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【書を読む】大江健三郎 静かな生活 その4
 第5章の『小説の哀しみ』と第6章の『家としての日記』まで読み進み、終わる。

a0313715_17082803.jpg 『私』とイーヨーがプールへ行って泳ぎを習っていたり、小田急成城学園前駅に着くと黄緑色のポルシェが迎えに来たりと、『静かな生活』は終盤に入って何やらがらりと世俗的雰囲気となって来る。それまでの『私』とイーヨーにしかない稀な生活が何処にでもあるような場面になる。かと思うと暴力沙汰や強姦未遂の場面が出て来たりと稀ではあるがそれもまた世俗的にも世俗的な世俗の極致なものである。そこには恰も、大江さんが文学を及び小説を所詮は世俗のものとして低く見ているかのような感じさえして来る。反大江の方々ならば竟に大江健三郎も通俗小説に挑むようになったかと勘繰るかもしれない。然も、『私』は終りに「それが私にとっての静かな生活である」というようなことを言う。

 それらと並行するように描かれるのは『私』の大学生としての生活である。それまでの『稀な生活』と世俗的「静かな生活」が交差する様に、私は私の大学生の頃の生活を思い出す。イーヨーと共にいるなどの具体的身上などの細かい処はともかく、当時の私の生活の全体的雰囲気は正にそのようなものであった。世界大戦から続く、戦争と平和そして人の名誉を巡る歴史への省察の傍らに、プールがあったりポルシェがあったり、何処かで暴力沙汰や強姦未遂が起きている。1970年代風の安物の映画を観ているかのような気さえして来る。とにかく人の世はよく分からない。

a0313715_17145270.jpg 終わり方は幕引きを図ったかのように唐突で早い。バブル経済の崩壊に揺れていた1990年代の前半期の映画やテレビドラマに多くみられたような、山場を終りに持って来ずに取り留めもなく終わる描き方である。話がまだ続くかと思っていた処に謎を残しながら、突然に終わるので同じ映画館やテレビ局の他の作品や番組も見ないではおられなくなるような仕掛けでもありそうである。例えば私が当時に観たジョディ・フォスターの主演の『ジャック・サマースビー/Sommersby』の終わり方もそうである。
 そう言えば『ジャック・サマースビー』で気がついたが、『静かな生活』について語られる際には何故か『私』の兄であるイーヨーだけに焦点が当てられることが多い。『私』とイーヨーで一つの話の軸をなす筈なのに『私』については語られることがないのである。
a0313715_18054495.jpg そのような傾向は『ジャック・サマースビー』と"Sommersby"の題名の付け方の違いにも表れているのではないか。日本ではジャックだけに焦点が当たる話として受け止められ、アメリカではジャックとローレルを軸とする話と受け止められるのである。
 その終わり方は「それがこの作品のメッセージです」と大きく示せるもののない、社会的価値が未定で予測可能性に乏しい、当時の逸りの言葉で言うと『カオス』に入っている時代を映すものかと思われる。そう、『静かな生活』は或るノーベル賞作家による、1990年代の時代誌そのものなのである。
 大きなメッセージがなければその小説に何を得るか、それは細部に宿る直感である。
 それが2010年代の今も有効な在り方であるのかは分からないが、少なくとも1990年代に青春を過ごし或いはもう一春を咲かせようとしていた人々にとっては『メッセージなし 直感で細部を感じ取る』ことは文学の延いては生き方の至上命題なのである。それが人間の最も生々しい能力であるからである。

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by keitan020211 | 2015-07-20 17:04 | 芸術(音楽、文学など) | Comments(0)
【書を読む】椎名誠 海ちゃん、おはよう
a0313715_15520044.jpg刊:朝日新聞社;新潮文庫
 或る小新聞の記者がその妻に生まれた子、原田海を横目に、否励みに日々を邁進する話
 題名を見ると物凄い真面目に新たな命を讃える頌歌かと思うが、そのようなドキュメンタリーな趣は極力最小限に抑えて底流に脈打つようになっている。詰り、そのような期待をあっさりと裏切るものではないということである。
 『海ちゃん、おはよう』はドキュメンタリーではなく長い日記のようなものといえる。

a0313715_18083807.jpg 描かれる風景は今を生きる誰でも察しがつくような或いは見たことのあるようなコンベンショナルなものであり、想像力にとっては取り付き易い親しみが感じられるが読んでいて或る処で気づくのはその時代背景は東京オリンピックの頃なことである。前か後かは分からないが高度経済成長の時代が緩やかに曲がり角を迎えている時代である昭和40年の頃の話である。よって海ちゃんは今や五十歳となる。
 原田さんの奥さんなんかも至って現代的で今時の如何にもいそうな人という感じがするが戦中の生まれである。
 日本は意外とかわっていない、と取り敢えず推測することができそうである。少なくともそこに描かれる世界と同じような世界はかわらずに続いている。

a0313715_18123970.jpg 作者椎名氏が意図したかは分からないが、文章の『生きの良さ』、例えば赤ん坊の生きの良さが文を通して感じられるためにはどうしたらよいかを考えさせられまた直感を与えるものとなっていると思う。
 コンベンショナルな風景であることも一助しているが、それだけではなく微に分け入る際には何を書くかといえばそれは『読者が知りたいと思うこと』を知れても差し支えのない範囲で描くことである。
 如何にもな技がなくてもそれが地道に描き込まれておれば文学は出来上がるのである。無論、それは椎名氏には技がないと言っているのではない。『読者が知りたい』とは何が場面の要素としてないと場面が成り立たないか或いは分かりにくいかを考えることであり、それが凡そ抜かりないのでそれを読む私も考え込むことなく早く読み進められた。

 取り分け出張先として名古屋が出ているのには私は名古屋に住んでいたことがあるので嬉しい。その店が旨いのかはそこのをしか食べたことがないので分からないが千種の台湾ラーメンもその小説の場面として若し出ていたら似合う。

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by keitan020211 | 2015-07-20 16:18 | 芸術(音楽、文学など) | Comments(0)
鮫の脳味噌さえもない日本文学――芥川賞に寄せて
 初めての芥川賞は東京オリンピックの5年前であった。
 1935年、後に『花のない季節』や『風にそよぐ葦』、『人間の壁』などを遺した石川達三が『蒼氓』で受賞した。何と読むか?――「そうぼう」なそうである。定石の通りに右方の旁(つくり)を取ると「そうみん」かと思うが反して左方の偏(へん)を取って読むものであるらしい。
 皇紀2600年の記念を兼ねるオリンピックは日中戦争の現況に鑑みて敢えなく中止となった。

 東京オリンピックの5年前となっている2015年に、お笑い芸人としては初めての芥川賞の授賞となった、ピース又吉の受賞である。
 それを受けてANN報道ステーションの司会者古舘伊知郎氏がその報を評して語った「芥川賞も本屋大賞と違わなくなって来ていますね」との言が静かな物議を醸している。「静かな」とは広く問題視されてはいないことであり、それを見聞きした多くの人々は「まあ、そうだねえ。」との程にでも思ったのであろう。弊ブログもまたなかなか上手い評をすると思う。説明するのも面倒臭いが、その古舘氏の評を心ないなどとして悪く見ているのは文学賞さえをも安倍政権の追い風に利用したいネット右翼である。
 大体、芥川賞などが取り分け広く知られる文学賞は昔から賛否無関心の行き交う自由なものである。受賞者が祝福され或いは褒め称えられなければならないものではない。
 ピース又吉の受賞を社説のお題としたのは今日18日までには読売新聞と産経新聞だけである。朝日新聞は弊ブログが現担当を伝統の天声人語子としては――或いは単なるコラムニストとしても――疑問視している天声人語が主題として言及している。何れも好評価である。詰り、文学賞を一つのエポック・メーカーとする文学がその程度の心性の新聞記者等によってしか良く受け止められないものとなっているということであり、文学界とそれを支える報道メディアや文学の愛好者は心底から自らの認識と感性の黒色発光ダイオード振りを顧みなくてはならなくなっているということである。彼等は外でもなく、文学とその賞を政治利用する、自民党的意味における政策芸術――それを『活字文化』という。――としてしか見ていない。故に今回の芥川賞を良く評価するのである。

 日本文学は鮫の脳味噌でさえもないことは偶さか或いは用意周到に日取りが操作されて重なった、新国立競技場のこれまでの計画を破棄すると決まったのを受けての森喜朗総理の『あのデザイン』についての評と比べると明らかとなる。森総理はザハ・ハディド氏による『2520億円の夜景』――夕景でも昼でも朝でもよいが――を「生牡蠣が垂れているような形で気に入らない」と語った。
 芥川賞の作家が15人束となって掛かって来ても、鮫の脳味噌こと森総理のその一言には敵わない程に低劣なのが日本文学、大江さんの勲位ではないが、アーチのある、否骨のある文学人ならば賞を辞退することもあって良い筈である。そこに『芸人初』などとの宣伝文句と共に易々と名を連ねるとは賞されるべき文学人ではないということであり、賞そのものの正統性も危ういということである。

 「生牡蠣が……」は允に傑作である。全くその通り、想像し易いだけではなく新たな想像力をも刺激する素晴らしい喩である。
 生牡蠣のような競技場を、弊ブログはなかなか良いと思うのであるが、渋々と容認していた森総理によるその評は賛否を問わず面白いと受け止められるものである。

 『読書芸人』とも呼ばれるピース又吉の受賞はあざとい手口で文学と文学賞の宣伝と何等かの政治的社会的思想教化を目的とする『ネタ』でしかないことは明白である。天声人語がそれを「芥川賞受賞作「火花」に結実した。」との紋切型を一として「刺激的」、「てらいがなく、静けささえ感じる。」と気持ちの悪い程に褒めちぎり、「不思議な小説世界を形づくり、味わいが深い」に至っては何処の素人の読書感想文かと思える低水準な評
 ピース又吉の語るにも、「大人が死にもの狂いになって血だらけで作った品にしか銭を払う気がしない」とは全く消費者としての意識しかない自己中心性であり、近年の天声人語とも呼応するかのようである。その感性は安倍政権の、自衛隊員延いては文民が血を流すことになるとはうんとも言わない安全保障政策や国民が三千億円を皆で負担するべきであるとはすんとも言わない件の新国立競技場への批判とも相通じる。

 それでもその天声人語があるその日の朝日新聞の1面はその新国立競技場について抑制的批判をしており、自己中心的批判を浴びせる他の新聞等とは一線を画していて良い。
 然しこの度の芥川賞についてはその意義と資質に、全面否定をせざるを得ない。
 日本を日本文学に対して守れ、そういうべきである。

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by keitan020211 | 2015-07-18 21:36 | 芸術(音楽、文学など) | Comments(0)
【映画を観る】CONTACT 1997, USA
 今日の夜明け前にフジテレビにて"CONTACT/コンタクト"が放映された。
 その作品は1997年に公開上映がされたロバート・ゼメキス監督によるアメリカ映画であり、主演はジョディ・フォスターの扮する電波天文学者エリナー・"エリー"・アロウェイである。
a0313715_17512569.jpg ジョディ・フォスターは私の最も好きなアメリカの女優なので偶さかその時間にフジテレビを観ていて「このあとすぐ」と出ると「めっけ!」と思い迷わず観た。因みに、その時代の作品であるとは知らずに、ビル・クリントン大統領が出演する場面を見た時には「皺(しわ)は化粧でこんなに隠れるものか」と思って見ていた。後で作品の概要を調べると、大統領の在任の時の出演である、とは雖も、実際に出演を要請したのではなく実際の官邸の会見の映像を加工して作られたものであるらしい。なのでジョディ・フォスターの顔も『素晴らしい出来栄え』であると思って見ていた。ヒラリー・クリントン氏は包み隠さない志向なようである。

a0313715_18010623.jpg 描かれている主題はずばり、『科学と心』、即ち"the science and a fixion"である。何しろ科学的でなければ日本の官邸が認めない時代である。電波天文学における『コンタクト』を通して心の『コンタクト』を物語るという訳である。決め手となるのは勿論、『クリントンのタクト(the tact)』である。詰り、政権を称揚する映画であり、政策芸術である。但しそこにはコソボの空爆(1999年)を正当化しようとする意図はないし、政権が旗を振って発言して実現するようなものではなく、支持する国民が時代の証人として作り出すものである。

 やはりジョディの英語であるからか、劇中の言っていることは字幕を殆ど見なくても理解することができた。見ないと分からないのはその筋の学術用語だけであり、私は聴き取りは弱くて映画もいつもは殆ど分からないが、その作品では違った。その勢いで朝の『グッド!モーニング』に映ってイランとの核開発と制裁の解除を巡る合意について語るオバマ大統領の英語も全て聞き取れた。

 その内の「これは」と思う言葉を紹介する。

You'll find your home.

――さて、何か?

a0313715_17445877.jpg 訳すと、「君が君の家を見つける。」となるが、要は「無事に帰って来いよ」という意味である。"You will"ならば「君は君の家を見つける(よ)。」となるので「必ず帰って来ると思う」という意味になる。それが"You'll"に約まると自己責任が重いという意味合いとなる訳である。
 そのように、何であろうかと思う独特な言葉は「これは駄目だ」と思わずにその場で落ち着いて理詰めで考えてみることである。それでも場面を目を離さないで観ておれば後の言葉も何となく耳に残る、その残っている内にまた考えて理解すればよい。

 他にも幾つか感心する言葉があったが半日経って忘れてしまった。

 特撮が余りリアルではなくて所謂手の込んでいるアメリカの映画というよりも劇のような感じなのは寧ろ良いかもしれないと思える。重要なのは話の筋であり、夢のある話という感じがするからである。
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by keitan020211 | 2015-07-15 17:48 | 芸術(音楽、文学など) | Comments(0)
【変な言葉】「永遠に」
 昨日13日のテレビ朝日の『ビートたけしのTVタックル』は派遣労働についての議論で民主党の山井和則氏が出ていた。勿論、反対派の議員としてであり、賛成派の議員としては自民党の田村憲久氏、前厚生労働大臣である。
 番組の内容は相変わらずの既成の言説を繰り返すだけの『擦れ違いショー』であり番組のメッセージのない、即ち考えさせられるもののないものであった。
 然も重要な問題の提起の場とすることが期待される山井氏の語りに国語的に誤っている語法があり、尚更に失望が増す。
 それは「そんなことでは派遣社員は永遠に正社員になれない」とのものである。派遣社員と正社員の定義の問題ではなく『永遠に』と言うのが変な言葉である。

 そのような誤りは少し前にも池上彰の番組にて司会の池上彰氏が、然も只間違えていただけではなく、逆に『永遠に』が正しくて『永久に』は誤りであるとのデマを説くものがあった。昭和史か何かの特集で読売ジャイアンツの長嶋茂雄氏が引退試合の挨拶に出た時に語った「我が読売巨人軍は永久に不滅です。」の名言が言葉の誤用であると言うのである。それも軍の定義についての問題ではなく『永久に』と言うのについてである。
 長嶋氏の語る言葉は『長嶋語』と呼ばれてギャグのネタとなっており、時に語法が間違っているものもある。然しそんな大舞台で言葉を間違えてのうのうと終身名誉監督になれる程にプロ野球の世界は甘くはない。池上氏は『長嶋語』ならば間違いがあるのも尤もであろうとの国民の暗黙の了解に点け込み、正しいものを誤りと言っているのである。何しろ韓国人の言ったことの字幕を全く違う内容の日本語にして出した程である。

 『永久に』は単純に終わりがないことである。「我が読売巨人軍は永久に終わることはない。」と言っているのと同じであり、確かに巨人を潰すべしと思う人はおらず、実際にも大いに可能なことである。
 山井氏のその語りもまた「そんなことでは派遣社員は永久に正社員になれない」ならば正しい。
 『永久』の語の含まれる言葉には『半永久』、『永久運動』、『永久会員』、『永久追放』などがある。長嶋氏は没後は永久名誉監督に昇格となるのであろう。

 『永遠に』は絶対に尽きることのない――或いは終わることのない――、深くて大きな境地の内にあることをいう。『深遠』とか『遠大』などの言葉がある。
 少なくとも『生涯派遣法案』に反対して正規雇用の拡大を目指す民主党と山井氏が「そんなことでは派遣社員は永遠に正社員になれない」とでは『生涯派遣社員』やそれに類することが如何にも良いことである、望ましいと言っているかのようである。『正社員は本当は良くない、それに比べると非正規社員は本当に幸せで良い筈ではないか』とはロックフェラーの論理である。民主党はロックフェラー財閥との深い関係にあった立憲民政党とは全く異質の政党であり、そのような気持ちの悪いことを思いはしない。
 『永遠回帰』と訳される哲学概念がフリードリッヒ・ニーチェの思想にはあり、恐らくはロックフェラーはニーチェを誤読して信奉し或いは評価しているのであろう――私は読んだことさえもないが。
 また、良い意味に用いるにしても、絶対のことについて軽々しく語るべきものではなかろう。いわば殆ど宗教の専用の言葉といえ、池上氏のような世俗主義者にしてテレビなどで普通に語るなどは以ての外のものである。

 どうもそのような、世俗主義とは馴染まない筈の言葉を世俗の物事に遣って恬として恥じない風潮が昨今は強まっている。或いは逆に深い精神性とは関わりのない世俗的意味しかない言葉を何やら深い精神性があるかのように或いは高級なことであるかのように遣うのもある。言葉の意味の感覚が全くずれまくっているのである。
 その一つは昨日に安倍総理が報道メディアについて語った「報道メディアは政権に阿ることなく立ち向かうべきである」とのものである。報道への圧力をこととしている自民党がそのようなことを言っていて臍が茶を沸かすとの声もあるが、『立ち向かう』という言葉の如何に軽々しいことか、立ち向かわれて幾らでも何となる側の居直りとしか聞こえない。相手方を潰すだけ潰して「何だ、掛かって来ないのか?」と言うようなものである。
 「板垣死すとも自由は死せず」――安倍流の解釈では「その命がどうなろうと我々の自由には関わりはない」と言うブラックジョークである。そう言えば、共同通信の元会長の犬養毅総理の孫が逝去したという。

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by keitan020211 | 2015-07-14 21:15 | 文明論 | Comments(0)
【夏の料理】トマト湯麺
 ペペロンチーノにダイストマト――既製品も良いが、なるべく自ら裁断したものが望ましい。トマトの汁が滴り過ぎずに滲み出るからである。――を敷き詰めるスパゲティーを夏になるとしばしば作って食べる。トマトの涼やかな存在感が熱いパスタを涼しくする。

 この程はトマト湯麺を作って食べてみた。
 トマトはスパゲティーの際のように賽子(さいころ)切りではなく一つのトマトを半切りとするだけである。それは皿の大きさと丼の大きさの故でもある。大きな丼には大きなトマトが合う。

 作り方は簡単であり、生湯麺に半切りのトマトを乗せてそこへ鰹節を多めに蓋わせるだけである。
 胡麻は大抵は湯麺の一式に入っているが、更に加えても良かろう。

 トマトの爽やかさがスープの味を涼しくして後口がさらりと感じられる。

 ネットで調べてみるとトマト湯麺は既にかなり多くあるらしく、私の作ったように白湯の侭のものもあり、スープを赤く染めているものもある。
 私のお奨めとしてはトマトの他の野菜を入れずに鰹節や胡麻などの塗し物を添え物とすることである。他の野菜を入れるとトマトの味との競り合いを起こして涼しさが今一つとなるからである。
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by keitan020211 | 2015-07-13 18:42 | Freesia料理 | Comments(0)
【考察日本語】所謂『ら抜き』言葉が正しい理由
 この四半世紀来の日本語論の主要な主題となっている所謂『ら抜き言葉』
――「ら抜き」と言う名づけにそこはかとない差別の意識が垣間見え、御簾の糸も抜いてみようかと思う程であるが、この記事では『ら抜き』の正当性を語る。

 然しながら、それを正しい或いは問題ないとする方々のそれを主張する理由も理由になっているとはいい難い、少なくとも有無を言わさない説得力はないし、単なる時代の傾向として許容するべき特殊な語法としてしか解され得ない説明が殆どである。
 その最も多くみられるのは
 ・『-られる』にある意味用法は (1)受け身;(2)可能;(3)尊敬;(4)自発 である。
 ・然し『(2)可能』のみを意味したい場合には語法を分けて言う必要があることが多い。
 ・よって『(2)可能』のみを意味したい場合には『-れる』と言うことができる。
とのものである。
 無論、言葉の起源は必要に応ずることにあったのであり、必要を或る言葉の正しさの理由とすることは論理として必ずしも成り立たなくはない。
 然しそれでは「私共には斯々然々の事情がありましてこのような言葉をどうしても遣う必要があるのです。なのでここは何とかそれをお認め願えませんでしょうか?……」というような嘆願としかなってはおらず、それが正しいと証明したことにはならない。
 尤も、『必要の訴えによる嘆願』はその適否を問わず、少なくとも一時的には、得てして強い。自民党による報道への圧力もまたテレビ局等の側が報道の自由の理念に訴えるのではなくそのように頭を低くして嘆願を訴えていたら難なく解決をみていたかもしれない。実際にテレビ朝日は或る程度はそのようにした。
 然しそこに最も重要なのは報道の自由を守らない、護らない方々がいることを殊更に言い触らすことではなく報道の自由の理念とは何であるかを分かるように説明して理解を求めることである。
 『ら抜き言葉』も、それが何であるか、何故に正しいのかが理解されなければならない。必要だからよいというだけでは新国立競技場の件の案による建設も全く問題ないとされかねない。偶さか必要の疑わしい要素が明らかとなっているだけであり、そうでなければ何が悪いのだといってノーチェックで通っていたかもしれない。

 ・見られる ・見れる

 それらの違いは何にあるのか。

 先ずは可能を表す場合には「-られる」の形を取らない動詞について考えてみる。

 例えば「外す」、その可能を表すのは「外せる」或いは「外れる」である。同じように可能を表す場合には「-られる」の形を取らない動詞を見ると活用の部分は「-る」ではないことに気づく。
 「-られる」となるのは活用の部分が「-る」である動詞だけということである。
 但し「守る」や「曇る」などの若干の例外がある。「守る」の可能の形は「守れる」であり「曇る」のそれは「曇る」と言われる。「-る」の内のその前が「-も-」となっていて「-もる」の形であると「-られる」とはならないらしい。または「通る」や「凍る」、「放る」などの「-お-」や「-う-」によって成る動詞も同じくある。
 それらの動詞の意味やによる違いや自動詞と他動詞の違いは見出せないので可能を表す場合には「-られる」となるかは専ら動詞の語幹と活用形の違いによって分かれるようである。

 然し何れにせよ、動詞の可能を表すには「-られる」の形を必ずしも取らない場合がある。
 「られる」は 未然形‐已然形‐「る」の活用形 であり、「れる」は 已然形‐「る」の活用形 である。可能と一口に言ってもそれらは意味合いや位相が違う。
 「-れる」は主語の物事の自らの意思においてそのようになることをいうのではなく、目的語の物事そのものが自ずとなることをいう意味がある。元は「そのような意味もある」のではなくそれをしか意味しないものであった。意思においてなることをいう場合は「外せる」ではなく「外し得」――否定形は「得外さず」――と言い、それが「-られる」の形に置き換えられた。処が単純に「し得」――否定形は「得せず」――を「られる」に置き換えるだけとすると「そこは通られる」のように、活用形の語感が何となく馴染まないものが多くなる。よってそのようになる動詞は敢えて弄らずに目的語そのものが自ずとなることを表す「-れる」を以て「-られる」の意味に代えることとなったのである。
 尤も、「し得」を意味する場合には「-られる」ではなく「-せられる」をつければ語感が馴染まなくはならない。「外す」は「外せられる」とすればよい。旧くはそのように言っていた時代もあったのかもしれないが発音が長くて言うのが面倒と感じられるようになったのか、今は「-せられる」の活用形は殆どない。私の憲法の改正の試案は――私は護憲派であり憲法の改正には反対ではあるが――その「-せられる」の形を基本として記されている。その試案はこの記事の最下部よりリンクすることのできる弊ブログのウェブサイト版に載っている。

 「見れる」や「食べれる」などの所謂『ら抜き』の意味もまた主語の物事の自らの意思においてそのようになることをいう「し得」の意味合いではなく目的語の物事そのものが自ずとなることをいう古来の単なる已然形の用法の意味合いにおいて用いられる。
 現代語を構成して普及させていた時に「-せられる」までは良かったけれども更に変わって「-られる」にした時にそもそもの文法理論の破綻が生じていたのであり、また大抵の可能を意味する場合は「-られる」の形を必要とはしない。それは英語においても"can do"の語法は極限られた場合にしか用いられないことと同じである。"can do"は正に「られる」または「し得る」を意味するが、大抵の可能を表す場合は"be to do"だけでよい。「ブルーレイで最新の映画を見(ら)れる。」と言う場合は"You can see latest movies by the blue-ray."とも言えるが、"It is the blue-ray to see latest films."(:「ブルーレイは最新の映画を見れる。」)とも言える。寧ろ、前者は"You..."と何かと商売掛かった或いは教育染みた言い回しとならざるを得ないのと比べて後者は至って客観的で或いは慎重に品定めをする表現である。"can"にはいわば"it's broken out"或いは"it's broken through"、即ちなかなかならないことがこの程に竟になったというような『創り出される』、「あり難くもなすを得り」という意味合いがあることが多い。
 「-れる」と言う所謂『ら抜き』もまた古語の時代には普通であった『単純客観的可能』を表す、英語の"(it's) to do"を意味するものであり、誤りでもなければ必要上許容すべくあるだけの当代語でもない正しい語法である。

 従来の日本語論者や新聞などのメディア媒体が『ら抜き』を誤りであるかのように見做していたのは""You can...!!"のような宣伝文句の聞き過ぎで自らの商売や教育にもそのように真似しないといけないと思っているからであろう。俗に「日本の保守はアメリカ言いなり」と言われる所以である。

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by keitan020211 | 2015-07-08 15:34 | 文明論 | Comments(0)
【書を読む】大江健三郎 静かな生活 その3
 第4章の『自動人形の悪夢』を読み始めた。

 その章の主人公は重藤さんの奥さんと見るのが妥当であろう。
 小説は字だけなので作者の描き出してはいないものはその小説の内に存在していても読者には直には見えず、自分なりに想像して場を再構成してみるしかない。『想像力』とは大江さんの大好きな言葉でもある。
 然しながら、存在しているのに見えないものは小説より奇であると言われる事実にも多くある。世の殆どのものは自分の目に直には見えない。その意味においては小説も事実も同じであるともいえる。
 『私』と奥さんの、そしてイーヨーや重藤さんの語らう場は、私にはドイツ製の上質のシステムキッチンのある食卓の間に映る。その照明の控え目な照度や湯気の上がり具合までもが鮮明に想像される。

 その章の初めはそれまでの3つの章の例を踏襲するかのように、『私』とイーヨーの二人を主として場がなっているが、話が進み行くにつれて二人の間はいつの間にか離れているように感じられる。そしてイーヨーの振る舞いはそれまでの不安の尽きない障碍者のそれからいつの間にか安定して確かなものになってゆくように見える。
 それは『私』の言う、イーヨーと共に在ることにおける特権のような意識を自らに見出して自主的に反省することと『連動して』いるようにも見える。人間にはそれぞれの関わり合いが自動的に調整され変化するようなものがある――どうも生身の人間としての意識や自然の恩恵、信仰などだけでは成り立っていないようである。或いはそれも自然の内に含まれるのかもしれない。人間は『自然』をさえも、勝手に想像して偽りの『自然』の像を作り上げるので到底に自然とは思えないような『自動人形』のようなことにも自然があり或いはそれが自然そのものであることを分からないのである。
 無論、そのような『私』の反省の念は私のその小説の場面の想像のように、全く任意のものであり一般化の不可能なことなのではある。

 そして『私』は自動的に夢をみる。
 奥さんが『私』を本当に落ちこぼれであると糾弾するものである。「本当に」とは何なのかは読めば分かる。
 実際には奥さんはそのようなことを言う人ではないが何故か夢にはそのように現われる。

 並ならない重い認識が平気で軽く損なわれることもあるように、単に認識が甘くて軽く損なわれることもある。何のことを言っているのかは読めば分かるかもしれないが、人間は精神論だけではどうにもならない。それを物語るのは章の初めに重い鉢植えを難なく運んでいたイーヨーであったりする。

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by keitan020211 | 2015-07-07 15:30 | 芸術(音楽、文学など) | Comments(0)



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