カテゴリ:文明論( 54 )
【Freesia大特集2018年末:衣食住、そして生 】その3:「住」――住む
『その2:「食」――食べる』に続き、日本語と英語の話から。
 日本語は何故「私は神戸に住んでいる。」と言い「私は神戸に住む。」とは言わないか?
 英語は何故'I live in San Francisco.'と言い'I have lived in San Francisco.'とはあまり言わないか?
 どちらも「私の家は神戸にあります。」、'My home is in San Francisco.'と同じように言うこともできますが多くの場合は先の二つ。
 「私は神戸に住む。」とは言わないのは日本は古来から人口の移動が多くて土地との結び着きが世界に類を見ない程に弱い歴史から来るものと思われます。「住む、live(s)」は今住んでいるしこれからも住み続けるつもりであるという意志の表明の意味合いがありますが「住んでいる、have/has lived」には今まで住んでいるけれどこれからどうなるかは分からないという意味合いがあります。英語圏などの西洋にもそのように土地との結び着きの弱い人々は少なくはなく、日本語と同じような'I have lived in San Francisco.'のような言い方もあるのです。

 土地との結び着きが弱い故にバブル経済のような不動産投機の風潮もしばしば生じます。

a0313715_02204658.jpg 日本はこの三四十年程昔から「兎小屋」と呼ばれ、住宅の狭さが問題とされています。後に漸次に改善の傾向にありますが世界の相対で見るとかなり狭い。
 その理由をしばしば日本は国土が狭くて人口が多いからといわれますが実は国土の面積と人口は住宅の狭さは関係がありません。日本より狭くて人口密度の高いイギリスの住宅はおしなべて広い。
 住宅の狭さは日本だけの現象ではなく資本経済には必然の現象です。世界の凡そどの国々も資本経済が発達すると土地に値段がつくために面積当たりの価値が上がり、住宅は狭くなります。しかし諸外国の多くの国民は一度手に入れた土地や住宅を滅多なことでは手放さない、即ち他所へ引越さないので自己所有ならそこに含み資産ができ、土地の形状が変わることが少ない。日本には土地や住宅を手に入れても他所へ引越して手放す人が多い――「兎」には引越すのが早いという含みがあるのかもしれない。――ので売買や投機の機会が多くなり、その度に物件の面積が縮小されてゆくのです。
 なので高度経済成長期の前はそれ以後より戸建も集合住宅(長屋)も広い。それが経済成長と共に狭くなってゆき、近年はその傾向が幾らか逆転してきています。
 人口移動の多さは年金や生活保護、医療などの社会保障の制度による処も大きくあり、その理由を民間企業の慣行だけに見ることはできません。民間企業の慣行が長らく日本の住宅事情の悪玉と見做されていた汚名を晴らすために、近年に経済界が社会保障の改革とそのための途の一つとしての消費増税を支持しているのです。しかしそれを逆に更なる悪玉と見做す向きもあります。

a0313715_02233793.jpg 近年の横浜の港北ニュータウンの三井不動産のマンションの構造の問題など、日本の住宅がかなり昔から強度などの品質を軽視する弊があるのも子孫代々に亘る永住が少なくてどうせ遠からず引越すであろうという見込みで造られるからでしょう。  
 住宅以外の分野においてはかつては高い品質を持っていたが今は低下の傾向にありますが、住宅の分野だけは少なくとも近代の初めから品質が低い。
 但し大阪のあべのハルカスや横浜のランドマークタワー、東京のスカイツリーなどに代表される高層建築は比較的に高品質を持つ。それらの商業用建築だけではなく住宅も高層住宅の信頼性は元来は高い、術理(the technology)と技術(skills)の見せ場だからといえばそれまでですが――故にも東武スカイツリーラインなどとは国の恥である。――。港北ニュータウンのマンションは見せ場ではないのでそのようになる。密集地の木造建築等に至っては更にお粗末。

 よく十把一からげに「アパート・マンション」、略して「アパマン」と呼ばれますが、低層住宅の全てはアパートですが高層住宅の全てがマンションではありません。
 団地はマンションではないのは勿論ですが、他にもマンションではない高層住宅があり、それが『その1:「衣」――着る』の記事の冒頭にも言及した高層アパートです。
a0313715_02255644.jpg それらを分類する法的基準はないのでマンションなのか高層アパートなのか或いは低層なのでアパートと見做すべきなのか、グレーなものも多くありますが概ね高層アパートとはより厳しい品質基準により造成され、業者による各々の物件に特有の付加価値サービスはないか或いは必要最小限のもの。マンションとはより緩い品質基準を許容して業者による各々の物件に特有の付加価値サービスがより多く重視されるもの。
 見た目の特徴も高層アパートとマンションは大体は明確に違います。
 勿論、様々な業者等のそれぞれの企業努力があり、マンションは必ずしも品質が低い訳ではありません。あくまでも相対の傾向として高品質ではない、即ち万が一の危険の可能性を軽視するべきではないと見込むべきということです。故に或る意味では三井不動産は正直ですが当世に流行の自己責任の思想が過ぎると思われます。因みに三井との提携或いは合併の関係にある住友の住友不動産のマンションは高層アパート風のものが多い。
 しかし近年は大阪府などがマンションの住み替えの補助金の制度を創設し、経年劣化によるマンションの危険が懸念されてもいます。高層アパートや団地にはそのような懸念がないとはいえず、高層アパートもそこではマンションと同格に分類されているでしょうし団地は公営が多いので別枠での補助があるのかもしれません。

 鉄道の沿線の発展史を見ると、戸建分譲住宅の阪急沿線、高層アパートの東急沿線、マンションの小田急沿線に団地の京王沿線といえるかと思われます。戸建分譲住宅はどの鉄道の系列の不動産業者も多少は行っていますがどの鉄道も手広く力を入れている訳ではありませんし、その草分けの阪急も沿線の高級化と共に戸建分譲住宅は往時と比べ少なくなっており、今は系列の能勢電鉄や神戸電鉄の沿線がその主要の展開地となっています。
 その発展史の初めから概ね変わらず活況にあるのは小田急沿線のマンションと京王沿線の団地です。それらは沿線の住宅だけではなく鉄道そのものの考え方や品質の違いを現すかのようです。

a0313715_02283181.jpg '60~'70年代の「住」の時代がとうに過ぎていた'00年代に静かなブームとなっていたのは大正時代の阪急沿線の文化住宅風の小さくて高品質な戸建住宅が関東などの全国に増えたことです。
 '00年代は住宅ローンの金利が1%になるなど、デフレによる低金利のさ中。その状況を生かして文化住宅風の家が広く造られて売り出されたものと考えられます。取り分け横浜の綱島街道の浜手へ向かう曲線部に並び立つその家々は美しい。
a0313715_02300922.jpg '10年代は小泉政権の下でのデフレ好況による戸建住宅の活況は潜まり、首都圏の更なる人口の増加を反映してアパート・マンションがデフレの脱却を旗印に(?)活況。殊に川崎の武蔵小杉などの高額のタワーマンションが人気で報道にもしばしば出ました。タワーマンションのはしりは'00年代に先行して出来、商店等の数々を併せ持つ東京六本木の六本木ヒルズ。しかし今年にタワーマンションの物心両面の問題点が指摘されたりアパートを多く持つ『いい部屋ネット』の大東建託の悪質な商法が露見してもいます。
 その大東建託や「夢じゃないよ。」の掛け声が気持ち悪いコスモ石油の自動車リースなどのテレビCMのモデルの桜井日菜子はその筋――:賃貸系、広い意味ではモバゲーも賃貸物。――の宣伝ばかりに出ているためか、どうも胡散臭さが漂います。「岡山の奇跡」というのもどこか白々しい。岡山県の出身者にはB'zの稲葉浩志やブルゾンちえみなど、大物は充分に多いので何をそんなに有難がるのか意味が分からない。   
   
 今時は地震国と夙にいわれる日本だけではなく台湾やイタリアなどの地震が起こり得ないといわれていた諸外国にも大地震の数々が起こり、住宅の安全の強化は世界的課題となりそうです。
 住宅の高品質を実現して保障するためには建設業者や不動産業者の企業努力は勿論、その購入や賃借がよりし易くなる諸企業の賃金水準や社会保障の改善が必要となります。
 増税は一般に税収を低下させるといわれ、それらを実現する税収の増加のためには産業経済そのものの改善による経済成長が必要になります。決して人口が減るから経済成長はない、成熟社会の時代ということにはなり得ません。人口が減っても一人当たりのGDPが増すことは充分に可能です。
a0313715_02323175.jpg 町毎や地域毎の安全性を改善するためには一定の補償による既成の土地の接収及び移住の斡旋も要するかもしれません。鳩山政権による農家への戸別補償の政策も要はTPPを視野に入れての農地の緩やかな接収、モラトリアムに(猶予として)補償するので次の身の振り方を考えてほしいということです。鳩山由紀夫総理が後にTPPに反対に転じたのは自らの辞任と不興により戸別補償の政策の行く手も危ぶまれたからです。
 そのようなことは従来はしばしばファシズムといわれ絶対に否定されていましたがそのようなことを民生の改善を目的として試みた政権が世界のどこにもない以上はそれがナチスのようなファシズムであるかどうかは分かりません。ナチスにさえ学ぶ程の気持ちで従来はファシズムや権利の侵害などといわれていた事柄が逆に人権を実現するかもしれないものとして、実現しなくてはならないこととして検討されることを要します。移住の斡旋先は戦前戦中のような国外の植民地ではなく国内の有望な地です。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_1412168.jpg●東海地方の緊急地震速報は ダイヤル1332 東海ラジオ
静岡県:FM 78.4 K-MIX


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


a0313715_15111415.png
テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

a0313715_00332621.pngFNN PRIME news evening 16.50~19.00/月~金
[PR]
by keitan020211 | 2018-10-11 02:33 | 文明論 | Comments(0)
【Freesia大特集2018年末:衣食住、そして生 】その2:食――食べる
 「食」という語は本来は良い言葉ではありません。
 「衣」は「衣を着る」や「服を着る」と言うし「住」は「家に住む」と言い、目的語名詞と動詞が別の語なのに、「食」だけは「食べ物を食べる」と言い、目的語名詞と動詞が同じ語、即ち二重語になります。
 しかし「御飯を食べる」とも言い、ならば本当は「衣食住」ではなく「衣飯住」と言うべきかと思うのです。
 英語も'clothing, meals and dwelling'であり'clothing, eating and dwelling'ではありません。
 日本語はいつからか「飯」が男性語といわれるようになり、代わりに「食」や「食事」という品のない語が遣われるようになっています。「一食、二食…」も本当は「一飯、二飯…」です。「召し上がる」の「召し」は「飯」の語源であり、男性語ではなく普通に品位のある語です。
 食品メーカーの味の素が近年にその宣伝に'eat well, live well'というコピーをしていますが、英語はそのように言われることはなく'have your meals well, have your life well'となる筈です。御飯をすることを朝は'have a breakfast'、昼は'have a lunch'で夕は'have a dinner'と言う。決して'eat a breakfast'などとは言わず'eating'は個々の食べ物について言います。
 また、暮らすことや生きることを'living'とは言わず、'I live in San Fraicisco.'などのように住むことを言います。味の素は食品のCMに住宅の宣伝も兼ねているのでしょうか?暮らしを良くすることは'I make my life better.'など、「私は四十年生きている。」は'I have had my life for fourty years.'となり、どちらも名詞の'the life'しか遣われません。
a0313715_02033307.jpg アメリカのキリスト教の聖書に'THE LIVING BIBLE'と題するものがありますがその'living'は「生きるための聖書」ということではなく「お茶の間の聖書」です。LDKのL。イエスは「私は道であり、真理であり、命(the life)である。」と語りますがだからといって聖書の題名も「生きるための聖書/The Bible for your life」としてはキリスト教を信じなければ生きられないということになります。
 「食品」も'foods'なら「糧」と言うべきでしょう。現に「兵糧」という語が生きており「軍事食品」や「自衛のための最小限の食品」とは決して言われません。
 「食品」、'articles for eating'では食べ物のことか食器のことか分かりません。「糧」はパンと同じ'the bread'とも言い、パンはthe foodで米はthe mealという違いがあります。

 私は二十代になる'90年代には「衣」に関心があり三十代になる'00年代には「住」に関心がありましたが「食」には関心があったことはなく、四十代になる'10年代の今は再び「衣」に関心があります。
 しかし食欲がないのではなく、原始的意味における食欲は昔も今も旺盛です。但し二十代前半の頃に中性脂肪値が著しく増したのでそれからは食べる物と量に気をつけ、中性脂肪値が二十年で大きく減り、胴囲(ウェスト)は3cm増の63cm――最近はそれから1cm減で二十年前の2cm増の62cm。――に留まっています。

 近頃はそのような健康の観点からの糧についてのテレビの特集番組も増えてはいますが、'00年代から'10年代に亘り「食」への異様な関心が高まっているようです。
 そのはしりは先んずる'90年頃、バブル時代のグルメブーム。ティラミスやナタ デ ココを一とする贅沢な皿の数々がテレビやインターネットのない当時はまだ活況にあった雑誌に語られていました。スパゲティーが「パスタ」と仰々しく呼ばれ始めたのもその頃。或る一皿をパスタと呼ぶならせめてマカロニは添えんかいという感じです。
a0313715_02055635.jpeg '60年代の高度経済成長のから「住」を手にし、'80年代の再成長の時代から「衣」を手にし、残るは「食」だけということで当時の金に任せて旨いものを求め出した。
 しかしバブル経済は短期に終わり、'90年代は折角求め出した「食」への夢がいきなり絶たれたみたいな感じになり、その燻りが'90年代後半のフジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげでした』の『食わず嫌い王決定戦』などに表現され、そして新世紀の'00年代にマスコミの本格的関心になった。そうなったのは当時に始まったデフレと更に勧む円高が国民の実質賃金を維持し若しくは増加させるという期待とその期待に沿うような'00年代後半からの好景気が背景にあります。しかしデフレはあくまでもデフレなので「衣」と「住」への期待と関心が凋み(しぼみ)、代わって単価のより安い「食」への期待と関心がそれらを買い求められない穴を埋めるべく高まった訳です。つまり、この二十年に日本のエンゲル係数は増している筈です。
a0313715_02081363.jpg 低成長ならバブル時代のような金に任せるような食べ方はしない、もっと家庭的で慎ましいと思われているようですが実態はそうではありません。
 経済力の高い人はバブル時代にも増して衣食住の何れにも金を注ぎ込み、経済力の低い人は隙あらば高くて美味しいものを食べてやろうと日々の糧をけちって「食」を追求して暮らしています。富む者も貧しい者も一様に贅沢志向。経済力に見合うコスパの高さは「食」に関しても何に関してもあまり追求されてはいません。
 日本は敗戦の後遺症よりもバブル崩壊の後遺症がより大きい。故か、近年にバブル時代をモチーフにする芸がちらほらと見受けられます。安倍晋三総理に代表される極右勢力の方々の云う「敗戦の後遺症」とはバブル崩壊の後遺症の言い換えなのかもしれません。バブルの崩壊が後遺症と云うと今の人々の生活の記憶に触れて聞き苦しかろうとして「敗戦の後遺症」というより遠い時代の抽象的主題に仕立てる訳です。

 そのような背景による「食」の時代についての批判は弊ブログの過去記事にフランス人も蛸を食らう程にしています。なのでこの記事は今も続くその時代を過去のものと見做し、なるべく次に来るものを語ります。

 先ずは酒の話を。
 「食べる」の話なのに「飲む」の話になります。

a0313715_02093429.jpg 会社の宴会が自粛される傾向にある今の時代に、国民の飲酒の量も漸減の傾向にあるといいます。殊に若者が酒を求めなくなっています。若者は車も買わないといわれ、車に乗らないなら酒が呑めるぞと思うかもしれませんがそうではないようです。
 深酒は健康を害しますが、酒を飲まなくなっているならばより健康になっているのでしょうか?
 そうなっている向きもあるでしょうが必ずしもそうなるとは限りません。
 健康の基は食べる物や飲む物よりも運動を含む日常の行動のあり方にあります。しかし行動のあり方については不明な点が多い――多分中高年層よりは良い。――ですが、若者の運動能力が著しく低下の傾向にあるといいます。その点を見ると、今時の若者は昔の若者と比べより健康になっているとはいえないでしょう、より不健康になっているかは分かりませんが。

 今はまだその影響があまり現れてはいないようで何よりですが、酒を飲まなくなることによる重要な弊害が予想されます。
 それはつき合いが悪くなることではありません。つき合いはお酒だけではありません。
a0313715_02120284.jpg この二十年来の「食」の時代、特に最近十年来の『日本を、取り戻す。』の風潮から、日本の料理が内外への自慢の種としてしばしば特集されています。
 最も人気で分かり易いその種はアメリカなどの諸外国にも広まっている鮨。因みに今日10月6日は鮨の種になる魚介類も多く卸売がされている東京都中央卸売市場築地市場の閉場の日。
 鮨が何故に世界に類を見ない料理なのか?、それは生の魚介を用いるからです。
 魚介だけではなく、日本には牛刺や馬刺などの生肉の料理もあります。獣魚の生肉を用いる料理は諸外国においては殆どありません。それは生肉には食中毒や感染症の虞があるからです。日本は江戸時代からそれらの虞を取り除く技術が発達しており――戦国時代までは刺身も鮨もなかったと考えられる。――、生肉料理が普及した訳です。西洋のステーキやハンバーグなどの肉料理にレアが出来たのは江戸時代よりもっと後であり、そもそも昔のヨーロッパの一般の国民はそれらを食べてはいなかった。
 刺身や鮨を生み出したのは日本の努力も大きいけれど、その始まりは江戸時代の日本との外交が盛んであったオランダに代表される医学や衛生学の導入が大きく礎になっていると考えられます。江戸時代の町造りの骨子である風水も要は衛生学の一種です。なので刺身や鮨を専ら日本の自慢の種にするのは間違いなのです。それらが世界に広まったのは明仁天皇陛下がオランダに謝りに行ったからであったかもしれません。それだけ頭を下げれば日本料理を食べてやろうそして広めてやろうという訳です。尤も、その相手が西洋の国なら極右の方々もあまり文句を言わない。
 しかしそれだけ入念な食品衛生を以ても万が一の食中毒や感染症の虞は完璧に取り除くことはできません。故に西洋は石橋を叩いても渡らずに生肉料理を生み出さなかった訳です。

 '90年代には病原性大腸菌O-157が流行し、菅直人厚生大臣が記者会見でかいわれ大根を食べてその解決済を訴えました。'10年代の今も食中毒の虞のある物質等が幾つか新たに発見されて警告されています。「食」の時代とはいいながら、その基である食品衛生が退歩している。一頃は消費期限切れの物を客に出していた高級料亭の報に「そんなのいいじゃないか!何が問題なんだ?」と主張した識者等が続出、その頃から日本の品質は著しく低くなってきている。料理だけではなく時事問題も旨いか不味いか、即ち良いか悪いかでしか批評をすることができない。

 ――酒も良いか悪いかでしか語れない、世論。

 酒には食中毒や感染症の虞を軽減する効果があります。アルコールには消毒の作用があるからです。
 それらのような重篤の事態だけではなく、日頃は見過ごされがちな食べ物による内臓の炎症や水周りの浄化の不足、外気や住宅塵芥(ハウスダスト)などの空気の汚染による中毒症の軽減や治癒の効果もあります。
 尤も、酒を以てもそれらの虞を完全に取り除くことはできませんが少しでも軽減されることにより一命を取り留めることもあり得ます。
 酒は体に悪いといって全く飲まないで刺身や鮨、延いては焼肉や焼魚も生焼けを食べていると危ないのです――生肉や生焼けそのものは栄養の効率の観点からは体により良い。――。
 酒を飲まないならば刺身や鮨、ステーキやハンバーグのレアも食べないことを前提にしなければなりません。念のため、生野菜のサラダも駄目。実際にアメリカには生物を食べないことを前提にして酒を飲まない人々が多くいます。ドナルド トランプ大統領もその一人で、彼は日本への訪問の際にもオバマ大統領のように鮨屋に行くことはありませんでした。生物はハンバーガーのレタスとトマトだけ――野菜の多くは消毒済。――。ステーキは安倍総理の夫妻が訳知り顔でレアを取る中、特注のウェルダンです。

 フランスなどのヨーロッパの料理に食前酒の慣習が出来たのは新しいことであり、肉料理にレアが出来たから。そうではない場合にも、食前酒で肝臓を開けて慣らしておくと消化と吸収が良くなります。逆に食後酒にはあまり意味がありません。――現代の日本にはそれが多いので酒は体に良くないとされる。酒を飲む前には何かを食べておけといわれるのは誤り。――。
a0313715_02132037.jpg 若者に酒を飲むなと教えるならば食習慣もトランプ大統領などのようなアメリカの本場のものにしなければなりません。日本料理の自慢をしている場合ではないのです。

 料理屋だけではなく医者にも人々の慣習を考慮しない「こだわり」、即ち悪い専門主義の傾向があるようです。勿論、もてなされる側や診てもらう側である客も自分のこだわりに固執していてはなりませんが専門家に求められるのはこだわりではなく客の喜びです。日本以外の世界の何処に「こだわりの店」があるでしょうか?日本ブームもいつしか見放されます。   
    
●Freesia 2018-2019 特選の糧

 弊ブログは11月~10月を一年度としています。
 この【Freesia大特集2018年末】を出しているのは10月が私、弊ブログの年末であるからです。私は一足お先に来年です。
 年度には様々な切り方があり、よく知られる4月~3月の年度は財政年度と商業年度。政府の歳入と歳出が4月~3月で決算されるために民間企業もそれを踏襲して商業年度とされています。企業と政府は法人税や消費税でつながるからであり、今話題の加計学園などのように企業が政府に便宜を図ってもらうためではありません。
 しかし同じ企業にもそれとは異なる年度があり、製造業の製造・技術部門は1月~12月を一年度とし、それが工業年度です。電機製品などに「'18年1~6月製」や「'18年7~12月製」と記されるステッカーがあるのはそれが見て取れるもの。
 10月は神無月と、出雲国を前身とする島根県は神有月と称され、全日本の神々が何かのla grande finaleの如く出雲大社に集まると云われる月です。
 因みに私がツイッターでフォローしている歌手の石飛まりなさんは島根県の出身で神有月を紹介するツイートをされてもおり、是非観てあげて下さい。
 そんな訳で、弊ブログは来月には'La Freesia 2019'に題名が更新されます。私のこのブログとツイッターも宜しくお願い申し上げます。

 通常の弊ブログは【Freesia料理】の記事等があり、私の作っている料理の数々を紹介しています。
 この記事のここからは、料理の材料に焦点します。
 ここでもテレビや新聞などが近年にしばしば遣う「食材」という下品な語は遣いません、「料理の材料」や「御飯の材料」、「飯の種」であり、それが「糧」の素です。
 「食材」の語は素人を玄人気取りにさせるような響きもあり、安倍総理夫妻のような訳知り顔を煽りもします。食べ物を大切にする人なら決して遣ってはならない言葉です。

 「飯、上がりますか?」――出来る女子はこう言います。
 「飯、上げさせていただきます。」――出来る料理人はこう言います。作りながら食べてみるので「-いただきます」。
 「御飯かましてよかですか?」――衰えている人はこう言います。
a0313715_02162200.jpg 関係ないけどテーラー スウィフト、かわいいですね。でも私はテーラーとドナルドの両方を応援します。'You won't see any candidates whom you can see 100% of your agreement.'<ANN報道ステーションの報の日本語の字幕を英語に再訳。本人の口上と一致するかどうかは分からない。>。

 ――それが正にですね、料理の肝でもあります。
 100%同意し得る材料、調理に味つけはなかなかありません。
 そうであればこそ、「こだわり」などはあり得ないのです。
 日本とアメリカの民主党を支持する私が先のアメリカ大統領選挙ではトランプ氏を推さざるを得ないと思うように、料理にも「捻じれ」というものがあります。しかしその捻じれを著しい捻じれ、即ちちぐはぐと感じさせない、それが料理の要諦です。ヒラリーの料理なんて如何にも気合を入れている割に不味そうでしょう。私なら余程にビル クリントンの料理をいただきたいと思います。
 食べ物は政治理念(イデオロギー)のようにすっぱりとゆくものではない。人の体は状況による違いはあれどその基は皆同じです。しかしどう同じなのかは素人はもとより専門家にもなかなか分かりません。何を食べれば良いのかは手探りをして見出してゆくしかありません。その手探りこそが「何を着ようか、何を食べようか、それらは皆、神が加えて与えて下さる。」ということです。ヒラリーの民主党にはそのような姿勢が感じられません。それが全く感じられないヒラリーの民主党と曲がりなりにも感じられるドナルドの共和党を選べと云われれば、後者しかあり得ません。
 尤も、歴史を見ればそのようなヒラリー主義を生み出してきたのは共和党であり、ドナルド主義を生み出してきたのは彼もかつて支持していた民主党です。どんな調理や味つけによってもごまかせない致命的捻じれがそこにはあります。材料そのものが農薬や違法無効な加工術に汚染されているからです。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■NEWS of the WORLD


a0313715_18135641.jpg
    ●AFP(フランス パリ)
a0313715_20290187.png
    ●ル フィガロ(フランス パリ)
a0313715_16210877.png
    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
a0313715_18035419.jpg
    ●共同通信(日本 東京)
a0313715_20324653.png
    ●朝日新聞(日本 大阪)
a0313715_20351165.gif
    ●日本経済新聞(日本 東京)
a0313715_20365208.png
    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
a0313715_20390867.png
    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
a0313715_20405274.png
    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_18190235.jpg
    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
a0313715_14522563.png
    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
a0313715_20590106.png
    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
by keitan020211 | 2018-10-11 02:17 | 文明論 | Comments(0)
【Freesia大特集2018年末:衣食住、そして生 】その1:衣――着る
 「衣――着る」、い――きる、生きる。
 衣(ころも)を着ることは生きるということなのかは分かりません。

 衣について語る前に、先ずはこの大特集の主旨を説明します。

 現代は衣の時代、食の時代と住の時代に大きく分けられるかと思います。

 先ずは住の時代――昭和30年(1955年)の頃から日本は戦後からの復興と経済の再成長の拠りどころとして先ずは住処、住宅の発展が国民の懸案となりました。
a0313715_01121642.jpg その際に初めに出て来たのは高層アパート。建売戸建、低層アパート(長屋)と戸建分譲住宅――:阪急の文化住宅など――の三種の住宅があった戦前が、戦後は新しく高層アパートが出来た。昨年2017年に廃止された東京渋谷の宮益坂の高層アパート、宮益坂ビルディングはその頃1953年に建ったものであり、歴史を物語るものとしてテレビ朝日のサンデーステーションにもa0313715_01160819.jpgその廃止が特集として報じられました。以後、渋谷を拠点とする東急電車の沿線を主として各地に高層アパートが出来る。しかし当初の家賃の高さなどから、この高層アパートという住宅の様式は全国にあまり広く広がりはせず、代わりに広く普及したのは仕様と家賃に幅のあるマンションと呼ばれる高層住宅です。詳しくは『その3:住――住む』の記事に述べますが、それに始まって現代の日本は’60年代から’80年代までの三十年は「住」が国民の主要の関心事でありました。

 「住」が凡そ満たされてきていると認識されていた――逆にまだ劣っているとの意見も少なくなかったがその点についても『その3:住――住む』の記事に述べます。――'80年代から新たに国民の主要の関心事になったのは「衣」、この記事の主題です。
 それに先行して'70年代にもベルボトムのパンツなどが語り草になっているように、「衣」についての関心が高まり出していましたが、一部の「時代に敏感な」人達の趣味の性格が強く、国民的関心という程になってはいません。そして’90年代、20世紀が終わるまでの二十年は「衣」の時代でありました。

 これも一部の「時代に敏感な」人達の間では大方の国民がまだ「衣」の時代にあった'90年代から関心が高まり出していましたが、20世紀が終わり21世紀に入って新たに国民の主要の関心事となり出したのは「食」です。
 「住」の時代が三十年、「衣」の時代が二十年、では「食」の時代は十年で2010年頃には終わるかと思いきや、「食」の時代は'20年代を迎えようとしている今2018年もまだ続いています。

 住、衣そして食――現代の時代の関心事は重いものが軽いものへ、腐りにくいものが腐り易いものへ、変遷しているといえます。日本の現代だけではなく、その順番は世界の歴史に凡そ遍く見られることです、無論その内容には大小優劣様々な違いがありますが。歴史の教科書は先ずパルテノン神殿や竪穴式住居などという建築物についての話から始まります。それらの出来た時代には着るものや食べるものが多様化してはいないとされます。
 今の日本はより軽くて腐り易いものに関心を持っているともいえます。
      
 一部の「時代に敏感な」人達と大方の国民のそのような認識の違いは何から出るのでしょうか?

 「衣」の時代は前者が'70年代に始まって後者が'80年代に始まっている。大方の国民は十年遅れているかのように見えます。
a0313715_01220799.jpg しかし実はもっと根源的で深い関心は大方の国民が先行しており、「住」の時代にあった高度経済成長期の'60年代に既に「衣」についての関心が広がりつつありました。
 しかし関心を持ち始めてはいても、市場がそれに追いつかない。供給が需要に追いつかない状況が十年程続き、'70年代に市場がやっと重い腰を上げ始め、更に十年後の'80年代に漸く供給が関心と需要に応えられるようになっているのです。
 '70年代に時代に先行していた人達は市場の実験台になるような特有の立場にあった人々です。
a0313715_01255188.jpg 時代の実験台になるような特有の立場とは大雑把にいえば、'60年代の高度成長に乗り遅れている時代遅れの「かわいそうな」人々。彼らは高度成長を現実(リアル)に支えて来た人々ではなく、我が国の同時代を生きている人々とはいえないので、その遅れをキャッチアップするだけではなく高度成長を支えてきた同時代人を「見返す」ような箔を着けてあげようとする企画者が市場におり、その実験台になる。
 '70年代に特有の「ワケあり感」はそのようなキャッチアップと箔着けから来るもの。
 この記事はそれが良いか悪いかを問うのではなく――それを読みながら考えていただくのは構いませんが、――そのような流れが現実に存在したことを語るものです。
 弊ブログの大まかな論調はそのような'70年代的なるものには否定的なので、どちらかといえば「我が国の同時代」的生き方を奨めるものですが、近年は'70年代的「ワケあり感」を独特の形で取り込むことにより今までとは異なる新しい「我が国の同時代」を作り出そうとする安倍政権の時代になっているので単純に「我が国の同時代を生きるべし」と云うと誤解を招く虞があります。
 「衣」の時代がより深まって来ていた'90年代に、なべやかんの替え玉事件などの不祥事が起こりました。
 それは'70年代的キャッチアップと箔着けが二十年を経ても営々と続き、衣だけではなくそちらも爛熟の極に達していたことを物語ります。鉄道車輛のステンレス車体が著しく増え出したのもその頃です。更に二十年を経、今度は医科大学の男子受験者の水増合格の事件が起こっており、'70年代から四十年余りを経てもその「文化」は留まる処を知らずにいます。

 そして今'20年代を控える'10年代、国民の需要に基づく「我が国の同時代」と一部の遅れている人達の「キャッチアップと箔着け」の違いが曖昧になっており、それらが混然一体の風俗を醸し出しています。 
 
 何故、キャッチアップと箔着けにより同時代人を「見返させてあげる/見返す」動きが起こるのでしょうか?

 それは日本には文化がないからです。

a0313715_01302649.jpg 近年はやたらと意味も分からずに「文化」と言う人達がテレビや新聞などにも目につきますが、そんな浅ましい「文化/bunka」ではない歴史的伝統的、そして程良く近代主義(le modernisme)の盛り込まれた文化(la civilisation)があれば同時代に遅れていることは問題にもなりません。早かろうと遅かろうと文化を身に着ければ一介の市民(de citoyens)として恥じない存在になれるからです。文化とは市民として必要最低限の知識や心得を身に着ける/教えることです。
 文化のない処に「同じ日本人」の意識を持たせようとすれば、質としては異質でも値段または知名度としては引けを取らないかそれ以上の風俗(culture)を身に着ければ同時代人を見返し若しくは上回ることができるという動機(モチベーション)になります。いわゆる「マウンティング」の風がそのようにして出て来ます。それをしている人達にとってはマウンティングをして威張る位が丁度好い平等なのです。つまり、ベルボトムはマウンティングのネタであったのです。――「ほら、こんなに裾が広いぞ!」。
 因みに、昨今にネット右翼やパヨクと呼ばれる人々はそのようなキャッチアップと箔漬け、そしてマウンティングにより育った人が多い。彼らのブログやツイッターなどの論理体系を観ても、ネット右翼やパヨクはその三種の神器に貫かれていると見て取れます。'70年代を直に知るネット右翼やパヨクは還暦以上の高年であり、直には知らないがその影響の下に育った人々が若いそれらです。
 パヨクは高年層に多いといわれ、ネット右翼は中年層に多いといわれますが、今の中年にとっては'70年代は自分が生まれて物心が着き始めた時代、私にとっても物心が着いた1979年(昭和54)年は「あーうー…」や「会社は永遠です。」、「江川通れば道理引込む。」などに彩られた特別な年ですが、40代後半にとってのそれは正にベルボトムやヒッピールックの時代。
a0313715_01344056.jpg または、和服と呼ばれる日本の伝統衣服も、殆どは時代に遅れている人のキャッチアップ、箔漬けとマウンティングのネタとしてしか用いられていない現実があります。櫻井よし子など、テレビや新聞、雑誌などに和服を着て出る人はどこか胡散臭いのです。和服と呼ばれるものを纏ってすることの多い演歌にもそのような性質があります。演歌を知っておれば恥ずかしくない若しくは大威張りが出来る。それは決して時代を担うことではない。

 テレビが普及した'70年代から続くそのような三種の神器の風潮を'90年代に引繰り返すことに幾らか成功した、引繰り返したと言うと物々し過ぎるならば是正に幾らか成功したのはZARDです。

a0313715_01362657.jpg ZARDは日本文化(Japanese bunka)となって久しいキャッチアップ、箔着けとマウンティングを一切も含まない歌々を世に出した音楽人です。
 また音楽だけではなく、'90年代に爛熟を見る「衣」の時代の一端を主導してもいます。
 ZARDと並びその時代の音楽の代表とされるB'zはその「衣」を含め、それら三種の神器を若干含むものですがZARDは全く脱却しています。脱却というか、初めから無関係にその視聴覚を形成しています。
 ZARDにはどこか'60年代の高度成長の時代を思わせる力と'80年代の再成長の時代を思わせる技があり、'70年代的なるものは絶無です。
a0313715_01384271.jpg '70年代の再来ともいわれ経済成長率の低下した'90年代に、'70年代を繰り返さない。――そんな志が感じられます。志はあくまでも志で現実がどうなるかは分からないし、現にZARDの時代から四半世紀を経ている'10年代、そのようになってはいませんし、それがあくまでも「幾らか成功」という所以です。何よりも本人が志を捨てたならばそうなる筈もありません。

 '80年代の音楽はマウンティングという'70年代に出でてこの'10年代にそのボルテージを見るものはありませんでしたが、キャッチアップと箔着けの風はまだ残っていたと見えます。私は'80年代の音楽やその他の風俗をこよなく好みますが、その点はどうしても旧い、これからの時代にはあまり生きないものと思わざるを得ません。
a0313715_01400616.jpg 例えば松田聖子の『青い珊瑚礁』を見ても、朝日新聞の珊瑚事件を予言するものなどというトンデモ論ではありませんが――否、強ちそうではないともいえない。「松田聖子の歌の切ない心を傷つけてみたら案の定非難されました。」というスタンドプレーのようにも見える。――、「南の風に乗って走るわ」は、「南」が今の現実とは異なる所を象徴する言葉で、そこで独特の功を成すことにより凡百の日本人を見返してやるという動機を詠うものとも解釈し得ます。
 因みに、私は『青い珊瑚礁』とZARDの『揺れる想い』が音的に酷似し、詞的には発展形をなしているものと思います。「あー、私の…」と「揺れる…」がぴたりと重なり合います。その発展とは正にマウンティングに加え、フォローアップと箔漬けを脱するものを示すということです。

 音楽はその演じ手が音盤のジャケット写真や公演の舞台の衣装にも力を入れることからして衣食住の「衣」との結びつきが強くあるといえます。
 '50年代、'60年代、'70年代、'80年代、'90年代、'00年代に'10年代――それぞれの時代の音楽人らの衣装を見ると各々の違いもあるものの、時代による違いが明確に見て取れます。
 '50年代は、国民の多くが戦後の復興のさ中で貧しくあった頃。音楽人らの着る物は取り敢えず立派な服を着れれば良いという復興の課題を示すような趣。
 '60年代は、高度経済成長に入り、より豊かに、より華やかにという夢が価値として加わったような趣。特に典型のスーツやドレスを纏う者が多く、基本形としては堅く形式的。
 '70年代は、低成長と世界秩序の動揺の時代。未知への不安感もあり、国民の共通の課題や夢というものはなくなり、個人や仲間の趣味を形成してそれを守ろうとする趣。
 '80年代は、思いの外に舞い込んだ再成長の時代。もうなかろうかと思われていたことがあるという機会(opportunities)が世に現れ、「衣」もしれを反映して更なる多様化と高級化が勧む。
 ’90年代は、再成長の終わりと再びの低成長で、多様化と高級化に抑えが掛かり、「衣」にもその限りでの深まりが見られた時代。また、商品よりも店、即ち着ることだけではなくその前段の視ることや買うことへの関心が高まった。
 '00年代は、20世紀末までに万事の粗方の着想(ideas)が出尽くしたとの感から既存のもののあり方や意匠を改良して再生(recycling)することが多くなった時代。更なる低成長の予想から、単品の価格を抑えて予算あたりの点数と価値を増す「コスパ/cost performance」が追求された。
 '10年代は、新しい着想のない'00年代の倦みを晴らして何か新しいものはないかと隙あらば探し求める時代。特に自国日本についての関心が高まり、「日本らしさ」を訴えるものが最新の方法を用いて作り出された。

 先述のように、'60年代~'70年代は「住」の時代で'80年代~'90年代が「衣」の時代、'00年代~'10年代は「食」の時代なので、「衣」との結びつきの強い音楽、即ち「音」が発展したのも'80~'90年代。殊に自動車においてはその時代に音の静かさまたは音の良さが追求されていました。加えて車室の音響装置も多様化し高級化しています。
 '60~'70年代の「衣」は「住」の時代を反映し、住宅に相応するような、即ち家の豊かさや貧しさを現すような服であることが多い。'80年代からはその相応が良きにつけ悪しきにつけ崩れ、衣は住を現さなくなってきています。名が体を現さなく(?☆)なってきてもいます。
a0313715_01442598.jpg '00年代~'10年代の「衣」は「食」の時代を反映し、服が自分の食欲を現すようなものになっています。地味な衣を着る人はそれだけ食欲が強くはなく、何にせよお洒落をする人は食欲が強い。自然色と人工色の違いも自然食と人工食の違いを反映するかのよう。私は「食」への関心はあまりありませんが食欲は強く、食べるものも着るものも自然に近いものが多い。しかし、再成長で景気の良い'80年代は意外と着るものと食べるものとが相応せず――当時を知る人々にとっては少しも「意外と」ではありませんが、――、お洒落ならば食欲が強かったり「食」への関心が強かったりとは限らない。景気の良い時代は経済力の自分の関心事への特化がより可能になり或いは特化せざるを得ないので衣食住の均衡というものが良くも悪くも偏ることが多いのです。今の時代は経済力が衣食住やその他の全てに亘り絶対的差を生む傾向にあるといえます。

a0313715_01461403.jpg 「食」の時代で「衣」への関心は然程に強くはない今の時代に、フジテレビの『めざましテレビ』のお天気の阿部華也子さんが毎朝にファッション誌『CanCam』との提携により着せ替えショーをしています。私はそれがいつも楽しみですが、阿部さんの姿と共にその衣装の銘柄と金額が字幕で表示されるのは一時代前'00年代のコスパの時代のパラダイムであり、今'10年代のパラダイムには与しないという強い意志が感じられて嬉しい。
 実は『めざましテレビ』に先行してテレビ朝日の『グッド!モーニング』がその三人のアナウンサーによる『今日のOggiスタイル』という一こまをしており、それが報道番組による着せ替えショーの元祖ですが、銘柄を紹介しても金額の表示はない。その『今日のOggiスタイル』もそれなりに好きな時間ではありましたが金額を云うことを卑しむ価値観の反映にも見え、阿部さんが勝ると思います。
 しかし『めざましテレビ』は一方では「食」に関する特集も多く、『グッド!モーニング』はそれが少なく、それが『グッド!モーニング』の好感する点です。テレビ朝日は元々『おかずのクッキング』や系列のABCテレビの『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』という名門の料理番組があるので他局等の程にはそもそも「食」を追う必要がない筈なのですがそのテレビ朝日もフジテレビなどの真似をして「食」についての番組や報道の特集が多いのは如何なものかと思います。『めざましテレビ』だけではありませんが、『めざましテレビ』の出演者等は『イマドキ!』の若い女子達と立本信吾アナウンサーを除き、食べ方が汚いのも由々しい。何も食べない阿部さんと食べ方のきれいなイマドキ女子達だけが品位がある。それと、番組の始まって以来の生え抜きの軽部真一アナウンサーもあまり食べることがありませんし、食べる際の食べ方も他の方々よりきれいです。永島優美アナウンサーは他の点は良いですが食べ方が汚いのが残念です。特に口に食べ物を入れながら喋るのは論外です。

 '10年代は'90年代に一度は脱した'70年代様式が幾らかの趣を変えて再生していると見えます。
 低成長の故か、衣が住を現し更には食をも現す、経済力による絶対的格差の現出が'70年代から四十年振りに傾向になっている。それが仕方ないというのではなく、寧ろ望ましいという向きさえある。
 音楽人の衣装も、'70年代の人気であった革ジャンパーが再び増えている。尤も、当時の程には小汚い感じを醸し出してはおらず、今は真新しくて小ぎれいな革ジャンパーです。世界の潮流から見れば、獣の皮を使う衣は避けるべしとされており、今の日本の潮流は世界のそれに逆行しています――それでも靴だけは世界も獣の皮を使うのが当たり前ですが、――。アメリカにもロシアにも革ジャンを着る音楽人や俳優は殆どいませんし、ヨーロッパのそれらにはとうの昔です――それでも「外交の安倍政権」なんていえるのですかね?――。
 パンツの裾は’70年代のベルボトムのような広いものとは逆に、裾の絞られたスリム型が増えています。音楽人の衣装だけではなく業務服にも裾が細くてタックのないパンツが圧倒多数になっています。'80年代や'90年代はタックのあるストレートのパンツが殊に男子の服の主流でしたし、ZARDの坂井泉水のデニムパンツにも見られるように――デニムパンツにはタックはありませんが、――女子にもストレートのパンツが主流になっていました。今やタックのあるストレートのパンツを見掛けると後光が差す程に好感します。タックなしスリム、それだけが経済力の差を埋める世間並の証になっているかのようです。元々はそれをはやらせたは'00年代の2004年に始まったテレビ朝日の『報道ステーション』の司会の古舘伊知郎であり、あの古舘さんも良いことだけではないという感じです。彼がその12年の間に徹底してタックなしスリムを固守した故にそれが圧倒多数になってしまったのです。
 タックがないことと形がストレート(真直ぐ)ではないことはそれだけ低い技術での生産が可能なので、タックなしスリムが主流になっていることは技術力の低下の証でもあります、それが日本の技術力の低下なのか中国の技術力の未発展なのかは分かりませんが。
 スリムパンツはそのシルエットを前後から見ると縫製が曲線になされているかのように見えるので一見は技術が高いかのように見えますが実はどちらも二枚の布を真横から真直ぐに合わせて縫い合わされるものであり、縫製の技術はストレートパンツと違いません。縫製機に置く向きはどちらも同じで、前後で二枚の布の形が違うだけです。布の形を切り出すための技――多くは手切り。――は曲線に切るのは直線に切るより易しい。つまりスリムパンツの人気は技術力の低下――経済大国日本の没落とグローバル世界における新興経済国の増加――に合わせるための苦肉の策に過ぎません。処が、技術の水準をそのように低い方に合わせることにより、全体の格差よりも寧ろ低い層における格差が拡がっています。それだけの低い技術をもより良く出来る人々と碌すっぽできない人々がいるからです。寧ろ要求品質、即ち課題が低くなる程にそれに取り組む姿勢と成果には差が生じます。故にタックなしスリムパンツの品質も遠くから見れば皆一様に見えてもよく見ると大きな格差があります。

 そんな中、或る人々にとっては好ましく、或る人々にとっては好ましくない「衣」の状況が'10年代の今に見て取れます。私はそれを条件付で好ましい傾向と思います。
 それは女子におけるスカートが再び増えていることです。
 スカートは「衣」の時代が深まりを見せた'90年代から急速に減っていました。それが'00年代や'10年代の前半も続いています。
 '20年代を迎えようとする今になってスカートを着る女子が増えています。『めざましテレビ』の阿部さんもスカートが多い。なのでその傾向は'20年代を先取りするものといえるのかもしれません。
a0313715_01501022.jpg それが分かり易く見て取れる例は'90年代からUNIQLOを展開して'00年代からGUを展開――全国におけるブレークは'10年代、きゃりーぱみゅぱみゅの『ファッションモンスター』の唄のテレビCMの頃から。――するファーストリティリングの売り筋です。スカートの激減していた'90年代に始まったUNIQLOは今もスカートの品揃えには消極的ですが同社のもう一つの銘柄であるGUはスカートを積極的に品揃えしています。そのGUが'10年代に出て今を時めく中条あやみと共に、反スカートの'90年代を代表する女優の一人である内田夕紀を宣伝のモデルにしているのは示唆的です。
 低成長により、スカートは着る機会の割に価格が高くて割に合わないという感じから減っていたのでしょうが、GUは低価格高品質のスカートを多く売り出すことによりスカートを三十年振りに再び普及させています。そのGUに触発されてか、他のより高価格な衣料業者等もスカートに力を入れ始めているようなのです。
 内田夕紀がスカートを着るようになる。――それが只今の大きな時代の地殻変動なのです。
 あまり大きな声では言えませんが、今もパンツのみを三十年も墨守している女子は聊か貧相に見えます。しかし既に安倍総理のいる風景が常態となっている竟数年前まではそれが常識、「スカート?斬新ですね…。」といわむばかりに当たり前の風景でした。


 私の衣の好みは弊ブログの前の記事等にも紹介しているように、以下です。

 ['70年代] 不詳

 ['80年代] 銘柄:McGregor(アメリカ)
      様式:アメリカのアイビーリーグ風の様式が主。当時に流行のスタジアムジャンパーを一とし、シャツ、トレーナーにデニムパンツ(ジーンズ)を合わせるのが多い。パンツには吊帯(サスペンダー)が必須。
 銘柄ではないが、鳩山由紀夫総理――彼は当時は自民党で当時の私も自民党を支持。――の出身校であるスタンフォード大学のエメラルドグリーンのトレーナーの上下を寝間着にしており、それが特にお気に入り。

 ['90年代] 銘柄:POLO RALPHLAUREN(アメリカ); CHAPS RALPHLAUREN(アメリカ); LEVI'S(アメリカ); 横浜元町スミノPORTLAND(日本); REGAL(アメリカ); UNIQLO(日本); 三陽商会(日本); オンワード樫山(日本)
      様式:'80年代からのアイビーリーグ風も一部に残存していたが、'90年代はユダヤ系が強まる。
 ラルフローレンは学校にはやっていたが私は専ら私服での愛用で、学校では無名銘柄のシャツや学校指定のポロシャツを着、その辺りは一線を画したい感じ。また、POLOだけではなく同じラルフローレン氏のCHAPSも広く取り入れ、近年まで現役。しかし、今はRALPH LAURENには然程に興味がない。
 PORTLANDは白地に紺の線、金色の釦のカーディガンや現色緑のポロシャツが当時のお気に入りで、最近に久々にPORTLANDの赤青ストライプの七分袖のシャツを見つけて迷わず買う。
a0313715_01535908.jpg LEVI'SやREGALも'90年代から長いこと買っていなかったがLEVI'SはBOOK OFFで当時と1インチしか変わらない(27が28に。)寸法のベージュのデニムパンツを見つけ、REGALは近年に三井アウトレットパークで久々に朱色スエード調の靴を見つけて愛用。
 その他、LEVI'Sのデニムパンツやデニムジャケットを軸とするZARDの衣装を真似る。それにど根性ガエルの白Tシャツを合わせていたこともある。
 '90年代末はUNIQLOを取り入れ、当時に流行のフリースにチノパンツが増える。
 業務服はオンワード樫山と洋服の青山のスーツが主。'00年代の民主党の政治家に多い炭地に白の縦縞のスーツを愛用。

 ['00年代] 銘柄:UNIQLO(日本)
a0313715_01562245.jpg      様式:'00年代は粗UNIQLO一色。独り暮らし――:名古屋と横浜――を多くした故か、衣にも食にも関心が薄く、主に住に関心。名古屋の気風に倣い、本も殆ど読まない。それが寧ろ本を読むことの真の意義を悟ることにつながる。簡素で快適な暮らし方の価値観がそれを通して強まる。真似していたのではないが、自分の姿のイメージは吉田羊。

 ['10年代] 銘柄:GAP(アメリカ); ZARA(スペイン); GU(日本); H&M(スウェーデン); UNITED ARROWS(日本)
      様式:先述の'90年代との再会もあるが、新たにそれらが加わる。
 GAPなどのアメリカ西海岸の様式は'90年代にもESPRIT――今はニットが1着。――などを通して少し知っていたが、東海岸様式を専らとしていた子供の頃と比べ西海岸様式が増えている。但しGAPは靴だけは美しいが持たないので要注意。特にアメリカなどの西洋にはよくある部屋履がそのまま日本にも外履と一緒に売られていたりするので慣習の違いの認識を要す。
 ZARAは埼玉県民の勝負服といわれるそうだが、神奈川県民の私にとっては普段着として落ち着く服。
 GUはほんまに様々という感じ。H&Mは私がスウェーデンで唯一の好きなもの。
 UNITED ARROWSが逆に特急レッドアロー号のような勝負服かも――テレビCMは吉高由里子。――。
a0313715_01584973.jpg '90年代のZARDに代わり、今は波瑠を髪形から真似ている。それらの銘柄で波瑠に似合うのはGUとH&Mか。波瑠は知らないくせに日本を取り戻したがる今'10年代の気風とは一線を画し、低成長の'90年代と'00年代の良さ、更に高成長の'60年代を併せ持つ機微に富む緩やかさが魅力。

 何れにしても多い色は:ベージュ;灰色;桃色;紺色;水色、それが私の五大色、加えて橙色と緑色の七大色です。
 色遣いについては、一般に色の数の少ないのがお洒落の要といわれ、殊にイタリアにおいてはその要を守る人が多いそうです。
 しかし私はそれにはあまりこだわることはないと思います。
 日本人は何でも何かを知ると聊か極端に追求する癖があるようで、イタリアのそのようなお洒落の要なんかも日本人の一つ覚えで頭に爪先まで同じ色や質感で固める人が少なくない。そうなるとさすがにださいといわれることはないかもしれませんがどうも恐い感じがします。垢抜けると言って肌が垢すりで傷ついているかのような感じ。殊に今'10年代のお洒落に力を入れているらしい人には人相の恐い人が多い。昔とは違い、金の力を誇示しているかのような感じもする、車に喩えるとトヨタのアルファード/ベルファイア。マスコミが今時は人それぞれの時代ということで国民の衣装には注目しなくなっており、誰も見てはいないのに力を入れているのがそのような恐さを醸し出すのかもしれません。そんな中、『めざましテレビ』の阿部さんは見る人もおり、貴重な存在です。
 但し近年の良くなってきている傾向は'90年代までは多く見受けられた黒ずくめが少なくなり、もっと多彩な色柄が好まれるようになっていることです。黒なら賢く見えると思っているのでしょうが、私などのような賢い人から見ればあまりそのようには見えません。
 '90年代までは黒い装いが多く好まれていたのは本当は衣装には関心がないのに周りには関心の高い人々が多く、埋もれないようにするためであったと考えられます。しかし、今は良くも悪くも人それぞれの時代になっているので黒で固めなくても埋もれることがなくなったのです。

 衣は第二の肌ともいえる重要なものですがええ加減なものも最も多い分野です――本よりは少ないかな?――。お洒落も大切ですが他の物と同じく、品質が第一。物心の両面で持ちの良い物を選びたいものです。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■NEWS of the WORLD


a0313715_19444519.png
    ●ル モンド(フランス パリ)
a0313715_1946890.png
    ●リベラシオン(フランス パリ)
a0313715_18080681.gif
    ●時事通信(日本 東京)
a0313715_19485112.png
    ●読売新聞(日本 東京)
a0313715_19504029.png
    ●毎日新聞(日本 東京)
a0313715_201454.jpg
    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
a0313715_19541757.png
    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_19555015.png
    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
by keitan020211 | 2018-10-11 01:59 | 文明論 | Comments(0)
【英語訳】天声人語 朝日新聞 2018.8.29
Heavenly Voices and Human Words
of The Rising Sun (Asahi Shimbun, Ohsaca, Japan)
on 29th September 2018

Has a powerful typhoon the 24th moved northward. Pray about it as no one getting any damages. Heard the typhoon, imagining about some figure of that rages, however, according to some professinal the typhoon annoyes the series of islands is what'd have got into old age▼The National University of Yocohama's Professor Fudeyas Hironori tells: 'As seeing the birth and the breeding, can describe any figure on the old age,'. On the Pacific Ocean where eggs of the typhoon yield, blow the trade wind by the eastward and the seasonal wind (monsoon) by the westward. The most terrible for the Japanese is the eggs yielded at some spots where the airflows from the east and the west strike, grows powerfully, so rate to attack the series of islands gets higher▼More of the necessary element to sway influences afterward, it's the growth. On the eastward from Philippines there is a warm sea which the professionals call it 'the devil sea area'. In their infant days passed there to get the power sharply▼The Typhoon in the Bay of Ise, 1959, where gotten more than 5 thousands of victims yielded at the spot where the airflows strike, got powerful at the devil sea area. The 21st in the end of this month even passed the same sea area, yielded such on the metropolitan region some great damages. Could get to be able to analyse the histories of growth more profoundly, could be able to predict the courses and scales further faster▼Still, so had some unique birth, and, too had some unexpected conducts. Mr. Fudeyas told: 'It's the attractive for the researchers that it has still many mysteries,'. The eventful, it might be even to the human that the destination should never foresee▼This year has unusual number of typhoons. At least by the end of October necessarily needs alerts. Having to expect further clarification encouraged, first like to let the defences today be sure all.

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■NEWS of the WORLD


a0313715_18135641.jpg
    ●AFP(フランス パリ)
a0313715_20290187.png
    ●ル フィガロ(フランス パリ)
a0313715_16210877.png
    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
a0313715_18035419.jpg
    ●共同通信(日本 東京)
a0313715_20324653.png
    ●朝日新聞(日本 大阪)
a0313715_20351165.gif
    ●日本経済新聞(日本 東京)
a0313715_20365208.png
    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
a0313715_20390867.png
    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
a0313715_20405274.png
    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_18190235.jpg
    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
a0313715_14522563.png
    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
a0313715_20590106.png
    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
by keitan020211 | 2018-10-01 20:26 | 文明論 | Comments(0)
【Freesia英語】「つぼ」;「肝」;「ミソ」――日本の表現を英語ではどう言う?
 答から云います。

 つぼ: the spot

 肝: the heart

 ミソ: the hint

●つぼ the spot

a0313715_13000432.jpg つぼと読む漢字には「壺」と「坪」があります。
 壺は何か特別な物を入れて取っておくための入物で坪は3.3㎡の地面の広さ。

 壺の英語は:'a pot'。
 坪の英語の説明訳は:'3.3 square metre of a spot area'。

 'pot'と'spot'――どちらにも「限られた空間に焦点をおく」というような意味合いがあることが分かります。

 「笑いのつぼ」や「問題を解くつぼ」も同じ。
 英語には'hit the spot'という語があり、その意味はずばり:的を得る;丁度好い;具合好い。
 また、'pot'には「狙い撃つ」という意味があります。
 「つぼを狙って語る。」は'Talking in potting the spot.'
 指圧のつぼは'the spot on an acupressure'。
 「つぼを押さえる」は'caught the spot'
 a spotlight、点照燈には壺、a potのような形の傘、a shadeがついています。「スポットライトを浴びる」は'had a spotlight'。

 「日本の感覚は外国には決して分からない。」というような感覚から、「つぼ」の英訳なんかも「訳せない。」といわれたり奇妙に理屈ぽくてつぼに掠り(かすり)もしない意訳、説明的訳にされることが多い。
 つぼの内容は時に外人の理解の難しいことであるかもしれませんが、つぼというものがあることそのものはどこの国にも違いはありません。
 理解の難しいつぼの内容も出来るだけ外人に説明することができるようにしましょう。「日本の感覚は外国には決して分からない。」ことはないのです。あるのは「分かるけれど認められない。」です。認められないといわれることを懼れるので「訳せない。」といっている訳ですね。

 因みに、日本人が苦手といわれる、英語などの西洋語には多い子音だけの音――本当は日本語にも普通に多々あるが多くの国語学者が勝手にないとしている。――を良く発音することができるようにするには、'pot'と'spot'を交互に繰り返して言う練習をすると良いかと思います。それが英語の発音のつぼ。
 「思います」の「す」も同じく子音だけの音です。関西弁はそれが更に約まって「思いまっ」と聴こえることがあります。

●肝 the heart

a0313715_13013595.png 肝、英語の辞書を引くと'liver'とあります。
 liverとはレバー肉のレバー。因みに英語人の言う'liver'を聴こえるままに日本語の表記にすると「レバー」となり、字面から想われる「リバー」ではありません。英語には日本語の「い」と「う」の発音はないと覚えるとよいでしょう――「あ」、「え」と「お」はある。――。但しそれは英語が特殊であるからで、フランス語などのヨーロッパ諸語には「い」と「う」も普通にあります。日本の外国語教育は英語よりも先ず発音の親しみ易いフランス語を第一外国語とするとよいかと、フランス文学科の卒の私としても思います。

 因みに'the heart'のフランス語は'le cœur'(ル クール)、織田信長の所縁、大阪の石山本願寺は日本の'Le Sacré Cœur de Paris(ル サクレ クール ド パリ)'といえます。「本願」は心から出ます。
 'cœur'、それは心臓または心のことです。
 心臓と肝臓は違います。
 しかし位置が近い。
 心臓は心を構成する重要な要素ですが、心は心臓だけで構成されるものではありません。
 他にも脳や神経、骨、手、足など、全身が心を構成しますが、心臓に近い位置の肝臓は心臓と同じ'the heart'、'le cœur'と呼べます。
 夏の催しの一つ、肝試しは酒を呑んで肝臓の強さを試すものではなく、心臓の強さを主に試すものです。心臓と肝臓の関わりの強さを物語るものです。
            
 「それがこの交渉の肝になる。」:それは英語では'That gets the heart on this negociation.'、フランス語では'Celui se fait le cœur à cette négociation.'。「アセットネゴシアシオン」は「資産の交渉/a negociation on the assets」ではありません。
 時折しも、ロシアのプーチン大統領が日本の安倍総理との会談で日本とロシアの平和条約を突然に提案した処です。日本にとってのその肝は「前提なしで」と云うプーチンに前提を示すことにあり、その肝を保てればその提案を受けることもできるかと思います。例えばプーチンが数年前に「引き分けに」と言って提案した北方二島の返還を即時にすること、そして残りの二島についてもあくまでも棚上げであり放棄ではないことを条約に入れること。「とんでもない、受けられない。」だけが選択肢であってはいけません、そこでプーチンと仲の良いトランプ大統領が「とんでもない、受けられない。」の安倍とプーチンの決裂に気を悪くしてアメリカとロシアの日本共同包囲網をなし、安倍が辞任に追い込まれると最高のシナリオですが。但しその場合にも、安倍の次の政権がロシアとの積極的妥協を実現することが肝になります。

 「肝」は「心」を伴なえて「肝心」とも言います。
 'the most important one'でもよいのですが、一言'the heart'で足ります。
 「肝心要の」は'the important as the heart'。

 宵六時にもう空が暗くなっています。肝試しには最高の時季になっています。

●ミソ the hint

a0313715_13023808.jpg 宵六時は夕餉の仕込み時。
 みそ汁はその定番です。

 「それがこの作業のミソ」のようには言う人も言わない人もいるでしょうが、「つぼ」や「肝」の程ではないにせよ、それなりに普及している国語の表現です。
 物事の勘所ということですが、それが何で「みそ」と言われるのか?   
 
 コンピューターにはヒンティング/hintingという技術があります。
 文字を小さく表示または印字する際に、それによる字の形の乱れを整えて見易くするものです。
 みそ汁の味わいもヒンティングのようなものがあります。
 具は文字でみそはヒンティングの機能、みそが具の味を整えて美味しくします。
 具のだしがみそに沁み出る様はがたがたの形になる筈の文字の線が画面に適当に滲み出て滑らかになるのと似ます。
 味のがたがたな具もみその力で滑らかに美味しくなるので、みそ汁の具にはあまり上等なものを要しませんし、他にだしを入れる必要も殆どの場合はありません。みそ汁にだしを使うと具の味が必要よりもブーストされてみその味が弱まり、というか変質し――コンピューターのグラフィックスをいじりまくるようなもの。――、却って美味しくなくなります。
 因みに、だしの英語は'a stock'。'stock option'は会社の景気をブーストする――boosting the company's business, an insentive――だしという感じでしょうか? そもそも株主、the stock holders or the share holdersというものも会社のだしであり材料ではない、会社の材料は諸材料、the materialsであるといえます。

 「ヒント」といえばクイズのヒントや物事に行き詰まっている時のヒントということばかりに遣われる故に、答のなかなか分からないことに差し伸べられる救いの手というようなイメージばかりが持たれています。しかし難問奇問ばかりではなく、答の直ぐに出る簡単な問題にもヒント/a hintと言うことができます。
 何れにせよ、hintとは物事の勘所、the essential respect on a matterということであり、その喩としての表現が「ミソ」です。

 多くは片仮名で「ミソ」と記されるのは片仮名書は異国のもののようによく分からないものであることを示すための表記な故で、「ミソ」を聞く人にとってはそれが現によく分からないものなので「みそ」ではなく「ミソ」と記します。さんまを「サンマ」と記せばそれはさんまの味を知らないまたは知らなくてもよいと思っていることを示します。よって片仮名書の多い人は物事をよく分からないままに語る人です。  
 私もコンピューターの詳細の機構やグラフィックスやヒンティングの仕組についてはよく分かりません。それが存在する事実を知るだけです。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■NEWS of the WORLD


a0313715_18135641.jpg
    ●AFP(フランス パリ)
a0313715_20290187.png
    ●ル フィガロ(フランス パリ)
a0313715_16210877.png
    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
a0313715_18035419.jpg
    ●共同通信(日本 東京)
a0313715_20324653.png
    ●朝日新聞(日本 大阪)
a0313715_20351165.gif
    ●日本経済新聞(日本 東京)
a0313715_20365208.png
    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
a0313715_20390867.png
    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
a0313715_20405274.png
    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_18190235.jpg
    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
a0313715_14522563.png
    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
a0313715_20590106.png
    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
by keitan020211 | 2018-09-14 13:02 | 文明論 | Comments(0)
続:講演での座席を取る位置による人間性の違い あの政治家は何でああなのか? その9:石破茂・森喜朗
a0313715_20004001.jpg

 直前の記事には菅政権も安倍政権も大災害の対応を頗る良くできていることを語りました。
 菅政権のそれが好く評価されないのは上手く出来ているあまりに「上手くゆかない現実と闘う人」という素人に受け易い物語を描きにくいから。物語を作れないとテレビの報道特集やドキュメンタリー番組も面白いものが出来ません。代わりにバラエティー番組を面白くすれば被災者が苦しんでいる時に失礼だなどという人達がいます。
 安倍政権のそれがそこそこ好く評価されているのは災害の対応をしている処を敢えて見せないような簡素なし方にしており、あら探しのされにくい仕組になっているから。
 良いことも悪いことも、そのような事実はなかなか報道されません。それは災害の政府による対応というものが国家機密を含むものであり、報道によっても明らかにされることができにくい事柄であることにも因ります。何ができている/できていないということも機密に触れることがあって判定しにくい訳です。
 そうであれば、報道に明らかにされる政権の災害の対応はそれを司る指導者の好き嫌いに基づく印象に依ってしか評価されることができません。

 安倍政権は安倍晋三を好きな人達を喜ばせるような宣伝のし方をしています。安倍が自らのフェースブックなどにネット右翼のようなことを書いて平然としているのは彼を好きなネット右翼的支持層が喜ぶためですが、それを快く思わない人々がそれにつき何を言っても無駄です。なので私はそのことについてはこのブログにもツイッターにも殆ど言及してはいません。内容についていえば語るに落ちるような感じですが、支持され続けるには支持する人達の分かる言葉で語らないと感動を呼べません。それらを多くの国民が見てはいないので、その他の人々がその何を批判しても何のことを云っているのかは分からないし、そもそも耳目に届きさえしません。仮に届いても、そういう人達に支持されているので仕方がないと冷めた目で追認されます。政治家と怪しげな筋との関係なんかは国民は昔から知っており、よくあることと思う訳です。
 民主党もパヨクという怪しげな筋に支持されていたので私は冷めた目でそれを我慢しながら支持していました。
 菅政権は昔は多くいた菅直人を好きな人達を喜ばせるような宣伝のし方をしてはいません。それだけではなく政権の宣伝そのものをあまり重視しない政権です。それはそれで悪くはないあり方ですが政権の宣伝を頭から悪いものと思うべきでもありません。選挙に勝つまでは宣伝をするのに勝てば菅君とばかりに宣伝をしなくなるのは怠慢や思い上がりとも見られかねません。

 批判をするにはその対象の良い面をも見なければ的確な批判をすることはできません。
 良い面を見ながら敢えてそれに蓋をして悪い面を批判する、それが政権の支持と求心力を弱らせて政権交代を実現する肝です。
 それに関しては、民主党政権に対しても自民党政権に対してもなされてはいない、良い面を見ずに悪い面だけを探して批判しようとするので麻生政権や野田政権のような自爆解散がないと政権交代にならない。任期満了の選挙における政権交代はまだ一度もありません。
 マスメディアにはそれを心得る人も少なからずおり、故に同じ党における政権の禅譲は度々彼らの力により実現しています。しかしいるとはいえども少数でしょう。多数のマスメディア人は国家機密を知ることもできないので国民の好き嫌いに基づく評価をもう少し小難しく報ずることしかできません。

 石破茂と森喜朗はそういえば、民主党とその政権の悪いことをあまり語ったことがありません。語ることがあるにしても稀に二行以内で申し訳という程のものしかない。
 そのような二行以内の批判は反論の隙を与えないので寧ろ本当のことと信じられ易く、逆に民主党に対し痛いものであるともいえます。そこは彼らの自民党への忠誠でしょう。
 長い批判は反論の余地が見つかり易いので霧散し易いものでもあります。ネット右翼系のように執拗なら何かおかしいと思われることもあります。
 石破と森は民主党の良い面と悪い面を見て的確に批判することのできる人であると見えます。
 片や民主党も政権交代までの野党の頃は自民党の良い面と悪い面を見る批判をしていました。主に小泉政権に対してであり、その前任の森政権に対しても国民民主党を除く今の諸野党のように悪い面だけを探すような批判をする姿勢ではありません。森は自分の政権に対するそのような民主党の姿勢に好感してか、民主党をあまり悪く言いません。小泉純一郎や福田康夫もそうです。
 安倍晋三や麻生太郎も民主党を本音では然程に悪く思ってはいません。只、ネット右翼などの彼らを好きな人達――と民主党が自分達のいいなりになってはくれないと不満を持つ圧力筋、即ちパヨク――が民主党を殊更に非難するのでファンサービスとして民主党を悪く言う。それらは必ず報道方に取材されるので報道が本気と思って拡散する訳です。

 政治には国民の生命、財産と人格の懸かる真剣な営みの側面と権力を平和的に争うゲームとしての側面があります。その織りなす綾が国民国家の統合を生むのが近代民主政です。
 そのようなものを当事者として続けるには石破や森のように「おもしろまじめ」な心がないと持ちません、森は総理としては持ちませんでしたが。
 彼らが先取りしている、そんな新人類が政界でも民間でもそろそろ指導層になって来る時代です。しかし今はおやじ世代となっているかつての新人類はけじめがない癖にくそ真面目なその後の時代の風潮を経、その心をやや忘れているかのようにも見えます。

 けじめがないのにくそ真面目、そのような人は政治の権力ゲームの側面に没頭するあまりにゲームを観戦しているに過ぎない自分を国の行く末を真剣に懸念している真剣な人であるかのように思い込んでしまうのでしょう。
 本当に真剣に懸念していたら権力ゲームのことには然程の関心を持たないようにする筈です。それがけじめというものです。
 私は昔、この国は大丈夫と確信していた頃に権力ゲームについて突き詰めて考えていました。しかし今はあまり大丈夫とは思えないので権力ゲームについての考えは控えめにしています。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■NEWS of the WORLD


a0313715_18135641.jpg
    ●AFP(フランス パリ)
a0313715_20290187.png
    ●ル フィガロ(フランス パリ)
a0313715_16210877.png
    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
a0313715_18035419.jpg
    ●共同通信(日本 東京)
a0313715_20324653.png
    ●朝日新聞(日本 大阪)
a0313715_20351165.gif
    ●日本経済新聞(日本 東京)
a0313715_20365208.png
    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
a0313715_20390867.png
    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
a0313715_20405274.png
    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_18190235.jpg
    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
a0313715_14522563.png
    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
a0313715_20590106.png
    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
by keitan020211 | 2018-09-09 02:28 | 文明論 | Comments(0)
続:講演での座席を取る位置による人間性の違い あの政治家は何でああなのか? その8:石原慎太郎・菅直人
a0313715_20004001.jpg

 東京都知事として長期政権を維持して成功したと一応はいえる石原慎太郎。
 日本の総理大臣として短期政権に終わり失敗したとされる菅直人。

 ――二人には意外とも自明ともいえる類似点があります。
 それは用意周到で慎重な、きっちりとすることを好む性格です。

 それには石原が作家であり菅が弁理士である、本職の故でもあります。
 因みに政治家は職業ではありません。政治家は奉仕活動、ボランティアの一種であり、議員や大臣の報酬は本来はなくてもおかしくはない特別の報奨金に位置づけられるものです。しかしそれでも税法の上では職業における賃金や報酬と同じく所得と見做されます。

 石原も菅もお金のことにはとても厳しく、清潔な政治家です。
 石原は更に、金のことそのものに並ならない関心があるようで、知事として東京都庁の会計に複式簿記の導入をさせたり中小企業向けの銀行として新銀行東京の設立をしたりしています。前者は成功していますが後者は失敗したとの見方が専らです。
 菅の総理としての所信表明演説や施政方針演説は何かの報告書と見紛う程に分かり易く整然としたものであり、彼の事務的性格が窺えます。

 左中列にはそんなきっちりしっかり志向の人が座ることが多い。
 講演など、きっちりしっかり聴いて学びたいと思って来るので「ちゃんと聴いています。」という建前を現す左の頬を先生に向けるような位置を取りません。よって建前主義の強めな菅も本音を現す右の頬を晒して差し支えない、室の左側の座席に来るのです。
 民主党-民進党は菅の他にも岡田克也や蓮舫など、左中列の右側の席を取るような建前主義の強めなしっかり者が多く代表になっています。
 彼らは私生活も公務もきっちりしっかりしていますが党の代表や総理大臣などの最高指導者としては皆失敗しています。成功例は菅が厚生大臣になった時や蓮舫が行政改革の特命担当大臣になった時です。最高指導者ではなく特定の分野の指導者となると上手くゆくのです。しかも、本音を晒しても恥じることのない確りとした考えや姿勢なのでパフォーマンスにも迫力があります。
 最高指導者は意外と、「そんなに上手くいってよかろうか?」というように思われるものです。上手くゆかない処がある方が安心感を持たれて支持が安定するのです。石原はそれを知るからか、先ずは定例の記者会見にブルゾンを着て緩い雰囲気を醸し出し、また、「なかなか上手くゆかないんだよね…」みたいなことをいつも云っていました。
 それは「上手くゆかない現実と闘う者」という人物像を好む人が少なくないからでもあります。そのような人は何か人の欠点を探して批判することを好む人でもあり、上手くゆかない風を装うことにより彼らの批判の予防線になるのです。元々そうではない人も偶々自分の支持する指導者が上手くゆかなくなると彼を認めない人達の欠点を探して批判するようになります。批判の対称がその指導者かそれを認めない人達かが違いですが、安倍政権を盲烈に支持する人達にもそれらの何れかが多いでしょう。
 菅政権に対する盲烈な非難は菅が「上手くゆかない現実と闘う者」という人物像ではない故に欠点を論われ易いからであると考えられます。
 大災害の対応というものは菅のような事務的な人に向くものであり、少なくともその限りでは菅はきっちりしっかりと対応ができていました。何でかというと、災害は人の力ではどうにもならないものであるからです。今何かを命じている時にも死傷者が出ます。あれやこれやと精力的に動き回れば自らが足許を取られて命を失うこともあり得ます。大災害において政治のできることは限られるものです。
 菅総理は東日本大震災の対応が頗る上手く出来ていた故に不興を買ったのです。上手くゆけばドキュメンタリー番組はつまらなくなります。「あんな総理の下に苦しめられた被災者が何とかしてあの状況を乗り切った。復興はまだか?」という番組が最も物語として派手になります。
 安倍総理も菅総理の程にきっちりしっかりしてはいませんが、熊本地震などの最近に立て続く大災害に一応の対応はできています。安倍は寧ろ本当にやっているのか分からないようにしているから好く評価されるのです。あまり動きがないようだが何もしていない筈はない、裏でちゃんとやっているという盲信交じりの確信を感じさせるのです。それができるのは安倍政権が災害の対応を予め著しく簡素にしたからでもあります。

 石原知事については在職中の東京には何の大災害もなかったので分かりません。ただ、若しそれが起こればしっかりと対応するぞという姿勢を見せはしました。「姿勢を見せる」は意識高い系を信じさせる手の一つであり、石原は意識高い系を自らへの票の源として最も重視していたことが窺われます。考えの同じ意識高い系は無論のこと、考えの違う意識高い系にはわざと喧嘩を吹き掛けることが逆に彼らの支持につながる。指導者は喧嘩ができないといけないと広く認識され、自分達を相手にしてくれたと感動されるからです。
 菅も一時は意識高い系に支持されていたことがありますが喧嘩ができないという印象も彼が支持を失った原因です。大臣の地位にものを言わせて上から動かすことには強いが外国の指導者とのような対等な喧嘩は駄目。
 確かに用意周到で慎重ならそう滅多に喧嘩をしないし、石原も知事として政治的喧嘩を殆どしてはいません。菅と同じく、やはり事務的業務の傍ら上から動かしていただけですがそうではないという印象を作るのが上手い。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■NEWS of the WORLD


a0313715_19444519.png
    ●ル モンド(フランス パリ)
a0313715_1946890.png
    ●リベラシオン(フランス パリ)
a0313715_18080681.gif
    ●時事通信(日本 東京)
a0313715_19485112.png
    ●読売新聞(日本 東京)
a0313715_19504029.png
    ●毎日新聞(日本 東京)
a0313715_201454.jpg
    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
a0313715_19541757.png
    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_19555015.png
    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
by keitan020211 | 2018-09-09 01:02 | 文明論 | Comments(0)
続:講演での座席を取る位置による人間性の違い あの政治家は何でああなのか? その7:安倍晋三・細川護煕
a0313715_20004001.jpg

左後列は典型な官僚型。
 官僚にも色々といますが、中でもキャリア官僚にはこの型が多いと思われます。
 キャリア官僚にとっては自分の任務よりも出世が重要です。なので物事に熱意や関心を持つと出世に差し支えたり市民に不公平に見られたりすると思っています。そのような発想なのは親などの周りの人々が先ずそのように教えるからで、それを自らも信念にします。しかし教える側は官界の仕組や事情を知ってはいません。にもかかわらず、門外漢の想像で語られていることが本当に官界の現実になるのです。
 尤もそれが現実の全てではないのでこの型ではない型の人が出世することもあります。
 また、それはそれで周りが困るものでもない、寧ろ周りにとっては自分の仕事が彼に取られてしまうことが余程に困るので、良いし必要な型でもありますが、この型が後述の意識高い系やリア充の影響を受けると周りが困るようになります。
 意識高い系については自分にはない「関心を持てること」があるという劣等感。
 リア充については自分にはない「威張れる勢い」があるという劣等感。
 いずれにしても「友達が多くて愉しい」という劣等感。
 この番犬型はどんなに実際の権力を持っても威張ることを許されません。なので威張ってみたい願望が生まれるのです。
 彼らはリア充の隣で意識高い系の背中が見える位置を取るので、ふとした隙にそれらの影響を受け易い宿命にあるのかもしれません。
 そこを取る直接の理由は単純に何にも意欲も関心もない、云われたことを云われたとおりにすることを至上命題とするからです。

 官僚の経験のない安倍晋三や細川護煕が官僚型というのは意外です。
 安倍に経験があるのは大手製鉄会社の社員と父安倍晋太郎の秘書。
 細川に経験があるのは熊本県知事と国会議員。

 しかし官僚型の人は官僚やそれを志願する人々には限られず、寧ろ古来本来の官僚の実像とは違う考え方の人々が偶々官僚になって出世したことから生まれたものです。
 官僚は試験に受かるだけでなることができるのでそのようなこともある訳です。そして寧ろそのような官僚型が現実の官僚の多くを占めるかのように想われています。
 その官僚型の元が安倍や細川のような型の人々です。

 古来本来の官僚とは政権の意向を政治家の知らない様々の事柄を生かして実現するものです。最終的には政権の意向に反してはなりませんがその途上では独自の見解を述べることがあります。その独自の見解が政権の意向に確実に結びつく程に有能な官僚ということになります。
 片やいわゆる官僚型にはそのような能力と意欲はありません。上の者に云われたことを云われた通りにすることが至上命題であり、上の者が一つ一つ指示しないと動けません。上の者がそれをできる人であれば官僚型、番犬型の人の働きも活発になります。指示待ち人間といわれるのもその型ですが必ずしも待つだけではなく指示を自ら仰ぐこともあり、指示待ち人間よりは活発な人と見られます。しかしそれでも指示の仰ぎ方が一から十までです。
 そのような番犬型を好む上の者は意外と多く、出世し易い条件にあります。安倍も細川も多分指示待ち人間ではなく指示仰ぎ人間です。
 細川は一から十までの指示の仰ぎ方が細かく、きめ細かな仕事をしようとするでしょう。
 安倍は一から十までの間を飛ばすことが多く、大雑把な仕事をしようとするでしょう。
 企業にもきめ細かな仕事を求める向きもあれば大雑把な仕事を求める向きがあります。しかしあまりにも大雑把に過ぎては基本的信用が得られません。安倍政権はその最低線の上下を行ったり来たりしながら何とか最低以上の仕事を保っていると考えられます。安倍政権の下における中小企業にもそのような状況の会社が多いのではないでしょうか。

 そのような番犬型というと上司の草履を自らの懐で暖めていたと伝えられる豊臣秀吉が連想されるかもしれませんが彼は番犬型ではなく意識高い系です。市民に刀を持たせないようにして天下を統一するようなことは典型な意識高い系の発想です。
 彼にとっての権力とは徳川家康のようなリア充に迫ってリア充のようになることです。一般市民ならいい歳になったら詮めるようなリア充成りの野望をどこまでも追求したことが稀有です。その野望を隠さない点は立憲民主党の枝野幸男が豊臣秀吉に似ているといえます。
 番犬型は彼のような誰もしないような奉仕はしません。あくまでも云われたことだけを忠実にしようとします。
 
 番犬型はぶっちゃけいえば、人生は食べてゆけるだけでよいと思います。なので何かに意欲や関心を持つ必要はないと思い、自らも持ちません。
 食べて行けなくなってもよいと思う人は殆どいないので、安倍や細川の言外の信念を誰も否定することができません。但しその信念を実現しようとする姿勢は違い、細川は国民の皆が食べてゆけるような国にしたい、不満を埋めたいという姿勢ですが安倍は国民は食べてゆければよいだろう、不満を垂れるなという姿勢です。それは自分の政治を批判されたくはないという権力者としての本音からのものです。本音にも様々あります。
 そしてそんな安倍は今は何の番犬か、言うまでもありません。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_13574441.jpg●近畿地方の緊急地震速報は ダイヤル1008 ABCラジオ

――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。

a0313715_14505979.png
ABCテレビ おはようコールABC 5.00~6.45/月~金
ABCテレビ おはよう朝日です 6.45~8.00/月~金
ABCテレビ おはよう朝日土曜日です 6.25~8.00/土

a0313715_19554738.jpg
フジテレビ めざましテレビ 5.00~8.00/月~金
フジテレビ めざましどようび 6.00~8.30/土
[PR]
by keitan020211 | 2018-09-08 23:36 | 文明論 | Comments(0)
続:講演での座席を取る位置による人間性の違い あの政治家は何でああなのか? その6:野田聖子・鳩山由紀夫
 
a0313715_20004001.jpg

 一番前の真中に座るのは野田聖子と鳩山由紀夫。
 野田聖子は総務大臣で総理大臣を未経験。
 鳩山由紀夫は総理大臣を経験して他の閣僚の経験はなし。

 野田はこの程の自民党の総裁選挙に立候補をしようとしていましたが20人の推薦人が集まらずに断念しました。
 鳩山は総理大臣になりましたが1年も経たない内に外交問題の引責で辞任しました。
 一番前に座る人はどうも指導者としての運に恵まれないようです。

 自分のせいなのか他人のせいなのか?

 野田は報道メディアの調査する『総理になってほしい人』に名が上がったこともあり、自らが総理の候補になるのは決して分不相応とはいえないでしょう。
 若し総理になれば日本には初めての女子の総理になり、日本の歴史を大きく動かすことになります。
 国民がそのような大きな変化を望まないのでしょうか?
 ――そうではありません。
 国民は変化を求めています。少なくとも変化してはいけないと思ってはいません。
 野田が支持を広げられない、推薦人が集まることにも及ばないのは一つは、直前の記事の国民民主党の支持率についてと同じく知名度がないからです。野田はその名と顔を国民にあまり広く知られてはいません。
 その原因の一つは野田自らの務める総務省が安倍晋三総理に代わる指導者の可能性を示してはいけないと総務大臣の野田に命じていることです。自分にとって今よりも有利にはならない立場にいるのです。総務大臣もそれなりに有利な立場なのでそれを失っても今よりも有利な立場になることにはなかなか挑めません。
 物事への意欲や関心が深くて有能で闊達な人はしばしば野田のようなジレンマに置かれます。尤も、野田が総理にならなければこの国が立ち行かなくなることもないので客観的には不利益ではありません。あくまでも野田の可能性にとっての不利益です。それが安倍政権の意図によるものなのか否かは全く分かりませんが何れにせよしばしばある運です。
 そのこんなに典型な例が出て来ることに驚きさえします。
 
 野田の知名度の低さのもう一つの理由は同じ自民党の橋本聖子と同じ名で響きが紛らわしいことです。橋本聖子は元は競輪の選手であり、オリンピックで活躍した有名人。テレビのニュースに「野田聖子氏が…」との声が聴こえると「橋本聖子氏が…」と言っているかのように聞こえます。
 素敵で響きの良い名前にはそのような弱さがあります。しかしそれを解消しようとして「あちらの聖子さんは…」などと言い出せばその程度の人物としか見られないようになってしまいます。

 更にもう一つ。
 橋本聖子は自民党の政治家として意外と古く、1995年に参議院議員になっています。
 野田聖子も意外ともっと古く、1987年に自民党の岐阜県議会議員に、1993年に衆議院議員になっています。衆議院自民党としては初の女子議員なのも意外な事実です。
 野田はそれらの間の1990年の衆院選で自民党の公認を得られずに落選しました。

 ――何か浮かび上がりませんか?
 橋本聖子は野田聖子を潰すために送り込まれてきた工作員であるということです。
 何歩政治の勉強を重ねているとはいえ、元競輪選手が外務副大臣になることは普通は考えられません。世界に名と顔が通っているからという安易な発想としか考えられないことです。
 1990年の選挙での党の公認が野田に与えられなかったのは野田が自民党にとって非常に都合の悪い存在であるからであり、それを潰すために名前の紛らわしい橋本聖子を招いた訳です。
 自民党にとって都合が悪いのは取りも直さず、野田が一番前の席を取る人であるからです。
 大学の授業には時に、前の方の数列に誰も座らないことがあります。
 自民党ではそれが常識です。真中の前の方には座ってはいけません。
 その理由は前の席に座ると講義や講演に聴き入ってしまい、その場での「政治活動」ができなくなるからです。手紙を回すとか、そのように隠れてすることが前の席ではできなくなります。
 実際にはより後ろの席も先生に丸見えであり、逆に前の席なら必ずしもそのようなことができなくはありませんが心理的恐怖からそのようなことには前の席は避けられるものです。

 郵政解散総選挙の時にも、野田は小泉執行部にかなりこっ酷く潰されました。結果は非公認の候補としての当選でしたがそれを受け野田は一時は自民党を辞めています。
 その小泉政権による野田潰しの理由は自民党を批判したからではなく当時の大臣であった竹中平蔵慶應義塾大学教授を批判したからであるとされます。
 つまり、野田は党に反することによってではなく、外部の人間への忖度がないとして潰されることが多いと見えます。しかし竹中のように自ら大臣として政権の正式な一員になってまで外部の人間というのもおかしなことです。その竹中は野田による批判を快しとしており、党員が彼に忖度して野田を潰すように党を動かせる筈もなく、他の何者かが自民党を動かして野田を潰させていると考えられます。それが続くこと三十年。

 そんなにされてまで自民党を辞めずにいるのは他の党へ移るともっと恐ろしいことになるからとしか考えられません。他の党にも圧力を掛けて潰せるのは何れにせよ党外の人間でしょう。党内には証拠がある筈もなく、党の誰も野田を冷遇したりはしないのもミソです。
 なので野田さんは自民党を飛び出して野党に移ればよいとはいえないと思います。
 そこまで執拗に潰しを続けられるのはアメリカのCIAではなく中国の情報筋か利益筋と考えられます。CIAには良くも悪くもそんな長期的政策を実行し続ける力はありません。
 中国が野田を潰すとすればその理由は日本が野田が活躍したり指導者になる程に進歩的になったら日本を叩きにくくなるからです。
 そう見ると、安倍政権が微妙に中国を優遇する外交をしているのも分かるような気がします。

 中国やアメリカといえば、鳩山由紀夫もそれらとの外交が鬼門になっています。

 中国やアメリカとの関係はやる気のある人をなるべく排除することや口を塞ぐことによって成り立って来ているのです。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_17314580.jpg●関東地方の緊急地震速報は ダイヤル1134 文化放送


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


a0313715_13041605.jpg
ANN 報道ステーション 9.54~/月~金
ANN サタデーステーション 20.54~/土
ANN サンデーステーション 16.30~/日
[PR]
by keitan020211 | 2018-09-08 21:25 | 文明論 | Comments(0)
続:講演での座席を取る位置による人間性の違い あの政治家は何でああなのか? その5:枝野幸男・舛添要一
a0313715_20004001.jpg

 リア充に媚びて成功することはできない。
 しかしその不可能を可能にした唯一の者、
 舛添要一。

 厳密に言えば、舛添は自民党の推薦による候補であり、自民党政権の厚生労働大臣を務めたこともある自民党の人。なので自民党の看板を用いることによりその不可能を免れられる面はあります。
 しかし元々が党派性不明の国際政治学者であり、自民党の人というイメージが然程に強くあるのでもありません。
 その自民党さえ、リア充に媚びるような選挙の戦い方や政策の立て方をなるべくしないようにしています。金持ちを優遇するかのような印象を抱かれると日本人の貧乏性の琴線に触れるからです。
 実は安倍政権も、富裕層を優遇するものというような評価がされていますが選挙戦も政策も富裕層とその多くを占めるリア充に媚びるようなものではありません。寧ろ、金にも地位にも乏しい般ピーに訴えるようなあり方です。

 国際政治学者舛添要一はその出始めの頃から、何を云いたいのかよく分からない語りをしています。
 難し過ぎることを語るのではありませんが、主旨が不明なのです。

 ――何故でしょう?

 現実には暮らしが豊かではない貧乏学者や至って並の水準のサラリーマン的学者も多いですが、学者といえば般ピーにはできない豊かな暮らしをしているかのようなイメージがあります。古い言葉にいう「殿上人」の一種です。
 現実に、豊かな暮らしをしていて家柄も高い学者も多くいます。産業経済界と同じく、そのような金持ち学者が多くの場合は学界の高い地位を占めます。
 貧乏育ちから身を立てたい舛添にとっては金持ち学者に認められることがその希望を実現する途なのです。
 しかし金持ち学者が先達の金持ち学者に認められて高い地位を得ているのではありません。金持ち学者はリア充の土地と同じく足場が安定しているので結果を懸念せずに手を上げることができるのでそうなっているに過ぎません。結果の懸念とは手を上げても認められない可能性のことです。逆に、いわゆる「駄目で元々」ということで手を上げてみる貧乏学者もいます。
 尤も、結果の懸念をしないことや「駄目で元々」が自分の望み実現のために必要なことをなおざりにすることであってはいけません。
 舛添は必要なことをなおざりにしながら結果を急ぐ。
 但しそれは幾らかは誰にでも身に覚えがあったり現にそうであったりするのでなかなか舛添の虫の良さを批判することができません。
 そのような舛添は結果主義の旧安倍政権には好ましく見られて重用された訳です。その旧安倍政権は自らも舛添的虫の良さで短期に崩壊しましたが新安倍政権はその点を多少改め、その時代に舛添は東京都知事になりました。

 金持ち学者や安倍政権に認められるためには言葉を慎重に選び、リア充や富裕層にとって耳に痛い事実には触れないようにします。舛添の学識に関心のあるリア充は少ないですが、テレビに多く出ているためにいつうっかりその語りがリア充の耳に届くか分かりません。
 その故に、舛添の語りは何を云いたいのかよく分からないものになるのです。
 舛添だけではなく、そのようなリア充への媚びは東京人や東京の影響の強い人々には多少しばしば見られるものです。リア充と意識高い系についての批評で有名な古谷経衡のいう「道徳自警団」もまたリア充と弱者への媚びが本質です。
 舛添の人間性はそもそも東京においては衆目に受け入れられ易いところがあるのです。

 自民党の看板+リア充への媚び=圧勝

 但し圧勝とはいえ前任の猪瀬直樹――捉えどころがないが石原慎太郎前知事の副知事――や後任の小池百合子――自民党の看板を捨てて自らがリア充、舛添とは対照的――の程には圧倒的圧勝ではありませんでした。
 共産党の宇都宮健児や無所属リベラル保守の細川護煕も健闘しています。寧ろより広く熱く話題になったのは宇都宮や小泉純一郎の支援で戦った細川でした。
 話題にならないけれど圧勝――それも舛添の人間性をよく物語るものといえます。

 舛添の圧勝の要因はリア充への媚びを選挙を戦う時の態度、自分の見せ方としては極力隠し――つまりそれが命取りになる可能性を認識してはいるということ――、政策に埋め込んだことです。
 リア充は資産家ですが必ずしも可処分所得が多くはないので自らが社会保障や福祉に頼ることになる可能性を認識しています。生活保護となると現行の制度では法外な資産審査がある故に受けることはできませんがその他は資産の多寡を問わずに受けられるものが多くあります。故にリア充には社会保障や福祉の政策を重視する人が多い。
 舛添は「今のままでは保障に頼らざるを得ない貴方」ではなく「若しかしたら保障に頼ることになるかもしれない貴方」に訴えました。低所得層や貧困層に訴えるのは前者です。
 尤も、後者も重要であり、誤った考え方ではありません。しかし前者と後者を共々訴えることが社会保障や福祉の政策の肝です。舛添はその人間性を現して後者にしか訴えない、それが「安心」というキーワードです。
 そして自らの本質を極力見抜かれないように或いは既に見抜かれていても黙っていてもらうために、短い時間で多くの場所を周る演説のし方を取りました。これは変り者野田佳彦の毎日欠かさず駅前演説と似てもいます。「やっている姿を見せる」ことにより批判をさせない雰囲気を作るというものです。それを批判する人は彼の努力を踏み躙る、そういう雰囲気です。

 その「やっている姿を見せる」は意識高い系にしばしば見受けられるSNSにおけるいわゆる「リア充アピール」そのものです。舛添のやっていたそれが意識高い系の源流です。
 それが態度だけならリア充の意味不明感若しくは不信を買うものですが政策に埋め込むことにより不信感を麻痺させ、嫌な人でも結果が出るならばよいかと思って投票したリア充が多い訳です。

 しかし、その馬脚は程なく崩れ、舛添知事は辞任に追い込まれました。

 学界の上層部やリア充に媚びるなど、そのような建前主義は同じ机の左側に座る枝野幸男にはありません。

 媚びないから大躍進とはいえどもあれだけの議席までしか伸びないのではなく、媚びないからあれだけの議席を残すことができたのです。
 報道には「大躍進」と云われていますが、実際には大躍進でも小躍進でもなく、現職の有力な議員等が議席をなんとか失わずに済んだだけの話で、すっとこどっこいな看板を突如としておっ立てた派手な印象――と安倍一強の下に今や崩壊しても不思議ではないという懸念――が大躍進という錯覚になっています。しかしその代表の枝野が何かに媚びていたらその確保さえままならなかったでしょう。
 日本を永らく牛耳る左派法律家の世界は媚びる向きも多い権威ですが枝野はそれを義しいもの、必要なものと信じているので初めからの支持であり媚びではありません。

 但し、単なる確保を大躍進と云うことには大東亜戦争の戦況とその報道を想わせるものがあります。あれなんかも当時の意識高い系の主導と影響による処が大きいと思われます。
 枝野の立憲民主党と同じ位の議席を確保した国民民主党――:当時の名称は希望の党――が「支持率1%」や「支持率0%」と云うのも、敵を過小に評価して宣伝していた当時に通じるものがあります。若しその調査の結果が本当であるとしても、それは知名度がないことによるものであり、その知名度の低さは報道方が国民党についての報を意図的に削除しているからでしょう。

ブログランキング・にほんブログ村へ←クリック投票

■NEWS of the WORLD


a0313715_19444519.png
    ●ル モンド(フランス パリ)
a0313715_1946890.png
    ●リベラシオン(フランス パリ)
a0313715_18080681.gif
    ●時事通信(日本 東京)
a0313715_19485112.png
    ●読売新聞(日本 東京)
a0313715_19504029.png
    ●毎日新聞(日本 東京)
a0313715_201454.jpg
    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
a0313715_19541757.png
    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
a0313715_19555015.png
    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
[PR]
by keitan020211 | 2018-09-08 19:19 | 文明論 | Comments(0)



keitanこと渓香が政治、社会、文明論、生活などについて語るブログ
by keitan020211
カテゴリ
全体
お知らせ
政治、社会
文明論
生活
Freesia料理
芸術(音楽、文学など)
ちょっと知りたいキリスト教
追悼
非公開の記事:~2018年6月
未分類
以前の記事
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
more...
My Tweets (2 of the accounts)
フォロー中のブログ
プラハなchihua**hua
日本がアブナイ!
A Lake Mirror
ひつじのお散歩
楽なログ
+deja+
* Colorful W...
Lovely-Jubbl...
HANA*HANA
*Photo Garden*
Berry's Bird
Sora*Koto
Night Flight...
BARON MAMA*S
Yuruyuru Pho...
Roaming people
ひつじのお散歩2
外部リンク
ファン
ブログジャンル
検索
最新の記事
【Freesia大特集201..
at 2018-10-11 02:33
【Freesia大特集201..
at 2018-10-11 02:17
【Freesia大特集201..
at 2018-10-11 01:59
小田急電鉄は車輛の小型化で速..
at 2018-10-01 21:12
【自民党総裁選挙】『地方創生..
at 2018-10-01 20:32
【英語訳】天声人語 朝日新聞..
at 2018-10-01 20:26
樹木希林の死去と自民党の総裁..
at 2018-10-01 20:21
アイロン掛けは後ろから――ア..
at 2018-09-14 13:54
【英語訳】国民 新代表に玉木..
at 2018-09-14 13:06
【Freesia英語】「つぼ..
at 2018-09-14 13:02
続:講演での座席を取る位置に..
at 2018-09-09 02:28
続:講演での座席を取る位置に..
at 2018-09-09 01:02
続:講演での座席を取る位置に..
at 2018-09-08 23:36
続:講演での座席を取る位置に..
at 2018-09-08 21:25
続:講演での座席を取る位置に..
at 2018-09-08 19:19
続:講演での座席を取る位置に..
at 2018-09-08 17:30
続:講演での座席を取る位置に..
at 2018-09-08 15:47
続:講演での座席を取る位置..
at 2018-09-06 21:20
続:講演での座席を取る位置に..
at 2018-09-06 20:05
安倍晋三と細川護煕、実は性格..
at 2018-09-04 21:19
最新のコメント
> 清瀬さん そのリン..
by keitan020211 at 20:24
リンクから飛ぶことが出来..
by 清瀬 at 03:43
文化という名の非合理主義..
by たま at 21:16
元号のために様々な莫大な..
by 1 at 21:15
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 15:49
山本七平の「空気の研究」..
by コッホ at 10:15
花王のHP見ても、ミュー..
by ミューズ at 12:03
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 13:04
宮崎哲弥が明確に左とかあ..
by あえ at 17:15
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 15:37
ミューズって花王なんです..
by とくとく at 18:56
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 15:21
おー、ちょっとビックリ!..
by コッホ at 10:09
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 12:20
なるほど! なるほど!..
by コッホ at 11:34
コメントをいただきありが..
by keitan020211 at 16:38
わたしは英語が出来ません..
by コッホ at 10:21
コメントをいただき有難う..
by keitan020211 at 11:49
コメントをいただき有難う..
by keitan020211 at 19:23
あはははは。その小賢しさ..
by ぱよぱよち~ん at 21:27
最新のトラックバック
ニューヨーク在住で超富豪..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
北方ヨーロッパ絵画の最高..
from dezire_photo &..
北方ヨーロッパ絵画の最高..
from dezire_photo &..
EU諸国中英国への投資残..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
「北のヴェネツィア」と呼..
from dezire_photo &..
庶民の通信手段の力に気づ..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
無理やり解決をつけた従軍..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
巧妙なNHKの大本営擁護..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
山本太郎議員の単刀直入質..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
今回の統一地方選は投票し..
from 国民の生活が第一は人づくりにあり
記事ランキング