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【Freesia料理】納豆にマヨネーズ――卵の味を生かす納豆
 納豆には添えたり混ぜたりして使える他の物が色々とあります。
 最もよくある例は醤油や葱です。
 或いは刻み海苔や唐芥子もよくあるでしょう。
 私は大根おろしや生姜おろしが好きです。

a0313715_17565302.jpg 近頃はテレビや週刊誌に、今までにはなく納豆が奨められています。
 或る週刊誌は納豆は熱々の御飯には余り良くない、納豆の或る栄養素が高温により損なわれると指摘しています。御飯を少し冷ましてから納豆を盛るのが良いといいます。他に高温で栄養素が損なわれるのはみそや野菜などです。故に煮物の野菜を煮る湯は捨てずにみそ汁などに使うと良いです。湯に溶け出した野菜の栄養素を再利用して残らずに取ることができます。そのためには初めから煮汁にせずに先ずはお湯だけで煮込み、その湯をみそ汁などの鍋に移した後に煮汁に仕立てます。
 また、納豆を混ぜて直ぐに盛るのは余り良くはなく、混ぜてから暫く常温で置いてから盛ると栄養素が増殖するといいます。私もその原理を知っていてではありませんが何となく早めに混ぜて卓に出しておくことが習慣づいています。

 納豆の色々な混ぜ物に、生卵というのがあります。
 しかしそれは余り良くありません。
 納豆も生卵も体に良くて美味しいものですがそれらを混ぜると駄目なのです。
 その理由は卵の卵白が納豆の或る栄養素を粗全く損なってしまうからです。それも或る週刊誌に指摘されています。

 私は自ら生卵を納豆に使うことはそれを知っていてではありませんが、一度もありません。思いつきもしない組み合わせでしたが、私の出身家が私の幼少の頃からそれをしばしば出すので仕方なく食べていました。但しなるべく食べたくないので時折に卵を入れないのを頼みますが了承率は一割以下です。
 味は不味いものではありませんが納豆の舌触り、噛み心地や香りが殆どなくなってしまい、粘り気がなくなり水ぽくなるのが難です。況して三十年余りを経、栄養素が損なわれると知ると尚更にその確信は強まります。

 しかし味はなかなかのものがあるのは確かです。卵納豆はいわば実質より華美を尊ぶ食い道楽的発想によるものなのでしょう。

 そこでその卵納豆の味だけを取って栄養を確保する別物を考え出しました。
 それが納豆にマヨネーズです。

 実は私はマヨネーズは余り使いません。
 この二十年程に、色々な物にマヨネーズを添えるのがはやって普及していますが、殆ど良いと思えるものはありません。取り分けパンの多くがマヨネーズ仕立てになっているのは不可解です。ショートニングをマヨネーズに完全に置き換えているなら分からなくもないですが多くはそれらが併用されているのでマヨネーズによる栄養と健康の効果も殆どないでしょう。
a0313715_17594635.jpg しかし稀にサラダに使うこともあり、小さなマヨネーズを一応は用意してあります。
 一度、開封済の大きなマヨネーズを3年3か月程も放置して或る日にそれを舐めてみたことがありますが味も質も殆ど変わらず、極めて安全性の高い食品であるといえます。

 その小さなマヨネーズを久々に使うべく、納豆に混ぜてみました。
 またそれだけではなく、卵の僅かな苦味を再現するために、葫を一粒すり下ろして混ぜます。そこに醤油を入れて更に混ぜます。

 出来上がり

 但し、使うマヨネーズを選ぶことを要します。
 マヨネーズには卵黄のみで造られるものと卵白込みで造られるものがあり、納豆に混ぜるには卵黄のみのマヨネーズを使います。
 生卵も卵白を完全に取り除ければそれを納豆に混ぜても問題はないことになりますが、完全にすることは難しく、また、幾らか水ぽくなって粘り気が損なわれることには違いありません。
 卵黄のみによるマヨネーズには最大手のキューピーマヨネーズなどがあります。
 成分表に「卵黄」と記されておれば粗確実に卵黄のみ、「卵」と記されておれば卵白込みです。

 卵白により損なわれる納豆の栄養素はピオチンとというもの。
 ピオチンが卵白のアビジンという成分と合わさるとその腸における吸収が妨げられます。
 ピオチンは皮膚の疾患の改善や肌の保全に効果があるとされます。
 但し卵白のアビジンは熱すると無害になり、目玉焼や茹卵にしてから解して納豆に混ぜると水ぽくもならず美味しく食べられるかと思います。

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by keitan020211 | 2018-01-24 17:54 | Freesia料理 | Comments(0)
【ちょっと知りたいキリスト教】「復活」と「永遠の命」
賊軍を官軍の勝ち組クラブに入れる
賊軍戦没者の靖国神社の合祀に 絶対反対

都合の悪い歴史を覆い隠す
A級戦犯の分祀に 絶対反対

皆様の力で阻止しましょう!

 今日先程に、私のツイッターのアカウントの名前を変更しました。
 新しい名は:keitan こと 渓香(Keiqua) こと Keitan
 keitanはこのブログにもツイッターにも初めから用いている名であり、私の本名に基づくものであり、渓香は私のキャバクラ嬢の頃の源氏名です。渓谷のように清かに香るような人でありたいとの願いからのものですが、物事の経過を大切にするということでもあります。目的意識は大切ですが、そのためには相応しい経過が必要です。

 先頃にクリスマスがあり、年明けを経て今は1月の後半に入っています。
 クリスマスはキリスト教においては降誕祭と呼ばれ、ナザレのイエスが生まれたことを記念する祝日です。近年は、というかかなり昔から、それを念頭にしてクリスマスはキリスト教の行事なのでキリスト教の国ではない日本人が祝うのはおかしいという意見がありますがそれはクリスマスの実際の起源を知らない誤りです。
 ネットの普及のお蔭でこのような豆知識が手軽に知れるようになっていますが、クリスマスの実際の起源は西ローマにおける冬至の祭であり、キリスト教との関係はありません。日本にも柚子湯に浸かるなどをする冬至の祭があり、冬の深まりを味わう祭として見るならばクリスマスはそのバリエーションに過ぎず日本において祝われても何の問題もないといえます。
a0313715_02044424.jpg クリスマス/Christmasの語はイエスの尊称であるキリストに由来しますが、'christ'は'crystal'に通じ、霜や雪の輝きということで、それもキリスト教の信者ではない人々が用いることに何の問題もありません。
 但しキリスト教の信者ではない人々がイエスをキリストまたはイエス キリストと呼ぶことは「キリスト」が救い主のことである以上はいわば越権行為であり正しくありません。尤も、「あんたに救われた覚えはない。」というのも如何なものかとは思われますが、その名を呼ぶことは彼は救い主であると認めることを表明することになるのでキリストとはなるべく呼ばないことが望ましいです。その辺りのことは日本の歴史の教科書などがその記述を改めることが望まれます。
 キリスト教のクリスマスはその西ローマの冬至の祭の日に合わせて独自の祝日としたものです。昨年の弊ブログの【ちょっと知りたいキリスト教】の記事に、クリスマスは冬至の祭とイエスの降誕を併せて生命の神秘を祝う日と解することができると解説しました。寒い冬はあらゆる生命体にとっては生存を左右しかねない重要な季節であるからです。
 ということで、日本政府はクリスマスの12月25日を「命の日」という名の国民の祝日にしては如何かと思います。日本の古来の冬至の日はそれとは数日ずれてしかも移動制ですが、25日をそれに加えて命の日とすれば固定日として国際性のある祝日になります。或いは23日の今の天皇誕生日を明仁天皇が退位した後にそれにすることも考えられます。11月3日の明治天皇の誕生日は文化の日、4月29日の昭和天皇の誕生日は一頃はみどりの日――:現在は5月4日で4月29日は昭和の日――で、文化、緑に命と意義のあるつながりになります。23日と25日の両方をするなら23日を「平成の日」とすればクリスマスイブの24日も祝日になり、三連休ができます。
 何やら、近年は「キリスト教徒じゃないのにおかしいよ。」みたいな屁理屈が昔よりも普通に罷り通ってしまっている時代と見えます。それが近年のクリスマスの盛り下がり様につながっていると考えられます。決してデフレ不況とは何のa0313715_02071775.jpg関係もないでしょう。恐らく、男女交際の大事な日と見做されていたかつてのクリスマスにそのような「おいしい思い」をできなかった当時には若者であった今の中高年がそのような無知に基づく屁理屈を振り翳して日本人をクリスマスとは遠ざけようと執念を持ち続けて若者の風俗を変えてやろうとしているのでしょう。そのような事情を考えると「無知の知」などというのは真赤な嘘であり、無知は罪であるとも思えます。若者のだけではなく広く国民の時めきと安らぎを奪い、自分達に取って腹いせの好い世の中にしようとしているからです。
 因みに、自分達がおいしい思いをすることができないのは彼等自らが当時のクリスマスに異常に高い相場を設けていたからでもあり、自分が作った環境に自分が適わなくて「こんなのは使えない、クリスマスなんて要らない。」と切り捨てている訳です。デフレ不況などの経済状況とは何の関係もないとはそういうことですが、彼等は安上がりに良い思いをすることさえをも阻みます、とにかくお祝いやお祭りは良くない、意味がないと。

 年が明けて元日の1月1日は神の母聖マリアの祝日があり、それがキリスト教徒にとっての初詣になります。マリアはイエスの母なのでイエスの降誕祭を過ぎて程なくその祝日になるのは自然な流れといえます。
 そしてその次の日曜日または1月6日――:国により違う。日本は前者――は主の公現の祝日――:聖公会では顕現日――があり、平たく言えばイエスが他人に会ったことを記念する祭です。
 その他人とはイエスがベツレヘム――:先日に訳あって報道ステーションなどのニュースに出た町。――で生まれた時に東の国を訪れて来た三人の博士等やイエスが大人になってから彼にヨルダン川で洗礼を授けたヨハネなどです。
 人にとっては他人と出会うことは自らの存在を意識させられて公共心などを身に着ける大切なことです。イエスにとってもそれは同じことですが、彼のそれは一々他人と出会う度毎に彼自らの存在が神に捧げられていたということを憶えるのが主の公現の祭の意味と思われます。
a0313715_02092313.jpg 人が神に捧げられることを、ギリシア正教会の教理概念では神化といいます。「神」の語の意味が古来と現代と違う日本においてはその神化の語は誤解され易いですが、ギリシア正教会のそれは古来の日本の「神」の意味と同じく、神聖なものとして捧げられるということです。神社の賽銭や榊、神酒なども「神」です。現代日本語は「神」をキリスト教の父なる神のような絶対者や天照大神のような最高者ということに用いるため、神化というとどうしても人や物が絶対者や最高者になるというようなことに誤解される訳です。尤も、キリスト教においてはイエスは絶対の神であるという信仰もありますが単なる人が一気に神となるということではなく、他者との出会いを通してその神聖さが深まってゆき、しかも元々はそうではない者が或る時になったのではなく初めから神であったと人々に認識されるようになったという信仰です。初めから神であったなら一々神になってゆく必要はないと思うかもしれませんがそうではなく、平たく言えば神であるイエスも人でしかない万人も何の努力もなく初めの性質を保つことはできないということです。そう見ると、極めて難解とされるキリスト教の神学と教理も案外と簡単なものと分かります。
 神化とは呼ばないその他のキリスト教会も、基本としてはそのような理解であり、それが主の公現の祭の意義です。ギリシア正教会はそれを降誕祭に優る祝日とし、故にクリスマスはローマカトリック教会、聖公会や諸派の降誕祭の程には元々盛り上がりません。なので「クリスマスなんて要らない。」と思う日本の人達にとってはギリシア正教圏は頗る過ごし易いかと思われますが、かの地のクリスマスは「元々はない」から盛り上がらないのであり「要らない」から盛り上がらないではありません。

 そのギリシア正教会が最も重視する祝日は春に行われる復活祭(イースター)です。
 その他のキリスト教会も本当は同じですが、圏内の一般の人々の慣行では降誕祭(クリスマス)が最も重視される傾向が永らくあるためにその他のキリスト教圏の復活祭はギリシア正教会のそれの程には盛り上がりません。

 「復活」と「永遠の命」についての話なのに復活祭についてではなくクリスマスと正月についての話が長くなりましたが、それらは密接な関わりがあります。
 イエスの誕生を記す福音書には東方の三人の博士がイエスの生家に黄金、乳香と没薬を贈り捧げたとの行があります。その話が実はイエスの死と復活を暗示するものとされます。黄金と乳香はこの世の生を象徴し、没薬は死を象徴するものであり、イエスのだけではなく人間の生と死の象徴でもあります。イエスの誕生の話には既にその死と復活がキリスト教の主題として併せて描き込まれています。但しそれはイエスの人生が初めから殺されることに運命づけられていた或いは予見されていたということではありません。旧約聖書には恰もそうであるかのように曲解することもできるような預言者の言葉がありますがそのような解釈はキリスト教の信仰に基づくものではありません。運命や予見ではなく、寧ろイエス自らがそれらの預言の本質を知って自らそのように殺される立場を引き受けたと解するのが妥当かと思いますし、後の世の殉教者等もそのような思いから命を捨てた訳でしょう。
a0313715_02124383.jpg イエスが救い主として人々に祀り上げられて担ぎ出されたのではなく、それを自分の意思で引き受けた、そこにキリスト教の信仰の焦点があります。そこに、キリスト教圏が殆どを占める西洋の本来の自己責任の概念も生まれて来たのです。そのような意味では西洋を「キリスト教世界」と位置づけるのは妥当な見方といえますが西洋の文化や思想の全てがキリスト教に由来するものではありません。
 しかしそれも近年の日本には屁理屈が罷り通っており、本来のものとは異なる自己責任の概念が知られています。その日本流の自己責任とは恐らく、キリスト教を迫害していた西ローマなどにもあった信賞必罰のことなのではないでしょうか。しかし信賞必罰は専らそれらを与える側、即ち支配する側の論理であり受ける側、即ち行動する側の論理ではありません。キリスト教だけではなく宗教の信仰はどちらかの側だけのものではありませんし、両者を一体のものとして融和を求めるものでもありません。

a0313715_02160807.jpg 今日2018年1月16日から、日本全国の気温が三日程の間だけ15度程に上がって小春日和となります。平年の3月中旬並みの気温と云われ、それを過ぎるとまた冬の寒い陽気に戻ります。
 復活祭は早ければ3月の下旬に祝われ、今年の日本の1月の陽気は早くもイエスが十字架に死して3日目に復活したと云われる復活の祭を告げるかのようです。
 私の感覚を差し挟むと、今年を含む近年の関東地方の冬の気候は昔の関東地方のそれとは違い、しのぎ易くなっていると感じます。気温は低くて寒いのは確かですが、所謂空っ風のような痛々しい寒さがなく、冷たさにも和らぎがあって暖房を使わなくても過ごせる日が多くなっています。二十年前、大学生の頃は東京の隣の狛江という町に住んでいましたが当時の当地は空っ風が秋冬の恒例の現象として肌を刺していました。「夜空のムコウ」には乾きのめした風だけが見える…。安室奈美恵の歌の切なさもそんな当時の関東地方の気候を映すかのように見えます。しかし、今は余りない。私の体がそれだけ強くなっているからでもあるかもしれませんが、関西の出身の私にとってはありがたい気候の変化です。しかしその変化には地球の温暖化による寒波と熱波の分離によるものとの説もあり、今後のなりゆきが注目されます空っ風を愛する関東人はその内に「そら見たことか!」と言うことになるかもしれません。因みに今の住む所は八王子と横浜の天気を両睨みにする地域です。
 逆に西日本は殊に今年はより寒くなっており、関東地方だけがやや高温となる日がこの処に多くあります。関東平野は元々日本海側の寒波の影響を受けにくく、全国の気候の傾向とは違くなることが多い。西日本は日本海に面する地域が多くて瀬戸内海沿いにも日本海側の冷気が低い山地を越えて伝わるので寒くなるのでしょう。また、かつての関東の空っ風も実は気温の下がりようが他と比べ小さい所に風だけが吹いて東北地方の冷気が運ばれてくるからと考えられます。

 クリスマスから復活祭に掛けての気候の変化は生、死と復活を想わせるものなのでしょう。

 イエスは『復活』ということについては実は首尾が一貫した一つの説を語ってはいません。
 キリスト教は唯、イエスの十字架の死と復活のあり様と彼の生き様にのみ、復活の神秘を見出そうとしているというのが事実です。イエスの現実の心と体にのみ復活の本質と力があると説きます。
 よって復活とは一様にどのようなものということはできません。
 イエスは復活について幾つかの違う説を別々の所で語っています。それは釈迦の得意業といわれる対機説法のようなものなのか、細かい処は分かりませんが、一ついえることは人によって違う復活があるということです。
 但しそれは偶にあるような、死んでも誰かの心に生き続けるというようなことではありません。それははっきり違うと断言できます。
 死んでも誰かの心に生き続けるとは死者の存在が霊としてのみ認識されるということであり、人は霊と肉を不可分に具える存在であるというキリスト教の信仰とは異なります。霊と肉が分離することはあり得ないので、若し肉が死ぬならば霊もまた死ぬことになり、即ち死後の存在はないとの結論になる筈です。諸派のキリスト教会には死後の存在については問わない、唯神のみに委ねられる事柄であるとするものもありますが、伝統的キリスト教会は死後の存在を認め、死後に復活があるとの信仰があります。内容はかなり違いますが仏教には輪廻転生という死後の存在についての信仰があり、死後の存在についてはキリスト教圏ではない日本人にも然程の違和感はないかと思われます。

 イエスが何故復活についての統一見解を説かないか?それは人間には様々な死生観があってその考えは容易く変わりはしない故に、或る人にとってはとって馴染みにくい一つの説を説いても仕方がないと考えてのことと思われます。逆に言えば復活は然程にもキリスト教の核心の信仰であるということです。
 しかし大きく分けて二つの説がイエスにより説かれています。

 一つは:イエスを信じる人は決して死なない。
 一つは:イエスを信じる人は死んでも生きる。

 前者は「死なない」というので、「永久の命」です。
 後者は「死んでも生きる」というので、「永遠の命」です。

 一方では「死なない」と云い、一方では「死ぬ」と云う。その首尾一貫のなさがキリスト教の重要な特色です。よって首尾の一貫するもの、矛盾のないものを求める人にはキリスト教は向きません。事実、そのような志向の高まっていた近代の西洋においてはキリスト教はどんどん地盤沈下してゆき、その影響を受けた日本においては西洋の近代文明と思想が普及しましたがキリスト教は普及の処か一定の安定勢力にもなっていません。西洋の近代文明と思想の影響のより大きい日本の所謂リベラル左派には殊にキリスト教徒やキリスト教に理解のある人が少なくてどちらかといえば保守派や右派とされる人々に多いのが実情です。そしてしばしばキリスト教徒の保守派や右派の言説はリベラル左派にちゃらんぽらんといわれて批判されます。ちゃらんぽらんとは首尾一貫がなく矛盾が多いということです。
 それでも西洋のリベラル左派には伝統的に或いは遺伝的に染み着いているキリスト教圏の発想や感覚が尚も生きていたりしますが日本のリベラル左派にはそれもないのでどうしても近代原理主義的になっています。バタ臭いというよりはマーガリン臭い。

 日本がそんな思想の地盤であるからでしょうか、近年に「永久に」と言うべき処を「永遠に」と言う人が多くなっています。「永久に続く」を「永遠に続く」などとです。
 勿論、それが日本の伝統に根差す正しい日本語ではなく、「永久に」が正しい。

 「永久」は時間の観念で捉えられるものであり、主に未来に焦点がある語です。それが変わるべきものか変わるべきではないものかを問わず、変わることがなかろうと予想されることをいいます。英語では'permanently'。
 「永遠」は時間に関わりなく変わらないもののことであり、主に過去に焦点がある語です。過去に存在した大いなるものや望ましいものを想い起し、それが今もいつも存在することを願うということです。英語では'eternally'。

 それらの違いを知ってか知らずか、何れをも「永遠」と言って恥じない人が多く、例えば池上彰もその一人です。彼はしばしば自らの司会の番組で「そうなると貧富の差は永遠に解消しないことになる訳ですね。」などとニュースの解説をしています。正に本来の永遠というものには関心のない近代原理主義の反映としての言葉遣いでしょう。そしてそのような人々が今の時代の知識と情報を支配していることに空恐ろしさを感じます。「無知の知」を通り越して「無知こそは知」といわむばかりです。また、そのような人達が逆に「世界と日本の反知性主義の台頭を憂う」などと説いており、自分を憂うているのかという感じです。永遠なるものをなくしてしまいたいから「永遠」と言うのです。
 然るに池上彰と彼を起用するテレビの企画制作者等――横並びの典型です。――には粗全く軽蔑をしか感じないのですが端的知識情報には誤りのないものも少なくはなく、教科書に載っていたことの備忘録のようなものがあるのでそれらを拾うために時折に彼の番組を偵察しています。三日前の晩に今年の私の初夢となった夢に池上彰が出て来ました。彼が私の学校の講師をしており、講師控室で'70年代風の無線機とラジオが一体になったミニコンポに聴き入ってにんまりしている夢です。池上彰の本質がそこに分かり易く解説されているようで印象的な夢です。

 復活については、「イエスを信じる人は決して死なない」という説が訴える人々と「イエスを信じる人は死んでも生きる」という説が訴える人々がいるのです。それらは何れも新約聖書の福音書に載っています。イエスが或る時に考えを変えたのではなく、どちらもキリスト教の信仰の本質を含むものとして説かれています。
a0313715_02253401.jpeg 「イエスを信じる人は決して死なない」とはいいますが、実績としては例えば日本には明治生まれの人は既に数名しかいません。昨年2017年にメソジスト教会系の日本基督教団の信徒で聖公会の聖路加国際病院の医師であった日野原重明教授が105歳で逝去しました。それでも平均寿命よりかなり長い生涯ですが、理論的には105歳でもかなり短い、200年も300年も生きることができるともいえます。旧約聖書に記される800年とか930年とかの生涯も強ち誇張とはいえません。しかしイエス自らが復活の後を含めても30年余りしか生きておらず、少なくとも今の人類世界にはないとはいえそうです。因みに私は150年以上生きることを目標としています。多くの場合はそれ程には持たないのは「100年は持たない」などの先入観の支配はそれだけ強いものであるからです。人間は思うようにはならないのではなく、思うようにしかならない。
 片や、「イエスを信じる人は死んでも生きる」は大筋では相当の齢になれば死ぬことを前提とする説です。または不慮の出来事により不本意に亡くなった人々を含むものです。悔いはないか不本意かの違いが先ずあることからしても死と復活についての説は統一することはできないと分かります。よって「死んでも生きる」についての理解にも幾つもの説が成り立ちます。
 イエスの復活以外の死後の復活とは現象として見ては何かについていえば、取り敢えずは死後に気化などの色々な体の物質の変化を経てもそこには霊が宿り続けて生前から引き続く心を持ち続けると見做すのが妥当かと思いますが――人の体はそもそも物質なので死とはそれが動かなくなることでしかなく、生命を失うことではないとも考えられる。つまり細胞などの「死滅」とはあくまでも状態の相対的変化に過ぎないことになる。――、聖書もキリスト教会もその点については「体の復活と永遠の命」ということの他には何も言及してはいません。

 何にせよ、一つの説だけを信じるのではなく事柄を多角的に見ること、明白な誤りの外は全て尊重すること、それが大切であるといえそうです。その姿勢が寛容の精神を云う人達の程にないのが今の時代の姿です。

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    ●ザ トロントスター(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ザ ガーディアン(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2018-01-17 02:29 | ちょっと知りたいキリスト教 | Comments(0)
【Freesia料理】冬の一汁一菜御膳 2つ:・爽やかな焼鮭 ・粕汁
 最近の記事に、冬は炭水化物を多めにしてもよい、それと蛋白質を重視するべしと解説しています。
 夏は塩分を多めにしてもよい、それとビタミンを重視するべし。
 炭水化物(糖分)と塩分は不健康の元となりかねない微妙な栄養素であり、おしなべて少なくするべきものではありますがそれらの不足もまた問題です。その足りない分を炭水化物は冬に、塩分は夏に補う。逆にビタミンは冬には少な目にすることを奨めています。ビタミンの過剰は過敏症などを招き、冬場の過敏は寒さの耐性を弱める、寒さを感じ過ぎる虞があります。よってビタミンを多く含む野菜もそれが体に良いからといって冬にも多く食べることは奨められません。そもそも野菜の多くは冬には獲れず、自然の道理からすれば本来は獲れないものを無理に多く食べることは良くありません。冬にも獲れる温室栽培の野菜に意味があるとすれば、不自然な手を尽くしても治すべき疾患のある人の療養食でしょう。そうではないと認識している人にも何か不足があるかもしれず、そのような場合には季節外れの野菜は良いでしょう。
 一年を通して多く食べても問題がないのは蛋白質です。蛋白質は体を作る栄養素であり、体は一年を一生を通して作る必要があります。
 なので、この記事では蛋白質を主とする、そして冬に重視する炭水化物と予備のビタミンを補う一汁一菜の御膳を紹介します。
 因みに一汁一菜とはテレビ朝日の『おかずのクッキング』の主演料理人である土井善晴氏の提唱する料理と食事の基本の考え方です。従来の日本において指標とされていた、恐らく一党支配を常としていた自民党が奨める一汁三菜に対する疑義からのものであり、所謂御飯と汁物に加えておかずは一品を基本とするものです。
 一汁三菜は中低所得者の食事への出費を多くし、エンゲル係数を高めて豊かさとその機会を奪う虞があります。それはいわばfull courseであり、日常の食事の基本とするべきものではありません。しかし昔は「毎日がフルコース」が国の奨める指標でした。中低所得層だけではなく、高所得層にとっても一汁三菜は全体としても一品毎でも料理と食事の質を低め、豊かな人に相応しくない感性と発想の貧困を生む虞があります。
 賃金や社会保障の低減を批判して改善や改革を求めることは必要ですが、併せてそのような今の状況を逆手に取るかのように食糧の消費のあり方の見直しをして結局は政権の転覆につなげることも必要です。未来を変えるためには今どうしなければならないかを思うことが必要です。
 よって箪笥預金を取り崩すこともありません。より少ない出費でも国の経済と自分の生活を上向かせることはできます。

■爽やかな焼鮭 the cool broiled sermon; le saumon grillé frais

a0313715_18231865.jpg フランス語の鮭は「saumon/ソーモン」です。
 序に魚のフランス語を色々と辞書で引くと、鯖は「maquereau/マクロ」という、鮪みたいです。
 この「爽やかな焼鮭」の「爽やか」のフランス語は'frais/フレ'と、英語の'fresh'に当たる語を当てていますが英語のそれは'cool'と違う語にしています。
 どちらかといえばその'cool'がこの爽やかな焼鮭の味わいにぴたりとします。'fresh/frais'は味わいの爽やかさよりも材料そのものの鮮度に重きがあるからです。
 材料の鮮度が低くても味は爽やか――つまり、味つけで魅せる焼鮭です。
 鮭の旬は秋であり、冬は当たらずといえども遠からず、季節が少しずれます。そのずれを'cool'な味つけで補います。
 よってこの一品は冬だけではなく夏にもそのビタミンに富むことから奨められます。

 焼き方は普通ですが、そこに敷くのはバター、サラダ油でもオリーブ油でもありません。
 それだけでは定番のバター焼鮭と同じですが、そこからが違います。
 鮭の切身が焼けて来たら、そこに微量のナンプラー――:タイの魚醤、鯛の魚醤ではない。――を薄く点々と塗します。ナンプラーはかなり塩辛いため、多く使うことなく微量や少量を使いこなすことが肝要です。するとYOUKIなどの日本国産のナンプラーの内容量が少ない訳も分かります。もっと多く常備したければ輸入食料品屋や業務スーパーに行けばもっと大容量の瓶があります。

a0313715_18250025.jpg 焼け上がったらそれを皿に載せますが、まだあります。
 微量のライムをその鮭の切身の表面に軽く丁寧に擦り込みます。絞って滴らせるだけではなく、満遍なく塗ります。軽く擦るのは鮭の身が崩れないようにするためです。

 出来上がり

 それに合わせるのは椎茸の炊込飯とみそ汁ですが、みそ汁の具は麩と豆腐がお奨めです。麩と豆腐が夫婦。但し「ふうふう」と吹く程には熱くせず、先ずは湯と具だけを沸騰させ、それを冷ましてみそを入れます。みそは70℃以下でないと乳酸菌がなくなってしまうからです。時には熱々も良いかとは思いますが通常はそのように温めのみそ汁を作って食べるようにすることを奨めます。
 椎茸の炊込飯は、米を昆布と薄口醤油と共に炊き、それに刻み海苔を載せます。

 焼鮭の味付けには、胡椒はお好みですが――基本は使わない。――、塩は使ってはなりません。バターには塩が含まれ、ナンプラーにも塩が含まれ、その前に鮭の切身そのものに「塩鮭」ということで塩が含まれます。そして炊込飯には醤油が入っています。そこに更に塩を加えることは微量でも意味がなくて無謀です。

■粕汁 the lees soup; la soupe de résidu

 フランス語は「ラ スープ ド レジデュ」。
 'lees'と'résidu'は何れも「風の下にあるもの」、即ち「庶」というような意味であり、粕のことです。

a0313715_18285397.jpg 酒粕を用いて造る粕汁は日本の凡そどこにもあるような料理ですが、殊に京都においては当地の魂の糧(ソウルフード)といわれる程に親しまれるものなそうです。
 京都の南、伏見は日本第二の酒処であり――日本一は私の出身地神戸市灘地域及び西宮市――、酒粕の汁と聞けばいかにも京都にしかないものであるかのように思えるかもしれませんが同じく酒粕を用いる甘酒がどこにもあるのと同じ位にそうです。大体京都の人は地元にしかないものよりもどこにもあるけれど地元のが圧倒的日本一みたいなものを好む、only oneよりnumber one。
 この度に私が作って食べた粕汁に使う酒粕は埼玉県産です。
 それを使い甘酒も自製で作れ、別途に研究してみて下さい。私のその埼玉産の酒粕の袋には粕汁と甘酒の作り方が書いてあります。

a0313715_18311802.jpg だし汁は昆布と鰹の合せだしが一般的ですが、私は鰹節を漉すのが面倒くさいので今回は昆布だけにしました。
 そのだし汁に薄口醤油と少量の塩を加えます。汁の色は溶け出した酒粕の白さでごまかせるので醤油が少し濃くても構いませんがなるべく薄く抑えます。
 それに具を入れて煮込みます。具はじゃが芋、人参、椎茸、豚肉と葱。葱は本来は青葱ですがその時は切らしていたので残りの白葱を厚切りにして使いました。じゃが芋と人参の皮は剥かずに使います。人参は今は金時人参の季節なのでそれを使いましたが通常は普通の人参でします。椎茸はその侭でも切身でもよいですが私は大き目の切身にします。
 豚肉は偶々鹿児島県産の黒豚が安く買えたのでそれを使いましたが、何でもよいです。
 尤も、粕汁の具は多様であり、里芋でも筍でも何でもよいです。但し筍は無加工の生のものを使わないと添加物が折角の粕汁に流れ出して給油所の排水溝のようになる場合が多いので注意を要します。
 因みに私は読売テレビの『秘密のケンミンショー』で粕汁を紹介して実食した本田望結などのような京都の出身ではありませんが、粕汁の具の最大手が鮭であるとは初めて聞きます。というか、鮭の粕汁は見たことがなく、野菜が色々と入っているものという印象があります。

 因みに話は変わりますが、配膳の仕方について彼女が言っていた「京都は東京式と同じで汁物は右で御飯は左、おかずは奥」というのは嘘で、多分、番組の制作筋に言わされています。京都も所謂大阪式、というか関西式と同じく「汁物は左奥で御飯は右、おかずは左寄り中央」です。私は汁物は左奥ではなく左端で、三つ共横一列または大皿は真中奥、漬物などの鉢物は右端ですが、卓が狭い場合や番組の例のような盆に載せる場合には汁物を左奥にします。いずれにしても「汁物は右で御飯は左」というのは初耳で、そば飯が神戸のものとは知らなかったのと同じように関西式という認識はなく、そんな置き方があるのかと驚きます。
 みのもんたは東京式の配膳は懐石料理の流れを汲むものとちょこっと解説をしましたが、懐石料理は極めて特殊な内容と流儀を持つもので珍しいもの、悪くいえば物好きのやり方なのでそれと同じようにすることを標準視する訳にはゆかないでしょう。本田望結は学校の給食も東京式と語っていましたが、給食は常識を教える場でもあり、お椀の位置から国も崩れるというので全国の学校給食の配膳や出来れば外食業界の御膳物の配膳を所謂関西式に改めてほしいです。

 余談が長くなりました。
 具が充分に柔らかくなってそのだしが出たら、酒粕を水で練り潰してそれを豪快に汁に入れます。練り潰さないと粕が汁の中で粉々になり過ぎるのでそれを抑えて程好く溶け出すようにします。

 出来上がり

 合わせるのは納豆飯と茄子の糠漬です。
 納豆は今回は栃木県産の平家納豆というのを使ってみました。濃く深い香りが特徴で、それを熊本の甘口醤油で解き――:濃い味の材料には濃い味つけを。薄い味の材料には薄い味つけを。――、更に刻み海苔を載せます。この処刻み海苔づいています。

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【追悼】星野仙一 元プロ野球選手、監督
星野仙一  ほしの せんいち

a0313715_14463834.jpg1947年に岡山県児島郡福田町、現倉敷市に生まれる。
岡山県立倉敷商業高等学校と明治大学(経済学科卒)の野球部を経て1968年に中日ドラゴンズに入団。
1974年に最優秀救援投手賞と沢村賞を受ける。その年にドラゴンズは読売ジャイアンツの10連覇を阻み自らが勝利を決める投手となって優勝した。
1982年に引退、その年にドラゴンズは優勝した。
1986年に翌年から務めるドラゴンズの監督に就任。
1988年にドラゴンズが星野監督の下には初めて優勝、西武ライオンズとの日本シリーズを戦ったが敗れた。
1991年に監督を辞任したが、1996年より再び同団の監督に就任。
1999年にドラゴンズは星野監督の下に二度目の優勝、福岡ダイエーホークスとの日本シリーズを戦ったが敗れた。
2001年に辞任して阪神タイガースの監督に就任。
2003年にタイガースが優勝、福岡ダイエーホークスとの日本シリーズを戦ったが敗れた。
その年にタイガースの監督を辞任して同団のシニアディレクターに就任。
2010年に翌年から務める東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。
2013年にイーグルスが初めて優勝、読売ジャイアンツとの日本シリーズを戦って優勝した。巨人キラーと呼ばれる星野にとっての初めての日本一は巨人に対してのものであった。
2014年に辞任して同団のシニアアドバイザーに就任。
2015年に同団の取締役副会長に就任。
2017年に野球殿堂顕彰を受ける。
2018年に膵臓癌により逝去、享年70歳。

 中日ドラゴンズのファンではないので、星野仙一監督はいつも自分とは少し違う所で気になる存在であった。
 彼の率いるドラゴンズを日本シリーズで破ったことのある西武ライオンズと後に彼が優勝させた阪神タイガースのファン、その阪神の優勝の余韻と共にかつて彼が投げそして率いた名古屋の地へ移り住んだが、それでも私がドラゴンズのファンにはなることはなかった。
 そして星野は東日本大震災から国中が注目することとなった東北の仙台へ。「自分とは少し違う所に生きる星野仙一」の気になる存在感が四半世紀を経て再び感じられる時代であった。

 それを一言に表すなら、「美しい不完全燃焼」であろう。

 星野は決して完全燃焼の青い炎を上げることがなかった。
 「燃える男星野仙一」としばしば呼ばれるが、その燃え様はどこまでも赤く、荒く、風が吹けばその姿を更に強く拡げる。片や青い炎は小さく、風と共に去るかのように、逆風には姿が見えなくなる。
 きっと彼自らもそのようにいつも思っているに違いない。どれだけ燃えても燃えても、足りな過ぎる。彼にとっての最高の球、最高の試合はもしや、なかったのではないか。
 しかし人々は彼を忘れない。

 そして東北の被災地もまた、彼と共に、まだまだ本領を発揮してはいない。

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by keitan020211 | 2018-01-09 15:09 | 追悼 | Comments(0)
【2018年 年頭の論説】国とは何か?――人口問題の次に来るもの
■ブルゾンちえみが告げた時代の切れ目

 「…35億。」――ゆく年2017年に人気になったお笑い芸人のブルゾンちえみの決め文句。タイトスカートとシャツを基調とする暗めの色のその装いはそれまでのお笑い芸人の相場を塗り替えるような端正なもの。去年ははっきりと認識し難いが、何かが変わる、既に変わっていると感じさせた名場面である。
 「35億」とは地球の人口の約半分、そこでは男の数を指す。全世界の人口が大きく増える傾向にあると同時にこの日本の人口は数年前から漸減の傾向となっていることは頓に知られている。
 それだけ世界に占める日本の大きさは小さくなってゆかざるを得ない――その危機感が良きにつけ悪しきにつけ、日本の存在感を世界に訴える動きにつながっているのであろう。そこにはこの国の生き残りを懸ける必要な営みもあるが、自国を徒に誇るためのものと思しい恥ずるべき営みもある。一般に知られ易いメディアを通して見聞きするものは後者が圧倒して多い。何れにせよ、希望よりも焦燥が大きくこの国を覆っている。
 そして男の数だけではなく女の数を増やすべしとの掛け声も政権などから出ているが、それなどは焦燥の処か既に手遅れではないかと見る向きも少なくない。日本の男女平等度の評価は世界の最下位級であり、国民のそれに関する意識は新しい憲法の公布から七十年を経てもなかなか変わりそうにはない。
 人口の減少に抗うために、子供をもっと生み育てるべしとの声もある。自民党の山東昭子議員が昨年に子供を四人以上産んだ人を表彰する制度を考えたいと語って批判を受けた。確かに実際には荒唐無稽とも思える提案ではあるが、人口減の一因である「少ない子供を大切に育てる」という価値観を変えることには意味のあるものである。その「大切に」とは何かを考えると、それは必ずしも子供の名誉や将来を本当の意味で尊重することではないことは多くの人々が薄々と感じている。相模原市の障碍者施設で起こった大量殺戮の事件はその価値観の忠実な帰結であり、犯人と同じ思想を持つ自らを恥じるべき人も「普通に」少なくない筈である。実際には大家族が普通になることはもはやないにせよ、大家族的価値観は子供と人口が少なくなってゆくこれからの時代にも大切なものとなろう。
 少子高齢化を基底とする人口問題は21世紀の日本の世論の主要の関心事となっているが、人口減が既に誰にも分かる既定の見通しとなっている今や、その次に来るものを見出す必要がある。

■人は国にとって何なのか?

 希望よりも焦燥が覆うこの国の今にあって、去年の秋の衆議院総選挙で安倍政権の自民党が大勝を収めたことが或る面ではその一時の安堵をもたらしている。それを不本意とする人々にとっても、仮にその時に政権交代が起こっていたならばそこに新しい焦燥が生まれていたであろう。安倍政権に、自民党政権に、負ける訳にはゆかない。――そんな焦りが本当にするべきことを見えなくさせるかもしれない。その意味においては去年2017年は安定の年でもあった。
 しかし、この安定もそう長くは続かない。少なくとも人口問題の認識だけでは解決し難いものがホワイトアウトの状態にある。
 それは国の人口は減っても人の豊かさは増えなくてはならないことである。
 国の人口が減ってゆくことが恰も人の豊かさをも減らしてゆくという見方が跡を絶たないようであるが、それは人の自意識が国の形と別ち難く結びついてしまっているからであろう。国が廃れれば心も廃ることは必然ではあるが、国が栄えれば誇らしいという感覚では国が廃れかけている今は誇りを持ち得ないことになる。国と共に廃れかねない心を保つには何か他の拠り処が必要となる。延いてはそれが国を再び立てる力となる。そうであれば「アメリカはもはや私の国ではない。」などという嘆きは出る筈もない。どんなものであれ、国の形と人の形は異なる。
 人はそして自分は国にとって何なのか、それを問うべき時代に来ている。それは半世紀前にケネディ大統領が語った「国が何を貴方にするかをよりも、貴方が国に何をするかを問うべし。」との言葉にも通じるかもしれない。人と人々がいてそれぞれに何かをする所にしか国はできない。国とは人々の営みの寄せ集めである。そして良きにつけ悪しきにつけ、その現実を共にすることもまた国であり、今そこを含め、どこかに素晴らしい日本というものがあるのではない。故に、『日本を、取り戻す。』という安倍政権の声はそれがどんなものであれ誤りである。

■『一人ひとりの高度成長』の時代に

 ――そんな今、かつてのような高度成長を再びすることはできないことは自明である。
 しかしそうであるといって経済成長には頼らない『成熟社会』が必要であるなどという論理の飛躍は更に誤りである。そのように見る人達は人間の幸せをやはり国全体で見るという、高度成長の時代の物差をそれとは違う今の時代に当てる誤りをしている。その計測結果が大きいか小さいかだけが違いであり、それが小さくても幸せと思うべしというのである。国民一人ひとりや人間一人ひとりを見て考えれば『成熟社会』などという発想は出て来る筈もない。そうではなく、昔は国全体が高度成長を果たしていた、今まではその余韻で動いていた、今度は一人ひとりが高度成長をしてゆく時代であると見定めなくてはならない。その成長率が全体の人口減と比べて大きければ良い。
 そのためにはどんな人に仕えたいか、そしてどんな政治指導者を選ぶべきかを考えてみる必要もあろう。自分を変えることも勿論必要ではあるが、どんな人の下に入るかを選ぶことも必要である。結婚ができないことや子供が出来ないことも意外と、それを想い描くことができない、経済力よりも想像力の貧困が原因なのではないか。想像力と経済力の相乗効果が働いてこそ、豊かさと幸せは実現する。今までの時代はそれらが切り離されてどちらかだけが偏重されていたと考えるべきであろう。而して「成熟」とは頽廃の類語であり、想像力のない経済力と経済力のない想像力を奨励する用語であり、21世紀型のファシズムであった。今年からは世界が総力を挙げてその誤った道を殲滅しなくてはならない。

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■NEWS of the WORLD


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    ●フランクフルター アルゲマイネ(ドイツ フランクフルト アム マイン)
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    ●共同通信(日本 東京)
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    ●朝日新聞(日本 大阪)
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    ●日本経済新聞(日本 東京)
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    ●ボストングローブ(アメリカ マサチューセッツ州ボストン)
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    ●グローブ アンド メール(カナダ オンタリオ州トロント)
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    ●ロイター(イギリス 英国 ロンドン)  
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    ●ザ テレグラフ(イギリス 英国 ロンドン ウェストミンスター)
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    ●ジ インディペンデント(イギリス 英国 ロンドン)
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by keitan020211 | 2018-01-01 00:34 | 政治、社会 | Comments(0)



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