カテゴリ:文明論( 91 )
林修先生の「質より量」は「量より質」との目くそ鼻くそに過ぎない
 TBSテレビの12月2日の『林修先生が驚く初耳学!』に、林修先生が「質より量」ということを説いておられました。

a0313715_01313485.png 林先生は日本長期信用銀行、長銀の行員であった若者の頃にそのことを学んだと云います。番組では会社名を伏せていますが20世紀の終わりと共にその経営が破綻して今は新生銀行という社民党のような規模の銀行になっています。
 破綻した銀行にいて学んだことだから価値がないというのではありませんが――寧ろ勤めている会社の倒産や人員整理による解雇退職はその他の理由による解雇や転職の動機による退職より再就職に有利です。少なくとも建前としては本人の責任によることではないし、求人側にも救済の意思のバイアスが生じます、だからといって「私ってかわいそうでしょ、入れて下さいよ。」ではお話になりませんが。――、どうもその「質より量」には破綻した長銀ならではみたいな匂いがします。即ち、そんな考えだから会社が持たないのです。
 不良債権を抱える中で良さげな融資先がなかなか見つからず、「質より量」で当てずっぽうに営業を重ね重ねしてやっと取れたと思うとまた一癖も二癖もありそうな顧客…。そんな状況ならあまり無理に何かを学び取ろうとするべきではないのではないかと思います。世の中には生涯にはそんなこともある/あった、その感慨だけで充分に重みがあるでしょう。

 尤も、量に関しては営業員や生産部門などの下々に任せて上層部が質に関して独占して管理する会社の枠組みならば下々が考えることは量のみになりますがその場合は「質より量」ではなく「量」という認識になり、質との比較の対象にはなりません。
a0313715_01334722.jpg 「質より量」という認識は初めは「量も質も」或いは「質」という認識であったけれどもいつしか質を捨てて量を重視するようになったという含みがあります。そのような認識は公私に亘り自分のすることが何であるかを考えない、考えてもしばしば実体の定かならない「生活のため」という人に多いものです。
 実体の定かならない「生活」のために働く人が長銀の危機と破綻の時代から頓に増えて来ており、「仕事よりも私生活を大切にする」という考え方もその一種として増えて来たものです。実体が定かならずあやふやなので或る時には「生活のことで大変」といったり或る時にはa0313715_01355506.png「仕事が忙しい」といったりします。「仕事よりも私生活を大切にする」という切り札と「仕事は質より量」という切り札、二つの切り札を何枚も持って公私をあやふやと往復するのです。それが「ワークライフバランス」と呼ばれる一種の意識高い系の運動であり、そんなことでは林先生が自伝に語るような自我の危機を招くのも必然です。そして「成熟社会」という妄語もまたそのような二つの切り札と共にある認識の延長線上にあるものであり、相応の経済的ゆとりが出来ると「成熟社会」という課題の意識を持つようになります。成熟社会などというものは世のどこにも存在しませんし存在し始めることもありません。workとlifeは中長期的にpayして何となく充実すればよいものであり、現在の働きと暮らしを均衡するというのは無意味な試みです。

 量と質は対立概念や矛盾ではありません。
 「量より質」と「質より量」の何れもそれらを対立概念と見做して矛盾するものと思うことから様々の誤りが生じます。
 結局は同じ人/人々が「量より質」と「質より量」を行ったり来たりぐるぐると堂々巡りをしているのです。
 どんなことも、取り分け業務は、「量も質も」が当然です。
 なるべく多くの量の相応の質の財や仕事を生み出す、それが業務です。量と質のどちらが欠けてもいけません。
 長銀の最後であった'90年代から林先生の時めく今'10年代の三十年程に亘り、「量より質」がはやっています。林先生はその反対として今「質より量」を訴えたいのかと思われます。しかしそれでは先述の如く同じ穴の堂々巡りでしかありません。

 尤も、林先生は自我の危機の頃を過ぎて後に東進ハイスクールの講師になるなどしてまた違う価値観を見出してもいるでしょう。林先生が魅力ある人であるのは疑いありません。若い頃に学んだという「質より量」が林先生における思想的瓶の首です。

a0313715_01390745.jpg 「量か質か」という問いでは、或る種の『朝まで生テレビ』のような不毛な極論の応酬を生むだけです。実体の定かならないこだわりから尤もらしい信念を持ち若しくは広めるようになる。
 実体、即ち現地現物を見ればあらゆる物事が量も質も求められることが明らかです。

 実体の定かならないこだわりから出る尤もらしい信念を象徴するような出来事は昨日からのネットのニュース記事に出ている西野カナの作詞の手法についての批判です。
 作詞家としてまたはあらゆるものの作り手として当然のことである「共感の生成」をその批判者等は「あざとい」や「自分の足を引張っている」などという訳の分からない妄言により否定しています。
a0313715_01404360.jpg 因みに私は西野カナの『Have a nice day』という歌が好きで、『Dear Bride』という歌が嫌いです。拍子にしても旋律にしても、そして歌詞にしても、『Have a nice day』は私の好みとしても大向うの唸り具合にしても極めて優れますが『Dear Bride』は拍子と旋律についてはぶっちゃけ音感のない人向けという感じがしますし、歌詞については国語力がないけど日本語が最高という人向けという感じがします。後者も或る種の共感を生成しておりその対象が前者とは異なるだけなので、それも西野的方法に照らせば良作なのかもしれません。様々な対象に向けて歌おうとする西野の姿勢は素晴らしいです。

 音楽において「量も質も」を最も高い水準で実現している人はヨハン セバスティアン バッハであり、バッハがどんな人であるかを知れば西野の批判者らのような音楽観はならず者の小唄でしかないと分かります。

 逆にこの三十年を覆った「量より質」の起源は日本、本居宣長(1730~1801)などによる国学の辺りでしょう。
 「質より量」の起源はイギリスの産業革命。
 戦中の日本帝国主義は国学と産業革命の「融合」を図りましたが、それは「量も質も」ということではなく一方では「量より質」といいながら他方では「質より量」といって両派を上手いこと遣い分けようとする試みといえるかと思います。当然にして失敗しましたが、今これからの時代にもそのような日本帝国主義的融合の思想と政策、社会価値が再現しないとも限らず、「量も質も」とは違うものであることを認識しなくてはなりません。

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a0313715_17314580.jpg●関東地方の緊急地震速報は ダイヤル1134 文化放送


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


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ANN 報道ステーション 9.54~/月~金
ANN サタデーステーション 20.54~/土
ANN サンデーステーション 16.30~/日
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by keitan020211 | 2018-12-06 01:51 | 文明論 | Comments(0)
一流の人は決して遣わない 品性の疑われる言葉
 『一流の人は決して遣わない 品性の疑われる言葉』――

 一流の人は遣わないということなら二流の人は遣ってもよいということではありません。

 ここにいう「一流」とは品性や能力が人並み外れて優れているということではありません。
 また、そのような一流を「分かる」ということでもありません。

 「一流」とは人間性の自然に随って生きようとする人のことです。
 そうであるならば、能力は必ずしも一流ではなくてもよいのです。但し能力は必要がないということではなく、人間性の自然に随って生きようとするならば能力は早かれ遅かれ着いてくるものです。

 但し人間性の自然というと、殊に私達の国日本においてはしばしば誤解が生じます。

 昨日のニュースに秋篠宮殿下の誕生日に際し殿下の会見における発言等が報じられました。
a0313715_00300656.jpg その発言等は主に来年の皇太子殿下の即位に際し行われる大嘗祭についてのことでしたが、子息の眞子内親王の婚約の可否を巡ることについてのものもありました。
 彼女が結婚をしたいと表明している小室圭氏はその会見で'Let it be'の心境ですと語りました。
 'Let it be'、これは英語に弱いとされる日本人がしばしば誤解しているビートルズの曲名にもある文言です。
 'Let it be'とは「なるようにせよ」ということです。
 それは昭和天皇の御歌「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」とつながるものがあり、小室氏もそれを念頭において語ったのかもしれません。
 その真意を悟るからこそ、秋篠宮殿下は「君のその信念を守って下さい。私も同じ思いです。」、即ち然るべき対応を望むと仰せになったのかもしれません。
 しかし日本においては'Let it be'は「なるようにせよ」ではなく「なすがままに」と誤訳されています。
 「なすがままに」の英語は'Leave it as it being'です。'Let it be'とはえらい違いです。
 少なくはない日本人が'Leave it as it being'、「なすがままに」を人間性の自然であるかのように思っています。意訳すると、「旅の恥はかき捨て」です。そうではないと思うかもしれませんがそうです。
 しかもビートルズの'Let it be'には'mother Mary comes to me'と、キリスト教の重要人物である聖マリアも出て来、尚更にその種の日本人の誤解が深まります。マリアが受胎告知――今月末の、降誕祭(クリスマス)の季節に記念される。――の時に「御心のようになりますように。」と言ったことを「なすがままに」ということと思うのです。勿論そうではありません。

a0313715_00321673.jpg 「なるようにする」ことは物や状況などの現実を慎重に見て取らないとできません。そしてそれが人間の自然の営みです。それは本来の意味における科学的態度にも通じます。本来ではない「科学的」とは科学が全てを解決するという考え方のことであり、それも日本には著しいものです。

 「なるようにする」、'Let it be'――そのような人間性の自然の感覚が日本人にないことの現れとして記憶に新しいのは酒の徳利の使い方について最近にネットを騒がせた言説です。徳利の注ぎ口を使わずに注ぐことは徳利の造りの通りには使わないということであり、「なるようにする」こととは悪意的に反することです。
 注ぎ口を使わなくても注げるではないか、なるようにしているではないかというのは反論になりません。人間の自然な感覚は注ぎ口があればそれを使う、注ぎ口が使いにくければそれを改善することであり、注ぎ口があるのに使わないことではありません。
 件の「徳利マナー」は故に人間性の自然に対する悪意的挑戦の外の何ものでもなく、厳に斥けるべきものであり、多様性や例外の一つとして許容されるべきものでもありません。

 この記事に挙げる「一流の人は決して遣わない言葉」は正に「なすがままに」や注ぎ口を使わないのがマナーであるというようなことと同質の言葉達。
 重ねて云いますが、「一流」とは並外れて優れる人のことではありません。

 ・そんなに立派にならなくてもいい。

 一つ目はそれ。
 品性の少しでもある人はその言い換えを含め、決して遣ってはならない言葉です。
 言い換えの例としては:

 ・私はそんなに立派ではありませんから。

 それは昨今の流行語である「頑張らなくていい」にもつながるものと思われます。
 尤も「頑張らなくていい」には努力のし方を間違えれば努力の意味がないということに言われることもあり、その意味では必ずしも全くの誤りともいえません。「頑張らなくていい」がどんな文脈で言われているのかをよく見極めて「いいね♡」を押すか押さないかを決める必要があります。
 「頑張る」、'holding on'は新しい語であり元々は「努める」、'making one's effort'と言うものであったことも勘案すべきでしょう。確かに「努める」と比べれば「頑張る」は内容がないかもしれない軽い言葉に聞こえます。とはいえ、「頑張る」は一流の人が遣ってはならない言葉ではありません。

 「・そんなに立派にならなくてもいい。」には以下のような応用例があります。
  ・そんなにお金は要らない、お金持ちにならなくても幸せに暮らしたい。
  ・そんなに本気にならなくても楽しくやればいい。
  ・そんなに丁寧にやらなくても程々にできればいい。
 「・私はそんなに立派ではありませんから。」には以下のような応用例があります。
  ・私/私達は庶民ですから、そんな難しいことは分からない。
  ・私はそんなに真面目ではないから、そこまではできないな。
  ・私はそんなに美人ではないから、つき合う人も程々でよいと思う。

 「そんなにお金は要らない、」は先日のカルロス ゴーン氏の逮捕を受けて彼の高額の報酬への批判としてテレビやネットに多く見られたもの。また、上野千鶴子氏が「皆が平等に貧しくなる社会を」と説いたりしており近年に頓に増えています。
a0313715_00344259.png 「そんなに本気にならなくても」は特にスポーツの世界には近年に著しくなっている傾向です。練習をなるべくしないことなどが説かれています。
 「そんなに丁寧にやらなくても」は韓国などの後進国が近年に比較的低品質の商品等を売り上げて市場における強みを持っていることから日本もそれに倣うべしとの説が見受けられます。それに併せ、「過剰品質ではいけない、求められる品質が大切」などという屁理屈が説かれたりしています。

 「庶民」、「真面目(ではない)」や「程々」は何がどれ位にそうなのかという観念が全くないものです。そもそもそれらをいう人/人々は水準の違いを問うのではなく相手方との敵対関係を示すための旗印、即ち「貴方とは違う」と云うためのものとして「庶民」、「真面目ではない」や「程々」を言います。

 ・人のことを言えるのか?
 ・そう言う貴方はどうなのか?
 ・貴方に言われたくない。(ネット卑語:おまいう;ブーメラン)

a0313715_00401892.jpg どれらも品性があれば決して言うことのない言葉です。
 そもそも、相手が「人のことを言えるものではない」と分かるとしたら、それは彼が相手のことを相当に知っていることが前提です。つまりそこには「私は貴方のことをよく知っている。」という領空侵犯的脅迫の意が含まれます。
 勿論何を言ってもよいものではありませんが、仮に何かを言う人が言われる人と同じ弊があたり他の何等かの不徳があっても彼がそれを言ってはならないことはありません。泥棒が泥棒を糾弾してもよいし、トランプ大統領のように移民が移民の受入に反対してもよいのです。寧ろそうではなければ誰も泥棒沙汰を告げないことにもなりかねません。

 ・ちゃんと勉強して/本を読んで下さい。
 ・辞書/新聞に書いてある。
 ・知らないんですか?

 近年は朝日新聞などの有力な報道メディアが信用ならないものとして批判されることが多くなっていることもあり――それが本当であるとは必ずしも限りませんが、――、或ることを新聞に書いてあるから本当であると云う人は少なくなっています。
 しかしそれでも専門書や高名な人物の記した本、辞書などについてはそれらに書いてあれば本当であると思う人がまだ少なくないようです。
a0313715_00490494.jpg そのような人は情報や学問というものがそもそも人間の自由においてなされる不安定なものであることを弁えていません。また、幾ら間違えてもよいということはありませんが、情報や学問には間違える虞がしばしばあることから民主主義があります。
 つまり、彼らには先ず以て自由や民主主義がないといえます。
 するとしばしば出てくる文句は「それは衆愚政治だ。自由や民主主義とはいえども間接民主主義であり、職業政治家や専門家の権威が必要だ。」などというものです。しかしその「職業」や「間接」とは何かということを全く分かっていません。分かっていたら間接民主主義であるまたはあるべきとはいえません。正しくは部分民主主義であるというべきでしょう。
a0313715_00450976.jpg 自由である以上は情報や学問などの知識の非対称性が当然に存在し、知識に関わるとは先ずその非対称性を認識することから始まるものです。「ちゃんと」は知識の対称性を前提とする観念であり、相応の契約関係においてしか成り立たないものです。「知らないんですか?」と言う人と言われる人がいつ互いに契約を結んだのか?、そんなことはないですね。
 尤も、知識の非対称性がなくなることはあり得ませんがなるべく対称に近い形になってゆくことは国家の安定のために必要なことです。では現に存在する非対称性は何か?、それを解き明かしてゆくことが知識に関わる人々に求められることです。

 「自分は一流の学者でなくてもよい。」、「自分は一流の人でなくてもよい」といえるでしょうか?

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■NEWS of the WORLD


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    ●AFP(フランス パリ)
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    ●ル フィガロ(フランス パリ)
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    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
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    ●共同通信(日本 東京)
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    ●朝日新聞(日本 大阪)
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    ●日本経済新聞(日本 東京)
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    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
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    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
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    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
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    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
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    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2018-12-02 00:50 | 文明論 | Comments(0)
日産が撞く晩鐘――コンビニ形に取って代わられた雑貨屋形の経営
 日産がカルロスゴーン氏を最高経営者に迎えて鳴り物入りで二十年に亘り演じられた「コストカット」。
 直前の記事に、私は彼が日本と日産に来た1999年のその時からゴーン流を値踏みしていた、日産がそれまでよりはましになると確信してはいたが、と語りました。

 当時の「デフレ時代に勝ち残る」という時代の気運の中、ゴーン流はそれまでにはない新しいあり方と広く受け止められていました。
 そして二十年の月日が流れ去り、今般のゴーン氏の不祥事を見て当時は新しいことであったがもう旧いというのではありません。当時に既にゴーン流は旧い業務形態(ビジネスモデル)であったということです。

 ゴーン氏の逮捕により、晩の鐘がゴーンと鳴って響き渡っていますが、その音は剛田金物店の大きな鍋の音。

 近年に人口の減少にも因る地方の衰退により商店街の存続が危うくなる例が増えているといいます。
 商店街の様々の商店等はコンビニエンスストアとショッピングモールに取って代わられています。コンビニの最大手はセブンイレブンでありモールの最大手はイオン、弊ブログもイオンを支持しています。
 日産の業務形態はゴーン流の登場と展開、成功を経ても一貫して商店街的なものでした。商店街の再活性化を託されて出来る限りのことをやったのがゴーン氏です。
 しかし、これからの日産が生き残りのやり直しを図るにはその商店街的業務形態を捨てなくてはならないと思われます。

 先日に東京の経堂――:小田急小田原線経堂駅――に行ったことについての記事を出しています。そこで人口減による若者の減少を見据えると経堂の生き残りはかなり厳しいという見方を示しています。
a0313715_13480790.jpg 経堂には農大通という駅の南側にある商店街とすずらん通という駅の北側にある商店街があります。農大通はそれなりの集客を保っているとはいえ'80~'90年代の繁盛の頃と比べると細々としていて個性的な店が少なくなり、どこにでもありそうなチェーン店が多い。すずらん通は店や街の照明が消えればシャッター商店街と見紛うような閑散。勿論宵の最も集客の多い時間帯において。
 日産もまた、経堂の商店街のようなあり方であり続け、それがバブルの時代には盛り上がり、その崩壊と共に危機に陥り、ゴーン流によりV字回復を見てそれなりの売れ行きを保っている状態です。かつての日産の品揃えは経堂の個性的な店々のような高感度を自負する人々に訴えるようなものでした。それがゴーン流の時代にはティーダやラフェスタ――:何れもトヨタ派の私の好きな日産車――などに見るようなよりトヨタ車に近いそつがなくてプレミアム感とコスパの高い品揃えに変わり、そして今はつかみどころのない車が多くを占めています。商店街の中興とその再失敗のようです。
 しかしそんな状態でトヨタを抜き世界2位の販売台数に増しているのは何故か?それは一つはルノーや三菱との合算であり、もう一つは旧い商店街形を支持してトヨタやスズキに代表されるコンビニ形やモール形を懐疑する人々が根強いからです。
 地盤沈下の著しい日本が世界に対抗するためにはガラパゴスな商店街形の強みを生かすしかない、そんな悲壮な生産者と消費者の願望が辛うじて日産を支えて世界2位という最後の花を咲かせているのです。

 一方のコンビニやモールもそれそのものはかなり歴史を経ており、もはや斬新な業務形態とはいえないものになっています。しかし当面の粗唯一の答はコンビ二形やモール形であり、それ以外の小さな商店や会社もそれを標準としなければならない。そのように見定めることのできない業者と評論家が有象無象の新しい経営論を捻り出しては絵に描いた榊になっています。
a0313715_13533709.png その有象無象の新しい経営論の最大手は「選択と集中」です。これは今を時めき私も期待する落合陽一氏も奨める考え方です。
 しかし「選択と集中」がそもそも旧い商店街形を前提とするものです。
 商店街の店は初めから選択と集中を調えてする店とそれが出来ずに迷走して或る時にそれを考えることを要する店があります。金物店は金物なら何でも揃えようとして始まる場合が多く、或る時に選択と集中を考えざるを得なくなりがちな業種です。
 しかしそのように選択と集中を実践したら成功するとは限りません。処が選択と集中を奨める人達はそれが芳しくならないとそれは実践のし方が間違っているからであるといいます。処がそのように云って何が正しい選択と集中なのかを示すことは殆どありません。結局は「自分の頭で考えろ。」でドロンすることができます。ゴーンがいつの間にかドロンになっていたりします。

 コンビニ形やモール形は選択と集中を必要とはしません。
 常に何でも取り揃えることが不動の前提であり、具体的商品の選択は政策的選択ではなく個々の業者との・商品への信用または信頼により定まります、信用と信頼の基準はそれぞれに違いますが。
 売り筋だけではなく、費用、原価に関してもコンビニ形やモール形には選択と集中はあり得ません。
a0313715_13550273.png それらは一定の時間には必ず一定の固定費が掛かるようになっており、変動費もまた凡そ一定となるものが多い。コストカットが原理的に不可能である以上は利益を増す凡そ唯一の手は売上を増すことです。売上を増すためには営業や宣伝が、製造業や専門仕事業なら品質の改善を要します。
 売上が上がらないから業務を早く終えて経費を削減するということはできません。営業時間の短縮はあり得ますがそうすると売れないことを公に示すことになるので負の連鎖を招く虞があり、なるべくするべきではないことです。
 今は凡そどんな業種であれ、コンビニ形やモール形しか生き残れない時代であり、「選択と集中」は敗退が決定的となっている業者等の延命の手立てに過ぎません。尤も、その延命のさ中にそれをやめてコンビニ形やモール形に換われば敗退の見通しがなくなって勝つことが可能になります。
 業務は一にも二にも売上高です。売上を増さずに利益を増そうというのは空理空論です。

 「選択と集中」は個々の強みを伸ばそうという教育の考え方と軌を一にするものかと思われます。
 しかし強み、良い点を伸ばすとはそれ以外の点は伸ばすことができないという否定的考え、即ち潜在的減点主義でもあり、思わしく伸びないならば切り捨てるというものです。
 彼らの嫌う弱い点の補強という考え方はそもそもはそれが強みと同等までには伸びなくても伸びた分だけ評価するという加点主義です。それにより総合点が多少なりとも高くなることが大切なのです。
 何でも取り揃える総合主義、generalismこそが昔も今もこれからも生き残れるあり方です。選択と集中に手を染め易い或いは手を染めざるを得ない商店街の中にもそのような総合主義の店が幾つかあることにより生き残れて来たのです。

 トヨタは元々その基本の考え方であるトヨタ生産方式をスーパーマーケット(合成市場)をみそにして考案しました。スーパーはコンビニとモールの原初形態であり、スーパーが小さくなってコンビニに、大きくなってモールになっています。
 個人の知的関心や生き方に関しても、苦手なことを捨てて得意なことばかりをするとかしていると今の貧しげな時代は変わりませんし生涯の時間の無駄になります。得意なことに関してはMORE THAN BESTを、不得意なことに関しても80点以上を目指すことが大切です。間違ってはならないのは80点主義とは「80点でいい」ということではなく、最低限80点なければ駄目ということです。
 日産にも総合主義やMORE THAN BEST、80点主義は決してなくはありません。

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    ●ル モンド(フランス パリ)
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    ●リベラシオン(フランス パリ)
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    ●時事通信(日本 東京)
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    ●読売新聞(日本 東京)
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    ●毎日新聞(日本 東京)
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    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
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    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2018-11-25 18:24 | 文明論 | Comments(0)
【書を読む】中谷彰宏『一流の常識を破る⑧「超一流」の会話術 壁を破る57の具体例』 その29:話は一対一でしか伝わらない。
 昔は舞台であがらないようにするためには客をじゃが芋と想えという訓がありました。
 中谷氏がここに云うことはそれとは全く違います。
 大勢の人達に向かって話す時も一人の人に話すようにするべしという。
 マスが重視される昔の時代とパーソナルが重視される今の時代との違いということでは片づけられません。
 昔の考え方は明確に誤りであったと取り敢えずは考えることができます。

 私は小さい頃にピアノの発表会に出たことがあります。
 小さい内にやめたのでそれからピアノが弾けたことはありませんでしたがーー逆に小さい頃は何で弾けたのか不思議に思う程に全く駄目でした。ーー後に大人になってオルガンを適当に弾いてみたら手だけではなく足も難なく弾けました。二つ前の記事の進行の資料を準備することにも似ますが、楽譜を予めよく読み込みどう弾いたらよいかを綿密に考えておくと経験が浅くてもきちんと弾けるのです。昔の感覚を思い出したのではありません、確りと考え直すことが大切なのです。
 そのピアノの発表会で一発目の音を間違えて失笑が出ました。二度三度と、どこを押しても正しい音が出ません。
 当時は鍵盤の構造を学ぶのではなくYAMAHAのYの字の位置がCという覚え方をしていたので家のピアノとはロゴの刻印の位置の違うピアノのCの位置が分からなかったのです。
 すると先生が袖を飛び出してきて一発目の鍵盤の位置を教えてくれたのでその後を上手く弾けた。
 その時の私は誰のために弾いていたかといえば、客ではなく先生のためであったといえます。
 元々私はあがらない性格なので客をじゃが芋などと思う必要はなく、大勢の客は見ての通り大勢の客。で、聴かせる対象は先生のみ。

 どうもそれで良いのであろうと思います。「お客様は神様」や「お客様はじゃが芋」という考え方からは良い仕事は生まれない。
 具体的対象がいないならばあまり都合の好過ぎる人物像ではない限りで架空の人物を「その人のためにする」ものとして考えるのもよいかと思います。今時は二次元の時代ともいわれますが、いわゆる二次元というものもそのような意味では侮れないでしょう。

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a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_1412168.jpg●東海地方の緊急地震速報は ダイヤル1332 東海ラジオ
静岡県:FM 78.4 K-MIX


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


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テレビ朝日 Jチャンネル 16.50~19.00/月~木 15.50~19.00/金
メ~テレ Jチャンネル―UP! 前記の時間の後 18.15~19.00/月~金

a0313715_00332621.pngFNN PRIME news evening 16.50~19.00/月~金
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by keitan020211 | 2018-11-18 15:08 | 文明論 | Comments(0)
【書を読む】中谷彰宏『一流の常識を破る⑧「超一流」の会話術 壁を破る57の具体例』 その28:自分の話したい流れで話すと説教になる。
 権力のない人には説教をしたい願望があります。
 権力のある人は権力を握りたての頃は年来のその願望を満たすべく説教をしますがいつかはそれに疲れて来て説教をしなくなります。
 権力のない人は説教をする機会を窺います。何か隙を見つけては説教をしたいと思うのです。
 私も権力がないので説教をしたい願望があります。但しそれが適切であるかどうかを常に考えます。
 今はネットの普及により隙を見つけなくても説教をできるようになっています。自分のしたい時にしたいだけ説教をすることができます。それは説教をしたい願望を不適切に満たそうとすることがなくなるためにとても良いことです。
 処がせっかくのそのようなネットというものにも説教は良くない、上から目線のネットユーザーは駄目であるみたいなことを云う人がいます。そのような人はネットでは説教をしないかもしれませんが生の人づき合いでは説教をして嫌われています。そもそもネットでの説教は駄目ということそのものが下らない説教です。

 そもそも、人に相談をしたいと思う際にはその人は相手が説教をする人かしない人かを見極めてからします。なので説教をする人を相談の相手に選ぶことは余程にマゾヒストな人の外には大抵はないので説教をしないようにすることや自分のペースで話さないことは相談されることがあるならば殆ど考える必要のないことです。相談されることのない人がそれは何故かを考えるために必要なことです。
 マゾヒストは説教されたいので相談される人が説教をすることは相手のペースに忠実でもあります、勿論客観的には悪いことですが。

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    ●AFP(フランス パリ)
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    ●ル フィガロ(フランス パリ)
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    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
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    ●共同通信(日本 東京)
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    ●朝日新聞(日本 大阪)
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    ●日本経済新聞(日本 東京)
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    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
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    ●タンパベイ タイムズ(アメリカ フロリダ州タンパ)
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    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
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    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
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    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2018-11-18 14:34 | 文明論 | Comments(0)
【書を読む】中谷彰宏『一流の常識を破る⑧「超一流」の会話術 壁を破る57の具体例』 その27:司会者に協力して話そう。
 段取りの悪さは司会者の責任ではありません。資料を司会者に渡していない主催者の責任です。ーー

 何で渡さないのでしょうか?
 色々と考えられるかと思いますが、物事は司会者がいなければ何も始まらないということを分かっていないのであると思われます。
 会議や催しだけではありません。家族や友達など、空気のように何となく集まって話すことにも司会者は必要です。
 司会がなくても会はうまくゆくであろうというのもあるでしょうし、会を動かすのは司会ではなく主催の自分達であるという過信のようなのもあるでしょう。進行の資料がなくても何か問題があれば舞台裏から合図して解決することができるなどと思い、あとは何も準備をしなくても盛り上がるであろうと思うのです。準備はないがそのための監視だけはある。
 昨今はマニュアル人間は要らないという考えからか、会の進行を予め資料にするようなことをもマニュアル人間のすることと思ってしない責任者が増えているのではないでしょうか。
 予め定めた進行の通りには進まないことが愉しいと思えるのは予定とは違うという脱線の感じが明確にあるからであり、予定のない処にはその愉しさは生まれません。そして脱線したまま終わるのではなく終いには元の予定に戻らなくては脱線の愉しさは残りません。落語なんかもそうでしょう。

 元の予定に戻すためには司会者の手だけには負えない場合もあります。客のリクエストに応えている間に盛り上がり過ぎて脱線を延ばさざるを得なくなるような場合です。そのような場合に脱線を打ち切れないことは司会者の無能ではありません。その際にそれを助ける人が良い脇役です。落語なら客が脱線話にそろそろ飽きてきたという感じがそれに当たります。何気に「うんうんおもろい、もうええよ。」と顔に書いてある客がいるのです。
 愉しさが明確にすり減ってくる訳なので、それを感ずることが空気を読むことであり、簡単なことなのです。

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■NEWS of the WORLD


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    ●ル モンド(フランス パリ)
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    ●リベラシオン(フランス パリ)
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    ●時事通信(日本 東京)
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    ●読売新聞(日本 東京)
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    ●毎日新聞(日本 東京)
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    ●ザ シアトルタイムズ(アメリカ ワシントン州シアトル)
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    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2018-11-18 14:09 | 文明論 | Comments(0)
「「褒める教育」は伸びない」のジレンマ 「褒める」か「褒めない」かではなく是々非々主義で大人の教育を
 先日のフジテレビの『ホンマでっか!?TV』に、脳科学者の中野信子氏が「褒める教育」では子供は伸びないということを語っていました。
a0313715_09123665.jpg 中野氏はかつては極右的と思っていて嫌いな識者でしたが今はその偏見が解けて好きな識者になっています。安倍晋三をサイコパスという分かり易い論を出したこともその偏見が解けた理由であるかもしれません。しかし安倍がサイコパスというのも少々偏見であり、私は安倍の人間性が悪いとは思いません。どんな良い人も政治における何らかの考え方などのその人の極一部の要素を介して悪い力を帯びるようになります。
 処が私が中野氏を好きになると程なくみるみるとその容姿が衰えています汗。そして髪が金色になっています汗汗。
 中野氏と心理学者の植木理恵氏は私と同い年なのでその衰えが尚更に気になってしまいます。しかし二方とも同い年なだけあって私の感覚と近いなと思います。私も昔は極右と間違われるような言説を持論としていたことがあります。

 というか、今もあります。それは容姿を重視するべきであるということです。
 直前の記事『ZARDのアルバムを再購入――何がZARDの魅力か』にも語ったように、容姿の美しさを公然と売りにした最初の音楽人はZARDの坂井泉水です。
a0313715_09141425.jpg それまでにも容姿の良さを売りにする歌手は多くいましたが殆ど全てアイドルという属性で市場が明確に別物とされていました。「アイドルとアーティスト」という無意味な区分を価格破壊の時代の中で破壊して美人が歌う音楽という新しい価値を開いたのがZARDです。
 その全盛期の程にはZARDを聴かなくなっている私ですがその考え方は今も変わりません。
 容姿を重視するというとしばしば極右的と思われます。
 人を能力や人間性などの自己の努力によって変えられるものではなく変えられない容姿によって測ることは優生思想につながるみたいな主張からです。
 しかし優生思想は逆に能力や人間性を極めて狭い見方により重視するものであり、容姿を重視することは優生思想とは無関係です。そしてその狭い見方に基づく能力や人間性を実現することのできない身体障碍者が社会的排除の対象になります。
a0313715_09151063.jpg 容姿を重視することはそれを具えない人を社会的に排除するということではありません。容姿の優れる人はそもそも少なく、容姿の良い人だけを集めて組織しようとすれば組織が到底に成り立ちません。容姿を重視するとはあくまでも容姿の良い人をなるべく多く確保したいということです。そして容姿の良くない人も容姿の良い人が集まらなければ何も始まらないという訳にはゆかない以上は必ず機会があり、それぞれが自らの持ち場を持つことにより世の中の皆が豊かになります。
 人を容姿で見るべきではないという思想が支配すると逆に世の中が貧しくなります。容姿ではないなら何で見ればよいかとなると、色々とよく分からない評価の基準が有象無象に生まれ、それらの要求値が高くなってゆきます。すると選ばれない人が多くなり、よく分からない理由で選ばれる人だけが有利になります。
a0313715_09163880.jpg 何の問題もないのではないでしょうが、桜田義孝国務大臣が今内外の批判を受けているのもその文脈から解することができるかと思います。パソコンを使ったことがない人がサイバー安全保障の任務に就いてはならないというのはその手のよく分からない基準です。大臣は官僚や識者、国民の意見を理解することができることが求められることであり、パソコンの知識は必ずしも要するものではありません。企業の求人にしばしばある「ワード・エクセル」並みのええ加減な要件を政治家にも求めている訳です。如何に今の日本と世界の民度が低いかが彼への批判に見て取れます。

 人を容姿で見てはならないと思う人々は容姿の良い人はいつも褒められていると思っています。
a0313715_09180905.jpg 褒められているから能力や人間性も伸びるという肯定的見方によるそれと褒められているから傲慢になるという否定的見方によるそれがあります。何れにせよ容姿の良さと褒められることには関係があると思うことは同じです。
 しかしそれらには何の関係もなく、如何に容姿が羨望(:肯定的)や嫉妬(:否定的)の種になっているかが分かります。羨望や嫉妬が無関係なものを結びつけるのです。容姿が良くて人間性の劣る人は容姿の良さを褒められたから人間性が悪くなったのではなく、逆も然りです。
 無関係なので、望ましいのは容姿が良く且つ能力や人間性も高い人です。そしてそれを或る程度までは妥協しながら必要な人手を確保するものです。

 中野氏は能力や人間性が伸びる力を容姿と結びつけてはいませんが、褒めることは良くないという説を語っています。
 褒めると褒められることだけを目的として努力するようになり、自己の意思が育たないと云います。

 或る面では確かにそうでしょう。
 しかし褒めることが従来の日本社会を発展させてきたともいえます。
a0313715_09194588.jpg 「褒める教育」という概念がなかった昔から人々は目下の人を褒めていました。私的にも公的にも日本には褒める/褒められることが所々に用意されていました。賃金の増額などの事務的なこともその一つです。
 世の中が発展して豊かになってゆく時代には褒める/褒められる機会が多くなります。すると仮に褒められることだけを目的としていても何の弊害も生じません。褒められるようにすることが社会的自己実現につながるからです。
 しかし、今のように発展の少ない時代になるとそうもゆかなくなります。発展の少なさだけではなく価値観の多様化と呼ばれることも影響し、褒める/褒められる機会が少なくなります。そんな中で褒められることを目的として努力することは雲を攫むようにあてどもないものとなりかねません。価値観の多様化は褒めることの権威と褒められることの利益が弱まり或いはなくなるということでもあり、尚更に褒められることを求めて何になるのかという懐疑が強まります。そんな時代の傾向においては確かに褒めることを良いこととするには無理があります。
 褒める人が自分の価値観に基づいて人を褒めても褒められた人は訳が分からないということもあります。そんなものを求めていたのかと逆に不信感をも持たれかねません。

 しかし人はそうであるからということで、褒めないことを実践し続けることができるでしょうか?三日坊主になるでしょう。
 重要なのは「褒める」か「褒めない」かではなく、是々非々主義で物事を見て人を評価することです。
 「良い」か「悪い」かではなく、具体的であれば云われる側は云う側が何を求めているのか、どうするべきなのかを真剣に考えます。具体的評価が人間の互いの理解と結びつきを確かなものとします。
a0313715_09213178.jpg 世論も「褒める」か「褒めない」か、「良い」か「悪い」かでしか成り立っていないような処があります。或る出来事について「褒められたものではない」という批評がしばしば見受けられるのもその証であり、世の中が良くなるとは自分が褒めたくなるようになること或いは自分が褒められるようになることということでしかないようです。そこには昔のような褒める/褒められることに伴う権威や利益は粗絶無であり、良いことを見て気持ちいいということしかありません。そのような無権威無利益が日本人の美しい心であるなどと称賛する人も今時は少なくありません。

 人は現実には褒められることをしかしない訳にはゆかず、どこかで必ず褒められることを目的とはしないことをもするものです。一昔前までのような褒めないと伸びないというのも最近に有力視されている褒めると伸びないというのもあまり意味のない極論です。
 重要なのは具体的是々非々主義であり、容姿についても漫然と「綺麗」や「かわいい」とだけではなく、その容姿が何を想わせてくれるのか、何で良いと思うのかなどの具体的評価が必要です。それが仮に真相とは外れていても評価された側にとっては新しい目標になるかもしれません。

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a0313715_15074081.png●weathernews 地震情報


a0313715_13574441.jpg●近畿地方の緊急地震速報は ダイヤル1008 ABCラジオ

――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。

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ABCテレビ おはようコールABC 5.00~6.45/月~金
ABCテレビ おはよう朝日です 6.45~8.00/月~金
ABCテレビ おはよう朝日土曜日です 6.25~8.00/土

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フジテレビ めざましテレビ 5.00~8.00/月~金
フジテレビ めざましどようび 6.00~8.30/土
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by keitan020211 | 2018-11-18 09:22 | 文明論 | Comments(0)
産むことの権利と性差――Abema Primeとヒラリー クリントンのツイートから
 ヒラリー クリントン元大統領のツイートにこんなのがあります。
 因みに私は元々ヒラリー クリントン氏を2016年のアメリカ大統領選挙で支持していましたが選挙の中盤でドナルド トランプ氏を「支持しないが応援」に変わり、終盤でトランプ氏を支持に変わりました。
 しかし今もクリントン氏を一政治活動家として支持することには変わりありません。あくまでも世界への影響の大きなアメリカの大統領として相応しいのはどちらかということからの選択であり、その点などをも含みおきながらこの記事をお読みいただけると分かり易いかと思います。

a0313715_02360032.jpg 昨日のAbema TVの平日は毎晩に放送の報道特集番組『Abema Prime』が緊急避妊薬、emergency contraceptions medicineとして市販が検討されているアフターピルと避妊を含む性教育の必要についての特集をしました。
 それを受けてか、今日のツイッターにも性教育についての意見が多く見られます。
 その『Abema Prime』の特集とクリントン氏の語る産むことの権利とには密接な関係があるものと思われます。

 『Abema Prime』の出演者の中絶の経験について語る場面でナレーターが「過ち」と言ったのが印象的です。その出演者が中絶をしたことを悔やむことを念頭にしてのものであり、彼女が良いと思っているのにそう云ったのではありません。
 その一こまは良し悪しはさておき、今の日本は人工妊娠中絶をどちらかといえば否定する考えが主流になってきていることを物語ります。
 昔からそうであるかといえばそうではありません。日本は元々中絶には肯定的な国でした。地方により新生児を直ちに殺す間引という慣習があったことからも明らかです。
 近代に母体保護法が人工妊娠中絶を極めて例外のものとして厳しい制限を定めたことから中絶は良くないという理解が多くなりましたが全面禁止になってはいないことから中絶を肯定する本音は依然として広くあることが分かります。しかし、近年は再び中絶は良くないという認識が多くなってきているようです。
 アメリカのトランプ政権も中絶には否定的な人々の支持が強く、日本もトランプ氏の出現には関わらず中絶の全面禁止を求める共和党の厳格派に近い思潮が強まっているのかもしれません。
 私は全面禁止ではなく厳しい制限のある日本の法が基本としては良いと思います。アメリカの政治については民主党を支持しますがクリントン氏の属する民主党の多数が主張するような中絶の肯定には与せず、いわば共和党に近い民主党です。

 中絶を要する場合には高い確率でならないことを保証する緊急避妊薬の普及は望ましいことであり、『Abema Prime』も良い特集をしていると思います。
 中絶の肯定が主流なアメリカの思潮もそれを機にして変わってくるかもしれません。

a0313715_02415915.jpg 中絶は産むことの権利を保障するものの一つとされています。或る状況における産むか産まないかの選択を可能にするからです。
 確かに一つではあるかもしれませんがそれが主要のものとされるべきではないでしょう。 寧ろ主要の事柄は産む生き方と産まない生き方を選べる、決められることです。中絶の全面禁止は産む生き方のみを是として産まない生き方を斥けることにつながりかねませんし、中絶の肯定はその問題と人の生き方を考える態度を曖昧にしたまま産まない権利を一時的に行使することができるようにするだけのものです。中絶はするけれど産む生き方だけが正しいと思うのでは母体保護法ではなく優生保護法の管轄になります。

 勿論、産む生き方と産まない生き方は一度決めたら転向が不可能なものではありませんし、兼ねることも可能です。才色兼備な私は兼ねる生き方を取っています。
 転向は自分の生き方を真摯に思うならば決して御都合主義ではありません。

 避妊や中絶を一部に含む産むことの権利、the reproductive rightsは属性、genderの問題にも関わります。
 属性とは高学歴と低学歴の属性なども広義では含まれますがここにいうそれは俗に「性差」と訳されまたは片仮名語で「ジェンダー」と言われるもの。「性差」は狭義のみを指して訳として相応しくないと思われるので「属性」と言います。広義か狭義かは文脈に応じて解することができます。

 どちらかというと今の日本により強くある属性への疑義は女子の側からいわれる、女に女の属性、即ち女らしさを求めるべきではないとの意見です。
 それに反対する人々は女らしさを大事にするべきであるといいます。
 しかし属性の解放への反対、即ち属性の保持ということに関しては結構大きな違いのある二手に分かれます――賛成派にも色々な分かれ方がありますが、――。
 それは一つは:男らしさ/女らしさを本音として肯定し、是非ともそうあるべきであると思う人々。もう一つは:男らしさ/女らしさを本音としては懐疑或いは否定するが社会の要請として随うべきであると思う人々。
 前者は時に公私混同などといわれて批判され、後者は公私を弁える現実主義といわれますが、そうではありません。
a0313715_02440976.jpg より問題なのは、というか粗それだけが問題なのは後者です。
 前者はそのような感覚や発想が自らの血肉となっており、それが確かな生き方と思うので殆ど何の問題もありません。そもそも確信の深い人は異なる生き方には無関心ではあっても否定しないものです。
 ツイッターや政治の現場などにしばしば出て来る公私混同的言辞の多くは自らの生き方に確信のない後者によるものと見て粗間違いないでしょう。
 前者のようなものである限りは、トランプや安倍に代表されるようないわゆる時代錯誤が力を得ても構わないでしょうし、彼らに対する批判は政策論などの具体的な事柄になります。

 後者は本音としては属性の存在を懐疑或いは否定するので、彼らとそれを本音でも建前でも懐疑或いは否定する人々の何れをも否定します。
 彼らのような本音と建前の分断は如何に生じるのか?――それが産むことの権利と密接に関わるのです。
 属性、男らしさや女らしさを肚では嗤いながら産む生き方のみを正しいとすることは死守しようとする、大雑把にいえばそれに尽きます。
 何でかと言うと、女らしさの源を産むことに還元するからです。産むことに直接には結びつかない様々の女らしさは彼らにとっては遊び道具でしかないもの或いは邪魔なものです。出産経験のある女子がおっさんのような振舞になるなどはその典型です。
 私は属性を本音でも建前でも否定しますが女子がおっさんのようになってよいということではありません。そもそも男子がおっさんになることも等しくあってはならないことですし、それはいわゆるBBAについても同じです。
 「女子力」はそもそも男女の別なく求められる人としての資質です。なので私は女子力というものを差別とは全く思いませんし、出来る限り身に着けるべきものです。女子はそのような生き方や振る舞い方について考える余裕が幸か不幸か歴史的に男子よりも多いので女子は尚更にその余地を生かさなくてはなりません。尤も、どんなに忙しくてもそれを確りと考える女子も少なからずいます。

a0313715_02454098.jpeg 女らしさを産むことに還元すると、女らしさを表す色々なものは産むまでの手段に過ぎなくなります。そのような手段に騙されて結婚してしまう男子も跡を絶ちません。尤も、そのようになる場合は手段がかなり良く出来ている場合であり、単なる手段にさえなってはいないような場合もあります。
 そしてそのような考え方は属性を守ること(旧)やコミュ力を高めること(新)などのような新旧の社会的要請を外在的に認識させられる環境に多く生じます。外在的認識とは日本の国における西洋の思想や文物などと同じことです。反トランプにその猖獗を見るように、本音では民主主義には関心がないが民主的でないと世界の批判を受けるというのもその一つです。

 クリントン氏も日本のマスメディア、延いてはネット世論も、そのような問題にはまだ応えていない。
 中絶は多くは産む生き方の延期でしかない場合が多く、産まない生き方を支えるものにはなり得ません。緊急避妊薬の普及を含め、産むことの権利の概念の見直しを要します。そのためにはトランプ共和党政権の時代を経て民主党やそれに近い考えを持つ人々が自らの思想や政策観、生き方を懐疑する精神が必要です。

 それにしても『Abema Prime』、性や性教育の話になると少しでも「男なんでどうしても…」などと下ネタを盛り込みたがる人が跡を絶たない、ウーマン村本、乙武洋匡と小島慶子、セクハラですよ。

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by keitan020211 | 2018-11-14 02:46 | 文明論 | Comments(0)
恋愛に「告白」は要らない――反恋愛の時代と恋愛の中興
 『なんとなくクリスタル』の田中康夫元長野県知事が総理の座を狙える年頃になっている今――:1956年生まれ。武蔵野市の出身とは初めて知る。――。
 私は昨日から電子たばこプルームテックを使っていますが棒形の本体はペンのようにも見え、吸込や消耗の状態を示す先端部の青い燈火は『なんとなくマークX』という感じがします――トヨタマークXの室内灯は青色で白の車体色はホワイトパールクリスタルシャインという。――。

 田中氏がその小説を発表したのは今を遡ること38年前の1980年、彼が24歳の時です。
 当時にデートの車として人気であったのは日産シルビア。マークXの前身のマークⅡは家族の車として人気――私の出身家もマークⅡを三代に亘り所有。自らも初めて所有したのは出身家にはない'92年型のマークⅡグランデFour、四輪駆動。二十万円。――で、所帯のトヨタと独身の日産という棲み分けのような認知度がありました。今では独身が車を買うことはかなり難しいとされるようになっており当時の車事情や暮らし向きは今の若い人々にはなかなか想像しにくいかもしれません。今の若者には携帯電話の料金を払うために働くという人が多くいるそうですが当時の若者は車を買うために働く人が多くいました。
 トヨタと日産の他は、ホンダは一味違う暮らしぶりの所帯、マツダはかなり違う暮らしぶりの所帯という相場。今はそのような暮らし向きや暮らしぶりの明確な違いによる棲み分けはなくなってきているようで、残る違いは宣伝に動かされ易いかどうか。トヨタとホンダは宣伝に動かされにくい気質に好まれて日産とマツダは宣伝に動かされ易い気質に好まれている。
 独身の若い人々に支持されてデートの車の理想と見られていた日産は当時から宣伝をとても重視していました。今も重視していますがその訴える対象はかなり変わっており、独身の若者ではなく昔は独身の若者であった中高年になっています。つまり、主な支持層は齢を取っただけで同じ。
 1980年に25歳であった人は今は田中氏と同じ60代。企業の経営陣や閣僚などの指導層には日産車を好む人が多いと推測することができます。
 その今の60代及び指導層は田中氏の影響などもあってか、反恋愛ではなさそうです。
 彼らが社会に出る直前はまだ'70年代の不況。社会人になって数年目から急速に景気が上向き期待以上の豊かさになった人々なのでバブル世代とも今時の渋い若者とも違うぼちぼち感覚の人々。私などの今の40代とは内容は大なり小なり違いがあっても何となく理解可能な処が他の世代と比べ多い。今の40代は逆に社会に出る頃まではバブルの崩壊を受けてもまだ残る根強い好況で社会に出て数年目からデフレに入り、それでも経済の状況は決して悪くはないがデフレを否定的に見る世論の気運から悪い影響を被って「ロストジェネレーション」と呼ばれるようになってさえもいます。それは経済学の「完全均衡市場」の概念により説明が可能なものです。完全均衡市場とは市場の誰かを退場させる――蹴落としや爪弾き、潰しなど――ことがなくては残る他の収益が上がらない状態をいいます。その退場の対象が主に今の40代である。
 若し市場の退場を促すなら世代ではなく収益の上がらない企業や業種を対象とすべきですが企業の倒産は依然として少なくてなくなる業種もあまりないのが現状です。
 今の経済を批判するいわゆるパヨクは元々収益の上がらない企業に贔屓でありラッダイト運動に好意的であるなど弱い企業や旧業種を淘汰することには否定的なので代わりに今の40代を退場させる動きを追認して「ロストジェネレーション」を煽る或いは嫌う傾向が強い。
 パヨクのボリュームゾーンはかつては今の70代、団塊世代といわれていましたが時代が変わってきており、団塊世代はパヨク的面影を残しながらももう少し穏健なリベラルに近づいているようです。それには齢も影響しているでしょう。寧ろ今時のパヨクのボリュームゾーンは50代と30代。団塊世代の影響が色濃くありますが当の団塊世代は今や自分の老後が大切なので新自由主義的自己責任主義が強い。性格は似ていても政治や社会に求めることはかなり違います。

 今の50代が25歳であったのは1990年頃。今の30代が25歳であったのは2010年頃。――それを踏まえると今時の恋愛事情と強まっている反恋愛の風潮が読み解けてくるかと思います。

 70代→影響→50代;30代
 ↑↓理解不可能(分断)
 60代←理解可能←40代;20代

 その「理解可能」の矢印が40代と20代の間にもつくのか或いは逆向の矢印もあるのかはまだ分かりません。

 十年二十年前の指導層と今の指導層はパヨクの見立に拠ると変わらないといいますが、明確に違います。
 今の指導層は十年二十年前のような新自由主義ではありません。それは安倍晋三総理を含みます。但し安倍総理は新自由主義ではないけれどそれとは異なる新しい政策を行いもしないのが問題です。

 概ね奇数十歳代がパヨク的で偶数十歳代がネット右翼を含むその他といえますが10代――:1999年以降の生まれ――は国民民主党の認知度や支持率が他の世代と比べ大きく、どちらかといえば後者に近い注目の世代といえそうです。国民民主党の玉木雄一郎代表は49歳で「ロストジェネレーション」に近い世代です。

 今の50代が若者であった1990年頃は日産シルビアが'80年代の若者の大きな支持を受けたホンダ プレリュードを凌ぎ累計で30万台を販売、また、関西テレビがとんねるずの司会による若者のお見合い恋愛の番組『ねるとん紅鯨団』を放送して大きな支持を受けた時代です。要はバブルであり、今の50代の一部はバブル世代を兼ねてもいます。
 バブル世代なら如何にも恋愛好きというイメージがあるかもしれませんが実は彼らを含む今の50代は現存では最も恋愛を嫌う反恋愛の思想と行動を持っています。
 その理由を簡単にいうと、時代がそうなら皆がそうなる訳ではないという単純な事実です。
 寧ろ当時の時代の気運における「勝ち組」はどんな事柄にもそうであるように少なくて「負け組」や「中間派」が多い。
 そも、『ねるとん紅鯨団』の構造は逆に、恋愛を根底としては否定する思想からのもの。寧ろその影響でその頃から恋愛は徐に関心を持つ人の少ないものとなり、2000年代に入ると反恋愛の思潮が支配的になってきました。
 その肝は「告白」という様式です。
 様式のあり方が駄目で「もう少しこうしろ。」というのではなく、様式そのものがそもそも無意味です。
 番組としてはそのような様式が現に存在するのでそれに随ったに過ぎない、思想的影響を世の中に及ぼす意図はないというかもしれませんが結果としては影響しています。
 「告白」は今は「告る」とも言われます。その語調の軽さは「告白」というものを小馬鹿にする意味もあるかもしれず、そうであるならばねるとんに象徴されるような「告白」を否定する思潮も一方では強まって来ているのかもしれません。
 恋愛には「告白」は要りません。
 いつの間にかつき合っていつの間にか出来ている、それが恋愛の理想です。そのような「いつの間にか恋愛」を描く芸術作品も少なからずあります。少なからずというか、世界はそれが普通で、日本だけが「告白する恋愛」を描いて実際にもそうする人が多い。
 
 シルビアやねるとんの時代にあっても満足のゆく恋愛が出来なかった、その不満感が今の50代を「もう恋なんてしない」と言わしめ、社会に出ては日本人を反恋愛の思想に染め上げa0313715_06284110.jpgる動きを随所で起こし始めました。若手の内は若者の声として、中堅になり上層になりするとその権力を用いて反恋愛教を発信しています。
 彼らが若者であった頃はまだインターネットがなかったのが寧ろ有利さにつながっています。ネットは自分の意見を自由に発信することができますが見る人を選ぶことは殆ど出来ず、自分の意見が不特定多数により容易く相対化され得る場です。なのでネットで世の中を大きく動かすことはかなり難しい。彼らはネットを介さずに実地の口コミを主として自分の意見を発信していました。そのあり方そのものは悪くはありませんが

 「いやー、僕はそんなにもてないし、なるべく手堅く行きたいと思います。」
 ――「随分消極的じゃないか、もっと積極的に行かないと。」
 「そうですか…どうかなー、そうできればいいんですけど、ありがとうございます。」

 如何にも普通にありそうなそんな一こまが破壊的影響力になるのです。積極的な上司も消極的な部下の行き方を尊重する内に集団の価値観や現実の行動も徐に消極的になって来るからです。それが今の50代の若い頃です。
 それが今は更に強化されてこうなっています。

 「女の子と遊びに行くのも構わないけど、もっと大事なことがあるでしょう。結婚相手はうちに幾らでもいるんだから、学生気分じゃ駄目だよ。」

 彼は別に部下や後輩に残業をさせたいのでももっと気合を入れて働かせようとしているのでもありません。そのようなことには寧ろ否定的で、只若手の活気のある雰囲気が嫌いなだけです。

 そもそも、何で「つき合って下さい。」や「つき合おうよ。」が愛の告白の文言になるのでしょうか?
 さっぱり分かりません。
 何年も何十年も連れ添っている恋人同士や夫妻同士が「もはや君と別れることは絶対にない。」と言うならば分かります。それが愛の告白です。
 何で初めに告白をしなければならない?
 その気がなくても取り敢えずつき合ってみればよい。それで嫌になればつき合うのをやめる。
 そうしている人もいますが殊に今時は少ないらしい。つき合ってほしいと告白して恋愛をする少数と恋愛をしない多数が殆どを占めている。
 恋愛よりも面白いことがある、そういう人が今は増えているらしい。確かにそのように思う時もあるし必ずしも悪いこととは思いませんが本当かなと思う例や明確に反恋愛教徒と思しい例も少なくない。
 団塊世代は「デモと恋」でしたが今のパヨクは「恋よりデモ」或いは「No! LOVE」。
 パヨクだけではなく自分はこの国の普通の保守と思う人も同じ。
 LGBTについての啓発も男女の恋愛を否定するための山車として利用されているような節がある。恋愛そのものが悪なので同性愛も本音では悪なのです。
 また、'00年代から読売新聞の社説などが訴えて強まっている家族の価値というものも反恋愛思想の言い換えに過ぎません。バブル時代の負け組が妥協に妥協を重ねてやっと辿り着いた家族という停泊所を快適に死守するためには自分の恋愛だけではなく子供や知人友人の恋愛さえ妨げになるという。
 同じ50代でも、朝日新聞は山口智子の『子供を生まない生き方』を載せていたりして好感ですが、多分同世代に嫌われる芸能人でしょう。私の記憶が確かなら、山口の主な支持層は彼女の下、今の40代です。素敵なお姉さんのような感じなのでしょう――というか、私もそう思う。――。今の30代には山口を知る人も知らない人もいて微妙です。

 恋愛にはその気がなくても取り敢えずつき合ってみるという「時めきのグレーゾーン」が必要です。
 反恋愛主義者を生み出した日本の恋愛事情は、恋愛にも白黒をつけたがります。「告白」で結果を決める。
 時めきのグレーゾーンがなければ仮に恋愛を成就させても後で後悔することになる場合が多い。一時の白黒が相当の長い間或いは一生を左右することになれば後悔の出る可能性も高まります。
 「告白」を基本とすることのもう一つの問題は殺人などの犯罪です。
 「告白」があった場合は、嘱望を裏切ったから殺すということになります。
 「告白」がなくいつの間にかつきあっていた場合は、つき合うということはその気ということだろう、「先はもう決まっているのに何故だ?」といって殺すということになります。
a0313715_06220044.jpg 何れの場合も「告白」という観念が日本の恋愛やその他の人間関係、社会関係をも支配しているからです。
 反恋愛主義者は前者の場合は約束を破ることが悪いので自己責任もあり、後者の場合は告白をしないでつき合うなんて信じられない、かわいそうだが節操がないのが悪いと思っています。何れにしても全面的にではなくても殺される側が悪いという見方を含みます。そのような思想が果てには痴漢の冤罪についての過剰な反応にもつながります。政治家の失言と同じで―?―、「そのつもりではないが誤解を与えたことは申し訳ない。」という普通の対応ができれば冤罪を免れることはできる筈――捜査をする側も犯人を必ずしも逮捕しようと思う訳ではない。――ですがそのような発想や姿勢は彼らにはないし、失言と見られてそのように言う政治家を「反省がない。」と責め立てる。痴漢に関しては冤罪紛いの手厳しい追及がなくなることはあり得ません。 
  
 尤も、殺されたり触られたりしては元も子もなく、告白された時だけに断るのではなく、つき合い始めてもいつでも断ることのできることが必要です。全てを断る場合もありますが、何か一つだけや二つだけ…を断る場合もあるでしょう。一生の仲にも断るべきことは色々とあります。一生の仲になったから何でも許す/許せということはありません。
 恋愛をしたい/している人々も、今は反恋愛主義者達の影響の下に色々と訳の分からなくなっていることがあるかもしれませんがそれらの点を押さえれば 願いが叶う/もっと好きになる と思います。

●2020年代に広がる恋の機会

 【Freesia大特集2018年末:衣食住、そして生 】にも語ったように:
 1860~'70年代:「衣」の時代
  西洋装の導入
  スーツ(セビロ);西洋式軍衣;散髪脱刀令 ※主に男子
 1880~'90年代:「食」の時代
  西洋料理の導入
  西洋料理店の増加;カレー;とんかつ(豚カツレツ)
 1900~'20年代:「住」の時代
  近代建築による住宅の導入
  文化住宅;和洋折衷様式
 1920~'30年代:「衣」の時代
  世界的'belle époque'と呼ばれる民主主義の揺籃期
  女子の西洋装の普及;百貨店におけるファッションショー
 1940~'50年代:「食」の時代
  大戦による食糧の欠乏とその解決
  じゃが芋鍋;水団;蝗(いなご)や鼠などの調理;脱脂粉乳
 1960~'70年代:「住」の時代
  高層建築による住宅の普及
  高層アパート;団地;マンション;住宅ローン
 1980~'90年代:「衣」の時代
  世界的好況の下での民主主義の成熟
  デザイナーズブランド;アイビールック;渋カジ;ユニクロ
 2000~'10年代:「食」の時代
  後進国の経済発展と先進国の飽食及び健康
  名店の味を模する即席麺;デパ地下;食レポ;糖質制限

 と、少なくとも日本は「衣」、「食」と「住」の時代が規則的に廻っています。何れの時代も世界の動きの影響があります。
 すると、次の2020~'30年代に来るのは「住」の時代です。
 何の背景に由るかといえば、耐震性や経年劣化による更新或いは転居の必要や居住性の改善の需要などが見込まれるからです。人口の増え続ける高年層にとっては人生の最後を暮らす場所としての改善はしたいことでしょうし、若者や中年の住まい方も1980年代から四十年来粗変わらない傾向が2020年代からは変わってくることが予想されます。そしてそれは1860年代以来の世界の動きの影響には基本的には由らない初めての日本の時代の傾向になります。
 それを先取りするかのように私は先月に団地に引越しました。

a0313715_06243452.jpg 恋愛というと衣食住の優先順位がその言葉の順の通りに①衣;②食;③住となるもので、恋愛においては住といえば結婚に直結するという感じがあります。
 なかなか結婚のできないでいる人、例えば服や料理の話をしてもしくじる人にとっては次の二十年が「住」の時代になることは有利な機会となるかもしれません。服や料理の話よりも家の話は反応を見究め易いので成就しない仲に費やし続けることを避けることにもなります。
 本当は衣や食の話はそれぞれの好みということになり易いので恋愛における話としては率が良くないのです。住はそれらの程には多様ではないので率の良い話になります。但し「急がば回れ」が大切です。

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a0313715_13574441.jpg●近畿地方の緊急地震速報は ダイヤル1008 ABCラジオ

――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。

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by keitan020211 | 2018-11-11 06:02 | 文明論 | Comments(0)
【書を読む】中谷彰宏『一流の常識を破る⑧「超一流」の会話術 壁を破る57の具体例』 その26:司会者の助け手をするのが喋り手の役割
 会の主役と関係のない話はいけない。――

 それを分からないのは論外ですがそれを分かる人にももう一つの問題がある人が少なくありません。
 『励ます会』なら励まされる人の話を。『送る会』なら送られる人の話を。それが当然ですがそうでありさえすればよいというものでもなく、会の主役をいじる人がいます。

 いじり手になる喋り手は無関係な話をする人の程には大幅の時間の超過をしませんが幾らかの超過をする場合が多い。いじって笑わせて受ければ少し位の時間の超過は御愛嬌と思っているからです。
 無関係な話をする人は自分が常に中心ですがいじる人は会の主役を殊更に中心にすることによりその隣にいる自分を目立たせようとする、遠回しの自己中心性です。番長に付き従う近しい子分のアイデンティティーです。そしていじり倒したことの均衡を取るために話の後半は持ち上げまくります。
 そのようなスピーチになると笑いを誘うかもしれませんが会の品位はなくなります。食べたものを噴き出して服を汚す人さえいたりします。

 主役とはいえども、会は参列者が中心ではないのは勿論、主役が中心でもありません。会の主役は会そのものです。
 無関係な話をする人や主役をいじる人は会や式典というものを心底では形式主義で不毛なものと思っているのです。不毛と思うなら来なければよいのですが会の主催者が彼のそのような思想や人間性を知らずに招いてスピーチを頼んだり彼が「会は意味がないけれどあの人も来るから。」ということで来たりします。今時はどうなのか知りませんが私が若者であったルーズソックスの'90年代はそのような人が多い時代でした――私はルーズソックスを嫌いではありませんが何でも緩くなる、緩さが好まれる時代の感覚は良くありません。――。当時の30歳前後は今の50代で、彼らより保守的な今の30代や40代、殊に40代を馬鹿にします。下の世代は空気が読めて確りしているので「保守反動」を起こされては敵わないと思い、今の40代が加われる場を極力少なくしようとしています。それで批判を受けると「もういい年なんだから自分達の場くらい自分達で作れよ。」と云う。
 今時の世の中の主流派はKYです。KYが然程に当たり前になっている時代はありません。なので関係のない話をしたり主役をいじることを止めるために「時間がおしていますので…」と云っても「続きは後で聞きたい方にお話します、話止めろって云うんで。」などと司会者をさえ馬鹿にします。
 尤も、お笑い芸人が意味もなく司会者になったりして司会さえKYな喋り手に占められてもいます。

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a0313715_17314580.jpg●関東地方の緊急地震速報は ダイヤル1134 文化放送


――地震が発生したら先ずは火の点いている所を確認して直ぐに消せる火を消し、物の落下を避ける。


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ANN サタデーステーション 20.54~/土
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by keitan020211 | 2018-11-11 01:50 | 文明論 | Comments(0)



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