相通ずるものがあります。近年の鉄道の駅に増えている、既成の音楽を使うとかは安易な発想で、貧困なる精神ですね。
 私が小田急に乗って通学していた頃は先月に完工を見た複々線はまだ喜多見~和泉多摩川の3駅だけでした。それらの駅にエレベーターを設置させることが当時の共産党の政策公約になっており、そしてその通りに実現し、駅のエレベーターが当たり前のものになっている今からすると隔世の感があります。
 ――保守を以て任ずる私も、鉄道についてのこととなるとかなり左寄りになります。小池知事も結構そうです。ここにいう左寄りとは鉄道を利用する市民が本位ということです。

 しかしまあ、この本が出た2008年の頃に著者が提言していたことがあえなく裏切られた例もあります。
 著者は東京と筑波研究学園都市とを結ぶつくばエクスプレスを最先端の鉄道にするべしと説いていますが、最先端というようなものになってはおらず、普通の鉄道と比べても悠に劣るような杜撰な鉄道になっていることは昨年に報じられた事例などにも明らか。
 「つくばエクスプレス」という名前からしてださ過ぎます。何で素直に「筑波急行」、略して「筑急」と呼べないのでしょうか?2000年代の日本の恥といってよいものであると思います。AKB48のメンバーがつくばエクスプレスなんかに乗りますか?

 小池知事はかようの私などのような、「保守、時々左」の心を捉えたことが成功の要因なのでしょう。

 それにしても、小田急新百合ヶ丘駅の様子を見てみると、めちゃ2いけてます。
 何がといって、江の島線へ行く急行が従来は多摩線のみの運用であった3番線に入る。
 新百合ヶ丘駅は6線あり、1・2番線が小田原;江の島方面、3・4番線が多摩方面で5・6番線が東京方面なのが従来の運用でしたが、先のダイヤの改正により、3番線を多摩方面と江の島方面の併用にしている。
 そうなることにより、片瀬江ノ島;藤沢行の急行の混雑率が下がり――:新百合ヶ丘駅では江の島;藤沢行急行と小田原方面行の列車との乗り継ぎが直にはできないから。――、また、多摩方面と江の島方面との連絡が同じ乗り場で直にできる。小田原方面へは、そこで乗り継ぐ江の島線行の急行を介して相模大野駅の同じ乗り場で直にできる。
 ゆくゆくは多摩線の唐木田~江の島線の片瀬江ノ島との直通急行ができるとよいかと思います。新百合ヶ丘と藤沢で折り返し2回。
 ――そこで3番線に来た藤沢行急行が方向幕式行先表示器の車輛なのも感動的でした。LED式行先表示器は良くない。それと1500系――扉の幅が莫迦でかい2mの特別仕様車――を早く全廃にしてほしい。
a0313715_14192312.jpg 小田原方面の待合もなかなかで、1番線に準急がいてそこに、2番線に普通が入る。複々線が登戸駅で終わることからのものでしょう。登戸駅へ着く列車を次々とより狭い所へ吐き出さないといけない。そこで登戸駅の次の向ヶ丘遊園駅と新百合ヶ丘駅が俄然に運用における重要性を持っている。
 因みに当地、登戸駅(川崎市多摩区)~柿生駅/はるひ野駅(川崎市麻生区)の小選挙区の候補者は近々民進党と合併して新党ができる希望の党の笠浩史です。この処はどうしても小池知事の立てた希望の党だけでは心許ない訳ですが、民進党と一緒になれば心強いです。それと川崎市宮前区の一部――神木(しぼく)の辺り――も同じ選挙区です。民進・希望新党に託して安倍政治の息の根を止めましょう。

 元々は関西人にも違和感なく馴染めていた京王派で反小田急ですが、有料の京王ライナーは邪道ですし、小田急に頑張ってほしいと感ずるこの折です。

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by keitan020211 | 2018-04-03 14:20 | 政治、社会 | Comments(0)
今の経済は不足供給の時代――過剰供給を懸念する時代は十年も前に過ぎている
 不足供給:供給が需要を下回り、物が足りなくなること
 過剰供給:供給が需要を上回り、物が余ること

a0313715_21543339.jpg 今時の経済評論や経済学者の意見を見ると、その多くが過剰供給を懸念する言説です。人口の減少によるものを含む需要の減少や消費性向の多様化への対応の遅れなどにより物が造り過ぎて余る状況が続いており、生産を抑制しなければならない、生産量を少なくして多様な需要に応える産業経済のあり方を創出するべしといいます。生産が抑制されれば原材料費などの付加価値をも削減せざるを得ず、賃金などの人件費をも抑制せざるを得ないという。
 しかし2012年末に発足した自民党の安倍政権の大型経済政策アベノミクスが実施されてから、そのような意見とは矛盾する指摘が政権の関係者、支持者や安倍総理自らの口から出て来ています。それは企業の多くは今や人手不足にあり、先ずは雇用を増やして賃金をも上げるべしというものです。その声を反映し、安倍政権の五年の間に賃金の増加は僅かではありながら雇用が増えており、失業率が下がる傾向にあります。
 若し民間の経済論が本当なら、雇用が増えている筈はありませんし賃金もより下がっているでしょう。
 政府の統計値だけではなく現実に雇用は増えているのでそれを信用するなら、民間の経済評論は間違っていることになります。
 そうです、間違いであり、彼等は既に過ぎ去っている状況を未だに続いているかのように説いています。
 では、何故に彼等はそのような間違いを説き続けているのでしょうか?状況の変化に気づかずにいるのか?気づいているけれど何かの意図があってしているのか?

■景気はこの10年に上向き続けている

 民間の経済論の懸念している過剰供給は今を遡ること10年、2008年頃に既に終わっています。
a0313715_21560929.jpg 10年前といえば、今や森友疑惑に関し辞任が噂されている麻生太郎財務大臣が総理大臣であった頃です。エコポイントや一人につき1万円の臨時定額給付金が話題になり、僅かながら景気が上向いていました。その景気は2005年頃から続いていた戦後最長の好景気の余波としてのものです。
 しかしその好景気は2008年のアメリカの大手投資銀行のリーマンブラザーズの破綻を受けて起こったリーマンショックにより頓挫し、一年程は不況が生じました。因みにリーマンショックとはリーマンブラザーズ社の破綻が不況を引き起こしたのではなく、それを金融秩序の不安と勝手に解釈した経済界が不況を意図的に作り出してのものです。その出来事までは経済界の人達さえリーマンブラザーズの名を聞いたこともなかったので金融秩序が揺らぐという都市伝説を容易く鵜呑みにした訳です。そんな日本の状況を他所に、当地アメリカの経済は当時に発足したオバマ政権の下に極めて緩やかながら、当時から上向き始めて十年を経る今も続いています。それを更に上向かせてアメリカ経済を再び強くしようとしているのがトランプ政権です。
 日本はそのオバマ景気の始まりに一年程遅れ、麻生政権に続く民主党の鳩山政権の頃に景気が持ち直し、続く菅政権の頃から今まで上向き続けています。先の雇用の状況の改善と失業率の低下も民主党政権の下に始まった傾向です。但し賃金はリーマンショックを受けて抑制されたために上向かず、後の麻生財務大臣も指摘することになった所謂内部留保が増しています。賃金の抑制は経済界が「リーマンショックへの対応」により生産を抑制して過剰供給を防ごうとしたことによるものです。しかしそれはあくまでも噂であり、現実には過剰供給は解消される消費の傾向にあり、経済界の対応は供給の著しい不足を招きました。店は品薄の状態になっていた。そこで利益の上がらない中で増えた雇用を守るためには賃金の更なる抑制を図らなければならない。しかし2000年頃から粗一貫して続くデフレ、即ち貨幣価値の増大の故に実質賃金の低下も抑えられ、民主党政権の下における国民の生活は安定の傾向にありました。
 民主党政権の頃には解消された過剰供給の傾向が始まったのは当時を遡ること更に十年、1998年です:民主党が党勢と議席を増し始めた時代。
a0313715_22003738.jpg なので当時からの十年、1998年から2008年は、そのような経済論は時代の現実を捉えている正論でありました。「造り過ぎの無駄を省く」、トヨタ生産方式が提唱した'just in time'が極めて重要な意義を持ち、本気であれ贋物であれ、それが広く検討されて実行され、過剰供給を生まない産業経済のあり方が考えられていた時代です。その贋物というのは単に生産を抑制して付加価値を削減するあり方のことです。そのような贋物の典型は「今はグローバル化の時代であり、新興経済国が台頭してグローバル市場を牽引する今や日本企業もそれに相応しいあり方にしなくてはならない。」というものです。付加価値の高い従来の日本の術理(テクノロジー)を捨てて消費者が求める無駄のない商品や仕事(サービス)を提供するべし――しかし一度捨てたものを取り戻すのは極めて難しく若しくは不可能であり、「消費者が求める無駄のない商品や仕事(サービス)」を提供している新興国もいつかはかつての日本のように付加価値の高いものが増えてゆきます。そうなると日本は梯子を外されることになる。見下すものではありませんが、今までの新興国等がそのようなものを作るのはまだそれしかないからであり、必ずしも消費者が求めているからではありません。いわば、グローバル市場は消費者の選択肢を狭めており、消費者はその中で比較優位のものを選んでおり、それらが強い商品となっている訳です。尤も、いつのどんな時代も絶対優位の商品は少ないものです。
 そのようなグローバリズムを代表していた政治家は同じ民主党の前原誠司氏や細野豪志氏など。自民党にも若干の支持者がいますがどちらかといえば民主党に顕著です。しかし、今は彼等の影響力は昨年の衆議院総選挙における希望の党を巡る政局により著しく弱まっています。民主党には今の代表の大塚耕平氏や希望の党の代表の玉木雄一郎氏などのような非グローバリスト、所謂普通の経済を支持する人達も多いが前原氏や細野氏のようなグローバリストの力も強くあった。
 1998年~2008年が過剰供給の時代になったのは「造っても得にはならないが造らなければもっと損になる」からです。何もしないことが最も損なことであり、企業は需要の減少の傾向にあっても何とか売捌いて「損失を少なくする」、そして利益が出れば負債を減らして自己資本比率を高めることに専心していました――先の内部留保の問題はまだ生じていない。――。当座の利益よりも資本を核とする財務体質の改善が金利を下げ続ける銀行の信用につながる時代であり――そのような時代ではなくても財務体質は重要ですが、――、残高表不況と呼ばれます。売捌くためには価格を下げることを要し、それが物価が下がる傾向になります。典型的デフレ経済ですが、実際には賃金の低下を上回る物価の低下にはならずに実質ではインフレになる場合もあり、それが弊ブログの度々指摘しているインフレ圧力またはデフレの脱却圧力というものであり、デフレならデフレに任せるべき経済を歪めています。
 1998年が過剰供給の時代の始まりになったのは色々な時代の思潮も影響していますが、最も大きなものは自民党の橋本政権及び大蔵省がその年に打ち出した財政の再建の政策です。政府の負債を減らし若しくは増えにくくするというものであり、その論理が企業の経営にも反映されてのことです。その政策は続く小渕政権からは否定されていますが自民党の一部にも世論にも根強く残り、2010年代に再び有力になって民主党の菅政権、野田政権と自民党の安倍政権にも影響を持っています。

 2005年~2008年の3年間と2009年~2018年の9年間の好景気の主な理由は輸出の好調です。
 2008年から減少に転じた人口などを反映し、国内需要には見切りが付けられましたがそれを補って余りある利益が外国市場への輸出に求められてのものです。その間の賃金は一貫して抑制されているのでしばしば実感のない好況といわれていますが供給の不足が回避されている場合には実質賃金が上がったこともあり、そのような批判は必ずしも当たりません。殊にリーマンショックによる中断の後の2009年からはそれまでに急がれていた生産設備の確保が充分になり、また、雇用が上向いて人手の確保も改善されている故に実質賃金が上がる傾向にあります。しかし、雇用に関しては2013年からのアベノミクスの下においてはそれまでの改善の傾向を更に人為的に強めた故に実質賃金の伸びが鈍り、そのために賃金を人為的に上げる政策が採られた訳です。それが所謂官製賃上げとの批判も強くある、安倍政権による経済界への賃上げの要請です。それが良いか悪いかは評価が分かれ、弊ブログは民主党政権の頃からの雇用の自然増に任せるべきであったとしています。人為的政策が強まると人間のものの見方が狭くなるからです。

 リーマンショック後の今までの十年は輸出の好調の一方では国内需要の見切りが極端になった故に国内の供給が不足している状況にあります。
 輸出は現地生産とは異なりその生産は国内でなされるので雇用の改善は実現しますが輸出への依存が高まると国内の不足供給になります。それでも国内供給の全てをやめることはできないのでそこへ取り敢えず人物金を用意しておかなければなりませんがリーマンショックの対応が極端になった故に不足供給の傾向が生じている訳です。
 また、一部ではありますが、増え続ける高齢者の需要への対応が遅れていることも不足供給と人手不足の一因でしょう。更には、減り続ける若年層の需要への対応が極端に過ぎて結果として不足供給と人手不足になることもあり得ます。殊に日本は「これからはこうだ。」となると皆がそのようにしかしない弊があるのでそのようなことが起こり易い。

■不足供給を防ぐ経済の時代へ

 不足供給は造り過ぎの無駄がないということで如何にも良好な状態のように見えるかもしれませんが必要なものを必要なだけ造ってはいないということでもあるので単純にいえば欠乏であり、不経済の状態です。
 勿論、相対的不足は必ず生じるものであり、それが景気が上向く良い機会にもなるものですが不足供給が続いてはいけません。
 2012年の中央自動車道の笹子隧道の天井板の崩落の事故などは必要なものが必要なだけ造られてはいない今時の状況を現すものです。
 アベノミクスは公共設備の修繕や更新を主とする公共事業の政策を打ち出しており、目のつけどころはシャープですがそれが全国に亘り実践されているかは分かりません。公共設備に分類されるものの他、民間にも様々な「造らなさ過ぎ」が見て取れます。
 供給が不足すれば物価が上がり、経済成長を阻む要因になります。
a0313715_22041798.jpg 昔の社会科や経済学の教科書には「景気が上向くと物価が上がる。」と書かれていましたがそれは高度経済成長という当時の環境に依存する見方であり、景気と物価とには直接の関係はなく、間接的にも関係のない場合が多いです。物価の変動は需要に対する供給の過不足によってのみ生じるものです。高度成長の時代には実際の供給が見込まれる需要を下回る場合が多く、不足供給が常態となり易いので物価が上がります。しかし高度成長の時代にも術理の著しい進歩による生産能力の向上により価格が下がる場合があります。例えば量産効果と呼ばれるものもそれにあたります。
 さすがに今時は「景気が上向くと物価が上がる。」と説明する教科書は少なくなって来ているようであり、中学の公民の教科書にも物価の変動は需要と供給の過不足により生じ、景気との関わりはないと説明されるものが多くなってきています。昔の教科書は高度成長という現象だけを見て書かれていたのでそのように説明されてはいませんでした。

a0313715_22061133.jpg リーマンショックの後に先のような過剰な供給不足の傾向は雇用の促進などにより幾らか是正されていますが不足供給の傾向が猶も続いているのは確かです。今の日本にはいわれているような、需要がないのではなく、供給が足りていないのです。多くの国民、消費者は財が市場に不足するその状況に多少の我慢していますがそれを買い控えと誤解する経済論者が跡を絶ちません。欲しい品はないので買わないのではなく欲しいけれど品がない、ないものは買えない。いわば金余りに物不足です、金余りということはしばしば箪笥預金という語で説明されていますが。
 また、過剰供給を避けるということがそのような状況においては雇用をより促進することや商品の付加価値を高めることを怠ることの口実になってもいます。そのような企業家の口実に意図してかせずしてか忠実なのが先の前原氏や細野氏などのグローバリストの政治家達です――それは彼らの今属する希望の党の理念と政策観ではありません、誤解のないように。――。尤も、消費税、即ち付加価値税を15%にとか20%にとかいう彼らにすれば、商品の付加価値の増加は価格の上昇につながり、それで庶民の消費税の負担が増しては反対に遭うということで雇用の回避を容易くするための社会保障の整備、所謂セーフティーネットの概念や低付加価値型のグローバル産業経済を支持する訳でしょう。しかし消費税を比較的低め――:10%程度――に抑えておけば企業は安心して高付加価値型の業務のあり方にすることができ、社会保障の拡充も雇用の回避のためではなく国民の健康な文化的生活のための基礎をなすべきものになるでしょう。
a0313715_22074593.jpg 10%への消費増税を支持する経済界の全てがグローバリストではなく、そのような高付加価値型の産業経済と社会保障を実現するための消費増税を支持する経済界の人達も少なくはありません。
 逆に、消費増税を渋る安倍政権の意図は単にアベノミクスによる景気の刺激には差し支えるからというものであり、ゆくゆくはどうするかについては正直にいってまだ何も考えてはいないのが本当の処でしょう。少なくとも安倍総理自らはグローバリストではありませんし、麻生財務大臣も違います。但し安倍政権とアベノミクスについていえるのは先の物価についての旧い理解に留まったままで経済政策を考えていることです。スーパーあずさになったあずさ2号が更にウルトラあずさになっただけのことです。走っている時には表示板を消さないといけないようです。

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by keitan020211 | 2018-03-15 15:28 | 政治、社会 | Comments(0)
北朝鮮とアメリカ 首脳会談は圧力の成果?
 アメリカのトランプ大統領がもう一つの急転直下として決めた北朝鮮との首脳会談につき、日本の安倍総理は二つの急転直下の正にその日である9日に北朝鮮は非核化を前提に対話を始めると申し出たその変化を評価する、それは日本とアメリカ、更には韓国と国際共同体が連携して共に高度な圧力を北朝鮮に掛け続けている成果であろうと思うと語ったという。

 全く見当違いな見方である。
 日本、韓国と国際共同体による北朝鮮への圧力はこの歴史的対話が実現されるまでの時間を稼ぐための大掛かりな飾りに過ぎない。それは恰も金正日委員長が2000年のアメリカの高官の北朝鮮への訪問を迎えた際のマスゲームがアメリカを欺くための大掛かりな飾りとして行われたのと似る。圧力により、世界は北朝鮮を欺き返そうとしている訳である。如何なる制裁も北朝鮮に対しては効かないことは私や貴方を含む世界がこれまでに幾度も見てきた通りである。世界は今、制裁をやっているという快感に浸っている。
 そんな世界に背を向けているというトランプ大統領が、かような快感を増すために北朝鮮との会談を持つことにしたとは考えられない。池上彰に頷いて世界といわれるものに同調する方々も、トランプの意についての安倍総理のそのような見方だけは聊かおかしいと感づくであろう。
 圧力を掛けた、滔々屈しつつある、さあ対話、さあ開幕ーーそれがトランプ大統領の戦略であるとは誰も思えなかろう。トランプ大統領は国際共同体のそれとは異なる独自の圧力を昨年から掛けており、安倍総理の解説が世界の論理とトランプのカードのすり替えであることは明らかである。そのようなことを四字熟語では牽強付会と言う。

 欺く北朝鮮と欺き返す世界ーートランプ大統領はそれらの何れの立場にも立ってはいない。

 トランプのアメリカが北朝鮮との首脳会談で狙いとしていること、それは北朝鮮及び朝鮮半島の非核化よりも世界の核戦力の統御である。
 『核のない世界』を提唱してイランの核開発の根を止めようとしたオバマ政権の考えと小型核兵器の実用化の検討などによる核戦力の重視と、それらの間を取ってオバマと自らの両方を立てようとしている。
 それらの両方が立つためには世界の核戦力の統御の力が「再び」、アメリカを含む国連の常任理事国等に取り戻されなくてはならない。尤も、そのような青写真は結果としては安倍政権に代表されているような日本の望みに適うかもしれない。
 イランとの交渉を率いたのは当時の国務長官ヒラリー クリントン氏であり、トランプ政権の政策を画定している方々はクリントンの政策観と過去の行動を相当に研究して吟味している筈である。
 そのためには、先ずは北朝鮮の口先からだけでも「非核化」のかなり強い言葉を引き出さなくてはならない。北朝鮮が核を持つから、世界の他の国々も核武装を検討し若しくは実行しかねない。その芽を摘むための機会としてトランプ大統領と金正恩委員長の意気が投合したのである。

 では北朝鮮の言う「非核化」は「本当に」口先だけなのかといえば、必ずしもそうではない。場合によってはそうするという意味合いであり、まだそこまでは自他共に確かなことは云えないとしているであろう。或いは早速や部分的にでもかの国の核戦力の削減をするかもしれない。

 北朝鮮とアメリカはそのような大きな流れを確認することにおいては同盟国となる訳であり、日本はこれまでの反北朝鮮の構えを続けることはできなくなる。それはこの数日の日本の報道メディア等の解説等に見るに明らかであり、圧力の継続を支持するような論調は影を潜めている。この状況は日本の報道がメディアが安倍政権を見切り始めているトランプ政権の統御の下に入りつつあるということであり、反トランプの構えもまた壁に描く影にしかならなくなってゆく。安倍政権がそのような状況に機敏に対応するならば安倍総理は辞任を免れて麻生総理の時のような円満な敗けによってしか自らの政権を失わないこととなろう。弊ブログはその可能性は安倍総理の気概と報道方の惻隠の情によってはあり得ると見る。但しそのためには政府は北朝鮮を巡る事柄には首を突込まずにトランプのアメリカに任せることが必要条件になる。しかしトランプ政権をアメリカの着ぐるみのようなものとして利用し続けるだけならば安倍政権はその金庫番ならぬ、輪転機の更新を迎えて程なく終わることになろう。

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by keitan020211 | 2018-03-11 20:23 | 政治、社会 | Comments(0)
報道と権力 そもそもの関係に立ち返る
 今日の夕方に、コンビニエンスストアに並ぶ新聞等の中に、日刊ゲンダイの1面の見出しは安倍総理と朝日新聞の反目が激しくなっていると伝えるものであった。
 安倍政権が森友学園の昨年までに創ろうとしていた小学校の設立に便宜を図ろうとしていたという森友疑惑を巡る報道につき、朝日新聞などの報道が政権にとって不本意であることを安倍総理及び関係の閣僚等や官僚等が国会においてもしばしば述べている。野党等による森友疑惑の追及は安倍自民党が昨年の十月の衆議院総選挙に勝ってから一旦は途切れていたが財務省による関係の文書等の改竄などの疑いが出るに及びこのところに再び国会と報道の話題になっている。朝日新聞は中でもとりわけその問題を重点として報じている。
 
 私は森友疑惑について報じられた事柄には事実も不事実も含まれるかと見ている。どれがどうであるとはまだ言えないが、政権と報道等のそれぞれに正しさも誤りもあろう。
 安倍政権はそれらの報道が不当と思う訳であり、それについて粗一様に出ている批判は報道は権力の批判と抑制を旨とするものであり、権力の側が報道を批判することはかようの報道の責務を否定する暴挙であるというもの。安倍政権は報道の意義を理解してはおらず、そのような政権が立つことは罷りならないというのである。
 報道の意義と責務がかようのものであることには弊ブログにも異存はない、そのようなものであるべきである。
 しかし安倍政権のように報道を批判することは権力の立場に悖るものであるか、必ずしもそうではない。
 報道の意義と責務を理解しその立場を尊重する政権が時折に立つことは望ましいことである。但しその場合における尊重とは政権が報道を庇護することではない。そうなるならば、報道は逆に権力に取り込まれて本来の立場を失うことになる。この国ではしばしば尊重とは庇護を意味し、報道の意義と責務を説く論はそのような意味合いに解されて現実がそのようなものになりがちになる。
 そもそもの成り立ちを見ると、報道は権力の意向とは関わりなく創られたものである。権力が自らを批判することを報道に求めたのではないし、報道が自らの立場を権力が認めるように頼んだのではない。それぞれが別の成り立ちを辿り、それがいつの間にか既成事実となった時に各国の憲法が報道の自由の保障を決めた。憲法とは国民の総意であり、諸国民が両者を仲裁して相並ぶことを求めた、そして今の世がある。諸国民は報道が権力の現勢を伝え、知ることを権利として求めたからである。
 国民の務めは両者を尊重して時に仲裁することにあり、権力か報道かのいずれかに付いて圧迫に加わったり批判に加わったりすることではない。権力と報道はそれぞれに独立のものであるが、国民もまたそれらに独立するものである。

 かようのそもそもを考えると、権力にとっての報道に対する望ましいあり方とは「報道の方々が私達政権をどのように伝えても構いませんが、私達には正しさがある。」と説くことのできることではないか。そのような指導者とその政権が立ってほしいものである。
 朝日新聞などとの抗争を重ねる安倍政権はそれと比べると望ましからざるものであることは確かである。しかしそのような政権も時には出てくるものでもある。報道の意義と責務を理解していない、それは安倍政権にとってはそれが偶々自らが立つに際しての関心の外であった故の不備であり、その不備を慌てて埋めるためにこれまでの幾つかの不当と批判されるような措置が出てきた。そして報道に詳しくてその裏を掻くことのできる外部の者を折々に傭して支持率を維持してきた。それを非難することは容易いが、国民はそれらの間にあるものを見極めながら権力にも報道にも立たない自らの立場と批判を生み出さなくてはなるまい。

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by keitan020211 | 2018-03-11 20:21 | 政治、社会 | Comments(0)
東京地下鉄のBGMと京都の私道の封鎖――所有権の履き違いが起こした事例
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賊軍戦没者の靖国神社の合祀に 絶対反対

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皆様の力で阻止しましょう!

 今朝のTBSテレビの『ひるおび』に、東京メトロ日比谷線の車室における後方音楽、BGMの放送の開始についての話題があった。
a0313715_16340439.jpg 『ひるおび』は数年前までは反安倍の振りをしながら視聴者を安倍政権の支持へと誘導しようとする最悪の番組であったが近頃はその「振り」がなくなり、安倍政権寄りの立場を何となく明らかにするようになり、その後今は親安倍でも反安倍でもない凡そ中立な番組となって好感度が上がっている。テレビ朝日の『ワイド!スクランブル』やフジテレビの『ノンストップ』などの同じ時間帯の他局等の番組が前の『ひるおび』より少しましな程なだけの悪いものであるだけにその伸びようが一層際立つ。
 『ひるおび』はそこでかのBGMのことについて否定的見方を前面に出し、八代英輝弁護士や福本容子毎日新聞編集委員が列車などのような公共の場における音楽の放送や演奏は人権に関わる問題であり、極めて慎重に考えなくてはならないことであると意見した。弊ブログもまたその見方に同意する。

 騒音のような避けられないものとは違い、楽音はそれを出す者が他者がそれを聴くことを強制する性質がある。強制を承諾する者のみにより楽しまれて成り立つのが音楽というものである。
 商店のように客がそこに来ることを任意に選べる所においてさえそこにおける楽音の放送や演奏は慎重にされるできものであるが鉄道などの公共交通は客が任意に選ぶことは大抵はできない。客は或る鉄道の利用を住地や行先により宿命づけられて利用する。そのような場においては運行の維持に直接に関わる事柄の外は事業主が客に何等かの強制をすることはできないと解するべきである。それが八代氏の人権問題ということの本質と思われる。
 尤も、そのような人権の定義は憲法には何も記されない。改正しようとしなかろうとそれは同じではあるが、民事紛争においてはそのような人権の定義が必要となることがある。「そんな法律はどこにもないではないか。」は通用しない。
 日比谷線を日頃に利用する有力者などが東京地下鉄を相手取り訴訟を起こすか或いは一般利用客がBGMの放送の取り止めを求める署名運動を起こすことが望まれる。

a0313715_16361517.jpg 『ひるおび』はそのような人権上の問題だけではなく、そのBGMに選ばれた楽曲等の不適切性を指摘し、センスのなさの観点からも批判した。選ばれた曲等はショパンの『ノクターン』など、悉く夜を主題とし昼間の放送には馴染まないとのものであり、完膚ない批判である。それも弊ブログは同意する。
 そういえば日比谷線は「立入ると鉄道営業法第33条により罰せられます。」との掲示が列車にある低俗な鉄道会社の列車も乗り入れる。そこでも「東武に交われば馬鹿になる」訳である。
 他にも京王電鉄がこの2月に運行を始める新しい特急列車の車室にBGM放送をすることになっており、私の年来に好きな京王の良識が疑われる残念なことである。
 また車室のみならず、駅における列車の到着や発車の際の短い音楽、所謂発メロも同じ理由から廃止若しくは禁止が望ましい。日本人は音に関し節操がないとか芸術としては成り立たないものを――※:芸術は先述の「強制の明示的承諾により成り立つ」ということ――芸術といって擁護するとは永らく指摘される悪弊であり、そのようなものが行われていながら外国の訪問客がオリンピックなどで日本の鉄道を利用することは国の恥になる。「オリンピックまでにするべきこと」の第一は発メロの廃止であろう。

 そのようなしばしば面白いとか新しい試みなどといって見過ごされていつの間にか当たり前のものになり果せ易い――当たり前ではなければよいというものでもないが、――ことを、日和見の姿勢で成注をかまさずに批判をした『ひるおび』は素晴らしい。

 その東京メトロや京王電鉄のBGMのことに横たわる本質は何なのか?

 その示唆になるかのような話題が『ひるおび』のその直ぐ前にあった。

a0313715_16274467.jpg 京都市北区の京福等持院駅の近くにある京都学園という学校の所有する私道が長らく周辺の市民の便宜の見地から公道に準ずるものとして開放されていたのが、当学園の京都市役所への申し入れにより廃されて市民が通れなくなったことについて。
 当学園は開放の廃止からはそこを生徒の陸上競技に用いる場に改装している。
 そこが通れないことに由り人々は京福電車の二か所の踏切を渡って迂回せざるを得なくなり、殊に車が踏切の直ぐ脇にある交差点を曲がれずに切り返しを要するなどの大変な不便が生じている。

 『ひるおび』の八代弁護士が先ずは解説するように、その私道の開放の廃止は合法であり、市民が訴訟を起こしても勝てる可能性はない。
 八代氏の見方とは少し違う観点であるかもしれないが、その合法性の焦点は京都市役所への当該の申請の瑕疵の有無にあると思われる。そこに瑕疵があれば原告の勝訴の可能性はあることになるが瑕疵がないのでないことになる。
 そこを憲法の「国民の財産は公共の福祉のために用いることができる」の規定を持ち出すのは門違いであり、役場や政府は私有地であるその私道を市民のために開放することを求めることはできない。当該の申請の制度は逆に私有地が所有者の意思により所有者以外の人に自由に使われる現実の状態を所有権の侵害と誤認しないようにするためのものと考えられる。
 しかし京都学園の一連の措置は法的問題の外に、一般常識の観点から、市民としての誠意に乏しいものと見做せる。
 八代氏は裁判の勝ち目はないものの、互いの歩み寄りによる解決が大切であると語る。
 尤も、歩み寄りを試みても埒が開かないことも少なくはなく、彼のその勧めには必ずしも賛成し得るとは限らない。先ずは京都学園の市民としての基本的心構え、それが改められることが必要である。
 その心構えとは自己の所有する財物は所有者の任意により処分することができるとは限らないことの認識である。例えば自動車の廃車はその所有者が任意にすることはできず廃車処分の制度に基づき専門の業者に委ねなくてはならない。また、自分の家なら何でも自分の好きなように暮らしてよい訳ではない。或いはみかんでキャッチボールをすることが自由といって認められるかといえばそうではなかろう。
 京都学園による私道の開放の廃止はいわば鉄パイプと八つ橋でゴルフをすることを生徒達に教えているようなものであり、所有権の履き違いであり、公共の観念の欠如である。
a0313715_16293319.jpg どうも今時は自分のものなら何でも自分の好きなように使える、それぞれの自由なのに文句を言うべきではないという風潮が強まっている。グローバリズムもそれを後押ししている一因であろうし、それにより公共心が弱まり或いは全くない人も少なくない。
 左の写真の例などは私権を主張するために公権の定める標識の図柄を用いており、逆に違法ではないか。

 自己所有の私道とはいえ、元々道路として造ったものである。道路の形をしておれば人はそれを道路と認識するものであり、それを「いいえ、私達だけが通るものです。」と云うことは常識からして許されるものではない。或いは道路の形をしてはいなくても人々が容易に通行することのできるような形になっておればそこを通る他人がいてもそれは所有者の責任である。それにより所有者の所有権そのものが否定されて通行の許可が命ぜられることはあり得ないが、責任の一端の指摘は免れまい。所有地の取得が侵略によるものならば尚更である――※:その場合でも実効支配の権利が認められる場合がある、その京都学園と周辺の市民の件には実効支配のことは当て嵌まらないが。――。

 東京メトロもまた、列車は自社の所有するものである以上はその車室や駅をどうしようと自社の自由であるという考えがある故のBGMなのであると考えられる。公共性の高い事業である鉄道会社として相応しい考えとは到底思われない。「バカの壁」は尚も厚い。

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by keitan020211 | 2018-01-30 16:36 | 政治、社会 | Comments(0)
エルサレムが首都になって1か月 その意味は何か?
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賊軍戦没者の靖国神社の合祀に 絶対反対

都合の悪い歴史を覆い隠す
A級戦犯の分祀に 絶対反対

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 ――…随分と失礼な題名である。
 イスラエルは永らくエルサレムをその首都と宣言しており、先月にアメリカのトランプ大統領がそこをかの国の首都と認めたことは或る一国による国際認知の変更に過ぎない。
 本来は他の国々が何といおうと自国が宣言したことがその国の決まりなのであり、他国の認知は身も蓋もなくいえば便宜的目安に過ぎない。
 しかしアメリカはこの程にエルサレムをイスラエルの首都と認めたことにより、イスラエルのそのような意味における主権と自決を支持する旨を表明した訳である。
a0313715_18461468.jpg それまでは他の面ではイスラエルの主権と自決を強く支持する方針でいたが、これからはテル アビブが首都であるという便宜的認識を廃してより全面的に支持することにした。便宜的――交通の利便もテル アビブが格段に良い。
 交通といえば、エルサレムの嘆きの壁の近くの駅の名がそれを受けてトランプ駅に改められる。

 因みに我が国日本は、自国が宣言した首都というものはなく、東京がテル アビブのような便宜的首都として国際的に認知されている。今般のイスラエルの件は日本の首都についても影響を及ぼすかもしれない。テル アビブや東京は分かり易く言い換えれば「政府所在地」であり首都ではない。

 その日本はその件を受けて何故か、アメリカによるその認知を認めないことを支持する――何かをしないことを支持するというのも政治的に変な話である。――ことを表明しているが、日本は永らくそのことについては二重基準を取っている。政府の公式見解としてはテル アビブを認知しているが世界地図や歴史の教科書などの民間においては多くがエルサレムの地点が赤く印されている。赤い印は首都を示す。なので日本人の多くは何となくエルサレム説を受け入れているが――そんなことはなかったとは言わせない。――大人になって色々と政治の実情を知るとテル アビブ説を支持するようになる人も少なくない。故に多くの日本人にとってはトランプ大統領のその決断はごく普通に理解できることであり、そうではなくても少なくとも信じがたい暴挙などとして非難し得るものではない筈なのである。
 その一件は今時の日本人が如何に嘘つきであるかを示すことでもある。

 そもそもその件に噛みつく人々は首都の意味を分かっていない。「政府所在地=首都」と思っている。しかしイスラエルや日本の他にも、オランダの首都はアムステルダムであり政府所在地はデン ハーグである。そう見れば、アメリカの首都をニューヨークと答える人を強ち侮れるものでもない。
 首都とは何かの認識には概ね二つの大きな考え方がある。

 ①社会契約のなされた場所。
 ②資本の集積される場所。

a0313715_18491811.jpg イスラエルやアメリカの考え方は典型的に①である。
 エルサレムとワシントンは何れもイスラエルとアメリカの国家がそこで立てられたことを記念する場所であり、国民と政府などの主要の権力が社会契約を結ぶことにより立憲主義に基づく国家が出来たと少なくとも理屈としては理解される。ワシントンはより理屈に負う処が大きいがエルサレムは歴史的経験の宝庫であり、理屈抜きというべきものも大きい。
 イスラエルやアメリカの程には大きくて壮絶な歴史によるものではなくても、その考え方に基づく国は多くある。例えば北京を首都とする中国もそうである。

 ②のみに基づく国は少ないが、①と②を併せ持ち、②の考え方のより強い国々はイギリス(:ロンドン)やフランス(:パリ)、ドイツ(:ベルリン)など。
 日本の東京は②のみであり、①の考え方はない。日本の社会契約と立憲主義は全て事後承認に基づくので特定の場所にてなされて記念されるものではなく、統治に関わる者が適宜の場所で行う密議や各地に散在する国民個人の任意の承認に委ねられるのが特徴である。尤も、アメリカなどの諸外国にも現代はそのような考え方が強まっており、首都には意味がないとする説もある。トランプ大統領が批判する広い意味でのワシントン政治というのもそのことであり、その「ワシントン」は必ずしも実地のワシントンのことではない。
 実は私、弊ブログも基本としてはトランプ大統領の批判する「ワシントン政治」を支持するが、トランプ大統領の批判と主張にも意義があると思い、トランプ政権を応援することにしている。
 私、弊ブログが認めないもの、世界に亘っても廃れつつあるのは②の考え方であり、そうなると日本には尚更に首都はないことになる。首都不要論である。
a0313715_18533230.jpg ②は資本主義経済と密接に、というか同一のものであり、資本主義とは大雑把にいえば利益よりも資本の蓄積を優先する思想である。勘違いしている人が結構多いようではあるが、所謂儲け主義への批判は資本主義を地でゆくものであり、儲け主義は資本主義ではなく自由経済という。資本主義は自由経済ではない。
 ロンドン、パリ、ベルリンや東京は資本主義の中心拠点として近代に再整備がなされた場所であり、①の社会契約の場所としての意味は薄いか或いは全くない。
 そのような所を首都と呼ぶ国々の人達からすればトランプ大統領によるエルサレムの首都の承認は資本主義を毀す許し難いものと映る。
 私は何も、ロンドンやパリを嫌いとかテロを仕掛けられても仕方がないなどというのではなく――寧ろ世界最高の二大都市と思う。――、それらに付与されているそのような位置づけを否定するだけである。それらはあくまでも政府所在地でしかない。

 トランプ大統領の決断は社会契約と立憲主義というものを世界に示す。

 しかしでは日本がそれを受けてどうするべきかといえば、確かなことはいえない。
 今までは官民の二重基準が当たり前に通用しており、今やそれを変えるべしとも思わない。二重基準とは言い換えれば複眼であり、知性にとっては大切なものである。二重基準を非難する人達は自他共に単眼でしかものを見ないようにさせようとしている。問:「イスラエルの首都はどこでしょう?」――答:「エルサレム。」:で何も困ることはないし、「テルアビブ」と答える人は知ったかぶりの疑いがある。そもそも、「テル」と「アビブ」の二語であることを知っていて言っているのか?
 他国の社会契約を無視して自国の立憲主義を云々するのは違憲としかいいようがない。そもそも日本には社会契約のなされた特定の場所はなく、故に彼等は②の資本主義の論理だけを以て東京を日本の首都と認知している訳である。故に地方分権を訴える民主党をぽい捨てにして「フォルクスパルタイ(自民党) ポロ」でしかない立憲民主党に鞍替えたりする。
 日本は密議と事後承認の積み重ねによって細々と築かれて来たそれなりの社会契約と立憲主義を大切にしてゆくしかない。そのような姿勢もなくゴネ得の場でしかない国際世論に与するのは以ての外である。

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by keitan020211 | 2018-01-03 18:43 | 政治、社会 | Comments(0)
【2018年 年頭の論説】国とは何か?――人口問題の次に来るもの
■ブルゾンちえみが告げた時代の切れ目

 「…35億。」――ゆく年2017年に人気になったお笑い芸人のブルゾンちえみの決め文句。タイトスカートとシャツを基調とする暗めの色のその装いはそれまでのお笑い芸人の相場を塗り替えるような端正なもの。去年ははっきりと認識し難いが、何かが変わる、既に変わっていると感じさせた名場面である。
 「35億」とは地球の人口の約半分、そこでは男の数を指す。全世界の人口が大きく増える傾向にあると同時にこの日本の人口は数年前から漸減の傾向となっていることは頓に知られている。
 それだけ世界に占める日本の大きさは小さくなってゆかざるを得ない――その危機感が良きにつけ悪しきにつけ、日本の存在感を世界に訴える動きにつながっているのであろう。そこにはこの国の生き残りを懸ける必要な営みもあるが、自国を徒に誇るためのものと思しい恥ずるべき営みもある。一般に知られ易いメディアを通して見聞きするものは後者が圧倒して多い。何れにせよ、希望よりも焦燥が大きくこの国を覆っている。
 そして男の数だけではなく女の数を増やすべしとの掛け声も政権などから出ているが、それなどは焦燥の処か既に手遅れではないかと見る向きも少なくない。日本の男女平等度の評価は世界の最下位級であり、国民のそれに関する意識は新しい憲法の公布から七十年を経てもなかなか変わりそうにはない。
 人口の減少に抗うために、子供をもっと生み育てるべしとの声もある。自民党の山東昭子議員が昨年に子供を四人以上産んだ人を表彰する制度を考えたいと語って批判を受けた。確かに実際には荒唐無稽とも思える提案ではあるが、人口減の一因である「少ない子供を大切に育てる」という価値観を変えることには意味のあるものである。その「大切に」とは何かを考えると、それは必ずしも子供の名誉や将来を本当の意味で尊重することではないことは多くの人々が薄々と感じている。相模原市の障碍者施設で起こった大量殺戮の事件はその価値観の忠実な帰結であり、犯人と同じ思想を持つ自らを恥じるべき人も「普通に」少なくない筈である。実際には大家族が普通になることはもはやないにせよ、大家族的価値観は子供と人口が少なくなってゆくこれからの時代にも大切なものとなろう。
 少子高齢化を基底とする人口問題は21世紀の日本の世論の主要の関心事となっているが、人口減が既に誰にも分かる既定の見通しとなっている今や、その次に来るものを見出す必要がある。

■人は国にとって何なのか?

 希望よりも焦燥が覆うこの国の今にあって、去年の秋の衆議院総選挙で安倍政権の自民党が大勝を収めたことが或る面ではその一時の安堵をもたらしている。それを不本意とする人々にとっても、仮にその時に政権交代が起こっていたならばそこに新しい焦燥が生まれていたであろう。安倍政権に、自民党政権に、負ける訳にはゆかない。――そんな焦りが本当にするべきことを見えなくさせるかもしれない。その意味においては去年2017年は安定の年でもあった。
 しかし、この安定もそう長くは続かない。少なくとも人口問題の認識だけでは解決し難いものがホワイトアウトの状態にある。
 それは国の人口は減っても人の豊かさは増えなくてはならないことである。
 国の人口が減ってゆくことが恰も人の豊かさをも減らしてゆくという見方が跡を絶たないようであるが、それは人の自意識が国の形と別ち難く結びついてしまっているからであろう。国が廃れれば心も廃ることは必然ではあるが、国が栄えれば誇らしいという感覚では国が廃れかけている今は誇りを持ち得ないことになる。国と共に廃れかねない心を保つには何か他の拠り処が必要となる。延いてはそれが国を再び立てる力となる。そうであれば「アメリカはもはや私の国ではない。」などという嘆きは出る筈もない。どんなものであれ、国の形と人の形は異なる。
 人はそして自分は国にとって何なのか、それを問うべき時代に来ている。それは半世紀前にケネディ大統領が語った「国が何を貴方にするかをよりも、貴方が国に何をするかを問うべし。」との言葉にも通じるかもしれない。人と人々がいてそれぞれに何かをする所にしか国はできない。国とは人々の営みの寄せ集めである。そして良きにつけ悪しきにつけ、その現実を共にすることもまた国であり、今そこを含め、どこかに素晴らしい日本というものがあるのではない。故に、『日本を、取り戻す。』という安倍政権の声はそれがどんなものであれ誤りである。

■『一人ひとりの高度成長』の時代に

 ――そんな今、かつてのような高度成長を再びすることはできないことは自明である。
 しかしそうであるといって経済成長には頼らない『成熟社会』が必要であるなどという論理の飛躍は更に誤りである。そのように見る人達は人間の幸せをやはり国全体で見るという、高度成長の時代の物差をそれとは違う今の時代に当てる誤りをしている。その計測結果が大きいか小さいかだけが違いであり、それが小さくても幸せと思うべしというのである。国民一人ひとりや人間一人ひとりを見て考えれば『成熟社会』などという発想は出て来る筈もない。そうではなく、昔は国全体が高度成長を果たしていた、今まではその余韻で動いていた、今度は一人ひとりが高度成長をしてゆく時代であると見定めなくてはならない。その成長率が全体の人口減と比べて大きければ良い。
 そのためにはどんな人に仕えたいか、そしてどんな政治指導者を選ぶべきかを考えてみる必要もあろう。自分を変えることも勿論必要ではあるが、どんな人の下に入るかを選ぶことも必要である。結婚ができないことや子供が出来ないことも意外と、それを想い描くことができない、経済力よりも想像力の貧困が原因なのではないか。想像力と経済力の相乗効果が働いてこそ、豊かさと幸せは実現する。今までの時代はそれらが切り離されてどちらかだけが偏重されていたと考えるべきであろう。而して「成熟」とは頽廃の類語であり、想像力のない経済力と経済力のない想像力を奨励する用語であり、21世紀型のファシズムであった。今年からは世界が総力を挙げてその誤った道を殲滅しなくてはならない。

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by keitan020211 | 2018-01-01 00:34 | 政治、社会 | Comments(0)
最も正しい リベラルと保守;左翼と右翼の定義 その7 社会編
賊軍を官軍の勝ち組クラブに入れる
賊軍戦没者の靖国神社の合祀に 絶対反対

都合の悪い歴史を覆い隠す
A級戦犯の分祀に 絶対反対

皆様の力で阻止しましょう!

 リベラルな価値ということがしばしば云われます。

 報道や言論のメディアにおいて云われる場合は、既成の価値観に縛られずに現在世代の人々が求めることやものを許容し若しくはそれを公に認める法制度を作ることをいうようです。
 そのような理解は凡そ正しいといえます。
 既成のものが良くないと思っていてそれに反する何かを実現したい際には、それを変える必要があります。それは新しいことを直ちに実行するだけで実現する場合もありますが法制度を変えることを要する場合もあります。

a0313715_04122471.jpg 但しそのようなメディアを通して云われるリベラルな価値の理解は「現在世代」の求めることやものだけを対象としています。そこは理解の狭さです。
 過去には現在にはいないような様々な人々がいたし、未来には現在にはいないどんな人々が生まれて来るか分かりません。
 過去や未来の人々も現在の人々と同じ土を踏み、同じ空気を吸います。
 彼等のことをも考えなければ本当の意味でのリベラルな価値とはいえません。
 勿論、現在世代は過去の人々の思いを充分に知ってはおらず、未来の人々の思いを充分に見通すことはできません。勝手な想像により昔の人はどうであったとかこれからの人はどう思うに違いないとかということは許されるものではありません。そのような決めつけをせずに、現在世代の人々の知識、良心と責任において考えることがどうしても必要です。
 その知識、良心と責任が過去と未来の人々の心を汲むように働くか、それができることが本当のリベラル、自由であり延いては本当のリベラルな価値をもたらします。

 また、現在世代によるリベラルな価値の追求におけるもう一つの問題としては、事柄の切り売りがあります。
a0313715_04154867.jpg 何等かの問題、争点を個別にパッケージングして分野をなし、それが人々にメディアを通して提示されます。
 そうなると、一つ一つの事柄を自己完結的に処理するように考える癖がつき易く、それぞれの事柄をつなぐような深い考えがなかなか生まれて来ないことになります。
 「つなぐ」ことにつながるものは例えば文芸、les arts libérauxです。文芸は人文学とも呼ばれます。
 それを学業として修めた人々は勿論ですが、そうではない人々にも文芸は多少開かれており、それを学ぶことができます。昔は一々本を買わなければならなかったので文芸を知り得るには経済力の格差が壁となっていましたが今はネットがあるので基本料金だけで済み、格差の壁はややなくなって来ています。それを嘘と思うならばネットを生かしていないか生かそうともしていないかです。
 他にあるのは手当たり次第に知識を拾い、それらを自分の頭でつなぐことです。それも今はネットによりかなりでき易くなっています。学業を修めている人も社会人になるとその手に頼ることが多くなります。
 かつて民主党の小沢一郎氏がインターネット端末を全ての世帯に無償で給付するという政策を提案したことがありましたが彼もまた、若し生かせるならば、ネットのリベラルな価値の追求と実現の可能性を広げる意義は大きいと見ているのでしょう。ヨーロッパには眼鏡を全ての国民に無償で給付する国もあるので小沢氏のそれも充分に可能なのですが、インターネットパソコンがまだ自動車のようなステータスシンボルであった時代の提案なので無償給付による普及はその誇りを毀す、苦労してパソコンを買っている人々に不謹慎なりやということで反対されて実現しなかったのかもしれません。
 ネットの普及は前世紀の「事柄の切り売り」による世論を少しずつではあれど変えているといえます。尤も、それによってもまだまだ残る世論の通弊や新たに出て来た問題もあります。

 文芸と似て非なるのが教養、Kulturです。
a0313715_04171703.jpg 教養はそれそのものが事柄をパッケージングすることを根本とするため、事柄の切り売りを助長し易いものです。明治から昭和や平成に掛けて形成されたこの国の教養というものが事柄の切り売りによる歪んだ世論を形成しており、教養という概念はもはやハードディスクの残り滓データにしか残るべきものではありません。教養を身に着けたいと今時に思っている人は少し視点を変えて教養ではない知識を身に着けることを考えてほしいと思います。
 自分の意見が確立していると思っている或る事柄と他の事柄が不和を起こす、平たく言うと現実に著しく矛盾する、何も生まんじゅうろう、それは教養というものにある本質の故です。
 そのようなものである教養の作り出すものは社会の閉鎖的慣行や自由の阻害、本質的無関心などであり、教養はリベラルと相容れるものではありません。
 故に大学の共通科目なども、今は共通科目という名称になっていますが昔は一般教養科目と呼ばれる向きが多くて今もそのように呼ぶ大学があります。この国も年来に少しずつではあれそのような改善がありますが名を変えても実は変わらないこともあったり、まだ教養主義の壁は薄いとはいえないようです。

 リベラルな価値ということに関し、左翼、革新(中道左派)、保守(中道右派)と右翼の見方の違いはどうなのでしょうか?

 『その1』の記事に政治におけるリベラルとは革新と保守の総称であると語りました。
 しかし政治には限られないリベラルな生き方、生活における自由の追求や確保に関しては革新と保守だけではなくそれらの四つの全てがそうでありうるとも。
 とはいえ、それぞれの見方の多少の違いはあります。

 左翼:政治に関しては基本としてはリベラルではない。但し生活におけるより多くの自由を必要とする場合には政治的リベラルに与することもある。
 革新:政治に関しても生活に関してもリベラルを旨とする。但し経済社会と家庭の彼等なりの共通価値を優先し、それに反する自由は認めない。
 保守:政治に関しては基本としてはリベラルな価値よりも法に基づく伝統的統治のあり方を重視する。生活に関しては個人の自由を他者の自由を損なわない限りは無制限に認める。但しそれが損なわれる場合には政治においてもリベラルな価値を優先する。
 右翼:政治に関しても生活に関しても現状の維持を最も優先するため、保守的価値を求めるかリベラルな価値を求めるかは現状に基づいて決める。どちらがどれほどを占めるかは時により違う。

○左翼:政治に関しては基本としてはリベラルではない。但し生活におけるより多くの自由を必要とする場合には政治的リベラルに与することもある。

 共産党はリベラルではないとはしばしばいわれますが、凡そそれと同じ。
a0313715_04202098.jpg 政治に関してだけではなく生活に関してもなるべく伝統の保守を基本とする考え方をします。
 保守的価値に反する人がいる場合には、左翼は理性的説得による保守的価値への回帰を図ります。排除することもなければ保守的価値に反する方へ譲歩してゆくこともありません。但し多くの人々が保守的価値をより自由な在り方に修正することを求める場合には民主集中的議論を通して改めることが認められることもあります。議論もまた理性的説得の一つであり、左翼においては理性的説得が何よりも大切にされます。
 それらを実践し続けることができれば、左翼は或る意味では人間としての「上がり」であるといえるかもしれません。

○革新:政治に関しても生活に関してもリベラルを旨とする。但し経済社会と家庭の彼等なりの共通価値を優先し、それに反する自由は認めない。

 『その3 経済編』や『その6 風俗編その2』の記事に、革新は経済社会と家庭の共通価値をなすと語りました。それに反しない限りにおける自由、リベラルさを政治に関しても生活に関しても追求します。
 安倍政権が集団的自衛権を制限つきで認めることによる安全保障法を制定しましたが、そのような立法は革新的在り方に基づくものといえます。集団的自衛権が制限される部分はその行使が現在世代の経済社会と家庭の共通価値を侵しかねないものであり、そうではない部分が認められた訳です。保守ならそのような立法はせず、集団的自衛権の行使を全く認めないか無制限に認めるかのどちらかです。但し現在の保守はどちらかといえば集団的自衛権の行使を認めるべしと思う向きが多いのでその安保法そのものが保守的であるとはいえないにせよ、安全保障についての国民の世論が少しでも現在の保守に近づいたとはいえましょう。保守であるとはいえないけれど保守に少し近づいた状況は革新、保守と右翼が混然と分かりにくい思想の状況を招いています。故にも弊ブログは今このような解説と批評を物している訳です。
 革新の共通価値は常に変わらないものではなく、革新というからには時代により多少の変化があります。殊に大きく変わったといわれるのは同性愛者、所謂LGBTの権利についての見方です。
a0313715_04223178.jpg 因みに弊ブログは「LGBT, lesbians, gays, bisexuals and transgenders」の語は寧ろ差別的であることに鑑み、「HBT, homosexuals, bisexuals and transgenders」と呼ぶことにしています。取り分け男性の同性愛者を指す'gay'は元は「陽気な」という意味ですが、本質的無関心を陽気ぽく笑ってごまかすという含みがあります。とにかく'gay'とか'LGBT'と言えば同性愛者の権利と名誉に関心があるかのように装える。そのような欺瞞な言葉とそれを用いての運動を認めてはいけません。そしてそのような欺瞞は革新の最も根本に刻み込まれた特徴です。片や'homosexual'は至って科学的な語であり、本来なら合理主義を旨とする革新は率先してそのように呼ぶべきです。保守も基本としては合理主義なのでそのように呼ぶべきです。その内に「HBT48」も出来るでしょう。
 さて、革新はHBTの権利に積極的であるとされます。しかし本当でしょうか?真面目に考えているのではなく、盲判をついて権利の拡張を認めているだけなように見えます。中でも、同性婚を認めるべしとすることが革新の粗統一見解となっており、それに代わり得るHBTの共同生活、平たく言うと同棲を社会的経済的に支援するような法制度の提案などは絶無です。HBTが実際に求めているのは同棲であり男女の夫婦を真似るような結婚ではありません。同性婚はHBTをそのような男女の夫婦による家族及びそれに基づく社会経済の共通価値に陰に陽に収束させようと、染め直そうとする極めて侮辱的政策です。HBTの方々は彼等に騙されて舞い喜んでいてはいけません。
 同性婚への反対の或いは廃止を求めるデモが日本にも世界の様々の国にも起こってほしいと思います。賛成派は人類とその公正な政治の営みを終わらせようとしているとしか考えられません。

○保守:政治に関しては基本としてはリベラルな価値よりも法に基づく伝統的統治のあり方を重視する。生活に関しては個人の自由を他者の自由を損なわない限りは無制限に認める。但しそれが損なわれかねない場合には政治においてもリベラルな価値を優先する。

a0313715_04245111.jpg あちらを立てればそちらが立たず――何を立てるか立てないかの問題は人の世の常です。
 リベラルな価値、自由の追求は必然にそのようなジレンマを生じます。
 ジレンマを取り敢えず無難な状態に収めることができるのが法に基づく伝統的統治です。
 それは政治家だけではなく、人民がそれぞれ自らの分に応じてすべきものでもあります。何よりもまず、自らを治める、それが保守の思想の根本です。
 しかしそれがなかなかできない、出来る筈なのに上手くゆかない人も少なからずいます。なので自らを治めることだけに関心を持つのではなく他者を治めたり他者に治められたりすることを自ら選び取ることも必要です。そのように保守は自律主義でも他律主義でもありません。
 中には最も大きな自由は自然と共に在ることにこそ存すると思う人もいます。一概に保守といえども、自然を志向する保守と自然とは異なる人工を志向する保守があります。しかし何れにせよ、法に基づく伝統的統治を基本とする限りは自然と人工、自然派と人工派との間に致命的敵対は起こらないと考えます。「他者の自由を損なわない限りにおける無制限の自由」を考える際にはそのように「自然派と人工派」の例でしてみると分かり易いかと思います。例えば、やぎを自宅に飼うことは自由の観点から見てどうなのか?それは自然の営みというべきか人工の営みというべきか、権力としてはどう対応するべきか、示唆の多いものといえます。
 法は如何にして出来るか、それについての考え方は時代により変わります。今は民主的政治なので国民の多数が支持する法が正しい法であるとされます。

○右翼:政治に関しても生活に関しても現状の維持を最も優先するため、保守的価値を求めるかリベラルな価値を求めるかは現状に基づいて決める。どちらがどれほどを占めるかは時により違う。

 何を価値とするかは現状がどうであるかにより決まるので、右翼は相対主義であるといえます。
 現状の維持を基本とする右翼ですが、現状を絶対視するのではありません。それは寧ろ革新に多いものです。革新は自分達に有利な現状は絶対視してそれを変えさせません。
 現状と自分とを相対的に推し量り、そこでできることとできないことを見極める、それが右翼の肝です。
 そのような在り方は多かれ少なかれ、左翼、革新や保守にもあります。故にその点は右翼だけが格別に異なるのではありません。私も保守でありながら、その右翼的特徴を重視します。
 しかし右翼は他にはこれという特徴がないのでそれが右翼の最も大きな特色であるといえます。
a0313715_04265990.jpg 平凡、それが右翼です。
 過剰な平凡さはファシズムに転じ易いともいわれます。平凡さが固有の特色ではなく要求するべき全体の価値となるとそれはファシズムになります。すると現状の維持は所謂忖度と呼ばれるようになります。
 絶対的価値が現実に支配していた時代には右翼というものはありませんでした。あったのは保守と左翼、それにそれらのどちらでもない中間層――経済的中間層ではないが、近現代には主に彼等が革新勢力として経済的中間層をなす。――だけです。保守は権力に与する人々或いは権力に関心を抱く人々であり、左翼は権力とは距離をおく人々です。保守と左翼の何れもが主に宗教に基づく絶対的価値を尊重して生きる世界です。現在の右翼に当て嵌まる人々は保守と左翼の何れかでした。
 絶対的価値の支配がなくなり政治的自由の下に相対主義が生まれると、そこに右翼が出来ます。右翼はそこに絶対的価値の支配を逸早く断念し、相対主義に基づく新しい支配の形を考え出しました。それが象徴としての君主制であり、右翼は絶対王政のようなものを支持しません。しばしば勘違いされていますが、日本の象徴天皇制もまた右翼の考えに基づくものであり、絶対的君主制への復古を考えたことなどは一度もありません。その象徴天皇制を今は革新派がもてはやしており、寧ろ極右というべきなのは革新派です。
 尤も、相対主義に基づく象徴天皇制が侵略戦争を招いた訳であり、右翼の発想が必ずしも現実的であるとは限りません。
 よって保守としては一概に象徴天皇制とはいえどももう少し天皇の実際の権力を認めるべしと思います。他のアジアにはそれで先進的且つ自由に良く治まっている国もあります。

 何れにせよ、右翼がリベラルな価値を蔑ろにするというのは根も葉もない噂でして、それぞれがそれぞれなりに社会問題などにリベラルな視点で目を向けています。右翼には余りないのは「共通の関心」です。故にか、今時のように右翼の力の強い時代には価値や関心がばらばらの国民をその侭で治める強い指導力が重視され、国民の合意(コンセンサス)が出来にくいのです。

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by keitan020211 | 2017-12-14 04:28 | 政治、社会 | Comments(0)



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